12月が終る

今日で今年もいよいよ終わりである。
恒例により今年の私の10大ニュースを発表しよう。
1)今年も「俳句とお酒と山」それに仕事と充実した年を送ることが出来た。
2)恒例のお盆の兄弟の集まりが中止になり初めてお盆に里帰りをしなかった。
3)家内の両親のお墓参りをした。
4)今年もNHK俳句に入選しテレビ放映された。
5)ラブアースに初めて参加し大濠公園の清掃をした。
6)マリエラ号で博多湾クルーズ吟行をした。
7)かつて勤務していた会社の社長(後輩)と会食した。
8)久し振りに息子と愛莉とで魚釣りに行った。
9)ゴルフと完全に決別するために愛用のクラブを処分した
10)持病の大腸憩室炎を発症したが初めて入院せずに克服した。
今年もご訪問いただき有難うございました。どうか良い年をお迎えください。

 除夜の妻厨に置いて眠りけり  英世

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一句の風景

須佐之男の暴れしあとや枯蓮

夏の間あれほど青々と茂っていた蓮の葉も冬には見る影もなく枯れ果てる。
福岡城のお堀端を歩いていると、その枯蓮が一面に広がり寒々とした光景を見せている。
その枯れ果てた蓮は哀れで、さも弓矢が折れ曲がっているかのようであり、中には水に突っ込んでいるものもある。
何れこの枯蓮も刈り取られる運命にある。
その頃神話や古事記に凝っていた私は、この風景を見てあたかも須佐之男命が足で蹴散らして暴れまくった跡のように思えた。
その様子をややユーモラスに詠んだ句である。
012年(平成24年)12月「季題:枯蓮(冬)」

年用意

昨日は愛莉と天神に雪を見に出かけた。
天神で雪と不思議に思われるかもしれないが、市役所ひろばに人工雪を降らせ、俄か作りの雪の広場が出来たからである。愛莉は珍しい雪に歓声を上げながら父親や私に雪つぶてを投げたり、雪だるまを作って楽しんでいた。今年のよい思い出になるであろう。
さて、いよいよ今年も終りで、巷は正月の準備でてんてこ舞いである。いわゆる俳句で言うところの年用意である。
それにしても日本人はどうしてお正月と言うだけでこれほどの準備をするのだろうか。
思うに日本人は神様を中心とした民族で、神に過ぎ去った一年を感謝し、来たる一年の平安を願ってお供えをする。神様にお供えするということで通常とは違う特別のお飾りや食べ物、お酒などを用意し共に戴くからであろうか。
また、農耕民族である日本人は暦が頼りである。
その暦の一年の始まりを祝うことで新たな年の豊作と平安を祈るのでもあろう。何となくそんな気がする。

 餅搗の杵に振らるる園児かな  英世

官兵衛効果の次は

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が終った。全国的な視聴率はともかく地元福岡では上々の視聴率であったようである。
NHK福岡はもとより美術館、博物館、商店街とこの一年官兵衛一色のであった。つまり観光事業における官兵衛効果である。
そのドラマ「官兵衛」が終ったことで福岡はどのように変わるのであろうか。
終焉という字が独り歩きし火の消えたようにしょぼんとしてしまうのか、それとも新しい目玉を見つけ相変わらず賑い続けるのだろうか、興味尽きないところである。
個人的には東南アジアに向けて大きく目を開くべきだと思う。
地理的にも韓国や台湾、中国の国々と近く長い交流の歴史がある。その利を生かして観光客を呼び込む施策を官民ともに協力して打ち出して行くことを期待している。

 年の瀬や観光客の争奪戦  英世

思い込み


私のルーツが阿蘇近くの肥後大津(おおづ)にあると言うことはこれまでもお話ししてきたが、その際とんでもないミスを犯してしまった。
このブログでは発表していないが、随筆の中で近く肥後の大津市を訪ねて私のルーツを更に深く調べたいと書いた時にミスしてしまったのである。
と言うのは、肥後大津は当然大津市だと勝手に思い込み、市役所を訪ねて色々調べたいと書いてしまったが、後で調べてみると肥後大津はまだ市にはなっていなかった。
正式には熊本県菊池郡大津町で、従って市役所ではなく町役場と書くべきであった。
このようなミスは私のように物書きを趣味にしている人間には許されないことで、書く前に慎重に調べてミスの無いようにすべきだったと反省しきりである。

 年の瀬や我が父祖の地を訪ねみむ  英世

季題と季語

ずいぶん前の話だが、NHK俳句である選者が季題と季語の違いについて解説していた。
季題と季語についてはいろんな俳人または学者がそれぞれの視点から解説している。
それによると、概ね短歌の世界から季節の題として継承されている「花・時鳥・月・紅葉・雪」の5個の景物から発展したものが季題で、時代と共に裾野を広げてきたものを季語だと言っている。分かるようでわかりにくい説である。
それをNHK選者の某先生は、分かりやすく歳時記の頭に記載されているものが季題で、その下にある傍題が季語であると言っている。
少し乱暴な気がするが、何となくわかりやすい解説である。
とは言え、現代の俳壇では季題も季語もほぼ同義語として扱われているし、難しい理屈は抜きにして私はどちらでもいいのではと思っている。
なぜならば、これから子供たちに俳句を広めて行こうとする時に、季題だの季語だの面倒な説明は不要で、一般的に季節の言葉として定着している季語の方で統一すれば良いと思うからである。
ちなみにホトギスでは全て季題と称しているが、それはそれで統一されているので良いのではなかろうか。

 迂闊にも無季を詠みけり冬の句座  英世

赤煉瓦


ずいぶん昔の新聞コラムに、日本人はなぜ赤煉瓦が好きかという小文が載っていた。
それによると日本人は縄文の昔から土を焼く文化に親しみ、土器や瓦は日本人の原風景であった。赤煉瓦もその延長線上にあると述べていた。
また一方では明治以降産業革命の先駆者であるイギリスへの愛着から、日本に赤煉瓦の洋館がたくさん建ったともあった。
私が働いていた頃の東京丸の内は近代的なビル街に変身していたが、その昔は東京駅を始め華麗な赤煉瓦の洋館が立ち並んでいたのではなかろうか。
言われてみると私も赤煉瓦が好きである。
福岡にも赤煉瓦の建物があり、その名も赤煉瓦文化館として現在も活躍している。
日本生命の建物を譲り受けてそのまま文学館にしたもので、今回の百年句会もこの赤煉瓦館で開催したが、この赤煉瓦の建物に入ると何となく心が落ち着くから不思議である。

 赤煉瓦冬夕焼に映えにけり  英世

「父さんはすごいと思うよ」

今日はクリスマスイブで、子供たちには眠られぬ夜となるであろう。
そのクリスマスプレゼント代わりに息子からの嬉しかった言葉をご紹介しよう。
息子は私がかつて働いていた会社の技術系グループ企業で働いている。この会社は上場こそしていないものの、元々同じ会社だった部門を分社化したものである。
ある時その息子が私に「父さんはすごいと思うよ」とぽつりと言ってくれた。
自分が同じ会社に入ったことで、私の現役時代の仕事振りや単身赴任の苦労などを自然と知ることとなり、そのことを言いたかったのであろう。
もしかしたら彼は今大きな壁にぶち当たっているのかもしれない。だが、今の私には何の手助けもできない。自分の力で切り開いて貰うしかないのである。
思えば息子が一番難しい中学時代に東京に単身赴任し、高校・大学進学の時には何の相談にも乗って上げられなかった。
その息子がグループ会社とは言え私と同じ会社に就職が決まった時は、正直ほっとして本当に嬉しかったものである。
「父さんはすごいと思うよ」の一言が何よりのクリスマスプレゼントであった。

 クリスマス熱き言葉のプレゼント  英世

蝋梅の種


吟行で蝋梅の神秘的な美しさに見とれている私に、ある句友から自の家の老梅に種がなったら上げると約束を貰っていた。
その蝋梅の種は少し前に貰っていたので、その種を植え苗を育てることにした。
育て方が分からないのでインターネットで調べると種をほぐして水に浸し、底に沈んだものを選んで播けば良いとあった。
早速小さなコップに水を張り種を沈めて一日経つと種は半分ほどがコップの底に沈んでいた。よく見ると15粒ほどある。これが全部育ってもと思いながらも全粒我が家の庭と隣の娘夫婦の庭に撒いた。
これからどのように育てればいいか少し気になるところだが、インターネットで調べたり花屋に聞いたりしながら育て行きたいと思っている。
素人の当ての無い育て方だが、無事花を咲かせてくれることを今は信じるほかはない。

 蝋梅の蕩けそうなる日和かな  英世

百年句会「師走を詠む」

昨日の百年句会吟行は博多の師走風景を詠むことであった。
吟行ではまず櫛田神社に参拝し今年の無事を謝することから始め、キャナルシティーでクリスマスの雰囲気を味わい、川端商店街で師走の賑いを詠むことにした。
櫛田神社ではすでに新年を迎える準備の入っており、境内中が何となくお掃除モードになって入っているように感じた。
また、キャナルシティーと川端商店街はまさに歳末商戦まっただ中で、大きなクリスマスツリーや賑やかな音楽や呼び声でざわめいている。
あまりの賑やかさに迷子になる句友もいたが、それも今年最後の句会らしいご愛嬌と笑ってごまかした。
句会は水鏡天満宮で恩師の句碑を拝した後に久し振りに隣の赤煉瓦館で開いた。
この日は霙交じりの寒い日であったが、句友は元気そのもので今年最後の句会を締めくくるにふさわしい吟行であった。
この賑やかな師走の風景を詠んだ、この日の私の入選句をご紹介しよう。

 著ぶくれも様になりたる笑顔かな  英世

一句の風景

夜神楽や肩で息する翁面

御神楽見学をした時に賜った句である。
宮崎県高千穂は天孫降臨の地として、今も古い神々にゆかりの場所や神社など神話の世界が数多く残っている。
その高千穂の各地に伝わっているのがお神楽で、12月下旬から翌年一月にかけて氏神を迎えて感謝の舞をささげる。日向神楽、岩戸神楽などがそれである。
季節はまさに厳冬、かっぽ酒でも飲まない限り寒くて長くは見ていることが出来ないほどである。
その寒い中でも舞い手は激しく踊り、終った後は翁面を被ったまま肩で大きく息をしていた。
012年(平成24年)12月「季題:神楽(冬)」
今日は今から福博の師走風景を吟行することになっている。

蕎麦湯

冬の季題の蕎麦湯が兼題として出された。
蕎麦湯と言えばざる蕎麦などを食べた後に飲む茹で汁であるが、これが何故冬の季題なのかよくわからなかった。
冷たいざる蕎麦やもり蕎麦は主に夏の暑い時にさらっと食べるもので、その茹で汁であればむしろ夏の季題となってしかるべきであろう。
と言うことで新日本大歳時記を繰ってみると、「そば粉を熱湯で溶かし甘味を加えた飲み物」とある。
何と私たちが常日頃呼んでいる蕎麦湯とは全く違うもので、むしろ蕎麦掻をお湯状にしたようなものであった。これを飲むと体が温まるから冬の季題になったとある。
早速試しに作ってみたがこれがまったく美味しくない。蕎麦湯に足す甘味や薬味に問題があったのかもしれない。
俳句をやっていると、このようなことでちょっとした物知りになったような気分になる。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 湯を注ぐだけの蕎麦湯にひとくさり  英世

鮟鱇

冬の食材として珍重されるのが鮟鱇である。
冬に油がのって美味しくなることから冬の季題になっており、それが今回の兼題であった。
主に鮟鱇鍋にして食べるがその味は何とも言えない味で、河豚ちりとは違った濃厚さがある。
また、その肝が絶品で河豚のような毒もなく、甘辛く煮た鮟肝は熱燗のつまみとしては最高である。
鮟鱇は海底深く澄む深海魚で、昼間は海底でじっとしていてほとんど泳ぐことはなく、背びれの棘の一部を揺らして小魚を誘って捕食する。提灯鮟鱇と言われる所以である。
背骨もなく柔らかいので切るときは吊るして切るらしいが、残念ながら私はその場を見たことはない。
見たこともないものを想像で詠む訳にはいかないので、もっぱらその姿や味を中心に詠んだ。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 鮟鱇の肝恐々と食ぶる妻  英世

陸軍墓地

寒さが厳しい中、こんな時こそ運動をとまたまた散歩に出かけた。
今回の散歩は植物園から動物園を抜け、大休山(南公園)さらには陸軍墓地を巡るコースであった。
大休山では享保年間の大飢饉でたくさんの農民が餓死し、それを祀った飢人地蔵に手を合わせた。一口に餓死と言うがその極限の状態は如何ばかりであったろうか。
されに突き進んで陸軍墓地を巡った。
陸軍墓地は国のために命を捧げた兵士を祀る公園墓地で、明治維新の動乱から日清、日露そして太平洋戦争までのたくさんの兵士をお祀りしている。
亡くなった人を前にとやかく言うつもりはないが、日本はこんなにもたくさんの戦争をして来たのかというのが実感であった。
永久に戦争の無い日本を築かねばと改めて考えさせられた散歩であった。

 餓死のなき世に恵まれてクリスマス  英世

世襲

昨日いよいよ受験モードに突入したとお話したが、昨年話した四浪で医学部を目指していた青年は今どうしているだろうか。
家が医者だから医者にならなければならないのかと悩んでいた彼だが、無事医学の道を進んでいると良いのだが。
彼のことを思い出しながら、世の中には世襲と言うものがあるが、それはあっても良いのではないかと思っている。
家が何々だから、親が何々だから自分もと言う訳だが、よくよく考えてみるとサラリーマン以外は結構そう言う人が多いようである。
農業や漁業、商売のように、そこに田んぼや海がありお店があるからそれになる。親が投資した資源を活用する、親の技術を伝承するなどとその世襲の仕方は様々であるが、それもまた文化の継承として立派なことではなかろうか。

 往診の医者の自転車北風吹きぬ  英世

受験モードに突入

いまも非常勤で某進学塾に働いているが、その進学塾がいよいよ受験モードに突入した。
9月の初めに塾に出勤したところ、玄関ホールに「センター試験まで130日」のポスターが掲げられていたが、昨日はそれが「33日」に変っていた。つまりもう日にちが無いよと言っているのである。
例年そうだが、夏休み明けまでは塾生も何となく余裕があり、何かとがやがや騒いでいるが、試験日が迫って来たこのところの教室は音もなく静まり返り、時折ペンの走る音だけが微かに聞こえるだけとなった。
こうなると監督者としての私の仕事もすっかり様変わりする。
私の仕事は自習室で塾生が気持ちよく勉強できる環境を作って上げることである。
それだけにいらぬ世話をやいたりしたら彼らの反発を買いかねない。それほど塾生は真剣になって来たという証拠である。
ここはただ黙って見守って上げるしか方法はない。
このまま突っ走ってすべての塾生が栄冠を手にし、「合格しましたよ」と言ってくるのが待ち遠しくて仕方がない。
受け売りだが彼らに一つの言葉を送ろう。
「やりたいことはやらねばならぬことの後にある」

 単語帳肌身離さず夜学生  英世

寄鍋

先日日本の鍋料理の話をしたが、その中の寄鍋が短日と共に今回の兼題であった。
寄鍋とはその名の通り、魚介、鶏肉、野菜、茸などの色々な具材を適当に切って味付けして鍋で煮込むものである。
季節に応じた具材をたくさん使たり、あり合わせのもので手早く作ることもできる。
鍋料理の特徴は数人の家族や友人が、一つの鍋を囲んで食べること、たまには直接箸を突っ込んでみんなで食べることもある。
そのためその仲間を同じ鍋を突いた仲と親しみを込めて言うこともある。
熱々に煮込んだ鍋は体が温まるし、栄養にも富んでいることから冬にもってこいのものである。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。
今回で今年の俳句の会「鴻臚」の句会も終りである。と言うことで有志だけで忘年会をした。もちろん黒田天狗の鍋料理であった。

 寄鍋や部下を引き連れ酌みし日も  英世

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短日

立冬を前にいよいよ日が短くなってきた。このことを俳句では短日とか日短と言い冬の季題となっている。その短日が今回の兼題であった。
短日はつまり夜長であるが、夜長が秋とされているのに対し短日は冬とされている。春の日永、夏の短夜といった感じだろうか。
秋の夜長はのんびりした感じがするが、冬の短日は年の瀬を前に何となくあわただしい気持ちにさせてしまう。
また、日差しも弱く寒さもひしひしと増して来て、何となく侘びしさが込められているような気がする
そのあわただしさと忍び寄る寒さを短日と言う季題に込めて詠んで見た。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 ひとりでに点る街灯暮早し  英世

皇帝ダリア

街を歩いているとこのところ背の高い皇帝ダリアの姿がよく目につく。植物園や動物園はもとより民家の庭や畑の隅に背高く咲いている。
調べてみると皇帝ダリアはメキシコ原産で、ダリア界の王様と言われることから皇帝ダリアと名付けられた。
花の色は赤、白、ピンクとあるらしいが、私は薄紫を配したピンク系以外は見つけることは出来なかった。
ダリアは本来夏の花で俳句の季題にもなっているが、なぜこの寒い11月から12月に咲くのか不思議でならない。
とは言え花の少ないこの時期に大きく咲いている皇帝ダリアを見ると、心まで大きくなったような気がする。

 冬ざれや皇帝ダリアの背高く  英世

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パソコン不調

毎日更新しているこのブログが、昨日で途切れるのではというトラブルに見舞われた。
と言うのは、昨日の昼ごろパソコンを操作していたところ、急にインターネットにつながらなくなったからである。
今朝になっても回復せず、パソコンメーカーやNTTに電話で相談してもどちらも悪くないと言う。間違いなく私が妙な所を操作したからに違いない。
パソコンに詳しい息子に来て貰いシステム回復をして貰ったことで、先ほどどうにかネットワーク出来るようになった。
病気と旅行以外では休んだことがなく、毎日欠かさず更新してきたこのブログが危うく中断するところを息子のお陰で回避することが出来たのである。
パソコン素人の私が訳も分からずあちこち操作したことを厳しく注意されたのは致し方ないことであろう。

 パソコンも人を見るらし寒波来る  英世

添削

テレビでNHK俳句を毎週のように見ているが、その中でも添削コーナーを興味深く見ている。
投句の中から選者が一工夫すれば入選しそうな句を添削する訳だが、選者の添削と自分が思い描いていた添削とが合致した時は痛快である。
私もいま三人の句友の句を添削しインターネットでやり取りしているが、彼女らが日に日に上達して行く姿を見るのは嬉しいものである。
とは言え添削は意外と難しい。
思い切りやってしまうと元の句とは全く別の句が出来上がってしまうし、かと言って手心を加えた程度では句として成り立たないこともある。その辺りの加減がすこぶる難しい。
彼女たちにはいつの日か私の添削なしに、ただ私の句評のみで終るように上達して欲しいと願っている。

 小春日やしばし句想の旅枕  英世

一句の風景

著ぶくれて円き人柄そのままに

冬になると寒さを防ぐために誰もが衣類を重ねて着るようになる。その中でもたくさん着こんで、まるでだるま様のようになっている姿を着ぶくれと言う。
特に田舎のおばあさんたちは、外見にはこだわらずたくさん着こんで寒さをしのいでいる。
その姿はその人の丸い人柄そのもののように思われてならなかった。
その着ぶくれの様子をややユーモラスに詠んだ句である。
詠んでいてなぜか故郷の亡き母親を思い出してしまった。
012年(平成24年)12月「季題:着ぶくれ(冬)」

伝統俳句カレンダー

句会の特選賞品として伝統俳句カレンダーをいただいた。
実は別の句会の先生より句会の度にこのカレンダーの購入を勧められ、その都度持っていますからと断り続けたが、まさか賞品で貰ったとは言いづらく黙っていた。
そのカレンダーにはその月の伝統俳句に関係する俳人の句が数多く掲載されている。中には知り合いの俳人の句も見受けられる。
そのカレンダーの句を読むだけで、季節感を十分に満喫できるし俳句の勉強にもなることは請け合いである。
また、付録に子供の俳句がたくさん載っている子供カレンダーをいただいたが、このカレンダーは遊びに来ていた孫の愛莉にあげた。いつかは愛莉も俳句を詠んでくれると淡い期待をしながら。

 俳諧の師匠自ら暦売  英世

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鍋料理

師走と共に鍋料理が恋しくなってきた。
家族だんらんの中心に囲炉裏に掛けた鍋が滾っており、中には様々な肉や魚介類、野菜が美味しそうな匂いを漂わせている。
今では囲炉裏という訳にはいかないが、日本独特の家族のきずなを強める鍋であり栄養補給の鍋でもある。
鍋には寄鍋やすきやき(牛鍋)などいろいろの種類があるが、いったい日本には何種類の鍋があるのだろうと気になりだした。
調べてみたが、結局ははっきりした数字は分からなかった。それほど鍋の種類は多いと言うことである。
鍋には寄鍋のように全国共通の鍋があるかと思えば、石狩鍋など地方独特の鍋料理が数限りなくある。
ちなみに私が好きなのは博多地鶏の水炊きである。水炊きはホトトギスの季題にはなっていないが、私個人の勝手な冬の季題としよう。

 水炊きや部下を引き連れ酌みし日も  英世

紅葉八幡吟行 Ⅱ

今回の吟行もまた紅葉八幡宮で今年2度目であったが、今回は少し様子が変わっていた。
というのは、前回は紅葉の走りで色づきも今一であったが、今回は時雨模様の中風向きに立つ紅葉などは半ば散ってしまっていた。
このように同じ場所でも季節が変わると景色も変るので、吟行は面白くて止めることが出来ない。
紅葉八幡を少し下ったところに利生院(りしょういん)という天台宗の古刹があり、その側に利生坊という尼の坊がひっそりと建っている。
俄かの腹痛に悩まされた藩主が、ここの水を飲んで回復したことから利生院と名付け、寺と坊を設けたと言うことである。
その寺には古い地蔵が幾つも鎮座しており、中には隠れキリシタンの伝説のある地蔵もある。その地蔵のそばにはさながら明りを灯すかのように石蕗の花が最後の黄色い光を放っていた。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 謎秘めし耶蘇の仏や冬ざるる  英世

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小さな俳誌「土筆」

少し前にある句会の先生から「土筆」なる小さな月刊俳誌を頂いた。
これは佐賀県の伊万里にある伝統俳句系の俳句結社「土筆吟社」が発行するもので、私の句友もたくさんこの土筆に投句している。
彼らの句を観賞しながら、ふとこのような小さな俳誌を発行するには様々な苦労があるのではと思った。ページ数にして約20ページ、私の所属している冬野誌のわずか5分の1程度である。
それでも主宰は毎月丹念に会員の投句を読み、ランク付けして丁寧に句評して行く。その苦労と努力は大手のホトトギスや冬野にも劣らぬものではなかろうか。
月間購読料はわずかに500円、喉が渇いてビールを飲んでしまえば終わる程度のお金である。
見れば11月号で通算138号とある。と言うことは10年以上続いていることになる。
この小さな俳句誌「土筆」がこれからも引き続き発展して行って欲しいと願わずにはいられない。

 土筆てふ小さき俳句誌冬ざるる  英世

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冬野十二月号

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今年最後の冬野十二月号が手許に届いた。
自分の成績の悪さは置いておくとして、ページをめくると新しい会員が少ない一方、亡くなられた方、高齢ゆえ投句を中止された方の多さが目につく。
例によって他の句会と共に入選句をご紹介しよう。
写真は昨日の我が家のティータイムです。

冬野十二月号
 一本釣りてふ秋鯖の目でありぬ
 秋遍路今年の出来の話など
 ビル街のこんな狭間に秋の蝶
 馬柵続く限り遥かに芒原
 蟷螂のすでに枯たる眼でありぬ
 温暖化進む地球や穴まどひ
 目はすでに光失せたる穴まどひ
 妻恋の歌碑に秋思を重ねけり
 橡の実や音のならざる鈴に似て
 中也忌の森にやさしく秋の雨
冬野インターネット句会
 祖母の背が記憶の初め冬夕焼
 出かけねばならぬと思ふ小春かな
 土壁に御坊の名残落葉踏む
俳句ステーション
 故郷を訪ね秋思を断ちにけり
 コスモスやかくれんぼする園児どち
 大陸に開けし海や鴨来たる
愚陀佛庵インターネット句会
 白萩の零れ鐘の音残りけり
現代俳句インターネット句会
 神坐せばまこと秀麗冬の山
 一茶忌や田舎付き合ひ厭ふ妻

グレートトラバース

ずいぶん前に日本百名山の話をしたが、今日は先日放送が終ったNHK「グレートトラバース」の話をしよう。
これは屋久島の宮之浦岳から北海道利尻島の利尻岳までの百名山すべてを、一切の交通機関を使わず(実際は黒部湖だけは渡船を利用)、海峡をカヤックで渡るなどして自分の足を頼りに歩き登り切った、一人のプロアドベンチャーレーサーの偉業である。
最後の利尻岳を登り切ったことで日数にして200日、総移動距離7800キロのまさに恐るべき一筆書きのグレートトラバースであった。
主人公は田中陽希。
彼は現在30歳の根っからのプロレーサーで、学生時代はクロスカントリースキー全日本選手権で入賞したほどの腕前で並みの体力ではない。
期間が長いので全ての番組を見ることは出来なかったが、10月26日に利尻岳登頂に到着した場面では、彼は満面の笑顔で達成を喜んでいたが私は思わず涙を流してしまった。
過酷なレースに挑む彼の姿は、いつしか野山を駆け廻る修験者や修行僧の姿とダブっていた。

 木枯や百名山の修行僧  英世

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同級生の絵画展

前にも一度お話ししたが、私の高校同級生で踊の師匠をしながら水彩画の巧みな女性がいる。
その彼女がサークルの水彩画展に出品するので観に来て欲しいと言うことで、昨日、太宰府中央公民館まで足を運んだ。
今回は4人のメンバーによる展覧会で、各自4,5点の作品を発表していた。
絵を観て直観的に思ったことは、作者によって描き方の特徴がはっきりしているということでした。つまり温かみのある明るい色遣いなど彼女の絵には彼女の絵としての特徴があるということである。
私に絵の素養はないが、一点ずつ彼女の説明を聞いていると何となく良さが分かってきたような気がした。
彼女は当然私と同じ年齢だが、私より遥かに活発で行動的である。これからも元気で自分の趣味を生かして活躍して欲しいと願わずにはいられなかった。
写真の腕が悪く光が反射して見難いものもあるが、彼女の作品の一部をご紹介しよう。

 寒さにも友の絵を観るゆとりかな  英世

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師走の花ごよみ「枯」

冬の歳時記をめくっていると、やたら「枯」という字が目立つ。
枯芒を始め、枯葉、枯野、枯芭蕉と何れも冬の季題で、数えてみると20個以上もある。中には霜枯のように枯の字が後ろに付くものもある。
漢字林で「枯」の字を調べてみると、草木の生気がなくなること、死んでしまうこととある。
つまり概ね植物は冬になるとその生気を失いやがて死んでしまうと言うことで、その色はほとんど白っぽい茶色が多い。
その枯を表した名句も多いが、中でも芭蕉の絶句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」はあまりにも有名である。
この句を詠んで世を去った芭蕉を偲び、旧暦10月12日は芭蕉忌として季題になっている。
私もそろそろ枯る年頃であるが、家内に言わせるととんでもないということであった。

 枯萩の手荒く刈られしまひけり  英世

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