一句の風景

便りには書けざる虫の音色かな

俳句の季題では花鳥風月に続いて重要な季題にこの虫があるような気がする。
その虫の声を聞くと何かと心に染み入るように感じるのは、あの清少納言も同じではなかろうか。
ところが、ひとくくりに虫の声と言ってもさまざまである。
澄み切った高い声、あるいはガチャガチャと濁声で鳴くものがいる。またそれが同時に鳴く虫しぐれもあり、まさにあの童謡にある虫の声そのものである。
その虫の声、便りに書こうにも表し難い鳴き声である。
2014年(平成26年)9月「季題:虫(秋)」

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私の好きな一句

父が附けし吾名立子や月を仰ぐ  立子

星野立子の代表句の一つである。
立子は高浜虚子の次女で、中村汀女、橋本多佳子、三橋鷹女とともに四Tと称された。若年より虚子に師事した『ホトトギス』の代表的女流俳人で、昭和5年に女性を対象にした俳誌『玉藻』を創刊し主宰となった才女でもある。。
虚子がつけてくれた自分の名前に誇りを抱くことの爽やかさと、父への敬愛の念を率直に表現した句である。
綺麗な月を眺めながら、父がつけてくれた立子の名前に掛けて、あの名月のように凛とした人生を生きていこうという気概が感じ取れる。
私も父がつけてくれた英世と言う名前に誇りを持っている。

虫一切

昨日は吉野ケ里遺跡の彼岸花が盛りだと聞いて、見損なってはいけないと早良平野に車を飛ばしたが、途中の道筋も含めて彼岸花は全く咲いていなかった。少し早すぎたようである。
さて、兼題の虫一切の季題だが、単に虫と言えば虫の音のことで、秋に鳴く虫の音は古く万葉の時代から人々に愛され親しんできた。
従って、鳴かない蟷螂や鳴き声を楽しまい類はこの虫の範疇には入らないようである。
今回の兼題が虫一切と言うからには、秋の虫に関連するものは何でもいい訳で、虫として総称的に詠んでもいいし、螽斯、馬追、轡虫、蟋蟀、松虫、鈴虫と個々の虫を詠んでもいい。
様々な虫が合わせ鳴くことを虫時雨と言い、ほかにも夜店などかつて夜店などでよく見られた虫売りや虫籠もこの季題である。
他にも虫の秋、虫の宿、虫の闇、虫の夜、昼の虫、すがる虫、残る虫など、状況に応じて詠み分けることが重要であろう。
その虫を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 虫の音や心の窓を開けて聞く  英世

今回の俳句の会「鴻臚」の兼題は、秋の代表的な季題の一つである「露」と「虫一切」であった。
まず露だが、秋になり気温が下がってくると地面や草や木の葉などに凝結する水滴のことで、風がなく晴れた日の夜から翌朝にかけてしばしば発生する。
秋の夜の更けゆくわびしい感じを露けしと言い、そこに結ぶ露を夜露と呼ぶ。また、おびただしい朝霧が草木から流れるさまは、時雨の降る感じにも似ていることから露時雨と言う。
他にも晩秋の肌寒い感じを露寒と呼び、霜に変わる寸前を露霜と言ったりと、その時の条件によってさまざまな呼び方がある。
また、日が上ればたちまち消滅することから、人の世の移り変わりを露の世と言って儚きものの例えにもする。
そのような儚い露を詠んだ中から、今日の一句をご紹介しよう。

  絶句碑に浄き露置く仏心寺  英世

俳句の花

またまた俳句と花の話である。
先日来、虚子の「俳句への道」を読んでいて、俳句と日本の自然、特に季節の花鳥風月に親しむ大切さを教わった。
立秋も過ぎ、これから秋の様々な花が咲き始めるが、その俳句の花について考えてみた。
俳句の季題の花については一通り勉強したつもりだが、どうも何かが物足らない。それは花を育てるという実体感がないからである。私にできるのはその花をただ俳句の対象として詳しく描写することだけである。
確かに桔梗や女郎花などの秋の七草に触れることは出来る。だが、何か物足らない。それはどうも我が家の庭にそれらの花樹がなく、育てるという実体感がないからであろう。
花に水や肥料をやり、季節になっても切り取って供華にすることはない。当然落葉や散り敷いた花びらを掃くこともないし焚き火もしない。句作上やむを得ずそのつもりになって詠んでいることがあまりにも多すぎ、私自身罪悪感に苛まれている。
そういった意味では、少し前にお話しした西公園そばにお住いの俳人の庭には、季節の花がいつも咲き乱れ、次の花が時期を待っている。
俳人すべからくこうありたいものだが、庭が狭い上に洋花好きの家内殿が許すはずはなかろう。
稲畑汀子先生の「俳句を通じて自然から何を学ぶか」と言う言葉を思い出した。

  桔梗に君の心を聞きもして  英世

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