敬老の日プレゼント

昨日は敬老の日と言うことで、息子より長崎カステラのプレゼントがあった。そのカステラには「いつまでもお元気で」と言うメッセージが表面に焼き付けてあった。
写真をと思った時はすでに遅くその文字もろとも食べてしまった後だった。
息子夫婦は何かの記念日には必ず何らかのプレゼントをしてくれる。
10年ほど前も私の好きな焼酎のためにと、クリスタルグラスをプレゼントしてくれた。
そこには「お父さんありがとう」と刻んであった。もちろん家内のグラスにも「お母さんありがとう」とあった。
もっともそのグラスは使うのがもったいないと、私の書棚に飾ったままになっているが。
確かに息子も優しいが、このようなことを忘れずにしてくれるのは息子の嫁さんに違いない。私も家内もそのことはよくわかっている。
そのような心配りの母を見倣って、孫の愛莉もそうなって欲しいと願わずにはいられかった。

  敬老の日嫁の気持ちに涙せり  英世

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台風

台風は南九州の方を通過し福岡には直接影響はなさそうだが、それでも朝から大粒の雨が降っている。
実は今日は百年句会吟行の予定であったが、台風接近と言うことで早々に中止と決まっていた。仕事先の進学塾も臨時休校となった。
そんなに早く中止を決めず、もう少し様子を見てからと言う思いもあったが、幹事からすればそんな悠長なことを言ってはいられなかったのであろう。
句会場や食事のキャンセル期限もあったろうし、やむを得ないことことだと思っている。
ところでこの台風、昔は何と呼んでいただろうかと言うのが気になった。気になったら調べるのが私の流儀である。
俳句の季題に野分があり、これが台風ではないかと言う人もいるが、どうも少しニュアンスが違うようである。
昔は混同して使われたこともあるようだが、今日では野分は雨を伴わずただ野を吹き荒らす秋の疾風として、台風とはっきり区別している。
ふと、農業を営んでいた父が台風のことを「大風・おおかぜ」呼んでいたことを思い出した。江戸時代以前の記録にも大風とある。しかもこの大風、読みようによっては「たいふう」と読める。
もしかしたらこの大風が台風のことではなかろうか。

  明日あたり台風圏か夜の静か  英世

私の本棚「長谷川櫂:海と竪琴」

昨日は少し涼しくなったので、久しぶりに植物園の花たちに会いに行った。くしくも白い花たちばかりであった。
さて、私が席を置いているホトトギス系とは少し肌色の違う俳人、長谷川櫂の俳句評論集「海と竪琴」を読んだ
この評論集は人間探求派と言われた石田波郷、中村草田男、加藤楸邨、そしてそれに続く飯田龍太、平井照敏、飴山實、川崎展宏の七人の俳人についての俳句評論を収録したものである。
取り上げられた個々の俳人の代表句を通じて、その句の解説や作者の人柄、俳句に対する考え方、人生観などが多方面にわたって紹介されている。
この「海と竪琴」を読んで、俳句は作るのも大事だが解釈する姿勢も大事だということを学んだ。
例えば、俳句の解釈では17文字の裏に隠されている作者の思い、それはその作者の生きて来た時代背景(例えば楸邨と戦争)やその上に立った人生観、そしてそれらに基づく作句理念等を総合的に解しないといけないということであった。
ただ問題は、現在の幾万と言う俳句愛好家の作品を、作者の個々、固有の立場に立って解釈するのは無理と言うものではなかろうか。

 秋灯下片つ端から読む俳書  英世

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お茶が届いた

ずいぶん前に、伊藤園の「お~いお茶新俳句大賞」(応募総数187万句)で佳作特別賞に入選したというお話をしたが、私の入選句を印刷したお茶のボトル24本が届いた。
先に入選したことのある友人から、お茶は忘れたころに届きますよと聞いていたが全くその通りであった。
さっそく確認するとボトルの側面に確かに私の入選句が印刷したる。ところが、その俳句は虫眼鏡で見ないとわからないほど小さいのである
どうにか写真に収めたものの、ズームアップしなければ分からないほどであった。も少しは大きいと思っていただけに、友人に配ってもがっかりされはしないかと心配である。とは言え貰えるものは何でも有り難い。
と言うことで、もう一度その入選句をご紹介しよう。

  唱歌ほどには団栗の転がらず  英世

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写真の撮り方

少し写真に凝っていた頃、マニュアルの一眼レフを駆使して主に自然の風景や草花、孫たちなどを撮っていた。
その時は被写体や構図に凝って時間をかけていたのだが、このところそのようなことが全くなくなってしまった。
このブログにも撮り貯めていた一枚を載せたり、そのために写真を撮りに行ったりしているが、全く不満足なものばかりである。
と言うのも今の写真は小さなデジカメか携帯で撮るのが当たり前で、そこまで凝りはしないのである。
デジカメは素早くとらねばならぬかのように手当たり次第にバチバチやっている。焼き付け代がいらないのでついそうなってしまう。
これではいけないことは分かっている。
これからは構図や天気に気を配り、時間をかけて満足のいく一枚に心がけたいものである。

  デジカメと背の弁当秋の山  英世

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