四月が終る

今日で四月が終る。後半こそ晴れたものの何と雨の多い四月だっただろうか。福岡でも雨どころか一時雪の降った日もあった。
一方、今年ほど桜を楽しんだ四月はなかった。
雨の合間の晴れた日には、必ずと言っていいほど花の名所を訪ね歩いた。なかんずく油山の桜が美しかったことは先日お話したばかりである。
残念なこともあった。黒田天狗の閉店である。閉店が決まってから、俳句の仲間や同窓生と毎日のように店を訪ねた。
俳句の仲間も言っていたが、私はこれから何処に飲みに行ったらいいのだろうか。いや、お前もそろそろ飲み歩くのを止めたらどうかと示唆しているのかもしれない。
そのように何かと考えさせられた四月が終る。とは言え何時までもくよくよしても仕方がない。
風薫る五月を大いに楽しむとしよう。

 紫のシャツを買ひけり夏隣  英世

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一句の風景

蜂といふだけで老女に踏まれけり

蜂の種類は多く獰猛なスズメバチから可愛いミツバチまであるが、季題に言うところの蜂では家の周りに飛来してくる親しみにある蜂を詠むことが多い。
その蜂は花にはミツバチ、家には足長蜂と言うのが一番多いような気がする。
中でも足長蜂は親しみはあるものの、刺されると強烈な痛みと腫れがあることから、スズメバチと同様に嫌われている蜂の代表である。
特に女性は足長蜂を見るだけで逃げ回ることが多いが、母は蜂を見るなり天敵を殺すように踏みにじっていた。その気丈な母と蜂の対決を詠んだ句である
2013年(平成25年)4月「季題:蜂(春)」

現代俳句卒業

2年間投句して来た現代俳句インターネット句会をこの3月で卒業した。
現代俳句と私の出会いは地元の公民館俳句に見学のつもりで参加したところ、その句会が現代俳句だっただけのことである。
顔を出してすぐやめるのは失礼だとしばらく通っていたが、仕事が忙しくなったこともあって折りを見て退会した。
その後現代俳句の仲間から、現代俳句インターネット句会への投句を勧められた。
伝統俳句系の私が現代俳句ではどのような評価を受けるだろうかと言ったやや不純な動機もあったが、人の心は弱いもので何時しか現代俳句らしい句を選んで投句している自分に嫌気が差してきて、しかるべき時に退会しようと心に決めていた。
と言うことで、現代俳句をまじめに勉強している方々には申し訳ないが、3月末で退会することにした。
現代俳句を勉強したことは、自分の俳句に少なからず役に立ったことだけは間違いない。これからも大いに参考にさせて頂こうと思っている。

  椿寿忌や俳句に季題てふ重石  英世

地元の季題「湯治舟」

時々珍しい季題や消えて行く季題についてお話ししているが、これからは地元に密着したしかもユニークな季題についてもお話しよう。
まずは春の季題「湯治舟」である。
ホトトギス歳時記によると「別府温泉では一家族あるいは数家族が、湯治期間中の食料品や所帯道具などを積み込んだ自分の持舟を波止場に繋いで、宿に泊まらずその船から共同温泉に通う風習がある。その舟を湯治舟と言う。」と紹介されている。
一時は春の別府湾内に百隻もの湯治舟が浮かんでいたらしいが、私が大分に住んでいた昭和40年代には車の普及と経済的な余裕からかすっかりなくなっていた。
その湯治舟の浮かぶ光景を虚子は春の風物詩として季題としたのであろうが、今はこの季題で詠む人もなく事実上消えてしまった季題と言えよう。
でも、想像するに何とも風流な光景である。

 舟べりに手ぬぐい干して湯治舟  英世

遍路と巡礼

毎年五月の連休を前にすると父の死を機に秩父三十四ヶ所を巡ったことが思い出される。
そう言えば遍路と巡礼とはどう違うのだろうと気になりだした。
調べてみると少し違いが分かった。
遍路は弘法大師の足跡を廻るもので、四国八十八ヶ所を参拝して廻る旅のことを言う。その遍路では弘法大師の足跡を訪ねるので、普通は大師の化身とか分身と言われる金剛杖を突いて回る人が多い。
西国霊場や秩父霊場を廻る旅は厳密には遍路とは呼ばれない。
一方、巡礼は宗教や宗派に関係なく全国の札所や霊場をめぐるものだが、個人的にはそこに人生上の悩みや懺悔、感謝、願望などが秘められているような気がする。
さしずめ私が父の霊を慰めるために秩父三十四ヶ所を巡ったことなどはこの巡礼に当たるのだろう。
何れにしても「精神の安らぎ」としての遍路や巡礼であることには間違いはなさそうである。

 遅くとも歩み確かに老遍路  英世

さようなら「黒田天狗」 Ⅱ

彼は高校卒業と同時に一流の食品会社に就職し、郊外レストランを任されたことから才能を発揮し、40歳を目前に独立して黒田天狗を起こしたのである。
卒業後しばらく彼との交流が途絶えていたが、30年ほど前に家内と偶然入った焼鳥屋に彼がいるのに驚き、事情を知りそれから行きつけとなった思い出の店である。
その後家族を始め会社の同僚、高校同窓生、俳句の友人などとたびたび訪れるようになり、わがままの言いたい放題であったが、それでも彼は何も言わずただ黙々と焼き鳥を焼き酒を出してくれた。
最後の日の23日に、彼と平均寿命の話になり「平均寿命まではぜひ生きたい。それまでの10年間はのんびりしたい」としみじみと言っていたが、働き詰めの人生だっただけに私もぜひそうあって欲しいと願っている。
このように親友と気楽に話せる店、安くてうまい酒が飲める店がなくなるのは残念なことではあるが、彼の人生のためにもその勇気ある決断を歓迎し、彼のこれからの幸せを祈り「黒田天狗よ、ありがとう」と言わせて頂こう。
黒田天狗には私の拙い俳句の短冊を飾って頂いていたが、閉店後は彼の自宅に飾ってくれると言う。有り難いことである。
今日はその短冊の句をご紹介しよう

 盆梅や筆の添へある奉加帳  英世

さようなら「黒田天狗」 Ⅰ

今日は哀しいと言うか寂しいと言うか、私にとって非常に残念な話をしなければならない。
と言うのは、このブログでも度々ご紹介した行きつけの焼鳥屋「黒田天狗」が昨日でとうとう34年の歴史に幕を下ろしたのである。
店主の古賀義信君は高校の同級生だが、その同級生の中でも5本の指に入るほどの親友で、我が家にも度々遊びに来てくれた仲である。
閉店の理由は高齢(と言っても私と同い年だが)と、このところの体調不良、後継者がいないと言ったどこにでもある同じような問題からであった。
実は閉店する話は20日ほど前から聞かされていた。
その日彼が突然私の手を握り、涙ながらに「今月で店を閉める、長い間有難う」と切り出したのである。
私もあまりの突然のことで驚いてしまったが、よくよく聞いてみるといまの体調では到底あと一年は持たないと、奥さんとも相談して決断したと言う。
実はその時にすぐにこのブログに書こうかと思ったが、もしかしたら気が変って継続すると言うかもしれない、いや継続して欲しいとの思いで書くことを辛抱してきたが、とうとうそれも夢に終わってしまった。
話が長くなるので、このあとは明日お話しするとしよう。

 朧夜や暖簾を下ろす手に涙  英世

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福岡市動植物園吟行

殆んど毎月訪れる福岡市動植物園が今回の吟行地であったが、吟行となるとどうしても植物園が中心になる。
この日は久しぶりの青空で、ゆく春を惜しむのにふさわしい天気であった。
何気なくぶらりと訪れる植物園とは違い、今回の吟行では全く違う視点で薔薇園や熱帯植物園、そして句友の短冊が展示してある四阿など隈なく歩き回った。
植物園はいま牡丹や躑躅が見頃だったが、芍薬と薔薇の花はこれから花の準備をしていると言ったところであった。
一方、八重桜や木蓮など春の花はほとんどその時期を終えていた。
このように、この時期の植物園は春の花と夏の花が入れ替わる時期で、夏がすぐそこまで来ていることを教えてくれる。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 ぼうたんの気怠き昼を散らしけり  英世

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私の本棚『まぼろしの久留米縞』

高校の先輩で作家の古賀勝氏から、例の黒田天狗の席で『まぼろしの久留米縞(くるめじま)、小川トク伝』と言う限定出版本を戴いた。
この本は、これまで『たび屋の雲平』や『織屋のでん伝』などを発表した連作『くるめんあきんど物語』の第3作である。
埼玉県生まれのトクが、不思議なめぐり合わせで久留米に住むことになり、当時盛んに織られていた久留米がすりを見て、「もっと効率よく生産出来てみんなが喜ぶ丈夫で安い反物」を作りたいと思ったことから、郷里で織っていた双子縞を思い起こし手探りの中で考案したものである。
その後改良に改良を重ね、終には女の手で会社を興し全国に久留米縞の名を広げた、言わばくるめんあきんどの物語である。
そのトクの波乱万丈の人生を紹介するこの作品は、単なる伝記ものとしてではなく小説風に仕立ててあるので、解りやすく楽しく詠むことができる。
後日紹介する同級生の林君と言いこの古賀先輩と言い、母校出身の有能な作家に敬意を表すると共に誇りに思っている。

 機織りに精出す祖母や日の永し  英世

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福岡城址吟行

今回の百年句会は福岡城址吟行であった。
桜も終ったこの時期、何か句材はあるのだろうかと半信半疑で訪れたが、案ずるより産むが安しで、たくさんの句材に恵まれた。
この日は小雨交じりの曇り空だったが、その曇り空の中に早咲きの牡丹はすでに満開で、牡丹が4月の季題であればと残念でならなかった。
藤棚の藤はまだ房が短くこれからという感じだったが、お堀に掛る山藤は樹上より池の面へとなだれる様に咲き満ちていた。
また、城内やその周辺には咲き残った八重桜が、その妖艶な姿を見せてくれたし、お堀では花菖蒲が大きく葉を伸ばし、睡蓮も間もなく花を咲かせる予感があった。
このようによく観察すれば句材はたくさんあるものである。
例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 雨に散るさまも八重なす桜かな  英世

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一句の風景

組みかけの路地の屋台や日の永し

博多の名物と言えば町の屋台である。屋台ではビールやお酒におでん、てんぷらなどの小料理、そして締めには博多名物のとんこつスープラーメンと言うのが定番である。
その屋台は夕方の一定時間になると路地から引っ張り出して来て組み立てる。
冬は組み立ての途中でもう暗くなり、組み上がるのを待ちかねて客が来る。一方春になると日が長くなり、屋台が組み上がってもまだ明るさが残っており、訪ねて来る客はほとんどない。
そのような春の長閑な夕暮れを日の永しの季題を戴いて、屋台に託して詠んだ句である。
2012年(平成24年)4月「季題:日永(春)」

草取りの季節

昨日と一昨日は今年初めて庭の草取りをした。
冬の間は草もあまり伸びないだろうと高を括っていたところ、玄関横の駐車場周りと南側の狭庭にびっしり草が茂っていた。
草も生き物だから伸びるのは当たり前だが、草取りに苦痛を感じている私には憎たらしいばかりである。
しかし、よくよく考えてみると吟行をする時などは、季節の草花を見つけては、やれ犬ふぐりだの、踊子草だのと親しく句に詠んでいる。
それだけに、庭の草にも同じように愛情を注がねばならないのだろうが、凡人の哀しさか私はどうもそこまでは人間が出来ていないらしい。
隣の娘の家の草取りもしてやらねばならないし、これからこの可愛らしい?草たちとの長い長い戦いが始まる。

 草引くや棘ある草に指噛まれ  英世

ライラック

春光と同時に出された兼題がライラックであった。
ライラックはリラの花とも呼ばれるヨーロッパ原産の花で、アジアやアメリカなど広く分布している。
ライラックはモクセイ科の落葉低木で、樹の高さは5メートル以上になることもある。
どちらかといえば寒冷地を好むので、日本では北海道のキャンパスや公園などによく植えられており、札幌では5月末にライラック祭が行われる。
4~6月頃たくさんの小花が穂状に咲き、辺り一面に香りを撒き散らす。色は薄紫色が一般的だが、中には赤や白のライラックも見かける。
このライラックはリラの花としてよく歌にも歌われてきたが、私はこのリラの花には雨がよく似合うような気がする。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 リラ冷に愁ひ隠せぬ農夫かな  英世

春光

俳句で言うところの春光とは、本来は春の風光、春の景色の意味で、長い冬が終りようやく春の気配が充ち充ちて来ることを言う。
特に子供たちにとっては外に飛び出し走りまわる春の歓びであり、冬の長い北国の人にとっては農作業が始まるのを待ちに待った春の到来であろう。
また、最近は字のごとく春の明るく柔らかい日差しの意味で使われることも多くなった。
野山の草花が芽吹く春になると、日差しまでが明るく時には眩しく感じられるようになる。
しかもその日差しつまり春光は大地を温め人の心まで温かくしてくれ、春の季題に言う「のどか」や「うららか」がぴったりして来る。
その春光が今回の兼題であった。
例によってこの日の入選句をご紹介しよう。

 春光の影ゆらゆらと象の鼻  英世

素(す)うどん

先日、仕事に行く途中のお昼にあまり時間がないからと手っ取り早く「素うどん」つまり「かけうどん」を食べた。
博多のうどん屋ではテーブルに青ネギと天かすが置いてあり、かまぼこが乗っただけのうどんに自由にかけられるのが嬉しい。天かすをかければ狸うどんに化けてくれる。
ところが、「素うどん」と「かけうどん」にどのような違いがあるかが気になった。
気になったら調べるのが私の流儀である。
インターネットによれば両者とも全く同じもので、関西では具がないから「素うどん」、関東では出し汁をかけるから「かけうどん」と呼ぶとあった。
言われてみればなるほどと納得できた。
子供の頃はお祭などで町に出かけた時に食べるうどんだけでもご馳走だった。
そのうどんを私の故郷(久留米)では「素うどん」と言っていた。それだけに今でも「かけうどん」より「素うどん」と言う言葉に少なからず郷愁を感じている。

  花冷や具なしのうどん啜る昼  英世

「柳」

柳が美しい季節となった。
柳と言えば水辺である。先日訪れた柳川はもとより福岡の舞鶴城の周辺にもたくさんの柳が植えられている。
冬の間は葉を落とし寒々とした柳であるが、春先から日に日にその芽を伸ばして来る。
私の田舎でも田畑を潤す水路の至るところに柳を植えている。
柳は水に強い上に根が張ることから土手を強化するのには格好の植物だったのだろう。
また、大きくなり過ぎたら枝を切り落とせばまた来年の春にはたくさんの芽が出て来る。
子供の頃はその柳の枝の皮を剥いで白い部分を刀身に見立てて、チャンバラごっこをしたのもなつかしい思い出である。

  やはらかき風の誘ひ柳絮飛ぶ 英世

ダイニングテーブル

家内の強い希望でダイニングテーブルつまり食卓を買い替えた。
従来のテーブルは椅子が四脚付いたアンティーク調のもので、30年前にマンションを買った記念に揃えたもので、その当時かなりの値段がした代物である。
確かにデザインも古いし、かなり傷も付いているが、私はこのテーブルが気に入っていた。娘も息子もこのテーブルで育ててきたのでかなり愛着があったのである。
ところが、家内は何が気に入らないのかどうしても買い替えると言ってきかない。私は明確なOKの返事をしなかったが、そんなことを気にするような家内ではなく、気が付けば近代風の新しいテーブルに替っていた。
確かにテーブルを替えるとダイニングの雰囲気が一変し、更衣したように気持ちが良い。
前のテーブルに今でも愛着はあるが、替わってしまったものは仕方がない。これからはこのテーブルで美味しいお酒を飲むとしよう。
ちなみに購入した店は最近よく話題に出るO家具である。

 新しきテーブルに添ふヒヤシンス  英世

青麦

農家育ちの私には別段珍しくもない青麦であるが、最近は都会で見ることはほとんどなくなった。
先日の柳川吟行バスの車窓から広々とした故郷の麦畑を見ていると、バスを降りて歩きたくなったほどである。
麦の歴史は古く、現在では最も重要な穀物として世界じゅうで栽培されている。
日本でも一時生産高が減った時期があるが、最近は小麦のほかにビール麦などがひろく栽培されるようになった。
冬の間じっと耐えていた麦も立春の頃には一気に芽を伸ばし始める。その元気の良い青麦を見るとやっと春が来たなと実感させられる。
稲とはまた違った美しさと趣があり、出たばかりの穂は生け花にされるほどである。
その青麦を詠んだ一句をご紹介しよう。

 青麦や根は百姓の我が血筋  英世

鞦韆

予定していた101回鴻臚句会が、統一地方選挙の関係でいつもの公民館が使えず先日の吟行と同時開催となった。
101回目で予定されていた兼題は「鞦韆」と「青麦」であった、
鞦韆と書いて「しゅうせん」と読む。つまりブランコのことで俳句ではふらこことか半仙戯とも言って春の季題になっている。
鞦韆が何故春の季題になったかについては、中国の故事に倣ったと言う説もあるが、あまり難しく考えずに、冬から解放された子供たちが春風に向かってブランコで遊ぶ姿を思い描けばよいと思う。
また、子供たちが歓声を上げて遊ぶブランコとは違い、乗る人もなく静かに揺れている風景も句になろうと言うものである。
ぶらんこで強烈なイメージがあるのは昭和を代表する俳優の志村喬が、映画「生きる」の中で迫りくる死の恐怖と闘いながら、自分が作った公園のブランコに腰掛けて静かにゴンドラの歌を歌うシーンは今でも忘れることができない。
その鞦韆を詠んだ一句をご紹介しよう。

 乳飲み子を背にふらここ揺らす母  英世

期日前投票

明日は統一地方選挙だが、私は初めて期日前投票を済ませた。
別段明日都合が悪かった訳ではないが、偶々オープントップバスの吟行で市役所を訪れたので、折角だからと投票を済ませたのである。
ところがその投票で驚いた。
事前に受け取った投票場入場整理券を持っていないのに、期日前投票が出来ると言うのである。私は半信半疑で投票所にったら、所定用紙に氏名、住所、生年月日を書くだけで投票ができた。
こんなことがあっていいのだろうか。私は本人を証明する自動車免許証を持参していたのに身分証明は全く求められなかった。
これでは本人でない歳格好の似た人、例えば入院中の人の個人情報さへ把握していれば、本人でなくても簡単に投票が出来てしまう。
個人情報云々と巷で大騒ぎしているのにこんなことでいいのだろうか。
このブログではめったに政治的なことは言わないつもりだが、これだけはどうしても疑念が払拭できなかった。

 春雨やがなり立てゆく選挙カー  英世

一句の風景

島畑の寸土惜しみて豆の花

博多湾に浮かぶ能古島を訪ねた時の句である。
能古島の南手には作家の檀一雄の旧居があったが、その周りは島特有の小さな畑が点在していた。
おそらく漁業の傍ら、自分の家で食べるだけの野菜を作っていたのであろうが、その一つの畑に薄紫の豆の花が咲いていた。農家育ちの私は花や葉を見るだけで何の作物かが大概分かる。その花はグリーンピースの花で実ればピース御飯として子供に喜ばれる豆であった。
猫の額のような畑に可憐な豆の花を見つけて賜った句である。
2012年(平成24年)4月「季題:豆の花(春)」

花まつり

昨日、所要があって中央区の薬院を歩いていたら、ビル街の一角で花まつりが行われていた。
私は熱心な仏教徒ではないが、一応般若心経も勉強しているのでそのまま素通りする訳にはいかない。思わず仏様に手を合せ誘われるままに仏さまに甘茶を注ぎご接待を受けた。
言わずもがなであるが、花まつりとはお釈迦様のご誕生日を祝うお祭である。
ご接待を受けながら僧侶としばらく話をした。
50代と思しき僧侶は、30年前に高野山で修行をしている時に、師匠から「福岡の寺が今火事で燃えている。おまえは今から下山して後始末しろ。荷物はあとで送ってやる」と言われて、無住寺だったいまの南福寺に仕えるようになったと言う。何とも豪快な話である。
その僧侶が師匠から「おまえは仏様は拝めるが人様をまだ拝めん。下山したら人様を拝め」と言われ、未だに会得できないでいると言う。
凡人の私に分かりようもないが、それでも「彷徨える人を救え、人のために尽くせ」と言っているような気がした。
宗教とは人を責めるのではなく、人を助けるものだと私は思っている。
クリスマスやバレンタインデーと最近はやたらと賑やかであるが、この花まつりも日本人の心としてもう少し大事にし、マスコミでも取り上げていいのではなかろうか。

 花まつり見知らぬ僧と話しけり  英世

何故働くか

毎月のスケジュール表を覗いてみると、句会と仕事で真っ黒である。
というのは今アルバイトしている学習塾の仕事は10人ほどの朝・昼・夜のローテーション方式で、一日の働く時間は短いがその分働く回数というか日数が多いので自然とスケジュール表は埋まって行く。
この年になってなぜ働くのかと友人からよく言われるがいらぬお世話である。
「君はなぜ働かずに遊んでばかりいるのか」と言い返したくもなるが、そこは他人の事情で私の関するところではない。
私は働かせて貰う場所があるから働くのであり、その働くことで他の時間がより貴重になりおろそかにできなくなる。そこのところが大事なのである。
その少ない貴重な時間の中で俳句を楽しみ、自分の体力に合わせて山に登り、野を駆け巡り、夜は少しばかりのお酒を戴くのもまた楽しいものである。
体力と機会がある限り働きたいと願っている。

 週三日ほどの勤務もうららけし  英世

新入塾生

4月に入ってぽつぽつと塾に新入生が来るようになった。
残念ながら今年再挑戦の高卒生、高校3年になって新しく通うようになった塾生と様々であるが、これからまた一年彼等と苦楽を共にして行くことになる。
ところが、一昨年あたりからこの塾生に変化が見られるようになった。
と言うのは少子化で全体的に塾生が減るのは分かるが、高卒者が減り現役生の比率が徐々に高まってきているのである。
原因は政府が言うほど経済的なゆとりはなく、浪人してまで一途に目標の大学を目指すことが出来ず、妥協して合格した第二第三の志望校に入学しているのかもしれない。
何れにしても今年しっかりと勉強して来年こそ一人でも多く目指す大学に合格して貰いたいものである。

 塾生を優しく照らす春の月  英世

鴻臚句会百回記念吟行

先月鴻臚句会が通算百回を迎えたとお話ししたが、昨日はその記念吟行を行った。
吟行企画をベテランの女性陣にお願いしていたところ、何と二階建てバスで福岡市を廻るものであった。
「福岡オープントップバス」と銘打って西鉄が運航する定期観光バスで、福岡市の主だった観光名所を二階バスで廻るものである。
この日は昨夜から小雨交じりの悪天候であったが、それでもバスに乗車する頃には幸運にも曇り空に変っていた。二階建てバスから眺める博多の街はまさに春真っ盛りで、散りかけた桜に触れんばかりにしてシーサイドももちコースを巡ってくれた。
いつも見慣れた街ではあるが、こうして二階建てのバスで巡ると新しい発見があり、それがまた俳句の句材になろうと言うものである。
吟行のあとは新年会をした寿司割烹「すし幸」で美味しい料理とささやかなお酒を頂いた後に句会があった。
この記念吟行の特選句をご紹介しよう。

 風を切るオープンバスに飛ぶ桜  英世

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冬野四月号

ホトトギスの廣太郎主宰のブログ「今日もホトトギス社で・・・」ではないが、今年ももう四月かと毎回同じ言葉を述べてしまいたくなるほど月日の経つのは早いものである。
その四月の俳誌冬野が届いた。
毎月連載している冬野の随筆「吟行あれこれ」では、今月は花の「西公園」を紹介しているので一人でも多くの人に読んで貰いたい。
例によって冬野を始めその他の句会の入選句をご紹介しよう。

冬野四月号
 寒雀鳴き声までも丸みをり
 万両を活けて慶事のありしこと
 蝋梅の蕩けさうなる日射かな
 一誌継ぐ決意語る師初句会
 おみくじを少し信じて明の春
 もろ肌を脱いで老師の寒稽古
 風花の光の中を子ら駆くる
 博多とて日本海沿ひ風花す
 絵馬に絵馬重ね祈願の梅の宮
 紅梅の顔の高さに匂ひけり
 紅梅や色香てふもの男にも
 青春を過ごせし街や茂吉の忌
冬野インターネット句会
 天にゐてこその雲雀でありにけり
俳句ステーション
 鶯の声にダム湖の雨上がる
 春風や路面電車のきしむ音
 恋猫につれなき月の明りかな(特選)
愚陀佛庵インターネット句会
 雨音に金を叩かれ金縷梅
NHK俳句入選
 下萌や窓開け走る二階バス

九大病院界隈吟行

今回の吟行は九大病院界隈で九大病院から崇福寺、東公園を廻るものであった。
九大病院は慶応三年に、黒田藩の藩校として西洋医学の医育機関「賛生館」を現在の福岡市中央区大名に設置したことが始まりとされている。
その後明治7年に附属病院が出来たとあるので、病院としてはこれがルーツかもしれない。
この日はあいにくの土砂降りの春の雨であったが、春の九大病院はまさに花の盛りで、春雨に打たれながら懸命に咲き続ける桜を見ていると、桜好きの日本人の真の心が理解できるような気がした。
また、秀吉が薩摩を平定して博多に戻った時に茶会を開き、千利休が釜をかけたと言う「利休窯かけの松」が病院内に残っている。
続いて訪れたお馴染みの崇福寺、東公園も土砂降りの吟行で、中には俳句どころではないよと自虐的に詠んだ人もあったほどである
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 日蓮の数珠に滴る春の雨  英世

花見

昨日は愛莉と桜を見に行くつもりだったが、愛莉が友達と約束があると言うことで、私一人で福岡の三大花見スポット(城址公園・舞鶴公園・西公園)を一気に歩いてきた。
このように桜と言えば花見だが、先日聞いた落語「長屋の花見」のように、日本ではずいぶん前からこの花見が楽しまれていたようである。
中でも有名なのが太閤秀吉の醍醐の花見で、派手好きの秀吉が1300人もの近親者や家来筋の女房女中衆を招いて大盤振る舞いをしたとある。
招待客が殆んど女性だったと言うことも秀吉らしいといえば秀吉らしい。
さらに下って江戸時代になると花見はますます盛んになり、8代将軍吉宗が浅草や飛鳥山に桜を植えさせ庶民に広く花見を奨励したことで最高潮に達し、これによって日本全国にこの花見の風習が定着したと言う。
私も千鳥ヶ淵や隅田川、上野、飛鳥山と東京の桜の名所を訪ねたことがあるが、もうずいぶん昔のことになってしまった。

傘差して閉ぢて花見の女人かな  英世

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四月の花ごよみ「桜」

西公園の桜の話ばかりしていたが、油山の桜を見たくなって雨の降る前にと訪ねてみた。
いつものように花畑園芸公園から油山を目指していたら、園芸公園の見事な桜並木に圧倒されここから引き返しても良いなと思ったほどであった。
それでも油山の桜を見ると決めたのだからと、油山の中腹を巻くように通っている林道をゆっくりと時間をかけて歩くと、これまたまるで人の顔がピンク色に染まらんばかりの桜であった。
その桜には目白をはじめ多くの鳥が逆さ吊りになって蜜を吸っており、遠くでは鶯と四十雀がその美しい音色を競っていた。
途中のベンチに腰をおろし眼下の福岡の街を眺めながら弁当を開き熱いお茶を飲む。途中まで車で来ているのでお酒とは行かないのが残念であったが、美味しい、本当に美味しい。
帰りは久し振りに行きつけの温泉「清流」に行き、疲れをほぐしながらリラックスして桜の思い出にふけっていた。
今日は天気が良いので愛莉を誘って近くの桜を見に行こう。

 混雑も予想に入れて花の山  英世

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四月に入る

今日から花の4月である。
三月下旬の花冷えから気温は一転してぐんぐん上昇し、20度を越してまさに春爛漫である。そろそろ冬ものの整理も始めねばなるまい。
四月のスケジュール表を見ると今月もびっしりと行事が詰まっている。何度も言うようだが、健康にだけは注意して乗りきって行きたいと思っている。
四月と言えば入学シーズンだが、中でも小学一年生の入学ほど微笑ましいものはない。
間もなく我が家の前を母親に手を引かれて新一年生が通り過ぎて行く。
小学校の校門を新一年生はどのような思いで潜るだろうか。不安と期待で胸はドキドキすることだろう。
自分の入学式のことはあまり覚えていないが、教室で席順が決まる時に母が「この子は背が低いから」と言って先生に頼みこんで、一番前の席にして貰った記憶がある。
何とも大らかな時代であったが、あれから65年何ともひねくれた爺になったものである。

 興ざめや馬鹿正直の四月馬鹿  英世

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