消えゆく季題「絵踏」

今月の消えゆく季題は「絵踏」である。
季題の絵踏とは、江戸幕府が当時禁止していたキリスト教(カトリック教会)の信徒( キリシタン)を発見するために使用した手法で、キリストや聖母マリアの画像を彫った木板や描いた紙を踏ませたものである。
一般的には踏み絵とも言われるが、そのときに使われた絵や像のことを踏み絵と言うようである。
厳密にいえば消えゆく季題ではないかもしれないが、誰も経験できない季題だということである。
俳句は江戸時代から続いている。従って江戸時代には実際にあったこの絵踏が明治以降はなくなっているので、過去の史実が季題として残っているのである。

  異教徒も二の足を踏む絵踏かな  英世

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私の好きな一句

紅梅の紅の通へる幹ならん 虚子

昨日の朝刊のコラム欄は金子兜太一色であった。そして昨夜は句友との飲み会で兜太の話で盛り上がった。
私の好きな一句も兜太にすべきかとは思ったが、やはり彼の俳句には付いていけなかった。
ということで虚子の梅の句を選んだ。
梅の花には白梅と紅梅がある。白梅は何となく気品があるが、紅梅はやさしく濃艶な趣がある。
その紅梅を見ながら、虚子はきっとこの木の中にも人間と同じように赤い血が流れていると感じたのであろう。
実際にそのようなことがあろうはずはないが、大虚子が言えば何となく自分もそう感じ、納得させられるから不思議である。
このように虚子には色に関する句が多い。「白牡丹といふといへども紅ほのか」などもそうである。
今日は特別に夕べ即興で詠んだ兜太の追悼句をご紹介しよう。

  薄氷や軍靴の音の迫りくる  英世

福岡城址吟行

今月の百年句会は、黒田官兵衛、長政親子が築城した福岡城址の観梅吟行であった。
福岡城は黒田52万石の居城で、天守閣はなく壮大な石垣といくつかの櫓が残っているだけであるが、そのことでこの城の大きさが想像できる。
その城址も今では花を愛でるお城として市民に愛されている。
春の梅から桜、藤、牡丹、芍薬、紫陽花、花菖蒲、蓮、睡蓮と、季節ごとに次々と咲き誇り市民の目を楽しませてくれる。
今回はその中の梅の花であった。
梅園は福岡城の二の丸に位置し、約280本の梅が植えられており、まさに今が見頃で見事な石垣とともに香り豊かな紅梅や白梅を楽しむことができた。
その梅を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  梅越しに一人の女見てゐたり  英世

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一句の風景

紅梅や色香てふもの男にも

太宰府に梅の花を観にいった時の句である。
太宰府の梅園は全国的にも有名で、なかでも飛び梅の伝説は広く知られている。その飛び梅は青白い白梅であるが、園内には白梅の他にも紅梅が負けずと咲いている。
梅の花は見た眼に品がよくどことなく甘い色香を漂わせるが、特に紅梅の色香は私の好むところである。
ふとその紅梅を楽しんでいるうちに、色香と言うものは女だけのものではない。男にもきっと色香があり、それを自分が気づいていないだけかもしれないと思い賜った句である。
2015年(平成27年)2月「季題:梅(春)」

私の本棚「芭蕉百名言集」

文庫本の「芭蕉百名言集」を読んだ。
この本は芭蕉の精神をこよなく愛した福岡市生まれの山下一海が、芭蕉及びその門人たちの珠玉の言葉を解説付きで詳しく紹介している。
芭蕉は一冊の俳論書も残していないが、門人たちが伝える芭蕉の言葉の数々には珠玉の拝論・芸術論がうかがえる。同様にこの山下氏の「芭蕉百名言」もまた同じ輝きを持っていると思える。
ざっと目次に目を通しただけでも、「不易流行」「三尺の童」「松に習へ」「言ひおほせて何かある」「舌頭千転せよ」など、これまでいろんな俳句本で目にし、句会などで師や先輩の言葉として耳にしてきたものが、この「芭蕉百名言」に一挙に集約されているのである。
ところが、その百名言の原文はもとより現代文での直訳も浅学な私には理解しがたく、山下氏の手で初めて合点が行くこととなった。
なんとなく解ったようで解りにくかったカオスの世界を、パッと明るくしてくれた珠玉の一冊である。

  春浅し芭蕉の言葉噛みしむる  英世

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