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8月が終る

今日で8月も終る。
夏休みも終り、明日からは家の前を学童が道一杯に広がって通学する。私の通勤時間帯と重なるので運転には十分に注意しなくてはならない。
それにしてもこの夏は暑かった。埼玉熊谷などでは40.9度と言う国内最高気温を75年ぶりに更新している。と言うことは地球温暖化といわれるが、昔も結構暑かったということではないか。それに台風も大地震もあった。被災地の方々の一日も早い復興を願って止まない。
甲子園も暑かった。九州勢の大活躍で興奮は最高調に達し、テレビに釘付けになってしまった。優勝の佐賀北高校にがばい賛辞を贈りたい。
また、この夏の暑さで体の消耗もピークに達している。ビールのがぶ飲み、冷たいものの獲り過ぎから胃腸の調子も今ひとつ、栄養も偏りが見られる。早急に体調を立て直し、明日からの秋を満喫したいものである。

  一点の差に泣く球児秋暑し  英世

露草

朝夕めっきりとは行かぬまでも大分涼しくなって来た。また、今日は秋雨前線の南下で、一時雷や強い雨が降ることが予想されており、秋は駆け足でやってきている。
昨日、護国神社の木陰で露草を見つけた。この露草も私の好きな花の一つである。
図鑑によれば「これほど誰もが知っている野草はすくない、蛤を開いたような青い花」と紹介され、朝咲き夕方には萎んでしまうので露草という説もある。
畑や道端、川岸などどこでも咲く花で、蔓のように伸びた茎に可憐に咲く紫の小さな花は、そのまま自然が作り出す絶品のデザインとなり、夏の着物などの柄などにも良く取り入れられている。涼しさをかもし出す色だからであろう。
この露草が秋の七草に入っていないことが不思議でならない。

 露草や昨夜の滴をそのままに  英世


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植物園HPより転載

私の本棚「福岡県の博物館」

昨夜は久し振りに皆既月食という天体ショーを見ることができた。と言っても夕方月が出た頃にはすでに皆既月食状態で、それから徐々に回復する月を眺めていたのである。
その月食とは全く関係ないが、このところ夕方のNHK地方ニュースの後に、我が町の美術館、博物館の特集をやっている。ふと私の本棚にやや古い本ではあるが、「福岡県の博物館」というガイドブックがあることを思い出し引っ張り出してみた。
県内の貴重な美術品や歴史資料のグラビアから、県立、市立の大きな施設や、神社仏閣の宝物殿、個人のコレクションなど大小様々な博物館が地区別に紹介されている。中でも興味を引くのが、その地区の歴史や文化を紹介する地方の小さな博物館である。
その一つに二度ほど訪ねたことがある伊都歴史資料館がある。糸島地区は古代伊都国のあったところで、そのことを証明する鏡や太刀、勾玉、管玉等の埋蔵文化財が多数発掘され、それを展示している。
近くに伊都民族資料館もあり、山登りや吟行の都度なるべく立ち寄ることにし、その時代に思いを馳せるのも楽しみの一つである。

  その下に卑弥呼の郷や芒原   英世


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縦書き横書き

何気なく新聞を読んでいて、縦書きと横書きがめまぐるしく交差しているのに気が付いた。大見出しは横書き、サブの見出しは縦書き、天声人語は縦書き、写真などの下に書く説明文は横書きと、てんでばらばらに入り乱れている。
もともと日本や中国の文字文化は縦書きであったことは古い文献を見ればすぐ分かるが、いつの時代からかそれがその目的によって都合よく使われ出したのだろう。
会社の書類は90%以上横書き、図書類はあらかた縦書き、手紙や葉書は縦と横が半々、教科書は教科によって縦と横とがうまく利用されている。数字や楽譜が縦では様にならないからだろう。最近では俳句までが横書きがはやりだしている。私もブログに書く俳句や出来立ての原句は横書きにしている。
懐古主義の人には申し訳ないが、私の生活の中ではすでに横書きが定着しつつあるように思う。いずれかに軍配を上げるつもりはないが、日本人の器用さと順応性、それにあまりこだわらない大らかさに感謝し、これからも臨機応変に対処していこうと思っている。

  七夕や旧仮名文字のしなやかに  英世

天声人語

各社の新聞の一面下段にコラム欄がある。我家で取っている朝日は有名な「天声人語」、中堅地元紙の西日本は「春秋」と言った具合である。
毎朝特別なことがない限りこの欄から目を通すが、このコラムから発信される情報は私の重要な情報源の一つであり、文章を書く上での決まりごとと言うかノウハウを提供してくれる貴重な教科書でもある。
それにしても一流の記者が書く文章は素晴らしい。簡潔明瞭に諸事の細々を語っている。その文章たるや流麗で美しくめりはりがあって一点の淀みもない。時には感嘆の言葉を贈り、時には怒り、時には揶揄たっぷりと読者の心の底をえぐってくる。、
ちなみに今朝の「天声人語」は、英国王室のダイアナ元妃をバラに例えて追悼の意を表わし、そこに加藤楸邨の句が添えてあった。
中でも感心するのは、これだけの記事を毎日倦まず弛まず書き続けられることである。どこからこれだけの情報を得、どれだけの時間を割いて書き上げているのだろうか。執筆者は一人だろうか、たまには交代しているのだろうか。
私も今のところこのブログを毎日書いてはいるが、いつまで続くかは自分にも分からない。ある日突然止めてしまうかも知れない。

  薔薇剪れば夕日と花と別れけり  加藤楸邨

上杉鷹山

120万石の大大名であった上杉家も江戸中期になると15万石の小藩に落ちぶれていた。それにもかかわらず、会津時代からの旧弊から抜けきれず家臣の数もそのままで財政的に困窮していた。いわゆる大企業病である。
そこに登場して来るのが我らが上杉鷹山である。
彼は日向高鍋藩主、秋月種美の次男として高鍋藩江戸屋敷で生まれた。秋月氏は言わずと知れた筑前秋月の出で、関が原の後、日向高鍋に移封された九州屈指の名家である。
鷹山は10歳の時にこの秋月家から米沢上杉家に養子に行った。彼の母方の祖母が上杉家の出であったことからその縁によるもので、この九州男児が混迷する上杉家を救うことになるのである。余談だが忠臣蔵の吉良上野介とも血のつながりがある。
詳しいことは童門冬二の小説に譲るが、人格清廉、偉大なる改革者であったことは間違いない。旧臣の抵抗を排除しつつ藩の支出を切り詰め、紅花などの特産品を奨励して、潰れかけた藩の財政を建て直したのである。米国大統領のケネディやクリントンも日本で一番尊敬する政治家としてこの上杉鷹山の名を上げている。彼の名言「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」の歌は「伝国の辞」と共に次期藩主に伝えられたものであり、また山本五十六の「してみせて 言って聞かせて させてみる」という言葉も鷹山の言葉を引用したものである。
ちなみに私の話も、大方は童門冬二の小説の受け売りであることをお許しいただかねばなるまい。

  紅花や地震に負けるな出羽信濃   英世

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直江兼継

上杉家の話をするからには直江兼継と上杉鷹山の話をしなければなるまい。
いずれも謙信亡き後の上杉家を支えた名臣、名君として、童門冬二の小説に登場してくる実在の人物で、一気に読み上げてしまったほどである。
先ず直江兼継(兼続)であるが、幼少の頃より俊英の誉高く謙信の養子、上杉景勝に仕えた名臣で、関が原の戦いを仕掛けた張本人とも言われている。家康より再三出陣を促されたにもかかわらず、家康を挑発するような手紙を送り、家康に会津征伐を仕向ける一方で石田三成に決起を促したと言われる男である。結果的には関が原で一戦もせず負けはしたが、その手腕で上杉家を存続させたことで有名である。
軍事、民生にも優れた名将で逸話も多い。ある時、下人を殺された家臣が兼継に下男を生きて返せと難題を吹っかけて来た。兼継は金銭で償おうとするが家臣は納得しない。兼継は是非もなしと、閻魔大王に下人を返すよう手紙を書いてやるから自分達で迎えに行け、と言って三人の家臣を切り捨てたという有名な話がある。無理なものは無理だと言いたかったのであろう。
兼継の兜の前立には愛の一文字が刻み込まれているが、これは彼が愛に生きたのではなく、崇拝する愛染明王から頂いたものであることもよく知られている。
私の好きな武将の一人である。明日は上杉鷹山の話をしよう。

 戦なき世にある幸や蓮の花   英世

上杉謙信

家内と共に毎週風林火山を見るのが楽しみである。
その風林火山にいよいよ長尾影虎、後の上杉謙信が登場した。彼は道義に厚い伝説的な戦国武将で、本来は越後守護代長尾家の次男であるが、守護の上杉家の没落と共に一族を取りまとめ国主となった武将である。武田信玄との五度に亙る川中島の決戦は後世の語り草となっている。
大河ドラマ風林火山でその長尾影虎役をGackt(ガクト)が演じている。今までの謙信のイメージと全く違う神秘的な風貌で、毘沙門天を崇拝し道義に厚い謙信の役どころを見事に演じている。
「武士の一文」での木村拓哉の時も驚いたが、このガクトの起用にはもっと驚いた。戦国の荒々しい武将のイメージをどうして出すのだろうか、言葉や起居はうまく出来るのだろうか、いやうまく行くはずがないと半ばたかをくくっていたが、それは私の誤りであった。
彼は今までの謙信とは全く違う謙信を登場させてみたのである。ゆったりとした身のこなしや話し方、目の配り、いずれにしても神がかり的な若き日の謙信にぴったりである。
これからの活躍を楽しみにしている。

  霧晴れて兵の影なき砦かな   英世

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風林火山HPより転載

おめでとう佐賀北高校

甲子園大会で、なんとなんと佐賀北高校が優勝してしまった。
準決勝で隣県同士の接戦を制した佐賀北高校が出ると言うので、その決勝戦を楽しみにしていたが、まさかの逆転満塁ホームランで優勝してしまうとは。心からおめでとうと言うとともに、残念ながら花と散った広陵高校にも素晴らしい試合を有難うと感謝の言葉を贈りたい。
佐賀北高校は故里の筑後川を隔ててすぐ隣の佐賀市にあり、出場校でも数少ない県立普通高校である。選手は全員大学進学を目指しており、野球の合間を惜しんで猛勉強していると言う。また監督も高校生だから勉強が一番で野球はあくまでも二の次だと言っている。
その佐賀北高校がここまで勝ち進んだのはなぜだろうか。学校のグランドにはナイター設備もなく、練習は午後3時ごろから7時過ぎまでしかしなかった。もちろん野球特待生もおらず、ずば抜けた選手もいない。それが優勝してしまったのである。なぜだろうか。
ある解説者が、高校球児は甲子園に来て一戦一戦強くなると言っていた。確かにそうかもしれない。初戦に勝ち、第2戦の延長再試合を勝ち、さようなら勝利ももぎ取ったことで選手に自信が付き、練習通りのプレイが出来るようになったからに違いない。改めて伸び盛りの高校生の力を褒めてやりたい。
プロに行くのもいいだろう。しかしこの高校生だけは全員大学に行き、また大学野球で溌剌としたプレイを見せて欲しいものである。

  はがくれや汗に重たき優勝旗
  かささぎや胸に深紅の優勝旗  英世


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逆転満塁本塁打の副島選手
朝日新聞より転載

「ひしむら」の辛子明太子

先日、お中元にと家内と明太子を買いに行った話をした。
そもそも明太とは朝鮮語のスケトウダラのことで、一般にその子(卵巣)を塩と唐辛子で漬け込んだものを明太子と言う。
「明太子なぜなぜ博物館」によれば、「今や博多土産の代表とも言えるからし明太子は、昭和24年1月10日、戦後の博多・中洲の地で、日本で初めて発売されました。もともとは韓国の食べ物で、韓国では 親魚のスケトウダラとともに庶民の食べ物として親しまれ、特に戦前に釜山に住んでいた日本人の間では「メンタイ」と呼ばれ愛好されていました。これを日本風に味付けし、「明太子」と名付けて売り出したのが、ふくや創業者の川原俊夫氏です。明太子業界を大きくしたいと考えた川原氏は、製法を惜しむことなく広めました。」と紹介されている。
その博多明太子を行きつけの料亭「ひしむら」が製造販売している。
少しPRさせていただくと、昨今輸入物が多い中で、創業以来厳選された北海道産にこだわり、昆布と唐辛子と日本酒で漬けた正真正銘の辛子明太子である。
その味はまろやかでうまみがあり、ビールやお酒のおつまみに最高で私のお勧めの逸品である。もちろんご飯の友としても最高である。

  明太があれば機嫌よ生ビール   英世


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「ひしむら」についてはホームページをご覧下さい。
http://www.hishimura.com/annai.html

山笠法被

添付の写真は何だかお分かりですか。もちろん山笠法被ですよね。
ところが、これは本物の法被ではなく山笠のてのごいを器用に折ったミニチュアの法被である。お中元に明太子をと例の「ひしむら」に買いに出かけた時に、従業員の女性が目の前で折ってくれたものである。もちろんピンも針も糸も使っていない。従って片隅を摘み上げれば簡単にもとのてのごいに戻ってしまう。いわば折り紙のてのごい版である。
それにしても世の中には手先の器用な人がいるものだと感心する一方で、この折方を発明した人はもっと凄いと思った。たった一枚のてのごいから、ちゃんと櫛田神社の紋所が襟元に来るようになっているし、背中には山笠の文字が真中に坐っている。襟口や袖口は白地の直線がポイントになっている。日本人の器用さには驚かされるばかりである。
ふと、柳川のさげもん作りに熱中していた生前の母のことを思い出した。

  山笠跳ねて博多ごりょんの装ひけり  英世


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枇杷の木

一月ほど前に家内が友人から頂いた見事な枇杷の話をしたが、その種を庭に5〜6個植えていた。
今朝水撒きの折、地面をよく見ると枇杷の種から2本小さな芽を出していた。まだ小さな双葉で、懸命に天に向かって手を拡げているかのようである。枇杷は暖地を好むと言うが何もこの暑い中に芽を出さなくてもと思った。時節も考えずに植えた私が悪かったのかもしれない。
枇杷はバラ科の大木で、11月ごろ花を咲かせ、梅雨の頃実を実らせる。従って枇杷の花は冬12月の季題で、枇杷そのものは夏6月の季題である。
頂いた枇杷は大粒に改良されたもので、そのまま大粒の実を実らせるとも考え難い。もしかしたら原木にもどり、小さな実をつけるかもしれない。あるいはまったく実が生らないかも知れない。 
いずれにしても結論は遠い先のことである。

  捨て苗のいつしか天に向かひをり  英世


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甲子園

夏休みと言えば甲子園である。高校球児の祭典が今まさに白熱を帯びてきた。
その高校野球に今年はある異変が起きている。と言うのは九州のチームが予想以上に強く、1回戦を順調に勝ち進みベスト8に3校も残っていることである。中には佐賀北のように延長15回引き分け再試合と言う離れ業もやってのけたチームもある。このまま勝ち続けて九州同士の上位決戦が見られれば最高である。
自分の母校が出ていないとやや関心は薄れるものであるが、今年は違う。いざ見始めると面白くて止められない。地元や西日本の高校が勝ち進めんでいるからでもある。
亡くなられた阿久悠さんも熱狂的な高校野球ファンで、瀬戸内少年野球団なるものまでこさえてしまったと言う。彼の気持が分かるような気がする。
九州勢はどこまで勝ち進んでくれるだろうか、どのような王子様が誕生するだろうか、期待は膨らむばかりである。
ただ一つ気になるのが、この暑さと太陽である。プレイする選手はもとより、スタンドの応援団も熱中症だけには十分に気をつけて、水分をたくさん取り、おかしくなったら遠慮なく日陰へ移動することが肝心であろう。また、指導者もそのように心がけて欲しいものである。

  一球の重さに夏の甲子園  英世

俳句の会「鴻臚」

先週11日の土曜日に俳句の会「鴻臚」の月例会があった。
毎回指導を頂いている古賀先生から、その月の日本の暦について説明を頂いている。8月は立秋、犯土の日、七夕、お盆、大文字焼きなどと日本の美しいしきたりの多い月である反面、原爆忌、終戦記念日と感慨深い月でもある。
句会には毎月季節のお菓子が出るが、今月は葡萄大福で、白い大福の中に巨峰の紫を包み込んだきれいな和菓子で、季節感溢れる上品な味がした。また、今月の兼題は立秋が過ぎたこともあって「秋の蝉」と「芙蓉」だったので、会員のS・Tさんが芙蓉の花とクマゼミを持って来てくれた。教室に飾られて可憐な芙蓉の花をそれぞれじっくり観察したり、蝉を触ったりして自分の俳句と照らし合わせていた。
先生からは芙蓉と木槿の違いについて説明があった。芙蓉も木槿も同じアオイ科の花とあってよく似ているが、葉の形が全然違うし、花びらも芙蓉の方が大きく華やかな感じがする。それにしても俳句の会「鴻臚」も発足してもうすぐ1年になるが、落伍者もなく全員楽しく参加している。有難いと言うか驚くべきことである。
今日の午後はNHK俳句を楽しむ会がある。

  夕べには裏返る身や秋の蝉  英世

私の里帰り

先日、娘と孫の里帰りの話をしたが、今回は私の里帰りである。16日に兄弟7人集まるのが恒例で、今年も無事全員揃った。
故里の停車場西鉄犬塚駅に下り立つと、懐かしい田んぼの匂いが吹き抜けて来た。紛れもなく青々とした稲穂の匂いである。この匂いをかぐと「ああ帰ってきたな」と何十年たっても思うものである。ただし、平日のお昼とは言え降りた客は私を入れて四人だけであった。
駅から裏道を抜け父母の眠る墓にお参りし、実家の門をくぐって仏様に手を合わせた。そこには優しかった父母の写真が掲げられている。
家自体は建て変っているが、その空気は昔と何ら変らない。庭隅の子安地蔵さんも「お帰りなさい。」と言ってくれているようである。庭伝いの田んぼには稲穂の上をたくさんの蜻蛉が飛び交っている。かささぎもツートンカラーを見せびらかすように飛んでいる。くどいようだが、昔と何ら変らない。
帰りは約束通り母校の小学校に立ち寄った。いつか紹介した「へらの木」も久し振りと言ってくれた。なにげなしに鉄棒にぶら下ってみたら、自分の体がびくともしない。昔はこの鉄棒で蹴上がりも大車輪もしたものだが。歳は否応なしに私を置き去りにしていく。
残念ながら好物のくつぞこにはありつけなかった。

  たらちねの子安地蔵や稲の花  英世


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最後の日本兵

15日のHV特集で「行き抜く小野田寛郎・ルパング島と過酷な人生の真相」と言うインタビュー番組を見た。
貿易商から陸軍中野学校を出て、フィリピン・ルパング島に遊軍指揮、残置謀者という聞きなれない命令を受け、30年間もジャングルに潜み最後の日本兵として戦った男である。
日本に帰った彼を待ち受けていたのは日本人独特の偏見、特にマスコミの「本当に一人でルパング島に居たのか、フィリピン女性と暮らしていたのではないのか、本当に敗戦を知らなかったのか、軍人精神の権化、軍国主義の亡霊」と言った卑しい中傷であった。このことが美しい国であるはずだった日本に嫌気が差し、ブラジルへと旅立って行くのである。
彼は帰国すると天皇や首相との面談も断り、先ず最初に戦死した部下の島田、小塚両兵士の墓に詣で、自分だけが生き残ったことを詫びている。また、全国から寄せられた見舞金も全額靖国神社に寄付し、後年青少年の健全育成のために、サバイバル塾「小野田自然塾」を主催している。小野田寛郎とはそのような男である。
彼の言葉からいくつか取り上げてみよう。
小塚上等兵が戦死した時山を下りようとは思わなかったのかとの問いに、「むしろ逆で復讐の鬼となった。それが人間の本能でしょう。」探しにきた鈴木紀夫青年には「彼が全く無防備だったので逆に信用した。」「負けることが嫌いで、負けじ魂だけが支えだった。」「中国に3年、ルパングに30年、ブラジルに30年住んでいる。日本に骨を埋めるかどうかは決めていない。ただ自分の墓を他人に踏み荒らされるのは嫌である。」「金属バットで親を殴り殺した少年がいたが、殴り殺す前に家を出ればよかった。今の子にそのような気概はないのか。」「人間は先天的なものと時代そして後天的なものとで生きており、その節理には逆らえない。」
彼も既に83歳になる。彼に最後の日本兵の称号はふさわしくない。むしろ最後の日本人の称号を贈りたい。

  動かざる流燈になを想ひ馳せ   英世

孫たちがやって来た

昨日の14日、子供たちが孫娘を連れてやってきた。
それぞれ婿の実家、嫁の実家に帰ってから私のところを訪ねてくれた。いつまで立っても日本の盆は大変だな思うのだが、迎える方はこれがまた嬉しくて仕方がない。
孫と言っても一人は中学一年生、一人はやっと生まれて半年とかなり歳が離れているが、それでも年上の鈴花は私の従妹であり、妹だと目の中に入れても痛くない可愛がりようである。爺婆としてはそれがまた微笑まし限りである。愛莉もそれに応えて昨日は泣くこともなく、時々奇声を発して愛嬌を振りまいていた。
早速食事が始まった。持ってきてくれたお土産に用意した肴とご馳走は十分である。本来は祖霊の魂を静かに見守るのが筋であろうが、楽しく騒いでやるのも祖霊を安心させることになると、私流の理論でいやがおうにも盛り上がった。
ビールにワイン、焼酎と家中にあるお酒を全部出して、例の伊万里で買った器も初お目見えであった。この子達の幸せを祖霊に祈りつつ夜は更けていった。
それにしても今朝は少々頭が重い。今晩は断酒だな。

  盂蘭盆会戦なき世を頼みけり   英世

天国と地獄

昨日から明日までお盆である。
お盆は盂蘭盆と言い、広辞苑によると、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、旧暦7月13日〜15日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈る。一般には墓参・霊祭を行い僧侶が棚経に廻るとある。現在は地方によって違うが概ね8月13日〜15日にお盆をするところが多い。
ふと、例のかえる寺の原田住職の天国と地獄の法話を思い出した。
ある男が閻魔様に、地獄と天国の両方を見たいと言うので閻魔様が許され、先ず地獄を見なさいと地獄に落とされた。そこには豪華でおいしそうなご馳走が並んでいたが、そこに居る人々は一人も楽しそうな顔をしていなかった。よく見ると長い箸が添えてあり、人々は長すぎて食えないと不平を言いながら痩せこけていたのである。
男はその後極楽に連れて行かれた。そこには同じように豪華なご馳走に長い箸が添えてあったが、人々は皆ふくよかで楽しそうな顔をしている。よく見ると人々は長い箸を上手に使い互いにご馳走を食べさせ合っていたのである。
地獄も極楽も人を労る気持次第である。「わしがわしが」では天国にはいけないと言っているのであろう。優しかった父母はきっと天国にいると信じて止まない。
今晩は子供たちが孫を連れて集まる。どんなご馳走が出るか楽しみである。長い箸ではないと思うが。

  蓮咲いて静かに風の浄土かな  英世

里帰り

昨日の早朝、娘と孫の鈴花が延岡に里帰りすると言うので、天神バスセンターまで送っていった。
聞けば高速バスで延岡まで行くと言うことである。旦那は既にマイカーで帰っており向こうで合流してとんぼ帰りで帰ってくるらしいが、渋滞に巻き込まれなければよいのだが。
それにしても日本全国盆、正月の大移動はいつまで続くのだろうか。アメリカやヨーロッパそれにお隣の中国、韓国にもこのような習慣があるのだろうか。
結婚したての頃、福岡と家内の実家の大分をよく往復したものだった。冷房もない軽四に家族四人を詰め込んで、6時間も掛かった。子供は車酔いと暑さで青菜に塩の状態、家内は目が引きつっている。私はと言えば、無言で抜け道ばかりを考えていた。同じ福岡から嫁を貰わなかった報いであった。
九州のそれも隣の県でさえこうなんだから、遠距離移動の家庭は大変であろう。よく狭い日本、そんなに急いでどこへ行くと言うが、北海道から沖縄まで日本は決して狭くない。労力もさることながら、出費も大変だろうにと思いつつ、これも経済効果の一つかなと思ったりもした。

  秋風や長くて遠い道のある  英世

お盆

昨日の土曜日から世間一般ではお盆休みであろう。
中には夏期休暇と称して連続2週間以上も休みのところがあるが、私の勤務先は社団法人ということで、官庁と同じく暦通りの勤務である。とは言えお盆に電話をかけてくる人も少なく、交代で当番と言うことになり私の出番は14日に決まった。
既に両親が亡くなって10年近く立つのだから、今更盆参りもあるまいと思うのだが、純日本人の私にはそれが出来ない。何がしかの供物を携えいそいそと考妣のもとに帰り手を合わせるのが楽しくて仕方がない。また故里の小学校に寄り、昔を懐かしむのもいつものことである。
今年もまた兄弟7人が揃うことだろう。現役の頃は羽振りのよさも一つの自慢であったが、今では静かに兄弟の話を聞く好々爺になってしまった。これも人の世の慣いであろう。今年は何をご馳走してくれるのだろうか。出来ればくっぞこなどの有明海の魚を食べたいものである。

 迎火や仏とくぐる実家の門  英世

蚊帳

夏の懐かしいものに蚊帳がある。
昔はどの家にも蚊帳があった。家族全員か半分ずつに分かれて寝転がったもので、姉の膨らみ始めた胸を垣間見たり、弟と足で蹴りあったりとまるで子供の夜の遊び場でもあった。
当時は下水設備が整っておらず、家の周りは蚊の温床で、それこそ音を立てて来襲すると言う表現がぴったりするほどであった。神経質な父は蚊帳の中に蚊が入るとろうそくの火で、焼き殺すまで追いかけた。母は危ないから止めろと言ったが父は決して止めなかった。よほど蚊が嫌いだったのだろう。確かに耳元でぶ〜んと来たら眠れたものではないが。
とは言え蚊帳に入ったことのない人にはわからないだろうが、蚊帳と言うのは意外と暑いものである。縁側の雨戸を開け放ち少しでも風を入れるようにするが、それでも眠り込むまで団扇を手放すことはなかった。夜通し開けっ放しにしていても強盗の心配もない、長閑な田舎の時代だからこそ出来たことであろう。
夕立がして雷が鳴ると全員で蚊帳の中に退避していた。これは蚊帳が雷を避けるのではなく、家の真中が一番落雷の危険が少ないことからそのような習慣になったのである。今は蚊帳のある家などほとんどなくなってしまった。

  蚊帳の裾払ひし姉の胸蕾む 英世

暑気払い

秋の声を聞いても暑さは一向に納まりそうにない。
そんな中、昨夜台風で延期になっていた職場の暑気払いをした。暑気払いとはいっても実際は暑さの憂さ晴らしで飲めや唄えやの大騒ぎに変りはない。
ふと昔の暑さ対策はどうしていたのかなと考えてみた。今でこそ各家庭ともエアコンをかけっぱなしで、自然の風に涼を求めることは少なくなったが、子供の頃は扇風機があればましなほうで、それもなければ青田の上を吹いてくる涼風に身を投げ出すしかなかった。
往還沿いに水を打ち、バンコ(語源はポルトガル語らしい)と言う縁台を出して、近所の子供や大人たちが寄り集まって涼を取ったものである。大人は団扇を使いながら農作業や祭りのことを話し合う、一種のコミニュケ−ションの場であった。子供たちは小石を集めて石遊びをするのが通例で、私は今でもその石遊びのルールを覚えており、もしかしたら実際に出来るかもしれない。
素朴な懐かしい思い出である。それにしても今日も暑くなりそうである。

  脳味噌のふつと煮へ立つ暑さかな  英世

秋のはなごよみ(初秋)

四季花ごよみから初秋の花ごよみをひもといて見た。
「朝夕のかすかな涼気に忍び寄る秋の気配が感じられる。炎暑を耐え忍んだ花々も、そよ吹く風にようやく生気を取り戻す。」と書かれている。
初秋の花は先ず朝顔から始まる。朝顔と言えば何となく夏を連想させるが、俳句では秋の季題となっている。旧暦の七夕祭りの頃に咲くことから、牽牛花と言う名も頂いており、先人の想像力の豊かさに感心するばかりである。ちなみに朝顔はユウガオ科である。
そのほかでは、芙蓉、木槿、鳳仙花、白粉の花など、夏のぎらぎらとした花とは違い、いずれもしっとりと落ち着いた美しい花たちである。
鳳仙花は田舎ではつまぐれ(爪紅)といって、子供の頃母が花を手で揉みつぶし姉たちの爪を赤やピンク色に染めてやっていたことがある。また、白粉の花はイタリア旅行の折、ナポリから種を持ち帰り庭に植えてみたら見事に咲いてくれた。その花は今も以前住んでいた家に咲いていると思うが。
そういえば今月の俳句の会鴻臚の兼題は「芙蓉」である。近くの樋井川沿いでは、芙蓉の花が今を盛りと咲いている。

 潮の香の吹き抜く川や夕芙蓉  英世

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植物園HPより転載

立秋

8月8日、今日は立秋である。
この日から暦の上では秋ということになるが、昨日もお話ししたように大犯土のど真ん中で、実際はまだまだ暑い日が続く。
俳句の世界でも立秋は夏と秋の分かれ目で、夏と区別するために自然界のさまざまな物象に「秋の」と冠を付けて秋の季題として詠むことになる。ちなみにホトトギス歳時記で「秋の」が付く季題を探して見たら、秋の雨から秋の宵まで、なんと37個もあることが分かった。
今、早朝から鳴き時雨れている蝉も厳密には秋の蝉と言うことになるが、実際に鳴いている油蝉やクマゼミからは秋を連想することは出来ない。それでも蜩や法師蝉が鳴き出すと急に秋めいてくることから、彼らは単独で秋の季題となっている。
秋の蝉は、単に立秋以降に鳴く蝉だからと言うのではなく、夏の蝉に比べて何となくその鳴き方や死に様に秋らしい哀愁を漂わせるようになるものである。
秋の蝉、つくつくぼうし、私の好きな季題の一つである。

父母につくせつくせと法師蝉  英世

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原爆忌

昭和20年8月6日広島に、そして9日長崎に投下された原子爆弾によって、二十万人以上の尊い命が奪われた忌日で、夏の季題になっている。
原爆の恐ろしさや愚かさは今更言うこともないが、入社後しばらく長崎に居たし、担当エリアとして度々広島を訪れたことから、より切実に感じるのである。
投下後15年以上も立った長崎の街は、その痕跡を徐々に薄れさせていたが、会社の上司や町の人々の話の中から、家族を失った人々の悲しみやその悲惨さを、身に沁みて知らされ共に涙したものである。また街のいたるところに残された恐怖の痕跡は私の脳裡から消えることはなかった。
昨今、ややもするとそれを風化させようという空気が感じられ、とんでもない発言をする大臣まで現れた。彼らには映画「ひろしま」や「火垂の墓」を見せるがよい。それで何にも感じなければ彼らは人間ではない。
私はイデオロギーをとやかく言っているのではない。人間としてこの世にこのような馬鹿げたものが存在してはならないと言っているのである。
平和への祈りを込めて次の句を贈りたい。

  原爆忌昭和よ何の誇れるや
  原爆忌この時歴史動きけり  英世

かえる寺

俳句の先生に教わったのだが、昨日の日曜日は庚午で犯土(つち)の日といって、土いじりをするなという日であった。中でも8月上旬の庚午から丙子までの7日間を大犯土といって特に戒めている。あまりの暑さに体調を壊すことを恐れた先人の知恵であろう。
土はいじらなくても水撒きと草取りぐらいは良かろうと朝涼しいうちに済ませ、猛暑の中「かえる寺」に向かった。それこそこの大犯土の暑さの中、今なぜかえる寺に行かなければならないのだろうか。言い出したら聞かない家内には時々閉口する
かえる寺は福岡県の小郡市にある「如意輪寺」の別称で、その名の通り蛙の置物がいたる所に据えられている。山門には仁王像ならぬ仁王蛙が鎮座まし、蛙の七福神までいた。ご本尊の次に蛙を大事にしている理由は、原田元秀住職が中国に行った時に無事に帰る(かえる)と縁起を担いだのが始まりという。その後お寺らしく、人間生き返る、甦るに結び付けて悟りを語りかけたのであろう。
境内の板書の中から少しばかり紹介しよう。
 人間生まれて来るには意味がある。
 人間本気になると世界が変わってくる。自分が変わってくる。
 人から喜んでいただくことが本当の喜び。
 生きることとは人間の美しさを失わぬこと。

 長々とかはづ談議やかへる寺   英世

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鑑真和上

先日、福岡市博物館に妻と鑑真和上展を見に行った。
福岡市博物館は図書館の隣にあり、常設展示館と特別展示館がある。常設展示館はご多分に漏れず福岡の歴史、つまり故郷の生い立ちが数々の考古品と共に紹介されている。目玉はもちろん海外貿易の拠点だった古代那の津(博多)の繁栄振りと金印の展示である。
さて、肝心の鑑真和上であるが、鑑真は5度の渡航に失敗し、753年12月10日、6度目の渡航でやっと日本に辿り着いた唐の名僧で、日本における律宗の開祖でもある。鑑真が初めて日本に上陸したのは、鹿児島の坊の津でその間なんと10年を要し、目も見えなくなったと言う。上陸後しばらく大宰府に滞在し、その後瀬戸内海から難波津(大阪港)を経て念願の平城京に辿り着いたのである。
律宗は仏教で一番大事な戒律を授けるもので、鑑真は唐招提寺を拠点として各地に戒壇院を作り、この戒律を授けることに努めた。大宰府観世音寺の戒壇院もその一つである。
昔訪れた唐招提寺で拝むことが出来なかった鑑真和上の坐像を、展示会で初めて拝ませていただいた。静かに目をつぶる柔和なその表情は私の心を和ませるだけでなく、自然と経文を唱えたくなる崇高なお顔であった。
今日は今から家内の希望で「かえる寺」に行く予定である。どのような寺か後ほどのお楽しみに。

鑑真も吹き流されし野分かな   英世

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揚羽蝶

台風一過、庭先を揚羽蝶がゆったりと飛んでいた。
本来揚羽蝶は春の季題であるが、なぜか夏の蝶の様な気がする。揚羽の色が原色に近く何となく夏の暑さを連想させるからであろう。
図鑑で揚羽蝶の種類を調べてみた。
一般的によく見られるのはナミアゲハで、羽を広げると黒と青のコントストが美しく橙色のポイントが良く似合う。そのほかにもキアゲハ、カラスアゲハ、モンキアゲハ、アオスジアゲハ、ウスバアゲハなどが代表的な仲間である。昨今よく見かけるのはナミアゲハとアオスジアゲハで、昨日見かけたのはナミアゲハであった。
またこの揚羽蝶は武家の家紋としてもよく使われ、言わずと知れた平氏の家紋、そして戦国の織田信長もこの揚羽蝶を家紋としていた。句友の左輝さんによると、揚羽蝶の家紋は滅び行く運命の家紋かもしれないと言っていた。同紋の他家には申し訳ないが、こと平氏と信長を見る限りではそのような気がしなくもない。
今日は、午後から博多リバレーンのNHK俳句を楽しむ会に出かける予定であり、夜は地域の夏祭りである。

  生き死には武門の慣ひ夏の蝶   英世


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ナミアゲハGoogleより転載

冬野八月号

昨夜は博多駅前の都ホテルで職場の暑気払いの予定であったが、台風5号の接近で延期になった。飲むと決めていたものが飲めなくなるとなんだか大きく損をしたような気分になる。
今朝はまだ台風一過の爽やかさとはいかず、先ほどまで叩きつけるような烈しい雨が降っていた。
俳誌冬野8月号が手元の届いた。今月の入選句を紹介しよう。

 粽噴き青き匂ひの立ち込めぬ
 名水に浸す掌新樹の香
 風穴の風心地よき新樹かな
 幟立て世が世ならばと口癖に
 職退いて海亀守となりしとか
 母の日や如何に妻子を遊ばせむ
 母の日や子の作文を読み返す     英世

海水浴

夏休みの真最中とあって海水浴の話題が新聞を賑わせている。
ところが新宮沿岸に数百匹の鮫とえいというとんでもないお客さんがやってきた。おそらく餌の小魚を追っているうちに迷い込んだのであろう。鮫はシュモクザメで比較的大人しいとのことであるが、それでも遊泳禁止となってしまった。
子供の頃は海のない村に住んでいたので、社会人になるまで海で泳いだことはなかった。子供が生まれ、家族で海水浴に行くようになって海との係わり合いが深くなったが、今でも海での泳ぎは苦手で、沖に行くことは絶対にない。
海と川や池の違いははっきりしている。海は塩水で浮力があるし、波が大きくその波を乗り切るのに苦労する。一方川の水は冷たく流れが速いので、瀬を避けて緩やかなところで泳ぐことが多い。池の水は流れがないか、あってもゆったりしているので生ぬるくぬめっとした感じで、水から上がると全身ぬるぬるした感じがする。
私は川での泳ぎが大好きだった。故里の近くに舟小屋という町があり、矢部川の清流が流れている。里帰りしたときには子供たちと連れ立って泳いだり、川魚を釣って遊んだものだ。
今ではその子供たちも大きくなってしまった。もう一緒に泳ぎに行くことはあるまい。

  もう泳ぐことなき海や夕日映ゆ   英世

八月

今日から8月、暦の上では秋であるが、実際は8月8日の立秋からを秋と呼ぶ。
そういった意味では高校野球の甲子園大会も前半が夏で、後半は秋ということになるが、やはり夏の甲子園大会と言ったほうがぴったり来るような気がする。
8月は旧暦の7月で文月とも言われ、実際は暑さの最も厳しい時期で、体力も衰えやすく何かと気を配らなければならない月で、台風もすぐそこまでやって来ている。
また、8月は大きな花火大会や旧暦の七夕祭り、お盆の祭りと日本の美しい原風景を残す月で、子供たちには夏休みと共に忘れられない楽しい月の一つであろう。
とは言え、朝夕の幽かな涼風に、忍び寄る秋の気配を感じるのもこの頃であり、山には既に萩の花が咲き始め、野山全体に生気を取り戻す月である。今朝は庭の花の上に小さなバッタを見つけた。

  海を見て帰り来たるや夕とんぼ   英世

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