五月が終る

日本列島を揺るがした地震や火山の噴火、それに季節外れの台風が日本列島を縦断した五月が今日で終る。
五月までに7個の台風が発生し連日夏日になるなど、この地球少しおかしくなっているのではなかろうか。
さて、この五月もよく遊びよく飲んだ。
油山周辺の散策はいつものことなので特筆すべきことはないが、それでも山頂からの美しい風景に出会えたり、杖を忘れたり、思わぬ人と出会ったりとやはり何かをしでかす油山である。
この五月のトピックスは何と言っても愛莉と野球観戦したことであろう。愛莉に野球が分かる訳はないが、ドームの大きさとジェット風船の賑やかさ、そして周辺のたくさんのショップと楽しかったに違いないだろう。
また、昨年友人に頂いた蝋梅の種が芽を出したのもこの五月である。いつの日か咲くであろうきれいな老梅を夢見て、家内殿が引き抜かぬことを願っている。

 二浪子のやる気戻りし五月かな  英世

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一句の風景

豆飯の色艶やかに盛られけり

五月の爽やかな風が吹きだすと筍や豆類の混ぜご飯が美味しくなる。その中でこの句は豆飯を詠んだものである。
豆飯は蚕豆や青豌豆(グリーンピース)を炊きこんだもので、この季節の風味を楽しむ味わいのあるものである。
特に、食糧事情居の悪かった私の子供の頃は、いまの子のような贅沢な食事ではなかった。
そのような中で、農家だった我が家には米だけはふんだんにあったので、時折母が作ってくれる豆飯は最高のご馳走だった。山盛りに盛られたその豆飯は仄かな豆の香りと共にピカピカに光っていた。
2012年(平成24年)5月「季題:豆飯(夏)」

シルバー人材センター総会

私は福岡市シルバー人ザーセンターに所属している。
シルバー人材センターは「高齢者の豊かな経験と能力を生かし、臨時的・短期的な就業又はその他の軽易な就業を通して自主的に社会参加することによって生きがいを高め、活力ある地域社会づくりに貢献することを目的とした団体」とされている。
私がこの精神にマッチしているかどうかは疑わしいが、登録してお世話になり始めて既に11年が過ぎてしまった。
昨日そのシルバー人材センターの年次総会が開催され今年も司会を担当した。今回で4回目になるのでと辞退したのだが、毎年今年まではと無理押しされてしまう。
自分の経験や能力を生かしてと言うことからすれば、役員も経験したことのある私が適任であることは自他ともに認めるところだが、それにしても4回は多すぎる。
シルバー人材センターには現在7000名もの多くの人材が登録している。
もしかしたらその中に私以上の適任者がいるに違いない。その人材が発掘され来年こそは引退させて貰いたいと思っている。

薫風や気力だけならまだ負けぬ  英世

大濠公園吟行

一昨日は油山、そして昨日は大濠公園吟行と連日山と湖を駆け巡っている。
そう言えば福岡城址のある舞鶴公園や西公園、美術館などを訪ねた折にはこの大濠公園を必ず歩くのだが、大濠公園だけを吟行することはほとんどなかった。
そう言った意味では新鮮な吟行であった。
見慣れた大濠公園であっても、吟行として注意深く見て見るとなかなか面白い光景が目に入って来る。
最近は公園内に外資系のカフェがオープンしたし、ボートハウスもリメークして素敵なレストランとファーストフード店に変身している。
いつもなら韓国や中国の観光客で、観月橋などは彼らの話声で溢れのだが、この日は平日とあって異常に少なかった。
そのような変り行く大濠公園を詠んだ句の中から、この日の入選句をご紹介しょう。

 公園の外資系カフェ花水木  英世

玄界灘Ⅱ

引き続き玄界灘の話だが、昨日は好天に恵まれ油山の山頂から美しい玄界灘の景色を堪能することができた。
玄界灘と言えば海、即ち古代海人の時代から漁業が中心と思われがちだが、番組では海と陸との共存の様子が興味深く報じられていた。
筥崎神宮の玉せせりのように、豊漁と豊作を占う神事が今でも至る所で繰り広げられている。
特に稲作が定着してからは、玄界灘の糸島の半島部と内陸の古代王朝のように、漁業と農業がはっきり分けられるようになった。
そこには古代からの協力関係があり、海のものと陸のものとを交換する市も日時を区切って度々開かれていたに違いない。
糸島を形成している海の志摩と陸の伊都との関連は、これからの調査でもしかしたら日本誕生の謎が解き明かされるかもしれない。

 麦秋や穀と魚を換ふる市  英世

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玄界灘Ⅰ

ずいぶん前の話だが、NHKの新日本風土記で玄界灘の特集を見た。
玄界灘と言ってもその範囲は広く北九州から福岡、唐津と延々と続く海岸線についての話である。
番組ではあまりにも話題が多くてとてもここで一口にはお話しできないが、その中で宗像大社と沖ノ島についてのくだりは歴史好きの私には興味深かったのでご紹介しよう。
韓国と日本のほぼ真ん中に位置する沖ノ島は、宗像大社の三女神の一人田心姫神(たごりひめのかみ)をお祭した沖津宮があり、今でも一般人の上陸が制限されている。
海の正倉院と言われるその沖ノ島は縄文時代前期から大陸と交流があった証拠の遺物が出土している。
どうにかしてこの目で見てみたいものだが、学者でない私にはこればかりは如何ともし難く、本宮の宗像大社の宝物殿でその一部を垣間見るしかないであろう。

 五月雨や玄界灘に謎の島  英世

愛莉の運動会

昨日の日曜日は愛莉の運動会と言うことで家族総出で応援に出かけた。
天気予報ではあまりよい天気ではなかったが、朝になると雨も上がっており、運動会は青空の中で無時開催された。運動場にはいつものように子供たちが走り回る元気な姿で活気に満ちていた。
孫の愛莉も小学三年生でずいぶん大きくなり、一年生の頃のたどたどしさはなくなって力強く走り、踊っていた。
もっとも愛莉の運動神経は鈍いようで、かけっこもビリに近い方で両親をがっくりさせていたがが、そんなことよりもうこんなに逞しくなったのかと言う方が嬉しかった。
その反面、この子ももうすぐ爺よりも友達が大事になるのだろうなと思うと、少しさびしい気もした。
そんな思いがあったからか、お昼には愛莉の側にべったり座って美味しいご馳走をお腹一杯頂いた。

 友の後追ひかくる子や運動会  英世

鯖は私の好きな魚の一つである。その鯖が先の繍毬花と同時に兼題に出された。
鯖は鰯と共に庶民の食卓を飾る代表的な魚で、安くて美味いのが特徴である。
ただこの魚は痛み易く、生で食べると食中毒を起こすことがあるので、一般的には焼くか煮つけにしたりして火を通すのが常識となっている。
ところが博多や大分など北部九州では古くからこの鯖を生で食べる習慣があった。獲れたての新鮮な鯖なればこその生食であろう。
そのまま刺身にして食べたり、酒、みりん、醤油に浸けた刺身の鯖にごまを振りかけたごま鯖にして食べる。
そのごま鯖は博多の郷土料理で、関東から来た客人などは最初は恐る恐る食べていたが、そのうちお代りをしたこともある。
もちろん酒のつまみとしてそのまま食べても美味しいし、締めの茶づけとしても最高である。
例によってこの日の私の入選句をご紹介しよう。

 名物の博多ごま鯖茶漬け喰ふ  英世

繍毬花

雪柳と見紛うごとく白く紫陽花のように丸く咲き乱れるのが繍毬花である。その繍毬花が今回の兼題であった。
花の形は紫陽花に似ているが、紫陽花の花が額であるのに対し、繍毬花は正真正銘の花弁である。
また、別名大繍毬とも呼ばれるが、これはただ花が多きいからの異名で、他に小繍毬や藪繍毬などもある。
中国原産の園芸品種で湿気を含んだ肥沃な土地を好み、やせた土地や乾燥地では育ちが悪い。そう言った意味では日本の風土に適応したのか、公園や庭先などでもよく見かけることがある。
実は先月末に植物園でこの大繍毬の花を見ることができた。その時の花の清楚さに感動して詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 手の平に軽く弾ませ繍毬花  英世

元黒田天狗大将とお昼

もう黒田天狗は無いのだから元黒田天狗と言うべきであろうか。先日お話ししたように、その元黒田天狗の大将からお誘いがあり、別の友人(常連)と三人でお昼を共にした。
本当は夕方からゆっくり飲んで大将をねぎらいたかったのだが、本人が体調を考慮してお昼にして欲しいと言うのでランチタイムとなった。
舞鶴城址に近い瀟洒なレストランで美味しい食事を戴きながら、焼鳥屋経営の苦労話やユニークなお客の話などを聞かせて貰った。ここですべてをお話しすると何かと差し障りもありそうなので、少しだけお話しするとしよう。
一つは優秀な従業員に恵まれたことで、もしこの従業員がいなければ自分一人では何にも出来なかっただろうと言うことであった。そう言えばこの店には誰もが認める素晴しい女性従業員がいた。
もう一つは、店に来る客で長生きしている人は皆よく食べよく飲みおしゃべり好きな人だと言う。つまりストレスをため込まないと言うことであろか。
そう言った意味では私は合格だと言えるかもしれない。
高校のクラスメイトでもあり、これからも時々会うことを約束してしばしの語らいを楽しんだ。

 級友てふ顔に戻りてビール酌む  英世

一句の風景

崩れつつ大見得切りし牡丹かな

牡丹は昔から俳句によく詠まれて来た題材である。
それだけに牡丹の名所を訪ねてあちこち訪ねるが、この句は福岡城址(舞鶴公園)の牡丹芍薬園で賜った句である。
牡丹は5月の季題になっているが、この牡丹園では4月中ごろから咲き始め4月末ごろが満開になる。
従って、歳時記で言う5月の牡丹はもう満開を過ぎ散る最中となる。その散り様は花が大きいだけにしなやかに散るという感覚ではなく、どっと崩れると言った方がいいような気がする。
その崩れる様は、私にはまさに歌舞伎役者が大見えを切っているようにも見えた。
2013年(平成25年)5月「季題:牡丹(夏)」

年齢確認

風薫ると言うことでビールが美味しい季節になったとお話ししたばかりだが、今回はそのビールを買う時の話である。
今に始まったことではないが、スーパーなどでお酒類を買う時には年齢を確認される。
確認は必要だと思うが、私なんざは顔とおつむを見れば分かりそうなものなのに、規則ですからとのたまう。
20代以上30代以上と書かれたボードのいずれかを指差すものだが、あまり効果はなさそうである。
20代以上30代以上と分けた意味は何なのだろうか。参議院選挙でもあるまいに。
ということでお店に理由を聞いてみると20代は証明書が必要だと言うことであった。ただ指差すだけなんだから18歳が30代だと指差しても確認のしようがない。生年月日を尋ねたら一人ぐらいはうさんくさいやつが出て来るかも知れないが。
それはともかくとして、江戸時代のドラマではないが、孝行娘が頼りない親のために夜道に酒を買いに行くことも出来ない時代になったのかと、少し複雑な気持ちになった。

 五月雨や闇夜に父の酒を買ふ   英世

ビールが美味しくなった

先日ミュンヘンで飲んだビールが美味しかったという話をしたが、いよいよ夏を迎えたこの頃、そのビールが一段と美味しくなってきた。
ビールは本来夏の飲み物で俳句の季題にもなっているが、昨今は「まずはビール」と一年中嗜むことが多い。それでもやはり暑い時期の飲みものであることには変わりない。
家ではほとんど缶ビールであるが、今や缶ビールの銘柄はビールもどきを加えれば数え切れないほどになっている。値段も安く私たち飲兵衛には嬉しいことだが、のど越しの美味しさが劣るようなことだけは避けて貰いたいものである。
と言いつつも、やはり外で飲む生ビールほど美味しいものはない。良く冷えたジョッキに程よく泡立った生ビールは堪えられない。
今夜あたり行きつけの黒田天狗で一杯傾けるとしようと思ったが、その黒田天狗はもうなくなっている。さて、どこに行こうかな。
そう言えば、今日は旧黒田天狗の大将からお誘いがありお昼を一緒にするんだっけ。

 泡白く浮かべ至福の生麦酒  英世

駕与丁公園吟行

駕与丁と難しい漢字を書いて「かよいちょう」と読む。今回の百年句会吟行はその福岡県粕屋町の駕与丁公園であった。
駕与丁公園は筑前三大溜池の一つと言われた駕与丁池を中心に作れた総合公園で、自然と触れ合う水辺として親しまれ、他にも各種スポーツ施設なども備えられた、とても一日では周り果せないほどの広さを持つ公園である。
公園の最大の目玉である1,300平方メートルの広大な薔薇園には、この時期180種、2,400株もの薔薇が香りを放っており、開催中の薔薇祭は大勢の家族ずれで賑っていた。
五月の素晴しい青空の下にその薔薇園を楽しみ、水辺を散策しながらの吟行はまさに薫風と言うにふさわしい爽やかなものであった。
ただ、湖の中央を渡す大きな吊橋の半分ほどが落下し水に沈んでいたが、このようなことが起きていいのだろうか、設計施工に問題はなかったのだろうか、単なる老朽化なのだろうかとと素直に疑問に思った。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 紅薔薇の黒ずみ散るにまかせをり  英世

厄介な漢字

俳句を嗜んでいるものに取って漢字は重要で気を使うところである。
日頃パソコンに慣れ親しんでいると、変換ミスに気づかず恥ずかしい思いをすることもあるが、今日はそのミスではなく漢字の使い分けの話である。
一つは太宰府と大宰府、もう一つは玄界と玄海である。
最初の「だざいふ」はもともと大宰府であったらしいが、奈良時代以降の文書には太宰府の表示が多く見られるようになった。
そこで近世では地名や天満宮などの固有名詞には「太宰府」、それ以外には大宰府と表記するようになった。太宰府市、太宰府天満宮、大宰府政庁などがそれである。
一方「げんかい」は玄界灘のことを略して玄海とも呼び海の字を当てる。これは玄界灘の省略で、海を意味する漢字が二つ表記されている「玄海灘」は誤記であるとされている。したがって、玄海の名は玄界灘という地理上の固有名詞を言うのではなく、広く九州北部の海といった意味だろうか。
古くは「玄海洋」とも書かれ、略して玄洋という呼び方もあった。それが今も福岡の玄洋社として残されている。
俳句を詠む場合は正確な表示に気を使わなければならないが、この二つの漢字も時代と共に混同されているような気がする。

 初夏や歌は十八番の無法松  英世

ミステリーバス

いつぞやお話ししたことがあるが、私は「グランドパス65」という乗り放題の割安チケットを買っている。
通常は仕事や山、吟行などで重宝しているが、もう少しこのチケットの良い使い道はなかろうかと考えてみた。
このパスは西鉄バスの路線であればばどこまでも乗り放題だから、自分がこれまであまり馴染みのなかった土地を訪ねてみるのも良いかもしれない。
幸い私の本棚には道路地図や花の名所、温泉宿、レジャーガイドと言った本があり、今まではマイカーで走り回っていたところをこのバスカードを使って訪ねてみるのも面白いだろう。
ちなみに私があまり馴染みのない場所は北九州、筑豊、京筑などで、先ずこの中のどこを訪ねるか、今からバス路線図で調べるのが楽しみである。
ただし、その日のうちに帰れる帰路の時刻表も事前に調べておく必要があるだろう。
なお、高速路線バスも半額で乗れるので何れはそれも利用したいと思っている。

 薫風や当てなきバスの旅に出る  英世

薔薇

牡丹と共に出された兼題が薔薇であった。この薔薇もこの時期外すことのできない季題である。
ところがこの薔薇、4月に植物園を吟行した時は万の蕾は付けているものの、まだ花の準備中と言ったところであった。
これはこれで句になるのであろうが、やはり満開の薔薇を詠みたいものだと、連休中に再び植物園を訪ねてみたところ、紅白黄色と色とりどりの薔薇が最高の見頃であった。
薔薇には東西の高貴な女性の名前を冠するものが多い。
例えば、プリンセスミチコとかプリンセスドウモナコ、クィーンエリザベス等がそれである。
その中で、どの女王や王妃の薔薇が一番きれいか見定めるのも楽しいものである。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 紅薔薇や閨秀画家の白き指  英世

牡丹

今回の鴻臚句会の兼題は花の女王とも言われる牡丹であった。
牡丹はこの時期既に花の時期を終えているが、やはりこの季節俳句にとって欠かすことのできない季題である。
ここ一ヶ月ほどの吟行で幾つもの牡丹の名所を廻って来たので、牡丹の蕾の時から満開そして散りゆく様までじっくる見ることができた。
とは言え、実際詠むとなるとそう簡単にできるものではない。
古今の俳人が幾万もの牡丹の句を詠んでいるので、それだけに類句や類想句に陥りやすく、十分に気をつけて詠まねばならない。
類想句にならないように気をつけながら詠んだ句の中から、この日の私の特選句をご紹介しよう。

散る牡丹開く牡丹も雨の中  英世

油山登山のハプニング

少し前の話だが、五月連休も最後と言うことで大勢の人で賑う油山に登った。ところが、そこでとんでもないハプニングに見舞われた。
いつものように汗びっしょりかいて下山して来た時のことである。身の回りに何か微妙に物足らなさを感じた。
気が付くと何と山道の途中に愛用の杖を忘れて来ているではないか。下山途中の水場で乾き切った喉を潤している時に忘れたに間違いない。
私にはたかが杖だからと言ってそのまま諦めることは出来なかった。
その杖は30年近くも私の山登りに付き合ってくれたもので、富士山や谷川岳、久住、祖母にも一緒に登り私を支えてくれた杖である。
私は迷わず再び山道に踏み入った。水場の場所は分かっている。山道を急いで戻るとその杖は水場の側で寂しそうに私を待っていた。
再び巡り合った杖を私はその水場できれいに洗ってあげて、すまなかったなと素直に謝ったところ、もう二度と置いて行かないでくれと言ったような気がした。
往復一時間の二度目の山道であったが、私は何故かあまり疲れを感じなかった。

 老骨の杖を頼りの登山かな  英世

一句の風景

がんばらう日本の空鯉のぼり

遠賀川の爽やかな五月の空に鯉のぼりが勢いよく泳いでいた。
鯉のぼりは本来、男の子の成長を願って揚げるものであるが、最近は町興しの一環としてよく公園や河川敷などに連凧のように泳がせている光景を見る。
伊藤伝右衛門邸を訪ねた帰りに差しかかったこの遠賀川でも、色とりどりの鯉のぼりを連ねて川を渡していた。それは壮観なもので見る者に勇気と希望を与えてくれる。
何かと災害の多い日本だが、神戸大震災の時に叫ばれた「がんばろうにっぽん」のスローガンを思わず口に出して賜った句である。
2013年(平成25年)5月「季題:鯉のぼり(夏)」

愛莉と野球観戦

昨日は孫の愛莉を連れてヤフードームのソフトバンク対楽天の試合を観に行った。
私はご承知のように強烈なジャイアンツファンなので、ソフトバンクにあまり興味はなかったが、折角手に入ったチケットだからと観戦することにした。
もちろん孫の愛莉は野球を観るのは初めてで何が何だか分かるはずもないが、何事も経験だと連れて行くことにしたのである。
ドームに着いて早速お弁当を食べ、アイスクリームを頬張りながら観戦していたが、案の定愛莉がルールを説明してくれと言うので、説明して上げてもその説明そのものが分からなかったようだ。
小学三年の女の子に仕方のないことである。
それでもホークスのラッキーセブンではジェット風船を高々と飛ばし、気分だけは十分野球と言うものを楽しんでいた。
私は頃合いを見計らって帰ろうかと声を掛け、ドームを後にしてすぐそばのホークスタウンに行って買い物をした。
野球はそれなりに面白かったが、それ以上に愛莉と過ごした時間の方が楽しくて仕方がなかった。

 薫風やドーム突き抜くホームラン  英世

延々と続くドイツのアウトバーンを160キロの高速でぶっ飛ばして、着いた先が最終目的地のフランスであった。
フランスは芸術の町である。まずルーブル美術館を訪ねモナリザやミロのビーナスの美しさにしばし時を忘れ、その後凱旋門やエッフェル塔とお決まりのコースを廻り、夜はムーランルージュのショーと食事を楽しんだ。
翌日は私の最大の目的地であったモンマルトルの丘に行った。
ここではたくさんの画家(卵?)が盛んに絵筆を揮っていた。中に日本人の画家を見つけたので、話しを聞くと留学して絵の勉強中だと言う。
学費が要るので絵を買ってくれと言うので、小さな風景画を一万円で買い記念に「小津ユーキチ」のサインを頂いた。その後彼が日本で有名になったとは聞かないが、今でもその絵は私の部屋に飾ってある。
芸術の街も素晴らしかったが、ヨーロッパ旅行も最後と言うことで、同行の得意先の社長にワインと牡蠣をご馳走になり、何故かその美味しさが今でも忘れられない。
かくして12日間のヨーロッパの旅は無事終り、帰路はモスクワ空港経由であった。
モスクワでは空港内を自由に歩くことができ、その時残った外貨で買った木彫りの人形だけが今でも私の部屋を飾っている。

 薫風や絵画に通づる句の心  英世

ドイツ

ロマンチック街道の旅は誠に快適であった。
ローテンヴルクの中世の街並みを巡ったりして、着いた先が最大の目的地「ノイシュヴァンシュタイン城」である。
その白鳥のような美しさに魅了されたが、この城の陰で幾万の住民が泣いたかなどは、建設者のルートヴィヒ2世の耳には届いたはずもなかろう。
お城の美しさに酔った後はビールで酔おうとミュンヘンを訪ねた。
500人は入ろうかと言う巨大ビアホールで、顔の大きさほどもある大ジョッキで本場ドイツのビールを堪能した。その大ジョッキを両手で10本以上も抱えて来るドイツ女性従業員のパワーにすっかり魅了されたものである。
ビアホールにはたくさんの国の人が訪れていて一緒にビールを飲んだ。隣のテーブルの人がどこの国の人であろうがそんなことはお構いなしである。
一人が立ち上がりジョッキを掲げて何か(乾杯?)を叫ぶと、それがウェーブとなってホール全体に広がって行くと言う何とも楽しいビアホールであった。
もちろん私も立ちあがって日本語で「乾杯!」と大声で叫んだ。
ドイツはどこか悠然とした大人の国と言う印象を受けた。

 あれこれとお国言葉やビアホール  英世

イタリア

イギリスからアルプスの峰々を越えて空路イタリアに飛んだ。イタリアからロマンチック街道を北上しドイツ、フランスに行こうと言うのである。
イタリアと言えばローマである。
二日間かけてローマの街を巡ったが、街は先日見た映画「スパルタカス」の光景そのもので、古代水道橋やコロシアムに当時のローマ帝国の豊かさと力を実感した。
また、オードリー・ヘプバーンの映画「ローマの休日」のスペイン広場や、幸せのトレビの泉は世界中の観光客で賑っていた。土産品売の男が日本語で「安いよ、安いよ、月賦だよ」と意味も分からず叫んでいたのが滑稽であった。たちの悪い日本人が教えたのかもしれないと、日本人として申し訳なく恥ずかしい思いがした。
ローマを離れナポリに行くことにした。
ナポリでは小劇場でカンツォーネを観て、その席でナポリタンスパゲッティを頂いた。これが本場のナポリタンかと妙に感心しながら、売り子の小母さんの「アンコーラ、アンコーラ」の声についお代りをしてしまった。
そのほかイタリアで思い出に残っているのはタクシーの小ささであった。
当時イタリアのタクシーはほとんどがリッターカーで、四人乗ろうとして運転手が迷惑そうな顔をしたことを何故か鮮明に覚えている。

 夏雲やローマの街にヘプバーン  英世

イギリス

私が海外旅行で最初に訪ねた国は秋のイギリスであった。
北極回りの飛行機で着いたのがヒースロー空港で、朝6時前だったような気がする。空はまだうす暗く少し寒かった記憶がある。
だんだん明るくなると空港の側に羊の牧場が広がっており、この国は何と言う穏やかで長閑な国だろうと思ったものである。
会社での公式な業務を終え一通り市内観光を済ませると、駐在員の友人が明日は休日だからと私をゴルフに誘ってくれた。
ゴルフ場は夢にまで見たセントアンドリュースとはいかなかったが、それによく似た荒涼としたコースで如何にもイギリスと言った感じであった。
このゴルフで印象に残っているのは、途中の樹に大きな鐘が吊り下げられており、それを鳴らして後続者にOKを知らせるもので、その鐘の音が澄みきった綺麗な音色であったことである。
また、コースの中に鹿が寝そべっているところに出くわしたが、プレイヤーは決して追い立てたりせず、お茶を飲みながら静かに鹿の去るのを待っていた。日本では考えられない光景である。
そのほかロンドン市内やウインザー城などを見学したが、これはまた別の機会に紹介させて頂こう。

 衛兵の影も交代麦の秋  英世

海外旅行の思い出

この連休で海外旅行を楽しんだ方も多いと思うが、その帰国ラッシュの様子が今日は一日中テレビニュースで放映されるであろう。
「海外旅行か、良いなあ」と思いつつ自分の海外旅行のことを思い出していた。
私もかつてアメリカやメキシコ、ヨーロッパ、中国、韓国、タイ、オーストラリアなど諸国を旅したことがあるが、半分は仕事、半分はプライベートと言ったところだろうか。
その頃は世界も穏やかで、昨今のようなテロ騒ぎもなく快適な旅をすることができた。
ここ5年ほど海外旅行をしたことはないが、元気なうちに行ったことのない台湾を訪ね、故宮博物院を見たいと言うのが夢である。
明日からはその旅の思い出をご紹介するが、まずヨーロッパをご紹介することにして、アメリカや中国などはまたの機会を見つけてお話するとしよう。
ちなみに、私が日本の土産にとヨーロッパに持参したのは博多山笠の扇子数本であった。

 手土産に山笠の扇を五六本  英世

鯉のぼり

昨年もお話ししたが、この時期勢いよく鯉のぼりが泳いでいる。
街なかではあまり見かけなくなったが、イベント広場や郊外の旧家などでは、大きな竿に吹き流しと三連の鯉のぼりが泳ぐ豪華なものを見ることがある。
鯉のぼりの起源を調べてみた。
鯉のぼりは端午の節供に揚げられる。その端午の節供は奈良時代に始まったとされるが、鯉のぼりはぐっと下がって江戸時代かららしい。
江戸中期になると庶民の間から鯉のぼりのアイデアが生れました。中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものである。
それにしても我が家の長男には可哀そうなことをした。
当時は団地住まいで、ベランダに小さな鯉のぼりを泳がせることしか出来なかったのである。
実家の大きな鯉のぼりを見るにつけ、いつもそのことが切なく思い出される。
伸介くん、本当に申し訳なかった。

 天上の登竜門や鯉のぼり  英世

冬野五月号

鯉のぼりが勢いよく泳ぐ季節となって冬野五月号が届いた。
例によって冬野五月号入選句とその他の句会の入選句を併せてご紹介しよう。
私が冬野に執筆している「吟行あれこれ」の今月号は「ミヤマキリシマ・くじゅう」でした。これまでの記事と併せてご意見等あればぜひご連絡ください。
冬野5月号
 春の風邪妻に代りて立つ厨
 星一つ残る溶岩原冴返る
 杖跡に続く足跡草萌ゆる
 恋猫に屋根派床派のありにけり
 猫の恋闇にかけ引きありにけり
 どこまでも続く岸辺や青き踏む
 まだ固き川の流れや猫柳
 海苔篊へ急ぐ舫ひの夫婦船
 やはらかき日差の水辺雛飾る
 春火桶積んで出を待つどんこ舟
 春めけるものとは海の烟りにも
 天にゐてこその雲雀でありにけり
冬野インターネット俳句
 春風となりて逝かれし尼僧かな
 鈴の音をこの世に残し老遍路
 背伸びして釦押す子や春のバス
 一水の春の日差しと会ふ処
 傘差して閉じて女人の花見かな
俳句ステーション
 会へばすぐ笑みを返して暖かし
 担ぎ女の渡船に落す春の泥
 耕や一家喰ひ継ぐだけの畑(特選)
 江ノ電の春を軋ませ走りけり
愚陀佛庵インターネット俳句
 氷上に投げし小石の滑り止む(一月分補遺)
NHK俳句
 そこそこの塩味が好き桜餅(佳作)

福岡城址吟行

5月1日の吟行も福岡城址であった。
4月19日にも行ったばかりなのでまた城址かと半ばうんざりしていたが、吟行してみて自然の変化はこんなにも早いのかと驚かされた。
牡丹芍薬園では牡丹が既に終りが近いことを思わせる散り様だったのに対し、前回はまだ蕾だった芍薬は一斉に花を咲かせていた。短かった藤棚の藤の房も風に揺れるほどに成長している。
この分ではと首洗い池の方に回ってみると水連が可憐な色を放ち、鯉や亀、水鳥などが元気に遊んでいた。
吟行地は同じでも、その日の天気や時間によって大きく変化するものだと常々言っていた私が、また城址かと思った自分のことを恥ずかしく思った。
かくしてまばゆいばかりの新緑の中で詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 静かなる時の移ろひ花は葉に  英世

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五月の花ごよみ「若楓」

五月の風と共に野山の木々が一気に勢いを増してきた。俳句で言うところの若葉である。
柳や樟、銀杏に柿と数え上げたら切りがないが、その中でも私は楓の若葉が好きである。
神社や庭園の楓の若葉は折からの日射しの中できらきらと輝いている。しかもその若葉はやわらかくまるで嬰児の掌のような感じである。
楓の若葉の観賞に欠かせないのが盆栽である。
私は自分で盆栽を育てるほどの知識も技術もないが、東京単身赴任中に仲良くなった地元の人に、楓の盆栽を貰って指導を受けながら育てたことがある。
掌に乗ってしまうほどの小さな楓の盆栽だが、前の秋に葉を落として丸坊主になっていた枝に三月頃から小さな葉をつけ始め、この時期になると立派な楓の葉に成長してくる。
小さな盆栽に大自然の力を見るようで、何度その盆栽に勇気づけられたことだろうか。
ちなみに、その楓の盆栽は東京を離れる時に、贈り主に育てて貰うことにして逆贈呈して来た。

 観世寺の甍の波や若楓  英世

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季節の花300より

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