二月が終わる

今日で短いながらもソチオリンピックに湧いた二月が終わる。
スキーやスケートなどウインタースポーツには縁遠い私には、やっと終ってくれたかという感が無きにしもない。
先月、今は温かいが本当の寒さは二月にやって来るとお話ししたが、その通りものすごい寒波が日本列島を襲い、交通網や農作物などに後遺症を残していった。
昨今は野菜もハウスものばかりで、そのハウスが雪にやられたということで、一挙に値上がりし今後は品不足も確実と言う。
ハウスものだけに頼るのではなく、やはり旬の味を大切にした露地物を見直すべきではなかろうか。つまり旬のものを旬に食べようというのである。
このところの温かさで、被災地では雪崩の心配もあるというニュースを見ながらそんなことを考えていた。

 我が街の積むこともなき春の雪  英世

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筑紫野探勝会「天開稲荷」

筑紫野探勝会「天開稲荷」
太宰府天満宮の裏手の山をしばらく登ると、小さな祠がある。それが天開稲荷神社である。
一般的に稲荷神社は2月に初午、二の午、三の午と祭事があるが、この天開稲荷は毎月一日だけに必ず祭事が行われるといった少し変わった稲荷だということを、茶店で甘酒を頂きながら聞いたことがある。
その天開稲荷神社が今回の吟行地で、この日は小雨ながらもまあまあの天気で素晴らしい吟行であった。
天満宮は雨の平日とはいえ外国の観光客は思い思いに訳の解らぬ言葉を発しながら、園内の梅に見入っていた。(失礼、分からないのは私の方かも)
天満宮の梅は今を盛りと咲き競い、あの飛梅もこれ以上咲きようがないといった咲きっぷりであった。
句会での成績は散々であったが、かろうじて入選したこの日の一句をご紹介しよう。

 春禽の声参道に奥宮に  英世

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一句の風景

里山と化せし水城やすみれ草

太宰府市の史跡「水城跡」に遊んだ時の句である。
かつては太宰府の防衛施設として作られた水城の跡も、今では市民の憩いの場所と化している。
うっそうとした水城の森の裾には広場が広がっており、この時期早くも若草が芽生え始めていた。
よく見ると水仙や犬ふぐり等、春に先駆けて開花する花に混じって、薄紫のすみれの花が咲き初めていた。
自然は天与の時を疑わず、きちんと咲いてくれるものだと、少なからず感銘を受けて賜った句である
2012年(平成24年)2月「季題:すみれ(春)」

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私の本棚「野見山朱鳥」

火を投げし如くに雲や朴の花  野見山朱鳥
私の本棚に野見山飛鳥「愁絶の火」と言う一冊がある。
1999年12月とあるからかなり古い本であるが、本を大事にする私は今でもこの本もきれいにしている。
冒頭句に代表される野見山朱鳥は、虚子に「先に茅舎を失い今は朱鳥を得た」と言わしめたほどの俳人である。
福岡県直方出身の彼は当初画家を目指していたが、病弱だったこともあり昭和20年ごろから俳句の道に専念し生涯虚子に師事している。
「花鳥諷詠」の客観写生を徹底し、さらに進化させた朱鳥の生命感は「生命諷詠」と評される独特の句風を作って行った。
私の目指す俳句もどちらかと言えばこちらに近いかもしれない。
本では彼の俳句全作品と短歌、随筆それに本来彼が求めていた絵画などが掲載されている。
また、私に俳句の道を開いて下さった恩師の古賀伸治先生の、朱鳥を偲ぶ寄稿文も掲載されており、永久保存版とした大事にしたい本である。

 春宵の影の軽さを引きゆけり  英世

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春の植物園

あまりの穏やかな天気に誘われて、運動を兼ねてぶらりと植物園に出かけた。
この日は小学生の集団やよその俳句のサークルと一緒になったりと、なかなか賑やかな人出であった。
ところが、春とはいえまだ花の数も少ないし、先月お話ししたように薔薇園は剪定され花を落としてどことなくさびしい園であった。
聞けば植物園の花は持ち出し禁止で、切り取った薔薇は捨ててしまったと言う。何となくもったいないような気がした。
ところで、植物園の入口には、いま見ごろの花が咲いている場所を示したパンフレットを配布している。
そのパンフレットは毎週書き変えていると言うことだが、目的を持って植物園に行く者には至極便利である。
この日はこのパンフレットを手に見ごろの梅を心行くまで楽しむことが出来た。
ここしばらくは植物園の写真をご紹介しよう。

  紅梅の顔の高さに匂ひけり  英世

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偶数

一般的に神社に参拝すると「二礼・二拍手・一礼」とするが、出雲大社や宇佐神宮では「四拍手」であり、大事な儀式のときには「八拍手」だという。
この違いはどうも神霊を幾つに数えるかの違いの様である。
参拝の仕方は違うものの、どうして拍手の数がいずれも偶数なのか気になっていたが、このほど出雲大社の宮司がそれを分かりやすく解説していた。
日本人は元来偶数を吉としている。それは人と人が寄り添うことから偶数になり、その頂点を「十」とした。
ところが、「十」は行き着いた意味の数であり、それでは未来がないということで、一つ手前の「八」を基準にし、大事にして来たということである。
その証拠に出雲大社では大礼の時には今でも柏手を八つ打つのだと言う。
そう言えば、博多一本締め(手一本)は一本とあるが拍手の出だしは二拍手の偶数である。また興味が湧いてきた。

 柏手の音高らかに春の宮  英世

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春時雨

時雨と言えば冬の雨のことであるが、早春のこの時期にもしっとりとした雨が降る。
その時雨に似た雨のことを特に春時雨と呼んで、俳句の季題になっている。
春の雨は一般的には春雨と呼ばれ、古くから情緒のある雨として詩歌に親しまれて来た。
しかしここで言う春時雨は、まだ早春の肌寒いかむしろ寒さの残る時期の雨である。
その冷たい時雨に春の趣をかぶせて明るく艶やかにした感じがする。
この春時雨が降りやがて温かい春の雨となり、啓蟄で虫が目覚め燕がやって来ると、待ちに待った本格的な春となる。
その春時雨が今回の兼題であった。
例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 春時雨とは音もなく風もなく  英世

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初午

2月の最初の午の日、つまり今年は2月4日の立春の日に、全国の稲荷神社で祭礼がおこなわれた。
これが初午で、さらに二の午、三の午まである。
また、三の午がある年は火事が多いと言われているが、これは午が火に通ずるといった俗信ではなかろうか。
福岡市でも愛宕神社や筥崎宮、護国神社などに稲荷神社がまつられている。
いつぞやお話しした東京の鈴木真砂女の店「卯波」の側にも小さな祠があった。
初午には参道に幟を立て、太鼓をたたき、油揚げをお供えすると、狐がお使いとして現れることになっている。
この稲荷信仰は平安時代から伝わる古い信仰で、稲荷は稲生の意味で農業の神、田の神と言われているが、現在は開運・商売の神としても信じられている。
その初午が今回の兼題とわかり、私も護国神社の稲荷神社に詣でてきた。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 初午や山駆け上る朱の幟  英世

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一句の風景


盆梅や人声もなき武家屋敷

とある武家屋敷を訪ねたら、どこからともなく梅の香りがして来た。
急いで庭を見まわしたが、それらしい梅の木は見当たらなかった。それでも幽かな匂いがする。
よく見ると武家屋敷の座敷に数鉢の盆梅、つまり梅の盆栽が並べられていた。
おそらくその主が丹精込めて育てた盆梅を、季節ごとに訪れる観光客のために座敷に並べているのであろう。
しばし観賞していたが、武家屋敷には人の温もりはなく、もちろん人声もしていなかった。
2012年(平成24年)2月「季題:梅(春)」

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タクシーの乗り方

先日酔ってしまって某所からタクシーで帰った時のことである。
このところよく忘れ物をすることが多いのでと、バッグをしっかりと抱きしめていると、運転手さんが笑いながら面白い話をしてくれた。
タクシーで忘れ物しないためには、バッグや傘などの手回り品は座席に座った本人の左側に置けばよいと言うのである。
そうすれば降りるときには嫌でも目に入るし、荷物にぶつかるので決して忘れることはない。タクシーの降り口は必ず左側にしかないからである。
話しを聴きながら、なるほどさすがはプロだと感心した。
タクシーに忘れ物をされると運転手もその後のフォローが大変であろう。
みなさんも一度お試しになったらいかがだろうか。
お蔭で忘れ物もなく無事我が家に帰りつくことが出来たが、肝心の帰りついた時間はまったく覚えていない。

春の夜の酒はタクシーに乗ることに  英世

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愛莉の誕生日

先にお話しした2月9日のピアノ発表会の日は、愛莉の7歳の誕生日でもあった。
両親と妹の菜々美と共にお寿司とケーキで内々のお祝いはしたようだが、爺として遅ればせながらお祝いをすることにした。
愛莉のお祝いには、何か買いたい本があると言っていたので、図書カードと愛莉の好きなフルーツロールケーキを贈った。ケーキはもちろん「あいりちゃん、おたんじょうびおめでとう」のメッセージ付きである。
一緒に食べたそのケーキの美味しかったこと。(残念ながら写真を取り忘れて食べてしまった)
愛莉は2月の早生れなので、この時期の体力の差は大きく、どうなることかと心配していたが、クラスでもやや大きい方に育っている。
勉強もそこそこに出来るようでそれほど心配することはなかったようである。
このまま病気をせずに健やかに育って貰いたいものである。
なお、愛莉は誕生日記念に着物姿の写真を撮ったということで、プロの正式な記念写真ではないが、母親が撮った写真を今日は特別に公開しよう。

 和の心保つ装ひ桃の花  英世

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百年句会「小富士梅林」

福岡市の西に糸島市がある。
糸島市は福岡という大都会に近い割には、風光明媚で歴史的にも見処の多い静かな町で、そのほとんどが半島になっており、筑紫富士とか小富士と呼ばれる富士山そっくりの可也山がどんと居座っている。
その可也山の南斜面に広がっているのが小富士梅林で、この梅林が昨日の吟行であった。
この日は折からの寒波も緩み、時折日差しの差す絶好の吟行日和であった。
この小富士梅林はもともと里人の食用として植えられたものが、いつの間にか梅の名所となり、今では3000本の梅が咲き誇っている。
また、里人の家々には見事な枝垂れ梅や梅の古木が植えられており、行く人々の目を楽しませてくれる。
また、この糸島半島は良港に恵まれお魚の美味しいことで有名だが、この日は前日までの荒れで魚が上がらず野菜中心のランチであったが、それはそれでまた別の趣があり美味しかった。
この日は梅林を中心にたくさんの写真を撮ったので、しばらくはその風景を掲載するとしよう。
例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 さげもんにしたき旧家の枝垂れ梅  英世

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夢は句にしない


先日ある俳人の句に夢を題材にした句があった。
初夢でもなくただ夢を見たと言う句で、夢の中身つまり愛だ恋だのと言った夢の内容を句にしたものであった。
私ごとだが、私は夢の内容はあまり句にしないようにしている。
確かに夢はその人の深層心理かもしれないが、あまりにも主観的で客観写生を旨とする私の俳句にはそぐわないと思うからである。
ただし、夢を詠んだ句がないわけではない。
虚子の句に「長き夜や世にさすらへる夢を見し」という句がある。ただ、この句も夢の中身をくどくどと説明はしていない。
夢は願望であったり現状逃避であったりと、どちらかと云えば反自分的な抒情の世界が多く、俳句にはあまりふさわしいとは思わない。
これからも夢に託した句はあまり詠まないようにしたいと思っている。

 早春や夢に拾ひし句を捨つる  英世

辞書の要らない文章

20日ほど前の朝日新聞のコラムに「平明にして深みのある文章は読んでいて心地が良い」として、サマーセット・モームの事例を紹介していた。
モームは75歳の誕生日に、いままでで一番うれしかったことは何かとたずねられて、
「戦場にいる兵士から、あなたの作品を読んだが、一度も字引の厄介にならなかった、という手紙を貰ったとき」だと答えたそうだ。
この逸話にあるように、いかにも平明と達意のモームらしいとあった。
このことは私が心がけている俳句やエッセイにも通じることである。
必要以上に難解な語句を、さも自分は知っているぞと言わんばかりにひけらかしたり、似たような形容詞を繰り返し、くどくどと修飾語の羅列で塗りたくった文章が大嫌いである。
そのことで句や文章の格調が高まるというのであればいいが、必ずしもそうとばかりは言えまい。
私はあくまでも辞書の要らない平明に徹して行くつもりである。

 てにをはの一字大事に春の句座  英世

自然から句を貰う

ずいぶん前の話だが、ある俳句大会で「自然から俳句を貰う」という講演を聞いた。
この言葉を聞いて、私は即座に「この人は伝統俳句系の人」だなと感じた。
客観写生を旨とする高浜虚子の世界にいなければ、こう言う発想は出て来ないはずである。
俳句を作るにはまず目の前のみたもの、あるいは見たことから詠むのが筋である。
どうしてもその時に見つからなかったら、過去の記憶をたどって詠むこともあるが、基本はやはりこの「自然から俳句を貰う」ということだろう。
その自然の中に季題を見つけ、その季題を最高に生かすにはどう詠むかを研究すべきだと思う。
色々異論もあるかとは思うが、私はこの自然から句を貰う姿勢を貫いて行きたい。

 春立つや花鳥諷詠ひたすらに  英世

芸能大会

数年前にも一度お話ししたが、所属している福岡市シルバー人材センターでは、毎年会員による芸能大会が開催される。
その大会が先日開催され、カラオケを始めいろんな芸能が披露されたが、それぞれプロ顔負けの熱演ぶりであった。
主な演目は民謡、日本舞踊、剣舞、太極拳、博多にわか、津軽三味線、大正琴、マジック、フラダンスなどで、それぞれ珍しい演技が披露された。
中には活弁(無声映画の弁士)や、津軽三味線でロシア民謡の「カチュウシャ」を演奏したり、安来節では定番の泥鰌すくいではなく女性によるしなやかな踊り、そして極めつけはユーモラスなひょっとこ踊りで観衆を沸かせていた。
7000人もの会員がいれば多士済済で、素晴しい特技を持った人がいるものだと改めて感心させられた。
その熱演ぶりを写真でご紹介しよう。

 春風や歳を忘れて舞踊る  英世

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愛莉のピアノ発表会

孫娘愛莉の初のピアノ発表会が九州エネルギーホールで開催されるので家族総出で観賞というより応援に行った。
愛莉は4年前幼稚園入園と共にピアノのお稽古を始めた。
その間何度もそのお稽古風景を見学に行ったし、教室内での発表会にも出席してきたが、それがこのような立派なホールで演奏するようになろうとは感無量であった。
演奏風景ときれいなドレス姿をお見せできないのが残念である。
ところで、会場の九州エネルーギー館が、近く閉鎖になるらしい。
電力業界に対する世間の波は荒く、経費節減のためにやむを得ず閉館するということだが、子供や孫たちと幾度となく訪れ親しんで来たミュージアムであり誠に残念である。
何とか子供たちが無料で遊び学べる場所として残して欲しかったのだが。

 梅が香や白きドレスの初舞台  英世

一句の風景

星一つ冬夕焼に染まらざり

久し振りに晴れた西の空にうす赤い夕焼けが広がっていた。冬夕焼である。
冬の空は空気が乾燥しており、その美しさは夏の夕焼とはまた別の世界のものであった。ふと見上げるとその夕焼の上空に早くも一番星が光りはじめていた。
その星は段々と輝きを増し、夕焼の上にキラキラと輝いている。
あたかもその星は夕焼の彩には染まらないぞとばかり、孤高の光を放っているかのようであった。
2012年(平成24年)1月「季題:冬夕焼(冬)」

俳句では花鳥諷詠と言われるように鳥は欠かせない句材である。
その代表が春は鶯であろう。
実際にこの時期に鳥の声を耳にすることは少なく、それだけに初音と言えば鶯とされるほど、この鶯の鳴き声を待ち焦がれるものである。
また、この鶯の鳴き声で春の訪れを知るということから春告鳥とも呼ばれている。
鳥としては目立たない地味な色をしているが、それがまた日本人の好みにあっているようで、鶯色とか鶯餅として親しまれている。
子供の頃に「ホーホケキョ」と口笛で真似て、悪餓鬼どもと競争した頃が懐かしい。
その鶯が今回の兼題であった。
例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 無意識に耳に手をやる初音かな  英世

梅見

俳句にとって梅は欠かせない句材であるが、その梅にもいろいろな季題や傍題がある。
一月の探梅から始まって早梅、寒梅、梅、紅梅、盆梅そして梅見つまり観梅などがある。
その梅見が今回の兼題であった。
奈良、平安時代の花見と言えばこの梅のことで、春の花見の先がけとなったものである。
私の梅見のスポットはもちろん太宰府で、境内に咲き誇る梅の数は約6000本とも言われ、その中には先日お話した道真公ゆかりの飛梅も咲いている。
梅見には春の寒さがつきまとうが、風のない穏やかな日に熱燗を一杯やりながらの梅見はまた格別の味わいがある。もっとも太宰府では温かい甘酒と梅が枝餅と言う人も多いかもしれないが。
早々と野点が立つこともあり、この太宰府の梅見から今年の春が始まって行くのである。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 観梅のあとはいつものお石茶屋  英世

街角の時計

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昨日は目覚まし時計の話をしたが、今日は街角の街頭時計についてお話しよう。
今でこそ少なくなったが、街を歩くと至るところに大きな時計が設置されている。
その時計を見ながら街を歩くのも楽しいもので、中には新天町のからくり時計、市役所の一風変わった花時計、水時計のように市民に人気の時計もある。
私の家の前の小さな商店街にもまん丸の時計がかかっている。
いつ頃からあるのか知らないが、私がこの町に住んで15年になるので、それ以前からあったことは間違いない。
時計のスタイルや文字盤からして相当古いものだということも分かる。
見慣れているので気にすることもないが、所用で早朝に出かける時などは、薄暗い空に浮かぶこの時計を見ると、何となく我が街という安心感が漂うのは何故だろうか。
別に時刻を確かめるわけでもないのに。

 立春や路地の時計は午前五時  英世

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目覚まし時計

私の部屋には三つの目覚まし時計がある。その中には少々古くなったが、東京に単身赴任の折に必要だろうと買った時計もある。
それぞれ個性のある時計ばかりで、その個性の所為か時刻も少しずつずれて来る。半年に一回ほどはその三つの時刻をそろえなければならない。
実際目覚ましに使っているのは平凡な文字盤の丸型の時計だが、これは目覚めの時刻になると他の2台とはまったく違って誠ににぎやかな音を奏でる。
時刻になるとまず「温かいあなた好き」と女性の素敵な歌声で始まり、続いて「お目覚めの時間ですよ、今日も頑張って下さいね」とその女性の優しいささやきが聞こえてくる。
これだけなら、このまままた眠ってみたくなるものだが、その後がけたたましい。
アントニオ猪木のだみ声で「起きてますか、今日も元気に一・二・三ダア…」と来る。まるで猪木特有の喝を入れるパンチのようで、到底眠り続けることは出来ない。しかも起きて止めるまで何回も繰り返すから始末におえない。
最近は年をとったせいか目覚ましのなる前に目が覚めてしまうが、この声を聴きたくて目覚めてもしばらくはこの目覚ましをかけっぱなしにしている。

 春立つと言へど眠いものは眠い  英世

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接遇研修

所属している団体の企画で接遇研修を受けた。
接遇、つまり笑顔で明るい応対の仕方である。
挨拶の仕方から始まって接遇の基本動作、心と服装、言葉遣いと表現など基本的なことを学んだ。
実はこの種の研修は現役時代に幾度となく受けてきたが、研修は復習だと思い真面目に受講した。
現在の私のお客様は強いて言えば18,19歳の大学受験生である。
その若い受験生に年かさの私が基本通りの挨拶をしても始まらない。
それはむしろいんぎん無礼で滑稽にさえ思えるであろう。そこはそれ年相応に応用を利かして対応している。
それでも基本を知っているかいないかは、自然とその態度に表れているのではなかろうか。

 受験子の笑顔にこころ安らげり  英世

冬野二月号

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冬野正月号の時にお話すべきだったが、今年より冬野誌の表紙絵が句友の鶴内恵先生の絵に変わった。岡垣町の波津漁港の初夏を描いた素晴らしい風景画である。
これから一年この絵の冬野を楽しむことになるが、私は作者とも親しく色彩豊かなその絵が気に入っている。
その冬野二月号が届いたので、例によってその他の句会の入選句と併せてご紹介しよう。
それにしても今月のインターネット俳句の成績は散々であった。
少し俳句を甘く見ていたのかもしれない。

冬野二月号
 冬野誌に投句十年翁の忌
 子のくれし古希のジャケット冬温し
 静雲の墓は裏口枯すすき
 また落葉始まる朝の伽藍かな
 本殿の千木の高さにある小春
 玄海の冬駆けて来る波頭
 妻と吾の二人の暮し石蕗の花
 首塚てふ丸き墳墓や夕時雨
 物置となりて開かずの冬座敷
 年越の祓ひや出仕の薄化粧
 街騒に慣れて陣解く鴨の群
冬野インターネット俳句
 去年今年ひと日の重み感じをり
 群れゐても視線ばらばら寒烏
俳句ステーション
 町医者はなべて年寄り根深汁(互選二席)
 短日やストーンヘンジに差す夕日
 負け戦見るが如くに枯蓮
現代俳句インターネット句会
 寒の夜や充電中の赤ランプ
NHK俳句入選句
 毛皮着て妻先を行く銀座かな(小澤實選)

節分

昨日2月3日は節分であった。
この節分は春夏秋冬の季節の変わり目を表す大事な行事である。
中でも単に節分と言えば立春の前日、つまり大寒の最後の日を言うことが通例となり、俳句でも冬の季題になっている。
従って厳密には春は立春の2月4日からということになる。
その節分に豆をまく習慣は遠く平安時代に始まったとされている。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じるとされ、それを追い払うために豆をまくようになったようである。豆は「魔滅」「魔目」に通じると言われている。
と言うことで、昨日は博多鎮守の櫛田神宮の豆まきに行って来た。
たかが豆まきと思っていたが、豆を拾うということは大変なことで、まさに格闘であった。
下に落ちた豆を拾おうとかがみ込むと前の人のお尻にぶつかるし、後ろからは押されるはで、本当に怪我しなくてよかったなと思っている。
いつもは比較的冷静な私だが、知らず知らずのうちに興奮し狂っている自分が面白かった。

 節分や豆踏む音も邪鬼払ひ  英世

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飛梅はなぜ白梅か

昨日の2月2日に、太宰府天満宮で「梅まつり・俳句大会」が開催されたので出席した。
それはさて置き、太宰府と言えば飛梅、その飛梅がなぜ白梅なのか俳人の長谷川櫂が「海のほそ道」の中で解説していたのでご紹介しよう。
太宰府に左遷された道真の京の庭には見事な紅梅が咲いていた。
京を離れるときに、道真がその紅梅に別れを惜しんだところ一夜にして太宰府に飛んで来たと言われている。
ところが太宰府に咲いたその飛梅はいつの間にか紅梅から白梅に変っていた。
その訳は道真が当時遣唐使の廃止を推進していたことから、中国人の好みの紅梅ではなく、日本の梅として白梅になったと言う。
伝説はともかくとして現在の日中関係を思わせるような話である。
その梅まつり俳句大会は三分咲きの飛梅の下に開かれた。
句会では幸運にも高得点者に選ばれ、「万年毛筆」なる面白い賞品を頂いた。
その入選句をご紹介しよう。

 主恋ふ梅とし香り千余年  英世

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二月の花ごよみ(盆梅)

2月と言えば梅、今日はその中の盆梅の話をしよう
東京に単身赴任していた頃、埼玉県さいたまし市の盆栽村を訪ねたことがある。
関東大震災のとき、東京小石川周辺にあった盆栽業者が、難を避けて移住したのが始まりという。
新聞情報によると、日本人と中国など外国人の盆栽に対する感覚は全く違うらしい。
日本人は努めて小さくその姿の優美さに惹かれるのに対し、外国では雄大さやにぎやかさが主流で、盆栽の根元に人形などを配したものまであると言う。
その盆栽仕立ての梅の鉢植えが盆梅で、もちろん春の季題である。
ところで、私が二年前に見た盆梅は筑後山川の田中梅花園で、別に数えたわけではないが100畳敷きの大広間に、約200鉢ほどの梅の盆栽が並んでいた。
その日はお天気も良く県内外から大勢の観梅客で大変賑っていた。
盆梅は松とも菊とも違う独特の雰囲気があり、どこか気高さを感じる。
今日は今から太宰府天満宮の梅まつり俳句大会に行きます。

 盆梅の香り満ち来る武家屋敷  英世

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二月に入る

今日から二月だが、このところ昼間は徐々に暖かさを増してきた。
特に、昨日今日の暖かさは春3月の陽気とか。道理でこのところ起きるのが遅くなっていたのに、今朝はとてつもなく早く起きてしまった。
とは言えこのまま暖かくなる保証はなく、夜と昼の寒暖の差が激しくなるであろう。
朝夕の寒暖の差は自分で服装を合せなければなるまい。
本当に寒いのは気象学的にも私の経験からしてもこの2月である。
毎年福岡の大雪はこの2月中旬ごろに降る。今年はその大雪はまだ降っていないが、いつかどかんと降りそうな予感がする。
それでもその寒い中に春は確実にやって来ている。
その証拠に蝋梅や福寿草、水仙と春を招く花々が今を盛りと咲いている。もうすぐ梅も咲き、土筆も立つであろう。
さて、今年の二月は一体どのような二月になるであろうか。

 水仙の天与の時を疑はず  英世

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