句会の名告は大声で

二月号の「ホトトギス」の稲畑幸太郎主宰の「風雅の小筥」と言うコラムに、俳句会についての考察がなされていた。
その中で句会の進め方やそれに臨む心構えは別にして、投句、清記、選句の文字の間違いが無いようにとの次に、入選句の名告(なのり)の声は大きくという注意があった。
私はまさにその通りだと思った。
私がお世話している俳句の会「鴻臚」でも、披講者が聞き返すほどの小さな声で名告をし、私から注意される人がいる。
元々声の小さい人ではないのだが、なぜか名告の時だけは小さくなる。まるで入選したことが恥ずかしいかのようである。
廣太郎主宰は「名告は選者に対する感謝の気持ちである。せめて上を向いて発声しては如何だろうか」とあった。同感である。
私はこの「風雅の小筥」をコピーし鴻臚の会員に配布した。

  特選の名告り大きく春の句座  英世

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偶然の一致

ある句友から自分と同じ句が投句されていたという話を聞いた。
実は、私にも俳句には偶然の一致というものがあるのだなと思わせる出来事があった。
私がある句会で詠んだ「風花や天子の遊び心とも」と言う句が、天子を天女と変えただけの全くそっくりの句がインターネット句会に投句されていたのである。
もしや同じ句会のメンバーではとあらぬ疑念を持ったが、選句の結果、私のまったく知らない人であったことにホッとしている。
それにしても、囲碁将棋では一つとして同じ棋譜はないというのに、俳句の世界でどうしてこういうことが起こるのだろうか。
「かならず人の俳諧を学ぶべからず、己が俳諧を習うべし」との格言があるが、俳句はたった十七文字である。芭蕉以降の俳句の長い歴史の中で、同じ句が全くないとは言えないだろう。
あまり感情的にならずに、同じ発想をした人がいたのかと温かく見守ることにしよう。

  梅が香や彼女も同じ香り聞く  英世

富田木歩(とみたもつぽ)

富安風生著の「大正秀句」を読んでいて、富田木歩のページに目が釘付けになった。
明治30年4月に東京向島で生まれた木歩は、大正12年の関東大震災で非業の死を遂げたが、彼の不幸はそればかりではなかった。
木歩は2歳の時に足の自由を奪われ、弟は生来口がきけなかった。4人の姉妹も次々に苦界に身を沈め、その中の妹の一人は胸を病んで木歩のもとに帰って来た。
その妹を看取っているうちに木歩自身も肺疾患にかかり、挙句の果てに26歳の若さで死んでしまった。
このように世の不幸を一人で背負い込んで来たような木歩だが、それでもわずかに俳句に生き甲斐を求めていた。ところが、それさえも震災で命と共に奪われてしまったのである。
読んでいるうちに、今日、平々凡々と何不自由なく俳句に遊んでいる自分が、とんでもない罰当たりのような気がしてきた。
かと言って今更自分の人生をやり直すことは出来ない訳だから、その平々凡々の俳句人生に素直に感謝し受け入れるしかないであろう。
今日は私の句ではなく木歩の句を今日の一句としよう。

  かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花  木歩

杖を曳く

昨日は久しぶりに寒波が収まったので、いつもの植物園を散策した。
ところがとんでもないことになった。うわの空で歩いていたら、車止めに気付かず足を引っ掛けてつんのめってしまい、左の手の平をすりむいたのである。昔はこれぐらいで躓くことなどなかったのだが。手の平の絆創膏が痛々しく見えた。
さて、夕べ歳時記を開いていたら「杖を曳く母の饒舌山笑ふ」と言う例句があった。
山歩きをする私にとって杖は大事な友達なのだが、杖を曳くとはどう言うことだろうかと考えてみた。まさか杖を引きずりながら歩くということではあるまい。
調べてみると、杖を曳くとは杖を持って散歩する、あるいは旅をすると言う意味があることがわかった。
ところが先日実際にその杖を引きずって歩いている老女に出会った。
その老女は何か急ぐことがあったのだろうか、歩道を少し速足でしかも杖を自分の後ろから体を押すようにしてついていた。
私から見ればそれはまるで杖を引きずっているようで、まさに老女の身体を杖が支えるといった「人」の字そのものであった。
山笑ふ季節がやってきた。私もそろそろ筑紫の山並みに杖を曳くとしよう。

杖を曳く老婆元気や春の川  英世

講談を楽しむ

少し前の話だが、シルバー人材センター女性会員のつどいのアトラクションで日本の伝統話芸「講談」を聞いた。
講談師は神田紅の下で、ただいま修行中の女性門下生四人で、お馴染みの世話物の他に二人で演じる「鍋島化猫騒動」など三席を楽しく聞かせてもらった。
さらにこの企画で面白かったのは、「講談を知ろう」というもので、会場の観客に実際に講談の声色を演じてもらうことであった。
まず、講釈師が模範を示して舌を大きく出し上下左右に回したりしながら、大きな声を出す訓練をし、講談特有の抑揚のある語り口を、鉢の木の「いざ鎌倉へ」で実際に声を出して真似るというものであった。
元来喋ることが好きな私は、初めての講談の語りに悪戦苦闘しながらも、高校時代に弁論部で発生訓練をしたことを懐かしく思い出していた。

  春寒や化猫語る講釈師  英世

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