今日で八月が終わる。それにしてもなんと行事の多い月だったことだろうか。
先ずは北京オリンピック、そしてお盆、敗戦忌、原爆忌、同窓会、句会、温泉とひっきりなしに行事があり、私の胃袋は一時も休ませて貰うことが出来なかった。
特に四年に一度の同窓会はお互いが歳をとって来ただけに、私も含めて今会っておかなければどうなるか分からない人ばかりである。その人たちに再会できたことは無上の喜びであった。
またオリンピックでは日本人の活躍に勇気を貰った。スポーツは本人の知力、体力を伸ばすだけではなく、人の心を動かす不思議な力を持っている。そういった意味ではスポーツも芸術と言えるのかもしれない。
異常と思われる暑さでもあった。ここ福岡では連日30℃以上の猛暑日ばかりで、人間はもとより犬や猫の動物も顎を出していた。このような暑さには必ずと言っていいほど夕立があり、稲光と雷鳴に子猫は部屋の隅にうずくまっていた。
とは言え、新しい仕事にも慣れ心身ともに好調である。やや夏ばて気味であるがビールも美味いし食欲も旺盛である。
今夜も一杯傾けてこのまま好調を持続し九月に入りたいものである。
八月や慙愧に堪へぬことばかり 英世
昨日は話の通じる相手でないことは重々承知の上で、憤懣やるかたなく思いのたけをぶっつけてしまいました。
今朝は現実に戻って一句の風景です。
寂びしさにぷいと種吐く西瓜かな
2006年のNHK俳句で、矢島渚夫先生選の入選句である。
ある時久し振りに三日月形の西瓜にかぶりついた。この頃は西瓜と言えば小さく切ったものを1、2個食べるのが普通であるが、この日は何故か大きいまま食べて見たくなった。夕涼みがてらに窓を開け放ち、大きな月を眺めながら食べていると、ふと子供の頃を思い出した。
子供の頃は冷蔵庫などなく丸のまま冷たい井戸水に冷し、母が家族の数だけ切ってくれた。7人兄弟に祖母までいる大家族で、どの西瓜が自分に廻ってくるのか目を凝らして見つめたものである。そういった意味では西瓜は一家団欒の象徴的果物であったかもしれない。
その母も今はなく、西瓜を食べながら母のことをあれこれ考えていると、急に懐かしさ、寂しさがこみ上げ、訳もなくぷいと西瓜の種を吹き飛ばした。
2006年(平成18年)8月「季題:西瓜(秋)」
ここ日本は秋の気配が日一日と濃くなって参りましたが、御地アフガニスタンは如何でしょうか。
さて、今日は最高指導者であるあなた様に、ひとこと申し上げたくてこうしてペンを執りました。
と申しますのは、貴国アフガニスタンの平和と安定、そして一日も早い復興を願ってはるばる日本から支援に赴いた青年が、残念ながら何者かに射殺されたことであります。
遠く日本にいて本当のことは分かりませんが、貴同志の誘拐が原因であることはあなたも認めておられます。あなたは誘拐の事実を認めながらも殺害は否定されているようですが、いずれにしても最初の誘拐行動がこの結果を招いたことに、何ら言い逃れは出来ないでしょう。
最近日本では「誰でもよかった」という愚かな事件が起きておりますが、まさかあなたまでが「外国人なら誰でもよかった」などと、そのような幼稚なお考えをお持ちではないでしょう。
彼は戦闘要員でもなく物見遊山で貴国を訪ねたわけでもありません。真にアフガニスタンのことを思い、種や苗を植え水をやるなど額に汗して働き、住民の方にも愛されていたのです。
そのような日本人のしかも民間人をなぜ誘拐し、殺害しなければならなかったのでしょうか。自分はあずかり知らぬとおっしゃるのなら、あなたの同志に対する統率力、指導力は何なのでしょうか、その責任は問われなければならないでしょう。
あなたは亡くなられた彼の両親、家族、友人の悲しみ、そして日本国民の声をどうお聞きになりますか。
彼は好きだったというマグロの刺身をもう食べることは出来なくなったのですよ。息子の代りに残された母親に食べろとでも言うのですか。喉を通るわけがないでしょう。
あなたの両親や子ども、家族が同じ目にあったら、涙を流さずにすませることが出来ますか。もしそうなればあなたは銃を持って立ちあがるでしょう。しかし彼の母親は、銃はおろか復讐心さえ封印させてしまっているのです。
あなたが信ずる神はあなたのまたは同志の行動を、よくやったと誉めてくれるでしょうか。決してそのような神がこの世に存在するとは思えません。
あなたが真にアフガニスタンのことを思い、民衆の救済を願うのであれば、それは武器を取ることではなく、ペンや口で説得し、そして種を蒔き水をやることではないでしょうか。
どうかこのような愚かな行為を二度となさらないように、切にお願い申し上げたくて遠く日本よりペンを執りました。なにとぞご一考下さい。
今日は俳句を詠む気にもなりませんので吉田松陰の歌を贈ります。あなたにこの歌がご理解いただけることを祈ります。
親思ふ心にまさる親心
けふのおとづれ何ときくらむ 寅次郎
― タリバンの友達の友達のそのまた友達より ―
先日の朝日新聞朝刊の「声」の欄に「子ども相談に私も興味津々」という投稿があった。何のことだろうとよく考えると、NHKラジオの夏休み特集で、20年以上も続いている「夏休み子ども科学電話相談」のことだった。
私は仕事の日の朝は車を使うことが多いが、ラジオはNHKに入れっぱなしであり、この時期丁度この番組が放送され、私も興味津々で聴いている。
常日頃私たちにとっては何の変哲も無いことでも、子どもたちには不思議の世界であり真剣に聞いてくる。その解答者とのやり取りが面白くつい引き込まれてしまうのである。
もちろん、中には大人の私達でさえ知らないような質問があり、解答者が子供向けに分かりやすく解説することが大いに参考になる。
ついこの間は、野菜のオクラには緑のほかに赤や黄色があるのか、また切り口は何故星型をしているのかという質問があった。赤や黄色もあるし種が5個あるので星型をしていると解答した後で、オクラの花は野菜の花の中で一番美しい花だから是非見てごらんと教えていた。
私もオクラの花は見たことがなく早速調べてみた。確かに朝顔や芙蓉に似たやわらかく美しい黄色の花であった。
このように、大人にとっても格好の話のネタになることが多い素晴らしい番組である
宿題も第四コーナー夏休 英世

オクラの花(季節の花300より)
秋刀魚は秋の代表的な魚で、これからが旬である。
私たちの子供の頃は、秋と言えば秋刀魚で、庭先で焼く秋刀魚の煙と独特の匂い、それだけで空腹を誘ったものである。
私が秋刀魚の刺身を食べたのは、東京転勤後の仙台出張が最初であった。それまで秋刀魚と言えば塩秋刀魚ばかりで、秋刀魚の刺身など考えたこともなかったが、今では流通技術が発達し、九州でも生の秋刀魚が食べられるようになった。有り難いことである。
ところが一昨日スーパーに行って驚いた。私は家内と毎日のように買い物に行き、必ず魚屋を覗くので、たいていの魚の相場は分かっている。ところがその私が驚いたのである。
昨年までなら、300円も出せば美味しい秋刀魚が二人で山ほど食べられたものだが、今年はそうは行かない。取れたての生とは言え一昨日は1匹200円と大幅に跳ね上りしていた。が、さすがに売れなかったのか昨日は120円に値下がりしていた。
秋刀魚そのものが獲れなくなったのか、それとも燃料代の高騰で獲っても採算が合わないのか、あるいはその両方かもしれない。
このような大衆魚まで庶民の口に入り辛くなってきている。福田さん、麻生さんどうにかしてよ。
と言うわけで、昨夜はどうにか一匹120円の秋刀魚にあり付くことが出来た。
秋刀魚とて我が食卓に上らざり 英世
北京オリンピックを見て、日本のお家芸について考えさせられた。
先ずオリンピック柔道であるが、金メダルの数をどう見るかは人によっていろいろあると思うが、私が気にしているのは、そんなことよりも柔道の国際化に伴う美意識の崩壊にある。
柔道はもともと堂々と組み合って相手を倒す武士道の美が底辺に流れていた。その精神が崩壊し点数稼ぎの姑息な猫の手の引っ掛け戦法や、いきなり飛び込んでの足取り攻撃、そして時間稼ぎの卑怯な逃げに終始している。まさに柔道着を来たレスリングに見えて仕方がなかった。
また、オリンピックとは関係ないが、大相撲の凋落も目にあまるものがある。外国出身力士の習慣やマナーの問題は今までも幾度となく取り上げてきたが、今回はとうとう大麻吸引という決定的な事件を引き起こしてしまった。
力士も力士なら親方衆も親方衆である。自分の部屋の力士がどこのマンションに住んでいるかも知らぬようでは、相撲部屋とは言えないしまともな指導が出来るわけが無い。
先ず外国出身力士は土俵に上げる前に、日本の学校にきちんと通わせ、日本人としての最低限の教養と自覚を備えてから、番付に載せることも考えるべきではなかろうか。
それよりも何よりもソフトボールの上野投手の熱投ビデオを、新弟子教育の教材に取り入れた方がより効果が上がるかもしれない。
桐一葉落ちて苦難のお家芸 英世

大気汚染やテロが警戒された北京オリンピックが終わった。
開会式の豪華なデモンストレーションに疑問を感じつつも、何とか無事に大会が進行して欲しいと願っていたが、表面上はどうやら無事終了したようである。
表面上はというのは、チベット自治区の混乱を力で押さえ込んだり、テロの脅威にさらされたりと、内部には幾多の問題を抱えたままであった。平和の祭典の成果が果たして中国国民の平和と繁栄にどれだけ支えになるのか疑問だと言わざるを得ない。
それはともかくとして、日本選手はよく頑張った。特にソフトボールの上野投手には、感動のあまり家内と涙を見せ合ったものである。驚異の連投、精神力以外に何があるといううのだろうか。このほかにも女子柔道、レスリング、卓球の愛ちゃんと大和なでしこの活躍は忘れることが出来ないであろう。
男子は日本男子陸上トラックの80年ぶりの銅メダルである。400メートルリレーで、日本選手の流れるようなバトンタッチは、4人の気持が本当に一つにならない限り到底なしえなかったであろう。
本当のスポーツとはこのように人を感動させることではなかろうか。いろんなことを教えられた感動溢るる熱い北京が終わった。
感動の大和なでしこ夏五輪 英世
四年に一回、つまりオリンピックの年に高校の同窓会をすることにしており、今年は、今まさに北京オリンピックが終わろうとしている昨日、福岡市の中華料理店「八仙閣」で開催された。
卒業して48年、よくもまあこれだけ長く同窓会が続いたものである。学校は久留米市にあるが、卒業生は全国に散らばっており、中にはアメリカに住んでいる人も居る。福岡とその周辺にも30人ほどが元気でいる。
この日集まったのは88人で、やや女性の出席率がよい。現存の卒業生約250人(物故者30人)からすれば少ない感じもするが、先ほど言ったように同窓生は全国に散らばっているので、そう簡単には出てこられないのであろう。
出席してくれた女性陣の一部をご紹介しよう。
何時までも昔の面影を残すH・Hさんは、毎月、自分の俳句を私にメールで送り添削を依頼してくる。その上達振りは目覚しく、そのうち私の手から離れていくことであろう。
毎回ブログを読んでくれるH・Nさんは遠く神奈川県から来てくれた。ユニークなブログのコメントが嬉しい。
踊りのお師匠さんのY・Nさんは相変わらず立ち居振る舞いが美しい。炭坑節の総踊りでは率先して踊ってくれた
子供好きで仮装名人のT・Tさんは、今年も楽しいパフォーマンスで皆を喜ばせてくれた。
今でも文学少女のままで、書が得意のY・Oさんとはその話で私といつも盛り上がる。
皆さんそれぞれに個性があり楽しい仲間である。
この日は当然の如く青春時代の懐かしい思い出話が中心で、時として持ち上がる孫や病気、年金、老後の話などはほとんど出てこなかった。これもお祭の同窓会だからだろう。
まもなく卒業50周年を迎える。何か記念の行事をしようと話が持ち上がっていた。そして4年後は古希、果たしてどのような再会がまっているか今から楽しみである。
鰯雲あの娘も六十路半ばかな 英世


久留米音頭の総踊り
この残暑で少々夏ばて気味である。
と言って別に食欲が減退しているわけでもなく、相変わらずがんがん飲んでいるので、家内や友人は信じてくれないが、何となくだれ気味であることに違いはない。精神的夏ばてとでも言うのだろうか。
昔から冬瓜や茄子は体を冷す効果があることが知られていたが、こうなってはそれどころではない。弱った体力を回復させるのが急務なのである。
テレビで夏ばて回復(予防ではもう遅い)の食べものについてもっともらしく解説していた。例の売れっ子タレントM・M氏の人気番組であるが、私はあまり信用していないので、インターネットで夏ばて解消の食事について調べてみた。
まず、うなぎ。これは昔から言われているもので、鮨屋でもこの時期アナゴのほかに鰻も出してくれる。つまみでもよいし、にぎりにしてもよい。家内の作るひつまぶしも絶品である。
そのほかにも、豚肉、レバー、唐辛子、カレー、にんにく、ねぎ、にら、お酢、レモン、オレンジ、梅干などなどたくさんある。近いうちに、夏ばて解消に豚肉と梅干入りの冷汁でも食べようかな。もちろんがんがんに冷えたビールと焼酎のロックが先ではあるが。
今夜は久し振りに高校同窓会がある。食べ物に頼るだけでなく、気分を発散させて夏ばてを解消したいものである。
冷汁に命永らふ思ひかな 英世

宮崎の冷汁
漆黒の闇の草原銀河濃し
同窓会の旅行で、久住高原を訪れた。ホテル裏の草原に寝そべり星空を眺めていると、満点の星の中に雄大な天の川が流れていた。都会住まいでは天の川を見ることもなく、その神秘さに大いに感動し、その感動の趣くままに詠んだ句である。
この句は伝統俳句協会「インターネット俳句」で浅利恵子先生の特選に選ばれたもので、拙い私の説明よりも先生の評をそのまま紹介しよう。
近年の都会の空は、街の灯が明るすぎるのか星も見えなくなって来た。無数の細かい星が寄り集まって、雲のように横たわっているのが天の川で、銀河とも言う。
かって、三瓶高原や曽爾高原を訪れたときの美しい星空は忘れられない。怖いほどの漆黒の闇の高原に仰向けになっていると、身ほとりに満天の星が降り注ぎ、手を差し伸べるあたかも星に触れているような錯覚に陥るものであった。
この句も広々とした高原で見た銀河の美しさが詠まれている。漆黒の闇の草原に立ち銀河を仰いでいると、人間の世界から宇宙の世界に引き込まれて行くような心持ちになる。人間もまた大自然の中の一粒の砂のように小さい存在であることが実感される。
「銀河濃し」と言い切ったことで、作者の心の昂ぶりが感じられる。
2006年(平成18年)8月「季題:銀河(秋)」
携帯に着信記録があった。会議中はマナーモードにしているのでどうやら気づかなかったらしい。
開けて見るとS・M女史からであった。彼女とは小笹句会からの古いお付き合いで、度々ご自宅に招かれて句会を開いたこともある。
以前何度かお話した小笹句会は、小笹公民館で月一回開かれる地域の句会で、私もこの春まで参加していたが、仕事の関係で平日はどうしても都合がつかなくなり、目下休会中である。
その彼女から、20日に久し振りに小笹句会で夜の句会をするので、参加しないかとの誘いであった。夜の句会とはつまり飲み会を指している。無論私に依存があろうはずもなく、昨夜その句会に参加した。場所は行き付けの焼鳥屋「黒田天狗」で私が手配した。
句会には先生を始め懐かしいメンバーが揃い、総勢6人で早速句会を始めた。酒の席の句会では皆さん気分が高揚するのか、ユニークな句が多く、なかには愛だ恋だとなまめかしい句まで飛び出す始末である。
かくして俳句とお酒と笑ひの夜はいつ果てるともなく延々と続き、やがてお開きとなった。
映画であれば、窓を通す薄ぼんやりとした秋の灯を遠くに退きながら、フィナーレの文字が浮かび上がると言ったところであろうか。
夫偲ぶ君の横顔夜の秋 英世
あまりの暑さにほとんどバスタオル一枚で寝ているが、今朝は久し振りに肌寒さを感じて目が覚めた。
庭に出て見るとヒンヤリとした涼しさでようやく秋近しを思わせる。俳句の世界ではこのような涼しさを新涼と言い、夏の終わりを予感させるが、どっこいそう簡単には行くまい。

話しは夏に戻るが、夏の代表的な花に向日葵がある。向日葵は太陽にあわせて顔を回すと言うが、実際に回るのは莟の頃までで、大きくなったらその花と種の重さで回らなくなるらしい。
その向日葵によく似た花に姫向日葵がある。近所の歯科医院の庭にたくさん咲いているが、図鑑によると、姫向日葵は向日葵同様北アメリカ原産のキク科の植物で、明治時代に日本に渡来したとある。
花も背丈も向日葵より一回り小さく、枝分かれして数個の花を咲かせている。葉や茎には全体にエーデルワイスのような白い毛がびっしりと生えており、繊細な感じながら暑さにも強く、花期も長いのが特徴である。
畑や草原に一面に広がる向日葵の大群も壮観だが、庭の片隅に遠慮がちに咲く姫向日葵もなかなか趣がある。
ちなみに向日葵は夏の季題であるが、姫向日葵に関しては独立した季題はなく、向日葵と同化して詠んでも良いであろう。
大濠公園でその向日葵の花の莟を切った馬鹿者が居ると聞く。何のための嫌がらせか、単なる目立ちたがり屋か、いずれにしても嘆かわしい日本になったものである。
向日葵や己が重さに伏目がち 英世
今月の俳句の会「鴻臚」の兼題に天の川が出た。
天の川は夏と思われがちであるが、流星や星祭(七夕)などと共にれっきとした秋の季題である。ちなみに星だけでは季題にはならない。
天の川は銀河系内の無数の恒星が、天球に帯状に流れるように見えるものを、古人が川に見立てて呼んだものである。7月7日(旧暦)の七夕の夜に牽牛と織姫がこの川を渡って年に一度会うと言う。古代の人はロマンチックなドラマを演出したものである。
天の川は別名、銀河、銀漢、星河とも呼ばれ、初秋の澄み切った空高くに悠々と流れる様は、まさに太古の人が描いた天の大河そのものに見える。
その天の川が都会ではめっきり見えなくなった。街が明るくなった所為かも知れない。中国の大気汚染に関係があるのかもしれない。いずれにしても山の上にでも登らなければ見られなくなったのは残念なことである。
5、6年ほど前になるが、久住の漆黒の草原に寝そべり、一人眺めた天の川の美しさは、今でも脳裏にはっきりと焼きついている。
銀漢やなかのひとつが母の星 英世
お盆休みとあって先日久し振りに温泉に行った。行く先はいつもの清滝温泉である。
それにしてもこの日も暑かった。私の知人はこの暑さを造語で「狂暑」と呼んでいた。この狂暑は往々にして猛烈な夕立をもたらす。この8月はことのほか夕立というよりスコールのような雨が多い。
こんな暑い日になんで温泉かとも思ったが、実際に行ってみて驚いた。この暑さなのに駐車場はもう満杯状態である。日本人の温泉好きは病膏肓(やまいこうこう)に入るであろうか。
早速露天風呂に入った。じりじりと焼けた踏み石を走るようにして湯船に飛び込む。思った通り湯は熱い。それでも我慢して青い空、白い雲、みどりの山、小さな滝を眺めながらしばらく浸かっていると、だんだん気持がよくなり暑さも忘れてきた。
四ヶ所の露天と、打たせ湯、岩風呂、水風呂と一通り入った。時間は約2時間、たっぷりと汗をかいた。
温泉の後は食事である。これも熱いものをと思ったが、これだけは勘弁してくれと、行きつけの鮨屋の冷たいもので済ませた。もちろん定番のビールと焼酎のロックに金目鯛のお煮付が美味かった。
暑いときには熱いものを食べろと言うが、温泉もまた逆療法で避暑対策になるのかもしれない。
温泉の熱さを凌ぐ残暑かな 英世

昨日は母の祥月命日で、実家に兄弟と大勢の子供や孫が揃った。
今年の里帰りには、7人の兄弟がそれぞれ遠方の子供や孫まで引き連れてきたので、総勢32人と実家に入りきらないほどの賑やかさであった。天国の父母やそのほかのご先祖様もさぞやご満足のことであっただろう。
私も息子夫婦と愛莉を連れて一家4人でお参りし、夜は我家で娘の家族も交えての大騒ぎであった。もちろん主役は孫の愛莉であるが、もう一人の孫・鈴花は今伸び盛りで、祖母(家内)、母(娘)それに長男の嫁を追い越して、一番背が高くなってしまった。もちろん腰の位置やスリムさは比較にならない。
一夜明けた今朝は、母の忌を修して久し振りに般若心経を唱えた。唱えたと言っても経典を開き目で追いながら口にするだけである。
父の御霊を背に秩父霊場を巡った時には、ほとんど暗誦するほどに唱えていたものだが、凡人の悲しさかいつの間にかすっかり忘れ去っていた。それほど修行とは難しいものだと今更ながら教えられた。
それにしても般若心経は難しい。お釈迦様が弟子たちに説いた真理であるが、その現代語訳でさえ難しくてなかなか理解できないでいる。
元妙心寺派管長・故山田無文氏の解説によれば、そもそも般若心経とは「偉大なる知恵の彼岸に到達する肝心な教え」とある。この訳文からしてどういうことか難しい。
でもまあいいか。我が浄土宗の法然上人は「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、俗人もましてや悪人も浄土へ行くことが出来ると諭された。
意味はわからなくても、とりあえず「般若心経」と唱えているうちに、自然と意味もわかってくるかもしれないし、静かに浄土へ行けるかもしれない。
西方に母の浄土や盂蘭盆会 英世

護国神社の万燈
今日8月16日は母の祥月命日である。
母のことはこれまでエッセイやブログなどで幾度となく書いて来たので、もう書くこともないかとも思ったが、やはりそこは母、数限りなく思い出が湧いて来る。
今日は母の命日でもあるので、殺生を好まぬ母の思い出を話すとしよう。
母は殺生はもとより動物の死を見るのもいやと言うことで、犬や猫を飼うことをあまり好ましく思っていなかった。犬猫は子供の時までに死ぬものが多く、乳も飲まず痩せ細り、そのうちにだんだん冷たくなっていく姿を見るに忍びないと言っていた。
そのくせ私たちが犬を拾ってくると、黙って残り物の飯を古い洗面器に入れて食べさせてくれたりもした。
また、小鮒を釣って来た時などは、「なんでこんな小さい魚を釣ってきたか」と厳しく叱り付けられた。堀に戻そうと思っても、鮒はもう弱りきっているので戻すこともできず、母に内緒で庭の畑に埋めたこともあった。
そんな母が常々言っていた言葉がある。
「虫だって一生懸命生きているのだからむやみに殺すな」だった。
今ではその言葉が私の口癖になっている。
銀漢や朝な夕なに母のこと 英世
今日はお盆で、今年も無事にお盆参りが出来そうである。
出来そうであるというのは、実はまだお参りしておらず、明日16日にお参りすることになっているからである。年一度のお盆参りで、この一年無事に過ごせたことに感謝し、父母や神仏のお加護に感謝するように心がけている。
父母の生前、兄弟七人が揃って顔を見せるのが習慣であったが、父母が亡くなってからも跡継ぎの弟の家、つまり両親の墓前に集まることを欠かしたことはない。
今年もこうして兄弟揃って元気であることに感謝し、父母の思い出やご先祖のことなど静かに語り合い、ゆっくりと過ごすことが出来そうである。
父母に感謝の句を捧げることにしよう。
飽きるほど生きた生きたと生御霊
父母の汲みし水もて墓洗ふ
盂蘭盆や俳句に疎き考を詠む
風音に父の帰るや盂蘭盆会
縄文の我が祖は如何に盂蘭盆会 英世
原爆忌昭和の色も褪せにけり
この句自体の良し悪しを問うつもりはない。なぜならば、この句は私が冬野に入会して初めて入選した句のひとつだからである。
私は新入社員研修を長崎で受けたし、現役時代は広島も担当エリアであったために、原爆に対する関心は人一倍強い。映画「ひろしま」も「火垂の墓」も「原爆の子」も子どもたちと一緒に見て、共に涙を流した。
その原爆によって長い戦争が終わり、ある意味では平和日本が訪れたのであるが、この頃の一部の歪んだ愛国心や、戦争愛好者にだまされないようにしなければ、孫子の代にまた同じ哀しみを味わうことになるであろう。
そんな日本、いや世界に絶対にしてはいけないと思っている。
そういった意味で、私たちが平和な時代に生きた最後の日本人にならないとも限らない、という思いをこめて詠んだ句である。
2003年(平成15年)8月「季題:原爆忌(秋)」

室見川源流部
昨日に続いて川遊びの話である。
大分で結婚し福岡に戻った頃、私たちは今の早良区に住んでいた。近くには室見川やその支流の金屑川が流れており、釣りなどをして子供たちとよく遊んだものである。
ある時室見川の上流で、川を移動しながら釣りを楽しんでいたところ、突然水量が多く深い場所に差し掛かった。
私たちは当然の如く鮠釣り竿に川虫の餌を付け流し込んだ。釣れるは釣れるは、しかも型のよいものである。もう夢中になって釣っていると、突然橋の上から「こら!」と言う怒声が降りかかってきた。
私たちは何事かと怪訝な顔で顔を上げると、土地の人と思わしき人が、「ここは禁猟区だぞ!」と言うではないか。川に禁漁区など聞いたことがないが、よく見ると川上の橋桁の下に赤い字で「これより禁漁区」と書いてあった。土手にも禁漁区の看板があったが、これは葦や雑草に埋もれて見え難くなっていた。
子供の手前格好悪いが、言い訳しても仕方がないので平謝りに謝ると、どうにか許してくれた。
ところで釣った魚はどうしたらいいかと訊ねると、「釣ったものは仕方がないから持って帰れ」と言う。とたんに幸せな気分になった。
翡翠や彼に無縁の禁漁区 英世

室見川中流部

矢部川・船小屋
お盆になるとみんなで実家に帰るのが習慣になっていた。目的はお盆参りであることに違いないが、まだ子供たちが小さかった頃は、私たちにはもう一つの楽しみがあった。
船小屋は我家から車で20分ほどの筑後市にある温泉町で、その真中を流れる清流矢部川で遊ぶのが、この時期の我が家族の楽しみであった。
矢部川はあくまでも清く透き通り冷たかった。そこで泳いだり、釣りをしたり、それに飽くと樟の大木が茂る土手の屋台で、心太やラムネ、うどん、たこ焼きを食べるのも楽しみであった。
この温泉には珍しい鉱泉がある。その昔湧き水があり、その上を雀が飛ぶとよく気を失って落ちることから「雀地獄」と呼ばれていた。ある時自殺志願の老人が死のうと思ってこの水を飲んだところ、死ぬどころかたちまち元気になったことから、不老長寿の鉱泉と分かったのである。
ところがこの自然豊かな船小屋にも変化が訪れようとしている。
ここに九州新幹線の新船小屋駅が出来ると言う。新幹線なら久留米から10分もかからないここに、何故駅を作らなければならないのか、一体何人の乗降客があると言うのか、私にはさっぱり合点がいかない。
このまま静かで自然豊かな船小屋を残して欲しいのだが、佐賀空港と同様に政治の道具に使われそれも叶わなくなってしまった。
清流に蜻蛉と蟹と吾子二人 英世
甘酒も俳句の季題である。初詣などによく振舞われることから、何となく寒い冬を連想しがちであるが、実際はれっきとした夏の季題である。
甘酒が何故夏の季題になったのか調べてみた。
甘酒は日本酒と同様に米こうじを用い、粥状に米を炊いて50〜60℃に保温し、一晩で発酵させて澱粉を糖化させて造る飲み物である。古くは「一夜酒」とも呼ばれ、冬でないと酒を仕込めない酒蔵が、夏に副業として作っていたようである。
飲み方は今では温めて冬の飲み物とすることが多いが、かつては冷して夏飲むのが当たり前であった。暑気払いや夏の食欲不振、夏ばて予防の健康飲料として、江戸の町を売り歩く風情豊かな飲み物であった。そう言う訳で甘酒は夏の季題になったのである。
もちろん今は各家庭で造ることはなく、スーパーなどで手軽に入手できるが、あくまでもお酒であり、弱冠のアルコール分が含まれるので、特に幼児などには大量に飲ませないように気をつけねばならない。
山歩きなどで冷えたビールを飲む人も多いが、流れに冷した甘酒を飲むのも乙なものであろう。
甘酒や水桶の底手探りぬ 英世

私の故郷久留米市には、筑後川という九州最大の大河が流れている。筑紫次郎とも暴れ次郎とも呼ばれ、母校の校歌には千歳川としてこの筑後川が歌われている。
筑後川は、遠賀川と並び北部九州を代表する大河で、縄文・弥生の先祖は、稲作に適した場所を探してこの筑後川の下流域に定住した。狩猟民は高台に住んだが、稲作中心の彼らは筑後川の氾濫を覚悟の上で、ここに定着したのであろう。
ここに住んだ証として、浮羽地区を中心に豪族の古墳が多数残っており、中にはその石室に、筑後川を行き来したと思われる舟とおぼしき装飾壁画もある。

筑後川には、この暴れ川をコントロールするための独特の護岸設備として、荒籠(あらこ)が江戸時代につくられた。岸から川中へ伸びた石組みで、堤防を強固なものにしたり、水流を跳ねて水の勢いを調節したりするもので、私の子供の頃はいたるところでこの荒籠を見ることが出来た。
ところがこの荒籠は川の流れを変えることから、対岸を深く抉り取る習性がある。このことが佐賀、久留米、福岡など諸藩の争いごとにも発生している。
この番組ではこの荒籠を中心に、河口でみられる初夏の風物詩エツ漁にもふれながら、筑後川の歩みを振り返っていた。
この橋を渡れば肥前曼珠沙華 英世

私の好きなテレビ番組に、KBC九州朝日放送の九州街道ものがたりがある。
KBCではその製作意図を次のように解説している。
「日本を代表する歴史作家、司馬遼太郎氏の「街道を行く」を下敷きとし、 その引用文をキーワードに構成する、 歴史の謎を追いつめて行くドキュメンタリー紀行番組。
何気なく通っている街道(海道)を探訪すると、 歴史を駆け抜けていった群像の光と影が鮮やかに浮かんでくる。 その街道の現在と過去の姿を見つめ、そこにどの様な歴史やドラマが秘められているか、 はたまたどの様な歴史の舞台になったのか、 その地方の様々なプロフィールを交えながら美しい映像とナレーションで紹介した歴史紀行番組である。」(九州朝日放送HPより)
1990年4月1日にスタートしたこの番組は、既に900回を悠に越える長寿番組で、私の最もお気に入りの番組と言っていいかもしれない。
九州の生い立ちから、現在に至るまでの様々な歴史的出来事を教えてくれる、格好の番組である。私が酒の席などで自慢たらしく喋っている歴史考察のいくつかは、この番組によるものが多いことは否定できない。
これから折に触れ、その番組についてこのブログで紹介することにしよう。
秋立つや龍馬も象も行きし道 英世

先日テレビの調子が悪い話をしたが、私の部屋にやっと新しいTVがやって来た。もちろん地上デジタルハイビジョンの32型液晶タイプである。
いろんな機能がついているようだがさしあたってはTVが映ればよいのである。説明書は分かり難いので後でじっくり読むことにして、早速電源を入れてみた。
今までのポンコツTVと悪戦苦闘していたのが、まるで嘘のようである。画像は明るく海の色はあくまでも青い。こんなことなら早く買えばよかったし、リビングのTVも買い換えねばなるまい。
何よりも嬉しかったのが、NHKデジタルハイビジョンと民放のBS放送が見られることである。
NHKドキュメンタリーで見る悠久のシルクロード、世界遺産、そして民放BSでは大好きなジャイアンツ戦が毎日のように見ることが出来る。ただ頂けないのは民放のショッピング番組の多さである。如何にコマーシャルベースとは言え少しひど過ぎはしないだろうか。私は決して見ないと思うのだが。
ともかくあまりTV人間ではなかった私だが、これからはよい番組だけを選りすぐってゆっくり楽しむことにしよう。
チャンネルは高校野球盆祭 英世

秋来ぬと目にはさやかに見へねども
風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行・秋立つ日に詠める
今日8月7日は二十四節気のひとつ立秋で、暦の上ではこれから秋である。
立春が春の温かい日差しを恋うように、立秋は爽やかな秋風を待ち望むものであるが、実際はこれからもしばらくは暑さから開放されることはない。
とは言え、秋は確実にやってくる。あれほど賑わっていた海辺も、海水浴客はまばらになり、水母が発生し、波も心なしか高くなるような気がする。海の家も大半は簾をおろし静かな海に戻ろうとしている。
空は高く澄み渡り、薄い巻雲や鰯雲が現れるのもこの頃である。
また大音響を轟かせていたクマゼミは鳴りを潜め、代ってつくつくぼうしが「つくつく恋し」と切ない鳴声を立て始める。当然季節の挨拶も暑中見舞いから残暑見舞いに入れ替わる。
面白いことを発見した。
この立秋までに梅雨が明けない場合は、梅雨明の発表はなされないと言う。従って東北地方などでは過去数回、「梅雨明なし」の年があったらしい。恐らく農作物も不作で、農民はたいそう難儀したのではなかろうか。
秋立つや庭の手入れに力入る 英世

俳句の夏の季題に青柿がある。わざわざ青柿というからには、それなりに何か訳がありそうである。
家の周りを散歩していると、庭先に大きな柿の木が茂っている家をよく見かける。その下には必ずと言っていいほどその青柿が転がっている。
柿は5月末ごろから白い花をつけるが、その花は散り始めるまで気付かないほどの地味な花である。6月末になると真青で小さな実を付け、8月ともなると丸々太った柿になるが色は青のままである。
これが俳句で言う青柿で、その実はまだ渋くて食べられない。しかし、夏の間中、真青なままに大きくなっていく様は、悪戯坊主がだんだん成長していく姿を連想させ、見ていて楽しいものである。

故郷の生家から百歩と歩かないところに、同級生の幼馴染が二人いた。道端に転がっている青柿を踏み潰して廻ったり、拾って投げ付けあったりしてよく遊んだものである。
その二人、洋一ちゃんも政博ちゃんも人生これからという時に、若くして彼岸へと旅立ってしまった。来月の同窓会に二人の姿がないなど思いも及ばないことである。合掌。
青柿や望み果たせぬまま落ちぬ 英世

孫娘愛莉が1歳7ヶ月になった。食欲旺盛で丸々太っている。
今日の愛莉はどこかで見たような服を着ている。それもそのはずで、シャツもジャンバースカートももう一人の孫、つまり彼女の従姉妹である鈴花の、お下がりではないか。
でも、顔立ちがそっくりなだけにそれがまたよく似合っている。
両親の頼みでお留守番テストをすることになった。つまり、爺婆の私たちに愛莉を預け、両親は久し振りに二人だけのデートを楽しもうと言う訳である。もちろん本音は愛莉が気がかりでデートどころではなかったと思うのだが。

愛莉がおもちゃに夢中になっているうちに二人は我家を抜け出した。
いよいよ私の出番である。愛莉と熊のぬいぐるみでままごと遊びを始め、熊さんが水を欲しがっているよと言うと、愛莉はミニチュアの水差しでせっせと水を飲ませ、熊さんが眠いと言っていると言えば布団を敷いて寝かせる。子守唄代わりにでんでん太鼓を鳴らしてあげたりしている。
約1時間過ぎた頃、やっと両親が居ないことに気が付いた。部屋中を探し回り、今にも零れんばかりの大きな涙を溜めて、「ママ〜」という泣きべその声にこちらが切ない気持ちになってしまった。
何とか気分をはぐらかそうと、また熊さんが水を欲しがっていると飲ませたり、愛莉そのものを抱っこしたり悪戦苦闘していたが、どうやら限界に達した頃やっと両親が帰って来た。
その後のことはお話しなくてもいいと思うが、この次のお留守番テストはどのような修羅場が待ち受けているか今から楽しみである。
爺の顔忘れて嬰の昼寝かな 英世
冬野八月号が届いた。前回は成績が悪かったが、今回は雑詠4句入選と何とか名誉回復できたようである。
ほかの入選句も含めてご紹介しよう。
冬野8月号
覚えなき祖父の俤武具飾る
草笛や居残り罰を受けし日も
峪深く思ひの果の余花に逢ふ
笠を背に同行二人麦畑
黒薔薇や乱歩好みの古館
機嫌よき角の長さやかたつむり
窯裏の瓦礫の山や踊子草
摘み取られ踊子草の舞ひ止みぬ
冬野インターネット俳句会
迫り来る一番山笠の怒涛かな
泣きべそで駆ける少女も山笠が好き
父と子のそのまた父も山笠舁ける
伝統俳句インターネット俳句会
地震止まぬ村を追討つ出水かな
仄かなる蛍となりて母還る
水を得し魚の如くに裸の子
故里の水掛け父母の墓洗ふ

もうすぐお盆がやってくる。お盆と言えば浄土の花・蓮で、福岡市の舞鶴公園には今が盛りと咲き誇っている。
蓮は中国から伝わった睡蓮科の花で、睡蓮が水面ぎりぎりに咲くのに対し、蓮は葉をぬうようにして高く咲く。いずれも俳句の季題は夏である。
蓮が何故浄土の花というのか自分なりに想像してみた。
蓮の葉は浄土と地獄を区別する境界線である。葉の上は浄土で、太陽がさんさんと輝ききれいな蓮の花が咲いている。
仏様を始め悟りを開いた人、地球や人類を救った人、親孝行をした人、罪を犯しても償いをして改心した人、悪人ぶっても蟻んこ一匹踏み潰せなかった人など、様々な善人が住むことができる場所である。

一方、蓮の葉の下は太陽の届かぬ混沌とした世界で、前世で過ちを犯しながら改心しない人、親を殺した人、他人のものを掠め取った人、他人を騙したり陥れたりした人、不義を働いた人、人としてなすべきことを見過ごし何もしなかった人など、人間としてあるまじき考えや行動の持主が落ち込む地獄の深い闇である。
浄土と地獄には幾筋もの径があり、その径には蜘蛛の糸ならぬ蓮根の糸がある。一旦地獄に落ちても、悔い改め善人として生きようと思えば、仏様が救ってくださる道筋が残されている。
舞鶴公園の蓮の花を見ながらこんなことを考えていた。私はどちらへ導かれるのだろうか。これからの私の心掛け一つかもしれない。
花蓮や今ならばまだ償へる 英世
8月ほど季節感の説明のつかぬ月はない。
前半は太平洋高気圧がどっかと居座り安定した猛暑が続く。一方、お盆を過ぎた頃から、朝夕の涼気に忍び寄る秋の気配がだんだんと感じられるようになり、炎暑を耐え忍んだ花々もそよ吹く風にようやく生気を取り戻すようになる。
初秋の花といえば、月見草、木槿、桔梗、撫子などであるが、私は芙蓉に似た木槿の花が好きである。

木槿はお隣韓国の国花である。父は若い頃大望を抱いて韓国の地に渡ったが、その韓国の話をする時には、必ずこの木槿の花を思い出すと言っていた。
一方ではその大志も身を結ばず、悲哀のうちに引き揚げた国の花を、自分の庭には決して植えないとも言っていた。
秋風がそよぐ頃、川の土手などに咲く木槿の並木を見ると、いつもその父の話しを思い出す。ちなみに母は撫子が好きで、畑や庭の隅に撫子の花を咲かせては切りとって楽しんでいた。
今夜は地域の祭が近くの公園である。また友人のユーモラスなフラダンスを見に行くとしよう。
大陸に父の青春花木槿 英世

今日からは八月である。相変わらず歯の痛みは続いているが、今朝の空にはもう筋雲が細長くたなびいていた。筋雲の説明は要りませんよね。
八月は別名、葉月とも言うが、いつもお話しているように、この八月は旧暦の七月に当たることから、俳句では文月と詠まなければならない。
初旬には立秋を迎え暦の上では秋となる。しかし、実際は太平洋高気圧が居座り、猛烈な暑さが続き、例年原爆忌の8月6日ごろに一番高い気温を記録することが多い。天気は安定しているが、猛暑による夕立や雷の多い月で、台風発生もこの月に多い。
また、この八月は原爆忌、敗戦忌と人間として大いに反省させられる月でもあり、秋祭、お盆、母の忌と何かと神事、仏事の多い月でもある。
子供たちには楽しい夏休みで、海水浴や川遊び、蝉取り、納涼花火に盆踊りと楽しさ溢れる月で、つい宿題を忘れがちになるのも致し方のないことだろう。
ただし、疲れからか体調を壊しやすいことも多いので十分気をつけなければならない。快食、快眠、快笑が大事ではなかろうか。
とは言え、お盆も過ぎ、月の終り頃ともなると、朝夕の気温や風にもはっきりとした秋の気配が感じられるようになる。それからが本当の秋である。
八月や慙愧に堪へぬ過去ばかり 英世
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