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タンブラー

新婚の息子夫婦から透明の美しいタンブラーをお礼にと頂いた。
ウイスキーとか焼酎を飲む例のグラスで、平底の手にしっくりと来る見事なグラスである。
よく見ると月桂樹の中に「With・Thanks・Hideyo」の文字と二人のイニシャルそして結婚した日付を掘り込んだ立派なグラスである。家内も同じものを貰っている。おそらく両親4人に感謝の意を表わし贈ったのだろう。
酒好きの私には最高の贈り物で、早速一杯とも思ったが、なんだか勿体無くて部屋の書架に飾ってある。なにか祝い事でもあるか、また息子夫婦が訪ねてきた時にでも使わせてもらおうと思っている。
どんな味がするか今から楽しみである。

 明日は引く残菊に情酒を酌む  英世

砥石

やや茶色がかった白い砥石を買った。ずっしりと重い手応えの大きな砥石である。
家を建てたどさくさで失くしてしまい、いつか買おう買おうと思いながら今まで延び延びになっていたが、厨房に入るたびに包丁の切れ味が悪くなっているのが気になり買うことにしたのである。
肥後の守の時にもお話したが、刃物を研ぐことなど田舎育ちの私には当たり前のことで、早速我が家の包丁を研ぐことにした。ふと気が付くと最近の包丁はステンレス製ばかりで切れ味が悪い上に、色の変化に乏しく研ぎ甲斐がない。
親戚に田舎の鍛冶屋があり、私たちの結婚祝に手作りの包丁3本セットを頂いたことを思い出した。もちろん今はもうないが、木の柄にずっしりとした手応え、黒光りする胴体、研ぎ出される銀色の刃先と懐かしい思い出である。

  秋水に包丁二本研ぎにけり    英世

冬野俳句大会

度々お話したが俳句誌「冬野」に所属している。今日はその年に1度の俳句大会が絶好の秋晴れの下、福岡市の「ふくふくプラザ」で開催された。
舞鶴公園から大濠公園を吟行しながら会場に向かったが、蓮の枯葉を筏に乗って刈り取っている人、鴨が日差しを避けるかのように橋の下に集まっている光景、絵を書く人、ジョギングする人など句材はそこここに散らばっている。
いよいよ俳句大会である。それぞれ3句ずつ投句し、参加者全員で優秀な句を選ぶ互選と、ホトトギス同人の先生方(選者)による選とあり、発表の瞬間はあたかも入試の発表を見るような気分である。
まず互選の発表で私の句も読み上げられた。これはあまり感動しない。いよいよ選者毎の発表である。360句の中から私の句が読み上げられた。井上醇女(あつじょ)先生の特選である。やった、万歳!

 敗荷刈る素顔の水面拡げつつ   英世
  
 *敗荷(はいか)…枯れ果てた蓮の葉

ゴルフ 2

昨日の会員互助会ゴルフの続きです。
会員は全員60歳以上なので、親睦ゴルフ大会も60歳以上である。最高歳は昭和6年生れの75歳。皆さんまだまだ元気でのびのびとプレーしていた。
余談だが、かつての私のホームコースでの話し。「最近年取った所為か一緒にゴルフをする友達がいなくなった」と零す人に出会ったが、歳を訪ねてみると何と92歳。これでは昔の友達がいる方がおかしい。
今回の大会もスーパー爺さんがいた。ベストグロス賞でスコア75の3オーバーである。勝利者は何と74歳、あと1打でエージシューターではないか。本人も狙っていたらしく残念至極とのたまわっていた。決して大きい方でもなく普通の爺さんであるが、さすがに眼光鋭く背筋はしゃんとしている。願わくばこのように元気に老いたいものである。
今から俳句結社「冬野」の俳句大会に行ってきます。

 老ゆるとは齢にあらじ天高し  英世

ゴルフ 1

会員互助会のゴルフ大会があった。世話役のためプレーはしなかったが、澄み切った青空に消えて行く白球と金属的な打球音に久し振りに興奮させられた。
ゴルフ暦35年、HD14まで上りながら今はすっかり遠ざかっている私に、何かを思い出させるに十分の大会であった。
かつては年間40回近くプレーしこつこつと練習もしてきたが、5年ほど前から2度の入院に加えて肩の痛みも出てだんだんと熱が冷め、とうとう昨年の5月連休を最後に止めてしまった。持っていた会員権も100万以上も損をして売り払ってしまった。
とは言えまったく諦めてしまったわけではない。ゴルフ道具もきれいに手入れしているし、部屋にはラウンド中の勇姿も飾ってある。
いつの日か復活を予感させる未練たっぷりの一日であった。

  声かけて霧の峪打つティーショット   英世

先日同窓会の話をしたがそのとき同級生と歯の衰えが話題になった。
聞けば彼は自分の歯はあと3本で、近々総入れ歯にすると云うことで聞いた私が唖然としてしまった。個人の体質やカルシューム摂取の度合いにもよろうが、入れ歯などと言うものは80歳の老人がするもので、60歳前半の今の私には想像もつかない恐ろしいことであった。この様では心から生活そのものまで老人臭くなってしまうであろう。
かつて私も左上の奥歯を1本抜いたことがある。そのとき見せられた我が分身の歯がいとおしくまた申し訳なく思い、残った歯だけは何としてでも大事にしなければと思った。
以来こまめに歯をみがき大事にしてきたおかげか、決してきれいな歯ではないが歯並びもよく今でも全部自前で通している。
さすがに堅いものを噛む時は恐る恐るであるが、それもまた歯を労わることであり、長く付き合って行きたいと思っている。

家族 2

昨日、家族二人と言ったがあれは間違いであった。正確には二人だけの生活と言うべきであった。
戸籍上はそれぞれ別であるが、息子も歩いて15分の距離に新居を構えたし、娘は窓からスープが手渡せる隣に住んでいる。気が向けばいつでも一緒に食事が出来るし何ら普通の家族と変りはない。むしろ通常別々だけにお互いのあら捜しもせず楽しく過ごせるのかもしれない。
来春は息子に子供が生れると聞く。山上憶良ではないが子は宝である。また新しい家族の誕生で我家の宝が増え賑やかになることであろう。雛飾になるのか、鯉幟になるのか今から楽しみである。

家族 1

息子が家を出て、久し振りに妻と二人だけの生活に戻った。久し振りと言うのは新婚時代に二人だけの時間が一年間だけあったからである。
振り返って見ると家族の変遷は自分史そのものである。結婚して二人、子供が出来て三人、四人、単身赴任で一人、帰って来て三人、息子が結婚して家内との二人。
家内の方も私の単身赴任で三人、息子が就職して二人、娘が結婚して一人、私と息子が帰って来て三人そして息子が結婚して私との二人。
息子の結婚を機に古いアルバムを開いてみたら、まさに家族の変化が人生の軌跡である。
これから先、家内と二人きりの生活がどちらかが死ぬまで続くことであろうが、二人だけの生活がどのようなものか想像したくもない。おそらく家内が強い方が円満に暮らせることは間違いなが、我家の場合必然的そうなるであろう。何しろ家内には隣に住む娘と孫娘と言う強烈な助人軍が付いているだけに。
家内殿、何とか波風穏やかにお願いしますよ。

  いつ見ても妻の居る庭小六月   英世

結婚式 3

さて、いよいよ私つまり新郎の父の出番である。
少しお酒が入ったせいか緊張も解けて、用意した原稿を見ることもなく挨拶に臨むことが出来た。
仕事柄今まで幾多のスピーチをしてきたが、息子の結婚式ともなればまったく別物である。私は新郎新婦に対する謝辞を述べた後に、「嫁には普通の嫁と言う字ともう一つ嬪と言う字がある。賓の字は客を大切にすると言う意味でありこの字のように我家の一員として大切にすることをお約束します」と挨拶した。
両家を代表しての挨拶にしては少し異例であったかもしれないが、どうしてもそのことを言いたかった。それほど息子にお嫁さんが来たことが嬉しかったのである。
多くの方に祝福され我家一世一代の舞台はこうして無事幕を迎えるはずであったが、案の定帰り間際に家内の一騒動。「私の携帯がない。探して」。これも無事解決して目出度し目出度しである。夜は例の鮨屋で家族だけの打ち上げをした。
後は孫の顔を見るだけである。どうも少し早まりそうだが、まあ良いか。
べたべたの句ですが。

 菊の香や金銀纏ふ鶴と亀

結婚式 2

息子が結婚式を挙げた。
結婚式はいつも華やかなものであるが、今回は息子の結婚式だけに感慨ひとしおである。チャペルの厳粛な雰囲気と新郎の凛々しさ、花嫁の美しい姿にも感動した。
披露宴に先立ち新郎新婦のプロフィールが映し出された。七五三の袴をスカートと思い嫌がるシーンや、罰当たりにも大宰府の鹿の神像にまたがるシーンなど親にとっても思い出深いものばかりであった。
披露宴では恒例により上司のご祝辞に始り友人のスピーチ、そして余興である。昨今悪ふざけの余興で不興を買うことも多いが、生真面目な息子らしく友人も落ち着いたものであった。
私は各コーナーを訪ね招待客に挨拶をして廻ったが、その都度一杯ずつ勧められ危うく友の忠告を忘れるところであった。
披露宴は順調に進み、新郎新婦のキャンドルサービスで最高潮に達し、花束贈呈では両親4人とももうぼろぼろである。特に新婦の母親は感情豊かな人で、その感激ぶりは文字には表せないほどであった。

  雛壇に輝く未来菊香る   英世

結婚式 1

10月21日(土) いよいよ息子の結婚式である。
周りの人々に支えられ無事にここまでこぎつけたことは親としてこの上ない喜びであり、願わくば二人して幸せな人生を送ってもらいたいものである。
今朝は5時に起きて準備に忙しかった。自由奔放な家内がどんな服装で出席するのか少なからず心配だったが、無難に留袖で行くということで胸をなでおろした。隣の小6の孫娘も子供らしく着飾っている。
チャペルで式を挙げるというので新婦の父はタキシードらしいが、私は派手なことが嫌いで普通の礼服で行くことにした。
そんなことより新郎の父としての挨拶の方が気になって仕方がない。友人から挨拶の前に酔っ払うなよと釘を刺されたが、根が飲兵衛だけに果たして守れることやら。
式場は博多ニューオオタニで娘と同じ会場です。今から行って参ります。

二人して踏み出す未来天高し   英世

息子の新居

息子の新居が決まったことは既にお話した。
我家からバス停3つで、歩いて15分の距離である。4戸立ての小さなアパートで2LDKのこじんまりした造りであるが、新築だけに随所に新しい機能やアイディアが盛り込まれ、昔のような新婚家具はまったく要らない造りになっている。畳の部屋はなく全室フローリングで眩いばかりの明るさである。
かつて私たちの新婚の家は3K、台所以外は全部畳で食事もちゃぶ台、テレビは15インチとままごとみたいな生活であった。もちろん車もエアコンもなかった。
それがこの家には最新式の電化製品や装飾小物で埋め尽くされ、今私たちが住んでも楽しくて仕方がないだろう。景気云々言っているが、やはり日本は豊かなんだなと妙なところで納得した。
明日は息子の結婚式である。

句集

公民館俳句の会では年1回会員全員の句を掲載する合同句集を発行しているが、このほどその18年度版第11号が完成し配布した。日ごろ何かとお世話になっている公民館や表紙を書いてくださった先生にも寄贈した。
黄色を基調とした表紙に先生の句と16名の会員全員の名句?が掲載された立派な句集である。
今年は私が編集担当となり、句の募集から装丁、印刷まで他の担当二人と手作りで完成させた。冒頭に先生の前書きと御句を戴き、会員個々のページにはその句にふさわしい挿絵も入れて雰囲気を出しなかなかの出来栄えだと自負している。挿絵ひとつで句が生き生きしてくるのも嬉しい。
自分の拙い句もこうして印刷し1冊の本にすると、何となく俳句らしく見えてくるから不思議である。
掲載句の中から季節ごとに一句。

  早春やぽぽと泡吹く炊飯器
  この山河継ぐものもなし田植笠
  いつ見ても妻の居る庭小六月
  男手の研ぎ汁白き寒さかな      英世

壁紙

事務所の私専用パソコンの壁紙には美しい赤紫の睡蓮が咲いている。この夏インターネットから盗用し取り込んだものである。ふと自宅のパソコンの壁紙はと考えてみたがどうしても思い出せなかった。
早速帰って起動して見ると初期画面は珊瑚礁の真青な海と白い波そして南の島影であった。ちなみに待機画面になると菜の花、向日葵、紅葉、雪景色と四季の移ろいが走馬灯のように目を楽しませてくれる。こんなにきれいな画面をしかも毎日使っていながら思い出せないでいる。人間の記憶力とは関係なしに、惰性から来る関心の無さがそうさせているのかもしれない。
博多の町も景気回復からかいたるところで建設の槌音が響いており、古い建物を壊すとそこにわずかばかりの虚ろな空間が広がってくる。毎日通る道なのに、ここに何が立っていたのか、何の商売をしていたのか、どんな人が住んでいたのか瞬時には思い出せないでいる。これが普通の人間なのだろうか。

  行秋やよべ引越しの隣人   英世

井原山2

曲渕川の上流、野河内渓谷を沢伝いに30分ほど歩くと開けた村落跡に出る。今は家一軒ないが、草生した屋敷跡、散らばる生活の跡そして僅かな畑と林業で暮らしていた痕跡がかすかに残っている。
そこから山道を10分ほどで水無鍾乳洞に出る。この鍾乳洞は名の通り水の無い鍾乳洞で、かつては古代伊都国の祭祀の場として重要な場所であった。那の国誕生の研究に志賀島と共に度々登場する鍾乳洞で近くには神籠石も残っている。貴重な歴史遺産と言ってよい。この鍾乳洞の前には金木犀が植栽されており、満開になると芳しい香りが鍾乳洞の風に煽られて漂って来る。鍾乳洞と金木犀、俳味十分の取り合わせである。
その先の沢を渡った斜面が昨日話した茸狩に出会った場所である。私と同年代と思われる男の腰籠にはしめじと思しき薄茶色の茸が数片入っており、竹の棒を片手に黙々と斜面を漁っている。もちろん商売になるはずもなく、聞けば1年のうちの何日かだけこうして茸を取っているとのことであった。
趣味と言うにはあまりにも手馴れており、もしかしたら離散農家の一人ではなかろうかと勝手に想像した。

  鍾乳洞金木犀の香に満ちぬ   英世

井原山

福岡市郊外に私の好きな山の一つ、井原山がある。標高僅か1000メートル足らずの低山ではあるが、頂上からは360°遮るものはなく、遠くは玄界灘の島々そして麓には福岡市の街並、振り返れば緑なす脊振山系の山々と絶景を楽しむことができる。
花の山でもあり水無鍾乳洞の金木犀、尾根沿いのミツバツツジ、そして何と言ってもキツネノカミソリの群生である。
登山口は数箇所あるがこの日は午後の散歩程度に考えていたので、野河内渓谷から渓流沿いに中腹まで登りそこから折り返すことにした。その中腹がキツネノカミソリの群生地である。今はシーズンではないが、シーズンともなると麓までバスを仕立てて、押すな押すなの大盛況である。
キツネノカミソリは彼岸花科であるが、彼岸花とは逆に葉が枯れてから茎が伸び花を咲かせる。茎の先端に数個のゆりに似た黄赤色の花を付けるが、花びらが剃刀のような形をしていることからこの名が付けられた。来年のシーズンには何が何でも訪ねたいものである。
その少し手前で茸狩りの人々に出会った。明日はそのあたりの話をしよう。
久住で詠んだ句ですが。

  山百合の香に山小屋の明けにけり   英世

俳句の会「鴻臚」 3

俳句の会「鴻臚」の第1回句会を古賀伸治先生をお招きして開催し、会員15名中13名が出席して俳句のはの字から手ほどきを頂いた。
最初はやや堅い雰囲気だったが徐々に和やかムードになり季題のテストでは笑い声も聞え第1回としては大成功であった。殆どの会員が既に歳時記を購入しやる気満々で、中には俳句の作り方の参考書を持参するなどその熱心さが嬉しかった。
また、あるご婦人は「わたし、付いて行けるかしら」と弱音を吐かれたが、そのような人こそだんだんのめり込んで行くような気がする。最初から上手な人など居る訳がないのだから。俳句には学識も肩書きもいらぬと言われた先生の言葉が高齢者のこの会にはぴったり合っている。
次回は早速実作に取り組むことになるが、どのような句が出てくるか楽しみである。
先生から頂いたお祝いの句です。

  今日のぞく俳句の世界天高し
  句の一歩未来の一歩菊日和   伸治

同窓会

高校の福岡支部同窓会が西日本会館で開催された。
母校は今も久留米市にあるが、卒業すると同時に地元に残るものは少なく全国に散らばって行く。100年以上の伝統のある高校で、大同窓会の下にそれぞれの地域で支部同窓会が作られ活発に交流を深めているが、私はその福岡支部に所属しているので誘い合って出席した。
かつては男子校で質実剛健、世界飛躍を旨としていたが、戦後は女性が2割ほど入学するようになり、現在はご多分に漏れず半分以上が女性らしい。校舎も移転し母校の面影はなくなったが、それでも校章は桜と碇のままであることが嬉しい。
出席者は200名を優に超え、わが63回生も15名ほど集まって会場の一角を占め和気藹々のうちに旧交を温めた。齢も63・64歳を迎えかつての勢いは薄れてきたが、この時ばかりは大声で語り、笑い、大いに飲み、大いに食して楽しいひと時であった。
卒業生も女性が増えてくるとこの同窓会の先行きも心配になるが、せめて63回生だけはいつまでも元気に集まりたいものだと思わずにはいられなかった。
その後はいつもの焼鳥屋へ全員直行である。

携帯電話

携帯電話を買い直した。と言っても無料だから厳密に言えば機種交換ということになる。
従来の携帯は超旧型で、電話とメール以外は殆ど機能が付いていなかった。もちろんカメラもテレビ電話も付いていなかった。
家内が今はキャンペーン中だからと市内の大型電気店に行ってさっさと手続きをしてくれた。もちろん電話機は只であるがその日の昼食は結局私が払う破目になった。二人分で3200円也。
それにしても何故無料で交換してもらえるのかその仕組みがよく分からなかったが、あまり難しく考えないことにした。ともかく電話番号も変わらず、電話帳もそっくり移せるのがあり難かった。とは言え前の携帯電話帳はズボラをして振り仮名だけしか登録していなかったので、再度名前の登録が必要でその作業だけで3時間以上もかかったしまった。ついでにいらなくなった番号を整理してみると残念なことに亡くなった方が3人いた。
作業中に間違って発信し、さもご機嫌伺いの振りをして先様にご迷惑をお掛けしたり、消さなくて良い番号を消して再入力したりして本当に忙しい一日であった。
幾つになっても新しいものを手にすると嬉しいものである。暫くは吟行やハイキングにカメラとして利用しパチパチ撮りまくることであろう。

秋の薔薇

我家の庭に小さなピンクの薔薇が咲いている。薔薇は世界中で愛され冠婚葬祭には欠かせない花である。
本来薔薇は初夏の花で俳句では夏の季題になっている。もちろん冬薔薇と言う季題もあるが、春薔薇、秋薔薇という季題はない。それなのに我家では秋に咲いている。薔薇に限らず様々な花が品種改良され、色も容も時期も多様に変化し季節感などとうになくなっているのかもしれない。
薔薇といえば東京の古川庭園のバラ園が忘れられない。瀟洒なレンガ造りの建物とその前に広がるテラス風庭園が特徴で、中でもバラ園は多くの人が訪れる人気の場所である。この庭園でも春咲と秋咲の薔薇が楽しめる。
単身赴任の無聊を慰めるため、暇さえあれば自慢のカメラをぶら下げ、東京中の神社仏閣、名花名園を歩き回り、隅田川の桜、吉野の梅、牡丹、菖蒲、ツツジなど季節の花を楽しんでいた。
ここも王子駅で降り飛鳥山公園、滝野川公園そして旧古川庭園と格好の散歩コースで、秋の一日地図を片手に歩き続けたことが懐かしく思い出される。

  初舞台端役なれども薔薇の束   英世

立花山

石灰岩の露出した三日月山から一旦尾根伝いに下り立花山に向かった。尾根とはいえ最後の上りは急峻で、木の根につかまり岩にしがみついて登るといっぺんに視界が広がる。ここが立花山(367m)の山頂である。かつては三峰を頂く海に突き出た美しい山で、漁師が格好の目安とした山である。
頂上からは三日月山を遥かに超える大きな展望で、その昔大陸に開けた博多の街や元寇の海も真下に見ることが出来る。巡らせば筑紫の山並みが海を囲むかのように広がっている。
山頂の広場には休日とあって幾組もの家族連れが遊んでいた。大きなタブの木には3、4人の子供が登っていたが、誰一人として危ないからやめろと止める者がいなかったのが嬉しい。子供はこれくらい元気でないと。
戦国時代までは立花道雪や立花宗茂といった、柳川藩の祖である立花氏の居城があった山で、毛利氏や島津氏と幾たびも戦火を交えてきた山でもある。その城も戦国末期には山城の時代の終わりを告げるかのように取り壊されてしまった。
またこの山は自然の宝庫で様々な木々や季節の花、昆虫など身近に見ることが出来る。特に楠の原生林は自生地の北限として貴重な森である。この日も蝶の舞いを見、蟋蟀の鳴き声を聞きながら弁当を食べた。
久し振りの山登りと季節外れの高温でややばて気味であったが、この夜もまた友人の焼鳥屋に直行である。まさに「俳句とお酒と山と」のどうしようもない男である。

  街の子の木登り遊ぶ秋の山    英世

三日月山

勤務先会員の互助会のお世話をしている。今までにグランドゴルフやボーリング大会の話をしてきた。来年3月には近郊の山登りが予定されており、私がその企画を担当することになった。
ブログのタイトルにもあるように山は私の得意とするところである。もっとも登山と言っても60歳以上が対象だけにハイキングに毛の生えた程度であるが。
交通の便も考え候補の一つに東区の三日月山を選び、下見を兼ねて散歩がてらに登って見た。
三日月山は標高272mの立花山に連なる小高い丘のような山で、下原バス停から1時間ほどの距離である。麓には三日月温泉もあるが今は宿泊者のみに提供している。低山ではあるが山頂からの眺望は抜群で、博多の町から玄海の島々まではるばると見渡すことが出来る。天気にもよるがこれなら参加者に喜んでもらえると確信した。
私がここで引き返すはずがなく立花山に足を伸ばした。そのことは明日お話しましょう。

運動会

澄み切った青空の下で近所の幼稚園の運動会があった。別に自分に縁のある子がいるわけではないが、あまりの可愛さについ足を止めて見入ってしまった。
一生懸命に走る子、転ぶ子、泣き出す子、まさに子供の世界のドラマそのものでかけっこに至っては親のほうが夢中になっている。
何と言っても面白かったのはお遊戯で、自分の世界に浸り無心に踊っている子、親ばかり見ている子、何とか付いていこうとしきりに前の子の真似をしている子、最近入園したのかまったく踊らない子、見ている方が微笑ましくなって来た。
次はパレードである。小さな体に不釣合いの太鼓を提げ、笛に合わせてどんどこどんと叩きながら行進しているが、指揮の子はパレードなど無関係かのようにさっさと先に行ってしまう。まるでおもちゃのマーチそのものではないか。お世辞にも上手とは言い難いが一生懸命さがすばらしい。
少子化の影響か周りには両親そして爺ちゃん婆ちゃんと家族総出の応援団が目立つ。自分も数年前までは保育園の、そしてつい今年までは小学生の孫の運動会に興奮していたのかと思ふと、何となくくすぐったくなってきた。孫も来年は中学生である。

  転ぶ子を飛び越え走る運動会   英世

十三夜

十三夜。本来は陰暦9月13日の月のことで今年は11月3日にあたるが、そんなことには関係なしに事務所の女性3人と飲みに出かけた。3人の中の一人がご主人とよくご一緒する九大教養学部横の焼鳥屋である。
私も焼鳥屋にはちょくちょく出かけるが、こぎれいなお店で厳選されたネタを硝子のショーケース越しに見ながら食べる焼鳥もなかなか乙なものである。焼鳥チェーンの殺伐した雰囲気も嫌いではないが、話のよく通る静かな焼鳥屋の方が私には合っている。
生ビールで乾杯しメニューの隅々まで眺めて好みのものを注文すると、だんだんと雰囲気が盛り上がって来た。私は稲畑廣太郎先生のような高級ワインとは行かないが、瑞泉と言う泡盛の古酒(43度)をロックで頂いた。えも言われぬまろやかな香りと爽やかな口当たりが素晴らしくまさに至福の時である。
3人とも健啖家でお酒もなかなかのものである。年齢はあえて伏すが昔の写真を後生大事に、際どい話にも屈託なく付いて来れる年代である。連れ合いのこと、子供(孫)のことファッションのことと話は尽きず、いつの間にか十三夜のことなどすっかり忘れてしまっていた。
彼女たちは明後日の十五夜には福岡城址の観月の宴に行くとのこと。琴の調べに酔い、月に涙するのもよい。ただ団子だけは食べ過ぎないように。

  玉杯にさざなみ白き十三夜    英世

四十雀

毎朝、日が昇り窓辺が明るくなると隣の屋根に必ず四十雀が飛んでくる。近くの電線に止まりしきりに「ツイッピー、ツイッピー」と澄んだ声で鳴くこともある。縄張りを主張しているのかはたまたは求愛をしているのか日がな一日鳴き続け、時には三々七拍子に聞えることもある。
始めのうちは何の鳥だか分からず、ただ鳴き声だけを楽しんでいたが、そのうち何としてもその名前を知りたくなった。空にいる鳥は大概空の明るさで逆光になり、姿も色も模様も分からずなかなか見分けがつかない。ふと思いついてインターネットに鳴き声をインプットしてみたら、なんとその鳴き声から四十雀と判明した。驚きである。
図鑑によると四十雀は全長15cmほどの留鳥で低山の林に生息するが、市街地にもやって来る。頭が黒く背面は青灰色、腹面は白色でのどから腹部にかけて黒い縦縞が走っているとある。別に五十雀というのもいるが、これは山奥に住んでいるらしい。
先日登った鴻巣山から飛んできたものであろう。庭先に四十雀が飛んでくる、福岡もまだまだ捨てたもんじゃないな。

  群少し零し向き変ふ小鳥かな     英世

吟行下見

公民館俳句の会では春秋2回の吟行が恒例となっており、この秋は11月に近くの動植物園に行くことが決まり下見に出かけた。
吟行では吟行の場所、昼食、句会場と三つの要素が重要であるが、中でも吟行の場所が問題である。春は大雨の中能古島に行ったが、闇雲に遠くに行けばよいと言うものでもなく、その季節にふさわしい場所を選び、ご年配の足も考慮に入れなければならない。
昼食は豪華弁当も考えたが、雨天時のことも考慮し今回は山の上ホテルで昼食をとることにした。灯台下暗しで近くにありながら意外とここで食事することも少ない上に、句会場を公民館にしたことで会場費が浮きその費用を昼食に掛けることが出来たからである。
今日の下見では早速2300円なりの和食ランチを頂いた。(和食なのにランチとは?)定番のコースではあるが、素晴らしい景色を楽しみながらの食事はなかなかのものであった。
11月からは2000円のランチも用意されると言うことで吟行ではそれを予約した。
どのような吟行になるか今から楽しみである。昨年の吟行句ですが。

  空梅雨の天を上目に河馬浮ぶ   英世

母子草

久し振りに家内と息子の3人で食事に行った。
今月21日に結婚式が決まっている息子が今週末に家を出ることから、もう3人だけで食事に行くこともなかろうと、近所の焼鳥屋「蓑笠」に誘ったものである。
息子の新居は我家から歩いて15分、バス停三つの場所であるが、それでも家内にとっては私の単身赴任以上に寂しいものらしい。
家内が30分ほど遅れると言うので、二人だけで飲み始めた。結婚式やら新居の話やらありきたりの話をしていたところ、突然息子が「母さんを大事にしてくれ」と言い出した。
お産と外科以外で休んだことのない頑張屋で、何事にも真っ向から向かっていく性格が息子には心配でたまらないらしい。
大事にせろと言われてもこれ以上どう大事にすればいいのかと冗談っぽく誤魔化したが、心底母を思う息子の気持ちが嬉しかった。
子供は男がいいか女がいいかと聞いてきた。もしかしたらもう?
もうすぐ家を出て行く。空っぽになる部屋は新しい生命のためにもそのままにしておいてやろうかな。

  母思ふ心配りや母子草    英世

歴史探訪

好天の下、希望会員を募って歴史探訪に出かけた。福岡市を住吉、博多、西新、中央の4コースにわけ、その中のひとつを訪ねる訳だが、私は世話役として中央コースを巡ることにした。
九大教養学部を出発し、谷公園(旧陸軍墓地)、菊池霊社、赤坂界隈、舞鶴城址周辺と約2時間のコースでいつもよく通る道筋ではあるが、歴史観光ボランティアに付いて廻るのは初めてで、今までと違った新しい発見と出会いがあった。
今回残念ながら野村望東尼の平尾山荘は訪ねなかったが、ガイドの先生と道々福岡出身の勤皇の志士の話になり、探訪の合間に大いに盛り上がった
特に月形洗蔵については世間にあまり知られてはいないが、実際は吉田松陰と並び称される幕末の俊英で、討幕運動の精神的な指導者として大いに影響力を発揮した人物である。かの月形半平太のモデルとも言われている。
福岡にはこのほかにも平野國臣や加藤司書など名だたる勤皇派がいたが、藩の保守派の弾圧により明治維新にその名を残した人は少なかった。残念なことである。
元来郷土史と中国の歴史に関心が深い私は、事務所に近い舞鶴公園を始め既に全コース探訪済みではあったが、それはそれとして何度訪れても楽しい散歩道である。

 我が胸の燃ゆる思いに較ぶれば煙は薄し桜島山

この和歌は鹿児島の西郷か大久保のように言われているが、実際は福岡藩士平野國臣の詠んだものと聞く。

大濠公園

少し前の話になるが、福岡が誇る名勝大濠公園は台風13号の襲来で大きな松の木を始め多くの木々がなぎ倒され生々しい傷跡を残していた。ふと見るといつもは青い空、白い雲を映す美しい水面が薄茶色に濁っている。大量の植物プランクトンの発生が原因らしい。
かつてこの近くに住んでいた私の家族にとって大濠公園は憩いの場所であり、息子と小鮒釣の場所でもあった。この濠は川からの真水の流入がなく、自助浄化力がないことから15、6年前にもプランクトンの大量発生でヘドロの濠と化し悪臭を放ったことがある。
その後一旦濠を干し上げ、浄化装置を設置したり海水を導入するなどしてきれいになったと聞いていたが、長雨と台風でこの有様である。まさか浄化装置が賞味期限15年ということはないと思うが。
その昔この濠には季節になると鰡が沢山跳んでいたことを覚えている。今思えばその当時は濠と海が直接繋がり、潮の満ち干だけで海水が入り込み、それに乗って鰡も泳いでいたのではなかろうか。私の想像ですが。
近いうちにこの公園に吟行に行くことになっている。いずれにしても早く原因を究明し、もとのきれいな大濠公園に戻して欲しいものである。

  初鴨の重き尻より着きにけり   英世

修学旅行

隣に住む小学生の孫娘が雲仙、長崎の1泊2日の修学旅行から帰って来た。学校は違うがくしくも私の修学旅行と同じ場所である。
旅行の数日前に私と家内から僅かな小遣いを貰い嬉々として旅立ったが、家族旅行とは違う自分達が中心の旅行だけに楽しさもひとしおであったであろう。
帰って来てからの孫娘の話。
修学旅行の本来の目的は社会見学であろうが、孫はその話には殆ど触れず、ただ普賢岳がすごかったとだけ。友達と11時過ぎまでお喋りし、朝は6時半に私が一番早く起きた。夕食は焼肉で野菜とジュースが付いていた、朝食はハムエッグと御飯と味噌汁、昼食はバイキングで長崎皿うどんを食べたと友達とのお喋りと食べることばかりで、まさに今時の女の子といった感じである。
土産に約束のカステラを買ってきてくれた。普段もそうであるがお買い物は少女にとって最高の楽しみの時間である。自分の背丈よりもうずたかく積まれた土産品の中で、あれこれ迷いながら楽しそうに品定めをしている姿が浮かんで来る。
カステラそのものは普通のカステラだろうが、何となく勿体なくて暫くは食べられなかった。爺馬鹿である。
爺「このカステラ何と言うお店で買ったの」
孫「知らん」

10月

今日から10月である。俳句の世界では晩秋と言うことになるが、実際は一番秋らしく野山に出かけるのには最高の月である。空は果てしなく澄み渡り、風もひんやりと清清しく私の一番好きな月である。
また10月は五穀豊穣の月でもある。稲穂は黄金色に波打ち、山には栗、あけびなど零れんばかりに生っている。ぴんと張り詰めた空気の中、鵙が鋭い声で鳴いている。
秋の花と言えば菊、菊のご紋の天皇家では親王の誕生でお祝いムード一色である。菊はもともと中国から伝わってきた花で、色も容も様々で我家の狭庭にも白い小菊がびっしりと咲いているが、香りはあまり強くない。
菊作りにはとんと縁がなく、ただ無雑作に挿した苗木に勝手に花を咲かせただけのことであるが、これも自然流でいいのかもしれない。
今夜はその菊を剪って一杯やることにしよう。

  師を囲む女将も句弟子菊の酒    英世

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