六月が終る

6月2日に早々と梅雨に入り、今まさに梅雨の最盛期である。
終って見て気が付いたのだが、六月は国民の祝日が一日もない月であった。学生やサラリーマンはそれを身近に感じがっかりしたことであろうが、毎日が祝日のような私にはどうでもよいことであった。
とは言え、何かと祝日の好きな先生方がへり理屈をつけて、来年あたり国会で六月の祝日を作ってくれるかもしれない。
六月のトピックスは何と言っても愛莉と過ごした一週間である。
訳あって愛莉を一週間ほど預かることになり、その間毎日宿題を見てやり、公園で遊んだり、団子屋に行ったりし夜は一緒に食事をしたりと結構忙しかった。
老骨に鞭うち楽しかった日々ではあるが、やはり少し疲れが残った。
家内が言うにはこれが偶にだから良いようなものの、もし同居しているとしたら同じように出来ますかと皮肉を言われた。さてどうだろうか。

 六月や雨の合間のランデブー  英世

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一句の風景

夏蝶に風切る荒さありにけり

蝶々と言えばふわふわと優雅に飛ぶ春の蝶を思わせるが、夏にもたくさんの蝶が飛んでいる。
その蝶は主に揚羽蝶で、黒や青筋、黄まだらなど原色に近いどぎつい色をしている。
その飛び方は実際は春の蝶と何ら変わりはないと思うのだが、何故か力強く荒々しく感じられる。事実もつれながら空高く登って行く姿を幾度となく見たことがある。
この句はそのような夏の蝶が、折からの風に逆らって荒々しく飛んで行く様を詠んだものである。
2013年(平成25年)6月「季題:夏蝶(夏)」

髪を短くカットした。

私は髪が薄いと言うより殆んどなくなりかけているので、せめて長さだけはと耳がほぼ隠れるような長い髪にしていた。
先日その髪を20年振りに思い切り短くカットしてさっぱりした。
別に若ぶっていた訳ではないがやや長髪にしていたのを、暑くなってきたことでもあり約10センチ程、つまり耳が全て見えるまでに短くカットしたのである。
短い髪形にして気が付いたのだが、たかが髪と言えども短くするとやや頭が軽くなり涼しくなった感じがする。
それ以上に驚いたのは理髪店の鏡に映った自分の顔である。長髪の時は気がつかなかったが短くして何と父の顔によく似てきた。
体型や顔の小ささはもともと似たような二人であったが、髪を切ることで丸刈りの父の顔にそっくりになって来たのである。
今度兄弟たちに会ったら驚くだろうなと思いながら、私は父に似て来たことを一段と嬉しく思った。

 梅雨晴や短髪にして考に似る。  英世

健康診断

毎年一回勤めていた会社の健康保険組合より退職者健康診断の案内が来て市内のクリニックで検査を受けた。
今のところ特別の不安もないので一般健康診断を受けたが、体重も変らず今年も病状の悪化は見られなかった。
ただ、ここ何十年と高血圧、高尿酸、高血糖とお馴染みの成人病だけはどうしても克服できないでいる。つまり薬を飲み続けている訳だが、今はむしろ悪化しなければよいぐらいにしか考えていない。つまり、それが今年も悪化しなかったと言うだけである。
掛り付けの近くのクリニックに診断結果を持って行ったところ、医師はずいぶんよくなっていますねとむしろ褒めてくれた。
相変わらずお酒は減っていないものの、家内のお陰で食事に気を使い、野山を駆け巡って適当に運動しているからかもしれない。
これからもこの調子で健康でありたいものである。

 梅天や健康診断異常なし   

鴻巣山展望台

しばらくご無沙汰していた裏山の鴻巣山を久し振りに散歩した。と言うのも気掛かりなことがあったからである。
と言うのは鴻巣山山頂には見晴らしの良い展望台があり、麓の私の街からもその展望台がよく見えていたのに、先日見てみるとその影が見当たらなかったのである。
近くの子供たちがよく花火をしたりしていたずらをするので、撤去してしまったかもしれないと確かめることにした。
登って見るとその展望台はむかしのままの姿で立っていた。展望台に上がって見るとその様子の変化に驚いた。周辺の木々が大きくなって展望台の高さに迫り見晴らしが利かなくなっているではないか。道理で麓からは展望台が見えなくなったはずである。
特に東側はかつては福岡空港の滑走路まで見えたのに今は全く見ることができない。かろうじて博多湾から油山に掛けてはまだ展望が開けているが、これもいつ見えなくなるか知れたものではない。
樹木の生長と言う大自然の営みに改めて驚かされた出来事であった。

 夏木立山一面を覆ひけり  英世

住吉神社吟行

今回は先日御田植祭を見学したばかりの住吉神社から楽水園を巡る吟行で、この日も太宰府吟行の時と同様梅雨の中休みであった。
先ず住吉神社を吟行したが、この時期境内の神田には植えられたばかりの稲が青々と育ち風になびいていた。
御田植祭の時にもお話ししたが、こうして風になびく青田を見ていると、日本の文化はこの稲に始まったのだとしみじみと感じられた。
住吉神社のあとはすぐ裏手の楽水園へ回った。楽水園は直接住吉神社とは関係ないが、どうしても神社の裏庭のような気がしてならない。
楽水園は都会のまっただ中にあるが、それを忘れさせる静寂で、庭園の美しい景色を愛でながら茶室で頂いたお抹茶はまさに一服の清涼剤であった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 切麻(きりぬさ)に見る御田植の名残かな  英世

近くに家が建つ

一昨年の春に隣に新しい家が建った話をしたが、今度は三軒先に一挙に二軒の家が建っている。永いこと空き家になっていたものを取り壊して、広い土地に家二軒が建ち始めたのである。
それにしても最近の建築のスピードは速い。
つい3ヶ月ほど前に縄張りしていたかと思っていたら、もう家は殆んど完成している。この分だと後1~2週間もすれば新しい住人がやって来るであろう。
私の家もそうであったが最近の家は工場生産である。工場で大方のパーツは用意され、現地で組み立てるだけになっているので完成に時間を要しない訳である。
私がこの地に家を立てて移り住んで来たのは15年前の50代の後半であった。
おそらく今度越してくる人はもっと若い世代に違いない。こうして街は少しずつ新陳代謝を繰り返して行くのであろう。

 白壁の家に夏日の照り返す  英世

句会閑話

先日のある句会での出来事である。
私の投句した「椎の花」の句には少し自信があったのだが、互選では全く点が入らなかった。
このようなことはよくあることなので次の選者4人の選に期待することにしたが、これもなかなか点が入らない。
半ば諦めていたところ最後の選者(主宰)に採って頂き、おまけに「誰も採らなかったが、この日一番の句だと思う」とまで評して貰った。
私の気持ちをわかって頂いたと天にも昇る気持だったが、その場では嬉しさをかみ殺していそいそと後の飲み会へ出かけて行った。
虚子に「私のところに来る人で、よく誰それの選に入ったのに、どうして先生は採ってくれないのですか、という人は多いが、誰ひとりとしてこの句は採ってくれる人はゐなかったのに、先生だけには採っていただきました。とお礼をいって来る人は一人もゐない」と言う言葉がある。
私も有頂天になって選者にお礼を言うのを忘れてしまったので、この場を借りて御礼を述べさせて頂こう。
「誰も採らない句を取って頂き、有難うございました」。

 雫して階段濡らす梅雨の句座  英世

太宰府吟行

昨日の百年句会はいつもの太宰府吟行であった。
この日は梅雨の中休みで梅雨晴間と言うにふさわしい好天気であった。
太宰府吟行であれば10日ほど前の花菖蒲の一番きれいな時に行くべきではとも思ったが、吟行の日時は年間で決まっており致し方のないことである。
例によってまず本殿に参拝し、足は自然と菖蒲池の方に向いていた。
菖蒲池の花菖蒲は最後の力を振り絞って咲き、周辺の紫陽花は私たちを待っていてくれたように輝きを見せていた。
それらの花に感謝しながら句を詠んだ後はいつもの禅寺光明寺へまわった。この寺苑はいつ行っても暑さ寒さを忘れさせる静寂でこれこそ禅寺だと納得させられる。
禅林の回廊に座ってしばし黙想していると、現世のことが鬱陶しく感じられて仕方がなかった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 石庭の石の黙解く苔の花  英世

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一句の風景


手作りの句集に黴のさせまじく

歳時記の夏の頁に黴がある。それほど日本の夏は黴が多いと言うことであろう。
いまでこそエアコンが効いているので黴は少なくなったが、梅雨時のこれからは油断するとすぐ食べ物や衣類そして本にまで黴が生えて来る。
時々窓を開けて風を通したり、はたきを掛けたりしてはいるがそれでも十分ではない。
晴れた日には大事な本を日に晒すことも必要で、俳句ではそのことを曝書と言って夏の季題にしている。
手作りの句集「こうろ」にも何とか黴を生やさないように細心の注意を払わねばなるまい
2012年(平成24年)6月「季題:黴(夏)」

燕の子

2月の終りに渡ってきた燕が巣作りを始めたのが4月10日ごろであった。
近所のスーパーの入口に二組の燕が巣を構え、その巣に子燕が騒ぎ出したのが5月中ごろである。
子燕はそれぞれの巣に4~5羽生まれたので、都合10羽ほどの賑やかな燕の村が出来たことになる。
子燕たちは食欲旺盛で、親鳥が運んで来た餌を我先にと奪い合っているが、よく見るといつも元気な子は決まっているようである。それでも親はそれがよくわかっているのか公平に餌を与えているようで、みんな同じように大きくなっている。
何時しか気が付くとその子燕たちも巣立ちし飛び去っていくであろう。これから秋には海を越えると言う未知の旅が待ち構えていることを知ってか知らずか元気に囀り騒いでいる。
その燕の子が今回の兼題だった。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 燕の子既に序列のありにけり  英世

椎の花

日本には松、杉、樫、樟など一年を通して美しい緑色した常緑樹がある。
これらを総称して常盤木と言うが、椎の樹もその一つである。
椎の木は5月頃盛んに落葉して新しい葉と交替するが、それが六月になると淡黄色の細かい花を穂状に付ける。
椎の木は大樹であるので、遠方から見ると椎の大樹全体がまるで白い埃を被ったように見える。その椎の雄花は強い香りを放つのでそれとすぐにわかる。
近くの裏山には椎の仲間のすだ椎が群生していて、季節になるとその香りが我が家まで漂って来るほどである。その椎の花が今回の兼題であった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 椎の花匂ふ炭焼窯の跡  英世

重労働のバス運転手

昨日は新型バスのことを散々にこき下ろしたので、今日はそのお詫びではないが最近のバス運転手が如何に大変かをお話しよう。
ずいぶん前の新聞コラムにバス運転手の仕事振りが詳しく紹介されていた。要約すると安全運転と顧客サービスの両立がいかに大変かと言うことである。
私も毎日のようにバスに乗るので、そのことが手に取るように分かる。
この日も日本語が全く分からずバスの乗り方を知らない外国人が乗ってきた。
興味を持って見ていると、乗車時の整理番号札は取らない、大きな荷物を持っている、空いている座席に座らないなど、仕方のないことではあるがだいたい想像がつくと思う。
その上「何々町・何々町公園」などと似たような名のバス停があるので、とうとう乗り越してしまったらしい。
私が片言英語と身ぶり手ぶりで一つ前のバス停だと教え、歩いて行くように説明したところ運転手は私に感謝しながら英語で230円と言って受け取っていた。
バス会社で基本的な英語ぐらいは習っているかもしれないが、実際にその場になると私同様冷や汗ものだったであろう。
これからも外人観光客は増えるだろう。バスでもおもてなしの心が大事ではなかろうか。

 五月雨や英語で話す運転手  英世

新型バス

ずいぶん前にバスでの出来事の話をしたが、今日はそのバスそのものについてお話しよう。
私が利用している西鉄バスでは、数年前から少し小型の新型ハイブリッドバスを導入しているが、そのバスが私にはどうしても気に入らない。
小型なのに大勢の人を乗せようとするせいか、設計にどうも無理があるような気がしてならないのである。
ノンステップバスと称し乗車口を低くして乗り易くしたのが良いが、そのためバス全体が平坦では無くでこぼこしている。
特に後部座席は二段ほど高くなっていて、ステップを上がり後部座席に行こうとすればその段差を越えねばならない。
さらに一番前の座席は車輪の上に作られているので、そこに座るには二段ほど登らねばならず、高齢者には到底危険で勧められたものではない。
またバスは動くものだから移動中にその段差につまずきそうになる人が多数いる。
このバスが来たら何となく乗りたくないなと思うのは私だけだろうか。

 梅雨晴や制服の子の溢るバス  英世

御田植祭

御田植祭は日本の伝統的な田植えの行事を神社の神田などで模擬的に演じ、豊作を祈る行事である。
この御田植祭の行事は全国的に伝承されており、日本人と稲作との長く深い関わりを表すものとされている。
私は今までこの御田植祭を見たことがなかったので、一度は見て置きたいと思っていたが、幸い昨日住吉神社でついにこの御田植祭を見ることができた。
神社の説明によると、この行事は五穀豊穣を祈念し伊勢神宮から戴いたイセヒカリの早苗を早乙女らが御神田(南参道)に植える行事とのことである。
田植衣装に身を包んだ二人の早乙女が氏子と一緒に一列になって田植をする姿は、衣装こそ違うものの遠き日の母や姉たちの田植の姿と重なり懐かしく思い起こされた。
この日は梅雨の中休みで晴れたり曇ったりの天気であったが、田植が何時もこの梅雨時に行われるせいか、何故か田植には雨が似合うような気がする。  

 早乙女の足跡深き御神田  英世

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蝸牛

樗の花と同時に出された兼題が、蝸牛つまりかたつむり、でんでんむしであった。
世の中にはたくさんの虫や小動物がいるが、中でもこの蝸牛は幼い頃からよく遊び親しんできた小動物の一つである。
特に田舎育ちの私にはなじみの深い動物で、雨上りの竹やぶなどで蝸牛を捕まえて友達の蝸牛と競争させたことが懐かしい。
とはいえ、この蝸牛なにしろ動きが遅い。しかも荒く扱うと殻に閉じこもってしまっててこでも出てこない。
フランスで蝸牛の仲間のエスカルゴを食べたことがあるが、淡白であまりおいしいとは思わなかった。
子供のころ遊んだ蝸牛を思い出し、どこかに可哀そうと思う気持ちがあったのかもしれない。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 身を隠し貝となりたる蝸牛かな  英世

樗の花

今回の兼題は樗(おうち)の花であった。
樗の花は暖地を好む落葉高木で、葉は南天に似て柔らかく風にゆらゆら戦ぎ、5~6月頃に淡紫色の小さな花が枝垂れるように群れ咲いている。
和名で栴檀の花とも言われるが、栴檀は若葉より芳しのあの栴檀はビャクダンのことで樗とは別種である。あまり目立たないが何となく上品な感じのする花で、万葉時代から古歌にもよく詠われたと言う。
この樗の花が兼題に出された時に、この花を見たことがないと言う句友が多かったので連れだって見に行くことにした。句会の会長としての役割はこう言う時こそあるのかもれしれない。
樗の花は動物園や舞鶴公園に咲いていることは知っていたので、足の便の良い舞鶴公園の名島門の樗を訪ねた。句友は揺れ動く樗の花を手にしながらそれぞれに句心を膨らませて、句会ではきっちりと実際に見た樗の花を詠んでいた。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 降りさうで降らぬ夕暮花樗  英世

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愛莉の宿題Ⅱ

昨日の愛莉の宿題は国語で、「俳句を楽しむ」の音読であった。
教科書を開いてみると、俳句が日本の伝統文学であること、そして代表句として芭蕉の「古池や・・・」の句を始め蕪村、一茶の句がそれぞれ二句ずつ紹介されていた。
宿題はその句を何度も声に出して読むことであった。
句にはそれぞれ簡単な解説が付してあるものの、小学三年生の愛莉に芭蕉の心境が分かるかいささか疑問であるが、その句を声に出して読みリズム感を味わうのは非常にいいことである。常々子供に俳句をと提唱している私からすれば結構なことだと思った。
ただ、この教科(俳句)が一過性の授業になってしまうのではないかという懸念もある。
四、五年生になっても年に一回ぐらいは俳句を取り上げるであろうが、それでは子供たちに俳句を作ろうという意欲は出てこないであろう。
やはり授業とは別に俳句に親しむ環境作りが必要な気がした。また、それに私が役に立つのであればいつでも前に出るのだがとも思っている。
一度教育委員会や小学校の先生、公民館長ともそのような話しをしてみたいものである。

 小学の俳句授業や蛙跳ぶ  英世

愛莉の宿題Ⅰ

訳あって一週間ほど愛莉を我が家と隣の私の娘の家で預かることになっている。今朝もてんやわんやしながら先ほど愛莉を学校へ送り出したばかりである。
午後になると愛莉が学校から我が家に直接帰って来て、夕食を食べたら隣の娘の家に泊まり朝食を食べて学校に行く、つまり二軒の家で面倒を見ることになる。
隣の家に泊まるのは隣には鈴花と言う大学生の従姉妹のお姉ちゃんがいるので、愛莉もそのお姉ちゃんとお話ししたり、ゲームをしたり、お風呂に入ったり、一緒に寝たりするのが楽しいからである。
我が家での夕食の前に必ず宿題をするが、その面倒を見るのが私の役目で、この日は漢字の書き取りと掛け算割り算のドリルであった。愛莉は私に面倒かけることもなくすいすいとやってしまった。
ふと私の子供の頃の宿題を思い出した。
確か小学四年生だったと思うが、先生に「勉強の仕方が分からないので宿題をたくさん出して欲しい」と頼んだことがある。
先生は苦笑いしながら、「明日習う国語の漢字を書き取るように」と宿題を出してくれた。
私は馬鹿正直に毎日毎日漢字を書いた。それが国語の予習となって後々大きく役立ったような気がする。

 梅雨寒や孫の算数難しき  英世

家の鍵が壊れた

少し前の話だが、家の鍵が壊れて取り換えることになった。
この鍵はオーソドックスな鍵で、壊れるなど考えもしなかったのだが、ある日開ける時に違和感と言うか少し固いなと思いながら放置していたところ、数日後には本当に回らなくなった。
それでも辛抱強く何回か試みていると偶然鍵が回って開いてくれる。
全く開かなくなったらどうしようと不安ながらもそのようなことを数日続けているうちに、とうとう本当に開かなくなってしまった。
その開かなくなった時が悲劇であった。
私が俳句で家を留守にしている時に、家内が泣きそうな声で携帯にコールしてきた。鍵が開かないので家の中に入れないと言うのである。
二人とも留守にしている訳だから内から開けてくれる者はいない。家内の狼狽ぶりも致し方の無いことであった。
かくして鍵の110番で修理を試みて貰ったが埒が明かず、とうとう鍵を交換する羽目になったのである。
その時の家内の一言、「鍵が壊れたのは仕方がないが、それよりしょっちゅう鍵をかけ忘れるあなたの方が問題だ」だって。

 五月雨や夫婦の鍵のかみ合はず  英世

一句の風景

夏草や吾と同じ名の遭難碑

東京での単身赴任中に山登りの楽しさを知った。
最初は高尾山や御嶽山などの奥多摩の低山を登っていたが、だんだん慣れて来て本格的な山に登りたくなった。そこで選んだのが谷川岳であった。
その山はまさに日本百名山の名にふさわしく、登る人の心をとらえて離さなかった。ところがその山は冬は雪、夏は霧と何かと登山者を悩ませる山でもある。事実下山時に一時道に迷ったこともあるほどである。
西黒尾根の岩場に苦労しながらどうにか麓に下山した時のことである。
夏草の中に大きな石の遭難碑が立っていた。何気なく遭難者の名を目で追っていたところある一点で目が止まってしまった。そこには何と私と同じ名字の遭難者の名が刻んであったのである。
2012年(平成24年)6月「季題:夏草(夏)」

家族で焼鳥屋

黒田天狗がなくなって私はどこで飲めばいいのだろうと嘆いていたが、よく考えれば近所でも飲む所はある。
行きつけの小笹寿司を始め、焼鳥屋、蟹屋、洋食屋、居酒屋、スナックと心配することはなかった。事実一週間ほど前は家内と二人で蟹の「ありがたや」に行ってたらふく飲んで食べたばかりである。
と言うことで、先日の日曜日は愛莉の家族と一緒に息子が予約してくれた焼鳥屋「蓑笠」に行った。土、日の蓑笠(みのかさ)は家族連れで賑い予約していなければ待たされてしまう。
早速家内主導で様々な焼き鳥を注文したが、これがまた大好きなさがり(360円と少々高いが)を始めことごとく美味しかった。
小学三年生の愛莉はあまり食べないだろうとたかをくくっていたところ、食べるは食べるはまるで大人並みの食欲で、最後は私が食べきれなくなっていた焼きおにぎりを頂戴と言って食べてしまったほどである。
黒田天狗には場所が遠いので家族で行くことはあまりなかったが、これからは隣の鈴花の家族も含めて近くの店での家族団欒が増えそうである。
その分私の財布も痛むことになるのだが、それもまた良いではないか。

 梅雨寒を飛ばす愛莉の食べつぷり  英世

自転車の鍵

冬ものを仕舞おうと整理していたら、小物箪笥の底から不思議な鍵が出てきた。自動車の鍵でもないし玄関の鍵でもない。よく見るとそれはどうも自転車の鍵である。
そう言えば以前我が家には自転車があって、時々利用していたことを思い出した。
どうしてその自転車の鍵が箪笥の底にあるのか不思議であるが、事実あったのだから捨てがたくなって仕舞っていたのがそのまま残ったのであろう。
その鍵を見ていたら、颯爽と自転車をこいで風切っていた頃が懐かしく思い出された。
自転車を捨ててかれこれ30年になるが、その後は孫の鈴花と公園のレンタル自転車に一度乗っただけである。
「雀百まで踊りを忘れず」と言うが、今も自転車に乗ろうと思えば乗れるのだろうか。一度乗って見たいものである。

 薫風に後押しされて自転車に  英世

友泉亭吟行

今回の吟行は梅雨特有の大雨のなか友泉亭であった。
前にもご紹介したが、友泉亭は福岡市にある黒田氏の別邸跡で、今は市が管理する日本庭園となっている。従って65歳以上の市民であれば入場料が無料だと言うのも嬉しい。
池泉回遊式の純日本式庭園として江戸時代中期に建てられたもので、 園内には槇や椿、金木犀どの古木、大木が残り、回廊を持つ大広間から庭園を眺めると静寂な空間の広がりを感じることができる。
友泉亭とは、久世通夏が詠んだ「世にたへぬ あつさもしらずわき出る 泉を友と むすぶいほりを」という歌からとられと伝えられている。
園の近くには樋井川が流れており、かつてはその樋井川から水を引き友泉亭の景色の一部としていたのかもしれない。
この友泉亭でお抹茶を戴きながら詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 池の面の音なき雨や花菖蒲  英世

冬ものクリーニング

少し遅くなったが、冬ものつまりスーツやコート、セーターなどをクリーニングに出した。
中には冬の途中でクリーニングしたものもあるが、多くはこの夏になって初めて出すものばかりである。
クリーニングに出しながら、妙なことを考えた。
よく見るとその中にこの冬一、二度しか袖を通していないものもある。
根が服に凝る方なので、今日はこれにしよう明日はこれにしようと言いながら、その日だけで終ってしまったのだろう。
もちろんスーツのように殆んど毎日着るものはそんなことはないのだが、一、二度しか袖を通していないものをクリーニングに出す必要があるのだろうか。貧乏くさいようだがその費用がもったいないような気がした。
そんなことを家内にしゃべったら、ものの見事に反撃を食らった。
一度でも袖を通せば、汗大好きの虫(衣魚)どもが襲いかかって来る。費用がもったいないとは何ごとかと言うのである。
やはり服に贅沢すればそれだけの費用はかさむものかと妙に納得した。

 酒と句に酔ひ痴れつつも更衣  英世

冬野六月号

六月は梅雨の月だとお話ししていたところ、早々と2日に梅雨入りが宣言された。
毎回同じことを言っているが、今月もその梅雨最中に無事冬野六月号が届いた。
例によってその他の句会の入選句も併せてご紹介しよう。
なお、今月の冬野の「吟行あれこれ」は太宰府天満宮の花菖蒲であった。
冬野六月号
 野に少し遅れて峡の初桜
 水底に日の斑走らせ蜷の道
 初蝶の翅に潤ひありにけり
 水脈一つ残して鴨の引きにけり
 謎多き母の一生雛飾る
 シスターの黒衣に跳ぬる春の泥
 強東風や捨て船波に洗はれり
 目刺焼く匂ひに敏き三毛の猫
 リラ冷えに愁ひ隠せぬ農夫かな
 雨に散る様も八重なる桜かな
 うららかや後期高齢何のその
冬野インターネット句会
 整はぬ音も草笛らしきかな
 一芸のなき身どんたく見るばかり
 濁世には染まらぬ朴の白さかな
 わだかまり何時しか解けて豆の飯
俳句ステーション
 背伸びして菜の花越しに手を振る子
 のどけしや時代絵巻に異国の子
 夜桜やをみなの声のよく透る(特選)

会社OB会

40年以上在籍した会社にOB会なるものがある。
福岡市天神ビルに支社があり、そこに所縁のあった人だけの会で毎年一回総会が開かれる。
私は都合で昨年の総会を欠席したが、その様子を冊子にして事務局より送って来た。
紐解いてみるとその年の物故者の後に会員各位の近況が記されていた。
今年の物故者には私にゴルフの手ほどきをしてくれた方も含まれており、仕方のないことではあるがやはり寂しいものである。
それにしても何と傷病者の多いことだろうか。最高齢の99歳の男性は私の高校の大先輩だが、住所の先は養護ホームとなっていた。
ゴルフだけが唯一の趣味だと言う友人は肩を壊してゴルフを断念したと言うが、ゴルフ以外に何か生きがいを見つけてくれていればと余計な心配をしてしまう。
海外旅行中に大病を患ったと言う人もいた。歳が歳だけに無理な海外旅行は用心しなければなるまい。私が国内外の旅行に二の足を踏むのもこれに他ならない。
とは言え、この冊子を戴き会員の近況を読んでいるうちに、自分が持病を持ちながらも幾つもの趣味を持ち、元気に野山を駆け巡っていることに感謝しなければとも思った。
秋にはそのOB会に出席するとしよう。

 職退いて永き月日や更衣  英世

たけのこ無残

近くの動物園の裏庭はきれいな竹林になっている。
その竹林の道を散歩していると奇妙なと言うか無残な光景が目に入る。それは竹林に生えて来る筍を片っ端から伐り倒した跡である。
理由は明らかで美しい竹林を守るために適当な間引きが必要だからである。
見た目には無造作に伐っているように見えるが、よく見るとまず竹林をはみ出し出て来た筍をすべて伐っている。
また、竹林の中の筍は選別して伐り、適当な間隔で筍を残している。これも理由は明らかで、竹林の竹の本数を維持しながら新陳代謝を計るためである。残した筍の分だけ古い竹を処分するのである。
たかが竹林とは言え、そのまま放置すればどんどん広がってしまうので、適切な管理が必要なのであろう。
ちなみに、筍は竹の子、笋、たかうな、たかんなとも言って俳句の夏の季題になっているが、伐られたこの動物園の筍は動物たちの餌になっているのだろうか。

 筍を伐りて竹林広げざる  英世

六月の花ごよみ「あやめ」

今月の季節の花はあやめをご紹介しよう。
菖蒲と書くあやめの種類は多く、「いずれがあやめかきつばた」と昔から言われているように見分けの難しい花でもある。
NHK気象キャスターの吉竹さんも言っていたが、先ず種類別に分けると菖蒲(あやめ)、杜若(かきつばた)、花菖蒲(はなしょうぶ)の三種に分類され、それぞれに花の色、葉の主脈、花の特徴、生育敵地等に違いがある。
ここでその違いをいちいち取り上げていたらページがなくなってしまうので、一番見分けやすい点だけをご紹介すると、花に網目模様があるのが菖蒲で、網目がなく白い斑紋があるのが杜若、黄色い斑紋があるのが花菖蒲とだけ覚えておけば、吟行などで困ることはないだろう。
植物園などで実際に自分の目で確かめて見るとよくわかるかもしれない。

 軋ませて渡る八橋花菖蒲  英世

六月に入る

今日から六月である。
今朝の空は素晴らしく晴れ上がっているが、六月と言えば梅雨の走りで後半から本格的に梅雨に入ることが多く、長い時には七月の中頃まで続く。
いつぞやもお話ししたが、この時期に降る驟雨がちょうど陰暦の五月に当たることから、五月雨と言うようになった。
最近は気象予報でも五月に降る雨を五月雨と呼んだりしているようだが、本来はそのような明るい五月の雨ではなく、長くじめじめして時には強く降る梅雨のことなのである。
ところが、今年はその梅雨が長引きそうだと言う。
太平洋東部の赤道付近の海水温が一部で高くなる、つまりエルニーニョ現象で、日本付近は気温が低く梅雨が長引くかもしれないという予報である。
自然災害の危険もあるが、農家出身の私はそれ以上に農作物に被害が出ないようにと願って止まない。

 五月雨やいまも荒ぶる筑後川  英世

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