九月が終る

関東・東北に大きな爪痕を残した水禍の9月が終った。
テレビで見ていると、旅で訪ねたことのあるあの美しい鬼怒川が決壊するとは思いもよらぬことであった。
あまり政治のことは言いたくないが、その自然災害をよそに国会は荒れに荒れて、とうとう安保法案を無理押ししてしまった。
安倍首相の言う戦争の抑止力になるのか、あるいは野党の言うように戦争への道筋なのか、私にはどうも後者のように思えて仕方がないのだが、
先の大戦では私の身内にも何人もの戦死者を出した。幼馴染や同窓生にも戦争で父を亡くした母親だけの友人が何人もいる。大陸から命がけで引き揚げて来た親友もいる。
永遠の平和は戦争なしでは得られないのだろうか。いずれにしても戦争には絶対反対である。

 秋風や国会周辺吹き荒るる  英世

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一句の風景

いつの世も恋は魔物よ西鶴忌

陰暦の8月10日は井原西鶴の忌日で、西鶴は近松門左衛門や松尾芭蕉と共に元禄文化の花形だった人である。
私が初めて西鶴を読んだのは中学二年の頃で、担任の先生に面白かったかと問われ、面白かったと素直に答えると、「色気が付いてきた証拠だな」と笑いながら喜んでくれた。
その時はぽかんとしていたが、人生を重ねるうちにやはり恋は魔物だなと思うようになって行った。
何故か中学の担任の先生が言った言葉が鮮やかに浮かんで来た。
2012年(平成24年)9月「季題:西鶴忌(秋)」

十五夜

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先日、月一切の句が兼題に出されてから、今年も十五夜を見たいものだと思っていた。
今年の中秋の名月は旧暦の八月十五日、つまり新暦の昨日九月二十七日である。
その名月を見ようとビールと団子を用意して近所の公園で月の出を待った。
午後5時50分、やや雲があるものの東の空の校舎の影から大きな月が出て来た。それにしても出て来たばかりの月がこんなにも明るく大きいとは。月に描きだされたうさぎの模様もはっきりしていて、かぐや姫伝説等を思い浮かべ何となく神秘的な気分になった。
ところが、しばらく見ているとその名月は何となくまん丸ではなく、下弦の方が少し歪んで見えた。
十五夜がいつも満月とは限らず、今年は明日が満月と解っていたこととはいえ、少し物足りなさも感じた。
それでも名月は名月である。
涼しい風を纏いながらビールを傾け、みたらし団子を頬張っているとだんだんと月見の気分になってくるから不思議であった。
周りでは虫が盛んに鳴いており、つくつくぼうしも秋を惜しむむかのように鳴いていた。

 名月の欠けたることも浮世かな  英世

筥崎宮吟行

お彼岸のお中日の23日に筥崎宮を吟行した。ここには何回も吟行したことがあるが、お彼岸に訪れるのは初めてである。
この日はやや雲が多いもののお彼岸らしい穏やかな天気で、筥崎宮は早くも七五三の家族連れで賑っていた。
また、秋分の日と言うことで神社では宮城(皇居)を拝する遙拝の儀が、神官の手で粛々と行われていた。この儀式を見るのは初めてであったが、日本の伝統の儀式が今も行われていることに歴史の奥深さを感じた
本殿に参拝した後は、近くの真言宗恵光院に周り、菩提樹の実やたわわに実る銀杏の大樹を見て筥崎宮花庭園を訪ねた。
庭園には秋の草花が今を盛りと咲き誇っていた。萩、桔梗とまるで七草のオンパレードである。
特に目を引いたのが萩の花で、園に一歩入るや否や路を塞ぐようにしだれ咲き、園を巡る順路に添って咲き連なっていた。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 園庭の順路といふは萩の路  英世

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愛莉と草むしり

愛莉が学校帰りに我が家に遊びに来た。
例によって宿題を済ませ、私の部屋で本を読みながら遊んでいたが、何を思いついたのか急に外に出たいと言い出した。
外に出て何をしたいのと聞くと、何と草むしりをしたいと言うではないか。
我が家の駐車場前の敷き詰めたコンクリートブロックの隙間に草が生えていることをちゃんと知っていて、その草を取りたいと言うのである。
愛莉は学校でも草花の世話や草取りが好きで進んでしていると言う。さらに愛莉の家はマンションなので草取りが出来ないので、お爺ちゃんの家で草取りがしたいとのことであった。
私は愛莉と二人で隣の娘の家と併せて4台分の駐車場の前の草取りをした。併せても大した広さではないので簡単に済んだが、それでも愛梨は満足そうであった。
私も家内も農家出身だし、愛莉の母方の祖父も薔薇を育てたり、野菜を作ったりと畑仕事が趣味なので、もしかしたらその血が流れているのかもしれない。

 秋草や愛莉の夢は農学部  英世

主基斎田跡吟行

今回の百年句会吟行は福岡市早良区の「主基斎田跡」とその周辺を巡るものであった。
主基斎田跡の吟行は前にも行ったし、その折り主基斎田の謂れも紹介したと思うが、記憶に間違いがあってはいけないので改めて調べてみた。
主基斎田(すきさいでん)とは. 天皇即位式典の大嘗祭に供奉する新穀を栽培する田のことで、昭和天皇即位の際にこの早良の地(脇山地区)が選ばれた。その際に踊った舞いが豊作祈願のための「お田植え舞」で、現在も地元の人々によって継承されている。
現在は「大嘗祭主基齋田碑」と記された記念碑があり、今は脇山中央公園として整備されている。
その主基斎田跡を始め稲穂のなびく田んぼ、そして焼けるように咲き乱れる彼岸花を愛でる伸び伸びとした吟行となった。
この日は絶好の秋日和で熟れた稲穂の匂いが風に乗って漂い、畦には彼岸花が咲き農家出身の私には懐かしい風景であった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 空高く集ひ帰燕の会議かな  英世

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月一切の句

またまた月一切が兼題であった。
私は月に5ヶ所ほどの句会に出席しているが、そのうちの二つの句会が兼題での句会である。
偶々その二つの句会で同じ兼題が出されたもので、出題者に何の意識も意図もない。
出題者も冬の雪、春の花に対し、秋の月のうつくしさ、さやけさを好んで兼題として出されたのであろう。
今日は満月前の美しい月が出るはずである。仕事の帰りには空を仰ぎながら、少し欠けたその月を愛でながら夜道を帰るとしよう。
その美しい月を詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 見え隠れしつつ隠れし月なれど  英世

秋の灯

今回の硯潮句会の兼題は秋の灯と月一切の句であった。
漢詩の「灯火したしむべし」の一節から生まれた季題で、秋の夜の灯火のことである。
秋の灯は春の明るく艶な感じの灯と違って、何となくなつかしく落付いた感じがする。
秋の灯には「灯火親し」とか「秋灯下」と言った傍題があるが、これは秋涼の日が続き夜も長くなると読書に親しむようになることから生まれた季題で、どこか読書の秋にも通じる。
そう言った意味では灯火親しは秋の灯よりも、より人の心の通った季題のような気がする。
進学塾で毎日遅くまで勉強している塾生を毎日のように見ているだけに、この秋の灯がより以上に親しく感じられてならない。
例によってこの日入選句をご紹介しよう。

 秋灯や学徒の小さき単語帳  英世

敬老の日

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父の日でもなく母の日でもない、ましてや二人の誕生日でもないのに、敬老の日だからと息子が魚沼産コシヒカリとお菓子をプレゼントしてくれた。しかも熨斗にはお祝と書いてある。
私たち夫婦はまだまだ元気で敬老される年齢ではないと思っているが、息子たちからすればもう十分に長生きしてくれたと思っているのだろうか。
それにしてもお祝の品がコシヒカリとは。息子曰く「たまには美味しい御飯でも食べてくれ」と言う。
いつも安物のお米を選って買っているのを見透かされたような気分であったが、もしそうだとしても素直に有難うと言わねばなるまい。
20日の夜は息子と隣に住む娘の家族全員揃って我が家で食事、そして昨日21日は孫の愛莉の希望で香椎花園に遊びに行った。愛莉と妹の菜々美と遊戯具の乗り物に何度乗ったことだろうか。
また、私と家内にそんなつもりはなかったのだが、夜は寿司屋でこれまたすべて息子夫婦にご馳走になった。何と言っても息子のお嫁さんの配慮に感謝感謝の一日であった。
思わぬハプニングの連続であったが、爺としてはこれよりの幸せはない敬老の日だった。

 己が歳わざと忘れて敬老の日  英世

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一句の風景

おもむろに手で拭く露の床几かな

近くの公園に散歩に出かけた時の句である。
運動公園にもなっているその公園は、一日中子供たちの声が絶えることはない。
それでも朝の静かな時を狙って散歩する訳だが、いつも座るベンチが何か少し違った色に見えた。近くによって見てみるとそこにはうっすらと露を置いていた。
その露を手で拭き座ろうとしたがまだ湿っている。止むなくハンカチで拭いて座ったが、もうこのような露が降りる時期になったのかと感慨深く思ったものである
2012年(平成24年)9月「季題:露(秋)」

古庄増實の句集「四温晴」

半年ほど前に亡くなられた古庄増實氏の句集「四温晴」を奥様(私の句友)から頂き、早速読ませていただいた。
彼との面識はあまりないが、太宰府天満宮の「菊まつり俳句大会」などで、御夫婦仲むつまじく参加なされていた時のことをよく覚えている。
この句集は彼が生前新聞俳句などに投稿して入選した句や、各地の俳句大会で入選したものを選って編集されている。
中には九州ホトトギス俳句大会、NHK俳句での入選作品などもあり、彼の幅広い活躍ぶりが偲ばれる。
句集を読ませていただいたら感想文を書きますと約束していたので、このブログを借りてそれに代えることにしたい。
佐賀県基山を終の棲家と決め、風土を愛し、自然を愛し、特に土に親しむ彼の生き様とそこから生まれて来る俳句は、まさに伝統俳句・花鳥風詠そのものの素直さ実直さがある。
郷土の土を愛した彼の気取らない俳句は、大地に根を下ろし実際に経験したものにしか詠めないもので、その句風は私のこれからの俳句人生に少なからず影響を与えることであろう。
死の三時間前まで俳句を詠み続けられた彼の気力に驚きと敬意の念を隠せない。その絶句を紹介してご冥福を祈るとしよう。

 曼珠沙華人影うつる四方の光(かげ)  増實
 土の香をこよなく愛し秋に逝く     英世

同窓生の展覧会

幾度かお話ししたことがある私の同窓生に絵の上手な女性がいる。
その同窓生の絵が福岡県美術展覧会に入選し、県立美術館で展覧会があるのでと招待を受けた。私に絵を描く才能はないが素晴しい絵画を見ることは大好きである。
日本舞踊の名取でもある彼女の水彩画はこれまでも様々な展覧会に入選し、東京上野美術館に展示されたこともある。
今回も彼女の解説を聴きながらの観賞だった。
娘さんのバイオリンの稽古(私の想像)の合間に庭をながめると、柵越しにきれいな百合の花が咲いていた。今回の作品は部屋にそのバイオリンを配しそのバイオリン越しに見た庭の風景である。
彼女の好きな構図であり、好みの白とブルーがふんだんに使われていた。
同級生にこのような才能のある方がいると言うことは私にも大きな励みであり、私も負けないように俳句やエッセイなどに精進しなければと思っている。

 友の絵に美術の秋を噛みしめり  英世

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句友を偲ぶ会

先月、俳句の会「鴻臚」の句友が亡くなった話をしたが、その偲ぶ会を先日の句会の後で開催した。
鴻臚発足時からの功労者であっただけに、彼の死は会長の私にとっては大きな痛手であったが、事実を否定することはできずただ静かにご冥福を祈るだけである。
彼の死については先生や句友全員に速やかに通知し、9月の例会の後で「偲ぶ会」を実施する旨連絡していたので、この日は全員出席で賑やかな偲ぶ会となった。
机上に遺影とお花を飾り、全員で黙祷した後に私がお別れの言葉を読み上げ、彼の遺徳を偲びご冥福を祈った。
また、先生を始め全員が彼を偲んで弔句を詠み、遺影に供えて彼への感謝の気持ちとした。
いつまでもくよくよしていても仕方がないので、献杯の後、彼のエピソードなどを語りながら酒宴を開き、最後はカラオケ大会であった。

 秋風や信濃の空は如何ばかり  英世

月一切の句

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今回の鴻臚句会の兼題は月一切であった。
雪月花に代表されるように、日本人にとって月は詩歌に欠かすことのできない題材で、古くより名句が詠まれて来た。
月は一年中見ることができるが、四季の中で秋が一番さやかに見えることから、秋の季題となったのである。
この月を頂いた季題は多く、代表する満月や三日月のように目に見える月から、新月あるいは雨に隠れた雨月まで様々である。また月夜や月白、月の秋と言ったように月そのものではなくその雰囲気を偲ばせる季題も多い。
今回は月一切と言うことなので月であればどんな月でも良い訳だが、春の月や梅雨の月など当季以外の句は感動が薄くなるので季節は考える必要があろう。
その月の句の中からこの日の特選句をご紹介しよう。

 月白や逝きし友の名詠んで見る  英世

鯊釣

鯊は体長20センチぐらいの海の魚で、淡水魚のドンコやカジカによく似ていて、口が大きくどことなく愛嬌がある。
ホトトギス歳時記では鯊そのものと鯊釣の二つが秋の季題になっているが、今回の兼題はそのうちの鯊釣であった。
鯊は浅い海や河口に群れる習性があり、秋の彼岸ごろが一番よく釣れる。簡単な仕掛けで釣ることができるので、親子連れが川岸に並んで鯊を釣っている風景をよく見かける。
私も息子を連れて博多湾に流れ込む室見川の河口で、よく鯊釣りを楽しんだものである。
また、舟釣りも盛んで東京湾では屋形船を仕立てて、釣った鯊をその場で刺身やてんぷらにして食べると言った風流な遊びもあり、会社の同僚と楽しんだのが忘れられない。
その風流な鯊釣りを思い出しながら詠んだ句の中からこの日の特選句をご紹介しよう。

 鯊舟にをみなの声の弾けけり  英世

師碑の草を取る

先日、久し振りに天神水鏡天満宮の恩師の句碑を訪れたところ、あまりの草ぼうぼうに愕然となった。
神社そのものは神主さんが掃除しているようだが、句碑周りの草までは追いつかないのだろう。
これではあまりにも句碑が可哀そうだし、第一弟子として恥ずかしい限りである。
と言うことで、昨日は句碑の前の草を取り周りを掃除した。時間が迫っていたので全ての草を取ることは出来なかったが、句碑の前に箒目を立てると、いくらか見られるまでにきれいになった。次回もなるべく早く草取と掃除をすることにしよう。
実は二ヶ月ほど前の吟行やその後訪ねた時も少しばかり草を取ったが、草の伸びるのは早いものでもうぼうぼうとなっていた。
これからも訪れるたびに少しずつ草を取り、出来るだけきれいな句碑にしたいと願っている。

箒目の句碑爽やかに在しけり  英世

電子辞書

昨日は書けない漢字のことをお話ししたが、今日は意味のわからない言葉の話である。
私は月に何回か福岡市総合図書館に行くことにしている。この日も朝から図書館で俳句関係の本を読んでいたところ、解らない言葉に出会った。
早速バッグを開いてみたところ、何と電子辞書を忘れているではないか。図書館で本を読む時にはこの電子辞書がないと全くお手上げである。特に歴史本や俳句関連の本を読むときは専門用語が多く、この電子辞書が唯一の頼りである。
さらに本を読み進んで行っても何となく興が乗ってこない。
図書館の駐車場が有料制(2時間は無料)になったこともあって時間前にさっさと切り上げて帰ることにした。
それほど電子辞書は今の私にとっては携帯電話以上に大事なものになっている。

 電子辞書音なく開く秋燈下  英世

漢字が書けない

昨日はきれいな字の話をしたが、今日は漢字が書けない話である。
私は日常パソコンを多用し文章や手紙を書いているが、どうしても自筆でなければならない時がある。
その際、文字が綺麗かどうかは別にして手許に辞書がない場合が悲劇である。
俳句を嗜んでいることもあって日本の漢字はほとんど読めるし意味もわかると自負しているが、それがいざ書くとなるとなかなか出てこないのである。
読める漢字が90%あるとすればおそらく書ける漢字は50%ほどではなかろうか。その証拠に俳句を書く時にはどうしても電子辞書の手を借りることになる。
パソコンの自動変換に慣れ切った今、私の脳は悩の字になるほど腐りきっているのかもしれない。

 秋燈下出て来ぬ文字にいら立ちぬ  英世

書き方

孫の愛莉が書き方教室に通い毛筆と硬筆を習っていると言う。
そう言えば私のあまりの悪筆を見かねた母が、小学五年の頃書道教室に通わせてくれたことがある。2年ほどで止めてしまったからという訳ではないが、一向に上達しないまま今に至っている。
昔は読み書きそろばんとよく言ったもので、国語と算数が教育の基本だった。特に字のきれいな人は尊敬に値した。
ある時私の句を筆耕の専門家に色紙に書いて貰ったところ、ある人が「句はともかく色紙の字が素晴らしいですね」と言われた時は少し複雑な思いであった。色紙のきれいな字を見ると句の良し悪しよりもそちらの方につい目が行ってしまうのかもしれない。
愛莉もこのまま書き方教室に通い続け、きれいな字で爺の俳句を色紙に書いてくれるようになったらと思っている。

 硯海に露を垂らして五七五  英世

高齢者運転講習

公安委員会から「高齢者講習」なる案内が届いた。
70歳以上で運転免許更新する場合はこの講習を受けなければならないことは知っていたが、自分がもうそのような年になったことに一抹の寂しさを感じた。
と言うことで、近くの自動車学校でその講習を受けた。
講習内容は視力、視野、夜間視力、運転適性、実技の検査であった。自動車学校のコースを走るのは免許取得の時以来で、何となく走るのが楽しかった。
結果は「あなたの本検査による機能は全般的にやや優れています。また非高齢者(30~59才)と比較しても平均的です」とあった。無事故無違反歴40年のキャリアがものを言ったのだろう。
しかし、検査結果が良好だったとは言え、体力と反射神経の低下は免れず、これからはより以上に慎重な運転に努めなければなるまい。
それにしても講習料が5600円とは。どのような根拠で決まったのかは知らないが、あまりにも高すぎはしないだろうか。

 村祭愛車飛ばしてははそはへ  英世

一句の風景

露けしや母の遺愛の桐箪笥

実家の玄関を上がった廊下にその古めかしい箪笥はあった。
聞けば母の遺愛の箪笥で、母の死後、弟の嫁が捨てるに忍びないとそのまま置いているという。
今時何でも捨ててしまう人が多い中で、その嫁の心遣いを有り難く思った。
ところがよく見るとその箪笥は私が知っている母の箪笥と違うような気がした。母の箪笥は濃い茶色の重厚なものであったが、その箪笥は白木造りである。
聞けば、母が亡くなった後箪笥屋に頼んで桐の白木を削り出したのだと言う。
こうして母の箪笥はまた新しい命を吹き込まれたのであるが、果たして天国の母はどう思っているだろうか。
2012年(平成24年)9月「季題:露(秋)」

3ナンバーお断り

昨日、仕事先の進学塾に「センター試験まで130日」の掲示があった。塾生もいよいよ受験モードに突入する。
さて、先日福岡市中心部の某ホテルで、久し振りに写真のような3ナンバー駐車お断りの看板を見た。30年ほど前にタイムスリップした感じである。
昔の3ナンバーと言えば超大型の乗用車で、キャデラックやベンツ、シボレーのような外車のイメージが強く利用者もかなり限定されていた。それだけにその筋とのトラブルを避けるためにやむを得ずお断りの看板を出していたところもある。
最近になって規格が変更され、車体が一定の大きさ以上又は車体が小さくてもエンジンが2000cc以上の車は全て3ナンバーとなり、街中では3ナンバーが目立つようになってきた。ちなみに私の愛車も3ナンバーで比較的大きい方だが、今まで駐車場で断られたことはない。
駐車場側が規格の変更に気がつかなかったのか、あるいは無用なトラブルを避けるために、そのまま3ナンバーお断りの看板を出し続けているのか定かではない。
やはり駐車規制の看板を出すのであれば、はっきりと車のサイズを示しそれ以上の大きな車は駐車お断りとすべきではなかろうか。比較的ポピュラーなホテルの駐車場だっただけにそのように思ってしまった。

 秋風の阿蘇路を駈ける愛車かな  英世

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庭の彼岸花

昨日の朝、秋雨前線の切れ目を縫って庭の草取りをした。
秋とは言えまだまだ夏の気配が強く、蚊に刺されながら汗だくの奮戦であった。
とは言え庭がきれいになったのを眺め、シャワーで汗を流すと一段とすっきりした気分になる。
また、草取りをしていて良いことに出会った。と言うのは、庭に植えていた彼岸花がきれいに咲いていたのである。
この彼岸花は筥崎神宮の花庭園で球根を頂き庭に植えていたもので、多分彼岸花の仲間の「リコニスニアホワイト」と言う花ではないかと思われる。
夏の花が終わりややさびしくなっていた庭にひときわ輝いて咲いている彼岸花を見ると、よくぞ咲いてくれたとお礼を言いたくなった。

 我先と背筋伸ばして曼珠沙華  英世

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U18

このところプロ野球に少し厭くと言うか興味が薄れていたが、そんな折に新鮮な野球に出会った。
それは先ほど開催された野球の「U18ワールドカップ」である。
U18とは別に野球に限った訳ではなく18歳以下の年齢制限のことで、その一つがこの野球ワールドカップなのだ。私にはそのU18野球が新鮮に感じられた。
何が新鮮かというと若人の伸び伸びとしたプレーで、そこにはプロ野球には見られないスピードがあった。若さがあった。真剣さがあった。
その中には甲子園で活躍した選手だけではなく、不運にも甲子園には出場できなかった選手も含まれ、それぞれ大活躍していることが嬉しい。
日本チームは一・二次リーグを全勝で突破し決勝に駒を進めて、宿敵アメリカと決勝戦を戦ったが、やや若さが出て惜敗した。
勝敗は別にして、彼等の若々しいプレーに久し振りにすっきりした気分であった。

 若さとは夢のスピード野分立つ  英世

たんたん句会

この日は朝から靄がかった天気であったが、間もなく晴れて絶好の秋日和となった。
そんな秋日和の中、今回のたんたん句会吟行は美術館に集合し大濠日本庭園から護国神社を巡るコースであった。
舞鶴公園や大濠公園、日本庭園は過去に何回も吟行したが、護国神社吟行は初めてである。
かつて住んでいた大濠の家に近かったこともあって、子や孫の宮参りや七五三、初詣と何かとお世話になった神社でもある。
日本庭園では碧く澄みきった秋の水に鯉の稚魚が列をなして泳ぎ、その上を赤とんぼが急反転しながら飛んでいた。また、掃き清められた護国神社では静寂の中に深々とした神々しさが漂っていた。
今回のコースは何処に何があるか隅から隅まで知っている所ばかりであるが、いつも言っているように季節と共に自然は移ろう。そこには必ず何か新しい発見があるはずだと全神経を研ぎ澄まして句材に挑戦した。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 締め直す靴紐にある秋思かな  英世

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冬野九月号

冬野九月号が手許に届いた。例によってその他の句会の入選句と併せてご紹介しよう。
今月の俳句ステーション特選二席の日焼の句では、選者の星野高士先生より「これは誰でもそうであろう。日焼けというと野球、ゴルフ、テニスなど屋外のもの。いや農作業かも知れず、広がりのある一句」との評を頂いた。
なお冬野に執筆中の今月の吟行あれこれは「悠久の筑後川、大川・柳川」であった。
冬野九月号
 万葉の里に明るく田植唄
 降りさうで降らぬ夕暮花樗
 作務僧の声に追はるる羽脱鳥
 里山に祀る龍神椎の花
 水滴の星の煌めき蜘蛛の糸
 椎の花匂ふ炭焼窯の跡
 雨蛙とは晴れゐても鳴くものよ
 伝統の浜の朝市紫蘇の束
 故郷の泥の匂ひや泥鰌鍋
 万緑の一揺れも無き亭午かな
 雨垂れを紡ぐや梅雨の鎖樋
冬野インターネット俳句
 新墓碑に縋り哭きゐる秋の蟬(初見主宰選)
 牛の餌に七草彩を添へにけり
俳句ステーション
 雲水の階に憩へる炎暑かな
 思ひ出を遺影の父と夏座敷
 爆竹の弾ける音や夜店立つ
 好きなことなれば日焼も気にならず(特選二席)
愚陀佛庵インターネット俳句
 滝音も水も砕けて落ちにけり(特選二席)
太宰府市俳句ポスト入選
 淡々と叩く木魚や蟻地獄

ちゃあちゃん

家内が私と結婚したのは二十代の極めて早い時期で、一年後には長女が生まれた。
その後娘も母親とほぼ同じ年頃で結婚しすぐに孫の鈴花が生まれたので、家内は四十代始めでおばあちゃんになってしまった。
ところが孫の鈴花が生まれた時に、私が迂闊にも「君もおばあちゃんだね」と言ったものだから目を釣り上げて反発してきた。事実はそうであっても絶対に受け入れられない言葉だったのだろう。
その後初孫の鈴花がやっと言葉を発するようになって、家内のことを喃語ながら何と「ちゃあちゃん」と呼んだのである。多分お母さんが言葉にならず私たちには「ちゃあちゃん」と聞こえたのであろう。
家内は喜んでこれから私は「ちゃあちゃん」と大はしゃぎしていた。
それ以来我が家ではちゃあちゃんが彼女の呼び名で、その後生れた愛莉もちゃあちゃんと呼んでいる。
ところがある時テレビを見ていたら、ある地方では母や祖母のことをどうしたことか「ちゃあちゃん」と呼ぶことが分かった。
偶然とはいえ不思議なことがあればあるものである。

 祖母と言うにはまだ若し秋桜  英世

俳人とは

俳句を始めて間もなく15年になろうとしているが、このところ自分は果たして俳人と言えるだろうかと考えるようになった。
俳句を嗜むと言っても全国的な大結社に所属している訳でもなく、ましてやその同人になる気などさらさらない。もちろんそこまでの才能もない。
他にすることも多く、そこまで俳句にのめり込みたくないと言うか、縛り付けられたくないと言うのが本音かも知れない。
でも、俳句は楽しみたい。
よく言う話だが、もし俳句と言う趣味を持っていなかったらと思うとぞっとする。
お金のかかる趣味は金の切れ目と共に長続きしないだろうし、体力のいる趣味はいずれ向うから敬遠されてしまうだろう。やはり私の居場所は地方結社のこの俳句にしかないようである。
俳人にプロとアマがいるならば、私はさしずめ永世アマ俳人と言うことであろうか。

 野に山に俳句に遊ぶ放屁虫  英世

仲秋の花ごよみ「黄花コスモス」

実家からの帰りに早良方面を走っていたら一面のコスモス畑が目に入り、しばし車を止めて散策を楽しむことにした。
咲いていたコスモスは黄花コスモスの一種と思われるが、純粋な黄色ではなく少し茶色がかった静かな色の花である。インターネットで調べて見たが全く同じ色のコスモスは見当たらなかった。
もしかしたらコスモスの形はしているがコスモスの仲間で別の花なのかもしれない。
この花には懐かしい思い出がある。
母が亡くなったのが8月16日、村の墓地の周りにこの黄花コスモスが寂しげに咲いていた。
今年お墓参りをした時も同じようにこのコスモスは咲いていた。だが母が亡くなった時のような鮮烈な印象はなかった。
この黄花コスモスは何故か浄土の花のような気がしてならない。

 コスモスやその寂しげな顔が好き  英世

九月に入る

今日から九月、七草の季節である。
春にも七草があるが、俳句では頭に春をつけるか字を変えて七種としなければならない。
野山には春から夏、秋にかけて様々な草花が咲き乱れるが、その花に面白い季題がある。
高山で雪の解けるのを待って一斉に咲く草原のことを「お花畠」と言って七月の季題になっている。しかも「お」が付かないと季題にならないと言うのが面白い。
一方、秋草の色とりどりの花が咲き乱れる高原や草原のことを花野と言い、これは九月の季題となっている。
爽やかな空気の下で足取りも軽く歩く秋の花野は山男冥利に尽きる。
また、家内から教わったのだが、この七草には語呂合わせがある。
即ち「をすきなふくは」で、「を」は女郎花、「す」は芒、「き」は桔梗、「な」は撫子、「ふ」は藤袴、「く」は葛の花、そして最後の「は」は萩の花である。
七草もこうして覚えると楽しいし第一覚えやすい。

 七草やをすきなふくはの語呂合はせ  英世

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