一月が終る

早いもので雪の正月から始まった一月が今日でもう終りである。
実を言うと元旦は年末の暴飲暴食がたたってお腹がきりきり痛み出し、持病の憩室炎かと疑い自重していたが翌二日にはすっかり治っていた。
家族には心配をかけて申し訳ないと思っている。
また、昨年末に受けていた血液検査の結果も、万全とは行かないもののほぼ順調とうことでこの方も一安心であった。
昨日は掛り付けのクリニックで定期検査しお薬を頂いたが、ここでも先生から数値的にずいぶんよくなっていると褒めて頂いた。
とはいえ、用心するにこしたことはない。お酒も少し控えめにして、従来同様週一回はきっちりと休肝日を設けたいと思っている。
二月以後も何とかこの調子で乗り切り、暖かい春を待ちたいものである。

 歳時記のほつれ繕ふ春隣  英世
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一句の風景

刀自の句に仄と色香や初句会

新年とはいつも華やぐものである。
特に女性は幾つになっても女性らしい美しさがある。
60歳以上で構成されているこの句会でも、女性は新春らしい装いで参加され中には和服姿の方もあった。
いよいよ披講が始まると、何と女性の句に恋とか愛と言った美しい語彙がたくさん出てきた。
私は不思議とその句に仄かな色香を感じ、句友の今年一年の幸せを信じて疑わなかった。
2012年(平成24年)1月「季題:初句会(新年)」

小料理屋


そんな折、一軒の料理屋が私の憩いの場所となった。
例によって洗面器をぶら下げ、ぶらりと飛び込んだのだが三木屋と言う赤ちょうちんであった。
後で分かったことだがこの大将の父親も鳶職で、店主の奥さんも深川生まれと言うちゃきちゃきの江戸っ子夫婦である。
大将は今でも大根の桂剥きを自分でするほどの職人気質で、私はある時刺身のつまに付いていたその桂剥きを全部食べてしまった。桂剥きをそのまま残す人が多い中で、全部食べたことを大層喜んでくれた。
私はたちまち大将と仲良くなり、当時は店に置いていなかった焼酎も私だけのために一升瓶で置いてくれるほどの仲になった。
大将にはなじみの薄い九州の話をしたり、大将夫妻と小学生の一人娘それに私の4人でスキーに行ったり、鎌倉で地引網や蜜柑狩をしたこともある。
その娘「こずえちゃん」も30歳になっているはずである。もうお嫁に行ったであろうか、それともお店を手伝っているのだろうか。
両国時代の最高の思い出の店だから、上京の機会があったらぜひ訪ねてみたいと思っている。

 春風や鬢の匂ひのする下宿  英世

銭湯


自炊と言っても毎日自室に引きこもっているわけではない。そんなことをしていたら身体を壊してしまうし、その前に精神的におかしくなってしまうだろう。
と言うことで、毎週土曜日は特別なことがない限り、部屋の風呂に浸からずすぐ向かいの銭湯に行き、その後洗面器を抱えたまま近くの小料理屋に行くのが習わしであった。
壁面に大きな富士が描かれている昔ながらの銭湯で、手足をゆっくり伸ばしてストレスを解消するには格好の風呂であった。
ある時、銭湯に行ってびっくりしたことがある。
なんと背なか中に入墨をした初老の男が入っているではないか。
じっと見る訳にもいかないのでどんな絵柄だったか忘れてしまったが、私はとんでもないところに来てしまったなと青くなった。
ところが、聞けばその筋の人ではなく昔堅気の鳶職で、別に怖がるような人ではなくこの辺りではごく普通の銭湯風景だということであった。
当時この両国はまだ江戸の名残がむんむんしていたのである。

 春風や江戸の名残の隅田川  英世

相撲の町

両国と言えば相撲の町である。
駅のそばには国技館そして国技館通りには土俵入り姿の横綱の銅像が立っている。その土台には名横綱の手形が埋め込まれていて、いやが上にも相撲の町を印象付けている。
近くには相撲部屋がたくさんあって、時折立浪部屋や春日野部屋の稽古場を覗くこともあった。
相撲に関するお店も多く、偶々お相撲さんの大きな足袋やパンツ、浴衣などを扱うお店に立ち寄ったが、展示してあった実物は私がすっぽり3人入るほどの大きさであった。
また、当然ながらちゃんこなべの店も多く、現役時代の力士名を店名にしていつ行っても満席で賑っていた。偶々上京してきた同僚を案内するとことのほか喜んでくれたことが嬉しかった。
なお、余談ながら近くに横綱ならぬ横網町があるが、横綱とは関係ないとは言え何とも奇妙な思いをしたものである。

 大川に春の兆しやふれ太鼓  英世

両国の頃


昨日で大相撲一月場所が終った。
その一月場所が終ったことで、かつて両国に住んでいた頃を懐かしく思い出した。
平成元年の6月に東京丸の内本社勤務になり、子供の学校の関係で単身赴任をすることにしたが、それからずるずると10年も単身赴任を続けることになろうとは夢にも思わなかった。
その夢にも思わなかった最初の住いがこの両国だったのである。
会社が用意してくれたワンルームマンションでの自炊生活にやや不安はあったが、母譲りの料理好きと綺麗好きの性格でいつの間にかすっかりその生活に慣れてしまった。
持ち前の好奇心で両国の町並やその周辺を歩き回り、隅田川の観光船に乗ったり、赤穂浪士で有名な吉良邸跡を訪ね、浅草、上野、亀戸天神、富岡八幡宮あたりまで足を延ばし泥鰌鍋や深川飯なども食べ歩いた。
その頃はまだ俳句を始めていなかったが、偶然通りかかった深川芭蕉庵跡や芭蕉記念館を訪ねたのも何かのお導きであろう。
明日からはその両国での思い出の一部をご紹介しよう。

 両国に響く太鼓や春隣  英世

静雲忌

昨日の24日に冬野では俳誌「冬野」の創始者河野静雲の忌を修する法要を、博多区の正定寺で執り行い記念の俳句大会が開催された。
私は俳句を始めたのが遅かったので静雲先生とは直接面識はなったが、恩師や句友には静雲先生のご指導を受けた方がたくさんおられたことから、私も知らず知らずのうちに親しみを覚えていた。
その句集「閻魔」を探し求めて図書館に通ったことは先にこのブログでお話しした通りである。
僧侶であった静雲は若い頃より苦労の絶えぬ人であったが、その性格は豪胆なようで繊細な面もある敬愛すべき人物だと何れの人も誉めたたえている。
ホトトギスに俳句を学び冬野誌を長年指導して来られたのも師の人柄に他ならない。
句会ではそのような静雲先生のお人柄を偲ばせる句がたくさん詠まれた。
静雲先生を詠んだ私のこの日の入選句をご紹介しよう。

 ちとばかりの句のほのぼのと静雲忌  英世

干支

正月に今年の干支は羊だとお話したが、そもそも干支とは何だろうかと気になった。
気になったら調べるのが私の流儀である。
十二支の起源である干支は遠く中国殷の時代にはすでにあったと言われている。
干支は当時60を周期とした天文、日付、番号であったが、後には干支が時刻や方位を表すようになり、それがいつごろか十二支として日本に定着した。
十二支と動物が結び付けられた時期もはっきりしていない。
ただ、時刻や方位を干支で示す習慣はすたれたが、何故かその年を示す干支だけは今なお民間に定着している。
干支による人の性格判断と言った迷信が語られ、年賀状などにもこの干支の動物の絵が好んで描かれている。
干支の動物の話やその最初の動物が鼠で、なぜ鼠に決まったかなどについて面白い逸話があるが、すでにご存じのことと思うのでここでは割愛しよう。

 新旧の干支の置物春の雪  英世

もし席を譲られたら


先日バスの中で少し不愉快な出来事に出会った。
誰が見ても高齢と思われる女性がバスに乗って来たので、女子高生が即座に立って席を譲ろうとしたところ老女は素直に座ろうとはせず手を振って断り続けた。
更に彼女が勧めても私を年寄り扱いするのかと言わんばかりに固辞し続けている。席を譲った少女が今さら座れる訳がないではないか。
少女はバツが悪そうな顔をしてその先のバス停で降りてしまった。果たしてそのバス停が彼女の目的のバス停であったかどうかは定かでない。たぶん目的とは違ったバス停ではなかったろうか。
バスに限らず世間では弱者やお年寄りを労わることを子供のころから教え込まれている。
その教えを忠実に守った少女の親切を無にしたこの老女は、果たしてこれでよかったのだろうか。
優先席に座って席を譲ろうとしない若者も問題だが、譲られても素直に座ろうともしない老女も問題だと思う。ちなみにその老女は少女が降りた後、別の席にちゃっかりと座っていた。
爽やかな光景であるはずが、何とも不愉快なものになってしまった。

 素直さに欠くる老女や冬の雷  英世

鹿肉

長年お付き合い頂いている先輩女史が珍しいお肉が手に入ったからとわざわざ我が家まで持ってきてくれた。何とその肉は鹿の肉であった。
近年日本に鹿が増えすぎてその対策として鹿肉を食べようと言うキャンペーンが展開されていることは知っていたが、まさか我が家の食卓に鹿の肉が並ぶとは思いもよらないことである。
実は鹿肉を食べるのは初めてではなく、東京にいた頃奥鬼怒の蟹湯温泉で熊の肉と一緒に食べたことはあったが、家内は全く初めてと言うことで少し敬遠していた。
とにかく食べてみようと言うことになったが、いざ食べてみると即座に家内は美味しいと言ってくれた。珍しい野趣あふれる鹿肉の味に満足したようであった。
お肉は二人では食べきれない量で隣の娘と近くに住む息子におすそ分けすることにした。果たしてどのような感想を述べてくれるか今から楽しみである。

 すき焼や牛に代りて鹿の肉  英世

嬉しい電話

昨日はあまりにも穏やかな四温晴に誘われて友泉亭を訪ね、ここでもお抹茶を頂いた。
さて、先日何とも嬉しい電話がかかってきた。
私が俳句を始めるきっかけとなった料亭「ひしむら」の大女将からの電話で、俳誌「冬野」で私が書いたエッセイ「吟行あれこれ」を読んで感動したというものであった。先方が感動する以上にこちらが嬉しくなってしまった。
彼女はお店が忙しくなって現在俳句を中断しているが、俳誌「冬野」だけは継続して読んでいるとのことである。
その女将からすれば、ついこの前俳句を始めたばかりの私が、もう俳誌にエッセイを投稿するようになったのかと嬉しくなったとも言ってくれた。
「吟行あれこれ」はこの一月から連載することになったエッセイだが、果たしてどれほどの人が読んでくれるだろうか、またどのような感想をお持ちになるだろうかと不安で仕方がなかった。
そのような中でこのような電話を戴くとは嬉しい限りであり、エッセイを引きうけて良かったと正直思っている。
この「吟行あれこれ」は12回シリーズで今年一杯書くことになっている。これからもたくさんの人に読んでいただき喜ばれるようなものにしたいと願っている。

 喜びを共に分かちし初電話  英世

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一句の風景

百段の磴を一気に息白し

愛宕神社に吟行した時の句である。
愛宕神社は初詣で賑う神社で、その参道は長い石の階段になっている。日頃山で鍛えた足に自信があった私はこの石段を途中休むことなく一気に駆け上った。
愛宕神社は小高い山の山頂に鎮座しており、そこから望む博多湾そして遥か玄界灘の眺望は見事であった。
駈け上がって、神前に手を合わせようとした私だが、年は隠せず息が上がっており吐く息は折からの冷え込みで真っ白であった。
2012年(平成24年)1月「季題:息白し(冬)」

愛宕神社吟行

百年句会は今年も愛宕山吟行から始まった。
この日の愛宕神社は冬とは思えない穏やかな天気で絶好の吟行日和であった。
愛宕神社は福岡市の西区に位置する由緒ある神社で、特に初詣の時期は大勢の参拝客で賑う。先にご紹介した俳誌「冬野」の随筆「吟行あれこれ」でも私はこの愛宕神社をいの一番に紹介している。
またこの句会ではお昼はお弁当を用意するか、または各自好きな食事をとることにしているが、今月は正月だと言うことで地元のお寿司屋で新年会を兼ねた句会となった。
そのお寿司ランチの美味しかったことは言うまでもない。
この日の出来は散々でかろうじて入選した一句をご紹介しよう。

 冬凪やかつては浜の愛宕下  英世

センター試験

度々お話ししているように私は某進学塾で働いている(講師ではない)ので、どうしてもセンター試験のことが気になる。
センター試験とは正式には大学入試センター試験と呼ばれ、独立行政法人大学入試センターによって、例年1月13日以降の最初の土曜日・日曜日の2日間にわたって行われる、日本の大学の共通入学試験である。
そのセンター試験が17、18の両日全国的に実施されている。
このセンター試験の結果は各大学によって利用の仕方は違うが、いずれにしても受験生にとってベースとなる入試に変りはない。
今まさにそのセンター試験の真最中で、昨日は勤務先の進学塾に塾生の姿は少なく閑散としていた。
センター試験も今日で終わり。栄冠を目指し塾生諸君の健闘を祈らずにはおられない。

 持ち時間使ひきったる入試かな  英世

初稽古


新年に初めて行う稽古事のことで初稽古、稽古始と言う季題となっている。
その稽古の種類も多く柔剣道の武道から各種スポーツ・歌舞音曲、生け花などがある。
それぞれの流儀で正月の雰囲気が醸し出され、気持ちを新たにした意気込みや和やかさがある。
特に子供たちの剣道や空手の初稽古には、子どもなりの真剣さと微笑ましさがある。
俳句ではそのような初稽古の風景や心意気を何の初稽古であるかを滲ませて詠まねばならない。
この初稽古が今回の兼題であった。例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 初稽古正座の礼に始まりぬ  英世

初鏡


新春によく詠まれる季題に初鏡がある。
初鏡とは正月初めて女性が化粧する顔を映す鏡のことである。
初化粧と言う華やぎの顔を映す鏡ではあるが、その鏡は心を映す鏡でもあり俳句ではその心を表現することが多い。
鏡とはそもそも影見がなまったものだと言うが、心正しくすることを促す鑑でもあろう。
それゆえにこの季題で初春の目出度い心を詠むのも当然と言えよう。
その初鏡が今回の兼題であった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 昨夜髪を染めたる妻の初鏡  英世

失なわれゆく季題「飯櫃入」

冬の季題に飯櫃入(おはちいれ)というのがある。と言うより昔はあったと言った方が正解かもしれない。
飯櫃入とは分かりやすく言えばわらで作った御飯の保温器で、炊き上がったご飯をお櫃に移し、そのまま保温する道具である。
私の田舎ではこれを「いぐり」と言っていたような気がするが、はっきりとしたことは覚えていない。
ただ、母親が御飯を炊くとすぐにお櫃に移し、そのお櫃を古布で包んでこの飯櫃入に入れていたことははっきりと覚えている。
翌日の朝になっても仄かに温かいご飯の匂いが漂っていた。
今はジャー飯器が普及しこの飯櫃入を見ることもなくなったが、すし屋などで時折この飯櫃入を見ると懐かしさが湧きあがって来る。

 役目終へ赤子を入るる飯櫃入  英世

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鈴花の成人式


一昨日の12日は孫娘鈴花の成人式であった。
彼女は私が東京単身赴任中に生れた最初の孫で、長女の娘つまり外孫ながらそれこそ我が一家の希望の星であった。
この前生まれたばかりと思っていたのに、その鈴花がもう成人式を迎えたとは感無量である。
母から譲られた綺麗な振袖でアトリエに立った姿は、手前みそながらそれはそれは美しかった。(映像で紹介できないのが残念)もう一人の孫の愛莉などは一日中彼女について廻ったほどである。
鈴花はいま大学二年生。これから卒業して出来れば福岡の会社に就職し、恋愛して結婚して子供をもうけるであろう。
現在はまだ私の家の隣に両親と一緒に住んでいる。何れこの家を去り新たな人生を歩むであろうが、これも彼女の幸せのためとあれば、淋しくとも我慢しなければなるまい。
私も何としてもその時まで元気でいたいものである。

 初孫の笑顔まぶしく成人祭  英世

俳句の会「鴻臚」新年会

先週土曜日に俳句の会「鴻臚」の新年会を賑々しく行った。
いつもお話ししているように俳句の会「鴻臚」はシルバー人材センターで私が立ちあげた句会である。
シルバーと言うからには当然高齢者ばかりで、平均年齢はおそらく75歳ほどではなかろうか。その中では私なんぞはまだまだ若造である。
句会も間もなく百回を迎えるが、発足以来止む終えぬ事情で退会者はあったものの、8割方が発足時のメンバーで退会者にも亡くなったという人の話は聞かない。
その鴻臚句会の新年会を港区にある鮨割烹「すし幸」で開催した。
少し前にお話ししたように、昨年末には忘年会を開いたばかりなのに、またまた新年会とはよくよく元気な人ばかりである。
今回も大いに盛り上がり、美味しい料理やお寿司を頂き大いに飲みながら英気を養うことが出来た。
その新年句会の特選句をご紹介しよう。

 おみくじを少し信じて明の春  英世

寝正月

寝正月とはその字のごとく、元旦または新年の休みをどこへも出かけず家にこもっていたり、寝て過ごすことを言う。その寝正月が今回の兼題であった。
昔の正月は上司や親せきに年始回りをしたりして元旦早々から忙しかったが、今ではそのような風習もなくなり家族単位で正月を過ごすことが多くなった。
一家の主婦も年始客が少なくなったことで、朝寝をしてのんびり過ごすこともできる。
また、病気で正月を寝て過ごすことを縁起を担いで寝正月とも言うが、このような目にだけは会いたくないものである。
例によってこの日の私の入選句をご紹介しよう。

 呼び鈴の音を遠くに寝正月  英世

初空


初空とは元旦の空のことで初御空として詠まれることが多い。その初空が今回の兼題であった。
元旦の夜が明けた空はこの日に限って特別に清新に感じるものである。
農を営んでいた父は特にこの初空を崇め、一家を上げて四方に礼拝して元旦を迎えていた。おそらく今年一年の穏やかな気候と豊作を念じてのことであろう。
また、傍題に初東雲と初茜があるが、初東雲は元旦の夜明けの空そのもの、そして初茜は初日の出る直前の茜色した東の空を言う。
何れも元旦の初空にふさわしい目出度い季題のような気がする。
ところが、今年の初空は雪が積もるほどの荒れた天気で、句会ではその荒れた天気も天与として詠んだ。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 白きもの降るも天与や初御空  英世

一句の風景


初夢や父になき日を生きてをり

一昨日はあまりの穏やかな天気に誘われ、散歩の途中で日本庭園「松風園」に立ちよった。
名物の大楓もすっかり葉を落とし寒々とした風景であったが、それはそれとしてまた良いもので、お抹茶を頂きながら身心をリラックスさせることが出来た。
さて、初夢に父が出てきた。夢ではまだ若々しい父であったが、実際は85歳の時に突然の事故で亡くなっている。
ところが夢と言うものは不思議なもので思わぬ展開をすることがある。
私が亡くなった父の仏前に座っているのだが、何とその私が父より遥かに年長の姿で老いぼれている。
つまり父の知らない86歳からを私が歩いているのである。
初夢にしてこれが幸かどうかは知らないが、父が私に長生きせよと言っているようであった。
2012年(平成24年)1月「季題:初夢(新年)」

鬼夜

毎年1月7日の夜に久留米市の大善寺地区で鬼夜と言う火祭がある。
大善寺はもともと神仏習合の社であったが、明治期の神仏分離令(廃仏毀釈)によって寺が切り離され玉垂宮だけとなり、村の名を大善寺として残したものである。神社には鐘楼や阿弥陀堂が現存し寺としての面影を残している。
その大善寺玉垂宮で日本三大火祭として取り行われるのがこの鬼夜である。
数百人の裸の若衆と日本一といわれる六本の大松明による壮観な追儺の火祭りである。この地方の年頭を飾る代表的な祭りで、国の重要無形文化財にも指定されている。
今でこそ鬼夜を見に行くことはめったになくなったが、子供の頃は近所の悪童どもと4キロほどの夜道を歩き、肝試しをしながら見に行くのが毎年の慣わしであった。
実は正月4日に里帰りした時に、電車の窓からその大松明を作っているところを垣間見ただけに、あの松明がもう燃やされたのかと思うと何となく感慨深いものがあった。

 鬼すべの浮かべ上げたる大樹かな  英世

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燗酒の温度


昨日は日本酒が美味しい話しをしたが、その燗酒にも燗のつけ具合によって、つまり飲用温度によって細かい区分や呼び名があるとある新聞のコラムで報じていた。
そのコラムをそのまま引用するとおおむね次のように呼ぶらしい。
ある目安では、常温の「冷や」(20~25度)から温度が上がるにつれ「日向(ひなた)燗」(30度)「人肌燗」(35度)「ぬる燗」(40度)「上燗」(45度)「熱燗」(50度)「飛び切り燗」(55度)となる。
冷たい方は「涼(すず)冷え」(15度)「花冷え」(10度)「雪冷え」(5度)に。このような風情のある呼び名をさかなに一杯やるのも一興だ。
昔の料理屋には「燗番」がいて、お客に合わせて燗付けの温度を調節していたという。接待役はあまり酔わないように熱燗を、疲れた様子の客にはくつろげるようぬる燗で、そんな心配りがあったとか。
気配りの燗付け番がいたとはうらやましい限りだが、今の私は家内の目を盗んで電子レンジでチンして飲んでいる。
如何にも味気ない飲み方だが、やはり日本酒は旨いと思う。

 熱燗や風呂は温めが丁度良い  英世

日本酒

昨日は正月の行事も一段落したと良ことで、行きつけの温泉に行った。今年の初温泉である。
さて、このところ酒の席で日本酒を呑むことが多くなった。長年ビールと焼酎ばかり飲んでいたが、何故か日本酒が懐かしくなったからである。
そう言えば昔の宴席や晩酌はまずビールそして日本酒と言うのが定番であった。
会社の先輩からは焼酎のような下品な酒はわが社の社員が飲むものではないと注意され、宴席のマナーや日本酒の注ぎ方も教えて貰った。
冷酒(常温)とコップ酒、手酌は厳禁で、温め酒をおちょこで戴くのがルールであった。
酒を飲む店も上品な割烹か小料理屋でと厳しく制限され、屋台はともかく角打(立飲み)での飲酒はご法度であった。
一度角打で酒を飲んでいる処を大先輩に見つかり、翌日こっぴどく叱られたことがある。
安価で健康に良いと言うことで焼酎が普及したが、ここにきて日本酒への回帰は本来日本酒が好きな私にとって、そして日本文化の継承と言った意味からも喜ばしい限りと思っている。

 様々なこと思ひ出す温め酒  英世

冬野正月号

年末冬野正月号が届いた。その正月号には先生方の年頭吟が掲載されていた。何れも新年を言祝ぐ気持ちと、俳句に対する真摯なお気持ちが詠み込まれている。
また、今月号からは私の随筆「吟行あれこれ」の連載が始まった。
向う1年間、毎月各地の吟行地をご紹介するシリーズで、私のような素人に依頼されたことを誇りに思っている。
例によって冬野並びに他の句会の入選句をご紹介しよう。

冬野正月号 
 奥宮に届く潮の香秋高し
 まだ深き紅には遠き林檎かな
 秋燈下ルーペの文字も滲みけり
 元寇の海を遥かに秋惜む
 航跡のすれ違ひゆく秋の潮
 反転の蜻蛉に何の思案かな
 時の鐘撞いて秋思を断ちにけり
 思惟仏の横顔に見る秋思かな
 空也忌や京で求めし二重数珠
 老いらくの恋にも似たり冬紅葉
冬野インターネット俳句
 神々の長き御名や里神楽
 生き様を見て来しコート捨てきれず
 ペン描きの如く冬木の疎密なる
俳句ステーション
 戯れに素足で歩く落葉道
 救急車避くる車列や冬に入る
 水涸れて水車の役目終はりけり
 三差路に道を選みて秋惜む
愚陀佛庵インターネット俳句
 灯台の白の高さや秋高し(特選2席)
 白萩の零れ鐘の音残りけり
現代俳句インターネット句会
 ユトリロを切り取り捨つる古暦
 湯豆腐や命の証残したし

実家でお正月

昨日は実家で恒例の兄弟そろってのお正月を祝った。
午前中の電車に乗り故郷の駅に降り立った時は「今年もまた来ることが出来た」と深い感慨にふけるものである。
その足で母校の小学校の横を通り田んぼ道を抜けてご先祖のお墓にお参りした。いつもながらの私の帰郷パターンである。
実家ではすでに兄弟がそろって私の到着を待っていた。
私の兄弟7人は今も全員元気で、天国の父母もさぞや喜んでいることであろう。
また、兄弟が多いことで姉さんと呼んでもどの姉かわからないことから、昔から名前で呼ぶのが習慣となっている。
この日も美味しいお酒と地元名産のご馳走を頂き、それぞれ名前を呼び合いながら昔話に余念がなかった。
これからも長くこの兄弟の寄りが続くことを願ってやまない。

 健やかに兄弟七人お正月  英世

玉せせり俳句大会

新春の筥崎宮では玉せせりと言う神事が行われる。
この玉せせりは正式には玉取祭と呼ばれ、起源は色々言われているがいずれにしても古来より盛大に行われて来た儀式である。
触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれる木製の玉をめぐり、締め込み姿の競り子達が激しい争奪戦を繰り広げ、最後に奪った競子が浜側なら大漁、陸側なら豊作に恵まれるといわれている。
今年も正月3日に行われたが、同時にそれを記念しての俳句大会があると言うことで私も誘われて参加した。
参加者はこの玉せせりの勇壮な姿を観て一人3句を投句する。
私も実際に見た玉せせりの風景を句にして投句した。
結果は全句入選の好成績で、そのうちの特選一句をご紹介しよう。

 玉せせり男ぶりをも競ひをり  英世

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未年

今年は未年、干支では未と書くがあの羊と同じである。
漢字林で未の文字を調べてみると、木に若い枝が伸びた形を表す象形文字とある。つまり、まだ小さい、若いと言った意味で、未定のように否定の意味にも使われる。
また、先日俳句の季題で稲刈りの後に出てくる新しい稲を穭と言うとお話ししたが、この穭も未、羊と同類であろう。
と、こうお話すれば今年はどことなく活気がないイメージであるが、それも考えようで、若い木の枝は将来の成長を約束するものであると思えば、その出発点として目出度い年と言えよう。
羊は大人しく善良な動物で群れをなし同じ行動をとることから、群れの漢字は羊からつくられた。
群れをなす羊はさながら家族の安泰を意味しているように思えてならない。
この一年がこの羊の家族のように幸せな年でありますように。

 北国の羊の丘の初日の出  英世

正月の花ごよみ「おせち」


正月に欠かせないのがおせち料理で、この日ばかりはと豪華なおせち料理を作る家も少なくない。
ところがこのところおせち事情もずいぶん変わってきた。
昔は各地方毎と言うか家ごとにおせちの中身も変っていたが、このところは様々な理由で全国共通のおせちが目立ってきた。
昔ながらの材料が手に入らなくなったこともあろうし、逆に今までは手に入らなかった材料がスーパーなどで簡単に手に入るようになってきたからかもしれない。
中でも一番変わったのはお節の宅配サービスで、豪華なお節を決まった時間に配達してくれるサービスが普及してきた。
実を言うと我が家のおせちも息子がこれを利用してプレゼントしてくれたものである。
昨日はその息子一家とそのおせちをいただきながら、今年一年の幸せを祈った。

 豪華なるおせちに込める子らの幸  英世

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