四月が終る

比較的に安定した天気の四月が今日で終わる。それにしてもこの四月は忙しかった。
まず数か所の花見から始まり、油山登山、美術館での水彩画展、愛莉との野遊び、温泉、古い友人との酒席、その間に本来の仕事と数度の句会といった具合によくもまあこんなに動いたものだと感心している。
その中で、一番の思い出はくじ運の悪さだろう。
所属している俳句結社の大会が秋にあると言うので某会場の予約に行ったところ、他人と希望日が重なり抽選になってしまった。
もうお察しの通り、見事に外れてしまい予備日に回されてしまった。
そう言えば昨年も見事に抽選に外れ、予期せぬ日に大会を開かざるを得なかった。
どうも私のくじ運の悪さは天性のもの様である。
来年はくじ運の良い人に予約に行って貰いたいと願っている。

 くじ運の悪さ嘆きつ春惜しむ  英世

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一句の風景

ままごとの子にもみくちやの子猫かな

子猫は何時でも生まれそうだが、やはり春先が多いようである。
その子猫が少し大きくなり、人の子と遊び始めた頃の光景である。
女の子がままごとを始めた。
いっぱしの姉さんきどりで、無理やりに寝かせつけたり、起こしてミルクを飲ませたりと、もう猫の子をもみくちゃにしている。
猫の子とすれば迷惑な話だが、女の子はこうして成長して行くのだろう。
2012年(平成24年)4月「季題:子猫(春)」

雑詠

句会の仕組みは再々お話してきたので、またかと思われるかもしれないが、少しお話しよう。
句会には兼題(出される季題が決まっているもの)と雑詠(当季季題であれば自由)の二通りがある。
シルバーで運営している俳句の会「鴻臚」ではこの雑詠も可ということになっているが、私はほとんど兼題のみを投句し雑詠は投句しないことが多かった。
ところが、この日はどのような虫の居所だったのか、雑詠もよかろうと一句投句してみた。
何とその句が選者の特選に選ばれ、互選でも高得点を得ることが出来た。
雑詠は季題に縛られず自由に詠むことが出来るので、そういう意味では真の力が発揮できるかもしれない。
その雑詠特選句をご紹介しよう。

 草餅や引揚げ寡婦の小さき店  英世

筑紫野探勝会

今回の筑紫野探勝会は都府楼祉から太宰府市民の森を探索するコースであった。
今までも似たようなコースを何回となく巡ったが、いつもお話ししているように季節も違えば天気も違ってくる。
そこには必ず新しい発見があり、それを見つけて句を詠むのも俳人の醍醐味である。
太宰府市民の森は都府楼祉の北側の四王寺山麓に広がる森林公園で、桜の名所として市民に親しまれている。
この時期桜は散ってしまっていたが、八重桜や枝垂れ桜の花がわずかにその名残をとどめていた。
また、森はいちはやく初夏の装いで、緑の若葉が目に沁み香しい新芽の匂いが森中に漂っていた。
その中で沢瀉や柳の花(柳絮)、葉緑素を持たない真白な銀龍草(またの名を幽霊花)を見つけた時などは挙って歓声を上げたものである。
その森に春を惜しみながら詠んだ、この日の入選句をご紹介しよう。

 春の日を散りゆくものと惜しみけり  英世

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またまた古い友人と飲む

昨日に続いてまたまた古い友人とのお酒の話である。
当初古い得意先と書こうとしたが、思い直して古い友人と書いた。
というのは、昨日、昔の得意先の幹部と久し振り飲んだのだが、いつまでも彼らを得意先と呼ぶのに何か不自然さを感じたからである。
厳密に言えば今は全く利害関係が無く、どちらかが見放せばとっくに赤の他人になってしまっていたに違いないからでもある。
ところが、彼らとの付き合いは私が退職してからも途切れることはなかった。それも外交辞令的な年賀状のやり取りだけには終わらなかったのである。
私も一応似たような立場であったが、彼らは私以上に経営幹部として苦労の多い日々の中で、立場こそ違えお互いに仕事以外のことでも腹を割って話し合い、信頼関係を高めていったからであろう。
そう言えば創業者の会長夫人が九州文学の同人で、「メーカーさんの中で文学の話しを出来るのはあなただけですね」と言われた時は損得なしに嬉しかった。
ということで、古い友人と飲んだ酒は本当においしかった。また、出席者の中では私が一番年長であったが、逆に一番若く見られたことも嬉しかった。
彼らとの付き合いはこれからも永く続いて行くことであろう。

 春の夜や古き友には古き酒  英世

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古い友人と酒を酌む

今朝は例によって4時過ぎに目が覚めたが、高校の同級生と飲んだ昨夜の酒が少しばかり残っていて、このままでは何をしゃべるかしれたものではないと、再び眠ることにして気が付けばこの時間になっていた。
と言う訳ではないが今日はお酒の話をしよう。
10年程前に定年退職したが、先日、その当時所属していた会社の現社長A氏が福岡に来ることになり、先輩の話しを聞きたいと声がかかって一緒に酌み交わした。
社長と共に来てくれた役員二人はかつて私の優秀な部下で、そう言った意味で彼らの昇進は出藍の誉れだと嬉しく心強かった。
社長は私より一回りほど年下で、当時別の事業所に所属していたが、彼が入社して間もない頃二人で沖縄に出張したことがある。
その時広く青い沖縄の海を見ながら、彼は上司に対する不満を私にぶちまけてきた。誰でも突き当たる一つの壁だった。
その時私は次のように返事したような気がする。
「上司の悪口は言わない方が良い。言っても何の解決にもならない。それよりも、そのような上司はさっさと出世させてやればよい。上司が出世すればあそこには君のような優秀な部下がいたからなと称されるし、逆に上司が失敗すれば君のような優秀な部下がおりながらと批判を浴びることだろう。とにかく不平を言わずに上司が出世するよう自分が懸命に働くことだ。そうすればその上司は勝手にどこかへ消えて行く。」
私がそんな偉そうなことを言ったのかどうかよく憶えていないが、何となく面映ゆい思い出であった。
それにしても久し振りに美味しいお酒であった。

 胸襟を開き酌む酒夏近し  英世

天神界隈吟行

今回の百年句会は天神の水鏡天満宮から中洲の「であい橋」界隈を吟行し、句会はいつもの水鏡天満宮であった。
この界隈は年に数回は吟行するし、水鏡天満宮は別の句会で毎月訪れている馴染み深いところである。
この日は朝からの雨も昼前には上がり素晴らしい百年句会となるはずであったが、実際は少なからず事情が違っていた。
というのは博多の中心部を流れる那珂川が護岸工事の真っ最中で、恐竜のような大きな重機が突っ立っていた。
昔懐かしい本物の川を、ただ水を運ぶだけの水路に変えようとしているように思えてならなかった。
この日は満潮時で川底は見えなかったが、しばらく経った干潮時には川底の砂は寄せ集められ、水は濁って魚や水鳥を受け付けないような状態で、そこから句材を拾うことはほとんど不可能に近かった。
それどもそこは俳人のはしくれ、川を離れ中央公園から水鏡天満宮にかけて何とか句材を見つけて句をこしらえることが出来た。
その中の入選句を一句ご紹介しよう。

 御句碑に立てば明るく春の雨  英世

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蝌蚪

ややこしい字だが「かと」と読む。博多弁で何ちゃあ無い「おたまじゃくし」のこったい。と言うことで蚪蚪はおたまじゃくし、つまり春の季題である。
この蚪蚪が今回の兼題であったが、出されてハタと困ってしまった。おたまじゃくしがどこに入るのか見当がつかなかったからである。
お城のお堀や平和公園の池、植物園の池と探し回ったがどこでも見ることはできなかった。
油山に登った時も流れに蛙の声はするけれどもどこを探してもいない。
その昔、父がしみじみと、田んぼに泥鰌も鮒もおたまじゃくしまでもがいなくなったと悲しそうに話していたことを思い出した。
そう思い出ばかりにふけっているわけにもいかず、散歩がてらに訪ねた平尾霊園に蛙がたくさんいたことを思い出し、ここならばと行ってみると何とその堀は現在埋め立て真っ最中であった。
こんなところの堀まで埋めて墓園を広げるとは、市もなんと情のないことをするものかとだんだん腹が立ってきた。
かくしてじっくり観察して詠むこともできず、僅かな思い出の中から賜ったこの日の特選句をご紹介しよう。

 一匹が動けば蚪蚪のみな動く  英世

花見

この兼題も桜と同様に時期がずれている。
花見とは桜を見ることを指しているが、すでにもう桜は散っており花見をする人もいない。
だが、私自身がこの春花見をしたことは事実である。
それにしても今年ほど花見をした年は無い。まず家の周りの公園、舞鶴公園、油山、動物園のある南公園、もうもうランドと何回花見をしたことであろうか。
ただ、残念ながら花見のメッカである西公園には、チャンスがなくて今年は行くことができなかった。
花見といえばお酒、友と酌むもよし一人静かに酌むもよし、私もしっかりと楽しませて貰った。
その花見を詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 腰かけし石に盃置く花見かな  英世

一句の風景

春愁や伸びてもをらぬ爪を切る

春は華やかで心の落ち着かないところがある半面、なんなくもの思いに誘われることがある。
特に若い女性に多い現象だが、春愁は若い女性だけとは限らない。
男にも春先は会社勤めの煩わしさ、子供のことなど等しく春愁を感じることがある。
そのような昼下り、男は黙って爪を切っていた。
男にしては箸とペンしか持ったことのないような細い指、そして伸びてもおらぬ爪をさらに短く切っていた。
男の心にはどのような憂いが貯まっていたのだろうか。
2012年(平成24年)4月「季題:春愁(春)」

一人静

またまた困った兼題が出た。滅多にお目にかかれない一人静という花である。
私もイメージが湧かず句作りに困り果てたが、かろうじて先日油山で見かけた一人静を思い出して句にまとめた。
そう言った意味で、油山は草花に名札がかけられ名前が紹介されているので大いに助かる。
記憶にあまり自信がなかったので、蔵書の「四季はなごよみ」やインターネットを見て、きっとこの花に違いないと信じて詠んだ。
その花はまだ育ちきらない4枚の若葉の頂きに糸状の白い花が一輪だけ可憐に咲いていた。
その姿は清楚で、静御前の面影に通わせて名付けられたという。
そのようにやや迷いながらも詠んだ句の中から、この日の入選句をご紹介しよう。

 寄り添ひて一人静かの孤独かな  英世

先日桜の話しをしたが、今回の句会の兼題がその桜であった。
俳句では桜のことを単に花ということもあるが、桜と兼題があったからには花と読む訳にはいかないのがこの世界のルールである。
今回は句会と桜の時期に少しずれがあるが、それでも今年の桜を心行くまで見ているので、鮮明なそのイメージで詠むことにした。
ところがこの桜、考えれば考えるほど難しい。何しろ歳時記の例句だけでも万を超す桜の句があるのだから。
様々に詠んではみるものの、この句はもしかしたらもう先人が詠んでいるのではなかろうか、類句、類想は良いとして盗作と疑われないだろうかと迷ってしまう。
それでも出さなければならない。えいやっと思いきって出した句の中から、この三月で廃校となった大名小学校を詠んだこの日の特選句をご紹介しよう。

 桜散る今年限りの学舎に  英世

我が家のルーツ Ⅲ

村に大津という三軒の大家(おおえ)があり、そのうちの一軒が我が家だとお話ししたが、何故か我が家だけが分家を持たなかった。したがって今でも親戚が少ない。
高祖父(父の祖父)の頃までしかよくわからないが、他の二軒の大家が分家政策をとり、村内に同族をたくさん抱えたのに対し、我が家は事業を展開していたせいか大家族制をとっていたようである。そう言えば姉が我が家にはお爺さんが二人居たと言っていた。
また、他家への養子縁組も積極的に進めていたようである。
村内に限らず、跡継ぎがなく途絶えていた古賀、木下、大石といった南筑後に多い名字の家をご先祖が次々に継いで行き、私の子どもの頃も父の従兄弟にそのような人がいた。
我が家はその高祖父の時代が一番繁栄していたようで、広大な田畑を持ち製剤所や精米所も経営していた。祖母の話しでは奉公人もたくさんいたようであった。
黒い木箱に彼が村人に貸し付けた金銭貸付証書も残っていたが、家を建て直す時に誤って捨ててしまったと弟から聞いた。いま残っておれば江戸から明治にかけてのの貴重な資料になったであろうに。
その金銭貸付証書と養子縁組が何らかの関連があるとすれば、あまり他人様に褒められたやり方ではなかったのかもしれない。
もちろん女性はどこかに嫁いで行くわけだが、その中には我が家で生まれていないのに何故か我が家で育った人も数人いて、その嫁入り先は近隣にとどまらず遠く筑前や熊本、鹿児島にまで広がっている。
その後我が家は没落して行く訳だが、その話は「母の一生」と題する私のエッセイの中で詳しくお話ししたことがある。(了)

 菜の花や見渡す限り我が田畑  英世

我が家のルーツ Ⅱ

昨日は久しぶりに裏山の鴻巣山を歩き廻りたっぷりと汗をかくことが出来た。
そして、今朝は西の空に春の朧月が美しく輝いている。
さて、昨日に続いて我が家のルーツにまつわる話である。
その昔、向かいの我が家とは別の大家(おおえ)に絶世の美女がいて、その美女のもとに久留米から殿様が通い詰めていたという。
実際は殿様ではなくそれなりの武士だったかもしれないが、通って来る度に数人の家来を連れて来て、その家来の宿泊やご接待をするのが我が家の役目だったらしい。
今は無くなってしまったが、子供の頃までは屋敷内に別棟の二階家があり、家来が馬を繋いだという柱も残っていた。
また我が家の屋号は「飲食店」と言われていたが、このこととその屋号が何か関係があるのだろうか。
殿様は日帰りの時もあればしばらく逗留したこともあろう。
長逗留ともなるとその家来のご接待で、我が家がいかに大変だったかが想像される。
そのような縁で、百姓ながら向かいの大家と共に藩から大いに庇護を受けていたことは確かなようで、そのことが明日お話しする我が家のかつての繁栄ぶりと何らかの関連があったと思われる。

 菜の花や殿はゆるりと長逗留  英世

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我が家のルーツ Ⅰ

今日も朝寝してしまった。
さて、このところ自分のルーツ探しが日本中でブームのようである。
その家が武家か商家であればそれなりの書きものがあり、比較的ルーツも探し易いだろうが、私のような百姓のルーツを探しだすのは至難の業である。
父の17回忌に菩提寺の僧侶に聞いても何の解決にもならなかった。なにしろ昔は佐賀利村の百姓の太郎兵衛とか言って名字がなかったのだから。
とはいえ、我が家にも父から聞いた口伝のルーツがあるのでご紹介しよう。
その昔、久留米有馬の殿様に肥後の国からお腰入れがあり、そのお奥方のために化粧田が下され、それを耕すために三軒の百姓が肥後大津から連れて来られた。
その三軒のうちの一軒が我が家のご先祖で、当代(私の弟)で11代目になるという。
そう言えば我が家の御位牌を虫干ししていたところ、古いものに寛政(1790年頃)という元号があったのを覚えている。
いまも村には大家(おおえ)と呼ばれる家が三軒あり、何れも大津という名字でそのうちの一軒が私の家である。
名字は父祖の地の肥後大津から取ったことは明らかである。子供のころまではその大津や玉名に親戚があり、祖母がお盆参りに行っていたことを覚えている。
なにしろ口伝だけにあまり信用はできないが、何となく信じて見たい気分になる。

 我が父祖は阿蘇の出とかや水温む  英世

スマホからの脱却

古い友人から久し振りに会わないかとの誘いを受け、約束の場所に急いでいる途中にまたまたスマホを見ながらの女性に通路をふさがれた。
言い尽くされた感もあるが、運転中の携帯電話とスマホを見ながらの自転車や往来がいかに危険なことかは、誰もが承知していながら一向によくならない。
今年入学の高校生や大学生も、しばらくは向学心に燃えているかもしれないが、そのうちスマホに頼る情けない学生がなってしまうかもしれない。
私はスマホではなくガラケーなので、インターネットを見ることもなく、ただ電話とメールに使っているだけだからそんな事を云えるのかもしれないが、往来での無法なスマホ熱には少し辟易し、自転車の乱暴な走りと同様にどうにかしなければと思っている。
誰か偉い学者が研究して、「歩きながら下向きでスマホばかり見ていると垂れ目になってしまうぞ」といった論文でも発表してくれないかなと思っている。

 春の道君はスマホの奴隷かな  英世

花まつり

このところ強行スケジュールが続いたので、今朝は意識して朝寝させて貰った。
さて、先日は虚子忌の寺で久し振りに花御堂を拝し甘茶を頂いたお話しをしたが、今日はその花まつりの話しをしよう。
先日、S新聞の関西版で「日本は不思議な国で、キリスト誕生(クリスマス)については世間はにぎあうが、釈迦が生まれた日についての関心はうすい」(司馬遼太郎「風塵抄」より)から始まる花まつり復興論のコラムを読んだ。
いつもながらS社のコラムにはかなり懐古的なものが多く、都度「良いものは良い、これはどうかな」と自分の主張と照らし合わせて読んでいるが、この花まつりをにぎやかにしようという論調には賛同を隠し得なかった。
そう言えば子供の頃の花まつりはひな祭りに匹敵するほど賑やかで、稚児行列なども盛んに行われ、お寺で仏様に甘茶を灌ぎながらその甘茶を頂き、駄菓子などを土産に貰ったものである。
クリスマスが何故にぎやかになったかと言うと、子供たちにプレゼントの習慣があったからであろう。
花まつりもこのように子供たちが喜ぶお釈迦様からのプレゼントの仕組みを考え、仏教界や百貨店、玩具業界、菓子業界などが挙って盛り上げれば、もっともっと賑やかな祭になるに違いない。
いつの日かお寺から子供たちの元気な声が聞こえて来ると良いのだが。

 嬰児に甘茶湿らすヤングママ  英世

NHK俳句

いつもは目覚ましなしに目が覚めるのだが、今朝はきっちりと目覚ましをかけておいた。
というのはテレビのNHK俳句に私の俳句が入選し、朝6時半から放映されるというので、見ないわけにはいかなかったからである。
案の定6時前から目が覚めてしまったが、それでも寝過ごすよりはましである。
テレビをつけるとしばらくしていよいよ私の句が読み上げられた。

 ベランダの蜂に放水する女  大津英世

我が家の二階のベランダにエアコンの室外機があり、足長蜂が飛んできた。
昨年もここに巣作りをしたので、今年も物色しているのであろう。
家内はここに巣を掛けられてはたまらないと思ったのだろう、にっくきやつとばかりに散水用の水を思い切り蜂に振りかけた。
何となく滑稽で色っぽく感じたその様子を詠んだ句である。
残念ながら特選には採って貰えなかったが、選者の小澤實先生からはよほど蜂が嫌いな人でしょうとの評を頂いた。

 入選の披講の声の暖かし  英世

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水彩画展

一昨日は高校時代からの友人が水彩画展に出展すると言うので、案内を受けて福岡市美術館に観に行った。
絵を描くのは全く苦手だが観るのは好きで、いつぞやもお話ししたように絵と俳句とはどこか通じるものを感じている。
出展された絵は、自分の庭先の花壇に咲く清々しい百合の花と、花越しに見る遠くの山並みを配した「庭の向う」という見事な作品であった。さすがに賞を受けだけのことはある。
眼前の花とその向こうに広がる山並といった遠近の構図と、色彩のコントラストにどこか俳句に通じるものを感じた。
作者とお昼を共にしながら、絵について説明を受けると共に、日本舞踊の名取と画家という二刀流の苦労話を聞きながら、いつしか高校時代の懐かしい話しや孫子の話しになっていった。
美味しい食事と共にほのぼのとしたひと時であった。

 美術館出れば蒼天風光る  英世

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一句の風景

半どんの頃懐かしき花見かな

花見すなわち桜の花である。
福岡市の舞鶴城址は、隣接する大濠公園や西公園と共にその花見の名所である。
会社に勤務していた頃もよく花見に訪れた。
昭和も半ばごろまでは、今のような週休二日ではなく、会社は土曜日の午後から休みで、若いものが場所取りに走り全員で花見に興じたものである。
当時、土曜日のことを半どんと言っていた。
半どんのひと時に花見をしていた頃を懐かしく思い出して賜った句である。
2012年(平成24年)4月「季題:花見(春)」

博多千年門

虚子忌の帰りには博多千年門を訪ねようと決めていた。
と言うのは、この門が古来より繁栄を続けてきた博多の新らしいシンボルとして承天寺(じょうてんじ)前に立てられたからである。
高さ、幅ともに約8メートルの木造瓦ぶきの四脚門で、「商人のまち・博多」の出入り口にかつてあったとされる「辻堂口(つじのどうぐち)門」をモデルにしている。
千年の歴史を持つ博多の、今後千年にわたる繁栄を願って命名された。
昔あったものを再建したのではなく、新しく平成の世に建立したことで、現代の博多商人の心意気を示すとともに、これから歴史を刻んでいくとなるであろう。
建立の式典には残念ながら立ち会えなかったが、博多松囃子(ばやし)の稚児舞披露や門の通り初めがあり、訪れた関係者や市民計約千人が新名所の誕生を祝したという。
この新しい博多千年門を見ながら、この町の平和と繁栄を祈らずにはいられなかった。

 うららかや千年門の稚児の舞  英世

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虚子忌

早寝早起きの私とは言え、今朝はとんでもない時間に起きてしまった。現在時刻は午前4時02分である。
どうしたことか2時前には目が覚め、夢うつつの中に依頼された随筆の構想が頭に浮かんでは消えたりしていたが、その構想が消えないうちにと一気に書き上げたからである。
今日は仕事も休みだし、このブログを書き終えたらまた眠るとしよう。
それはさておき、昨日の4月8日は高濱虚子の忌日で冬野誌では毎年この日にお祀りしている。
ここで虚子のことをこまごまと説明するつもりはないが、正岡子規の後を受け近代俳句を確立したことはあまりにも有名である。
私の所属している冬野では、毎年この虚子忌に法要と句会を開いているが、私がこれに参加するのは今回が初めてである。
また、虚子忌はくしくも花まつりと重なっており、この日は花御堂のお釈迦様を拝し久し振りに甘茶を戴くことが出来た。
それにしても忌日の俳句は難しい。
あまり故人に想いを強くして詠むと鼻もちならぬ句が出来てしまうし、かと言って写生句ばかりでは何となく物足らない。
そのようなことに気を配りながら詠んだ句の中で、かろうじて入選した俳句らしくない一句をご紹介しよう。

 こどもらはいま授業中花まつり  英世

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愛莉は小学二年生

春休みも終って、孫の愛莉がいよいよ小学二年生になった。
つい先日入学したような気がするのに、もう二年生とは驚きである。月日のたつのは早いもので、爺の私が歳取るのも仕方がない。
二年生になって変わることと言えば、ランドセルからあの黄色いカバーが外され、本来の色であるスカイブルーのランドセルを背負うことである。
また、新しく一年生が入学することで、正真正銘のお姉さんになる。
学校ではともかく、通学で一緒に歩く一年生を上級生と共に何かと面倒見ることになるであろう。
そう言えば、あの何となく幼さの残る入学のころに比べ、話しの内容も行動も格段に成長しているような気がする。
このまま無事成長して貰いたいものである。
なお、飽きるほどご紹介してきた桜の映像は今日で終りとなった。

 春風や孫は小学二年生  英世

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球春

正岡子規の野球好きは有名だが、私も負けず劣らず好きである。
その大好きな野球のシーズンがやって来た。
まずプロ野球であるが、我がジャイアンツは昨日こそ星を落としたものの、予想通り快進撃を続けている。好調な打撃陣は投手陣をカバーしてあまりある。
ただその中で私の大好きな安部選手がふくらはぎを痛めたことが心配である。去年もそうであったが、早く治って活躍して欲しいと願っている。
一方高校野球では我が母校「久商」も県大会に進み、残念ながら準決勝戦で敗退したが、三位決定戦に勝ち九州大会への出場が決まった。
母校は何故か春は強いのに夏になると負けてしまう。
今年こそは夏も頑張って何とか甲子園に駒を進めて貰いたいものである。

 白球をひたすら追ふ子風光る  英世

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お茶の功罪

常日頃はお酒の話ばかりしているが、今日はまともにお茶の話をしよう。
私は晩酌をすることが多く余りお茶は飲まない方だが、医者にお酒よりもなるべくお茶を飲みなさいと注意された。
と言うことで妻の留守に一人で茶を淹れて飲むことにした。飲んで見るとこれが何と日本茶ではない。何と言うか日本茶と紅茶をブレンドしたような味がする。
私はそのふくよかな香りと甘い味に私はすっかり魅了されてしまった。後で家内に聞いた話ではそれはジャスミン茶だということであった。
その日はあまりの美味しさに2~3杯は飲んだであろうか。
しかも、夕方から夜にかけて仕事が入っていたので、何時も持って行く白湯に代えてこの日はジャスミン茶をボトルに詰めて持って行き、あげくの果てに全部飲んでしまった。
ところがその夜が大変であった。
夜11時30分ごろに布団に入ると、いつもは床に着くなりバタンキュウのはずの私がなかなか寝つかれないのである。
あれやこれや考えているうちにそれはいつしか夢うつつに変わり、気がつけば朝5時になっていた。
私はこれはてっきりお茶のせいだと思い込み、「たった四杯で夜も寝られず」の幕末の狂歌を思い出した。でも本当のことはよくわからない

 ジャスミンの香り芳し一人の夜  英世

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父の死

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昨日は孫の愛莉と油山牧場「もうもうランド」で楽しく遊び、美味しいものをたくさんいただいた。
今日はその愛莉の知らない曽祖父に当たる父の話しをしよう。
4月5日は父の命日で、この日になるといつも父の死のことを思い出す。
今まで父の死のことについてはお話ししたことがなかったが、先月に17回忌の法要も済ませたことだし、もうお話しても良いだろう。
父は信心深い人で、朝起きると必ず四方を拝し村の鎮守にお参りに行くのが日課だった。
その朝も愛犬を連れてお宮参りに行ったのだが、瞼に浮かぶその後姿が84歳の父の最後であった。
家を継いでくれている弟の話しでは、いつもは父と一緒に帰って来るはずの犬が、その日は父を置き去りにしてひとりで帰ってきた。
弟はこれは何かあるとお宮に急いだところ、果たして彼の背中を救急車が追い越して行ったという。
父は宮前の交差点の横断歩道で、右折車に巻き込まれあえ無く最後を遂げたのである。
あれほど信心深い父でもこのような事故に遭う。
鎮守の神は居眠りでもしていたのかと、この時ほど神を恨んだことはなかった。
とは言え父は生き返ってこない。真面目だった父を見習い父の分まで長生きしなければなるまい。

 父母はいま迦陵頻伽の花の下  英世

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冬野四月号

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世はまさに桜満開で、昨日は私も浮かれ気分で舞鶴公園の枝垂れ桜を見に行った。
そのような明るくにぎやかな最中に冬野四月号が届いた。
冬野誌では投句からおおむね三ヶ月後ぐらいに発表されるので、今の季節とそぐわない冬や新年の句がたくさん載っている。
例によって他の句会の入選句と併せてご紹介しよう。
冬野四月号
 冬の蝶日差の中に戻しやる
 憂きことはとうに捨てけり去年今年
 煮凝や終始無言の料理人
 凍滝や幽かに水音風の音
 灯点してよりの語らひ冬座敷
 氷柱噛む猿の親子や隠し温泉(でゆ)
 室咲や室で生れし蝶の舞ふ
 主恋ふ梅とし香り千余年
 初午や山駆け上る朱の幟
 春禽の声参道に奥宮に
 海よりの風やはらかく梅真白
冬野インターネット句会
 揚雲雀天の龍宮目指すかに
 春泥に顔見合はせる親子かな
俳句ステーション
 一斉に目覚めし大地青き踏む
 二月の波砕け散る親不知
 逢瀬には程よき降りの春の雪
愚陀佛庵インターネット句会
 南国の積むこともなき春の雪
 うぐゐすの声参道に奥宮に
現代俳句インターネット句会
 国語だけ入試問題試みる
 繰り返す道路工事や春の水

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医者の子は医者になる

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先月、大学受験資格を得て猛勉強中の青年の話しをしたが、今日は父親が医者であるが故に進路に悩む青年の話である。
彼は小さい頃から両親に「医者になれ医者になれ」と言われ続け、高校3年の頃は鬱状態になり卒業できたのが不思議なくらいだったという。
それでも家が病院で姉は薬剤師になり妹は歯医者を目指しているなかで、ひとり息子の彼としてはどうしても医者にならない訳にはいかなかったのである。
卒業後も鬱状態が一年半ほど続いたが、やっと吹っ切れて猛勉強を始めた。
だが、高校は卒業したものの学力は到底医学部レベルについて行けず、彼はいつしか五浪になっていた。
彼はしんみりと言った。
「医者の子は医者と誰が決めたのか」「今年で23歳ですよ、同期生はもう就職しているというのに」「医者の子を優遇してくれる学校があればいいのに」「五浪でも浪人させてくれる親がいるからありがたい」
医者の子は医者になるという半ば日本の常識のような中で、彼の様に自分の進路に迷い悩みながら医者を目指している青年が他にもいるかもしれない。
彼が将来医者になれる保証はないが、どうかくじけずに立派な社会人になって欲しいと願わずにはいられなかった。

 浪人の同期はすでに新社員  英世

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四月の花ごよみ「桜」

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今日桜の話しをしようと、昨日はお弁当を持って油山に登った。
油山のソメイヨシノの並木は今が満開で、桜越しに見る博多の街並みと相まって見事な風景を見せてくれた。
まさに山は花の雲、野辺は養花天(花曇り)と言うより花霞(こんな言葉あるのかな?)であった。
また、油山である女性句友と偶然出会ったが、私が妙な女性と一緒でなく一人であったことが幸いであった。どこで誰に逢うか油断大敵である。
桜については過去幾度となく書いてきたが、書き尽くせることはない。
私の家の周りにも桜がたくさんあり、小笹中央公園のソメイヨシノや山桜、お向かいの八重桜など私の目を十分に楽しませてくれる。
季節は違うが近くの「山の上ホテル」の裏には10月桜(冬桜?)が可憐に咲くし、小笹団地公園の桜はオオカンザクラと言って、3月上旬から咲き始め15日前後には満開になり、福岡市で一番早く花見を楽しむことが出来る。
在原業平ではないが、今夜も酒を片手に「世の中に絶えて桜のなかりせば・・・」の風雅を味わうとしよう。
なお、今日からしばらくは飽きるほど桜の映像をご紹介しよう。

 一画は土間のままなる花見茶屋  英世

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四月に入る

今日から早くも四月である。
日本の四月と言えば役所や学校のほとんどが年度初めで、新しい社員、新入学生そして新しい予算で国が動き出す活気に満ちた月となる。
ところが、今年の四月は例年と少し様子が違いそうだ。そう、消費税が5%から8%に上がるのである。
政府は景気の好転で、消費税UP分は吸収できるといっているが、私たち年金生活者にとってはそのものずばりマイナスなのである。
不要不急な物は買うまい。お酒も外ではなく家で飲もう。お刺身も少し控えねばと庶民の財布のひもは確実に固くなることを、お金持ちのボンボンの政治家は理解できないだろうな。
いやだ、いやだ、嫌な四月がやって来た。

 金の価値知らぬ政治家四月馬鹿  英世

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