またまた気に入らない話

昨日に続いてあるスーパーでのレジの清算の話である。
買い物籠をレジまで運んで計算をしてもらう。そこまでは同じだが、そこからがこれまでとは全く違うのである。
係員がレジを打ち終えるとそのまま前へ進んでその先の画面を見れと言う。そこには計算された金額が〇〇円と表示され、電子音声で清算してくださいと繰り返し叫んでいる。
目の前の画面にどうしていいかわからず戸惑っているおばあさんは、とうとう私が説明する羽目になった。
結果おばあさんは不安そうにATMのような現金投入口にお金を入れ、出てきたレシートとお釣りを受け取って終了した。
いずれ買い物客はこのシステムに慣れて何の問題も起こらずスムーズに清算できるようになるであろうが、更に進化して将来は買い物籠をレジ台に置けば自動的に機械が計算し、支払いはカードと言うことで、係員がいないスーパーに変るかもしれない。
それにしてもあの係員のてきぱきとした現金を数える技術はどうなるのだろうか。

  秋雨や金を吸ひ込むATM  英世

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気に入らない話

今日のタイトルを「気に入らない話」としたが、本当は「対話拒否のスーパー」とでもした方が良いような話である。
私は自分のお酒やおつまみは自分の収入で賄うことにしているので、毎日のようにスーパーに買い物に行き、売り場の棚に飾ってある商品を自分で手に持ち無言でレジに並ぶ。レジには袋の要らない人は、袋不要と書かれたカードを買い物籠に入れてレジに出してくださいとある。
まるで私はあなたと話したくないと言わんばかりである。私はあえて自分の言葉でレジ袋はいらないと言うことにしている。
極めつけがお酒である。
レジにはA4ほどのカードに「20歳以上、YES・NO」と書いてある。酒を買う場合はレジでそれを無言で指差せという。
どうしても確認が必要なら、声を出して聞けばいいものを、何か声を出せば損するかのような態度である。そうでなくとも顔を見ればわかりそうなものなのに。
何れにしても本部の指示、いわゆるマニュアルであろうが、対話を拒むスーパーがのさばる社会に違和感を持っている。
私もだんだん佐藤愛子に似てきたようである。

  秋暑しあなたとは口ききません  英世

思い出の旅「京都知恩院」

今日はお盆と言うことで今回の旅の話は京都知恩院である。
東京に単身赴任していた頃は休日に急に思い立って旅することがあった。
その単身赴任中に父が不慮の事故で亡くなった年の五月連休は、いつもなら一目散に留守宅に戻るはずだったが、この時私の足は自然と秩父三十四カ所の札所に向かっていた。
また、その年のお盆には家から東京に戻る折に途中下車して京都に降り立った。父の御霊を慰めるために知恩院に詣でるためであった。
浄土宗の我が家では父が一度は知恩院にお参りしたいとよく言っていたことを思い出し、叶わなくなった父の代わりにお詣りしようと決めたのである。
訪ねた知恩院は浄土宗の開祖法然上人が念仏をひろめ入滅した地に建つ総本山で、国宝の御影堂や三門をはじめとする数々の文化財建築物のほか、左甚五郎の忘れ傘などを拝することができた。
知恩院でお数珠を買った。
浄土宗のお数珠は二重に巻いて用いるやや大きいもので、今でもそのお数珠を大事にしている。

  京にゐて父の初盆数珠を買ふ  英世

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虫除けスプレー

残暑が続く中、毎朝の水やりが私の日課である。
だが、それは蚊との戦いでもある。庭には秋の色が少しずつ見えて来ているというのに、蚊の奴ときたら全く眠ることを知らない。
と言うことで、今朝も草取りと水撒き前に、両手と首筋に虫除けスプレーを噴霧して防御したのだが、それにも関わらずまたまた蚊に刺されてしまった。
両手の肘の裏側を見事に食われたのである。
そう言えば虫除けスプレーは手の表部分と首筋にだけ噴霧し、裏側には噴霧していなかった。
蚊の奴も最初はそれに気づかず刺すことはなかったのだが、今回は見事にその防御癖を抜けて食いついてきた。
刺された場所をかきむしりながら、蚊の奴も経験を積み重ね日々進化しているのだなと妙に感心した。
それにしても痒いのなんの、たまったものではない。

  秋の蚊の今日を最後と集りけり  英世

七夕

台風は福岡を逸れて行ったが、期待の雨はほとんど降らなかった。
さて、私たちの子供の頃の七夕祭は旧暦つまり今の8月7日であった。俳句では今でも8月の季題になっている。
青竹を伐って来て七夕飾を作るのだが、その頃の我が家には大きな竹藪がありその竹を伐ってくるのが私たち男の仕事だった。その七夕竹の重かったことは今も忘れない。
短冊は姉たち女の仕事で、様々な色の折り紙を短冊形に切り器用に紙縒りを捩って作ってくれた。その短冊にそれぞれが願い事を墨で書くのだが、その墨をする水は早朝の田んぼの稲や里芋の葉っぱに貯まった露であった。
また、七夕団子を作るのは祖母の役目で、丸くなった背中を更に丸めて粉をこねて団子を作っていた姿を今も思い出す。
もう今はそのような七夕祭も思い出だけになってしまった。
ちなみに私が短冊に書いた願い事は「医者になる」であったが、七夕星の神様はとうとう聞いてくれなかった。

  伐って知る七夕竹の重さかな  英世

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