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大晦日

今年もとうとう大晦日を迎えた。
俳句の世界ではこの年末のことを師走、年の暮、年の瀬、数へ日、年の内、行く年、年惜しむ、大晦日、除夜などと時間の経過や感情によって少しずつ季題を変えて詠んでいる。
例えば、何かと忙しくなる師走から始まり、その経過を言う場合は年の暮、年の瀬、残り少なくなったら数へ日、年の内、その年を振り返り思いをめぐらす時は行く年、年惜しむ、本当に押し迫ったら大晦日、除夜と言った具合である。また、行く年来る年を去年今年(こぞことし)とも言う。それぞれの季題にそれぞれの意味や趣があり、自分の句に一番相応しい季題を選ぶことにしている。
年末は毎年やって来るが、振り返って見ると私にとって今年の一年は本当に充実した年であった。身内に誰一人不幸もなく、風邪も引かず、仕事にも趣味にも十分に打ち込むことが出来た。残念ながらあれほど好きだったゴルフは一度もやらなかった。
また、長男が結婚し新しい家族が増えたし来年早々には孫も誕生するらしい。この平穏な今年の運をそのままに、来年も良い年であって欲しいと願うばかりである。

  除夜の鐘父母の齢にまた一歩
  除夜の鐘この夜妣(はは)は生れしと   英世

史記3

日本が中国の影響を強く受けたことは今もその「ことわざ」に見ることが出来る。
「臥薪嘗胆」とか「鼎の軽重を問う」、「啼かず飛ばず」など、今日、日常会話によく使われている諺の多くは、いずれも中国の春秋戦国時代の出来事に由来するものが多く、一種の教育として輸入され語り継がれて来たものである。
「仁・義・礼・智」など、日本人の道徳的根幹を成す考えも、中国のこの時代の精神によるものであろう。例えば、「風蕭蕭として易水寒し 壮士ひとたび去ってまた還らず」と、単身(実際は二人)秦王政(後の始皇帝)の暗殺に向かった荊軻の義の精神は、日本の仁義の精神として今も根強く残っている。その行為そのものを受け入れること出来ないが、自分を律し他人を敬う精神は大事にしなければならないと思う。
現在この仁義もあまり良い言葉としては使われないが、本来は極めて純粋なものである。純粋なものだけに、近年、時の権力者に歪められ、利用されて来たことが本来の意味を湾曲させてしまったのであろう。
たまたま息子が遊びに来たので、書架の中から一冊の史記ダイジェスト版をプレゼントした。息子も歴史好きだけに必ず読んで何らかの感想を喋ってくれることであろう。

史記2

史記の話の続きである。
この史記は中国の歴史書と言うよりも壮大な歴史小説というべきであろう。なぜならば、この歴史書は書き出しである本記から最後の列伝まで、時の時代背景を底辺にそこに生きる人間の生き様を、司馬遷の目を通して鋭く抉ったものであり、時には凡愚や非道な人間にまで温かい言葉を贈り、愛情豊かに書き上げているからである。
その時代の人間が何を考えどのように行動したかを短編小説風に仕立ててあるため、読み飽きることもなく楽しく読むことが出来る。
その中には現代中国の根幹をなす精神構造にも大きく影響しており、日本への影響も計り知れないものがある。全てとは言わないがそれはこの史記に学ぶところが大きいと私は思っている。
日本が中国に学んだ文化的精神的影響は免れがたい事実である。中国6千年の歴史の中で僅か2千年の日本は、往時の先進国の指導を受け、見よう見まねで国家を形成して行かざるを得なかったのであろう。また時代が下がって遣隋使や遣唐使として海を渡った学僧や官吏がもたらした多くの歴史書や古い文献、仏典が、日本国の制度や文化の形成に大きく影響したことも見逃すことは出来ない。
明日はそのあたりの話しをしよう。

史記1

私の書架に中国の歴史書「史記」が飾ってあることはお話したが、この史記は私の愛読書ナンバーワンである
史記はご承知の通り前漢・武帝の時代に、歴史家の司馬遷によって編纂されたものである。中国の伝説的な三皇五帝の時代から前漢までを綴った一大歴史書で、中国でも最も人気の高い歴史書の一つである。
この史記の素晴らしいところは司馬遷が誰のためでもなく自らの意思で書き綴ったところにある。信長公記や太閤記のところでもお話したが、命令されて書かれた歴史書、伝記などは信用できたものではない。全てとは言わないが主人公の武勇伝や治世の自慢話ばかりで、残忍なことや失敗、失政などの不都合なところは割愛されていることが多い。
司馬遷の家は日本で言えば稗田阿礼のような歴史を司る家柄で、身近に語部が居り資料が山積みされていたとは言え、この一大歴史書を纏め上げるのは並大抵の苦労ではなかったと思われる。
武帝に諌言し不遇を囲った3年(投獄)、大赦後の4年、都合7年を掛けて書かれたこの「史記」を一度手にとって読んで見ることをお勧めしたい。史記ダイジェスト版や解説書も多く出ているので気楽に読めること請け合いである。

   冬晴や史記の世界にのめり込む   英世

古本屋街

私の事務所のある六本松から草香江に掛けては、ちょっとした古本屋街がある。
東京の神田神保町の比ではないが、九大教養学部があることから自然発生的に出来たのであろう。店には様々な古書、新書が大まかに分類され、天井高く積み上げられている。その奥には一見それと分かる老主人が背を丸くして鎮座し、眼鏡越しに店内を見回している。
主人の話によると昔は結構繁盛していたらしいが最近は店を畳むところもあるとか。いまの学生が裕福になり新書だけを買い求めるのか、あるいはちゃっかりと図書館で済ませるのか、あるいはまったく本を読まなくなったのか、いずれにしても学生の数が激減しているとのことであった。
私の本棚には趣味の歴史書が少しばかり飾ってあるが、その中の大部分、例えば中国の歴史書である史記や漢書を始め九州戦国史、南北朝動乱などの郷土史は、草香江に住んでいた頃に葦書房で求めたものである。
古本屋街の風景は秋風が吹く晩秋から年末に掛けてがよく似合う。そろそろこの通りを歩いてみようかな。

  年の瀬や占魚不換酒の句を拾ふ   英世

忘年会

二日続きで忘年会があった。俳句では忘年会のことを年忘(としわすれ)とも言う。
一つは近くの公民館俳句サークルの忘年会で私が幹事を勤めた。この忘年会は女性が殆どであることと、句会が午前中にあることから近くの八泉閣でお昼に開催した。
いつものことながら中華料理は後から後から美味しそうなご馳走が出てくるが、前菜とスープ、海老チリソース位でお腹一杯になり後段はほとんど手をつけない。飲み始めるともう昼間であることなどすっかり忘れてしまっている。もちろんそのまま夜の部へとなだれ込んでしまった。
もう一つは翌日、二日酔い気味の体を無理やり立て直し、夕方ホテルオークラ福岡へ向かった。バイキング方式の飲み放題で、和洋中華、デザートまである。日頃肉類は抑えているが今日だけはとローストビーフに手を出した。
最初のうちは今日は飲むまいと思っていたが、一杯入るともうだめである。こうなることは分かり切っているのだから、飲みたくなければ行かなければと思うのだが、それが出来ないのが酒飲みの酒飲みたる由縁である。付き合いもある、こんなにご馳走もあることだし、まあ明日休肝日にすればよいかと適当な理屈をつけてまたがぶ飲みである。
医者に注意されなくても体に悪いことぐらい俺だって分かってんだよ。それでも止めないんだから馬鹿につける薬はないよな。今夜もまた忘年会だ。

  師を囲む女将も句弟子年忘   英世

穴観音

鴻巣山を散策した足で久し振りに穴観音にお参りした。
鴻巣山の南手に観音様をお祀りしたお寺がある。正式には曹洞宗・興宗禅寺と言う禅寺であるが、通称は穴観音として親しまれている。肝心の観音様は境内の裏にある横穴式古墳の奥の岩壁に、三体刻まれ鎮座ましている。
鴻巣山のところでもお話したように、かつてこの山やその周辺には数多くの古墳が散らばっていたが、黒田氏が舞鶴城を構えるときに城の石垣にするためにことごとく破壊してしまったと言う。唯一残っているのがこの穴観音で、なぜこの古墳だけが残ったのか、なぜ此処に観音様が祀られているのか詳しいことは解らない。古墳を破壊尽した罪の意識から、一個所だけ残し観音様を刻んで供養したのだろうか、それとも城の抜け穴であったと言う説もあるので、それをカモフラージュするためだったのだろうか。
またこの穴観音には、ある篤志家が高輪泉岳寺の赤穂四十七士の墓を模して、大きさも形もそっくりに作った供養碑あり、毎年12月14日には義士祭が行われている。それほど日本人の心の中に、この忠義の精神が大きな拠り所として定着していると言うことであろう。
今年は都合で行けなかったが、来年はその義士祭に併せてお参りしようと思っている。

  初雪や遠く浪士の霊祀る   英世

冬木の芽

初雪が降ったかと思うと、ぽかぽか陽気の小春日和である。
天気に誘われいつもの鴻巣山を散策した。登り口は幾通りもあるが、今日は平尾霊園の一番西の端を廻って小さな祠のあるところから登った。例によってテレビ塔の下を抜け展望台からの景色を楽しみ再び祠のところに戻ると、4、5人の奥様方が弁当を広げていた。それほど天気がよいということである。
大半の木々は既に葉を落としているが、よく見ると小枝の先にもう新しい芽をつけている。いわゆる俳句で言う冬芽、冬木の芽である。鉛筆の先のようにやや丸みを帯びたものや鋭く尖ったものなど様々であるが、何れもまだ固い皮に包まれている。おそらく秋に葉を落とすと同時に新しい芽を付け、寒い冬を越すために固い皮を被っているのであろう。
それでも冬芽は薄赤く色づいており、俺は生きているぞと言わんばかりに元気である。また一つ自然の逞しさ、不思議さに出会った。
今晩は隣の娘の家で3世代揃ってのファミリークリスマスをすると言う。

  眠りつつ命育む冬芽かな    英世

蝦蛄葉(しゃこば)サボテン

玄関先の蝦蛄葉サボテンの花が見事に咲いた。
花は咲いていると言うより繚乱といった感じで、鉢を覆い尽くすようにはみ出し垂れ下がっている。昨年は寒さのせいか咲く寸前に蕾を全部落としてしまったが、今年は見事に咲いてくれた。感慨ひとしおである。
家内に名前を聞いたところ「蝦蛄葉サボテン」と言うらしい。念のため調べて見ると、何と俳句の花の歳時記に、冬の花としてしっかり載っているではないか。それによるとブラジル原産でもともとは熱帯ジャングルの樹上に咲いていたいたが、それを観賞用に改良したらしい。葉が海の蝦蛄の形をしているから蝦蛄葉サボテンと名付けられたとのことで、それぞれの葉先に紫紅と言うか紫桃色と言うか明るい美しい花が咲き乱れている。
花期が12月頃であることからクリスマスカクタス(カクタスはサボテンの意)とも呼ばれクリスマスの花としても重宝され、我家にもきっちりとクリスマスの時期に合わせて咲いてくれた。
娘夫婦に孫それに新しい家族の長男夫婦を迎え、今年のクリスマスの夜を美しく飾ってくれることであろう。

  キャンドルに浮ぶ笑顔や蝦蛄葉サボテン   英世

枯蟷螂

枯蟷螂、字の如く枯れた蟷螂で「かれとうろう」と読む。
蟷螂つまりカマキリは日本に10種ほどいるらしいが、何れも交尾が済むと雌が雄を食ってしまう。子供の頃はその様子を見て意味も分からず、ただ残酷で気味悪がっていた記憶がある。
やがて一匹になった雌は、冬に周囲の彩がくすんでくると、緑色から薄茶色にそして茶褐色に変色していく。12月も初めの頃になると保護色をしたこの枯蟷螂は枯葉などの中でなかなか見つけ難く、たまたま見つけても全くと言っていいほど動かない。死んでいるのかと思うとそうでもないらしい。指先で触れると突然飛び立つこともあるし、のそっと歩き出すこともある。
俳句では蟷螂枯るとも言う冬の絶好の季題で、先日の句会には朝倉市の品照寺の坊守さんが、都会ではなかなか見ることが出来ないだろうと、わざわざ箱に入れて持って来てくれた。句友も興味深げに見たり触ったりしていた。
近所の里山にいないかなと捜して見ると、いたいた。朴の枯葉に包まるように一匹の小さな枯蟷螂が身を潜めていた。枯葉色と言うより土の色に近い。触って見ると既に死んでおり体は空っぽで空蝉のようだった。そう言えば初雪が降ったんだっけ。

   枯蟷螂腹の中まで枯れ果てて   英世

猪2

私がよく登る脊振山系では猪の痕跡をよく見かける。夜行性の大型野生動物でこれほど痕跡を残す動物はいない。
夜行性なので昼は塒に潜んでいるが、一見してそれと分かる猪の通う路、つまり獣道が潅木や雑草をなぎ倒して作られており、必ずその道を通って移動するということである。と言うことはその先を辿れば必ず猪の塒にたどり着くと言うことであるが、猟師でもない私にはとてもそんな勇気はない。
食事も乱雑で、頑丈な牙で尾根路や田畑を掘り返し山芋や蚯蚓、昆虫などを漁った形跡を生々しく残している。
また、沢や湧き水のそばにヌタと呼ばれる湯船のような穴を掘り、そのヌタの中にそれこそヌタ打ち回る習性がある。近くには泥だらけの体をこすり付ける岩や大きな木が必ずあり、たまには猪の毛が付いていることもある。
その猪が増えすぎて問題になっている。人里近い山では猟銃をぶっ放す訳にも行かず、かと言って利口な猪はなかなか罠に掛かってくれない。脊振山中でもむなしく空っぽの檻を見ることがある。折角育てた作物を滅茶苦茶に食い荒らされたり、ゴルフ場のきれいなグリーンを台無しにされることもある。
里人は諦めて、石垣を積んだり小さな電流が流れる低い柵を巡らし防御に努めているが、焼け石に水の感で、このまま猪の増殖を野放しにして良いのだろうかとも思う。

   猪垣をあざ笑ふかに牙の痕    英世

猪1

亥に触れたからには猪の話をせずばなるまい。
猪は狸や狐と同様に昔から里人に親しまれている動物で、猪突猛進とよく言われるが実際は少し目が悪い大人しい動物だそうである。出会い頭でなければ人間に突き掛かって来ることはない。
私も何度か猪に出会ったことがあるが、一番印象に残っているのは脊振山系の金山の尾根付近で、一頭の大きな猪が5匹ほどの瓜坊を引き連れ、落葉を蹴立てて駆けて来るのに出会った時のことである。その駆け方は前足をやや高く上げ垂直に下ろす形で、丁度競走馬の早足のようなリズミカルな動きである。
縦一列になって走る姿に目を奪われ、少しも危険とは感じなかった。幸い風向きが良かったので敵も私に気付かず走り去ってくれたのであろう。
ご存知のように猪は豚の原種で、その肉は滋養があるがやや固く臭みがある。そのため牡丹鍋と言う味噌仕立ての鍋で食べることが多く、古くから山村の大事な食料になっている。
ただこの猪は稲はもとより山芋や昆虫、蚯蚓まで食べる雑食性でしかも大食漢であるため、そのことが人間との摩擦を引き起こしていることも否めない。
明日はそのあたりの話しをしよう。

   瓜坊よ我も七人兄弟ぞ   英世

来年の干支は亥で、ご承知のように十二支のぎりぎり十二番目に位置する動物である。
事務所の女性会員からその干支の亥の小物を頂いた。正式には「ちりめん小物」と言うらしいが、自分で型紙を作り、適当な端切れを利用し猪の形に縫い上げて作ったそうである。
胴体を薄茶色の布で作り、背には少し濃い目の茶色を縦に縫い合わせ、目には小さな黒いボタンを使ってある。ご丁寧にも瓜坊と言われる子供の猪まで、瓜模様を表すために黄茶色の斑点入りの布で作ってあり、それは可愛いものであった。
猪のほかにも犬や猫、うさぎ、みみずくなどの小動物から、ひな人形や柿、蜜柑など季節に応じた小物を作っては周囲の人に惜しげもなくやっている。
彼女はおおよそ70歳位であるが、彼女の行動力は年齢を感じさせず、彼女の周りには常に人垣が出来て笑い声が絶えることがない。
彼女は手先が非常に器用で、仕事の合間を縫っては近所の奥様方にボランティアでこの「ちりめん小物」の作り方を教えたり、即席の料理教室を開いていると聞いている。
この愛すべきおばあちゃんが、何時までも元気で居て欲しいと願わずにはいられない。

手帳

縁あって今も働かせていただいているが、働く者にとって手帳はなくてはならないものの一つである。私にとって手帳はスケジュール管理と簡単な日記を本来の目的としているが、俳句手帳を忘れたときの代わりになったり、たまにはメモ用紙になることもある。
元の会社を4年前に辞めたが、幸運にも息子と娘婿が自分と同じその会社に勤めている関係で、手帳とカレンダーは今でも昔と同じものを彼らから買って貰っている。
使い慣れたスタイルでもあり、自分と会社とのつながりを証明する数少ない証拠として大事に使っている。
手帳はやや小さめの縦長のもので、企業インフォメーションのほかは日付と曜日と時間帯だけのシンプルなものであるが、シンプルなものの方が私には使い勝手が良い。
今年もそろそろ息子が持って来てくれる頃である。

  おほよそは酒と俳句の日記果つ   英世

喪中につき

毎年200通ほどの年賀状を出す。
東京本社に10年間勤務していた関係で、全国各地に自分の財産とも言うべき知己を得たことは非常に有り難いことである。それだけにこの方々との年賀状のやり取りはそのお礼とも言うべきであり、中にはこの年賀状だけが唯一彼我の生存を確認する手段の人もいる。
とは言え、このところとみに「喪中につき」というご連絡を頂くことが多くなった。今年も5通ほど頂いたが、その中にはご本人の訃報も入っていた。
若い時は殆ど祖父母の喪中につきと言うのが多かったが、20年ほど前からご両親が多くなり最近は兄弟とだんだんご本人に近づいてきている。それだけお互いが年をとってきたということであろう。
今年も年賀状を書き旧交を温める時期がやって来た。年賀状の功罪を云々する人もいるようだが、言いたい人には言わせておけばいい。年賀状を出さないことを自慢にする人もいるが、本心はどうなんだろうか。ともかく私は自作の俳句に平和の祈りを込めて真摯に書くことしよう。

松坂

とうとう松坂がボストン・レッドソックスに行くことになった。
井川も岩村も大リーグに行くと言うが、この調子で日本の人気選手が海外に渡ってしまえば、残った日本のプロ野球はどうなるのかと心配になる。また、逆に日本や中国、韓国の選手ばかりを集めたチームを作り、福岡を本拠地とする大リーグチームが一つぐらいあってもいいんじゃないかなと思いたくもなる。
とは言え若くして力のあるものが、自分の夢を実現するためにあらゆる努力をし、数少ないチャンスを掴むことは当然の権利であり、誰も止め立てすることは出来ない。むしろ国内の新旧交替を促すことでもあり、若手にチャンスが廻ってくるということでもある。
そういった意味では球団も見返りの金を私したり、即戦力と外人選手を安易に迎えるのではなく、若手選手の育成や新人の発掘に使って欲しいものである。
契約金ゼロ、年俸最低基準、ガッツ超一流という若い選手の中から第二、第三の松坂やイチローが育つことを祈りたい。
ボストンは一度訪れたことがあるが、美しい静かな落ち着いた街で、なぜか学生が多いのが目に付いた。その歴史あるボストンで松坂の剛速球がうねりを上げるところを見たいものである。

鵯(ひよどり)

この前鵙の話をしたので今日は鵯の話をしよう。
事務所の5階のベランダからは、護国神社の鬱蒼とした杜を眼下に見ることが出来る。この日は曇り空ながら全く無風で杜は音もなく鎮もり返っていた。
突然キーともクヮッとも聞こえる大きな鳥の声がした。間違いなく鵯の鳴き声である。私にとって鵯は親しみ深い鳥で、稲刈りが済んだ頃、近くのお寺の竹薮で同じように大騒ぎしていた鳥であり、その鳴き声から「かっちょ」と呼んでいた。今は禁止されているが、葦鳥などを捕らえる霞網をめちゃくちゃに破られたこともある暴れん坊の鳥でもある。
大きさは鳩よりやや小さく、全身青みがかった茶褐色に覆われており秋になると群れをなして人里に下りてくる。一時もじっとしていることはなく枝から枝へ飛び移り、その都度鋭い鳴き声を発しながら木の実や虫などを漁っている。
決して美しい鳥ではないが、この鵯の声を聞くと故郷の懐かしい風景が浮かんでくる。

   鵯や幼馴染の顔をして   英世

湯豆腐

この冬湯豆腐に凝っている。
この冬は晩酌にビール(と言っても缶ビールだが)を止めて、焼酎のお湯割りにしている。大した意味はないのだが、ビールはカロリーが高く何となくお腹も冷えそうな感じがするからである。同じように大好きな豆腐もつい最近までは冷奴オンリーであったが、冷たく味も淡白なことから先月末ぐらいから湯豆腐に切り替えた。
湯豆腐は私の大好きな食べ物で、焼鳥屋に行っても必ずと言っていいほどこれを注文する。カボスや酢橘などの木酢で、白菜や葱を散らした熱々の湯豆腐を食べながら、一人晩酌を楽しむもよし、友と語り明かすのもよいではないか。もっとも家内が側にいるとたまには言いたいことも言えなくなるが、いずれにしても飲むことに変りはない。
京都南禅寺や英彦山の豆腐料理も懐かしい思い出である。とは言え夏になると必ず逆のことを言うと思うが。
今日は第何回目かの忘年会である。

  湯豆腐や言いたい言葉飲み込みぬ   英世

宝くじ

年末ジャンボ宝くじの誘惑に駆られている。
先日お話したように慰安旅行で門司港レトロ地区を散策した折に、雨にたたられ半分やけ気味で買った10枚が呼び水になってしまった。かつては連番10枚、バラ40枚、合計50枚と大量に買っていたが、10年間で最高当選額が1万円2枚と馬鹿らしくなって定年を機にやめてしまった。
それが今回10枚買ったことで焼け棒杭に火が点き欲が出てきた。忘年会シーズンで街に出掛けることも多くなり、いやでも宝くじ売場が目に付くことだろう。たった10枚では当る訳がない。連番は1枚外れれば結果が見えてまったく白けて来る。バラも少し必要だ。決して3億円欲しいとは言わない、せめて10万円でもよい。1回飲みに行かなければよい、買わなければ当らないと自分に都合のいい理屈ばかり並べ始めている。
博打、パチンコは一切やらないし、せめて宝くじぐらいならいいではないかとだんだんその気になって来た。幾つになっても懲りない情けない男である。

  くじ雲のよき寺にまづ初詣   英世

俳句の会「鴻臚」6

鴻臚句会の続きです。
鴻臚句会では都度茶菓子や果物を出すことにした。俳句は季節感が大事であるので、毎月の句会にはその月に相応しい茶菓子や果物を頂いて雰囲気を味わおうと言うのである。お菓子や果物は季節感を表わす重要な季題として歳時記に沢山出てくる。例えば、草餅、ちまき、葛餅、柿、蜜柑などがその代表である。
12月は本来であればクリスマスケーキかお餅であるが、何しろご年配が多いので、しっとりとした趣のある和菓子を会計担当の女性に選んで頂いた。和菓子はピンポン玉大の柿の形をした上品なもので、柿の色あいを見事に表現し、柿のへたには緑色した本物のへたが使ってある。お茶を頂きながら食べて見ると、柔らかい歯ざわりにほんのりとした甘さが口中に広がり、まさに和菓子ならでの味わいであった。
句友も口々にその美味しさを褒め称えてくれた。1月はどんな茶菓子が出てくるか楽しみである。

  水仙や荒れ癖つきし日本海   伸治(先生)

俳句の会「鴻臚」5

鴻臚句会があった。先月は姪の結婚式で欠席したので今回が実質初参加である。
60歳以上の初心者が殆どで、会長であり講師補助でもある私としては、どのような句会になるかと大いに不安であったが、案ずるより生むが易しである。皆さんなかなかのもので、中にははっと思わせる秀句もあった。
兼題は「水仙」「風邪」それに雑咏可であったが、水仙がやや季節的に早く皆さん苦労されたようである。俳句を作る時は誰でもそうであるが一点の事象に集中するあまり季題を忘れる、つまり無季の句もいくつか見られたが、それには先生から適切な季題を入れて貰い句を甦らせて頂いた。
希遊(きゆう)とか幸女(こうじょ)、すみれなどユニークで可愛い俳号も決まり、私が披講すると自分の俳号を忘れて本名を言ったりして爆笑ものであった。
向こう1年間のスケジュールと兼題も決まった。来年1月は「屠蘇」と「寒卵」であるが、早速何て読むのかと質問が飛び出した。どんな句が出来てくるか楽しみである。

  過ぎし日を熱く語りぬ冬の海   幸女
  潮風に顔背け合ふ雪中花     英世

冬の田んぼを歩いた話をしたが、その時久し振りに鵙の鳴き声を聞いた。
実家の大きな柿木の梢でキーキーとかん高い声で鳴いている。つまり鵙の高鳴きである。澄み切った青空に、自分の縄張りを誇示するかのように鋭く高鳴きする鵙の声は、稲刈りが済んだばかりの冬田の隅々まで響き、秋から冬の風物詩をなしている。
鵙は声の割には小さな鳥で雀よりやや大きい程度であるが、猛禽であることに違いはなく小さいながらも尖った鉤状の嘴を持っている。その嘴で昆虫や蛙、蜥蜴などを捕えて食べる。
鵙といえば速贄である。捕えた蛙や蟷螂たまには泥鰌まで、潅木や石榴などの棘枝に突き刺して保存している。空っ風に晒されかちかちに乾燥した速贄を鵙自身も忘れてしまっていることが多い。
実家の冬野ではこの速贄をよく見ることが出来た。子供たちの格好の遊び道具で、ある時枝ごと小学校に持って行ったところ女の先生にこっぴどく叱られたことがある。折角見せて上げようと思ったのに、何故叱られたのか分からず悲しくなったことを思い出した。

  鵙高音かつて田んぼは広かりし   英世

銀杏御飯

事務所の女性が銀杏御飯を炊いておにぎりにして持ってきてくれた。
いままでいろんな炊き込み御飯を食べたが銀杏は初めてである。御飯が全体的に薄茶色に染まったその中に銀杏が5粒ほど見え隠れしている。戴いて見ると薄く塩味を聞かせた上品な味付けでほんのりとした甘みがある。
こうなると自分で炊いてみたくなるのが癖である。幸い銀杏の買い置きがあることは知っていた。早速試して見ようと炊き方を教わったところ、意外と簡単に出来そうである。普通の御飯の用意に昆布、塩、酒、みつばとありきたりの物でよい。
3合の銀杏御飯を炊いた。蓋を開けたとたん銀杏の香りが厨中に漂い、艶のある黄金のような黄緑の粒の美しさが、いやが上にも食欲をそそる。
早速戴いて見ると、味と言い香りと言いえも言われぬ美味しさで我ながら見事な出来栄えである。銀杏特有のやや苦味のある味も最高で、これにお吸い物があれば他のおかずは何も要らないほどである。口の肥えた家内殿も大満足のご様子であった。
もちろんその晩も一杯やってしまった。

時雨

昨日の小春日和と打って変わって朝からしとしとと雨が降り続いている。仕事は休みだが、隣の娘が遅刻しそうなので送ってくれと言う。いつの世も男親は娘に弱いと言うがまさにその通りである。
この時期、つまり秋の終わりから初冬にかけての降ったり止んだりする雨を時雨と呼び、その年の最初の時雨を初時雨と言って、何れも俳句の重要な季題となっている。また、物事が頻りに続くことも時雨と言い、蝉時雨とか落葉時雨とかその雰囲気を的確に言い表している。
時雨には暖かい時雨と冷たい時雨がある。今日の時雨は暖かい時雨で、すぐそこまでなら傘も差さずに走り抜けることも出来るが、時雨と言えばやはり初冬の寒々とした光景が浮んで来る。山頭火の「うしろすがたのしぐれていくか」には、人生と旅に疲れた山頭火の悲しそうなつぶやきが物言わぬうしろ姿から聞えてくる。山頭火が筑紫路を大宰府から筑豊方面に歩き続けながら読んだ句で、景色が浮ぶだけに一層哀れさを感じる。
つい先日山口に旅したことをお話ししたが、山口は山頭火の出身地でその時もこの時雨が降っていた。酒の好きな山頭火にちなみこのような句を詠んだ。

   時雨るゝや酒の向かふに山頭火   英世

小春日和

前日までの寒さが嘘のような暖かい一日であった。風もなく空は青く澄み渡り家の中にいるのが勿体無いような陽気である。このような天気を小春日和とでも言うのであろうか、街行く人も心なしか胸を張り顔を上げて歩いている。
日本人は自然に対する感性が非常に細やかで、その豊かな感性を美しい言葉や文字に表すことに優れている。和歌や短歌に詠われる日本人の季節感や美意識からもそのことがよく窺がえる。
その代表が色の表現で四十八茶百鼠、例えば青系統の色でも萌黄色から深緑、水色、草色、竜胆色と情景や時間の変化に応じて幾つにも表現されている。
同様に季節の表現にも山笑ふ、山眠る、鳥渡る、鳥帰るなど情緒豊かなものがある。また、先ほどの小春日和を始め麦の秋、竹の春、竹の秋のように、季節の変化を直接的に言わず物になぞらえて表現することによって、想像を豊かに膨らませている。
俳句を嗜むものにとって、それぞれが一つの季題として貴重な用語となっている。秋の好天を小春や小六月と表現し、初夏の好天を麦秋と言うこの感性を大切にし、心に染みる俳句を作りたいものである。
夕焼の中、飛行機雲が一筋の糸を引いていた。

  何時見ても妻の居る庭小六月    英世

愚痴聞き地蔵

少し前の話になるが、NHKで愚痴聞き地蔵のことを放映していた。名古屋市近郊のとあるお寺の駆け込み寺ならぬ愚痴聞き地蔵の話である。
ある文豪がとかくこの世は住み難いと言っていたが、その住み難い世であればこそ愚痴の一つや二つは口に出ろうと言うものである。そのあたりを考えた住職が寺の片隅に、右手を耳にかざした愚痴聞き地蔵を作ったのである。人目に付かぬよう寺の奥まったところにひっそりと鎮座しており、前に賽銭箱と椅子が置いてあるところが憎い。椅子はなぜか2、3人は座れる大きさで、長時間その椅子に座っている人も多いようだ。
そのお地蔵さんにいろんな人がいろんな愚痴を零しに来る。もちろん地蔵は表情一つ変えないが、聞いてくれていると信じればそれでよいのであろう。
人間なにがしかの不満や不安を抱えている。老若男女、金があろうがなかろうが、地位があろうがなかろうが、他人に聞いてもらいたいが正面切っては言えない弱い人間ばかりである。悩みや苦しみを抱えている普通の人間なら、話したことで何か腹の中がすっきりして食欲も増そうというものである。困ったときの神(地蔵)頼み、暇潰しにもちょうど良いかも知れない。
私も思いっきり女房の悪口を聞いて貰いたいものだ。福岡にもこのような地蔵、誰か知りませんか。

  もの言へば唇寒し秋の風   芭蕉

穭田(ひつじだ)

久し振りに冬田を歩いた。気が付けば稲刈りをしたあとの切り株に青い芽が出ている。俳句ではこの切り株の芽のことを穭(ひつじ)と言い、その田んぼを穭田と言って秋の季題になっている。
昔は人の手で田植をしたし一株一株稲を鎌で刈っていたため、切り株に柔らかなうねりとでこぼこがあったが、最近は田植も稲刈りも機械ですることから、幾何学模様の整然とした青い列になっている。それがまた晩秋の寂しさを演出している。
東南アジアではこの穭がそのまま稲になると言うことを聞いたことがあるが、日本の秋は気温が低く穂が出ることは極めて稀である。穂が出れば雀たちの格好の餌になろうと思うのだが、何れこの穭も霜に打たれて枯果ててしまうであろう。
寒々としたモノクロの世界の中に、切り株が一列の緑をなしているところに稲の生命力を感じ、雀が落穂を啄む姿と共に晩秋の懐かしい故里の風景である。
私の意識の中から故里の田んぼの風景がなくなることはないだろう。そろそろ麦蒔きの時期である。

  穭田に遊ぶ雀の見え隠れ   英世

寒波襲来

第一級の寒波がやってきた。
先日までの小春日和が嘘のような寒さである。あまりの陽気に今年は本当に冬が来るのかと疑いたくなるほどであったが、季節はそんな心配をよそに着実に巡って来た。木枯は街行く人の襟を黙ってそば立たせ、玄界灘には黒い雲が渦巻いている。
そういえば昔はもっと寒かったような気がする。昭和37,8年頃だったと思うが、ここ九州でも正月から20日間ほど雪が降り続いたことがあった。特に山間の大宰府から基山にかけては豪雪といってよいほどの降り様であった。
子供の頃は暖房の施設が貧弱であった所為かもしれないが、学校では寒い中乾布摩擦をし、遊びは押し競饅頭や馬乗り(じゃんけんに負けたほうが馬になり、勝ったほうが走り掛かって跳び乗る遊び)が中心で、校庭に大きな歓声が響いたものである。ひび、あかぎれ、しもやけの子もいた。家では丹前を着て一日中練炭炬燵に潜り込み、手が黄色くなるほど蜜柑を食べ続けていたような気がする。
この寒さも長続きはしないようだが、やはり地球は暖かくなっているのであろうか。
とは言え、何といっても酒の美味しい季節がやって来たことが嬉しい。

  寒鰤に一献の酒賜ひけり   英世

また飲んだ

行きつけの焼鳥屋でまた飲んでしまった。
今回はいつものメンバーに男性が一人加わり、男2名、女3名の5人となった。店の本業は焼鳥屋なのだが、私が行くと焼鳥は殆ど食べず居酒屋のように湯豆腐とか焼魚や煮魚を注文することが多い。今回も鍋料理を3人前と野菜サラダを予約しておいた。5人前では多すぎて食べ残すことを見越してのことである。何と言っても全員六十路なのだから。
生ビールに始り、大吟醸、焼酎と3種混合でもう滅茶苦茶である。鍋は寄鍋で鮟鱇のぶつ切り、ホタテ、牡蠣、しいたけ、白菜、白葱など一通りのものをさっと煮込み半分ほど食べた後、豚のしゃぶしゃぶ風で仕上げである。誠に美味ではあるが酒のせいもあって予想通り食べ切れず残してしまった。残った豚肉は女性陣が土産に持って帰った。但し今回だけの特別サービスだと言うことをお忘れなく。
新しく加わった男がまたユニークな男で、天下国家から際どい話まで、それも身振り手振り、微に入り細にわたりで爆笑の連続であった。女性も負けてはおらず、色っぽい話やとんでもない暴露話まで飛び出す始末である。しかし、他人の失敗談や軽い悪口が蜜の味であることに変りはない。
夜も更けて一人当たり〆て3千円。決してこれだけでは済んでいないと思うのだが、友達の店だからまあいいか、と勝手に解釈している。

12月

とうとう12月になってしまった。
この月の呼び名は面白い。旧暦の11月に当たり霜月と呼んだり、ご承知の通り師走と呼んだりする。ただし、師走は陰暦12月の呼称で、12月も押し迫った何かと忙しい時節の表現に合っている。陰暦の呼称でこの師走と正月だけが新暦にも使われている。何か日本人の大らかさと言うか曖昧さを感じる。
とは言え12月の声を聞くと街も人も急に忙しく見える。メディアは師走の商戦から、ボーナス、社会鍋、ジャンボ宝くじ、桃太郎部隊(警察防犯隊)と相変わらず絶叫的に伝えてくる。サラリーマンならボーナスも入りあれこれと楽しい月であろうが、定年組には収入に何の変化もなく、むしろ出費ばかりが嵩む鬱陶しい月である。
気を取り直して忘年会でも楽しみにしますか。
仕事仲間、高校の同窓会、俳句仲間、訳の分からない仲間と酒好きの私には堪えられない月である。医者から忠告を受けているのに、誘われると言うよりむしろ自分の方から積極的なだけに始末に終えない。何かと理屈を付けて飲んでばかりいるのが酒飲みの終生である。但し、山頭火のような破滅型の酒ではなく明るく楽しい酒であることだけは評価して欲しい。
今年は何回忘年会をすることになるだろうか、例の黒田天狗や行きつけの近所の鮨屋に何回行くことになるであろうか。

   止められし酒に無常のおでんかな
   職退きてゆるりと流す十二月    英世

慰安旅行3

翌早朝再び温泉に入った。今朝は女風呂が男風呂に変わっている。小さな体重計があったが正確に量れるか疑問符が付くほど古い。
旅の朝食はどうしてこんなに美味しいのだろうか。通常は茶碗半分ぐらいしか食べないのに、ついお代わりをして6品ほどのおかずも味噌汁も全部平らげてしまった。
新聞を見た。ディープインパクトが勝っていた。競馬界のガリバーと言うべきであろうか。
二日目の出発である。二度と来ることはないだろうと思えば、見送りのまたおいで下さいと言う声が白々しく聞えてくる。また雨が降って来た。
金子みすゞ記念館に立ち寄った。最近再発掘された女流詩人で若くして自ら命を絶ったことが、彼女の童謡のように柔らかく優しい詩と相まってじんと胸を打つものがあった。俳句募集もあったので記念に投句した。
いよいよ我が敬愛する吉田松陰所縁の松蔭神社と松下村塾を訪ねた。初めて気が付いたが看板には村塾の村の字に邨の文字が使ってある。
 「親思ふ心に勝る親心今日の訪れ何と聞くらむ」
 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
  留め置かまし大和魂」
松蔭の親と国を思う真情が切々と伝わってくる。
昼食は蒲鉾工場直営のレストランである。蒲鉾中心ではあるがなかなか美味しいと参加者の評判は良かった。最後に萩焼の窯元を見学して一路福岡に向かった。
第三の誤算である。私の鞄は蒲鉾で一杯になっていた。(完)

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