雨蛙

十薬と共に出された兼題が雨蛙であった。雨蛙は梅雨時に多くあらわれることからこの名がついたと思われるが、実際は冬眠して生き延びる生命力旺盛な蛙である。
体長は3~4センチと小さく、脚には強力な吸盤があり、木の葉やガラスなどに張り付いて白い腹を見せているのをよく見かける。
体色は腹側が白色で、背中側が黄緑色で鼻筋から目、耳にかけて褐色の太い帯が通っている愛らしい蛙で、子供の頃は格好の遊び相手であった。
その雨蛙もめったに見ることができなくなり、父の「蛙も泥鰌もいなくなった」というつぶやきをまたも思い出してしまった。
芥川龍之介に「青蛙おのれもペンキぬりたてか」という有名な句がある。
厳密に言うと雨蛙と青蛙は別種であるが、歳時記によっては青蛙を雨蛙の傍題にしているものもある。
その雨蛙を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  雨蛙田んぼの青に染まりけり  英世

スポンサーサイト

十薬

今回の硯潮句会の兼題は「十薬」と「雨蛙」であった。
まず十薬だが、一般的には「どくだみ」の名でよく知られている。
どくだみと言えば何となく毒のある植物のように思われがちだが、何と何とこのどくだみほど有用な植物はない。十薬とあるように十種の薬の効能があるとされている。
子供のころ火傷やできものに祖母はどくだみの葉を別の葉にくるんで火に焙り、患部に擦りつけてくれた。また、乾燥した葉や茎は煎じてどくだみ茶として飲めば、整腸、利尿、高血圧などに効果がある。
どくだみには独特の臭気があるが、それさえ我慢すれば、十字の白い可憐な花を楽しむことができる。
その十薬を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  なほざりの庭十薬の天下かな  英世

私の本棚「時代を生きた俳句」

NHK出版の「時代を生きた俳句」を読んだ。
この本は俳人高野ムツオが大人のための俳句観賞読本としてまとめたもので、明治から現代までの様々な出来事を背景に詠まれた俳句を紹介、解説しているものである。
大まかに戦争や地震などの災禍、その災禍からの復興の道のり、過ぎ去った時代を偲んだもの、肉親や愛する人の生死を詠んだものなどに分けることができる。
俳句は瞬間を表現するものなので、東北大震災のような災禍が俳句と言う言葉に表現されたときに思わぬ力を発揮することがある。
私が学んでいる俳句は伝統俳句で、客観写生を標榜しているだけにこのような事件や災害を反映した句を詠むことは少ないが、全く詠まないわけではない。
特に愛する人との出会い別れを詠んだ句は数えきれないほど多い。
今日はその中から、稲畑汀子ホトトギス名誉主宰のご主人との別れの心情を詠んだ句を、「時代を生きた俳句」としてご紹介しよう。

  長き夜の苦しみを解き給ひしや  稲畑汀子

一句の風景

たかが蚊と思へど夜の修羅場かな

最近は冷房や網戸などで完全防備した家が多く、部屋の中で蚊に刺されることは少なくなったが、それでも玄関ドアを開けた時などに舞い込んでくるものがいる。
こうなるともう家内は狂気かと思われるくらいに蚊を追いかける。それはまさに蚊との戦争であり修羅場であった。
選者から「蚊と闘っているのを修羅場としたところが面白かった。これが俳句の魂だ。」との評をいただいた。
2015年(平成27年)6月「季題:蚊(夏)」

肥後守

百年句会の途中に、都府楼址で竹とんぼ愛好会の方から竹とんぼをいただいた話をしたが、今日はその竹とんぼに関連する話である。
私の山登り用のリュックには一本のナイフが常時入っている。子供の頃から愛用している「肥後守」である。
折り畳み式のこの肥後守はまさに魔法のナイフで、これ一本で何でもできる。
柿や林檎などの果物を切ったり皮をむいたり(実際はほとんど皮のまま食べたが)、竹や小枝を切って遊び道具を自分たちの手で作ったりもした。
もちろん竹とんぼや竹笛もその一つで、息子に作ってあげて一緒に遊んだり、釣った魚をその肥後守でさばいたこともある。
竹とんぼのお蔭で肥後守のことを思い出したので、今日はその肥後守がよく切れるように砥石で研いであげるとしよう。何時かまた役に立つ時が来ることを信じて。

  梅雨雲や錆び落としやる肥後守  英世

 | BLOG TOP |  NEXT»»