私の好きな一句

若葉して御目の雫拭はばや 芭蕉

この句は松尾芭蕉の紀行文「笈の小文」に収められているもので、芭蕉が奈良の唐招提寺を訪れた際に詠んだ句とされている。
天平時代、唐の戒律僧の鑑真は日本への渡航を決意するも暴風などに出会い、旅の途中で両目の視力を失った。
その目をつぶったままの鑑真像を拝した芭蕉は、思わず庭の若葉で鑑真の涙の雫を拭いてあげたいと思い賜った句である。
私も唐招提寺を訪れたことがあるし、大宰府の観世音寺戒壇院にもゆかりのある鑑真に親しみを覚え、いっぺんに好きになった一句である。

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植物園吟行

今回の百年句会吟行は、私が月二回以上は必ず行く植物園であった。
そういえば去年もこの時期の百年句会は植物園で、公園清掃作業(ラブアース)終了後、大手門からのシャトルバスに乗ってどうにか間に合ったことを思い出した。
今年も同じように百年句会とラブアースが重なったが、実は私が百年句会の当番になっていることから欠席する訳にはいかなかったのである。
と言うことでラブアースを欠席して吟行に参加した植物園は、くしくも薔薇まつりの最終日で動物園共々大勢の家族連れでにぎわっていた。
勿論目的の薔薇も真っ盛りで、赤や黄色、白、紫などのカラフルな薔薇が私の目を楽しませ、句心を誘ってくれた。
その薔薇を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  咲く薔薇に散りゆく薔薇を打ち重ね  英世

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松落葉

祭と一緒に出されたのが松落葉であった。
松に限らず大方の常緑樹は春から夏にかけてが葉っぱの新旧交代の時期である。
松は雌雄同株の針葉常緑高木で、古来、一年中緑色をしていることから長寿の象徴として尊ばれてきた。
春に「松の芯」と呼ばれる新芽をだし、新しい葉を出したあとに古い葉を落とす。その落ちるさまは人目に付く訳ではなく、知らず知らずの間に音もなく落ちている。
松の木の下にはその落ちた松の葉が、まるで敷き詰めたように茶色く広がっている。散歩のときなどに足が少し滑ったことで気が付くこともある。
なお、同様な季題に敷松葉があるが、これは庭園の霜よけや苔の保護、景観のためなどに枯れた松葉を敷き詰める人為的なもので、冬の季題となっているので、混同しないようにしなければならない。
その松落葉を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  松落葉かつてはここも漁師村  英世

今回の硯潮句会の兼題は「祭」と「松落葉」であった。
まず祭だが、祭は一年中どこかで行われているが、その中でも夏季に行われる神社の祭例を総称して「祭」と呼び夏の季題になっている。
一般的には春祭、夏祭、秋祭とその季節を冠して呼ばれるが、俳句では単に祭と呼べば夏祭のことを指している。
夏の祭の多くは厄病退散が目的で、博多祇園山笠に代表されるように豪壮なものが多く、春祭は収穫を祈り、秋祭は逆に収穫に感謝するものがある。
私の夏祭りの思い出は久留米市の水天宮祭で、父が牽くリヤカーに子供たちが乗り、そのうちの男子が代わり代わりに後押しをして、筑後川の土手を2時間ほどかけてお参りしたことである。
5月5日の端午の節句になるといつもそのことを懐かしく思い出す。
例によって祭の今日の一句をご紹介しよう。

  おしろいの匂ふ少女や祭髪  英世

薔薇

鴻臚句会のもう一つの兼題「薔薇」は、この時期の花としては一番多く詠まれる季題である。だが、薔薇の名句は少ないという。
吟行では近くに植物園や園芸公園があるので、この薔薇の時期によく訪れる。吟行でなくともぶらりと一人訪ねることも多い。
と言うことで連休中も2回ほど植物園を訪ねた。
兼題の薔薇をはっきりと意識して訪れたもので、他のものには目も呉れずに薔薇だけに的を絞って観察しようと思っていた。
この日は丁度春の薔薇まつりの最中で、園内には家族ずれや老若のカップルが目立ち、それぞれに薔薇を愛でお弁当を楽しんでいた。
暑くもなく寒くもない絶好の日和で、まさに百花繚乱の薔薇を俳人の目でじっくりと観察することができた。
その時に詠んだ薔薇を今日の一句としよう。

  一輪で存在感の薔薇深紅  英世

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