八月が終る

とんでもない八月が今日で終る。記録的な雨の七月が終わったと思ったら途端に猛烈な暑さに見舞われた。
8月8日が立秋だったが、その頃が一年中で一番暑いと言うのだから皮肉なものである。その猛暑も炎帝が息切れしたのか、このところすっかり涼しくなり秋めいてきた。
一方、台風15号がまともに襲来し海や山の事故も多かった。去年まで浅かった海が浚渫などで急に深くなったり、ウォーターバイクが我が物顔で走り回る。
近海で鮫が横行するようになったのは何か原因があるはずで、突き詰める必要があるだろう。
また、65歳以上の高齢者の山の事故も後を絶たない。登山経験のない人がこれまたお粗末なガイドに連れられて、まるで散歩に行くような気もちで高山に登る。一概に行政ばかりの責任とは言えないと思う。

 送り火や未だに山に眠る霊

スポンサーサイト

一句の風景

霊水を引きし蕎麦屋や赤のまま

隣の佐賀県唐津市は海と山が迫った風光明美な町である。その山側を訪ねた時の句である。
あるテレビ放送で唐津の山里に名物蕎麦屋があると言うので家内と訪ねてみた。唐津市だからとたかをくくって出かけたところ、そこは急峻な細い山道で自動車一台がやっと通れるほどのところであった。
廃校になった分校の側にある蕎麦屋は夫婦二人で切り盛りする古式そばで、水は赤のままの茂る山の湧水を使っていると言う。
私にはその湧水が何故か霊水のように思われてならなかった。
2012年(平成24年)8月「季題:赤のまま(秋)」

私の本棚「久留米藩」

昨日の夕方は久し振りに夕立らしい夕立に逢った。あの広重の雨の糸が見えるような夕立で、思わずバス停前の八百屋に雨宿りを請うたほどである。
さて、私の同窓生には優れた才能の人が多いと話したことがあるが、その高校の同級生で作家の林洋海(はやし・ひろみ)氏の著作「久留米藩」を読んだ。
私の生れた村は旧久留米藩に属していたが、親類など地縁が柳川藩に近かったことなどから、実は久留米藩のことは今まであまりよく知らなかった。
郷土史好きの私にしては意外だと思われるかも知れないが、事実だから仕方がない。
大河ドラマで有名になった福岡藩の黒田氏や、名門大友氏の流れをくむ柳川藩立花氏のことなどはよく知っていたが、徳川の世になって封じられた久留米藩有馬氏については全くと言っていいほど知らなかったのである。
もちろん九州南北朝動乱や九州戦国史、筑後戦国史などにも登場してこない武家である。
地元の殿様だけに前々から気にはなっていたが、この本を読んで久留米藩つまりあの競馬「有馬記念」で有名な有馬氏のルーツなどを初めて詳しく知ることができた。
中でも面白かったのは歴代殿様の奇行、愚行、善政、悪政など楽しく読ませて貰った。
何れ機会があれば、その殿様のことを一人一人面白おかしくお話しすることができるかもしれない。

 民は泣き殿は女中と月見かな  英世

中年女塾生

朝夕はめっきり涼しくなり、昨夜は今年初めて虫の声を聞いた。本格的な秋はもうすぐであろう。
さて、仕事先の某進学塾の夏期講習に、白髪混じりの中年女性が通っている。年の頃なら30~40代であろうか。(間違っていたら御免なさい)
彼女とは一度も話をしたことがないので、どのような心境で大学を目指すようになったのかは分からない。
想像するに、若い頃に何かの事情で大学を諦めなければならなくなり、その思いを持ち続けやっと挑戦する環境が整いその気になったのであろう。
私自身も定年を機に大学に行ったらと家内が勧めてくれたが、40数年のギャップは大きく知力はもとより気力までが失せていた。
彼女が無事合格したら、改めてその辺りの話を聞くとしよう。

 銀漢や五十で目指す大学府  英世

久し振りの温泉

台風が過ぎ去りいくぶん涼しく感じるようになった昨日、久し振りに温泉に行った。
夏の間は何となく敬遠していた温泉であったが、昨日は温泉に入っていても肌に涼しさを感じさせるほどの快適さであった。
いつもの露天湯に浸りながら空を見上げていると、雲の隙間に久し振りに青い空が覗いている。その雲も台風の余波からか激しく流れていた。
よく見るとその雲も上の方は東に流れ下の雲は西に流れているようであった。もしかしたら一方が流れることで相対的に反対の雲は逆方向に流れているように見えたのかもしれない。
突然目の前を黒揚羽が横切り、樹上で蝉が鳴き出した。クマゼミと法師蝉の合唱だが、心なしかその鳴き声は弱々しく感じられた。
暦の上ではとっくに秋に入っているが、この弱々しい蝉の鳴き声はいよいよ本格的の秋の到来を感じさせるものであった。
前にお話ししたようにこの日はサウナ風呂には入らなかった。そろそろ用心しなくては。

 法師蝉親に尽くせと鳴きにけり  英世

鵲(かささぎ)

8月の歳時記を開いていたら馴染み深い季題が出て来た。
鵲と書いて「かささぎ」と読む。その鳴き声から「かちがらす」ともいう鴉の仲間のことで、れっきとした8月の季題である。
8月の鳥とされた理由は「鵲の橋」と言って七夕の夜、天の川に橋を渡すという伝説から来ている。
何故この話をするかというと、鵲はもともと福岡県南部から佐賀県南部の有明海の周りの平野部に局地的に棲んでいたことで、私には特になじみの深い鳥だからである。
鵲は普通の烏より一回り小さい黒地に白い模様の美しい鳥で、私たちの子供の頃は鴉と言えばこの鵲とばかり思っていたほど親しみがあり、呼び名も鵲とは言わず単にカラスと言っていた。
また、カラスと言いながらハシブトガラスのように集団をつくることはなく、常に番で高い樹や電柱に巣を作りせっせと働いていることも私たちに親しみ深い理由かもしれない。
その鵲がこのところ脊振山系を越えて福岡県や佐賀県の北部にまで、急速に生息域を広げている。
何故生息域を広げているのかどなたかご存じならばぜひ教えて貰いたいものである。

 鵲や故郷今も美しく  英世

台風15号

新聞を取りに外に出たら強い風と叩きつけるような雨が降っていた。台風15号のまともな襲来である。
TVをつけたら今朝6時過ぎに熊本県荒尾付近に上陸し、7時ごろ久留米付近を通過中と伝えていた。久留米と言えば私の故郷である。稲がちょうど実を膨らませる時期で、実家の田んぼの被害が心配される。しばらくしたら弟に電話するとしよう。
我が家でも昨日のうちに庭やベランダの様々な道具類を倉庫に移動したが、被害がないよう事前に準備して本当に良かったと思っている。
このまま進めば間もなく福岡市に最も近づくのではなかろうか。
福岡市の交通機関は航空機はもとよりJRや西鉄電車、路線バスまでが全面運転見合わせで、いつ頃回復するか見通しは示されていない。
仕事先の進学塾は昨日のうちに臨時休館を決めて、その日のうちに連絡をくれたので、今日の私の勤務は無くなった。
今日は外へは出らず本でも読んで静かに家に籠るとしよう。

 台風のまともに来る怖さかな  英世

水撒きと雨

朝の水撒きは私の日課(与えられた仕事)だが、先日その水撒きのことで家内と一悶着あった。
家内が遅く起きて来て「水撒きはもう済んだの」と聞くので、「今日は9時ごろから夕方まで雨が降る」と言ったところ猛烈な反発を食らった。
雨が降ると言うが降らなかったらどうするの、花たちが可哀そうでしょうがときた。
私は雨が降らなかったら気象台かNHKの吉竹さんにでも電話したら と言ったところ、それ以来口も利かなくなった。
このところの天気予報はよく当るので、私もそれを信じて水を撒かなかったが、妻の無言に負けてしぶしぶ蚊に刺されながら水を撒いた。
すると予報通り10時頃から小雨が降ってきた。家内はそれでもしばらく口を利いてくれなかった。
今朝も似たような天気予報だが、はてどうしたものか。

 雨と言ふ天与の水や花芙蓉  英世

とことん歴史紀行

久し振りにテレビ番組の話である。
私の好きな番組の一つにBS11の「とことん歴史紀行」がある。
「人の住む所歴史あり」と、この「とことん歴史紀行」は歴史上の人物を取り上げ、その人物を取り巻く歴史エピソードを紹介している。
ある時は天下を取った武将、反して悲劇の武将、僧侶、学者そして市井の人々までその人物の生れ育った舞台やゆかりの場所、そしてその舞台となった史跡、神社仏閣、伝統文化そして風光明美な自然風景まで詳しく紹介している。
最近では2時間スペシャルで前田慶次、木曽義仲、空海などを興味深く見た。
またナレーターの石丸健二郎が良い。テレビでは時々小悪人を演じたりするが、その語りはしっとりとして落着きがあり、私たちをいつかその場に行きたいなと思わせてくれる。

 秋風の奥の細道訪ねみむ  英世

厚揚

先日のドライブの帰りに三瀬峠を下りたところの老舗豆腐屋で、ビールのつまみにと厚揚を買った。
此処の豆腐は脊振の地下水を利用した美味しい豆腐という触れ込みで、私も通るたびに豆腐となにがしかのものを買って帰る。
この日買って帰った厚揚は一度火を通すか冷たいまま食べるか少し悩んだが、まだ暑いということもあって冷たいまま生姜醤油で食べることにした。
これがまた冷たいビールと焼酎の水割りにぴったりの絶品で、ジャイアンツの勝ち試合を見ながらしばし晩酌を楽しんだ。
この日の夕べはたまたま家内が留守にするというので、久し振りに料理に腕を振るおうと張り切っていたのだが、結局は御飯だけを炊いておかずは家内が用意していてくれたもので済ませてしまった。それでもビールと厚揚は美味しかった。

 秋水をたつぷり含みし豆腐かな  英世

久し振りのドライブ

仕事や吟行にバスなどの公共交通機関を使うようになり、めっきり愛車を走らせる機会が少なくなった。
今月もこのままでは走行距離は200キロに満たないだろうと、バッテリーチャージの目的もあって急にドライブを思い立った。行先はこの前まで工事中で通行止めであった自衛隊との共有道路が復旧した脊振山頂である。
いつもなら麓から歩いて登るのだが、この日は暑い上にドライブが目的だからと勝手な理屈をつけて山頂まで車を飛ばした。
山頂の美味しい空気を吸いながらしばらく付近を散策した後、私は佐賀県側の三瀬方面へと向かった。こちらの林道から歩いて山頂を目指したこともある。
三瀬峠ではあえて有料トンネルを通らず三瀬の古い峠道を走った。道路はあまり痛んでおらず快調な走りであったが、ただ残念なことには旧道にあった茶店や私のお気に入りだったうどん屋が閉店していたことであった。
新しい有料道路が出来ると「道の駅○○」と言った大型店が出来、そこだけが駐車スペースを探さなければならないほど繁盛している。これも致し方ないことであろうか。
この日の走行距離は150キロであった。

 久々に秋の峠路疾走す  英世

一句の風景

食卓を継ぎ足す里の盆会かな

毎年お盆になると実家に7人兄弟全員が集まることを習わしとしている。
実家を弟に譲った私は、せめてもの長男の責務として一族全員を引き連れてお墓参りをして来た。
ところが年が経つにつれ兄弟はそれぞれ結婚し子供が生まれ、最近は孫、曾孫の数が数えきれないほどになってきた。天国の父母は自分の家系がこんなに賑やかになったかと喜んでいることであろう。
それでも人数が多いからと実家に集まることを欠かすことはできない。
一族全員が実家に集うと到底食卓一台で足りるはずはない。その時の賑やかな様子を詠んだ句である。
2013年(平成25年)8月「季題:盂蘭盆(秋)」

またまた唐人町吟行

今回の百年句会の吟行は句会こそ違えまたまた唐人町界隈で、河童の家族像の前が集合場所であった。
河童の像からいつもの五重塔を巡り刑場跡を巡るものだが、たった2週間ほどの時間の経過で、季節がこんなにも変るものかと驚かされた。
残暑とは言え日差しはやや和らぎ、蝉の声もクマゼミのあのけたたましい声の合間に柔らかな法師蝉の声も交じって来た。
いつも通る商店街はお盆の商戦も終り、売れ残った商品が格安の値段で売られていた。お盆の品も生鮮食料品と一緒で一夜明ければ哀れなものである。
そのような季節の移り変わりを感じながら詠んだ句の中から、例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 送火を焚く人も無き墓二つ  英世

2015081610300000.jpg 2015081610230001.jpg

Tシャツ

以前にもTシャツの起源についてお話ししたことがあるが、今日もそのTシャツの話である
夏休みもそろそろ終りに近づいてきたが、塾生は相変わらず猛勉強中でその塾生の服装は季節がら男性は半分近くがTシャツでる。
暇にまかせて彼等のTシャツを見ているとある面白いことに気が付いた。
昔はTシャツと言えばブランドの真っ白なTORYなどのシャツが主流であったが、今はさながら広告塔ばりにいろんな文字や絵柄が印刷されている。
主だったものでは定番のミッキーマウスからサッカーやバスケットボールの有名選手のナンバー、芸能人の顔、ハワイなどの観光地の名前、ネイチャー等々数え上げたらきりがない。中には塾生らしく檄文を染め抜いたものもある。
Tシャは今や動く広告塔としての役割と化しているのである。
ちなみに私のTシャツもブランド物を除けば、同様にアメリカバスケットボール選手の動く広告塔である。

 Tシャツのロゴに真夏の名残りかな英世

001_20150818064605543.jpg 002_20150818064608985.jpg

短パン

昨日は新素材の話をしたが、今日はその時一緒に買って貰った短パンの話である。
結論から言うとこんな快適なものはない。
長いサラリーマン生活の習慣から、夏でも長ズボンばかりでめったに短パンをはいたことはなかったが、今回の短パンだけは快適である。
あの辛口の家内までが「それって良いじゃない」と誉めたほどである。自分で買ってくれたくせに。
何が良いかと言うと短パンの長さがちょうど膝のところぐらいで、今までの短パンよりやや長いことである。
今までの短パンは膝丸出しの短いもので何となくスポーティであったが、今回は部屋着にも外で穿いても何らおかしくはない。これから本格的な秋が来るまで短パンとTシャツが私の定番となりそうである。
ただ問題もある。従来の短パンもそうだが、朝水やりをする時に蚊の集中砲火を浴びることである。こればかりは致し方なく水やりの時とか草取りの時は長ズボンで我慢するとしよう。

 短パンに目覚めし朝や秋涼し  英世

003_201508170742428ef.jpg

涼しいシャツ

涼しいシャツ
家内が夏涼しく抗菌防臭の下着なるものを短パンと共に買ってくれた。
宣伝文によればシャツは空気のように軽く心地良い。オールシーズン快適に過ごせる新肌着とある。確かに昨年あたりからテレビコマーシャルでもこの手のシャツのPRが目立つようになった。
私はもともとランニングシャツ派で、袖のある下着は着たことがなかったが、今回のシャツは袖付きとランニングシャツの二種類である。何となく微妙な感情にとらわれたが、折角家内が買ってくれたのだからと文句も言わず袖付きを着ることにした。
元来うさんくさいものや効能に対して疑り深い私は、果たしてどれほどのものだろうと半信半疑であったが、実際に着てみると確かに軽い。しかも肌触りがよく心なしか汗も吸い取ってくれるような気がする。
どうやらこれからはこの下着の虜になりそうである。

 新素材下着の中を秋の風  英世

004_201508160705502a4.jpg

動物園バス

2015080318220000.jpg
昨日は渋滞の高速道路を避けて山道を飛ばして実家のお墓参りをして来た。久し振りに実家の周辺を散歩したが、あまりの変化にどの家が誰の家だったか全く分からなくなっていた。
さて、私は仕事や俳句、遊びなどでほとんど毎日のようにバスに乗るが、このところ面白いバスによく乗る。
写真でお分かりのように西鉄バスが動物園の全面広告をして走り、車内の手すりの上には可愛らしい豹の赤ちゃんのぬいぐるみや象などを飾り付けている。
動物園で豹の赤ちゃんが誕生し、この赤ちゃんをつまりバスに乗って見に行こうと言う訳である。
このバスに乗ると、まるで自分が今から動物園は行くような気になるのだから、子供たちはさぞや楽しいに違いない。中にはこのぬいぐるみが欲しいと駄々をこねる子がいるかもしれない。
市営動物園がまるで西鉄バスの観光施設であるかのような宣伝ぶりであるが、この路線を走るバスは西鉄だけだから致し方の無いことであろう。

 夏休動物園はベビーラッシュ  英世

墓参

人によって墓参りは春秋のお彼岸やお正月、命日などそれぞれであると思うが、日本人が一斉にお墓参りするのはお盆の時期だと言うことで、墓参は秋の季題となっている。
御先祖のいない人間はいない。そのご先祖を偲ぶためにもお盆のお墓参りを欠かすことはできない。
墓参の前にはお墓の掃除をし苔を落とす。これも墓洗ふ、掃苔と言って立派な季題である。
我が家の墓は共同墓地に変ってしまったが、それでも堂の周りを掃除し個々のお墓の埃を落とすことに変りはない。
お墓に水をたむけ線香を立てて静かに手を合わせると、この父母がいて我があり、そしてその孫子がいることを感謝しない訳にはいかない。
そしていつしかその両親に話しかけていると言うのが私の墓参のスタイルである。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 まづ語りかけて小さき墓洗ふ  英世

天の川

今回の鴻臚句会の兼題は天の川と墓参であった。
歳時記によると、天の川はよく澄んだ夜空に薄雲のようにまた銀砂を撒いたように帯状に輝く星群とある。
科学的に説明されている天の川であるが、私はその天の川に出会を感じる。織姫伝説もそうだし鵲の架け橋のように、やはりロマンチックなイメージが離れない。もしかしたら両親の星もその中にあるかも知れない。
10年ほど前に高校の同窓会で久住高原に泊まったことがある。深夜宿を抜け出して漆黒の闇の草原に寝そべり眺めた天の川の美しさは、終生忘れることができないであろう。
その時に詠んだ「漆黒の闇の草原銀河濃し」と言う句で、伝統俳句インターネット句会で特選に入選しこともある。
この日に詠んだ天の川の句の中から特選句をご紹介しよう。

 銀漢や宇宙の果ての果て見たし  英世

腰痛

句友の皆さんに彼の死のこをお知らせしたところ、たくさんの人からお悔やみと共に入院中の彼の様子を聞いてきた。それほど彼が敬愛され、振り返って他人事ではないと思ってのことであろう。
朝から雷鳴と共に大粒の雨が降っている。亡くなった彼が降らせてくれた慈雨かもしれない。
ところで此処十日ほど右半身の腰痛に悩まされている。
当初は大したことはないだろうと、残っていた痛み止めを飲みながら様子を見ていたが、だんだんひどくなり右足のふくらはぎまでが痺れるようになり歩行に支障をきたすようになってきたので、このままでは16日の百年句会も無理かもしれないと、思いきって近くの整形外科を訪ねた。
医者はレントゲンを撮って一通りの診察をした後で私の日常生活に質問してきた。何時に寝ているか、熟睡してるか、エアコンは使って言るか、扇風機はと事こまかに聞いてきた。
私が寝るときのエアコンはタイマーで一時間、途中目が覚めたら窓を開けて扇風機だけだ素直に答えると、さっそくそれによる睡眠不足と脱水症状が原因だと言う。「寝るときはエアコンを28度に設定し、途中で絶対に切らず朝までつけること。扇風機は天井に向け人体に直接当てれないこと。この二つを実行すれば一晩で治る」という。念のため痛み止めと精神安定剤を今夜だけ服用してくださいと言うことであった。
結果夕べは久しぶりに熟睡し、翌朝は見事に腰痛が治っていた。睡眠不足と脱症が腰痛の原因になるなど信じがたいことであったが、インターネットにもそう書いてあった。そのほかにも睡眠不足は熱中症や脳梗塞の原因にもなると言われたら、高が睡眠不即と侮る訳にはいかなくなった。
ちなみに言って置くが、寝すぎも良くないらしい。「夜7時~10時は睡眠禁止帯」で脳がまだ活性化しているので無理して寝る必要はないと言われた。ちなみに私の寝る時間は9時半で、今回のことで自分が良いと思っていたことがすべて裏目に出てしまったことになる。

 秋風や吟遊詩人の足腰如何に  英世

一句の風景

裏面へと続く新聞原爆忌

八月になると各新聞とも広島、長崎に落とされた原爆の特集をする。
特に戦争や原爆に敏感なA新聞は第一面にそのことを取り上げ、戦争、特に原爆の悲惨さを伝えることで世界の恒久平和を訴えることを狙いとしていた。
時の政権への勧告も含めてその記事は延々と続き、とうとう裏面(2面)まで続くほどであった。
誰でも戦争が良いとは思っていない。どうにかして世界中が仲良く幸せに暮らせないかと模索しているのである。その平和への願望を込めて賜った句である。
2013年(平成25年)8月「季題:原爆忌(秋)」

句友との別れ

今日は朝から誠に残念な話をしなければならない。
と言うのは、私の長年の句友で最も信頼していた人が昨日の早朝亡くなったのである。享年71歳であった。
一昨日の夜にどうしても逢いたいとメールを貰い、入院先の病院にお見舞いに行ったばかりなのに、まさか翌朝に逝ってしまうとは予想だにしないことであった。
彼は私がシルバー人材センターの俳句の会「鴻臚」を立ち上げた時のメンバーで、私の片腕として何かと支えてくれた信頼に足る漢でまさに「男の中の漢」であった。彼の博識と多様な経験、行動力に何度助けられたことだろうか。
反面個人的には何かと分からないことの多い人だった。
信州生れで東京の一流大学を出た彼が、どのような経緯で福岡に来て何処で何をしていたのか全くしゃべらなかった。どこか人生を斜に見て達観しているような風でもあった。
敢えて尋ねれば答えてくれたかもしれないが、何となく質問しづらい雰囲気が彼の周りには漂っていた。人間しゃべりたくないこともあるのでと私はそれを黙って受け入れていた。
お見舞いの帰り際に「また来るからね」と言ったのに対し、「もう会えぬかも」と言った彼の言葉が彼独特のジョークと思っていたのに、まさか本当に最後の言葉になろうとは。神様は何とむごいことをするのだろうか。
彼がいなくなったことで俳句の会「鴻臚」の男性は先生と私きりになってしまったが、彼の功績に報いるためにもこの会をますます充実させますと安らかな寝顔に約束した。
君安らかに。合掌。

 秋風となりて逝かれし君のこと  英世

姪浜吟行

8月8日は早くも立秋、その立秋の前日はたんたん句会の吟行であった。
今回のたんたん句会は行き当たりばったりの吟行をしようと言うことで、全員福岡市西区の姪浜駅に降り立った。
この姪浜駅は福岡市営地下鉄の終着駅で、JR筑肥線(唐津方面行)の乗り継ぎ駅でもある。
姪浜の歴史は古く、神功皇后の帰港の地として記述があり、元寇の時代は最前線基地が築かれた。その後姪浜は福岡の西の中心地となって発展してきた。
その姪浜の街をあてもなく吟行するもので、このようなぶらぶら吟行は初めてであった。
それでも街を歩くと旧唐津街道特有の古い町並みや、如何にも由緒のありそうな寺、そこに咲く初秋の花々など気をつけて見れば句材は沢山ある。
特に臨済宗の名刹興徳寺の雄大な寺苑と大きな緑陰には、焼けつくような暑さから解放されしばし癒しのひと時であった。
汗をかきながら苦心惨憺して詠んだ句の中からこの日の特選句をご紹介しよう。

 今日までは夏のつばめとして飛べり  英世

002_2015080907152015f.jpg 001_20150809071525d00.jpg


またまた風呂の話

ある新聞のコラムを読んでいたら、「風呂に入って死んだやつはおるけど、風呂に入らんで死んだやつはおらん」という風呂嫌いの屁理屈が載っていた。
何故こんな話をするかと言うと、私の好きな俳優の一人加藤武がサウナ風呂で倒れ亡くなったからである。享年86歳。あの大声で早とちりする横溝作品での刑事役が忘れられない。
今さらこんなことを言っても仕方がないが、失礼ながら86歳にもなってサウナ風呂に入るとは、周囲はなぜ止めなかったのだろうか。役者魂と言えばそれまでだがやはり無謀ではなかったろうか。
家ではほとんど湯船に浸からずシャワーだけで済ます私だが、偶に行く温泉ではサウナ風呂にも入っていた。
これからはサウナ風呂は止めよう。ゆったりと露天につかりながら浮世の汗を流すことにきめた。

 露天湯に青き銀河を仰ぎけり  英世に

風呂の変遷

真夏にお風呂の話で恐縮だが、先日温泉に浸かりながら昔の風呂のことを思い出していた。
小学生のころまでは村に共同風呂があり、各家が持ち回りで沸かしていた。電灯はなく菜種油の灯明が唯一の明りで燃料は石炭であった。先日お話しした親戚の鍛冶屋も近くに共同風呂があった。
私はいつも祖母とその共同風呂に行くのが日課で、風呂では必ず祖母の背中を流してあげた。あげく近所からは感心な子だと褒められ止める訳にはいかなくなっていた。
その共同風呂も時代とともに閉鎖され各家に内風呂が普及した。
私の家の風呂は杉の木で作った桶型の石炭風呂で、その風呂が出来た時に思春期の姉たちがことのほか喜んでいたのを覚えている。交代で沸かすのが私たち子供の役目で、あの焦げるような石炭の匂いが懐かしい。
また、初めて五右衛門風呂に入ったのは家内の実家でのことであった。湯船の中に板が浮いており、私は家内から入り方を教わって入った記憶がある。
今は深夜温水器のユニットバスで、気が向いたことに入ることができるようになり、風呂にも一つの歴史があるものだなとつくづく思いながら温泉でくつろいでいた。

 汗流すシャワーの音の心地良く  英世

温水洗浄トイレ

朝からトイレの話で恐縮だが、今日は温水洗浄トイレの話である。
我が家は俗に言うオール電化住宅だが、その中で重宝しているのはキッチンやエアコン、TV・IT関連を除けば深夜電力温水器、ランドリー、温水洗浄トイレである。
温水器は好きな時にお湯やお風呂が使えるし、ランドリーは梅雨時の洗濯も苦にならない。そして一番のお勧めが温水洗浄トイレの快適さ、清潔さである。
温水洗浄トイレは外国観光客にも大人気で、今や日本のトイレの文化、常識となっている。
ところが常識となっているこのトイレで困ったことがある。
デパートやレストランなど民間の施設はほとんどこれが設置されているが、公共の役所や公民館、図書館、駅などには殆んど設置されて居らず、設置されているのはふくふくプラザなどの福祉トイレに限られている。
外出先で設置されていないトイレに出会うと我慢して他を探すことにしている。
役人はこの温水洗浄トイレをゴルフや高級装飾品のような贅沢品扱とし、その贅沢品に国民の税金の無駄遣いは出来ないとでも思っているのだろうか。
高齢者が増えていく日本で、このような考えはどうかと思うのだが。

 真夏こそ洗浄トイレの快適さ  英世

冬野八月号

冬野八月号が手許に届いた。いつものように掲載句を読みながら次回の兼題や行事予定に目を通す。例によってその他の入選句と併せてご紹介しよう。
なお、私が執筆している俳句エッセイ「吟行あれこれ」は博多埠頭であった。
冬野八月号
 紅薔薇や閨秀画家の白き指
 観世寺の撞かずの鐘や夕薄暑
 若葉してまだ新しき恩師の碑
 宝殿の馬頭観音若葉風
 牡丹の気だるき昼を散りにけり
 薫風や声にして読む万葉碑
 咲き揃ふことが踊子草らしく
 根切虫子の宿題を台無しに
 芍薬の昨日の蕾今日はもう
 燕の子既に序列のありにけり
 石庭の石の黙解く苔の花
 早乙女の巫女に戻りて薄化粧
冬野インターネット句会
 道問へば先に立つ子や雲の峰
 五月雨や神の阿蘇より筑後川
 色褪せてこその親しさ夏帽子
 連泊の山の匂ひの夏帽子
俳句ステーション
 負けてなほ糸を吐きゐる喧嘩蜘蛛
 医者の言いつも変らず梅雨寒し
 津波めく土用波来る熊野灘
 たかが蚊と思へど夜の修羅場かな(特選天賞)
愚陀佛庵インターネット句会
 田に映る富士を崩して田植唄

ママチャリ事故

バス停に立っていると反対車線の歩道でガチャ~ンと言う音と共に、幼児の火の付いたような泣き声が聞こえて来た。
見ると自転車が幼児を乗せたまま倒れておりそばで母親がわめき叫んでいた。歩道を走っているうちに、段差でもあったのか幼児を乗せたまま転んだことは明らかである。
近くにいた若い男性がすぐに抱え起してくれて大事には至らなかったようだが、それでも母親の胸で泣き続ける幼児に、念のため病院へ行った方がいいのではと思った。
自転車は俗に言うママチャリで、前方に荷籠の代りに子供を乗せるようになっているものである。
なかには前後に二人の子供を乗せた豪傑ママさんを見ることもあり、常日頃その不安定な形に不安を感じていたが、それが現実となったのである。
法律では座席が二つあれば二人乗りしても良いらしいが、こと幼児や赤ん坊となるとこれでいいのだろうかと考えさせられてしまう。
これがもし歩道ではなく通行量の多い車道であったらと思うとぞっとする光景であった。

 夏の昼自転車事故を目の当たり  英世

夏休の思い出

学校はいま夏休の真最中である。子供たちはそれぞれに休を楽しんでいると思うが、今日は私の子供の頃の夏休の思い出をお話しよう。
私は小学4年の頃から毎年親戚の家に10日ほど泊まりで遊びに行くのが常であった。
親戚は田舎の鍛冶屋でそこには私より年長の一人息子(実際は養子)がおり、その遊び相手に私が選ばれたと言うべきかもしれない。
一緒に寝て起きて昼は一日中遊ぶ。それも今時の子のように部屋でテレビを見たりゲームをしたりすることはない。
朝食が済むとすぐに釣り竿を持って近くの堀にでかける。獲物は小鮒が主で時には鯉や鮠、ナマズ、雷魚、鰻そして今は絶滅したと思われる淡水タナゴを釣ったこともある。
釣りに飽くとその堀に飛び込んで日が暮れるまで泳いだ。
また、雨の日は鍛冶屋の作業場で叔父の作業風景を見たり、近所の子供たちと神社で遊んだりして過ごした。
こうして田舎の大自然の中で夏休を過ごしたことが、今の私の心の糧になっているような気がする。

 夏休釣り竿一本あればよし  英世

八月の花ごよみ「白粉」

昨日は地域の夏祭りで手作りの神輿を担ぐ子どもたちの元気な声が響いていた。また。今年初めてのつくつくぼうしの鳴き声も聞いた。
さて、前にもこのブログで白粉(おしろい)の話をしたが、その白粉の花が夕方になると庭先にきれいに咲いている。
白粉には思い出がある。
前にもお話したことのあるイタリア旅行の折に、公園に咲いていた白粉花の種をポケットに忍ばせて持ち帰り、前に住んでいたマンションの庭に蒔いて咲かせた。本当はいけないことかもしれないがもう時効だから良いだろう。
同様に今の庭の白粉も近所に咲いていた白粉から、黒い種を分けて頂いて庭に蒔いていたもので、一年経った今きれいに咲いたのである。こちらはお断りしているので何ら問題はない。
夏の花の少ない時期に赤、白、黄の可憐な花を観ていると、母と姉たちがこの黒い種から白い粉を取り出し、顔に塗って遊んでいたことを思い出す。
もう遠い昔になってしまった。

 白粉や化粧自慢の姉妹  英世

 | BLOG TOP |  NEXT»»