十二月が終る

今日で一年納の12月が終わる。
大掃除も晴天に恵まれた昨日大方済ませているので、余裕の年の暮れである。
それにしても、この12月は本当に忙しかった。通常の月の1.5倍ほど働いたかもしれない。句会も通常通りに参加した。
そんな中で、この一年を振り返ってみると、なんといっても健康であったことに感謝しなければなるまい。
風邪をひくこともなく、また持病の大腸憩室炎も発症することなく日々を楽しく過ごすことができた。
ただ、残念だったのは後半腰を痛めて大好きな山歩きができなかったことである。散歩も低い鴻巣山や油山のふもとは散策したものの、本格的な山歩きはできなかった。
ホームコースの油山、そして馴染みの脊振山系と夢にまで出てくるほどであった。
来年は早く腰を直して、待ってくれている山々に挨拶に行くとしよう。
明日はいよいよ平成28年の夜明け、一体どんな年が待っているだろうか。
皆さま、良い年をお迎えください。

  ユトリロを切り取り捨つる古暦  英世

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私の10大ニュース

いよいよ押し迫ってきた。
恒例に従い、私の今年の10大ニュースを振り返ってみた。
今年は幸か不幸か大した問題もなく、平々凡々と過ごせたことに感謝したい。
1)一年間風邪もひかず憩室炎も発症せず健康であったこと
2)家族全員健康で何の問題も起きなかったこと
3)月間俳誌冬野に「吟行あれこれ」を一年間執筆したこと
4)鴻臚句会が通算百回を迎え、記念吟行でオープントップバスに乗ったこと
5)シルバーだより編集委員になったこと
6)進学塾の仕事を一日も休まなかったこと
7)腰痛を患い後半はほとんど山を断念したこと
8)俳句の会「鴻臚」句友、小林奇遊さんを亡くしたこと
9)自動車免許の高齢者講習を受けたこと
10)行きつけの黒田天狗が閉店したこと

  妻のあと籠持ち歩く年の暮  英世
 

一句の風景

なほ残る彩をたたみて山眠る

山眠る、山笑うと言った季題は山好きの私にとって欠くことのできない季題である。その山眠るを詠った句である。
九州の山を見ていると季節感がおかしくなる。
全国的にはとっくに冬の山になっているのに、九州の山はまだまだ元気で、油山の紅葉などは十二月上旬が一番美しい。
その紅葉もいよいよ最後となった山を愛情込めて歩いていると、山肌のところどころにまだ紅葉の面影が残っている。
やがてその色も失せて、つまり色をたたんで本当の冬の山になるのである。
2012年(平成24年)12月「季題:山眠る(冬)」

悔しかった話

このブログで西鉄バスのグランドパス65を活用し、時折ミステリーバス旅を楽しんでいるとお話したが、そのグランドパスでいかにも悔しい思いをした。
いつものように仕事でバスに乗ろうとしたら、あるべきはずのグランドパスが見当たらない。探している暇はないので、とりあえず飛び乗ってバスの中で探すことにした。
いつもは紐を通してバッグに結び付けているのだが探しても探しても見つからない。
ふと、二日ほど前に別の用事でバスを利用したことを思い出した。その時使ったバッグはハンドバックで、いつも仕事に使っているこの日のビジネスバッグとは別のものである。
つまり、そのハンドバックにパスを入れたままにして入れ替えるのを忘れてしまったと思われる。
結局この日は現金で往復460円也を支払う羽目になってしまった。
グランドパスはあとで無時出て来たから良いようなものの、何となく悔しくて悔しくて仕方がなかった。
ミステリーバスなどに使った罰かもしれない。

 年の瀬や頓に忘れつぽくなりぬ  英世

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恩師の句集

俳句を始めてこの年末で16年目を迎えるが、一向に上達しない自分に少々苛ついて、「炭」の句に咬みついたりしている。
こう言う時は初心に帰れと、初めて俳句の手ほどきを受けた恩師の句集「初鏡」を読んで見た。
恩師とは故熊谷恭世先生と言ういつもお話ししている料亭「ひしむら」の現大女将のご母堂のことで、私が俳句を始めたのを機に頂いた句集である。
もちろん私の書架に句集なるものが並んだ最初の本である。
開いて見ると、栞の代りに先生の手折られたと思われるページの折り目が残っており、妙に懐かしく思えた。
また、そこには難しい文字や語彙に私の字で丹念に振り仮名をつけ、余白に意味を書いている。その数や一ページに一つぐらいの多さである
今読んで見ると俳句を嗜んでいるものなら当たり前の言葉ばかりであるが、当時の私には難解で分かりにくい言葉だったのだろう。
その振り仮名を見ているうちに私も15年間の進歩が、少しはあったのかもしれないと妙に安心して来た。
これを機にまた俳句に精進するとしよう。

 仮名付けて繙く句集冬温し  英世

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薄着の勧め

私は元来暑がりなのか薄着で通してきた。現在も年寄りの冷や水ではないが薄着に徹している。
具体的には肌着の薄さである。冬の今でも肌着はランニングシャツとステテコ、その上に何も重ねていない。つまりカッターシャツやポロシャツの下はランニングシャツ一枚、ズボンの下はステテコ一枚である。
本格的な寒さがやってきたらシャツの上にセーターを羽織ることにしており、下着を長袖や厚手のものにしたり重ねたりすることはない。
また襟元を締めることが大嫌いで、万やむを得ない場合を除きネクタイは締めないことにしている。それなのに家内は時々ネクタイを買ってくる。
薄着が必ずしも健康とは言えないかもしれないが、私にはそれが定着しているので、これからもこの薄着を通すであろう。
と、そんなことを思っていたら、息子から遅ればせながらと誕生祝が届いた。何とブランド品のマフラーであった。果たしてどうしたものだろうか。

 雪の朝薄着は吾の健康法  英世

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愛莉とクリスマスデート

孫の愛莉は今小学校三年生で昨日は二学期の終業式があった。
終業式だから当然午前中で帰ってくる訳だが、母親が愛莉の妹の菜々美とお出かけのため、私が愛莉の面倒を見ることになった。
丁度正午ごろ愛莉は元気に我が家にやって来た。まずはクリスマスのプレゼントを渡して、通知表のチェックである。
あまり変わりばえのしない成績であったが、私は良かった点や良くなった点を一生懸命褒めてあげた。
さて、お次は昼食である。私は近所の行きつけの寿司屋に行こうと誘ったが、愛莉は回転ずしが良いと言う。しかもお店まで指定して。
言われるままに指定された回転ずしに行くと愛莉の狙いがわかった。その店はお皿5枚で抽選があり、当たると景品が貰えるからである。
愛莉は三度目の抽選で大当たりが出て妖怪マグネットをゲットした。と言うことは二人で15皿以上食べた計算になる。
子供を狙っての商魂たくましさに、どう言ったらいいのか何とも複雑な気分であった。

 クリスマス愛莉と寿司のランチかな  英世

河豚の煮凝

一昨日は昔の仕事仲間9人で忘年会をした。
場所は鮮魚市場会館内の小料理屋で、料理は河豚コースであった。
ところがその河豚料コースで珍しいものが出てきた。付き出しの酢牡蠣の次に出てきたのが何と真っ白に透き通った宝石のような煮凝であった。
俳句の季題にもなっている煮凝はふつう青魚が多く赤茶色に濁っている。ところがこの煮凝は透き通っているではないか。それもそのはずで河豚の身や皮で出来ていたのである。
あまりの美しさに口にするのをためらいしばらく見惚れていたが、腹を決めて食べることにした。何しろ煮凝だから時間を置けば溶けて中身だけになってしまうからである。
長年口卑しくいろんなものを食べてきたが、正直河豚の煮凝は初めてでその味たるや上品で美味しいことこの上なかった。
そのあとは定番の河豚の鰭酒で浮世をさまよいながら、河豚刺から河豚のから揚げ、河豚ちり、雑炊と年末の一夜を河豚三昧で楽しんだことは言うまでもない。
今日の句は芭蕉の河豚の句をもじって詠ませてもらった。

 河豚食つて何ともなしや今朝の夢  英世

写生句とは

今日は写生句について考えてみよう。
虚子に客観写生と言う言葉があり、いろんな俳句手引き書でもそのことについてページを割いている。
対象物を一心に見よとか、対象物の方から何かを語りかけて来るなどの表現で、客観写生の重要性を説いている。
ところが「炭」の兼題がでた先日の句会で、この句は本当に写生句なのだろうかと思われる句がたくさん出てきた。と言うよりほとんどの句がそのように思われた。
今日、一般の家庭で炭を見ることはほとんどなく、茶室かお寺、焼鳥屋で見る程度である。
それなのに、自宅で炭を使っているかのような句がたくさん出てきた。「炭を囲んで母子の対話、炭継ぎ足して迎える宿、炭のもてなし、炭がはじける中で酌む、炭焼き・・・」などの句を読んでいるとどうしても納得がいかなかった。
ほとんどが過去の思い出の句と思われる。思い出を句にすることを悪いとは言わないが、思い出なら思い出らしく詠むべきだと思う。
何十年後かに冬野誌でこれらの句を読んだ人は、平成の世も各家庭で炭を使っていたのかと誤解するのではなかろうか。
テレビの美術番組「美の壺」で備長炭の美しい菊炭を見ながら、そのようなことを考えていた。

 冬の夜や己が俳句を顧みる  英世

唐人町界隈吟行

今回の百年句会はまたまた唐人町界隈の吟行であった。
唐人町はたびたび吟行しているが、このような年末に訪ねたことはない。
この日は雲が広がっているものの、時々青空が覗く絶好の吟行日和に恵まれた。
唐人町商店街は歳末と言うのに日曜日と言うことで半分ぐらいの店は休みだったせいか人通りは少なかった。天神と違って買い物客は普段着のままが多く、なんとなく東京の下町を思わせる雰囲気がある。
売っているものも正月用品に加え、手作りの惣菜や豆腐、魚、日用品、古着など身近なものが多かった。
商店街を抜けると落ち着いた寺町が続いている。冬の日差しを浴びたお寺は訪れる者をやさしく迎え、心豊かにしてくれる。
その中である寺の老僧が、自分の寺の中に元寇防塁があったと自慢げに話す姿が微笑ましく面白かった。
掃き清められたお寺の庭に立って壮大な五重塔を仰ぐと、今年の安寧に感謝し来る年の幸せを祈らずにはいられなかった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 墓標なき刑場跡や冬ざるる  英世

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一句の風景

潮の香を吹き上げ牡蠣の焼き上がる

長男一家と牡蠣小屋に行った時の句である。
牡蠣と言えば広島だが、最近は糸島半島の漁港近くにも牡蠣小屋が立っている。牡蠣の養殖が普及し、福岡の海でも牡蠣が獲れるようになったからである。
牡蠣小屋は浜辺に臨時のテントを張ったもので、その素朴さがまた牡蠣の美味しさを増幅している。
生牡蠣を籠に盛り、炭火で焼くとやがて香ばしい牡蠣独特の香りがして来た。その香りはまさに潮の香で、その潮の香が蒸気となって吹き上げると、牡蠣がゆっくりと口を開き食べごろとなる。
2012年(平成24年)12月「季題:牡蠣(冬)」

北風

炭と一緒に出された兼題が北風であった。北風とはそのものずばり北から吹く風のことである。
日本列島の風向きは、春は東、夏は南、秋は西そして冬は北から吹くことが多い。
大陸の寒冷な高気圧から吹いてくる北西の季節風であるが、俳句では北風、または単に北風(きた)吹くということが多い。
冬に吹く風だから冬の風と言ってもよさそうだが、北風と言った方が身を切るような寒い響きがする。
寒風という傍題もあるが、それはこの北風の寒い感じを言うのであって、寒中の風・寒の風という意味ではない。
その北風を詠んだ句の中から、この日の入選句をご紹介しよう。

 北風を来てすいとんの美味さかな  英世

今回の硯潮句会の兼題は「炭」と「北風」であった。
炭とは石炭のことではなく、薪材を釜で蒸し焼きにしたもので、主に燃料として使われる。
歳時記によると「以前は冬の暖房になくてはならぬものであった。堅炭(かたずみ)というのは、質が固く火力が強い」とあるが、私の子供のころは一般の家庭で木炭を使うことはほとんどなかった。木炭は高価だったからである。
ただし、火鉢だけは火持ちがするからこの木炭であった。あの木炭の火鉢に撥ねるぱちぱちという音が懐かしい。
一方、一般の家庭では木炭の代用に消し炭という、かまどで煮炊きした後の薪の炭を利用していた。今ではその消し炭を使うこともほとんどなく、あの懐かしい炭の香りをかぐこともなくなった。
私の大好きな焼鳥屋に行くと今でも木炭の店が多く、酒を傾けながらその炭の香りを懐かしんでいる。
いつものことながらこの日の入選句をご紹介しよう。

 埋火の如き一語を育めり  英世

万引きの母親と警察官

新聞記事の話だからご覧になった方もあると思うが、アメリカ・カンザス州で万引きした母親と担当した警察官の美談である。
万引きがあったスーパーに駆け付けた警官の前には、15歳を頭に2歳の双子まで6人の女の子を持つ母親がいた。そこには汚れて靴を履いていない子も。
母親が万引きしたのは子どもの服、紙おむつ、タオルなど必需品ばかりだった。
聞けば、彼女は夫に先立たれ家も失い、車で一家7人生活していたと言う。
警察官は事情を知ると逮捕するどころか、スーパーに引き返して子供服やおむつ、靴までも買って与えた。これを知った世間では支援の輪が広がっていると言う。
日本の数々の美談そして大岡越前の話を聴いているような気がした。まさにアメリカ版人情話で、人情話は日本の専売特許ではなかったのである。

 襟立ててお願いします社会鍋  英世

ナレーション

テレビのドキュメンタリー番組や歴史、紀行番組を見るのが好きだが、その番組を引き立てるというか、引き締める大事な役目にナレーションがある。
私は番組と合わせそのナレーションを聞くのが好きである。
番組の進行に合わせナレーションする訳だが、そのナレーター次第で番組が生きるか死ぬかに分かれることもある。
どすの利いた太い声、柔らかい声、高い声、低い声、早口、ゆったりした声とその質は様々で、ナレーションを聞きながらナレーターの顔を思い浮かべるのも楽しい。
番組の内容にもよるが、私はゆったりとしたやや低い声のナレーションが好きである。そう言った意味ではベテラン俳優、声優、アナウンサーのナレーションが良い。
一方、お笑い芸人や歌手、歌舞伎俳優などは声に個性がありすぎて、時々番組にそぐわない場合もある。
今夜もしっとりとしたナレーションを楽しもうと思っていたが、おっと今夜は親しい句友との飲み会が待っていた。

 怪しげなその声もしや雪女郎  英世

私の本棚・汀子編「俳句入門」

15年ほど前になるだろうか、俳句を始めてすぐの頃に伝統俳句の総帥・稲畑汀子先生の「俳句入門」を買って読んだ。
ところが俳句を始めたとは言え、俳句の基本的なことがまったく分かっていない私には、その意図するところが理解できずそのまま書架の肥やしにしていた。
その「俳句入門」を書棚の隅で見つけてこのほど読み返してみた。
この「俳句入門」はホトトギス誌に毎月掲載されている汀子先生の「俳句随想」を中心に、1998年にまとめられたものである。
読み直して行くうちに目の前がだんだん明るくなってきた。先生の言われることが手に取るように分かるし、今までの自分の句や作句姿勢に当てはめて、何と自分の句作が行き当たりばったりで基本に外れていたのかと反省したりもした。
花鳥諷詠、不易流行、これからも時々紐解いて句作の参考にさせて頂くとしよう。

 時雨るるや何処まで続くホ句の道  英世

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水洟

冬になると別に風邪をひいているわけでもないのに鼻水が出ることがある。これが水洟で冬の季題になっている。
病気でもないのに出る水洟はとりわけ子供や老人に多い。私たちの子供のころはこの水洟を垂らす子が多く、それを服にこすりつけて袖をてかてかに光らせていた。
今はそのような子を見かけることもなくなったが、代わって老人の水洟が目立つようになった気がする。
その水洟、私にはとんとこのところ縁がないが、思い出と想像をたくましくして句を詠んだ。
その中からこの日の特選句をご紹介しよう。

 無の境地解けて水洟たらす僧  英世

湯ざめ

今回の鴻臚句会の兼題は、湯ざめと水洟であった。
まず湯ざめであるが、冬の入浴後は体が温めっているので寒さに気付かずしばらくは平気でいられる。
ところが、その油断から急に体がぞくぞくして寒く感じることがあるが、それが湯ざめで風邪をひく原因でもある。
日本人の風呂に対する感覚は、単に体を清潔に洗うだけではなく、安らぎや体を温めるものと感じる人が多い。それだけにせっかく温まった体を冷やすことはもったいない気がする。
そういった意味からも俳句ではこの湯ざめを冬の季題としたのであろう。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 名湯にもったいなくも湯ざめかな

DELLの対応

パソコンの故障でものないのに大騒ぎをした話をしたが、その際のDELLサポートセンターの対応に感心した。
まず、故障と思い込んだ私に対しセンターは丁寧に応対してくれた上に、私の説明を真摯に受け止め、故障と判断して?すぐさまエンジニアを派遣してくれた。
結果はすでにお話しした通りであるが、その後のサポートセンターの対応にまたまた感心した。
事後、センターから数本のメールが入り、私の早とちりを責めることもなく「故障でなくてよかったですね。その後調子ははどうですか。これからも問題があれば都度ご連絡ください」と言って来た。
私は感心して「お陰さまで正常に作動しています。お越しいただいたサービスの方も非常に感じの良い応対でした。このことで御社の製品と消費者対応に、ますます信頼と安心感が増しました」と返信した。
するとすぐさまセンターよりまたお礼のメールが入った。さらに追いかけてメールでアンケートまで送ってきた。
私も現役時代に消費者センターの責任者を務めたことがあるが、果たしてこのような対応が出来ていたのだろうかと反省しきりであった。

 小春日や人の言葉の柔らかく  英世

間違い電話

面白い間違い電話が掛かってきた。
散歩中の公園で突然携帯が鳴った。「カラオケ教室のT.Kですが、奥さんいらっしゃいますか?」
私は当然高校同級生の彼がふざけているものとばかり思ったがどうも様子が違う。改めてこちらが名乗ると、「あら君か、間違えて掛けてしまった」と言う。
ただこれだけなら別に何の変哲もない間違い電話だが、それがなぜ面白いかというと、実は偶然私も彼に電話しようとしていたからである。
以心伝心ということはよく聞くが、今回の場合は全くそれには該当しない。単なる間違い電話だが、折角つながったのだからと、本来彼に聞きたかった年明けの同窓会のことなど長々と話してしまった。
こんな間違い電話があればあるものだと妙に感心してしまった。

 年の瀬や間違ひ電話もおほらかに  英世

またまたパソコン故障?

パソコンをDELLに買い替え「WINDOWS10」にしたことはお話ししたが、慣れないせいか今でも完璧には使いこなせないでいる。
実は、買い替えた当初から初期画面に英語でいろいろ注意書きが出て来るのに、いつもの悪い癖で大したことはないだろうと、そのまま「continuation」をクリックして使っていた。
ところが、やはり気になって仕方がないので辞書を片手によく読んで見ると、どうもACアダプターを感知していないようであった。
プロパティで調べるとパソコンのバッテリーが危険状態を表示している。何とチャージしていなかったのである。
私は慌ててDEllのサポートセンターに電話すると、いろいろ聞かれた後で故障かもしれないからと、数日後に技術者を差し向けてくれた。
ところがびっくりで、何と故障ではなくACコードの差し込み口が硬く、ジャックが奥まで届いていなかったことが原因であった。
つまり、今までACアダプターからの電源ではなく、バッテリーだけで起動していたということになる。よくぞバッテリーが持ってくれたものである。
メーカーと来てくれた技術者に申し訳ない反面、故障でなくて良かったと一安心であった。

 パソコンも固まる今朝の寒さかな  英世

一句の風景

冬波の渦に乗り出す小舟かな

四国に遊んだ時の句である。
友人の案内で瀬戸大橋を見に行った。鉄道でこの橋を渡ったことは何回もあるが、橋そのものをじっくり見たのは初めてであった。汽車で通過した時は分からなかったが、この橋は実際直下から眺めるとその大きさが良く分かる。
橋の下の海を見ると潮の流れが速く、ところどころで潮が渦を巻いていた。瀬戸の渦潮である。
その中を鯛釣り船であろうか、果敢にその渦に挑んでいた。その勇気に感動して賜った句である。
2012年(平成24年)12月「季題:寒潮(冬)」

消えゆく季題「泥鰌掘る」

時々今は使われなくなった消えゆく季題のお話しをしているが、今回は「泥鰌掘る」である。
歳時記によると「冬になると田や沼は涸れ、泥鰌は残った泥に深く潜って、その中に潜むので掘って取る」とある。
今では泥鰌そのものが少なくなり、泥鰌が冬になると泥の中に潜むことさえ忘れ去られようとしている。
私が育った筑後平野では、堀割が田んぼの水源として大切にされ、冬になると堀の水を抜きその堀の底にたまった泥を大勢で田んぼに掬い上げ、堀を深くきれいにした。私たちはそのことを堀干しと言った。
田んぼに掬い上げられた泥はそのまま肥料として活用されるが、その中に夏場活発に動き回った泥鰌が潜んで冬籠りをするのである。
私たちは乾いた泥を掘り起こし面白がって獲っていたが、その光景も今はもう見られなくなった。

 泥鰌掘る顔ぢゅう泥の笑顔して 英世

油山の紅葉

先日の土曜日は好天に恵まれたこともあって久しぶりに油山を散策した。腰の具合を確かめようという思いもあった。
腰痛は少しずつ良くなっており、歩くことには全く抵抗を感じなくなっているので、油山で試してみることにした。
また、俳誌「冬野」に油山の紅葉のことを書いたらさっそく訪ねたという便りをいただいて、私もそうそうサボってばかりはおられないなとも思ったからでもある。
冬野で紹介した吊橋下のもみじ谷は、残念ながら谷風に煽られてすっかり散ってしまい、枝の仔細を明らかにしていた。ただ、橋のたもとに残っているきれいな紅葉がせめてもの救いであった。
ここから頂上を目指すことも考えたが、いきなり頂上まで歩くのは腰にとって危険だと判断し、その吊橋の少し上流からからせせらぎのコースをとり水の森へと歩を進めた。
水の森は折からの雨で水量が多く、幾筋もの滝がごうごうと音を立てて美しい姿を見せてくれた。油山の冬の滝がこんなに美しいものだとは予想だにしなかった。
それにしてもいつものことながら山で食べるおにぎりは本当に美味しかった。

 小春日や先行く人に譲る橋  英世

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俳人の庭

昨日お話した西公園吟行で素晴らしいお家を訪ねた。
大先輩で悠々自適の暮らしを送っておられる女性俳人、ふじの先生のお家である。お聞きすれば来年卒寿を迎えられるという。
先生は西公園の光雲神社のすぐ隣の公園で小さな茶店を営んでおられたが、今は閉鎖され独り静かにその茶店跡に住まわれている。
前もって先生と親しい人がお訪ねしたい旨伝えていたので、先生は前の道路の松葉掻きをしながら待っておられた。
きっと私たちが訪ねるというので、少しでも気持ちよく迎えたいとの思いからであったろう。
ところがお訪ねして驚いた。先生の庭には俳句の季題になる四季の草花が所狭しと植えられてあり、今は水仙をはじめ南天、万両などの冬の花が彩を添え、牡丹などは早くも冬芽を吹いていた。その素晴らしい俳句魂に感動した。
しばし散策して楽しんでいたが、うっかりして写真を撮るの忘れ、皆さんにお見せできないのが残念でならない。

 松葉掻く音も矍鑠ふじの刀自  英世

西公園吟行

今回のたんたん句会吟行は西公園だった。
この時期の西公園は散り残った紅葉が美しく、この日は寒さにもかかわらずまさに今が見ごろであった。
実は、今回のたんたん句会吟行は今年最後ということで、どこかでみんなで食事をしようと西公園に決めたものである
その食事会場は西公園の突端にある「鵜来見(うぐみ)亭」であった。鵜来見亭は西公園の先端の岬にある割烹で、その名は博多湾に浮かぶ鵜来島から名づけられたことは明らかである。
玄界灘の魚介類を中心に出してくれるお店で、この日のランチも鯛を中心とした豪華なものであった。もちろんビール付きで値段もリーズナブルである。
なお、句会では紅葉を絵具で写し取った色紙に、この日の自分の一句を書くことを学んだので、拙い字で恥ずかしいがその特選句一句をご紹介しよう。

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冬野十二月号

先日冬野十二月号が届いた。
実は私が一年間執筆した「俳句あれこれ」がこの十二月号で終わった。文筆を趣味としているとは言え一年間は結構長かった。
最後の十二月は福岡市西新のリヤカー部隊を紹介して終わりとし、誌友の皆様に一年間の感謝と御礼を述べさせてもらった。
また機会があったらさらに別の題材を求めて執筆することがあるかもしれない。
例によって十二月の私の冬野誌入選句をはじめ、その他の句会の入選句をご紹介しよう。

冬野十二月号
 村人の布施とし供ふ柿二つ
 蜻蛉来て先の蜻蛉に追はれけり
 見え隠れしつつ隠れし月なれど
 この月を地球の裏で観る子かな
 厠にも神在すらし実南天
 拷問もありしや露の刑場跡
 火渡りの神事のごとく曼珠沙華
 朝は焼き夕は煮て喰ふ鰯かな
 対岸は佐千夫の生地野紺菊
 蒼天に縺れ消え入る秋の蝶
 静かなる庭の木漏れ日石蕗の花
 妹に見惚れる兄や七五三
 妻恋の歌碑秋蝶を放ちけり
冬野インターネット句会
 風のまた加速させゆく干大根
 渡ること忘れし鷹の眼かな
 思ひ切り刈り込むことも冬支度
 赤貧に孝子出でけり一茶の忌
 冬めくや博多の街にはね太鼓
俳句ステーション
 弥勒寺の菩薩の指にある秋思
 初鴨の一羽に湖のどよめけり
 露けしや人というふ字の頼りなく(特選一席)
 客足の揃ふを待ちて鵜飼船(11月補追)
 もの書きは夜の慰め秋灯(11月補追)

十二月の花ごよみ「落葉」

いつもお話ししているように九州は温かい南に位置しているので、紅葉の見ごろは11月中旬以降になる。従って必然的に優雅な落葉も12月に入ってからが盛んになる。
むかし東京にいた頃、この時期の武蔵野を歩いたことがある。
なだらかに続く丘陵地帯にはブナを始め落葉樹がたくさん生えており、この時期落葉が盛んになる。その落葉を踏みしめるサクサクと言うかシャラシャラと言うか、その小気味良い音が懐かしい。
資料によるとこの武蔵野の落葉は、麓の農民にとって昔から貴重な肥料で生活の糧だったと言う。家族総出で落葉をかき集め、それを堆肥にして翌年畑に撒いたのであろう。
私は九州のだだっ広い農村育ちだからそのような経験はないが、九州でも山地は同じようなことをしていたのだろう。
今日は西公園に吟行である。果たしてどのような落葉に出会えるだろうか。

  押さへても籠に溢るる落葉かな  英世

「鴻臚」選者

昨日お話しした鴻臚句会の吟行の折、青天の霹靂の出来事があった。
実は鴻臚句会をご指導していただいている古賀伸治先生から、今日からは先生と共に私に選者を務めよということであった。つまり選者が二人になる訳である。
俳句歴も浅くましてやホトトギスの同人でもない私に選者をせよとは、耳を疑う出来事であったが、鴻臚の会長としてもう選をしてもいいと言う先生の薦めである。
選句がいかに難しいかを知っている私は固辞したのだが、それでも先生の言に逆らうこともできず、厚かましくもこの日初めて選者を務めた。
句会参加者13名、投句数65句の中から20句を選句し、その中の2句を特選とするものであった。
冷や汗をかきながら私が選句した特選句は、くしくも先生の「石庭の蒼古に浸り冬紅葉」であったが、もう一句私が選んだ特選句は先生の本選にも入らなかった。
やはり選句は難しい。

 選者とは冷や汗ものや冬の句座  英世

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大宰府吟行

先月末、俳句の会「鴻臚」で大宰府を吟行した。
鴻臚では毎年二回ほど吟行するが、今回は光明禅寺の紅葉を見ようと太宰府にした。
いつものように天満宮参拝のあと、菖蒲池の高浜年尾の地中句碑を訪ね、その足で九州国立博物館へ向かった。
目的は博物館ではなくその隣にある古い庭園を散策することで、その庭園は初冬の寂しさをしっとりと味合わせてくれた
散策のあとはめったに歩かない大宰府の奥座敷を歩いて、本来の目的である光明禅寺に行った。
光明禅寺はいま紅葉の真っ盛りで、石庭の砂紋の上には冬の紅葉が散り敷き見事な景観を見せてくれた。
吟行のあとは駅前の「日和」と言う店で美味し和食ランチを戴き、この日の吟行をたっぷり楽しむことができた。
例によってこの日の私の特選句をご紹介しよう。

 石庭の波に散り敷く落葉かな  英世

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