一月が終る

暖冬、暖冬と言っているうちに突然猛烈な寒波と大雪に見舞われ、雪に慣れていない福岡の街を混乱させた一月であった。その一月が今日で終わる。
そのような気候変化の大きい中で、例年通り仕事や句会、同窓会と何とも忙しかった。一方、トラブルもあった。
すでにお話ししたように、雪解けと思って温泉へ向かったところまだ雪が解けておらず散々な目にあったり、パソコンのトラブルもあった。
パソコンでは、インターネットに接続するNTTのモデムが故障し、新規レンタルのモデムに取り換えるまでインターネットが繋がらなかったのである。
前々からこのモデムは時々トラブルを起こしていたが、とうとう寿命が来てしまったようだ。
当節インターネットが繋がらないことほど面白くないものはない。
どうにかそのインターネットも回復したことだし、二月も「俳句とお酒と山」とを大いに楽しむとしよう。

 パソコンも口も快調春隣  英世

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一句の風景

居酒屋へ流れて続く初句会

初句会は気分を新たにして厳粛に臨むものであるが、やはりそこには華やぎがある。
一通り句会が済んだ後は決まったように二次会に繰り出す。つまり新年会であるが、そこは俳句の仲間のこと自然と俳句の話になりいつしか句会が開かれる。
その句会は目の前にある箸紙(新年の季題)を短冊代わりに和気あいあいとした句会で、そこにはいつものような緊張感はない。それがまた楽しいのである
2013年(平成25年)1月「季題:初日(新年)」

筥崎宮吟行

初詣には遅すぎるが、今回の渦潮句会は箱崎宮吟行であった。
この日は先日来の寒波も去り穏やかな冬の日差しの中での絶好の吟行日和であった。
いつもは参道いっぱいに広がっている露店もなく、広々とした境内や参道には鳩や雀がのんびりと遊んでいた。
この時期よく箱崎宮を吟行するのは、隣接する花庭園の冬牡丹を詠むためである。
まず本殿に参拝し今年の幸せと俳句の上達をお祈りし目的の花庭園を訪ねた。
花庭園は今冬から早春にかけての花が真っ盛りで、冬牡丹をはじめ福寿草や、梅、蝋梅、水仙などが咲き誇っていた。
ただ折からの雪で葉っぱは痛めつけられ、無残な姿をさらしている花もありなんだか可哀想であった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 露店なき参道広く寒雀  英世

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大雪の後遺症

昨日は筥崎吟行から帰って、もう雪も解けただろうと家内と二人で温泉へ車を飛ばしていたところ、とんでもないことになった。
福岡市を抜けて那珂川町の山道に差し掛かったとたん一面の雪景色である。車はかろうじて通られたものの目指す温泉ははるか山の奥である。
私は無理をすれば行けると思ったのだが、家内が怖がって引き返そうという。
そういえば温泉に着くのが夕方の6時、行く時は何とか行けるとしても帰りはもしかしたら道路が凍結するかもしれない。
また、温泉は当然営業しているものと信じ込んで家を出たが、この分では営業しているかどうかも怪しい。
電話で確認もせず、ここは家内の意見に従って雪のない回り道をして帰ることにしたが、帰路に選んだ道は雪を避けた車で大渋滞であった。
どうにか帰り着いて二人で家の近くのいつもの店に食事に行った。
肝心の温泉には行かれなかったが、雪道を走るスリルを味わったドライブのような感じだった。

 雪の夜やいつもの店で仲直り  英世

舌を噛んだ

美味しいデザートが食べたいなと余計なことを考えて食事していたら、迂闊にも舌を噛んでしまい痛い思いをした。
元来食事のスピードも速い上にそそっかしいので、前にも舌を噛んだことはあるが、今回ほどきつく噛んだことはなかった。
鏡に見苦しい舌を出して映してみるとうっすらと舌のヘリがうっ血している。噛んだところに違いない。
それにしても舌を噛むと言うことがこんなにも痛いことだったとは。しばらくはその痛さに腹立たしさを引きずったほどである。
よくテレビの時代劇などで、行き詰った忍者などが舌を噛み自害するシーンがあるが、実際にそんなことが出来るだろうか。舌を噛んだ経験からすれば痛くて到底できないような気がするのだが。
私には到底できそうに無い。それにしても痛かった。

 舌を噛む粗忽男やおでん酒  英世

相田みつを

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誰でも一度ぐらいは、相田みつをのあの独特の書体の詩を読んだ、いや見たことがあるだろう。その相田みつをのドキュメンタリー番組をテレビで見た。
相田みつをは足利市出身の詩人で書家でもある。また、仏教に深く帰依して在家しながら禅を学んでいる。
若いころはまだ詩人としての地位も確立せず、ろうけつ染めや商店の看板書きなどをしながら糊口をしのいでいた。
ところが、三十歳の頃あの独特の書体で、短く平易な自分の言葉(詩)を書く作風を確立し、1984年、詩集『にんげんだもの』の出版が契機となり、広く知られるようになった。
『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり、続く第二詩集の『おかげさん』も約25万部のベストセラーとなった。
相田みつをの独特の短く平易な言葉は、禅の修行から生まれたことは容易に想像でき、現在の著名人にもその言葉を座右の銘の下地にしている人は多いと聞く。
私ももう一度『にんげんだもの』を読んでみたくなった。

 まあるくなってもいいじゃないふゆだもの  英世

大雪

一昨日から今日に掛け10年に一度と言う大寒波に見舞われ、福博の街は強風と一面の銀世界となり昭和38年1月の福岡豪雪を思い出した。
テレビや新聞では積雪や路面の凍結の恐れがあり、不要不急の外出や車の運転は避けるようにと呼び掛けていた。
また、水道管が凍結する恐れがあるということで、私も外部に設置している蛇口を新聞紙とビニール袋で覆って凍結防止をしたが、こんなことをしたのは生れてはじめてである。
子供みたいだが、水に濡らしたタオルをベランダに掛けてみたら、瞬く間に棒のように固くなってしまった。
昨日はそうこうしているうちに出勤の時間となり、着ないと決めていたロングコートを着て白い悪魔の中へ元気よく飛び出したが、肝心の進学塾は予定より一時間早く閉校してしまった。私も早く帰られたし、安全のためにはこれでよかったのかもしれない。
ところで、俳句誌「冬野」の初代主宰である河野静雲師の忌日句会が開催されたが、上記のように仕事と重なってしまって欠席せざるを得なかった。この雪の中、静雲忌句会は無事開催されたのだろうか。

 博多とて日本海沿ひ雪しまく  英世

コート

昨夜からの雪が隣の屋根を真っ白く染めている。
これからも雪が降る続きそうだが、夕方からの仕事は無事やり通すことができるであろうか。
さて、その冬の寒さにはコートが欠かせない。
私はそのうちスプリングコート、ハーフコート、ロングコート、ダウンコートと四種類のコートを持っている。
ところが、この冬にロングコートつまりかつてのオーバーを着ることは一度もなかった。多分これからも着ることはないだろう。
と言うのはこのところ街をゆく人をよく見ていると、ほとんどがハーフかダウンばかりでロングコートを着ている人など全くと言っていいほど見かけなくなったからである。如何にファッションに鈍感な私でもいささか気になる。
ずいぶん前にヨーロッパ旅行に行くことになり、寒いかもしれないと買ってもらった厚手のロングコートは今や宝の持ち腐れになりつつある。
でも世のファッションは常に移り気である。
いつの日かロングのブームが来るかもしれない。コートの手入れだけは怠らないようにしておこう。

 居酒屋の壁に垂れたるコートかな  英世

万両

インターネットに接続するモデムが故障し、新製品に交換するのに手間取り更新が今になってしまった。
さて、先日雑煮と一緒に出された兼題が「万両」であった。
似たようなものに千両があるが、千両と万両の違いは「千両は木の先端(上向き)に実を付ける、つまり木の先(千)。一方万両はその反対(下向き)」と覚えればよい。
万両は千両に勝るということから名づけられた藪柑子科の常緑低木だとも言われている。
万両も千両も実がなるからには小さな花が咲く訳だが、愛でるのは花ではなく冬に実るその真っ赤な実である。
冬のさびしい風景の中で鮮やかな赤い実をつける万両は正月に縁起物として飾る風習の地方もある。
また、実の少ない冬季には鳥たちの格好の餌になっているが、ある人に言わせるとこのところ千両、万両の実を啄む鳥が減ったという。
暖冬の影響で、鳥たちの餌が豊富に残っているからかもしれない。
そんなことを考えながら詠んだ万両の句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 末社へと続く飛石実万両  英世

雑煮

今回の硯潮句会の兼題は「雑煮」と「万両」であった。
まず雑煮だが、正月に祝うお餅をお吸い物にしたもので、言わずもがなの正月の定番料理である。
雑煮は本来年越の夜に、神様にお供えしたものを下して煮込んで食べた年迎え行事の名残であった。それが何時しか正月に食べられるようになったのである。
雑煮は全国各地でそれぞれ少しずつ違った作り方がある。一番の違いは餅の形つまり丸か四角か、焼くか焼かないかそして具や出汁の違いである。
ちなみに私が戴く雑煮は、餅(丸餅)は焼かず出汁や具は鶏肉、椎茸、人参、里芋それに紅白かまぼこの豊後風である。
今年も大分出身の家内が作ってくれた雑煮を美味しくいただいた。
その雑煮を詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 二人居の三日続きの雑煮かな  英世

春財布

「少し遅くなったけど、春財布」と言いながら、家内が折り畳み式の黒い財布を買ってくれた。牛皮のしっかりとした作りの財布で、その新しい財布には小さく私のネームが刻印されていた。
実はこの財布を買ってもらうには何かと因縁があった。
私は娘からハワイ旅行の土産に貰った長形のダンヒルと、私自身がヨーロッパ旅行で買った折り畳み式のセリーヌを長い間使い分けしていたが、そのうちのセリーヌの方がボロボロになり、家内からみっともないから使うなとくぎを刺されていた。
ボロボロになった理由はこの財布を持って釣りに出かけ、船上で大雨に会い濡らしてボロボロにしてしまったからである。
それでも愛着があって使い続けていたが、とうとう家内の癇に障ったようで、こうなるともう諦めざるを得ない。
新しい財布を手に取りお礼を言っている傍から、いつもの如く「高かったのよ」と宣わった。
私は何も反論しなかったが、こっそりインターネットで調べて値段はちゃっかり把握している。
それにしても新しい財布とは春から縁起がいいもんだ。

 初春や縁起物とて春財布  英世

一句の風景

新しき句風に挑む初句会

その年の最初の句会が初句会である。
文字通りに読めば自分の最初の句会は一回きりだが、ここでは一つの句座の最初の句会も初句会と呼ぶので、人によっては数回の初句会があることになる。
いずれの句座も新年を寿ぎながら句座の発展を願う。
私も新年を祝いつつ、今年こそはと新しい句風に挑む初句会であった。
2013年(平成25年)1月「季題:初句会(新年)」

甥の子はエースナンバー

暖冬とばかり思っていたところ急に寒波に見舞われ、今朝は屋根や車の上にうっすらと雪が積もっていた。
さて、昨日お話しした同総会で、当時野球部のエースだった級友が、高校野球100周年記念の甲子園OB大会に出場したことを報告してくれた。
甲子園大会の第一回大会に、早稲田実業などと共に母校久留米商業高校も出場したので、記念のセレモニー大会に招待され、OBである彼も出場したのである。
彼自身も56年前に母校が甲子園出場した時のエースであったが、73歳の彼が記念のOB大会とは言え実際に甲子園で投げたというから驚きである。
ところで、現在の母校野球部に私の甥の子、つまり姉の孫がエースナンバー「1」をもらったと、年賀状にはそのピッチング姿の雄姿が添えられていた。
伝統あるチームのエースとして、これから春の大会や夏の甲子園大会の予選へと進むわけだが、ぜひ我が一族の誇りとして活躍してもらいたいと願っている。
彼が甲子園へ行くことが出来たら、ぜひ応援に行かねばと今から楽しみにしている。

 春風やエースナンバー背に眩し  英世


同窓会

昨日は高校同窓会の新年会があった。私たち同窓生の仲の良さはいつも紹介している通りである。
実はこの日は冬野の百年句会とダブっていたが、句会を欠席して今年は同窓会に出席した。
「今年は」の意味は長年続いてきた同窓会も、年を重ねると共にこの先中止になることも予想されるので、そうそうサボってばかりはおられないと思ったからである。なんといっても卒業後55年にもなるのだから。
母校のある久留米市で開かれた同総会には、卒業生300人のうち男女合わせて43名が参加してくれた。
いつものように懐かしい話、体調の話、子供や孫の話などと相も変らぬ話ばかりだが、それがまた楽しいというから同窓生とは不思議なものである。
高校時代そりが合わなかった男、少し恋心を抱いた女性も今では何のわだかまりもなく談笑できる。55年の歳月が人間をそう成長させてくれたのであろう。
今年もこうして同窓生に会うことができたのも、皆が健康でいることと幹事の方々のお陰と感謝せねばなるまい。ここでもまた「有り難う」である。

 古希過ぎて枯木も山の同窓会  英世

大学入試センター試験

昨日、今日と大学入試センター試験で、私たちが一年間お世話してきた塾生の正念場である。
この寒さの中みんな遅刻などせず無事試験を受けているだろうか。
試験の結果は良いことに越したことはないが、それよりも風邪や事故などのないようにと祈らずにはいられない。満足な状態で本領を発揮することが何より大事だからである。
この一年間、いろんな塾生がいた。
朝から晩まで自習室にいる者、顔色が変わるほど真剣に集中力を発揮する者、勉強中に体調を壊した者、異性に興味津々で浮ついている者、集中力がなく落ち着かない者、ストレスからしょっちゅうイライラしている者、逆にぼうっと窓の空を見ている者、スマホが手放せない者とさまざまであった。
それらが全員一つの土俵で戦うのを彼らはどう思っているのだろうか。
そのような彼らが、センター試験が終わって笑顔で会いに来てくれることを信じて止まない。

 大試験結果と笑顔信じつつ  英世

裏紙

勤務している進学塾でのことである。
塾生の一人が私のところに裏紙があったら下さいと言って来た。私は即座にメモ用紙のことだなと気が付き問題のない裏紙を渡した。
お礼を言って席に戻る塾生を見ているうちに、今時このようなことを言って来る子がいるのかと妙に感心した。
私の会社勤務の頃はメモ用紙と言えば殆んど裏紙で、しかも内容に問題のないものばかりを選んで使っていた。
今でもその習慣は抜けず、家で物を書いたり俳句を書いたりした後の余分な紙を裏紙としてメモ用紙に利用している。
くしくも今日はセンター試験の日である。
私は裏紙を下さいと言って来た塾生を見て、このような子は是非合格して貰いたい。いや合格して立派な大学生になり、まともな社会人になるだろうなと予感した。

 受験子のメモ紙に書く英単語  英世

和服

少し前になるが、11日の成人の日は新成人の女性が振袖の着付けなどで大忙しだっただろう。
さて、先日行きつけの居酒屋で近所の呉服店の店主と隣席になった。顔見知りだったこともあり、いろいろと着物の話を聞かせてもらった。
織物工場の丁稚から呉服卸業社員、そして呉服店を開業するまでの苦労話は、まさに彼の人生の茨の道だった。
また、戦後の食糧難の時代に着物を売りに来る人が列をなしたという話も聞いた。今なら500万円もするような高級着物を二束三文で買いたたいたという。
時代は変わって今時成人の日だからと言って振袖を買う人はあまりいなくなり、ほとんどがレンタルか親の振袖で済ませてしまうらしい。
そう言えば孫の鈴香も母親譲りの振袖を着ていた。
世の中変われば変わるものである。

成人の日の込み合える写真館  英世

博多人形

またまたテレビの話で恐縮だが、私は芸術、中でも美の番組が好きである。その番組の中にNHKの「イッピン」がある。
ずいぶん前の話だが、その中で博多人形を取り上げていた。そういえば身近にある割には博多人形についての知識が不足していたいたような気がする。
番組では「優美にたたずみ ポップに変身!~福岡 博多人形~」と題して、女優の原沙知絵が進化を続ける博多人形の世界を、その造形から素焼き、そして命となる絵付けまで詳しく紹介していた。
福岡市で作られ400年以上にわたって人々に愛されている「博多人形」が、いま海外の人々や若者たちに人気を呼んでいる。
着物姿の「美人もの」や、迫力あふれる「武者もの」、さらにかわいい十二支の置物など、豊富で多種多様な姿に変わりつつあると報じていた。
まさにポップアートの世界である。

 初春や博多人形の艶姿  英世

有難う

先月10日に実家に帰り、久しぶりに兄弟たちと語り合った。仏さまとなった両親やご先祖様に手を合わせ、今の健康を感謝するとともにこれからの平穏もお願いした。
ふと70余年使っている日本語の中で、一番好きな言葉は何だろうかと思った。
結論はやはり「有難う」であった。
「有難う」を好きな言葉に挙げる人は多いと思うが、何気なしに使っているその有難うにもいくつかの意味がある。
子供がお年玉やお菓子を頂いて素直に言う有難う、お年寄りが神仏に健康や幸せを感謝する有難う、そして自分が受けた親切に心から言う有難うなどである。
また、ご先祖がいてこその自分、父母がいてこその自分に感謝し有難うと言わねばなるまい。つまり「生んでくれて有り難う」とも言うべきだろうか。
ちなみに夕食の後で家内に「美味しかった、有難う」と言ったら、家内は今日はどうしたのだろうかと言わんばかりにきょとんとしていた。
でも、これからは機会ある毎に家内にも「有難う」と言おう。

 初春やご先祖様にありがたう  英世

賀状

今年もたくさんの方々から年賀状を戴いた。この年賀状もれっきとした新年の季題で、それが今回の兼題であった。
今年は頂く年賀状に少なからぬ興味があった。
と言うのは昨年「古希になることを機に、来年からの年賀のご挨拶は失礼させていただきます」という賀状を二人の友人から戴いていたからである。
果たしてその通りになるかと注視していたら、その言のとおり年賀状は来なかった。もちろん私からも出していない。
さらに今年は新たに三人の方から年賀状廃止の添え書きを戴いた。
実は私自身も差し出す年賀状の多さにややうんざりしていたので、今年の年賀状は思い切り減らそうと思っていたが、いざその段になると相手の顔が浮かんできて、減らせないというのが現実であった。
昨年賀状廃止を宣言した友人はこの正月どんな思いだっただろか。きっと寂しい思いをしたのではなかろうか。
そんなことをあれこれと考え、賀状の整理をしながら、何となくこの後年賀状廃止のムードが彷彿しそうな予感がした。
その年賀状を詠んだ句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 孫の字の賀状はみ出す勢ひかな  英世

初暦

今年すべての句会の最初、つまり正真正銘の初句会は1月9日の鴻臚句会で、その兼題は「初暦」と「賀状」であった。
まず初暦とは、新年になって用いる真新しい暦のことで、その暦は前年のうちに用意される。
新年になってその前年に用意された真新しい暦を開くと、これからやってくる一年に、つまり自分の未来に夢と希望を馳せることが多い。
私の部屋の初暦は何の装飾も写真もない月別の大型の暦である。一日一日のマスが大きく、いろいろと書きこむのに便利である。
加えてこの暦の良いところは日本の祝日の他に、二十四節気や大安、仏滅などの六耀の吉凶が記載されていることである。
近年このような日本の風習を疎んじる傾向にあり、世間からは古臭いと思われるかもしれないが、宗教に関係なくこれらの日本の伝統は暦の上でも大事にしたいと思っている。
そのようなことを考えながら詠んだ初暦の句の中から、この日の特選句をご紹介しよう。

 佳き年と信じつ開く初暦  英世

一句の風景

鎮魂の海より生るる初日かな

沖縄がまだ私の営業担当エリアであったころ、その海で拝んだ初日である。
その広々とした沖には白波が立ち、時折岸壁に激しく打ち寄せている。私はなぜか海が怒っているように見えた。
先の戦争で沖縄の海には何万もの御霊が眠っている。
私は思わずその御霊の魂を慰め鎮めるべく頭を垂れた。その鎮魂の海より上がる初日を拝みながら。
2013年(平成25年)1月「季題:初日(新年)」

九千円

昨日はまたまた孫の愛莉とピエトロのランチパスタを楽しんだ。
小学三年生だから当然のこととはいえ愛莉の食欲は旺盛で、パスタとお代わり自由のサラダとパンを美味しそうに食べていた。
さて、タイトルに九千円と不思議な数字を上げたが、これには大きな意味がある。実はこれが私の通常銀行から引き出す金額の最高額である。
現役の頃、それもずいぶん昔の私の財布にはいつも五万円以上入っていた。理由は急に出張が入って会社の金が用立て出来なかった場合や、街中で偶然得意先に会った時に恥をかくことのないようにするためであった。
ところがある日、ゴルフの帰りに財布を落としてしまったことがある。中身は六万円、六万円ですよ。
もちろんゴルフ料金を払った後だからそれ以上に入っていたことになり、各種のカードも一緒でとうとうその財布は中身毎帰ってこなかった。
それ以来、私は財布には最小限のお金しか入れないことにした。高額の決済は会社が用意してくれたコーポレートカードにすると決め、そのカードと現金は別々の財布にした。
と言うことで今でもそれが癖になり、現在の私の財布には特別のことがない限り千円札と五千円札の二種類しか入っていない。
なお、銀行で引き出す金額の最高を九千円としたのは、1万円札の両替をしなくて済むためでもある。家内からは九は縁起が悪いから八千円にしたらと言われている。
不思議なことを言う人である。

 寒風や財布の中は千円札  英世

西行

芭蕉は深川の庵で日々俳諧に親しみながらも、他人の評や添削に明け暮れている生き方に疑問を持っていた。
自分の一生はこれでいいのか、このままではただの俳諧宗匠に終わってしまうと危惧していたのである。
そのような時に意識したのが西行であった。
ということで、荘子と同様にその芭蕉が憧れていた西行について少し勉強してみた。
資料によると「本名は佐藤義清(のりきよ)。生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人で、『新古今和歌集』には最多の94首が入選している」とある。
平安末期に藤原氏の血を引く俵藤太秀郷の裔に生まれ、当時エリートと呼ばれていた北面の武士として仕えていながら、失恋から(?)辞して出家したと言われている。若干二十歳とも二十三歳だったとも。
当時、出家そのものは珍しくないが、彼が名門の出で北面の武士であった上に、妻子を捨てての出家に世間は驚いたという。
出家後、西行は旅の歌人、花の歌人となっていく。そのことはここでくどくどと申し上げることもないが、「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」の歌は身につまされるものがある
芭蕉もまた西行の道をたどり歌枕を訪ねることで、あの奥の細道へたどり着くことになるのである。

 西行を慕ふ翁や時雨笠  英世

荘子

私の書架に「人物・中国の歴史」があり、その中の老子・荘子編を開いてみた。
芭蕉の項でお話したように、芭蕉が尊敬していた荘子を勉強しようと思ったからである。
荘子は紀元前三百年ごろに活躍した道家つまり思想家で、孔子より二百年ほど後に生まれたとある。
荘子の思想は老子を基とするもので、その真理は私のような凡人にはなかなか理解できない。もちろんここで説明することもできないが、芭蕉はそれを理解し感銘を受けたということであろう。
それでも一応お話しすれば、荘子は「とらわれるな」「逆らうな」「小智を捨てよ」と述べて、世の常識的な価値観を否定し、人に視点を合わせるのではなくその視線を天に置いている。生がなければ死もない、繁栄がなければ滅亡もない。つまり生死、存亡は表裏一体だと言っている。現代流にいえば出世がなければ左遷もないと言うことだろうか。
荘子の有名な逸話をご紹介して私の解説に代えさせていただこう。
荘子は妻が亡くなった時に、その妻を前に盆をたたいて歌ったと言う。また、楚の威王が荘子を宰相として迎え入れようとした時に、荘子はこう言って断った。「祭りの日に美しく飾られた犠牲の牛になるよりは、たとえ、どぶの中であっても自由気ままに生きたほうがいい」
それもまた荘子の生死の考え方であろうか。

 芭蕉読み荘子紐解く松の内  英世


再び「芭蕉」

常日頃、俳句歴何年などとその日月ばかりを意識しているが、その間の俳句に関する基本的な勉強不足を痛感している。
と言うことで、新年を期して5年ほど前に一度お話した饗庭孝男著の「芭蕉」を読み直してみた。
著書によれば、芭蕉が自分の俳句の境地に達したのは晩年の10年間で、年齢で言えば40歳に達してからとある。そう言った意味では私の俳句もこれからかもしれない。
その頃から芭蕉は貞門、談林風から深く自己を意識し、脱皮して「道の人」になってゆく。
その芭蕉が俳句を極める上でもっとも影響を受けた先人に、中国思想家の「荘子」と平安から鎌倉時代の歌人「西行」がいる。
荘子からは天(自然)につくことを学び、西行には和歌と生涯を旅に生きたその生きざまを学び、自らも旅に生きるつまり「旅の人」となったのである。
また、芭蕉が凡兆に言ったという「一句僅かに十七文字、一字もおろそかに置くべからず。俳諧もさすがに和歌の一体なり」の言葉が強烈に印象に残った。軽みもまた風雅だとも言っている。
私も芭蕉に倣って荘子と西行について今一度勉強し直してみよう。

 初春や開く俳諧七部集  英世  写真

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冬野一月号

平成28年最初の冬野が届いた。
今回からは表紙の絵が変わり、今年の干支の申と来年の干支の酉をあしらったものとなった。
私の句友で画家でもあるホトトギス同人の鶴内恵(つるうち・さとし)先生の筆によるものである。
例によって冬の入選句と他の句会の入選句を合わせてご紹介しよう。
冬野1月号
 ぼろぼろの聖書の文字にある秋思
 曖昧に刻む日時計秋日濃し
 秋冷や丘に犇めく甕棺墓
 掘り起こす弥生の暮し自然薯
 かまきりの鎌の構へにある間合
 育ちゆく月とし愛づる十三夜
 廃村に残る温もり野紺菊
 風に咲く野菊のごとくつつましく
 菊香る宰府に虚子碑年尾の碑
 冬めくや博多の街にはね太鼓
 神の手の守り継ぐ医道神の留守
冬野インターネット句会
 酔ひ覚めに似たる湯ざめの懈怠かな
 支へ合ふ人と言ふ字や冬温し
 七三に分くるも虚し木の葉髪
 神の旅神牛神馬置き去りに
俳句ステーション
 ぼちぼちと言ふ幸せや冬温し
 
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今年の正月は

今年ほどゆっくりした正月は久しぶりであった。
昨年末の仕事は29日で終わり、余裕の年末を戴いたので30日に大掃除を済ませ、31日の大みそかには縁起良い名前の「楽天の湯」に浸かって、一年分の汗と埃を洗い流した。
温泉に浸かってこの一年をゆっくり振り返るのもなかなか良いものだった。この分では大みそかの温泉と言うのがどうも癖になりそうな予感がする。
元旦は朝7時過ぎに裏山の鴻巣山に立って初日を拝んだ。初日を拝んだのはずいぶん久しぶりであった。
愛宕神社に初詣のあと、我が家で子供や孫たちと年賀の集いを開いたのが2日の午後、長男が用意してくれた豪華なおせちを戴きながら、今年一年の無事を祈ることができた。
3日には隣に住む長女(愛莉の伯母)と愛莉の三人で、近くのショッピングモールへお買い物、その足で昔からこの地方にある氏神の田島八幡神社と平尾八幡宮にお参りした。
かくして今年のお正月は華やかさこそなかったものの、ゆったりと自分を取り戻すことができたお正月であった。

 里山の空晴れ晴れと初日の出  英世

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失われゆく季題「万歳」

時々失われゆく季題についてお話しているが、今回は「万歳」である。万歳といってもあのお笑いの漫才ではない。
私は万歳というものを見たことがないので、ホトトギス新歳時記の「万歳」の記述をそのままご紹介しよう。
「新年の家々を回り、節付面白く、賀詞を述べて立舞をする。風折烏帽子に紋服を着て、扇を手にした太夫と、大黒頭巾をかぶり、鼓を打つ才蔵とが組んで回る。出身地により、三河万歳、大和万歳、尾張万歳などが有名で、正月の華やかな門付芸の一つであったが、現在は少なくなった。」とある。
現在は少なくなったとあるということは、今でもどこかで行われているのだろうか。
もし行われているのであれば一度見てみたいものである。

 万歳に代はりお笑ひ漫才に  英世

初春の花ごよみ「福寿草」

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新年を寿ぐ花の一つに福寿草がある。
元来福寿草は春に咲くものであるが、花の少ないこの季節その名の持つ縁起良さから新年の花とされている。それだけに、今では正月用に盆栽仕立ての福寿草が育てられている。
福寿草はキンポウゲ科の多年草で、野生種は北海道から九州の山地に分布するが、主に北に多く西日本や九州には少ない。
事実私も北関東の山野で見かけたことはあるが、九州では園芸種を見ただけで野生種を見たことはない。
寒さに極めて強く、北では凍った土や雪を押し上げながら4~5センチの小さな黄色い花を付け、人々に早い春の訪れを告げる。

  萱ぶきの靄立つ茶亭福寿草  英世

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