八月が終る

今日で8月が終る。
いつもならこの8月の感想を書くべきところだが、俳句の会も休みばかりで長雨と私の病気のこと以外あまり書くこともない。
と言う訳ではないが、昨日は近くの檜花公園球場に母校の野球試合の応援に行ったのでその話をしよう。
相手はこの夏にまさかの苦杯を喫した久留米市の高校である。
もともとは女学校で戦後共学になった高校だが、私が在校していた頃は全く問題にならず試合をするのが可哀そうなくらいの実力であった。
その高校に苦杯をなめたのである。敵の力を探ることもなく相手をなめてかかり油断して負けたに違いない。
いつのまにこのような力を付けたのか、どのような選手がいるのか、どのような野球をするのかなど、もっと事前に分析する必要があったのではなかろうか。監督、コーチの怠慢としか言いようがない。
そう言った意味で母校がどれくらい反省しているのか確認をするための応援でもあった。
結果は5回コールドゲームでの勝ち、しっかり反省していたようである。
いよいよ明日から9月である。俳句にも山にも最適の季節を大いに楽しむとしよう。

 足跡も消されし秋の浜辺かな  英世

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一句の風景

蟷螂の拝む仕種の憎からず

蟷螂つまりカマキリを詠んだ句である。
太宰府の観世音寺に吟行に行ったところ、早くもカマキリの姿を見ることが出来た。
するとそのうちの一匹がどうしたことか私の肩に飛んで来て止まった。
私は無造作に捕まえしばらく手の中で眺めていた。
しばらくして、手の平のカマキリをひねりつぶそうかとも思ったが、日頃から殺生は好まない私は、そっと逃がしてやることにした。
手の平で両手をこすり合わせているカマキリの姿が、何故か私を拝んでいるように思えてならなかった。
2012年(平成24年)8月「季題:蟷螂(秋)」

むかし先生は偉かった。

昔の先生は偉かった。いや尊敬の対象であった。
少し前の新聞のコラムによると、昔の寺子屋の師匠は村の尊厳を一身に集め、親も子もその師匠を尊敬し信頼していた。
その証拠にいまは学校に行くと言っているが、昔は師匠の許に通うと言っていた。
その学校にと師匠の許にと言う言葉の違いこそが、今の先生と生徒の関係を如実に表しているような気がする。
私たちの子どもの頃は先生に叱られたと言うと、必ず「おまえが悪い」と親からまた叱られたものである。
まず親が先生を尊敬し信頼しなければ、子供が先生を尊敬する訳がない。
この夏休みで学校に行かない子供たちに手を焼かされた親も多いだろう。ぜひ先生の大変さを理解し、尊敬の念を持って貰いたいものである。

 先生の顔なつかしく夏休  英世

鮨屋異変

先日久し振りに近所の小笹寿司に行ったが、今日はその寿司屋の異変の話である。
このブログでもちょくちょくこの小笹寿司の話をしてきたが、いまその寿司屋の雲行きが少しおかしい。
もともとこの地区には鮨屋が多かったのだが、まともな鮨屋が残っているのはこの小笹寿司と隣町のもう一軒だけとなってしまった。
その寿司屋の何がおかしいかと言うと、お盆の出前が極端に少なくなったと言うことである。
一昔前までは盆や正月と言うと出前の予約が殺到し、出前専門の大学生アルバイトを置いていたほどであった。事実私が行き始めた15年前までは確かにアルバイトがいた。
それが今や周辺に数店の回転寿司系のチェーン店が出店し、中には出前までする店がオープンしている。安価で気兼ねする必要のないこれらのチェーン店が若者を中心に受けているのだろう。
カウンターで大将や女将さんと世間話しながら鮨をつまみ、お酒を楽しむということはもう贅沢と言うことだろうか。せめてこの小笹寿司だけは続けて貰いたいものだが。

 お寿司屋の暖簾を潜る秋の風  英世

愛莉の家で食事

先日の土曜日の話であるが、長男が釣に行ったのでと愛莉と一緒にキスや鯵などをたくさん我が家に持ってきてくれた。
あいにく家内は友人と温泉に出かけて留守で、今夜は外食しようと思っていると話したところ、愛莉が家にも魚があるので食べにおいでと誘ってくれた。
愛莉が早速メモ紙に「じいちゃんはあいちゃんのうちでしょくじなどです。」と家内に書置きをしてくれたので行かざるを得なくなった。と言うより私は嬉しくなって急いで魚を冷蔵庫にしまい一緒に出かけた。
次女の菜々美の世話に忙しい母親に迷惑をかけるのではと心配したが、私の心配が喜びに変るのにそう時間はかからないほど歓待してくれた。
食卓にはキスと鯛の刺身、鯵の塩焼き、キスのてんぷら、鯛のあらだき、野菜サラダと豪華な魚料理が並べられた。
早速ビールで乾杯し美味しい料理を頂き、食後愛莉と昔話などをして遊んでいるうちに、愛莉の「しょくじなどです」のなどの意味がわかった。「など」とは愛莉と遊ぶことだったのである。
一人寂しく外食のはずの私に、愛莉は思わぬ初秋のプレゼントをしてくれた。

 デザートの西瓜に種の行儀よく  英世

温泉と蕎麦

昨日は久しぶりに行きつけの温泉に行った。
例年暑い8月に温泉に行くことは少ないのだが、今年はいくぶん涼しいので行く気になったのである。
空が暗いなあと思いながら露天風呂に入っていると、突然檜皮葺きの屋根がぱらぱらと大きな音を立てて雨が降り出した。私はゆっくりと屋根の無い方の露天風呂に移動し、その冷たい雨を裸の体に直接受けてひんやりとした感触を楽しんだ。
温泉で火照った体に少しぐらいの雨は逆に心地良いものである。
帰りは何故か無性に蕎麦が食べたくなった。これも行きつけの蕎麦屋に立ち寄り、いつもの鴨汁付け蕎麦を注文した。しかも蕎麦玉は一玉半である。
冷たい蕎麦に温かい鴨の付け汁は、ひんやりとした蕎麦の食感と温かくコクのある付け汁の調和が何とも言えない美味しさであった。
満腹には少し物足りず思わず蕎麦一玉を追加してしまったが、蕎麦玉を追加しても料金は同じだということが何より嬉しかった。

 温泉上りの火照る躰に走り蕎麦  英世

久し振りの植物園

先日、久し振りに太陽が覗いたので、病後の足馴らしも兼ねて植物園を訪れた。ところが晴れたと思ったのも束の間、シャワーのような細かい雨が降って来た。この雨少しぐらい濡れた方が涼しく感じる程度の降り様であった。
この植物園は福岡市民の60歳以上であれば無料で入園できるが、この日はあいにく自動車免許証を忘れて出かけ、諦めかけていたところに係の人が保健証は持っていませんかと言ってくれた。いつも保険証を持ち歩く習慣がこんなところで役に立とうとは。
植物園で夏の名残の花を愛でながら散策していると、突然アスファルトの径にこつんと大きな音がし、続いて看板にバ~ンと何かが落ちる音がした。拾ってみると何と大きな栃の実であった。山歩きが好きな私でも栃の実にはなじみが薄く、珍しいので4~5個拾って持ち帰った。

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植物園を訪れたことにはもう一つの目的があった。植物園のモデル庭園の四阿に知り合いの句友達の短冊や色紙が飾られているというのでそれを見ることであった。
行ってみると俳句の短冊や色紙、俳画などがきれいに展示され和風の四阿によくマッチしていた。
俳句もこのようにして鑑賞すると、自然と調和する美しい文学だなと妙に感心した。

 秋風の四阿で見る俳画かな 英世

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南十字星

昨日星空の話をしたが、オーストラリアで見た南十字星の神秘的な美しさも忘れられない。
オーストラリアへは定年退職の記念として、会社が夫婦連れのツアーを組んでくれたものである。
ご存じのように日本とオーストラリアは時差こそ少ないが季節が夏冬全く逆で、訪れた11月はオーストラリアの初夏ということになる。
オペラハウスなどシドニーの名所を観光したあと、夜はいよいよ夏の星空見学である。
オーストラリアの星といえば何といっても南十字星、ツアー客全員でバスを仕立てて郊外の海辺でじっとその星が出るのを待った。
南の空に星が瞬きだし、ガイドが指差す先に幽かに南十字星が現れると、一斉にざわめきが起き、その南十字星のかたちがはっきりしてくるとざわめきは感動の声に変って行った。
定年退職に合わせ、このような旅をプレゼントしてくれた会社に今でも感謝している。

 夏空や指差す方に十字星  英世

秋の星空

ずいぶん前に見た久住高原の満天の星空が忘れられない。
今はそのような星空を博多の空に望む方が無理であるが、昨日は久しぶりに晴れてふと夜空を見上げるとたくさんの星が輝いていた。
星座は勉強不足というよりむしろさっぱり分からない方だが、それでも星を見上げるのは楽しいものである。
よく見ると星は空の南側に集中しており、北の方にはまばらに輝いているだけであった。
この時期星座そのものが南に多いのだろうか、それとも北側は福岡の街並みがあり、夜でも煌々と明かりが点っている所為であまり星が見えないのだろうか。
多分後者に違いないだろう。
俳句を嗜む者の一人として星座の勉強もせねばなるまい。今度脊振の山頂から星空を眺めてみるとしよう。

 天の川探しつ辿る家路かな  英世

愛莉と徳栄寺に

早朝から稲妻が走り雷鳴と共にものすごい雨が降っている。広島のことも心配である。
さて、福岡市の西区にある木の葉モールに愛用の「美味酢」を買うために時々訪れる。
この日も家内と木の葉モールに愛莉を誘って出かけることにしたが、この日の私には別の目的があった。
と言うのは二人を西油山の「徳栄寺」に連れて行くことであった。
最初からお寺に行こうと言えばいやと言うに決まっているから、途中でちょっと寄り道すると言って出掛けた。
お寺に着くと愛莉は最初怪訝そうな顔をし、家内はつまらなさそうな顔をしていたが、鐘楼で鐘を撞き、禊の滝を拝んでいるうちに二人ともも満足の表情がはっきりと見えてきた。
最高に喜んだのがうっそうと茂る森を抜けて、裏手の木彫や陶芸などの手作り工房を訪ねた時であった。
工作好きの愛莉は工房のオーナーとちゃっかり仲良しになり、家内はなにやかやと話しながら見せて貰った工芸品に触り一人満足そうに悦に入っていた。
愛莉は母親へのお土産にとコーヒーカップ(千円)を買ってくれろと言う。もちろん私が断る訳がない。
その後木の葉モールで買い物をし、帰りはいつもの寿司屋により久し振りに三人で楽しく食事をした。私のお腹ももうお寿司が食べられるほどに回復している。
愛莉も今の歳から寺詣りに連れていけば、やさしく思いやりのあるいい子になるのではなかろうか。

 秋遍路ならぬ孫との寺詣  英世

俳句もインターネット時代

昨夜は今年初めて蟋蟀の鳴き声を聞いた。秋の使者のような鳴き声であった。
さて、最近あの分厚い歳時記を開くことがめっきり減ってしまった。
と同時に吟行に歳時記なり季寄せを持って行くこともほとんどなく、電子辞書だけで事足りるようになった。紙の時代よりネットの時代が俳句の世界にも来ているに相違ない。
自宅で俳句を考える時、季題や例句を調べるのはもっぱらパソコンのインターネット、特に花木の季題の場合は、解説はもとより鮮明な画像までインターネットで調べることが出来る。
また、私の場合は電子辞書が句作には欠かせない。
昔は風呂敷に大きな広辞苑や歳時記を包んで持参し、句会や吟行に出席する人がいたと聞くが、いまはこの電子辞書一つでほとんどまかなえる。
広辞苑や歳時記、様々な辞典、手引き、さらには画像までもが取り込まれている。
肝心の歳時記もホトトギスを初め合本歳時記、現代歳時記と幅広く調べることが出来るようになっている。
句会もインターネット句会が全国で広がりつつあり、まさに俳句もインターネット時代が予測される。

 秋風や鞄に小さき電子辞書  英世

一句の風景

駅前に残る路地裏終戦日

終戦記念日を迎えると何故か旧博多駅を思い出す。
昭和の記憶の中にある博多駅は木造の小さなぼろ駅舎で、駅前にはバラック建ての飲み屋や商店が路地を挟んでひしめき合っていた。
新しい駅はそこから500メートルほどに下がったところに出来て、九州でも屈指の繁華街を形成している。
そのような中で、旧博多駅があったあたりを散策すると今でもそのバラック建ての商店街の面影が残っている。
その旧博多駅と商店街を偲んで賜った句である。
2012年(平成24年)8月「季題:終戦日(秋)」

地名と苗字

ホトトギスの稲畑廣太郎先生のブログ「放蕩主宰」を毎日楽しく読ませて頂いている。
その日その日の主宰の仕事や行動、天候、俳句のことなどユーモアたっぷりに、そして偶にはしんみりと述べられている。
そのブログの中で、丹波の山奥に稲畑村と言う集落があり、そこが父方のルーツであると語られていた。稲畑の苗字はその稲畑村にちなんで付けられたに違いない。
このように地名と苗字は古来より密接な関係にある。
それにはその地を支配した豪族が自分の苗字を地名にした場合と、もともとの地名を名字にした場合の二通りがある。
ちなみに私の大津の苗字はご先祖が肥後大津の出で、その地の名前を頂いたことは明らかである。
以前このブログの「我が家のルーツ」で詳しくお話したことがあるが、自分の苗字と同じ名の土地を通るとなぜか懐かしく思えてならない。

 父祖の地を苗字に貰ひ盂蘭盆会  英世

無理なものは無理

昨日とうとう百年句会を欠席してしまった。数ある句会の中でも比較的遠出するこの百年句会が好きで、この吟行だけは欠席したくなかったのだが。
でも不安があれば欠席せざるを得ない。事実今朝は体調そのものは良いが、何となくお腹と足に力が入らない感じがする。
無理をすれば行けないこともなかったが、何かあった時に句友に迷惑をかける訳にはいかないだろう。
過去にもずいぶん無理をして失敗したことがある。風邪気味で体調が最低なのに、酒にマージャンと夜遊びをして風邪をこじらせたり、熱を出して一週間以上も会社を休んだこともある。一日の無理が十日の損と言ったところだろう。
喜寿も過ぎて経験と言うこともないだろうが、その経験があるだけに迷わず欠席することが出来たと思っている。
会津の什の掟「ならぬものはならぬのです」を思い出した。

 思ひ切り休むと決めし残暑かな  英世

百年句会欠席

今日は恒例の百年句会で篠栗霊場を吟行する予定であったが、体調がすぐれず残念ながら欠席することにした。
先日もお話ししたように、8月は3回しか句会が予定されていない中で、そのうちの一つは台風で中止、そして残りの一つまで欠席してしまった。
原因はいつもの大腸憩室炎で、今や私の持病となってしまったようである。
俳句の世界では持病のことを宿痾(しゅくあ)と言うがそのような悠長な事を言っている場合ではない。
盆明けには殆んど治まったが、残暑の中の吟行は到底無理と判断し、用心のために欠席することにしたのである。
過去にもこの病気には散々苦しめられ、都合3回入院し軽い時でも2週間の病院暮らしであった。
だが、前回と今回は少し様子が違った。入院することなく近くの病院へ通院し1週間ほどで直すことが出来たのである。
と言うのは、昔はお腹が痛くて我慢できなくなって病院へ行き、悪化させてそのまま入院していたが、ここに来て症状が出たらすぐに絶食し、抗生剤を点滴し服用すれば通院で済むことが分かったからである。つまり早期治療が肝心と言うことであろう。
とは言え、持病であることに変わりはなく、この宿痾と何とか穏便に手を切りたいものである。

 宿痾また妣に侘びゐる盆会かな  英世

熱闘甲子園

今年もまたさまざまなドラマを展開しながら甲子園での熱闘が続いている。
中には初回に8点も取られたチームが、徐々に追い上げて終には大逆転した試合もあった。かと思えば息詰まるような投手戦でのあっけない幕切れもあった。
このあとどのような好ゲームが展開され、どのチームが栄冠を勝ち取るのだろうか。
甲子園に出場すると言うことは単に技量や運不運だけではないような気がする。そこにはチームワークはもとより、監督や野球部長の先生との信頼関係がなければならないと思う。
この甲子園でもやはり先生と生徒が信頼し合い、懸命に努力した結果の出場であったに違いない。その協調性、信頼関係が社会に出ても大いに役立つことは間違いないだろう。
我が母校は早々に予選で負けてしまったが、背広をユニホームに着替え自転車でゆっくりとグラウンドに向かう母校の野球部長の先生の姿が懐かしく思えてならない。

 甲子園敗者となるも爽やかに  英世

お盆異変

毎年このブログでもお話ししているように、盆正月には兄弟そろって実家に集まることになっていたが、今年はとうとうそれが実現しなかった。
父が存命の頃からの習慣で、弟が本家を継いでからも欠かさず実施してきたのだが、今年から義兄たちの高齢を理由に正月だけにしようと取りやめになったのである。
とは言えお盆参りを欠かすことはできない。
考妣が帰ってきている実家の佛さまに息子たる自分が会いに行かない訳にはいかないだろう、と思っていた矢先に体調を壊してしまった。
と言う訳で今年生まれて初めてお盆参りを欠かし、両親に申し訳ないと思いつつ遠い空から手を合わせた。
来年こそは兄弟の集まりはないとしても元気にお盆参りが出来るよう、健康管理には万全を期したいものである。

 ことさらに募る帰心や盆の月  英世

句会はお休み


昨日今年初めて法師蝉の鳴き声を聞いた。お盆そして母の忌日がやってくると必ず法師蝉が鳴くから本当に自然は正直である。
さて、毎月5回の句会を楽しみにしているが、8月はそのうちの三つの句会がお休みとなった。台風での鴻臚句会の休みはやむを得ないが、他の二つの句会は完全な夏休みである。
いま俳句の世界は女性が主流で、しかも子育てを終え夫離れした女性が中心である。この時期を大事に何か勉強したい、あるいはぜひ俳句をと言うことであろうか。
とは言え女性は何かと忙しい。
お盆のこともしなければならないし、夏休みになると孫たちも里帰りしてくる。爺婆として嬉しいには違いないが後でどっと疲れが出て来るのは目に見えている。
その辺りを配慮してのお休みであろうが、私には少し物足らない。
なにしろ実家を捨てた私には守るべき仏さまもないし、孫や子も隣近所に住んでいるので、お盆だ夏休みだといっても特別里帰りしてくるわけでもない。
むしろ忙中閑ありで句会ぐらいはと思うのだが、そう我がままも言えないだろう。

 主婦業に有休はなし蟻地獄  英世

西瓜

その鴻臚句会に立秋と一緒に出されていた兼題が西瓜であった。
西瓜は夏の食べ物と思われがちだが、俳句では秋の季題となっている。おそらくお盆に多く供えられ食べられるからではなかろうか。
子供の頃はその西瓜を母が等分に切ってくれるのを兄弟が輪になって待っていたものである。
ところがその西瓜、私たちが子供のころ食べていた西瓜とはずいぶんと様子が変わって来たような気がする。
先日の「一句の風景」でも申し上げたが、昔の西瓜は赤い果肉の中にぎっしりと黒い種が詰まっていた。黄色の西瓜となればそれがなおさら目立ったものである。
私は全くの種なし西瓜は食べたことがないが、それでも種が極端に少なくなったり、中にはほとんどないものもある。
子供が描く西瓜が様変わりするのも致し方ないであろう。

 音立てて罅走りたる西瓜かな  英世

立秋

台風の接近で早々に中止を決めた鴻臚句会であったが、その後天気は大荒れせずに空振りに終わってしまった。でも、それはそれで良かったと思わねばなるまい。
その鴻臚句会にあらかじめ出されていた兼題が立秋であった。
立秋といってもピンとこない暑さであるが、先日の稲畑廣太郎主宰のブログにもあったように、東京ではもう鰯雲が出て、朝夕はそれとなく秋を感じるようになったようである。
古歌の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」がそのことを適格に言い表している。
とは言え、九州の夏の長さは半端ではない。
夏の太平洋高気圧は長く居座り、その周辺を湿った暖かい空気がいつまでも北上するからである。
夏バテもこの時期に本格的になるし、熱中症や水の事故もまだまだ油断がならない。
まさに「暑さ寒さも彼岸まで」の長さである。
それでも、今年は8月に入ってからの台風や長雨で秋の訪れは早くなるような気がするのだが、果たしてそうなってくれるのであろうか。

 雨音にさへも秋立つけはひかな  英世

一句の風景

子の描く西瓜いづれも種ばかり

特選となったインターネット句会の選者は「最近は種なし西瓜が大部分だから、種のある西瓜は珍しい。子等は種がないと絵にならないからと種を書いたのだろう」と評してくれた。
子供の描く絵は極端に一つの物を強調する傾向にある。
この西瓜の絵も半分に割った西瓜に黒い粒々をたくさん書くとによって、西瓜の絵だと言うことを強調したかったのだろう。
子供たちの得意満面の笑顔に心癒されながら賜った句である。
2012年(平成24年)8月「季題:西瓜(秋)」

静雲句集「閻魔」を読む

昨日まで小原菁々子の「俳諧求道」の話をしたが、その中でご紹介した河野静雲の句集「閻魔」を読みたくなり福岡市総合図書館を訪ねた。
私が今までに読んだ閻魔は冬野発行所による復刻版であるが、どこかに初版本があるはずと訪ねたのである。
図書館には一般書の他に貸し出し禁止の専門書のコーナーがあるが、そのコーナーを丹念に探しても目的の閻魔はなかった。止むを得ず係に探して貰ったところ何と郷土本のコーナーに閻魔はあった。しかも傍には同じく静雲句集の「閻魔以後」と俳人協会の河野静雲集も並べられていた。
早速手にとって見て驚いた。何と初版本ではないが翌21年の閻魔再版本ではないか。何という幸運だろうか。
次に驚いたのがその閻魔の軽さである。同じ厚さの「閻魔以後」の三分の一にも満たない。
戦後の紙不足の中で粗悪な藁半紙のような紙を、表裏印刷出来ないので二つ折りにして印刷してあり、乱暴に扱うと破れかねない紙質である。
紙質など時代を表すその閻魔を丹念に読んでいるうちに無性にこの本が欲しくなって来た。インターネットの古書市場で調べてみたが見つからなかった。見つからないと無性に欲しくなるものだが、探していれば何時かはきっと巡り合えることを信じている。

 秋の灯の蔵書に欲しき閻魔かな  英世

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私の本棚「俳諧求道」Ⅳ

台風接近で今日予定していた句会「鴻臚」の中止を決定した。平均70歳のメンバーだから会長としての私の判断もやむを得ないであろう。
さて、この俳諧求道の紹介も最後となるので、今日は静雲や菁々子の生きた大正、昭和の時代と二人の歩んだ道についてお話しよう。
まず菁々子だが、彼は明治41年生まれで紺屋を営んでいた家業が傾き14歳で吉田足袋に丁稚奉公をしている。その奉公生活は映画やテレビで見る封建社会そのもので、如何に苦労したかが偲ばれる。
その後20歳で独立して糸を自転車で売り歩くことから始めたが、商才はかなりあったようである。
その商い先で出会ったのが後の師となる静雲であった。
明治20年生まれで菁々子より21歳年上の静雲は時宗の寺に生れ、藤沢の遊行寺で修行した後東北宮城の専念寺の住職として檀家に慕われ幾人もの俳人の知己を得た。
博多に戻ってからは、理由はよくわからないが自分の寺を継げず、寺裏の長屋に住み伴僧としてその日暮らしをしていた。その赤貧の静雲を支えたのが妻のツネで、俳句を捻っている静雲の傍で裁縫教室をして家計をやりくりしていた。
菁々子はその裁縫教室に商いで出入りするようになり、その後俳諧の道を歩み始めることになるのである。
その二人が今日の冬野の基礎を築いたとすれば、その人生を知ることも門葉の一人として大事なことではなかろうか。

 門葉のはしくれとして冬野盆  英世

私の本棚「俳諧求道」Ⅲ

昨日は菁々子の語る冬野や句集閻魔のことをお話ししたが、今日は菁々子が出会った著名俳人と九州俳壇についての記述の一部をご紹介しよう。
虚子を中心とした中央での華やかな俳壇の陰で、久女、しづの女のほかにも要望な作家が九州に誕生した。
まず最初に登場するのが冨安風生。
彼は東大卒の郵政畑エリートで、福岡貯金支局長と言う要職にありながら俳句に目覚め禅寺洞の門からホトトギスのスターへと駆け上った才人である。彼の句碑は太宰府天満宮と現福岡貯金事務センターに立っており両句碑とも拝見したことがある。
続いて登場するのが野見山飛鳥。
虚子より「曩(さき)に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」と言わしめた野見山朱鳥のことにもこの俳諧求道では詳しく触れている。ただ、朱鳥のことは先に私のこのブログでお話ししたのでここでは省略する。
他にも川端茅舎の名句菜殻火誕生の秘話や清原枴童、森永杉洞などの九州俳人のこと、ホトトギス600回記念大会、仏心寺、虚子堂、帯塚、静雲入寂の様子など細かく描写されている。
冬野を取り巻く歴史と人脈を知る上で大いに参考になった。

 秋蝉の鳴くや帯塚仏心寺  英世

私の本棚「俳諧求道」Ⅱ

昨日に続き俳諧求道のお話をしよう。
私が冬野に投句を始めたのは現池田昭雄主宰の代で、初代の静雲や二代の菁々子とは全く面識がない。従って直接ご指導を受けたこともないが、彼らの話は事あるごとに先輩から聞いている。また、二人の忌日の法要と句会には門葉のはしくれとして参加している。
俳諧求道の中ではその静雲や冬野のことにも数多くの頁が割かれているので、その中の印象に残ったことをお話しよう。
静雲の句集「閻魔」についての虚子の言葉。
「巻中に盛られたる人物を時に泣き、時に怒り、時に真面目に、時に爆笑して眺めている閻魔である。」それが静雲句集「閻魔」だと言うことであろう。
また、俳誌冬野の名前について質問した虚子に対し、静雲は「冬の野に根を張り春の発芽を待つ木々」の心を込めて命名したと答えている。芭蕉の枯野を意識していることも明らかである。
冬野に所属しながら今までこのようなことさへ知らなかった自分が恥ずかしくなって来た。まだまだ勉強が足りない。

 緑陰や句集閻魔を読み更ける  英世

私の本棚「俳諧求道」Ⅰ

中央区民センターの図書館で小原菁々子先生の「俳諧求道」なる本を見つけて読んで見た。(以後紙面の都合で敬称を略させていただく)
この本は俳誌「冬野」の二代主宰小原菁々子の話を著者が聞き書きしたもので、菁々子本人の俳句人生を中心に俳句界の変遷が詳しく紹介されている。
その菁々子は一途に河野静雲を人生と俳諧の師と仰ぎ、その交流の日々が美しい思い出として語られている。
花鳥山仏心寺の建立や、俳誌「木犀」を発展的に継承した我が「冬野」の設立からその興亡についても詳しく触れられている。
九州俳諧の草分けであくまでも虚子を師と仰ぐ静雲と、虚子と袂を分かった吉岡禅寺洞との交流と決別そして再会のこと、清原枴童の俳誌「木犀」と禅寺洞の「天の川」のことなども詳細に語られている。
また、九州の女性俳人で一世を風靡した杉田久女と竹下しづの女の俳句の違い、性格の違いなどを本人たちに直接会ったことのある菁々子の目を通じて、天才的でプライドの高い久女、家庭的な俳句を得意としたしづの女と対比して冷静に評している。
俳句を詠むだけではなく九州俳段の歴史にも関心があっただけに、またとない本に出会ったと感謝している。

 秋風や句集の海女を読み返す  英世

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冬野八月号

冬野八月号が手許に届いた。
今月号には池田主宰の句碑開きの様子が詳しく報じられ、私が撮った写真も数枚掲載されている。記念になる八月号である。
例によって冬野並びに他の句会の終戦句をご紹介しよう。

冬野八月号
 白秋を偲べば雨の繍毬花
 全身で吸ひて吐き出す新樹の香
 温き茶の欲しき卯の花腐しかな
 山頂に観音菩薩朴の花
 麦秋の真つ只中を高速道
 母の日や妣の形見は孫の手に
 湿原の灌木帯も若葉かな
 尾瀬沼に憩ふ歩荷や若葉風
 墨跡の癖も涼しく昭雄句碑
 鰻釣る逸る心を抑へつつ
 花菖蒲風の機嫌を尋ね撮る
 境内の美しき箒目夏落葉
冬野インターネット俳句
 棟梁も手ぬぐひ干して三尺寝
 白百合の香りに疲れ覚へけり
 炎昼や自販機だけの峠茶屋
 父母の足跡消えし青田かな
俳句ステーション
 静かなることの不気味さ蟻地獄
 アルプスを母とし流る清水かな
 錆びしより命長らふ四葩かな
現代俳句インターネット句会
 師の句とて駄作は駄作生ビール
 夏空に空飛ぶ船を描く子かな

天井扇風機

先日の句会の帰りに久し振りに懐かしいものに出会った。天井でゆっくりと回る大型の扇風機である。
福岡市の大濠公園の北、西公園の下に福岡市の福祉施設「ふくふくプラザ」があるが、そこの会議室を様々な句会で利用している。
この日も唐人町で吟行をした後、わざわざここまで移動して句会を開いた。
句会の後では反省会と言う名目でお茶を飲むことが多いが、この天井扇風機はその喫茶店兼お菓子屋に備え付けられている。
風はあまり期待できないが、直径2メートルほどもあろうかうす鼠色したその扇風機がゆっくりと回る姿はまさに昭和レトロそのものであった。
この喫茶店は菓子屋としても有名で、懐かしい駄菓子から季節の和菓子や洋菓子まで売っており、それだけを求めて来る客も多いとか。
店はこれまた古い唐人町商店街のど真ん中にある。機会があったら一度訪ねられたら如何だろうか。

 扇風機昭和レトロの風を生む  英世

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たんたん句会

日ごろ親しくして頂いている句友より唐人町吟行に誘われ参加した。
この句会はたんたん句会と言って冬野の誌友に限らず、広く伝統俳句の有志を募って吟行を行うものである。名前の由来は最初にみんなで坦々麺を食べたからだという。
何度かお話したが、今回吟行した唐人町の歴史は古く、約400年前に旧唐津街道に店々が並んだことが起源とされている。その後その周辺に黒田藩の下級武士が済むようになり徐々に賑ってきた。
現在はももち浜やヤフオクドーム、大濠公園、西公園などの最寄り駅として賑っているが、生活圏としての町は徐々に衰退し、商店街は昔ほどの賑いは見られなくなった。
この日は台風の余波で時折降る夏時雨そして耳をつんざく蝉しぐれの中、破れ傘を差したり畳んだりしながら吟行した。
その昔の下町情緒豊かな商店街を中心に、下級武士の町や江戸時代の処刑場後、古いお寺などを巡り、去りゆく夏の風物詩を楽しく詠むことができた。
この分だとこのたんたん句会これからも参加できそうである。この日の私の初めての特選句をご紹介しよう。

 刑場の声なき声や蝉時雨  英世

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八月の花ごよみ「白粉の花」

前のマンションに昔ヨーロッパ旅行をした際に、イタリアより種を持ち帰った白粉が毎年きれいな花を咲かせていた。引っ越してしまった今はどうなっているであろうか。
その白粉の花が、近所のあちこちの庭先に咲いている。あまり目立たないが、それだけ花の少ないこの時期に親しまれている花だと言えよう。
この白粉の花を見ると、子供の頃の母と姉二人を思い出す。
白粉は花と実が同時になる花で、花の傍には真っ黒な固い実がなっている。
その実の中には真っ白な粉状のものが詰まっており、姉たちは母に教わりながらその白い粉を手や顔にこすりつけ、お化粧のまねごとをしていた。白粉(おしろい)と言われる所以であろう。
まるでそこに私がいることなど忘れてはしゃいでおり、子供心に疎外感を味わい姉たちにいたずらして母に叱られた記憶がある。
この白粉の花は八月の暑い時期が美しいが、俳句の季題としては秋の花である。

 白粉や嘉穂劇場の玉三郎  英世

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