私の本棚「20週俳句入門」

毎月ご紹介している私の本棚は月に一回と決めていたが、この本だけは続けてお話しないと意味がない。
藤田湘子の実作俳句入門を読んだら、姉妹編の「20週俳句入門」を読まなければ片手落ちだからである。
姉妹編なのでどちらから先に読むかであるが、執筆された年代からすると実作俳句入門を先に詠むべきではないかと思う。そう言った意味で私もそれに従っただけである。
20週俳句入門は基本的には実作俳句入門と変りないが、実作俳句入門がどちらかと言えば少し経験を積んだ人の指南書であるのに対し、こちらは全く俳句のイロハから教えてくれという人に応えたものである。
20週と期間を限定されたのは、そこそこの俳句が作れるまでの期間を20週と湘子が決めただけのことである。
私も全く初めての人と句会を共にすることがあるが、尋ねられれば自己流ではなく有季定型の基本を大事にするようにと説明している。
その時にこの入門書が大いに役立っていることは否めない。

 薫風やどこまで続くホ句の道  英世

私の本棚「実作俳句入門」

藤田湘子の「実作俳句入門」を読み返した。
読み返したというのは俳句を始めた頃にこの入門書を何度か読んでいたが、その後句作に熱中してしまいそのままにしていたからである。
湘子はこの入門書は俳句を始める人や、俳句を始めて五年から十年経った人用の指南書であると自ら書いている。
ある知人が俳句を始めると言うので参考書として私が薦めたものであるが、私も句歴十年経ったのを機に読み反すことにしたのである。
ここで本の内容を紹介する気はないが、十年経ってある程度俳句というものが分かって来たからこそ気付くことがたくさんあった。
何事もそうであるが、物事には基本というものがある。その基本を改めて確認することで、これからの句作に大いに役立つことを願ってやまない。

 虫干しや開くことなき広辞苑  英世

孫娘は爺似

先日、ある人から孫の愛梨ちゃんはお爺さん似ですねと言われた。お爺さん、すなわち私のことである。
私似の孫娘と言われて私は少々複雑な気持ちになってしまった。
本来であれば「お爺ちゃん似ですね。」、と言われれば素直に喜ぶところであろうが、何しろその対象は女の子である。
女の子にとって男に似ていると言われて喜ぶはずがない。少なからずおばあちゃん似ですねとか、お母さん似とか言われた方が嬉しいに違いない。
私には孫娘が3人いるが、かつて一番年長の鈴花(高三)が子供の頃、お爺ちゃん似と言われて泣き出したことを思い出した。
幸い愛莉は直接お爺ちゃん似と言われた訳ではないので今のところ気付いていないが、もしそのことを耳にしたら鈴花と同じように泣き出すのだろうか。
間違っても直接愛莉にお爺ちゃん似だなんて言わないで欲しいものである。

 年少も少し大人に青葉風  英世

半ドン

今日は土曜日で、月一回の鴻臚定例句会が昼から開催される。
昔ならさしずめ昼まで会社に行き、午後句会に出席すると言った具合だろうか。つまり昼まで仕事、午後は休みの半ドンである。
当時半ドンと言う言葉を深い考えもなく使っていたが、何かと気にする私はその意味を調べたことがある。
オランダ語で休日のことを「ドンタ〜ク」と言うことから、土曜日は半分休みのどんたくと言う説、これは博多の「どんたく」にも関係することから親しみ深い。
また、明治から昭和の戦前にかけて地区によって正午に空砲を撃ったことから、一日の半分に「ドン」、つまり半ドンとなったと言う説もある。
土曜日の半分、つまり「半土」がなまって半ドンとなったと言う説もあるが、これはどうもロマンチックではない。
いずれにしても、当時は土曜日の午後ともなると勇んでテニスや野球に興じたものだが、麻雀を覚えてからはそれに熱中し無為な時間を過ごしてしまった。もう少し有意義に使っていたらと後悔しきりである。
この半ドンも土日休みが定着してからは使われることもなく、今の若い人にとってはチンプンカンプンの死語ではなかろうか。

 半ドンのテニスコートや風薫る  英世

句友の絵画展

昨日は画家でもある句友の所属する団体の展覧会があると云うので、久し振りに福岡市美術館を訪れた。
私は絵にはとんと才能がなく、学生時代美術と書道、体育さえなかったら「俺は秀才?」だったと今でも豪語してしまうほどである。
事実どのようにして描くのか全く想像もつかないが、ただ、描くことはできないまでも、絵から学ぶものがないわけではない。
色彩の美しさや表現力はもちろんだが、私にはその構図に非常に興味がある。
例えば、今回の赤煉瓦館を描いた絵では構図が少し斜めに描いてあり、その上空には白い雲が流れている。私にはその対比で作者は建物がやや斜めに見えたのではなかろうかと思った。
友人に聞いたところ、全くその通りで画家は自分の見た目で描く。俳句と絵画はその本質は同じで、それが絵であるか言葉であるかの違いだという。
何となくわかるような気がして来た。
展示会の幾つもの絵を観ているうちに、私ならこの風景をどのように句に詠むだろうかと、絵を鑑賞する目と別の俳句の目の二つでじっくりと鑑賞させてもらった。

 美術展出でて皐月の風の中  英世

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