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熊本城

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熊本城

昨日シルバー人材センターの親睦旅行で熊本城に行った。年に一回のこの旅行は会員の楽しみの一つで、例年多数の参加者がある。
熊本城、別名銀杏城は言わずと知れた名将加藤清正の手によるもので、天下に名だたる名城であった。その雄大な姿は見る者を圧倒し、清正公(せいしょこ・熊本では尊敬してこう呼ぶ)が今も睨みをきかせているように思えてならない。
名城であったと過去形で言うのは、本来の熊本城は西南の役で消失してしまい、現在の城は再建されたものだからである。いつの世も戦というやつは、人類の大事な遺産をいとも簡単に壊してしまう愚かな行為である。
その熊本城の築城400年を記念して、このほど本丸御殿の復元が完了し、それを見学しようと言うのが今回の旅行である。

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本丸御殿
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対面所

往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていたが、今回はその中の大広間(対面所)と数寄屋(茶室)、大台所だけが復元されていた。無骨な清正公が神妙な顔で茶を楽しんでいたかと思うと、より親しみが湧いてくる。
彼は築城のほかにも、治水事業に優れており、その時代サイホンの仕組みを利用して街中や農地に水路を廻らせ、暴れ川の白川や緑川の治水にも手腕を発揮している。
熊本城の後は例によって温泉での昼食で、これがまた楽しみであった。
植木町の温泉ホテルでご馳走を食べ、酒を飲み、カラオケを唄い、お土産を買う。いつものパターンながら、これもまた旅行にはなくてもならないコースなのである。

 銀杏散る清正公の夢の跡  英世

東京一極集中

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東京に来て驚いたことがある。と言うのも、どこもここも高層ビルの建設ラッシュで、まるでビルが空を奪っている感じだったからである。
結婚式も済み久し振りの東京をと思ったが、これがまるでお上りさん同然で、街は一変してしまい案内標識が頼りの散策であった。私の知らない地下鉄路線が何路線も出来ており、東京メトロガイドブックを見てみると合計13路線(福岡は2路線、それもガラガラ)が犇めいている。このほかにもJR、私鉄が入り組んで東京はまさに過密した地下都市になっているのかもしれない。
なにはともあれ地下鉄で六本木へと向かった。残念ながら日曜日と言うことでオフィス街は休み、加えて雨の午前中ということもあって、行き交う人は海外(アジア系)の観光客ばかりであった。カメラを構えた私の姿も恐らく同類と見られたことであろう。その六本木ヒルズは私のカメラに収まりきらないほどの高さであった。
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それより烈しいのが丸の内界隈である。私が勤務していた三菱電機は郵便局横の新しく美しい28階建てのビルに移ってしまっていた。三菱重工も新しいビルに移り、向かい合わせにあった重工ビル(例の赤軍派爆破事件があったビル)と電機ビルは、10階建ぐらいの古臭いビルになってしまい、昔の面影はまったくなくなっていた。いずれ壊され建て替えられる運命であろう。
この丸の内とは関係ないが、私が最後にお世話になった関連会社の三菱電機ライフネットワークも五反田から有明の素晴らしい高層ビルに移転していた。
とにかく東京だけが活気を帯びており、一人勝ちの様相を呈している。丸ビル、六本木ヒルズと言ったファッションビルが観光名所になるほどだから。
石原知事の傲慢なほくそえむ顔が思い浮ぶとともに、東国原知事のわめき散らす顔が浮んでくるのも仕方のないことであろう。それでも変らないのが東京のど真ん中にある皇居の森で、青葉若葉の日の光に輝いていた。

  摩天楼鉄腕アトムと燕飛ぶ  英世

大先輩に会う

翌26日は昨夜飲んだ友人の一人と一緒に、丸の内の会社にS.O顧問を訪ねた。
このブログでもご紹介したことのある元副社長で、現在会社顧問をされている私の恩人の一人である。昨年の秋に彼が来福した際に、私は体調を壊してしまい、会うことが出来なかったことのお詫びを兼ねてである。副社長もされながらいたって気さくな人柄で、私は何度この方に助けられたことだろうか。
お会いすると本人は思った以上に元気で、ゴルフなどで健康を維持しているとのことであった。その彼もこの6月で顧問を引退するとのことである。時の移ろいの速さも実感させられた旧交でもあった。
彼も早くに奥様を亡くされ一人住まいである。近所に娘さんがお住まいとのことであるが、顧問を辞めた後これからどのような生活が待っているのだろうかと思うと、他人ごとながら気になって仕方がなかった。
娘さんやお孫さんが近所に居られるので、福岡に帰る気はないとのことであっただけに、余計に気になったのかもしれない。どうか元気で長生きして、楽しい余生を送って欲しいと祈るだけであった。
かくして東京での旧友との親交も無事終えることが出来た。今度何時また会えるか分からないが、出来れば残り7人の甥や姪のうち、一人でも東京で結婚式を上げてくれればなと淡い期待もしている。

  夕焼や東京タワーの小さくなり  英世

東京で友人に会う

東京に行くことは早くから親友に連絡をしていた。その親友の段取りで25日の日曜日に品川で会うことにした。結婚式が土曜日なのでその日は成田泊まり、翌日の日曜日に東京で会うことにしたのである。
例の湯布の会で毎年会っている方々には申し訳ないが、今回はそれ以外の人と合うこと、しかもはじめて東京勤務となった当時の同僚と、夕方6時に会うことになった。
来てくれたのは4人で、いずれも心許せる友人ばかりである。現役が1人、後はリタイア組でそれぞれ近況を語り合い、往時を偲んで酒を酌み交わした。
奥さんの体調が優れず主夫をしている元上司、奥さんをなくしてしまったが元気に海外旅行を楽しんでいる同僚、競馬をこよなく愛しアルバイトにいそしんでいる同僚、関連会社の役員になって現役で頑張っている後輩(親友)と、その後の人生は様々である。
特に元上司は、退職後昔取った杵柄でラグビ−に再挑戦したが、早速足を骨折したと言う、笑うに笑えないような話もあった。
それぞれに自分の近況や友人知人のその後のことを語り合った。話の内容は何処も似たり寄ったりなので省略するが、九州に戻り寝たきりとなってしまったTさんの話になると、他人事ではない、何とか無事全快して欲しいと、しばししんみりとなってしまった。
わいわいがやがや、夜の更けるのも忘れて語り明かした。と言っても東京は飲んだ後タクシーと言うわけにも行かず、それぞれ電車で帰るのが普通であるが、それでも終電ぎりぎりまで粘ってくれた。
ここでも皆から私が一番充実した余生を送っているとの話であった。自分ではあまり実感が湧かないのだが。

 老雄のラグビー足の地に付かず  英世

5年ぶりの東京

24日の午前9時ANA便は時刻通り福岡空港を飛立ち、一路羽田へ向かった。末弟の長男、つまり甥の結婚式が成田空港のホテルであるからである。
私は七人兄弟でそれぞれ普通に家庭を持ち普通に子供が居るので、私にとってはその結婚式に出席する回数だけでも大変である。それに家内の方も入れると、毎年一、二回どこかで結婚式があった勘定になる。それでもまだ七人ほど残っている。
久し振りに東京に行くとあって私の気分は昂ぶっていた。甥の結婚式ももちろん大事であるが、私には別の楽しみが待っていたからである。それは東京勤務時代の先輩や旧友に会うこと、昔の会社を訪ねることであった。
日本はおろか、世界に広く工場や営業網を持つ会社の東京本社に勤務していた関係で、多くの知人を得ることが出来、それが今も私の大きな財産になっている。訪れた場所も北海道から沖縄、ヨーロッパ、アメリカ、中国、タイと地方色、国際色豊かで、そこで知り会った方々に出す年賀状は毎年300枚を超えている。
それにしても東京は大変貌を遂げていた。いたるところで高層ビルの建設ラッシュで昔日の面影はない。とは言え懐かしい人は何ら変っていなかった。その懐かしい人々と会った話は明日することにし、また、東京の変貌振りは後日お話しすることにしよう。

 薫風や進化続ける丸の内  英世

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丸の内オフィス街

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