六月が終る

今日で六月が終わり一年の半分がもう過ぎたことになる。
歳をとると一日一日が早く感じる人とそうでない人がいるらしいが、私はどちらかと言えば早く感じる方である。
と言うのは、月のうちの半分は仕事でその合間に好きなことをしているので、その月のスケジュール表を見ながらこの次の句会は?吟行は?飲み会は?と、次から次にやって来る行事を楽しみながら心待ちにしているからである。
その間に愛莉と遊び、野球も見なければならないし、俳句を作り本も読まねばならない。到底ゴロゴロしている暇などないのである。
この分では残りの人生を急ピッチで消化しているように思えるのだが、座して待つよりはいいのではなかろうか。
果たして七月はどのような忙しさになるのだろうか。

 梅雨寒や西の空より雨催ひ  英世

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一句の風景

座りたるままの昼寝も母なれば

私に限らず男は母物に弱いとよく言われるが、この句もその典型であろう。
先日のテレビでも言っていたが、亡くなった母のアドレスを削除できないでいる人が多いと聞く。
農作業に家事にと働きずくめの母であったが、時折日当りのいい縁側に座って針仕事をしていることがあった。
その後姿は観音さまの様であったり達磨さんのようでもあった。
しばらくすると母はこっくりこっくりと静かに揺れ始めるが、子供心に忙しい母なればと起さずにおこうと思ったものである。
2012年(平成24年)6月「季題:昼寝(夏)」

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渦潮句会

今回の渦潮句会吟行は筥崎宮であった。
筥崎宮は櫛田神社と共に博多で最もなじみのある神社で、1100年の歴史を誇る八幡宮である。
この日はやや雲の多い天気ではあったが、時期的に静かに終りを迎えようとしている宮裏の紫陽花園といま百合が満開の花庭園を楽しんだ。
紫陽花の日に日に変化して行く色を楽しみ、手に触れる毬の柔らかさに花の優しさを感じずにはいられなかった。
紫陽花を愛でた後は花庭園の方へ回ったが、花庭園ではこの時期各種の百合の花が可憐に咲きほこり独特な香りを放っていた。
幽かな風に揺れる百合の花は優美と言う他に言いようがない美しさであった。
今回は散々な成績であったが、例によって私の入選句をご紹介しよう。

 境内の美しき箒目夏落葉  英世

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句碑建立

私の所属する俳句誌「冬野」の池田昭雄主宰の句碑が建つと言うので、その建立工事を見たくて現場に立ち会い一部始終をカメラに納めた。
句碑は天神のど真ん中にある水鏡天満宮の一角に、市内の有名な石材店の手によって建立された。
すでに基礎工事は終っていたのでこの日がいよいよ建立工事だと言うことで、業者が工場で製作した土台と句碑本体を運び込んで来た。
句碑は重機の力を借りて慎重に組み立てられたが、大半は技術者二人の手作業である。句碑が台座に座ってもメジャーで位置を計り直すなど、緻密な工事に感心させられた。
完成した句碑は開眼の日までブルーシートに覆われ、静かにその時を待っている。
近く句碑開きの式典と記念の句会が開かれるが、この分だと立派な碑開きになることは間違いなさそうである。
その様子はまた後日お話しするとしよう。

 句碑開眼間近に梅雨の中休み  英世

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グランドパス65

前に一度ぐらいはお話ししたかもしれないが、私は年相応に西鉄の「グランドパス65」を持っている。正確に言えば買っていると言うべきだろう。
このパスは定額前払い制の年間パスで、西鉄路線バスであれば福岡県内はどこの路線にも適用できるし、高速道路もほとんどの路線が半額と言うメリットもある。
このほどそのパスの期限が来て更新した。
一時払いは高額で痛いが、月額にすると大した金額ではなく、私のように仕事や吟行でよくバスを利用する者にとっては大いに重宝している。
このパスを持ってからはマイカーで出かけることが極端に減ってきた。
自分の用事でマイカーに乗るのは交通の便が悪い遠隔地への吟行ぐらいのもので、日常は殆んど家内のために乗っているといっていいであろう。
これからも極力マイカーに乗るのを止め、このグランドパス65を使って大いに出かけるとしよう。

 バス席は西日のことも考へて  英世

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石の力

先日光明寺を訪れたが、その山門を抜けたすぐに小さな石庭がある。
京都の竜安寺などと比すべきもないがそれなりに落ちついた石庭である。
その石庭を眺めているうちに、それまで熱せられ興奮していた気持ちが、徐々に鎮められて行く思いがした。
物も言わない白い石を見ていると気持ちが収まって来るとうことは、石には眼に見えない精神安定剤のような効能があるのかもしれない。
そう言えば、占い等によく水晶玉を使うし、あまり信用してはいないが石には人に幸運をもたらす力があるという言う人もいる。
もっともそのために人をだまして高価な石を売り付けるのは犯罪であり、石に恥ずかしいと思わねばなるまい。
これからも機会があればこのような石庭を訪ね、座して石の本来秘めている効能を大いに利用させて貰うとしよう。

時折に揺るる若葉や石の黙  英世

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硯潮句会で楊梅と同時に出された兼題が鰻であった。
今は養殖物が多く一年中食べられるが、土用丑の日に鰻を食べると精力が付くと言うことで夏に多く食べられる。
また、鰻がもっともよく獲れるのは夏で、そのことからも夏の季題とされたのであろう。
最近は値段が上がりめったに口にすることはないが、子供の頃はその鰻を釣って父に蒲焼にして貰って食べていた。
正真正銘の天然鰻であったが、この鰻も絶滅指定種に指定されているだけにこれからいつまで食べられるか分からない。
鰻釣りは概ね夜釣りであるが、身体の弱かった私は母がなかなか夜に外に出してくれなかった。ところが、そこはそこ隣の幼馴染の洋ちゃんとそっと抜け出して近くの堀まで釣りに行ったものである。
楊梅の時にも言ったが、子どもの頃の私たちは全くの野生児であった。
今の子にそれを望むべくもないが、せめて小川で釣りをすることぐらいは楽しんで貰いたいものである。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 鰻釣る逸る心を抑へつつ  英世

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楊梅
楊梅とかいて「やまもも」と読む。
楊梅は木苺や桑の実と共に野性児だった子供の頃は、甘味料の少ない中で格好の甘い食べ物であった。
油山でも楊梅を拾って食べたが、その楊梅が硯潮句会の兼題と言うことで再度見に出かけることにした。
周辺で楊梅の樹がある場所は既に頭の中にインプットされているので探す必要はない。と言うことで、今回は動物園に行った。
動物園のキリンの広場の脇から少し上がると猿山があるが、その途中にこの楊梅の大木がある。
楊梅は濃い赤紫に熟すと甘酸っぱい味がして、一個食べ出すときりがないくらい次から次へと口に放り込んでしまう。早速熟したものを探し出して頬張ったことは言うまでもない。
ところが、この楊梅は熟すとすぐ落ちる習性があり、この日は既に大半が落ちていて通路は踏みつぶれたその楊梅の汁で真赤に汚れていた。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう

 楊梅を美味しと笑ふ昭和人  英世

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山火事か

昨日は油山に登ったお話しをしたが、その時の出来事である。
山頂でおにぎりを食べた後、久し振りに油山林道コースを帰ることにして、荒平山方面への急峻な杣道を転げ落ちんばかりに駆け下りて、やっとのことで林道に出た。
すると前方から赤いライトをつけた車がゆっくりと近づいてくる。よく見ると消防車である。林道で消防車に出会うなど今までになかった事である。
車から隊員が顔を出し、どこかで煙を見なかったと聞いて来た。私がきょとんとしていると、油山方面で煙が上がっているとの通報があり調べているとのことであった。
空ではヘリコプターが旋回しており、ちょうど私の真上で停止したりもしている。
さては山火事か。こんなものに巻き込まれたら大変だと心は逸ったが、反面むやみに走っても仕方がないと覚悟を決めた。しかもここは山道、体力的に走れるわけがない。
どうにでもなれと半ばやけっぱちで歩いていると、何事もなく出発点に戻ることが出来た。
翌日の新聞を見ても何の記事もなかったことが幸いであった。

 青葉山こんなところに消防車  英世

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青葉若葉の油山

梅雨の晴れ間がこの日までと言うことで、昨日は久しぶりに油山に登った。
ホームグラウンドの油山には幾つかの登山ルートがあるが、この日は距離的に一番長い片江展望台からのコースを登った。
膝の痛みが治ったばかりでやや不安もあったが、いざ登り始めてみると膝の痛みよりもむしろ久し振りとあって息が上がってしまい、早々に休憩する羽目になった。
それでも一汗かいた後はいつものように快調なペースで頂上を極めることが出来た。
このルートはまさに森林浴コースで視界はあまりないが、時折垣間見る市街地や遠い山や海そしてそこに浮かぶ島々の景色を楽しみ、尾根を吹き抜ける涼しい風に癒される山道であった。
帰りは見晴らしの良い西油山の林道コースを取ったが、ここは鳥の饗宴である。
ホーと気を持たせてホケキョと鳴く鶯の澄んだ囀り、忙しくなく鳴く四十雀の声に疲れも汗も吹っ飛んでしまった。
山で汲んで帰った水で割った夜の焼酎の美味しかったこと、まさに山男の醍醐味である。

 背中押す老鶯の声切りもなく  英世

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一句の風景

言の葉も湿りがちなり虎が雨

虎とは曽我十郎祐成と深くちぎった虎御前のことで、祐成が討たれた日が陰暦5月28日なので、その頃に降る雨を虎が雨と言い虎御前の悲涙であろうと言う意味である。
男とは勝手なもので、義だとか忠義だとか言って潔く散ってしまい勝ちだが、その蔭にはいつの世も弱い女が泣いている。
時あたかも梅雨の最中で、「曽我兄弟」として仇討ものとしてもてはやされた陰で、この虎御前の悲しみを思うとつい言葉も湿りがちになってしまった。
2012年(平成24年)6月「季題:虎が雨(夏)」

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シェパードの散歩

一昨日ポニーの散歩の話をしたが、何と今度は同じ道をシェパードが散歩していた。
シェパードと言う犬種は知的で忠誠心と服従心に富み、もともとドイツなどで牧羊犬として活躍していた大型犬だが、訓練の好きな性格から種々な作業犬として訓練され、災害救助犬・軍用犬・警察犬・麻薬探知犬など特殊な作業犬として活用されている。
しかし今は小型犬ブームでこのような立派なシェパードを見ることも少なくなってしまった。
そのシェパードが散歩していたのである。
しかも同じうす緑の作業服の人と動物園が休みの月曜日に散歩していたので、同じ飼主かもしれない。
同じ飼主とすれば、何か目的があってポニーやシェパードのような動物園にいない動物を飼育しているのか、よほど動物が好きな人だろう。
久し振りに堂々と散歩するシェパードを見て、何か癒された気持ちになった。
今日の夕方は硯潮句会に出席しその後は恒例の反省会?です。

 薫風を切り堂々のシェパード犬  英世

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百年句会

今回の百年句会は毎月のように行っているお馴染みの太宰府天満宮であった。
天満宮は今花菖蒲の真っ盛りで、菖蒲池にはたくさんの人が見物に来ていた。その中に韓国か中国かははっきりしないが外国人の姿が目に付いたのも嬉しかった。
日本との間で最近なにかと物議をかもしている両国であるが、近い国どうし仲良くして欲しいものである。
しばらく菖蒲園を吟行した後、新緑と石庭が美しい光明寺へ回った。
光明寺は天満宮とうって変わって静寂に包まれており、自分の穢れた心が洗われる思いであった。
石庭を吹き抜ける風は清々しく、しばし縁側に座り込みさながら座禅を組んでいる境地であったが、凡夫の哀しさか雑念を払うことはなかなか難しいものだと認識した。
久し振りに吟行らしい吟行を楽しみ、その後の句会では特選をいただいたのでその一句をご紹介しよう。

 静かなることの不気味さ蟻地獄  英世

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先日、失われ行く季題として「飯饐ゆる」の話をしたが、今日は同じように梅雨時に厄介な黴が兼題として出された。
広辞苑によれば黴とは菌類のうちできのこを生じないものの総称、あるいは食物、食器などに生ずる微生物の集落の俗称とある。転じて黴が生えると言って、古くさくなる、時代遅れになると言う意味にも使う。
ご承知のようにその黴には有効な黴と人間に有害な黴がある。
前者が酒や味噌などの発行に欠かせぬ黴そしてペニシリンなどの薬であり、後者がアレルギーなど人間に有害な黴と言うことであろうか。
だが、兼題の黴にはそのようなことは関係なく、黴一切ということであろうと勝手に解釈して句を詠んだ。
その中の私の特選句をご紹介しよう。

 古書店の主にも黴の生えさうな  英世

空梅雨

昨日梅雨晴の句を詠んだばかりなのに、今回は何と梅雨晴の連続つまり空梅雨が兼題であった。
農業を営む父にとって梅雨の長雨も困りものだが、全く雨が降らないのもそれ以上に厳しいものである。
田んぼの土は干からびてひび割れが走り、幼い稲の苗は苦しそうにうつむいている。なかにはすでに茶色く枯れ始めているものもある。
科学万能の時代とは言えこればかりはどうしようもなく、ただただ神に雨乞いをするばかりで、父も水神様にお酒やお供えをして祈っていた。
さて、今年の梅雨は長雨か空梅雨か、それとも稲に程良い恵みの雨だろうか。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 空梅雨や北の大地は大雨に  英世

ポニーの散歩

先日朝8時ごろ、通勤のバスの窓から小型馬のポニーが散歩する姿を見て微笑ましく感じた。朝日に輝く白と茶の美しい毛並である。
動物園のすぐそばを散歩していたので動物園のポニーに違いない、手綱を取っていたのはきっと飼育員だろうと勝手に想像していた。
ところが毎月のように訪れる福岡市動物園にポニーがいるとは知らなかった。
まさかと思い調べてみると、何と福岡市動物園ではポニーは飼育していないとあった。私が知らないはずである。
しからば福岡市という大都会の真ん中で、誰が何の目的でポニーを飼っているのだろうか。
動物好きの人が飼っているのは間違いなかろうが、場所が場所だけに動物園の職員が個人的に飼っているのかもしれない。
何れにしても時折見るポニーの散歩に癒されている私である。

 キャンターで風切る初夏のポニーかな 英世

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高橋由伸と松中信彦

昨日に続いてスポーツの話である。
私は野球が好きでジャイアンツの栄光ばかりを夢見ているが、今日は別の視点でプロ野球を見てみたい。
若手の台頭が著しいプロ野球の世界で、私の大好きなジャイアンツの高橋由伸とホークスの松中信彦選手が現在似たような立場で苦境に立たされている。
二人とも数々の記録を残した名選手でありながら、近年は故障に悩まされ満足な成績を残すどころか、出場も殆んど途中出場か代打に限られてきた。今年もその姿を見ることは稀にしかできず、実力のプロの世界とは言え何とも哀れでならない。
高橋の弾丸ライナーは先日久しぶりに見たが、松中のきれいな放物線のホームランはもう見ることが出来ないのだろうか。
残酷なようであるが、栄光の背番号を汚さないうちに、静かにバットを置いて欲しいと思っている。

 夏空や白球たかく高く舞ふ  英世

ワールドカップが始まった

サッカーには何故かなじみが薄い私だが、ワールドカップぐらいは知っている。
世紀の祭典と言えばオリンピックと言うことになるが、世界の中にはオリンピックよりもこのワールドカップに関心が高い国があるらしい。
それほどサッカーが世界的に流行しているということであろう。
確かにサッカーはボール一個あれば子供たちが走り回り楽しむことが出来る。それだけに後進国の子どもたちはことさらこのサッカーに熱中し、将来のプロを夢見ることも多いだろう。
ただ、開催国ブラジルでは開催そのものに反対するデモが開催してからも続いており、この国の抱える問題が浮き彫りされた形で、次回のオリンピックにも影響しないか心配である。
また、昔からこのサッカーのサポーターのマナーの悪さには辟易している。
日本でもつい先ほど差別とみなされる行為があったばかりであるが、今回のワールドカップはそう言った意味でどのように進化しているか注目してみてみたいと思っている。

 サッカーに国中燃ゆる熱帯夜  英世

美しい言葉

定年退職後10年以上もたつと自分の言葉使いが荒くなり、少々自信を失くしている。
家内からもこのところ言葉遣いが荒くなったと注意されることが多くなった。
歳をとってせっかちになったせいもあるだろうが、それ以上に大きいのは自分より年長者がだんだん減って来たことで、敬語を使う機会が少なくなったことが大きいような気がする。
現役時代の顧客と会うこと少なくなり、会社の先輩に会うことも同様に少なくなってしまった。
話しをする相手と言えば、家族、俳句の仲間、飲み屋の常連、進学塾の同僚や若い塾生とあまり気兼ねなしにしゃべることが出来る相手ばかりである。
俳句に美しい日本語をと提唱している私からすれば、やはり美しい言葉使いに気をつけねばなるまい。

パパと呼ぶ妻の言の葉五月晴  英世

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アニメソングと俳句

少し前の話になるが、テレビで「ささきいさお」のステージを見た。
彼は平尾昌晃らと共にロカビリー歌手として一世を風靡していたが、後年歌唱力を磨き上げアニメソング界の大王となった。
この日もあの宇宙戦艦ヤマトを歌ってくれたが、一緒に口ずさんでいるうちに奇妙なことに気が付いた。
アニメソングと私が嗜んでいる俳句に何か共通点があるような気がして来たのである。
「宇宙戦艦・ヤ・マ・ト~・」と言う軽快なリズムと共に・・・の部分に明確な切れがある。その切れこそがこの歌を力強く軽快なものにしている。
そうだこのリズムの良さと明快な切れが俳句に通じているのだ。
そう言えば俳諧と言う中には滑稽と軽妙さが含まれている。
私の目指している俳句も、季題の力を生かしながらこのリズム感と切れを大事にすることに他ならない。
この次はこのアニメソングを意識し、歯切れのよい句を詠んで見ることにしよう。

 夏の夜や子供心のガッチャマン  英世

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一句の風景

飛魚の翅をたたみて売られけり

糸島市に初と言う朝市で有名な地区がある。その朝市を訪れた時の光景である。
福岡であごともいう飛魚は、かつて魚釣りの好きだった私にとっては馴染み深い魚で、船べりを飛ぶ飛魚に子供のようにはしゃいだものである。
その海原では元気の良い飛魚が、漁師に捕えられ露台に静かに翅を閉じて売られている。
その哀れさに自然と賜った句である。
2012年(平成24年)6月「季題:飛魚(夏)」

ラブアース

一昨日は自然を愛し大事にしようと言うお話をしたが、言うだけではだめだと実践行動に出ることにし、昨日は福岡市の「ラブアース・クリーンアップ2014」に家内と一緒に参加した。
大仰なタイトルだが何と言うことはない、みんなで地球をきれいにしようと言う清掃活動である。
午前9時に大濠公園に集合し受付を済ませると、大濠公園一帯の清掃作業にあたった。
いざ始めてみると何とゴミが殆んどない。プロの手によって毎週のように清掃作業が行われているので当たり前かもしれないが何となく拍子抜けであった。
でも、その後が大変であった。
大濠公園前の中華料理店で昼食を済ませた後、何と家内が家まで歩いて帰ろうと言い出したのである。
挑まれて男として断る理由はない。途中美術館でお茶を飲み、目の前の日本庭園を訪ねたりしながら、約一時間半かけて歩き続けどうにか我が家に辿りついた。
家に帰りシャワーを浴びた後の達成感と言うか清々しさは最高で、その夜のビールの美味しかったことは言うまでもない。

 梅雨晴や地球丸ごと大掃除  英世

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愛莉とデート

昨日はまたまた孫娘の愛莉を誘っていつもの団子を食べカフェオーレを頂いた。例によって母親や妹の菜々美へのお土産付きである。
実は愛莉を誘ったのには少々訳があった。
と言うのは6月1日の日曜日に愛莉の運動会があったのだが、鴻臚の吟行と重なり見に行くことが出来なかったので、その話を聞くこととお詫びの意味もあった。
家内から聞いてはいたが、愛莉はリレーで練習では2着だったのに本番では1着になったと言う。
愛莉に「よく頑張ったね」と誉めてあげると、愛莉は「パパが1等になったら旅行に連れて行くと言ったので頑張った」とちゃっかりしたものである。
愛莉は北海道や沖縄を夢見ているようだが、果たしてどうなる事やら、せめて県外には連れていってくれたらと思っている。
そう言う訳ではなかろうが、その夜は家族4人で蛍を見に行くと言う。
私も行きたかったが、折角家族で行くと言うので遠慮することにし、その話は後で愛梨から聞くことにした。

 蛍狩子らの瞳も瞬けり  英世

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自然を守る

すっかり夏らしくなり野山を歩きたくなってきた。
ところで、このところニュース番組などで自然を守る活動をたたえる報道が多い。
例えば里山の維持整備、小川の小魚、希少価値の高い山野草の保存などがそれである。
それはそれとして大事であり、ある意味で立派なことであるが、そもそも自然を壊したのは人間であり、今頃になって慌てて日本自然保護協会などの手を借りて、保存に手を尽くさなくてはならないこと自体がおかしい。
私はよく山に登るし俳句でも歩きまわるので、特に自然の荒廃には心痛めている。そのマナーの悪さたるや腹立たしい限りである。
まず、百年単位で成長する樹木の命を一瞬のうちに奪い取る。
広場らしきものがあれば必ず空き缶などのごみがある。
湧水の池には小銭を投げ入れ、山芋を掘ったらその穴は埋めもどすことなくそのまま、進入禁止の湿原に足を踏み入れ写真を撮る。
中にはその貴重な湿原の野草を、根こそぎ持って行く不埒なやつもいる。
自然を守る活動をけなす訳ではないので誤解のないようにお願いしたいが、そのような自然保護活動を大きく取り上げなくてもいいような日本でありたいものである。

薫風や小銭を掬ふ湧水池  英世

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失われゆく季題

昨日冬野6月号のお話をしたが、その冬野に掲載された私の随筆、失われ行く季題「飯饐ゆる・飯笊」をご紹介しよう。

この拙文が誌友の皆さまのお目に留まる頃には、梅雨入りを間近に控えた蒸し暑い日が続いているかもしれません。
この季節になると子供の頃の、つまり昭和初期の懐かしい風景を思い出します。それは風通しの良い軒下に吊るされた小さな籠で、その中には冷飯が入っていました。
日本人の主食である御飯は栄養価も高く、エネルギー源として欠かすことのできないものですが、腐敗し易いと言う欠陥があります。
特に夏には一夜にして御飯に粘り気が出て甘酸っぱい匂いを発することがあります。つまり、これが俳句で言うところの飯饐るです。
炊飯ジャーも冷蔵庫もなかったこの時代、御飯が饐えないようにするのは一苦労でしたが、その一つの方法として軒下に吊るしたのが飯笊です。これも夏の季題となっています。
今では御飯が饐えることもなく、その饐えた匂いを知る人もだんだんと少なくなってきました。でもそれは決して悪いことではないと思います。時代と共に科学や文化は進歩し、食生活も豊かに変化して行くものですから。
いま使われなくなった季題のことに興味を持ち、少し調べ始めています。
失われゆく季題として書冊も出ていますが、いずれこの飯饐るや飯笊も、過去の季題としてただ記録に残るだけとなることでしょう。

 飯饐る匂ひも知らぬヤングかな  英世

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冬野六月号

早いもので今年前半最後の冬野誌6月号が届いた。
例によって冬野入選句と他の句会の入選句をご紹介しよう。
今月はお馴染みの太宰府俳句ポストにも入選し、賞品に特製のボールペンを頂いたのでその入選句も併せてご紹介しよう。

冬野六月号
 春の水櫂の雫となりにけり
 切り株に仄かな春の匂ひかな
 春光に蟲魚草木背伸びせり
 残り香をしばし留めて春障子
 宿敵に会ひし思ひや蛇出づる
 霾や護国の額の薄汚れ
 土筆摘む忙中閑の境地かな
 つくづくし背丈の順に摘まれけり
 苔むせし武門の墓や桜散る
 春の日を散りゆくものと惜しみけり
 御句碑に立てば明るく春の雨
冬野インターネット句会
 杣人の水場の手入れ夏に入る
 子供の日小さくなりし靴ばかり
 葉桜や欠伸大きく茶屋娘
 薫風やなかなか伸びぬ万歩計
俳句ステーション
 遠目にも花の雲なる吉野山
 暖かや茶屋の仲居に異邦人
愚陀佛庵インターネット句会
 旅に観る一駅ごとの桜かな
現代俳句インターネット句会
 紳士てふ男の美学更衣
 薫風や少女は既に女の眼
太宰府俳句ポスト
 天平の使者のごとくに初蝶来

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俳句の会「鴻臚」吟行

俳句の会鴻臚では年2回吟行を楽しんでいるが、今回は近くの舞鶴公園「牡丹園」から大濠公園を巡るものであった。
時期的に牡丹や芍薬は既に散ってしまっていたが、散った後の殺風景な園にも情緒はあろうと言うものである。
その分舞鶴公園の花菖蒲が満開で大いに句心を誘ってくれた。
また、舞鶴公園から大濠公園にかけての新緑はいよいよ色を増し、夏本番間を思わせる緑であった。
その舞鶴公園で露草に似た白い3弁の可憐な花を見つけたが、名前が分からず私が調べることにした。
名前はトキワツユクサと言うことが分かった。別名「野博多唐草」と言うとあるが、博多に関係があるのだろうか。
それにしても昼食に頂いた和風ランチとビールの美味しかったこと。これも吟行の楽しみの一つでもある。
この日の私の特選句をご紹介しよう。

 咲き初めし四葩の色の濃く淡く  英世

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六月の花ごよみ「ミツバツツジ」

いよいよ梅雨に入って鬱陶しい日々が続くが、これも天の恵みと楽しまねばなるまい。
さて、今年は膝を痛めとうとう見に行くことが出来なかったが、私の好きな花の一つミツバツツジの話をしよう。
九州の躑躅の仲間ではミヤマキリシマが有名であるが、脊振山系に咲くこのミツバツツジも捨てがたい。
ミツバツツジは5月中旬ごろが見ごろでいまは盛りを過ぎているだろう。
このミツバツツジは一般の躑躅より雄蕊の数が5本と少ないことが特徴である。
名前の由来は花が終ってから葉が出て来て、一本の枝に3枚の葉、つまり三つ葉が付くことから名付けられた。
脊振山や井原山と言った痩せた尾根に岩場に咲くことが多いが、可憐な花を目当てに盗掘が進んで野生種が減って行くのが残念でならない。

脊振嶺の岩場に深山つつじかな

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投手戦

久し振りにすばらしい試合を観たので、そのお話をしよう。
一昨日の交流戦「オリックス対巨人」の試合をテレビの前で観ていたら、いつの間にか時計は夜11時を過ぎていた。
試合は稀に見る投手戦で、延長11回まで両軍無得点、12回表の巨人の攻撃もすでにツーアウトで、規定により巨人の勝ちは見込めない状況であった。
その時この日一軍登録されたばかりの亀井が、劇的な決勝ホームランを打ち決着が付いたのである。
それにしてもオリックスの金子のピッチングは圧巻であった。
素晴らしい直球と多彩な変化球で9回まで巨人をノーヒットに抑え、通常ならばノーヒットノーランのはずが、味方が点を取ってくれないので幻となってしまった。
何とノーヒットノーラン(参考記録)に抑えながら負け試合と言う珍記録が生まれたのである。
新聞には「野球の怖さとだいご味が凝縮された試合」と評していた。
花火大会のような試合も面白いが、このような息詰まる投手戦もまた野球である。

 夏の夜の敗者称ゆる拍手かな  英世

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六月に入る

今日から6月で、庭の木イチゴも赤く熟していよいよ夏本番を思わせるようになった。
今月で一年の半分を終えるが、もう6月かと言うのが正直な感想である。
先日2ヶ月ぶりに散髪に行った。
私は長髪ではないがいつも耳の半分以上は隠れるような髪型であるが、夏を迎えると言うことで久し振りに短く刈って貰った。
鏡に映った自分の顔は久しく見ない懐かしい顔のようで、何とついぞ見なかった自分の耳がはっきりと映っているではないか。
小さい頃父から「お前の耳は福耳ではない。そこそこには暮せるだろうが大金持にはなれないだろう。」と言っていたことを思い出した。
確かに父の予言通りであったが、言わせてもらえば父によく似た耳だったので、父は自信を持って予言出来たのではなかろうか。
転じて我が息子は耳たぶに米粒が乗るほどの福耳である。
果たしてどのような人生を送るのであろうか。

 福耳を頼りに励む麦の秋  英世

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