二月が終わる

普通の年より一日長かった二月が今日で終わる。一月の時も言ったような気がするが、この二月は本当に寒かった。月初めと20日ごろには雪も積もったし、今朝も積もっていた。
梅の開花も平年より12日遅れ、昨年より4日遅れだと句友が教えてくれた。
その梅の盛りに大学入試が続々と行われている。
それもセンター試験、推薦入試、私立大入試、国立大前期・後期と複雑な入試に挑まねばならない。
何かと受験生と話す機会の多い私だが、決して頑張れとか幸運をとか言わないことにしている。それが受験生にプレッシャーになることをよく知っているからである。
その中で、ある受験生から「一生のうちに一度ぐらいはこのような緊張感があった方がいい。楽しむ気持ちで臨みたい。」という言葉を聞いて心安らぐ思いがした、と同時にこの子ならば大丈夫だろうと思ったものである。
明日から三月、受験生に早咲きの桜が咲くことを祈らずにはおられない。

 緊張を楽しむ心大試験  英世

一句の風景

寒明の五感ゆるりとほぐれけり

寒明のほっとした気持ちを詠んだ句で、NHK俳句の片山由美子先生の佳作入選句である。
寒中の約30日間、厳しい寒さに閉じこもって生活していたが、寒明と聞いた途端に何か世の中が明るくなったような気がした。
眠っていた神経が目を覚まし、何かいきいきとよみがえったようであるが、その五感の解れはあくまでも緩やかであった。
2011年(平成23年)2月「季題:寒明(春)」

加賀友禅

少し前の話であるが、NHKの教養番組「美の壺」で加賀友禅を紹介していた。
この番組特別見たくて見た訳ではなく、他に見たい番組もなく何となく見ているうちに魅入られてしまったのである。
説明によれば、加賀百万石の城下町・金沢で生まれた着物「加賀友禅」は、シックで上品な色合いと、まるで一幅の絵のような緻密な柄が特徴である。
鳥や花を、時に「葉の虫食い」まで描く徹底した写実性とこまやかさ、「加賀五彩」と呼ばれる味わい深い中間色には、金沢の風土と独自の歴史が秘められていると紹介されていた。
番組では加賀友禅と京友禅の違いなど詳しく紹介され、着物音痴の私にも分かる丁寧な説明であった。
また、母から娘へと引き継がれていく加賀の心と歴史の重さを感じさせた。
ふと、この精神は俳句にも通じるものがあるではないかと思った。
花鳥の絵柄は写生の心、水と言う自然が生み出す芸術、まさに俳句の真髄と共通する加賀友禅の心を見たような気がする。

残雪や加賀友禅の水の彩  英世

平清盛

恒例のNHK大河ドラマの話で、今回は平清盛である。
平清盛は幕府こそ開かなかったものの、言うまでもなく武士の世をつくりだした先駆者である。
ところが、世間では天皇家を私物化し東大寺を焼き打ちした仏敵として、天下の大悪人のように言われている。
今回のドラマではそのあたりを清盛サイドに立って、新しい清盛像を作り上げようとしている。
今後どのように物語が展開して行くかはわからないが、冒頭で平家を倒した源頼朝が、武士の世を作った清盛の偉大さを改めて思い返すシーンに、これからのドラマの展開を暗示しているような気がする。
歴史大好きの私にとっては楽しみなドラマである。

 翆黛の平家の里や忘れ雪  英世

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のど飴

鞄の中身を整理していたら袋詰めの喉飴が出て来た。年末年始に風邪を引いた時の名残である。
この喉飴は羅漢果と言う中国原産のウリ科の植物の飴に、ハーブパウダーを表面にまぶしたもので仄かな香りが心地よい。
別に喉に異常がある訳ではないが戯れに一粒なめて見ると、その口当たりはまろやかで甘味な上に、ハーブの香りが口中に広がる爽やかなキャンディーである。
この爽やかさが喉の痛かった時には感じなかったのが不思議である。
ふと袋書を見て見ると、このような喉飴にまで栄養成分表示がある。
100gあたり、エネルギーが386Kcal、炭水化物が96.6gと表示され、他は一切0である。つまり完全な植物性の喉飴だと言うことになる。
出来ることならば、これからこのような喉飴にお世話になりたくないものであるが、まだ少し残っており捨てるにはもったいない気がしている。

 喉飴にハーブの香り春めける  英世

主治医

一昨日から孫の愛莉が我が家にお泊まり、昨日は早速やまとの湯に行って寛いだ。
さて、今日は温泉ではなく病院について考えて見た。
体の弱かった子供のころから成人病のオンパレードの今と、病院と縁が切れたことがなくおそらく今後も切れることはないだろう。
現役の頃は社内のクリニックか指定病院、退職後は政府機関の病院を行きつけにしていたが、そこには主治医というものがいなかった。仮に同じ医者であっても自分の主治医の感覚は薄かった。
一通りカルテを確認した後は、決まったように採血をして最初から検査をする。医者との信頼感も親しみも全くなく、悪戯に検査費用だけが嵩んでいた。
それに嫌気がさして噂を頼りに近くの町医者に行き始めた。町医者と言っても前身は某大学病院の内科部長である。
従来の総合病院での治療方法を確認した後は、よほど体調に変化がない限り検査は年2回、それに私が受ける年一回の健康診断のデータだけで十分だとの説明であった。
その町医者は今では私にとってなくてはならない主治医で、訪れるたびに「何か変化はありませんか」と私の健康状態を尋ね、脈を取り血圧を測ってくれる。
その質問がなぜか私をリラックスさせ、それが信頼感に変わっていったような気がする。

 血圧は高め安定春兆す  英世

日本の四季は六季

昔から日本には春夏秋冬の四季があると言われ、何も疑うことなく過ごしてきたが、ここにきて違う意見があることを知った。
一部の気象学者は日本の季節は六季に分けるべきだ、すなわち春夏秋冬のほかに梅雨、秋霖(秋雨)を入れるべきだと言うのである。
日本には春から夏にかけてと秋から冬にかけて永い雨季が続く。気象学ではこの梅雨と秋雨を季節に加えて六季としたいと言うのである。
このことは俳句の世界にも言えるかもしれないが、現在の歳時記はホトトギスをはじめ春夏秋冬にまとめられてきた。しかし、最近はこれに新年を加えた五季の歳時記が多くなってきた。
いつも言っているように歳時記も時代と共に変化すべきであり、そうすると歳時記の季節は七つと言うことになる。一考に値するかもしれない。

 歳時記に付くるふりがな春寒し  英世

君子蘭

私の参加している句会の先生はどうもこの君子蘭が好きらしい。
と言うのは今回の兼題はその君子蘭であったが、2年ほど前もこの君子蘭が兼題に出されていたのである。
君子蘭は蘭と名がついているが、実際は彼岸花科の華麗な花で、観賞用に温室で栽培され病院の待合室など公共の場に鉢植えとして多く飾られている。
その葉も幅広く高く伸びた花茎の先に漏斗状の大きな花を10数個ほど付ける。
花の色も朱、紅、黄など種類も多く、寒いこの時期を明るくしてくれる花の一つである。
この日の私の入選句をご紹介するが、私自身この句は気に入らず少し手を加えたので、その句も併せてご紹介しよう。
でも、どちらの句もやはり物足らない私である。

 入選句 君子蘭脈取る医師の手の温し
 推敲句 君子蘭活けて老医の手の温し  英世

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季節の花300より

動植物園吟行

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一昨日、百年句会吟行が家の近くの動植物園であった。
思わぬ大雪で思い描いていた早春の息吹とは裏腹に、一面銀世界の吟行となってしまった。まあ吟行と言えば自然が相手で、どのような天気になろうがそれを詠み上げるのも俳人の俳人たる所以であろう。
俳句という性格からか年齢的にと言おうか、動物園はそこそこに植物園へと向かった。
植物園は季節的にはまだ花が少ないが、入るとすぐに菜の花が雪をかぶって見事なコントラストを見せていた。ただし菜の花も春の雪も俳句の重要な季題、果たしてどのように詠むか苦労のしがいがあろうというものである。
少し歩くと白梅、紅梅と梅の花がまだ固い蕾のままであったが、そのそばには著名な俳人の句碑もたくさんあり、吟行気分は最高であった。
今回までは私たちが当番幹事で、この動植物園吟行で六ヶ月間のお世話からやっと解放された。
この日の私の特選句をご紹介しよう。

 淡雪や緋色たたみしフラミンゴ  英世

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一句の風景

補佐役のままで定年東風強し

東風の吹く早春に定年退職した時のことを思い浮かべて詠んだ句である。
恵まれたサラリーマン生活だったと人は言うが、地道に仕事をこなし補佐役のままで退職する、ただそれだけのことであった。
40年以上勤めた会社を定年で去る時の寂しさは経験したものでなければ分からない。
これからの人生に不安がよぎり、無事余生を送ることが出来るだろうか。毎日が日曜日の生活をどう過ごしたらいいのだろうかと思い悩むものである。
外には強い東風が吹いていた。
2009年(平成21年)2月「季題:東風(春)」

梅一切

昨日からの思わぬ大雪で、今朝は一面の銀世界である。今日の吟行は私たちが幹事であるが、どのようなことになるか危ぶまれてならない。
さて、先日梅が兼題に出たという話をしたが、今回は梅一切が兼題であった。
梅一切と言うからには梅に関する全ての季題を詠むことが出来る。
例えば梅、梅見、盆梅、紅梅などであるが、探梅となると冬の季題になるので気をつけなければならない。
中でも面白いのは、白梅と言えば梅の傍題と言うことになっているが、紅梅は独立した季語になっている。
紅梅は白梅よりも花期が遅く咲く時期も長いので、独立した季題とされたのであろう。
また梅と言えば一般的に梅林の梅や野梅を言うが、盆栽に仕立てることも処によっては盛んで、枝垂れ梅の盆梅も気品にあふれたものが多い。
この日の私の特選句をご紹介しよう。

 祖母が居て母在りし日の梅古木  英世

傘を買った

先日傘を失くした話をしたが、ついに新しい傘を買った。
失くしたのは折り畳み傘であったが、折り畳み傘は別にもう一本持っているので、大きなこうもり傘(福沢諭吉風に言うと洋傘)を買うことにした。
その傘は折り畳み傘の1.5倍ほどの大きさで、私の身体はおろか肩に下げているカバンまですっぽり入り、しかも片手で開けられるオート式である。
朝晩通勤路にある店で狙いをつけていたもので、狙っていた傘が手に入った喜びと言うか安堵感があった。
ところが驚いた事に、お値段が何と498円、ワンコインからお釣りがくる安さである。
もちろん外国製であるが、その安さの有り難さよりも、これでは日本の加工業は持たないだろうなと複雑な気持ちになってしまった。

 春雨や濡れて行くほど若くなし  英世

寒明

寒と言えば寒の入り(1月5、6日ごろ)から立春の前日までを言うが、その寒の明けることを寒明と言う。つまり立春が寒明と言うことになる。
単に寒と言えば冬の季題であるが、その寒が明ける日は立春であることから寒明は春の季題である。その寒明と梅が今回の兼題であった。
冬の厳しさから解放されるこの立春を、寒明と言う感情のこもった言い方をすることで、心の底から春を待ちわびて来た心情が読み取れる。
まだまだ時折寒さがぶり返すが、寒明の明るい風景と共にそのような喜びに満ちた感情を句にした。
寒明と梅、この日の私の特選句・入選をご紹介しよう。

 特 老幹の懐深く梅一輪
    天蓋の取れし如くに寒明くる  英世

女流書家「金澤翔子」

昨日のお昼ごろ何げなくテレビをつけると、大河ドラマ「平清盛」の題字を書いたという女流書家金澤翔子(小蘭)が母親と共に出演していた。
画面に登場した二人を見た私は一瞬息を飲んだ。母親の傍に立っている若い女性がダウン症であることは明らかだったからである。
金澤翔子という書家を全く知らなかった私は、母親の方が書家で手が外せない我が娘を連れて来たのではと思ったほどである。
番組ではダウン症というハンディーを背負いながら、歴史に残る(多分そうなるであろう)女流書家として大成した苦労話、中でもいわれなき差別を受けた学校時代に思わずじんと来て涙が毀れてしまった。
スタジオでは明るく振る舞っていた母娘であるが、何とか娘が一人立ちできるようにと闘ってきたそれまでの道のりは想像を絶するものであったろう。
それだけに、私には天分という軽い言葉で彼女を称賛する気にはならなかった。
彼女はスタジオで実際に「夢」という大書を書いてくれた。人を力づけるようなその書の勢いと、そのときの神がかり的な雰囲気にまたまた涙がこぼれ、この夢に向かって力強く生きて欲しいと祈らずにはいられなかった。
これから見る「平清盛」にまた別の感慨があるような気がする。

 青き踏む夢といふ字に想ひ馳せ  英世

用心しなければ

先日バスに乗っていた時のことである。
乗客のためにバスが停車し、私よりもはるかに高齢と思われる男性が乗ってきた。いや、乗ってきたと言うよりも乗り損なったのである。
彼はバスに乗ろうと手すりに手をかけステップを踏んだところ、その手すりの手が滑り、そのまま仰向けにバスの外に倒れ、尻もちをついてしまった。
彼は立ち上ろうともがいたが、尻もちをついたまま立ちあげられずにいた。
傍の席に座っていた私は彼に手を差し伸べ引き上げようとしたが、重いの何のなかなか立ち上がらない。
見かねた若い男性が手助けしてくれてやっと彼は立ち上り、今度は無事バスに乗ったのである。
幸い怪我もなく無事に済んだが、老化とはこういうことかと改めて思い知らされ、私も用心しなければと思った。
ただ、助けて貰った男性からはお礼の一言もない。
私はそのようにはなりたくないと、その方も用心しなければとまた考えさせられた。

 春の宵バスに乗り損なふことも  英世

吟行とお寺

吟行ではよく近くのお寺を訪ねるが、お寺によっては快く受け入れてくれるところと、出来れば受け入れたくないといった態度のお寺がある。もっとも無頓着な寺もあるが。
快く受け入れてくれるところは、一人でも多く参拝者が増えることを素直に喜び、何がしかのお布施が有り難いと句会場まで提供してくれるところがある。
一方、快く思わない寺は吟行に訪れるものを仏教信者とはみなさず、むしろ神聖なお寺を傍若無人に歩きまわる好き者、邪魔者としか思っていない。
有名な俳人の句碑があるお寺でさえそうだから、一般的にはそう思っているお寺が多いのではなかろうか。
もっとも訪れる我々にも問題がある。
寺を訪れたらまず最初に宝前に手を合わせ、わずかでもお布施(賽銭)を差し上げなければなるまい。
また、お寺の中を勝手気ままに歩きまわらず、主宰者または寺の指示に従い一定の場所を巡るようにすべきではなかろうか。
お寺といえども個人の住居もあり、勝手に侵入されたら困るのは当然である。

 初音聞く先師の墓の身ほとりに  英世

俳句で梅と言えば単に梅の花または梅の木である。その梅が今回の兼題であった。
季節は春とはいえ、余寒なお厳しい時期に咲く梅の花は春の先駆けとして古来より多くの詩歌に詠まれてきた。
特に地元の福岡県は梅の名所の大宰府を観光地にしていることで、県の木としてシンボルになっている。
その大宰府には約6000本の梅の木があり、中でも菅原道真を慕って一夜にして京都から飛んできた言う飛梅は、太宰府天満宮の梅の主である。
私は若いころにこの太宰府に住んでいたことがあり、人一倍この太宰府の梅に愛着を持っている。
最近季題の取り扱いが厳しくなって、梅と言ったら梅に限定され、仲間の盆梅や紅梅、梅見などは兼題外となる。
また梅の実に関するものは概ね夏の季題となるので気をつけねばならない。
この日の私の特選句をご紹介しよう。

 菅公を慕ひし梅の白さかな  英世

猫の恋

猫の恋、その本能の滑稽ぶりからか俳句でたくさん詠まれる季題である。その猫の恋が今回の兼題であった。
猫の発情期は年4回、つまり年がら年中恋の時期と言うことになるが、もっとも多いのが春と言うことで春の季題となっている。
発情期の猫は人間の赤子のような奇妙な声で恋の相手を探しまわる。当然競争相手がいる訳で、昼夜を問わず狂おしい声を上げて激しく争うかと思うと、切ない声で鳴き続ける。
ある時は傷つき汚れ、ある時は食事もそこそこにまた出かける。
まるで愚かな人間の様でもあり、俳句独特の季題の一つであろう。
この日の私の特選句をご紹介しよう。

 寝返りを打ちし女房や猫の恋  英世

私の本棚「古事記」

大学受験を控えた塾生と話をしていたら、いつの間にか日本の原風景、つまり日本誕生の話しになり、その不明が恥ずかしくなった。
というのは日本の記紀は古事記と日本書紀に始まると云うことは知っていたが、実際にこれらの本を詳しく読んだことはなかったからである。
早速本棚を探し廻り、現代語訳「古事記」と同じく「日本書紀」を見つけ出した。購入した時点で現代語訳にしたのは、残念ながら原文ではちんぷんかんぷん全く分からないと思ったからであろう。
まず稗田阿礼が誦習していたものを太安万侶が撰進した古事記を詠んだ。
混沌とした宇宙の世界から日本が誕生する神話の世界、天岩戸や国ゆずりの物語、そして、神武天皇から始まる往時の天皇系図とエピソードが、中国の史記のように物語風に書かれている。
ただその中で、常に敵対者との戦いと日嗣(世継)を巡る骨肉の争いの絶えなかったことが、わが日本(天皇家)の記紀としては残念でならなかった。
その中でたった三行であるが、継体天皇の項に先ごろ訪ねた筑紫のイハヰ(磐井の乱)のことが書かれていた。
ちなみに今日は建国の日、古事記を詠むにはふさわしい日かもしれない。

  日の本の生れし日とや春めける  英世

一句の風景

指先の軽き重みや春障子

俳句ステーション(インターネット句会)で星野高士先生の特選を頂いた句である。
障子は本来冬の季題であるが、春の障子つまり春障子が新しくホトトギスの歳時記に、新季題として採用された。
暗い冬が明けて早春の日差しが障子に当たる。その日差しは柔らかく温かみを感じるものである。
その春障子をあけると、冬の障子とは違う指先の軽さを感覚的に感じて詠んだ句である
2011年(平成23年)2月「季題:春障子(春)」

忘れ傘

私は平成元年に東京本社へ転勤したが、その赴任初日のことであった。
まずは挨拶回りにと秋葉原へ行ったところ、折しもこの日は梅雨の盛りで、傘なしでは到底歩けないはずなのに、帰りの山手線で早速傘を忘れてしまったのである。
しかも妻が単身赴任だからと、靴や下着類、スーツなどとともに揃えてくれたばかりの結構上等な傘であった。
東京へ転勤したばかりで、地理不案内の上に大都会の人の多さや喧騒に圧倒され、慣れない仕事への不安も重なって、緊張感から身の回りのことに気が回らなくなっていたのかもしれない。
気が付いた時には電車のドアはもう閉まった後で、先輩にそのことを告げてもほっとけと言わんばかりの態度である。
「傘などは安物で良いんだよ、どうせ忘れて失くしてしまうのだから」と平然と言いながら、駅の売店で白いビニール傘を買ってくれた。まさに使い捨ての傘である。
元来物を大事にして来た私には、東京とはそんな所かと妙に納得したが、その途端何となく自分が田舎者に思えて仕方がなかった。
それ以来何本の傘を失くしただろうか。中には盗られたものもあるかもしれない。
それから十年後、人事異動で東京を離れる時に、同僚から記念にと当時日本一軽いという折りたたみ式の傘をプレゼントされた。
使いやすくバッグにすっぽり入り、それでいて重さを感じさせないその傘も、先日とうとう失くしてしまった。

 春雨や諦めきれぬ傘もある  英世

忘れもの

定年退職後、孫の愛莉を連れての公園の散歩が私の楽しみの一つになった。
その日も走り回る愛莉を追っかけながら遊んでいると、彼女はどこからかサッカーボールを拾ってきた。
子供にとって大事なはずのボールを忘れるとは、一体どうしたことだろうか。
世の中が豊かになり、ボールぐらい失くしてもまた買えば良いと、あまり物を大事にしなくなったのかもしれない。
忘れものと言えば何と言ってもナンバーワンは傘である。これはJR等でもあまり変わらないようである。
傘の忘れ物については、私自身悔しいというか情けない思い出がある。
明日はそのことについてお話しよう。

 春雨やサッカーボールと忘れ傘  英世

「焼」の一字を入れた句

またまた季題ではない兼題が出た。「焼」の一字を使った句を作れと言うのである。
もちろん俳句だから季題は必要であるが、必ずしも季題の中に焼の字を入れる必要もなく、句のどこかに入っていればよいのである。
季節はたまたま立春でこの日から春と言うことになるが、そう都合よく春の句が出来るものではない。新年から立春までの焼に関する句を詠むことにした。
焼の字と言えばつまり焼くである。様々な焼くの場面を思い起こしながら句材を選んだ。どんど焼き、焼芋、鍋焼き、夕焼、焼物、まだまだたくさん思い浮かんで来た。
中には妻の焼き餅など、とんと縁がなくなってしまったものもある。
その焼の字を詠んだこの日の特選句をご紹介しよう。

 星一つ冬夕焼に染まらざり  英世

煮凝

昨日の晩酌の肴に、珍しいものがあるから食べるかと家内が聞く。
見れば煮凝である。これは珍しい。
先日からの冷え込みで、手羽大根の汁つまりゼラチン質が固まって出来たものであろう。
この季節酒の肴に珍重されるものであるが、最近は家が暖かくなったせいか、その筋の酒舗に行かなければなかなかお目にかかれない代物である。
煮凝は鍋の底にへばりついているときは何の変哲もないが、ひとたび器に盛り付けると見事な料理に変身するから不思議である。
また、鶏等の肉片や魚の身が混じっていると、これも何か得したような気分になるし、事実この肉片がまた味が染み込んでおいしいことこの上ない。
ビールに焼酎と、煮凝を肴にじっくりと味わう至福のひとときであった。
この煮凝もれっきとした冬の季題である。

 煮凝の肉片にある旨味かな  英世

冬野二月号

早いもので節分も立春も過ぎ、もう2月5日である。
冬野2月号が届いたので、いつもの様に冬野入選句とその他の入選句を合わせてご紹介しよう。
今月の冬野インターネット俳句の出来は散々であった。少し甘く見ていたのかもしれないと反省猿の私である。

冬野二月号
 馴れし道迷ひて深き落葉かな
 遠目にも時化ゐる海や冬紅葉
 冬めくや玄関灯の切れしまま
 茶の花や久留米絣の機の音
 小鳥来るいきなり群を返し来る
 老農の手を目に代へて蓮根掘る
 蓮根掘どんぐり眼の顔上ぐる
 百段の磴を一気に息白し
 吾が町に風雅の一ト日得る師走
冬野インターネット俳句
 初夢や優しき母の遠ざかる
 玄関の笑ひ炬燵へ誘ひぬ
俳句ステーションインタネット俳句
 河豚刺しや色鍋島の彩透けり
 湯の街に何するでなくちゃんちゃんこ(星野高士選天賞)
 幽玄と浮かぶ鳥居や除夜の鐘
俳句ステーション一月号補追
 台風に三日足止め島の旅(星野高士選天賞)
 田沢湖も鳥海山も小春かな

立春

今日2月4日は立春である。
暦の上では今日から春と言うことになるが、実際はこの時期が一番寒く雪も降りやすい。事実、博多でも二日から雪が降っている。
それでも自然界は正直である。
立春の声と共に今朝から青空が広がり、予報では気温も高くなるらしい。昼からは句会に出かけるので、温かいのはこの上ないプレゼントである。
また、日脚は着実に伸び、今まで真っ暗な道を家路へ急いでいたが、この頃は夕映の中を帰る日が多くなってきた。
ある歳時記によれば、まだ寒いが日脚の伸びの感じられる時期を立春としたのは、農耕上の必要からだとも言われている。
確かに地には犬ふぐりが真珠の涙のように咲いているし、梅の便りがあちこちから聞こえて来る。春は着実にそこまでやって来ているのだろう。

 春立つや野辺の風にも光りにも  英世

二月の花ごよみ「黄梅」

昨日は一日中雪模様で、お昼ごろは珍しく風花が舞っていた。
さて、二月の花と言えば梅と言うことになるが、梅と言う字を使っていても梅の種類でない花に黄梅がある。
ジャスミンの仲間であるが、ジャスミン特有の芳香はなく実も結ばないと言う、全く変わり種の花である。
花は梅に似ているが、根本的な違いは花が黄色であること、花弁が6枚の盃状であることである。また、幹も梅のような樹木ではなく半蔓状の緑色の枝をたくさん垂らしている。
私自身もあまりなじみのない花であるが、石垣から大きく垂れたものや、盆栽などを見ると、世の中にはこんな花もあるのかと楽しくなってしまう。
もちろん春のれっきとした季題である。
今日はアクセスが多くなかなか接続できずに遅くなってしまいました。

 黄梅の実も芳香もなき次第  英世

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季節の花300より

昨日、二月には思わぬ大雪になることがあると書いたばかりなのに、今朝は早速その雪に見舞われ一面の銀世界である。
この分では佐賀県との県境の脊振山系などは交通止めになるほどの積雪だろう。昔この道で夜中に雪が降りだして、山頂付近で寒さに震えながらチェーンを巻いたことを思い出した。
それにしても今年の寒さと大雪はどうしたことだろうか。北国は生活を脅かされ、交通事故や雪崩の事故も頻発している。
老人世帯では家が埋まってしまい、生活に支障をきたしていると言う。
この雪だけは人間の力ではどうしようもないのかもしれないが、せめて雪下ろしだけでも国の力で応援できないものだろうか。
この雪の中、家内は元気に出て行った。私も午後からは出かけねばならない。
まだまだ自分の足で出かけられる程度の雪で、南国に住んでいる有り難さに感謝しなければなるまい。
写真は我が家のベランダから見た今朝の風景である。

 珍しき雪に足もとおぼつかず  英世

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二月に入る

今日から二月、しかも四年に一度のうるう年である。
二月と言えば日ごとに日脚が伸びて春を予感させるが、実際はまだまだ厳しい寒さが残っている。
冴え返るとか余寒とかいう春の季題が幅を利かせる季節で、特に九州ではこの二月に大雪に見舞われることが多い。
この時期の花は寒さに耐えて咲き続けて来た水仙や寒椿の後を追うように、梅の花がほころび始め、鶯の初音もこの頃だし、月末には早くも燕が飛来してくる。
梅の花と言えば太宰府天満宮、受験シーズンの合格祈願などで正月の次に賑うシーズンである。
その春の訪れ、私もそろそろ正月惚けから目覚めるとしよう。

 梅宮や親子で固く結ぶ絵馬  英世

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