最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


カテゴリー


天気予報


-天気予報コム- -FC2-

フリーエリア


くろこさん


ぷく☆ぷく-Picnic-


フリーエリア


占いブログパーツ


ブロとも申請フォーム


FC2ブログ

落穂拾い

一昨日、温泉の帰りに北山の山道に向かって車を走らせていると、穭田に猿の群がいた。2年ほど前にも紹介したが、このあたりにはまだたくさんの猿が生息している。
穭(ひつじ)というのは、稲を刈り取った後しばらくして、その切り株から再び青い芽が萌えて出るものを言い、これも俳句の冬の季題である。
猿はその穭田で人間がしなくなった落穂拾い(秋の季題)をしていたのであろうか。
IMG_9115.jpg
子供の頃は、よくこの落穂拾いをしたものである。田舎のことで別に米に困っていたわけではないが、一粒の米でも大事にする習性が自然と身に付いていたのであろう。作物を大事にすることは、農家にとっては先祖から受け継いできたDNAみたいなものである。
小学生の頃、私たちはクラス全員でこの落穂拾いをし、一本一本しごいて一升瓶に入れ、棒切れで搗いてわずかばかりの米を手に入れていた。
その米は、今ではもう時効になっているからお話しするが、先生に内緒で、給食代が払えない一番貧乏な子に皆でそっと持たせてやった。
悪戯はするが、教室中がそんな小春のような温かみのある時代であった。

痩せこけし猿も落穂を拾ひけり 英世

師走に入る

十一月最後の昨日は胸の痛みの治療にと、唐津の七山温泉を訪ねた。車で1時間ほどの長旅であるが、温泉も食事もすばらしく、心なしか胸の痛みも取れたような気がした。
一夜明けて今日は十二月、つまり師走がやって来た。ほかに極月、蝋月、春待月などとも呼ばれている。
正式には陰暦十一月の霜月であるが、何故か新暦でも師走と言った方がしっくり来る。それは師(坊主)が走ると書く言葉の響きにあるのかもしれないし、また、今は正月を新暦で祝う習慣が定着したからかもしれない。
これから正月を迎える、つまり俳句で言うところの年用意の行事が次々とやってくるが、昨今は何事も人任せの私である。せめて掃除ぐらいは講習会の成果を出さなければならないであろう。
師走ともなると、必ず単身赴任先からの里帰りを思い出す。東京丸の内にいた頃は比較的に休暇が自由に取れたため、混み合う前に帰ることができたが、関連会社に移籍してからは、年末ぎりぎりまで営業日があり、大混雑の中に身を投じ潜り込まなければならなかった。
里帰りのその時間と費用たるや莫大な損失である。家内が大分出身で、若い頃福岡から大分に帰ることさえ苦痛に感じていたのに、北海道や遠く海外の人と結婚した人はどうしているのだろうか。
夫婦二人ならともかく4〜5人家族ともなれば経済的な出費は計り知れず、泣く泣くあきらめている人も多いことであろう。
我が家は娘夫婦が隣に住み、息子夫婦も歩いて10分の所に住んでいる。こんな我が家の幸せを噛み締めつつ、そんなことを考えながら師走を迎えた。

 単身や師走の空を里帰り  英世

11月が終る

咳をすればまだ胸が痛むが、何かと騒動のあった十一月が今日で終わる。
先ずアメリカ大統領が代った。正式には来年の一月のことでまだ実感が湧かないが、世界戦略も日米関係もじわっと変わっていくに違いない。麻生総理は今後どう対処して行くのであろうか。その意味では重大な節目の十一月だったと言えよう。
スポーツ界では、我がジャイアンツが日本一こそ逃がしたものの、見事な活躍ぶりであった。ドラフトでも超高校級のスラッガー大田選手を引き当て、私とジャイアンツ命の寿司屋の女将を楽しませてくれた。ただし、野球音痴の家内は連日フィギアスケートに夢中で、私のことなど上の空でテレビに噛り付いていた。
九州場所は、結局は白鳳時代そのままであったが、他の力士の不甲斐なさもあってか、日馬富士(安馬)がすんなりと大関をせしめてしまった。地元魁皇は怪我と年齢からして、退き時が近いことを感じさせられる淋しい場所でもあった。
また、今年はどうも寒い冬になりそうである。
例年九州場所が始まると博多の街に冬がやってくると言うが、今年はまさにその通りの寒波襲来であった。初雪も降ったし、28日には松の剪定講習中に雹が降ったり、雷が鳴ったりと大荒れであった。ちなみに雹は氷雨とも言って、実際は夏の季題である。
俳句では「こうろ句集第二号」が完成した。皆さん自分の句を活字にすることがこんなに嬉しいものか、自分の句が立派に見えると素直に喜んでくれた。これから何号まで続くか楽しみである。
11月26日の私の誕生日も家族全員で祝ってもらった。今時の子は盆暮の行事にはあまり関心を示さないものの、このような誕生日とか母の日といった新しい行事、習慣には敏感な様である。この分ではお年玉もはずまねばなるまい。
ほかにもいろいろあった。紅葉も楽しんだし、温泉も熊本城も楽しんだ。油山で転んで怪我もした。
かくして十一月も無事??終わった。明日からはいよいよ師走である。坊主ならずとも走ることにしよう。

 霜月や本家の総領交替す 英世

三連休が終わった

依然として胸の軽い痛みはあるが、とにかく忙しかった三連休が終わった。
連休二日目の午後は昨日お話したように櫛田神社のあと、その足で重要文化財の「旧福岡県公会堂貴賓館」を見学して、天神中央公園の「ふくおか食の満祭」に出かけた。
天神中央公園は県の管轄で、今まではお上のお庭に庶民の祭など、と驕った気持ちではなかったと思うが、原則として民間のイベントに場所を提供していなかった。
それがどのような風の吹き回しか、今後はもろもろのイベントに公開することになったらしい。今回開かれた食の祭典も、どうも県の主導のようで麻生知事も視察に訪れていた。
IMG_9094.jpg
私も50円のうどん、100円の猪なべ、100円の焼き牡蠣、120円の酒蒸し饅頭など手当たり次第に食べまくり、夜は誕生祝のご馳走が待っていると言うことなど忘れて、満腹の昼食となってしまった。
夜はいよいよ私の誕生祝である。
今時の子供たちは盆正月の行事には関心を示さないが、母の日とか、誰それの誕生日とか言うのには敏感なようである。おかげさまで楽しい夜を過ごさせていただいた。
自分の祝というより孫、子に囲まれた和やかな食卓が嬉しかった。ハッピーバースディツゥユウの合唱と共に私は当然ご酩酊である。IMG_9103.jpgIMG_9104.jpg
鈴花と愛莉のツーショット
極めつけは連休三日目の温泉であった。
不思議と二日酔いはしておらず、家内にせがまれてまたまた温泉に行った。これからが本当に温泉が恋しくなる季節で、小雨が降りしきる中、今回はいつもの那珂川の「清滝温泉」ではなく、家内が見つけてきた志摩町の「万寿の湯」に行った。IMG_9112.jpg
この温泉は、朝市で有名な「初」と言う町のショッピングセンターにある。周辺は九大伊都キャンパスの学園都市工事中で、道路事情もすっかり変わってしまい、何度も通った道なのに迷ってしまった。
ここの泉質はゲルマニューム温泉で、肋骨と膝を痛めた私には好都合であった。露天風呂から見えた鴨が棹になって飛んでいく様は、いかにも牧歌的で初冬の趣があった。
温泉のほかにも美味しい食事を楽しんだ。
地の魚のお造りに豚シャブ、そしてビビンバにデザートと盛りだくさんで、これで入浴料込み2000円(ただし要予約)は安い。その夜は残り物で軽い夕食をと思ったが、そうは行かないのが食いしん坊の哀しいさだめである。
山本クリニックの先生の優しくも厳しい顔が見えるようである。
かくして油山登山と紅葉から始まった、私の長い長い三連休は終わった。そうそう痛めた胸はまだ痛い。

 露天温泉や湯気の遥かに雁の棹  英世

IMG_9113.jpgIMG_9116.jpg

黄葉と石燈籠

言い忘れたが連休初日の夜は孫の鈴花と二人だけで、いつもの寿司屋で食事をした。中二の鈴花と二人だけで話をすると、いつもは聞けない少女の本音を話してくれる。爺の私を信頼して話してくれることが嬉しかった。
そしていよいよ連休二日目である。
IMG_9077.jpg IMG_9078.jpg
油山の紅葉がこれほど綺麗なら、銀杏の黄葉はどうだろうかと櫛田神社を訪ねた。
銀杏と言えば櫛田神社で、神木の樹齢千年の大木と夫婦銀杏が天に聳えている。
訪ねて見ると何れの銀杏も、黄色く色付いてはいるが、前日の油山の黄葉と比べて見ると、まだやや緑がかった黄色である。やはり山地と街中ではずいぶんと差があるようである。
銀杏の黄色はずっしりとした重みがあり、どことなく貫禄がある。あの風にそよぎ、風に流されるもみじの紅葉とは全く趣をことにする。俳句に詠む場合には、そのあたりの表現に気をつけねばなるまい。
私が櫛田神社を訪ねるには、もう一つの理由があった。それは私の友人のご先祖がこの櫛田神社に燈籠を寄進していると言うので、それを確認し写真に収めることであった。
櫛田神社で闇雲に見て廻っても仕方がなく、社務所に問い合わせればその燈籠はすんなりと見つかるはず、であったが現実はそう甘くなかった。
神社の財産目録、寄進簿には燈籠類は記録されておらず、ひとつひとつ探して廻らなければならないと言われた。神社が手伝ってくれるはずもない。
友人にすぐ探してあげるからと、安請合いしたことを後悔し始めていた。燈籠は百基ちかくもあり、中には寄進者の名前どころか年号さえ薄れているものもある。
境内ではなく参道にあると聞いていたので、とにかくそのあたりから探してみると、どうやらそれらしき燈籠を発見することが出来た。その燈籠は土居町から霊前公園を通る参道に、左右一対堂々と立っていた。燈籠には大正6年富士登山連の講中名とご先祖の氏名がはっきりと刻まれていた。
安請合いしてまたあやまらなければならないのかと、半ばあきらめかけていただけに一安心と言ったところだろうか。
私はその足で、昼の中洲を横切り天神中央公園に向かった。夜は我が家で2、3日早い私の誕生祝が待っている。

 銀杏散る父祖の寄進の灯籠に  英世

IMG_9076.jpg

IMG_9075.jpg IMG_9092.jpg



 | BLOG TOP |  NEXT»»