あっと言う間に1月も今日で終わり。振り返れば暖かい1月であった。
昨日寒椿の話をしたので公平を期して今日は山茶花の話をしよう。
山茶花は本来茶の花のように白いものであるが、園芸用に品種改良がなされ様々な色や容が作り出された。自生の山茶花の北限は佐賀県北部の脊振山系と言われている。ちなみに茶の起源もこの脊振山である。
福岡市から那珂川町を抜け吉野ヶ里遺跡に通じる山越えの道があるが、途中の坂本峠のトンネルを抜けたところに道の駅があり、晴れた日には遠く筑後平野の向こうに有明海や雲仙、阿蘇の山々を見渡すことが出来る。その筑後平野のど真ん中が私の故郷久留米市である。その峠の西方に広がる千石山一帯が北限の地とされ、その山茶花は天然記念物に指定されている。
この自生種は花が白色で花びらの数は少なくコスモスのように拡がっているのが特徴である。寒風に耐えて咲く白い花や一面に散り敷いた花びらは、さながら雪が積もったような爽やかな光景である。
今は坂本峠にトンネルが開通し交通の便も良くなったので、一度訪ねられることをお勧めしたい。
山茶花の散り敷くままに咲き継げり 英世
山道を歩くと椿の花によく出会う。
椿は温帯に咲く山茶花によく似た花で、落花する時に山茶花は花びらが散るのに対し、椿は花全体が落ちる。したがって俳句では椿落つとか落椿と表現することが多い。
椿は本来春の花であるが、早咲きは冬に咲くことから寒椿とも冬椿とも言う。雪の白、苔の緑に鮮やかな紅の色を落とす椿の花は強烈な色彩があり、俳人が好んで題材にする光景である。特に昨日の雪で俳味豊かな椿になっていることであろう。午後にでも探勝に行こうかな。
先日散策した叶岳周辺の集落の庭先にも椿がたくさん咲いていた。花には目白がちちち・・と小さな声で囀りながら忙しく動き回り、しきりに花の中に嘴を突っ込んでいた。椿には目白がよく似合う。このような長閑な光景がいつまでも続くことを願って止まない。
花がすとんと落ちることから、武家社会では縁起が悪いと嫌う風習もあったようだが、花は花、そう難しく考えることもあるまい。
寒椿唇だけのピカソの絵 英世
今朝は雪が降っていた。この分では脊振山辺りは大雪だろう。
大寒の時に、寒と言う言葉に春を待つ気持ちを感じるとお話したことがある。
春を待つと言う俳句の季題では春隣、待春、春近しと様々な言い方があり、それぞれ若干ニュアンスは違うが、何れも暗く寒い冬にひたすら明るい春を待つ気持ちを込めて言うのである。それは単に季節的な明るさ、暖かさだけを待つのではなく、もっと希望に満ちた精神的、情緒的なものであろう。
私にとってもこの冬は春が待ち遠しくてならない。なぜならば隣に住む孫娘が中学に進むからである。ついこの前生れたと思っていたらもう中学である。その彼女は既に私立の女子中学に行くことが決まっている。
今はまだ爺ちゃんと近寄ってくるが、そのうち友人や恋人が大事になり大人びた態度を取るようになるであろう。自分から離れて行く姿を想像すると「時計よ止れ」と言いたくもなるが致し方ないことである。
それでも春が待ち遠しい。中学の制服に身を包んだ眩しい彼女を見たくて仕方がないのである。
姿見に見入る少女や春を待つ 英世
一昨日の寒雷と共に一転して寒い冬に逆戻りである。とは言えまだ寒中なのだからこの寒さが当たり前でここ暫くが暖か過ぎたのであろう。
その寒さのなか、所属している小笹公民館句会の有志6人と、先生を囲んで新春句会を例のひしむらで開いた。その梯先生と言うのがまた私と同じ村出身だと分かり奇遇に驚いている。
兼題は自由であるが、先生の発案で3句投句のうち1句は恋の句をと言うことになった。全員それ相応の年代で恋の句など出来るはずがないと思われるかもしれないが、俳人は至ってロマンチストが多い。人生経験豊かな落ち着いた恋の句がたくさん詠まれた。
幼き日の淡い恋の思い出、失恋、孫子の恋、天国の夫を恋うる詩と人生の悲喜こもごもを恋に託して見事に読まれている。披講では途中笑い出す人、真赤になって弁明する人と、狙い通りいつも以上に賑やかな句会になった。その恋の句と温かい鱈、白子の寄鍋を食べながら夜の更けるのも忘れてしまうほどであった。
そういえば昨年NHK俳句に入選した私の俳句に、次のような句があったことを思い出した。
月さやか妻に言はれぬ女と行く 英世
東京都内を一通り巡り歩いたら私の足は都内近郊の山に向かった。先ず定番の高尾山から御嶽山、大嶽、陣馬、雲取山と奥多摩の山々をことごとく踏破し、さらに秩父や丹沢にまで足を伸ばした。この時頼りにしたのが時刻表と山の地図である。東京では車は持っていなかったので、全て公共の交通機関を利用して綿密に計画を立てた。
先ず時刻表であるが、これも一種の地図である。到着予定時刻から遡り乗換駅や乗換時間も計算して無理の無い計画を立てる。また、山の地図には必ず標準の歩行距離と歩行時間が書いてあるのでこれを参考にやや余裕をもって計画を立てた。
それでも齟齬は起きる。谷川岳の西黒尾根では道に迷いバスに乗り遅れ土合駅まで歩いたり、他の山ではバスがあるはずだったが運休で1持間以上も歩かされたり、バスはあるが時間通り来なかったりする。それでも山道のバスは手を上げれば何処ででも乗せてくれたし、二本の足と地図があれば何とかなると暢気に歩き続けたのも結構楽しい思い出である。
それにしても昨日の雷はすごかった。いわゆる寒雷である。ど〜んと言う大きな音に丁度学校帰りの児童の悲鳴が家の中まで聞えてきた。今日から寒くなると言う。気を引き締めなくては。
酷寒や肝据ゑざれば倒るかも
寒雷や心頭滅する気概なく 英世
仕事柄福岡市の住宅地図を見ることが多い。お客様からいろんな仕事を依頼され、相応しい会員をお世話する時にこの地図をコピーして持たせることが多いからである。
ふと考えて見ると普段如何に地図に頼ると言うか、地図を楽しんでいるかに気が付いた。車にはロードマップが積んであるし、(カーナビは無い)行く先々で高速道路マップや観光マップを持ち帰ってくるのが習性になっている。
初めて東京に単身赴任した時には先ず東京都内地図と地下鉄路線図を手に入れ、休日になるとその地下鉄路線図を頼りに上野、浅草、銀座と名所を歩き回ったものである。
歴史好きの私には格好の散歩コースで、ここが桜田門かと時世に想いを巡らせたり、敬愛する吉田松陰が投獄されていたところでは、思わず彼の辞世の短歌を口にし、涙が零れそうになったことを覚えている。
明日は山の地図についてお話しよう。
親思ふ心に勝る親心
けふのおとずれなんと聞くらむ 松蔭
叶岳の麓の集落で一叢の竜の髯を見つけた。小葱や野蒜のように緑色の短い葉が密生して茂っているものだが、残念ながら竜の玉を見つけることは出来なかった。
竜の玉はこの竜の髯の実で、ビーズほどの大きさの藍青色に輝く美しい玉である。その神秘的な美しさから竜の玉と呼び冬の季題になっている。
子供の頃は畦道や小川の土手に沢山生えていたし庭先にも植えられていたが、最近はあまり見かけなくなった。私の田舎ではこの竜の玉のことを「みよみよ」とも「みじょみじょ」とも呼んでいたが、なぜ「みよみよ」と呼ぶかは分からない。
その「みよみよ」が冬の格好の遊び道具であった。竹笛を作る話をしたことがあるが、その頃は遊び道具は何でも自分たちで作った。直系1センチほどの女竹の両節を切り落とし一本の竹筒にし竹鉄砲を作る。水鉄砲を細くしたものと思えばよい。その竹鉄砲の弾にこの竜の玉を使うのである。竜の玉には白い石のような核があり、これが結構硬い。竹鉄砲の両端にこの実を詰め片方から細い竹の棒で力強く押すと、ぱんと乾いた音がして弾が飛び出す仕掛け、つまり空気銃である。
ポケット一杯にこの竜の玉を詰め込み、10人ぐらいが二手に分かれて撃ち合い、冬の田圃を一日中走り回り遊んだものである。もちろん顔を撃つことだけは厳禁だった。
竜の玉磨けば光る子の瞳 英世
小笹俳句会の90歳になるチセさんの句集が出来上げり一冊頂いた。ピンク色の表紙に「赤楽」と記された上品な装丁でチセさんの人柄が偲ばれる。ご存知の通り赤楽とは赤楽茶碗のことである。茶道のお師匠さんでもあるチセさんにふさわしい句集名である。
また、時を同じくして仕事仲間の宍倉さんから彼の奥様で松永瑞穂さんと言う俳人の句集を読ませていただいた。句集の名は「冬ざくら」、去年の秋にお話したあの十月桜のことである。淡い桜色に装丁された句集は、上品でいかにも優美な女性そのもののである。まだ瑞穂さんにお会いしたことはないが、多才な女性で所属する俳句誌「扉」の挿絵も担当されているとか。そう言えばご主人の宍倉さんも水彩画をよくされる方で、機関紙の「会員のひろば」にも時々投稿され評判を博しておられる。
句集のあとがきによると、作者の瑞穂さんも私と同じように偶然始めた俳句に魅了され、精進を重ね句集を出されるまでになられたとのことである。句集には平成4年から平成17年までの句が収めれているが、表紙に第一句集とあることから第二、第三句集も楽しみである。
何年後になるかは分からないが私も何れこのような句集を残したいと思っている。
たつぷりと生きし一代や柏餅 チセ
花びらを零さぬ力冬ざくら 瑞穂
福岡市の西端にある叶岳で3月下旬に会員のハイキングを実施することになった。
麓に今宿野外活動センターがあり、自然観察やバンガローなどの宿泊施設、運動広場などを管理する言わばビジターセンターの役割を果たしている。計画ではそこを基点に叶岳に登り尾根道を少しばかり歩いて吉野谷からスタート地点へ下る予定である。
叶岳の頂上付近にある叶嶽神社は神宮皇后の三韓進出の折、願いが叶ったことからその山を叶岳と名付けられたもので、縁起の良い神社として人気がある。白い鳥居の並ぶ叶嶽神社参道を暫く辿ると遥拝所があり、ここからは今津湾と糸島半島が手に取るように見渡せる絶景ポイントである。そこから急坂をよじ登り途中お不動様が彫られた不動岩に立ち寄り、程なくして叶嶽神社に着く。その裏が叶岳の山頂である。
その下見のため幹事役の4人で登ったが、頂上目前の8合目付近で私に異変が生じた。軽い貧血状態で急に目の前が暗くなったのである。こんなことは初めてで常日頃山には自信があると豪語していたのにどうしたことだろう。おそらく年末年始の不摂生が影響したのかもしれない。程なくして回復したが同僚からどうしても下山せよと言われ、止む無く他の一人に付き添われ下山した。
情けない話であるが、本番までには体調を整えておかなければと反省仕切りの苦い山歩きであった。
この初場所も朝青龍の20回目の優勝が早々と決まってしまい、何となく間の抜けた場所であった。まだ中日と言うのに振り返れば朝青龍を追うものが一人も居ないという散々な状態であった。
朝青龍の強さばかりが光るようだが、勝負事は相対的なものだけに、ある意味では他の力士が弱すぎると言うことも出来るであろう。特に大関陣の不甲斐無さは目を覆うばかりで、5人合わせて42勝33敗、勝率5割6分では優勝争いなど出来るはずがない。毎場所一人は角番では大関の地位が泣こうと言うものである。そう言った意味では琴奨菊や希勢の里、豊真将と言った若手の成長が望まれてならない。
その昔、栃錦や佐田の山は潔かった。千代の富士も貴乃花の台頭で道を譲った。本人たちには悪いがそろそろ考えてもよいのではなかろうか。
昨日、NHK俳句を楽しむ会の句会があった。
いつもの元気なメンバーで和気藹々の句会であったが、一人最長老のNさんの欠席が気になった。聞けば奥様が病気とのこと。ご本人はどう思っておられるかは分からないが、80歳を越えた夫が妻の看病をするといった身につまされる現実に、これからの生き方、福祉について考えずにはいられなかった。
とは言え、句会は順調に終り、予定通り新年会である。会場は一度お話したことのある有明海の魚介を中心とした郷土料理の店「ひしむら」である。5年前にここの女将に勧められて始めた俳句が、今、自分の数多い趣味の中心になるとは思いもよらなかった。
今日の料理はお店にお任せであったがなかなか気の効いたものが出てきた。ヒラメと関鯖のおつくりそれに明太子。この店の自家製明太子は絶品で酒が進んで仕方がなかった。と言いながら結局は飲兵衛なんですよ。
繭玉や母娘で守りゐし老舗 英世
今日は二十四節気の一つ大寒である。この頃が一年中で一番寒い時期とされているが、今朝は暖房も要らぬ暖かさだった。ちなみに1月6日が小寒で、この小寒から2月4日の立春の前日(節分)までを寒とも寒の内とも言う。
この寒も俳句でよく詠まれる季題で、その下に物の名前や行事を添えて寒薔薇、寒牡丹、寒稽古など言う。ちなみにホトトギス歳時記で寒の付く季題を数えてみたら、分かっただけで54個もあった。この前お話した寒雀もその一つで、他の歳時記を含めるともっと多いかも知れない。それだけ昔からこの寒に対する感性が豊かだったと言うことであろう。
この寒を冠することによって、自然の厳しさの中に力強く生る人々や生き物に慈しみと敬意を込められているような気がする。またこの厳しい寒さから、幽かに見えてくる春の息吹を必死に感じ取ろうとしているのかもしれない。寒すなわち春を待つであろう。そう考えてみるとこの冷たい寒の文字にも仄かな暖かさを感じる。
今日も午後からNHK俳句を楽しむ会の句会がある。頂いた兼題は「餅花」「寒月」である。もちろんその後は新年会で例の「ひしむら」に繰り込むことになっている。その話はまた明日。
一族の相討つ城や寒の月 英世
朝は4時に起きた。別に急ぐ必要はないのだが、なんとなく寝ているのが勿体無いような気がしたからである。まだ真っ暗な中、温泉に浸かり満天の星空を見つめていた。このあたりは1300mの高地にあり、空気もぴんぴんに乾いているので星がきらきらと輝くように見える。星が降るとはまさにこのようなことを言うのであろう。
朝食の前に囲炉裏のある部屋でくつろいだ。絵心のある友人は墨絵で加仁湯の雪景色を見事に描いていた。私は旅の思い出をメモしていたが、今回の回想もその時のメモと例の一眼レフで撮った写真が大いに役立った。
朝食が済み係りの女性が部屋の窓を開けて見ろと言うので開けて見て驚いた。下を流れる川の向こうに大きな滝が氷結しており、ただただその美しさに言葉を失ってしまった。青く輝く何と言う神秘的な色であろうか。まさに宇宙から見た地球の色である。
この大氷結の滝を露天風呂から見物しようとまた出かけた。温泉に浸かりこの氷の滝を見ると、浮世のことなどどこかへすっ飛んでしまう何とも言えない景色であった。ふと見ると雪の積もった川原を3匹の猿が歩いている。この猿も温泉に入りたかったのに、先客の私たちが居るので諦めて帰って行くのだろうと思うと、何となく不憫な気がして来た。
話が一之岳の野猿からやっとここまで辿り着いたのである。
凍滝や青き地球の面影を 英世
加仁湯温泉の続きである。
先ずは何と言っても温泉に入る。薄暗い露天風呂は雪を掘って作ったかのように周りに雪が堆く積もり、脱衣所から湯船まで30mほどを雪の中を素っ裸で駆けて行かねばならない。寒さで全身がちくちくし、どうしても風呂に飛び込まざるを得ないが、これがまた熱い。よく見るとスコップが置いてある。雪で埋めろと言うことであり何となく愉快になってしまった。
雪の露天風呂を上がると夕食である。温泉宿の食事も最近は流通事情が良くなった所為か街中とあまり変わらなくなったが、ここは流石に秘湯中の秘湯だけに海の物はない。付近の山や湖、川で取れたものばかりで質素ではあるがなかなか趣がある。
ふとメニュウの特注とあるところに目が行った。何と鹿、熊の刺身とあるではないか。元来ゲテモノは苦手であるが今日だけはこれを見逃す手はない。出てきた鹿は紅葉といわれるように薄紅い霜降りで、熊は白い脂身であった。味は意外と淡白でやや臭みがあるので生姜やにんにくで隠して食べた。既に猪は鍋にしてあるので、これに蝶々があれば、猪・鹿・蝶だと相も変わらず馬鹿話で盛り上がった。もちろん酒も上等であった。
登山の帰りは必ずと言っていいほど温泉に入る。福岡市郊外にも割安な温泉があるので、山登りの帰りだけでなく普段からよく温泉に出かける。
温泉で忘れられないのは10年ほど昔に、東京で尾瀬や奥多摩などにいつも一緒に山歩きした友人たちと加仁湯温泉に行った時のことである。加仁湯温泉は栃木県奥鬼怒にある秘湯中の秘湯と言われる標高1300mの平家落人伝説の温泉で、宿はその名の通り「加仁湯」と言う名の一軒しかない。
まず辿り着くのに苦労する。東武浅草駅から川治温泉まで特急電車で3時間、そこからバスで女夫渕(めおとぶち)まで1時間半、そこから旅館のバスで30分の長旅でやっと目指す加仁湯温泉に着く。途中の女夫渕からはマイカーは乗り入れできず、宿のバスか歩いていくしか方法はない。
この温泉は四季それぞれに趣があるが、私たちが行った厳冬期が最高である。全山深い雪に覆われ、九州育ちの私にはまるで別世界のようであった。宿は平家落人伝説の伝承品が隈なく飾られている。記憶はやや曖昧だが鎧、刀はもとより古文書や衣類、祭祀用具などが展示されていたような気がする。800年近く隠れ住んだ悲哀の歴史が山里の暮らしの中に綿々と続いている。
最近の秘湯ブームがなかったら今なお取り残された一介の山村のままであったであろう。
これよりは歩くほかなし雪女郎 英世
福岡市郊外の那珂川町に残る数多くの山城址の一つに一之岳城址がある。
この一之岳城は名門少弐一族、筑紫広門の持城で、南畑ダムの北西方向標高650mに位置し、薩摩島津氏との攻防に明け暮れた城である。館跡や、家臣の住居跡、石塁などがわずかに確認されるだけであるが、麓には平和時に城主が生活したと思われる御所と言う地名が今も残っている。
その山道を歩いていると突然頭上にざわざわと梢が揺れる音がしたかと思うと、絶叫するような猿の声がした。見上げると山道に覆いかぶさった木々に数匹の猿の群が私を睨み付けながら、ギャアギャアと威嚇の声を発している。中には見るからにボスと思われる雄猿と去年生れたばかりの子猿をぶら下げている母猿も居る。
夏に瓜を抱えて畑を走り去る猿を見かけたことはあるが、これほどの大群と出会ったのは初めてである。冬の所為か毛並も荒れており、必ずしも栄養状態が良いとは思えなかった。このような猿が餌を求めて巷に下りて来て騒動を巻き起こしているのであろう。それにしても福岡市郊外にまだ野猿が居ると思うと妙に安心した気になった。
野猿の群には敵意のないことを示すように身を低くしてやり過ごした。余談だが猿はどうも俳句には似合わないような気がする。
冬山や餌を奪ひ合ふ猿の声 英世
私の車には数冊の本が積んである。その中のひとつに「福岡古城探訪」と言う一冊があり、歴史好きの私には欠かせない一冊である。
それによると福岡には古代の朝鮮式山城から戦国時代の山城、近代の城郭と1000を越える城跡があるとのことである。中でも南北朝から戦国時代の山城には、幾多の戦いとドラマがあり男のロマンが漂う。この城址を訪ね戦国時代に思いを馳せるのも私の趣味の一つで、思い立ったらすぐどこにでも行けるようにとこの一冊をいつも車に積んでいるのである。
それらの古城址を訪ねて見ると、その地方の豪族の勢力地図や人間の強さ弱さが手に取るように分かる。古戦場や苔むした石塁、壕跡それに地名に残る大手門や馬場の跡など、それぞれの城にそれぞれの物語がある。そこは男たちの野望と挫折の舞台だけではなく、必ず女子供の悲しい物語が伝えられている。
黒木町に残る猫尾城では切腹した父の腸を娘が敵に投げつけたとの言い伝えがあり、筑後塩塚城では戦国の習いとは言え、「父よ、叔父よ」と叫びながら一族・同族相討つ戦いがあり、涙なしには往時に思いを馳せることは出来ない。
これからもハイキングを兼ねて城址廻りを続ける心算であるが、それらの話はまた何れするとしよう。
一族の相討つ城や寒の月 英世
俳号の話をしよう。
俳号は作家のペンネーム、画家の雅号、俳優の芸名に相当するもので、俳諧が盛んになった江戸時代から流行し始めた。有名な芭蕉も子規も虚子も俳号である。子規はホトトギスとも読むが、彼は肺結核を患っていたので「啼いて血を吐くホトトギス」から取ったものである。虚子は本名の清をもじったものであり、中には山頭火のように世の中を拗ねたとしか思えないような滑稽な俳号も見られる。
私も俳句を始めた5年前に本名の英世(ひでよ)から読み方を変えて英世(えいせい)とした。中学の頃出席を取られる度に、ある先生が必ず「えいせい」と呼んでいたことを思い出しそれに決めたもので、特別の意味も思い入れもないが今では「えいせいさん」と呼ばれると何だか嬉しくなってしまう。
昨日あった俳句の会「鴻臚」でも先生の勧めで俳号をつけることにした。それぞれ、すみれや幸女(こうじょ)和子(わこ)など立派な俳号を頂いている。自分の好きな花や、親から頂いた名前を少し俳号らしくもじったり、本名のままの人や他人から付けて貰った人もいる。今はまだ本人の顔と俳号がなかなかしっくり来ないが、そのうちにその俳号が板に付いて来るから不思議である。
俳号を付けたことで俳句に対する本人の熱意も変わって来るであろう。将来素晴らしい俳句と共にその俳号にどっしりと貫禄が付いて来ることを期待したい。
昨日の鴻臚句会の兼題は「屠蘇」と「寒卵」であった。
屠蘇注ぐや家族となりし嫁御寮に
荒れ止めの馴染む指先寒卵 英世
内野聖陽、私の好きな俳優の一人である。
私が最初に彼に出会ったのは山本周五郎のNHKドラマ「蝉しぐれ」で、主人公牧文四郎の波乱の人生と、幼馴染で最愛の女性おふくとの別れと出会いを切々と綴る落ち着いた作品である。その牧文四郎を演じたのが内野聖陽である。15歳の少年時代から壮年になるまでを演じているが、ドラマの進展と共に彼自身も役者として大きく成長していったように思えた。
彼は舞台出身であるだけに今時の軽さがない。その顔のようにドラマでもインタビューでも落ち着いた柔らかい雰囲気を醸し出しており、それは自分自身の努力も去ることながら役者として自然と身に付いたものであろう。どこか加藤剛に雰囲気が似ているのも気に入っている。
彼は現在38歳。人間としても役者としてもこれから油が乗ってくる時期である。その内野聖陽が山本勘助を演じる。戦国時代の荒々しい雰囲気の中で、軍師としての冷徹な眼とある意味では非情な決断をどのように表現し、新しい山本勘助像を作り出してくれるか今から楽しみである。
今年の大河ドラマは「風林火山」で、主人公は武田信玄の伝説的な軍師「山本勘助」である。
軍師、すなわち主君の軍略を遂行するのが任務で、戦場にあっては主君に代って下知することもできる重要な役割である。歴史上有名な軍師として諸葛孔明や竹中半兵衛、黒田官兵衛などがいるが、何れも天才的な戦略で主君の天下盗りを手助けした俊英である。
ただこの山本勘助は実在の人物ではあったようだが、本当に大軍師であったかどうかは不明で、どうも後々講談や時代小説として作り上げられたというのが真相のようである。
その壮大なドラマ「風林火山」がいよいよ始まった。主役は私の好きな俳優の一人、あのNHKドラマ蝉しぐれの「内野聖陽」である。例によって物語の時代背景から勘助の生い立ちや関連の人々が紹介されていく。
昨年の「功名が辻」も楽しく見せてもらったが、この風林火山はどうだろうか。ジャイアンツの野球中継を放り出しても見たくなるような素晴らしいドラマの展開を期待している。ここにもあの脇役の笹野高史が出演している。
前回木村拓哉のことをお話したが、もう一人触れておきたい役者がいる。三村新之丞(木村拓哉)の中間、徳平役を演じる笹野高史である。彼はご存知寅さんの常連でもあったし、釣りばか日誌では社長車の前原運転手の役で渋い役柄をこなしている。
この武士の一分でも若くして両親を亡くした新之丞に軽口を叩きながら、親子のように愛情豊かに見守る姿を淡々と演じている。題材からして何となく暗くなり勝ちな流れの中で、桃井かおりと共に暗く行き過ぎないようにとしっかりと支えている。
確かな演技力、主役を越えることなくむしろ引き立たせることに徹する力、そしてその中にきらりと光る珠玉の演技は決して見逃すことは出来ない。特に新之丞の離縁した妻、加世を主人に隠して下女と偽って迎えようとするシーンでは、原作は藤沢周平かもしれないが二人のために本当に徳平が考え出したかのように見事に演じている。
名古屋城の天守閣が石垣の石によって成り立つように、映画もこのような脇役がいなければ無味乾燥なものになってしまう。その石垣の石がこの笹野高史である。
彼にはこれからも主役の座は廻ってこないかもしれないが、彼にとってはその方が幸せかもしれない。
名古屋城の金の鯱になるよりも石垣の石になれ
(詠み人知らず)
昨年末久し振りに映画を見た。TVのコマーシャルで藤沢周平作、山田洋二監督の「武士の一分」の紹介を見てすぐその気になった。
そもそも藤沢文学には思い入れがあり、NHKドラマの「蝉しぐれ」を見て泣き、「たそがれ清兵衛」を見て感動し、そして今回どうしても「武士の一分」を映画で見たくなった。封建時代の馬鹿げた話と言えばそれまでだが、毒見役と言い家名や親戚付き合いと言い、実際もこんなものだったのだろうと妙に納得してしまった。
それにしても主演の木村拓哉の成長振りには驚かされた。私の意識の中には元アイドルのなよなよとしたイメージを払拭できないでいたが、今回の作品で評価は一変してしまった。武士としてどうしても譲れない武士の一分のために、盲目の武士が果し合いを挑む迫真の演技に、迫力と言うよりも鬼気迫るものを感じた。木刀での稽古のシーンや真剣で切り結ぶ場面など、あれほどの演技力はまさに天分としか言いようがない。
映画監督山田洋二組の一人として確固たる地位を占めたものと評価している。これからの活躍に期待したい。
福岡市植物園の外苑の南斜面に水仙が群生し盛りを迎えようとしている。おそらく植物園が斜面保護と冬の美観を考え植えたものであろう。
水仙はその昔地中海沿岸からシルクロードを通って日本にやって来たと言うことであるが、アラビア商人がらくだの背中に水仙の球根を積んで長い旅をする光景を思い浮かべると、なんとも風流で長閑な光景である。
その水仙は彼岸花科の多年草で、その花は彼岸花とは似ても似つかない容をしている。彼岸花が火の様な激しい花であるのに対し水仙は清楚なやさしい雰囲気を持っている。花の立ち方も彼岸花は最後まで凛として立ち尽くしているが、水仙は風や雨に弱くすぐばらばらに倒れてしまう。
葉の形は彼岸花科らしくよく似た線状の細長い葉であるが、彼岸花が花が終わって葉が伸びるのに対し、水仙は先に葉が出て花が咲いても葉が枯れることはない。同じ彼岸花科でもこんなにも違いがあることかと驚かされる。
長崎の野母崎半島には自生の水仙の群生地があり観光地になっていると聞く。一度訪れて見たいものである。
西海の陸(くが)の果て咲く野水仙 英世
正月も7日となると必ず故里の鬼夜のことを思い出す。
故里といっても実際は隣村の久留米市大善寺と言うところだが、毎年正月7日に「鬼夜」と呼ばれる日本三大火祭りの一つが執り行われる。天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災害削除のいわゆる鬼やらいのことで、今は立春の前に各地の神社やお寺で行われることが多いが、ここ大善寺玉垂宮では1600年もの昔から正月の行事として続けられている。氏子でない私には参加資格はないが、毎年近所中の悪供と参拝がてら見物に行ったものである。
クライマックスは何と言っても15メートルもの大松明6基に火が灯され、境内を3周するところである。氏子の若者60名ほどが「おいさぁ、おいさぁ」の掛け声と共に狩俣と呼ばれる3メートルほどの樫の棒で1トン以上もある火の付いた松明を捧げ、境内を3周する勇壮なシーンである。選ばれた若者の一人が火の粉をものともせず、燃え盛る松明によじ登り松明を巻き絞めている縄を小刀で切る勇姿に感動したものである。このお祭りで筑後地方の正月気分は終わりを告げる。
ちなみに大善寺と言う地名に大善寺と言うお寺はなく、玉垂宮という神社がお祀りしてある。神仏混淆の名残であろう。
鬼やらひ神の火の粉を被りけり 英世
昨日「NHK俳句を楽しむ会」の初句会が博多リバレインであった。
正月の時にもお話したように初句会そのものも新年の季題である。通常と何ら変わらない句会のはずなのに、初句会となると妙にうきうきしてくるものである。それぞれ新年の挨拶を済ませひとしきり昔の正月はどうだった、今年の正月ははこうだった、亥年はどうのと話は尽きず、賑やかな初句会の始まりとなった。
俳句を始めて丸5年、よくも諦めずにやり通したものだと妙に感心している。この初句会を機にまた気持ちを新たにしこれからも大いに楽しみたいと思っている。
今年は句歴5年になるので過去の句を全部推敲して見ようと思っている。当初は俳句のはの字も知らず、今読み返しても恥ずかしい句ばかりであるが、着眼点とか感動は今とあまり変わらないような気がする。おそらく表現力が伴っていなかったと思われるので、その点を中心に推敲して見たい。
今年の初句会の兼題、つまり先生に頂いた季題は「元日」「寝正月」であった。このような句が出来た。
元日や昨日と同じ薬飲む
朝風呂のあとは朝酒寝正月 英世
初詣は護国神社と決めている。
なぜならば、かつて護国神社のすぐ近くに住んでいた関係で、ぶらりと出かけるのに都合のよい神社であったからで、特別な思い入れや宗教上の理由はない。
また、今は勤務先が護国神社の隣にある関係で普通の日もよくこの護国神社を通り抜けるが、正月ともなると如何にも厳かな神社に見えるから不思議である。白く掃き清められた玉砂利を踏み締め神殿に参拝すると、日本人の義務とか家長としての務めを果たしたような気になる。いつものように家内安全のお札、それも一番安いやつを頂く。福御籤を引く。例によって外れ。甘酒を頂いて帰る。まったく同じパターンである。
昨年は家内安全と息子にお嫁さんが来ます様にとお願いし見事に実現した。今年は元気な孫が生れますように、そして家内が少しはおとなしくなりますようにと祈った。
昨夜はその家内と近所の焼鳥屋に行き珍しいことにご馳走になった。今年はどうも雲行きが怪しいぞ。
神鈴の音も澄みけり初詣 英世
昨日は初仕事で隣の護国神社にお参りしてから事務所に向かった。
民間の会社にいた頃は1月5日が初仕事であったが、ここは社団法人と言うことで役所に準じ4日となっている。月12日間の少ない勤務であるが、勤め始めてみると不思議と相性がよく、この初仕事にも快い緊張感を持って臨むことが出来た。
有り難いことに64歳にして仕事がある。いやここでは全員が60歳以上であるだけに私はまだ超若手である。中には80歳を遥かに越えた人もいる。一般の会社では年かさのものが率先垂範するのが慣わしであるが、ここの80歳は率先垂範するとすぐバテてしまうので、私たち若手が頑張らないと示しがつかないようである。
今年も高齢の会員に何とか良い仕事をお世話出来ればと願い、また会員が健康且つ安全に仕事出来るようにと念じて止まない。
帰りは当然行きつけの焼鳥屋へと思っていたら、家内から「すぐ帰って来て」といつものコールである。家内の野暮用を済ませ夜はテレビドラマの「佐賀のがばいばあちゃん」を見た。いつかお話した島田洋七の少年期の涙と笑いの話である。感動のその話は何れまたするとしよう。
電脳の立ち上がり待つ初仕事 英世
3日に家族全員が揃って正月をした。度々お話しているように私たち夫婦に娘夫婦と孫、長男夫婦とそれにお腹の子供も入れれば都合8人が揃って正月を祝ったのである。
昨年末風邪を引いた孫娘も元気に回復し人一倍はしゃいでいた。料亭のおせちと言う訳には行かず我家手作りの料理であるが、家内と私が心を込めて作ったものだけに美味しいに決まっている。鰤は出世魚だし、数の子、黒豆は家族繁栄を願うものとして生れてくる子供にとってもめでたい物ばかりである。
こうして家族全員が揃って正月を迎えることなど、40年前の結婚当初は考えも及ばなかった。ただ黙々と働き、子供の成長に一喜一憂し、大病もした。そして子供の独立、定年後は悠々自適と思いきやまた仕事、たまの休みには俳句とハイキングを楽しんでいる。
日々家内と衝突しながらも、こうして楽しく迎えられたことを感謝せねばなるまい。我が世の春ならぬ、まさに老の春と言うべきであろう。
元旦や己が齢を愛しめり 英世
2日はいわゆる寝正月で、この寝正月も俳句の季題のひとつである。
昨年末から正月に掛けて疲れがピークに達しており、この2日は体を休めるのに最適である。昨日の新聞を読み返し寝そべってテレビを見る。どんな番組をやっているかそんなことはどうでもよい。どうせ馬鹿笑いか意味の分からない音楽がキー高く流れているだけで、それが快い眠り薬になってくれれば良いのである。
目が覚めたら昼風呂そしておせちの残りでビール、また新聞の読み返しそしてまた寝ると至福の時である。
そういえば昔の田舎の正月では1日は風呂を沸かさず、2日は朝風呂、3日は昼風呂と風呂にも正月の決まりがあり、すべて親父がやっていた。今は家内の故郷との習慣の違いや24時間いつでも風呂に入れることが出来ることから、このような習慣もなくなってしまった。
そろそろ寝飽きた頃また酒である。ただ家内と二人だけの静かな正月だけに酒は控えめにした。
寝正月三度目覚めて夜の酒 英世
俳句にとっても正月は重要な季題で、歳時記によっては春夏秋冬のほかにわざわざ新年として独立させているものもあるほどである。
正月を表わす季題には正月、元旦、元朝、初日、新年、初春、今朝の春、老の春など数限りなくある。どの季題にもそれぞれ意味と趣があり、どの季題を使うかによってその句に命が吹き込まれるのである。
農耕民族にとって暦は重要な要素であり、その暦の一番初めが正月であること、そしてその1年の豊穣を祈ることから、特にこの正月に対する思い入れが強いのであろう。また陰暦では正月と春がほとんど同時に来ることから、正月のことを春と呼び春を以って新年の意味に使うことが多かった。それが現在も新春とか初春とか言って正月の呼称に使われている。
またいろんな自然現象や行事の頭に「初」の字を冠することによって、その現象や行事が今年の初めてであることを意味し、初めて見る小動物にも初の字をつけて慈しんでいる。例えば初明り、初句会、初雀などがそれである。
それぞれに今年1年の平和と健康、豊穣、開運を願う素朴な気持ちが託されているのであろう。
今年も良い年であって欲しいものである。
一病の医訓を胸に老の春 英世
明けましておめでとうございます。ブログの上からですが新年のご挨拶を申し上げます。
いつもの正月でありながらいつもの正月と違うのが我家です。息子が結婚し新しい家族が増えたし、この春には所謂内孫が誕生します。男でも女でもよい、元気に生れてさえくれればそれでよいのです
また隣に住む先輩孫娘の鈴花は、この春もう中学生になります。自分が一人っ子だっただけに、一回り違ういとこ(性別が分からないのでひらがなで)の誕生を今か今かと心待ちにしているようです。
この孫達のためにも、地球上の人々が人種を越え宗教を越え仲良く手を取り合い、等しく平和と幸せを享受出来るよう祈らざるを得ません。所詮はちっぽけな宇宙船地球号の乗組員なのですから。
どうか今年もよい年でありますように。そしてこれからも下らない独り言にお付き合い頂きますようお願い申し上げます。
初春や七つの海の静かなれ 英世
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