美味いものは困る

家内が浅蜊ご飯を作ってくれた。
一杯飲んだ後のご飯は量がいかないだけに、美味しいものを少しだけ欲しくなる。それだけにこの日の浅蜊ご飯は最高であった。
浅蜊は本来俳句でも春の季題になっているように、潮の干満の激しい時に取れるものだが、この時期になっても結構おいしい。
私の生まれた筑後地方では春のお彼岸を過ぎると、潮の満ち引きの大きい有明海へ汐干狩りに行き、山ほど浅蜊を取って来る。
食べ方は潮汁や味噌汁を始め、酒蒸しなどいろいろであるが、私が好きなのは浅蜊飯、つまり江戸で言うところの深川飯である。
妻がぽつんといった。「美味しいのはいいけど食べすぎるのよね」だって。
確かに少しは食事に気を使っている私でも、この浅蜊飯だけはついついお代わりしたくなる。たまにはいいかといつも自分を偽りながら。

  冬は冬なりの美味しさ浅蜊飯  英世

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西公園吟行

今回の百年句会吟行は西公園であった。
西公園はいまでこそ周辺が埋め立てられ小高い丘のようになっているが、古くは博多湾に突き出た岬で、荒津崎と呼ばれていた。
そこに黒田藩が光雲神社を祀り、その後福岡市が公園として整備したものである。
吟行の案内には冬紅葉探訪とあったが、私には一抹の不安があった。と言うのも、いつも言っているように九州の紅葉は本州より遅く、12月上旬が美しいことを知っていたからである。
この日は急に寒波が押し寄せ、風も強く真冬の到来を感じさせる寒さであった。
期待と不安を胸にもみじ谷に下りてみると、やはり紅葉にはまだ早すぎたようで、薄く色付いた程度であった。その分冬桜が清楚な花を咲かせて私たちを迎えてくれたことに心救われた。
そのような西公園を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  狛犬のそつぽ向きたる神の留守  英世

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一句の風景

初恋の出会ひの如く冬桜

初恋というものは思いがけない出会いである。何の前触れもなくしかも相手から何の信号もなく、一方的に芽生えるものである。
近くの南公園で一輪の冬桜を見つけた。
つい先日まで枯木のような姿をしていたのに、たった一輪の花で回りが一遍に明るくなったような気がした。
あたかも初恋の人に出会った時のように。
2014年(平成26年)11月「季題:冬桜(冬)」

枯葉

「冬めく」と同時に出された兼題が「枯葉」であった。
句会では「枯葉とは?」とその定義を厳しく言う先生がいる。その説によると「若葉」→「青葉」→「木の葉」→「枯葉」→「落葉」ということらしい。
つまり枯葉は木の葉と落葉の中間で、ホトトギス歳時記によれば主にまだ樹上に残っている葉のことを言うとある。
ところが角川歳時記によると、枯葉は落葉となった葉が乾いたもので、かさかさと音を立てて風に吹かれる様は寂しいとある。
このように俳句の季題は文法と同様にやや曖昧なものが多い。枯葉と落葉、区別がつけにくいがその曖昧さもまた趣があっていいのではなかろうか。
その「枯葉」を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  大木の洞に敷き詰む枯葉かな  英世

冬めく

今回の硯潮句会の兼題は「冬めく」と「枯葉」であった。
まず「冬めく」であるが、はっきりした冬景色が整ったわけではないが、何となく冬らしくなってきた感じを言う。「めく」とはつまりそういう感じがするということである。
雪景色や北風と言ったはっきりした冬の風景ではなく、晩秋の頃からやや弱くなった日差や空気の冷たさに冬を感じるといった、どちらかと言えば感覚的な問題である。
俳句の季題を始め、日本人にはこの感覚的な受け止め方を、具体的な言葉で表したものが多い。うそ寒、そぞろ寒、爽やか、長閑などもその類である。
街ではクリスマスツリーの飾りつけを急いでいたし、自宅では暖房器具のテストをした。これも冬めくものの一つであろう。
その「冬めく」を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  街灯の照らす路面や冬めける  英世

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