二月が終る

うるう年の二月が今日で終わる。一日得したのか損したのかその人の考え方次第だろう。
2月に入る時に誕生日が4年に一回しか巡ってこない人もいると言ったが、その人たちはどんな思いだろうか。
ところで、私にとってのこの2月は喜びと共に悲劇の月でもあった。
まず喜びだが、この冬は持病の憩室炎にも見舞われず一度も風邪をひかなかった。また、幸いなことに腰痛からも解放された。
昨年の夏から痛み出した腰は、一時両足のふくらはぎに痺れをもたらすほどの重傷で、夜も熟睡することはできなかった。治療と運動の甲斐があってその痛みからどうにか解放されたのである。
一方悲しい出来事は、先日の夜に玄関先の階段を踏み外し、コンクリートの地面をもろに顔で受けたことである。親からもらった大事な顔に大きな傷をつけ、他人様に見せられる顔ではなくなってしまい、楽しみにしていた梅まつり俳句大会もやむを得ず欠席した。
顔のことはさて置き、腰もよくなったことだし3月は気分を入れ替えていつもの油山や背振を駆け回ることにしよう。

 手始めにストレッチして春の山  英世

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一句の風景

癒えし眼に春の光の眩しかり

40代の後半に老眼になり、その後、目には何かと不自由を感じてきた。その目がとみに不自由になり何本か老眼鏡を買い替えてみたがらちが明かない。
やむを得ず眼科を訪ねたところ、白内障を患っていることのことであった。
簡単ですよと言う医師の言を信じて両眼一緒に手術することにしたが、場所が場所だけで不安で仕方がなかった。
いざ手術を受けると、メスで引き裂かれた目の前を真っ赤な血が走ったときには生きた心地がしなかった。
手術は無事成功して数日後眼帯をとって目の前が明るくなった時は、まさに生き返った思いで春の光がことのほか眩しかった。
2013年(平成25年)2月「季題:春光(春)」

博多もつ鍋

家内が今日のブログを読んだらかんかんになって怒るのは目に見えているが、それを覚悟でお話ししよう。
先日ある句会の後に、いつものメンバーで食事をしようと居酒屋に行きメニューを見ていたら、博多なべ特集と言うことで水炊きなどのなべ料理が本日の推奨品になっていた。
冬も終わりと言うことで私は迷わず博多もつ鍋を要求した。博多もつ鍋は牛もつに韮やキャベツなどの野菜をたっぷり入れてしょうゆ味で煮込んだもので、期待にたがわず美味しいものであった。
ところが、久しぶりにもつ鍋を食べたというのに、翌日の別の会食でもまたこの博多もつ鍋が出てきたのである。こちらはコースだから文句の言いようがない。
年に一回も食べないもつ鍋が二日続きで出てくるとは。昼食べたカレーが夕食もカレーだったという話はよく聞くが驚きであった。
「もつ」と聞いただけで躰に悪いと信じ込んでいる家内がこのブログを読んだらと思うと、今からなんだか怖いような気がしている。
こんなことを考えていた矢先の夜、玄関先で不覚にも転んでしまい、顔面に(不)名誉の負傷をしてしまった。やはり罰が当たったのだろう。

 春寒に博多もつ鍋つつきけり  英世

唐人町吟行

今回の渦潮句会吟行も唐人町界隈であった。
近くに句会に便利な「ふくふくプラザ」があることから、唐人町界隈は西公園、大濠公園と共に格好の吟行地となっている。
いつものように当仁小学校前の河童の親子像の前が集合場所であったが、春の訪れとともに河童の像から流れ出す水の音も心なしかリズミカルに聞こえて来た。
この日は朝から生憎の曇り空で、時折小雨がぱらついたかと思えば一転日照雨になったりと不安定な天気であったが、しばらくすると予報通りすっきりと晴れ上がった春日和となった。一体どなたが晴女だったのだろうか。
小学校の元気な子供たちの掛け声を聞きながら歩を進めると、春の日差しに輝く五重塔が目に入ってきた。寺に鎮座する大仏や鬼子母神を拝しながら思い思いに吟遊を楽しんだ。
その吟行句の中から例によってこの日の一句をご紹介しよう。

 元気よき子等の掛け声草萌ゆる  英世

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私の本棚「芭蕉全句」

私の本棚には芭蕉の全句集が二冊ある。
一つは古典俳文学大系5の「芭蕉集(全)」で、全750ページにもなる大作である。
本書の狙いは、芭蕉の全作品を網羅し収録することである。
まず芭蕉の生い立ちの解説から、発句編、連句編、紀行日記編、俳文編、書簡編、その他からなっており、出来るだけ年度別にまとめられている。ただし、個々の句の解説がなくただ羅列してあるだけで、素人の私には到底読みこなせなく本棚の肥やしになっている。
一方、最近読んだ袖珍版の「芭蕉全句」は、古典俳文学大系の「芭蕉集」をベースに個々の句に解説を加えて読みやすくなっており、その句がどのような背景で詠まれたかなどが詳しく紹介されている。
芭蕉の俳句の変遷や和歌とのかかわりあい、荘子のこと、西行のことなどもわかりやすくなっている。
袖珍版だけに持ち運びも便利で、今や私には手放せない一冊となっている。

 春の夜や芭蕉句集と電子辞書 英世

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銀杏ご飯

昨日お話しした料理教室の取材をしていたところ、俳句の会鴻臚の仲間(女性)から銀杏ご飯を炊いたからとお裾分けを戴いた。
その夜さっそく家内と分け合って食べたところ何とも言えない懐かしい味がした。具の銀杏は碧色の宝石のように輝き、もちろん味も申し分なかった。
そういえば私に限らず日本人は季節毎のこの種の炊き込みご飯が好きなようである。
ピースご飯にむかご飯、南瓜、さつま芋、鶏、きのこ、五目飯にお赤飯とその種類は数えらないほどである。
懐かしい炊き込みご飯の味に感動し、家内にそれとなく要求したところ「塩分があるし食べすぎるからあなたの生活習慣病には不適」と即座に却下されてしまった。
たまには食べたいのに。

 春の膳たまにはピースご飯など  英世

男子厨房に入るべし

シルバー人材センターの機関誌を編集する広報委員になったことはお話ししたが、先日その関係でサークル活動の料理教室を取材に訪れた。
会員30名のなかで目に付いたのが7名の男性の参加であった。
シルバーだから全員60歳以上のはずで、「男子厨房に入るべからず」を少しは認識してきた世代であるが、その彼らがベテランの女性に交じって楽しそうに料理作りに挑戦しているではないか。
それは楽しいはずである。何と言っても今日のメニューは酒の肴が中心だったからである。
それにしても彼らは手際がよい。昨日今日始めたとは思えぬ鮮やかな手つきである。
やがて料理はきれいな盛り付けで美味しそうに出来上がり、何のお手伝いもせずおしゃべりばかりしていた私もちゃっかりとご相伴に預かった。
このような料理教室に参加することで、料理の楽しさを味わうとともに生活習慣病の知識も身に着くことであろう。

 春野菜色香損ねぬ茹でかげん  英世

梅見

福岡県の県花が梅の花になっているように福岡県には梅の名所がたくさんある。
思い付くだけでも太宰府天満宮、福岡城址、久留米の梅林寺、八女の谷川梅林などが浮かんでくる。
普通、花見と言えば桜であるが、春の花見の先駆けはいつもこの梅の花で、私も毎年梅見だけは欠かさない。
梅見の頃はまだ冬の寒さを引きずっているが、風のない暖かい日に恵まれれば花見同様の楽しさが味わえる。
梅の下での野点や茶店の緋毛氈の上での酒宴など、桜の華やかさとは違った落ち着いた梅見ができる。
なお似たような季題に探梅があるが、これは早咲きの梅を訪ねることで、冬の季題となっているので気を付けなければならない。
例によって梅の花の一句をご紹介しよう。

 二の丸に殿さん気分の梅見かな  英世

春菊

先日の硯潮句会の兼題は「春菊」と「梅見」であった。
まず春菊だが、資料によれば「春菊は、キク科シュンギク属に分類される植物で原産地は地中海沿岸。春に花を咲かせ、葉の形がキクに似ていることから春菊と呼ばれている。葉に切れ込みの少ない大葉が四国・九州で、切れ込みのある中葉がそれ以東でそれぞれ栽培される」とある。
代表的なレシピは茹でて胡麻酢醤油かだれであえるのが主で、鍋に直接入れることもある。春菊には独特の香りがあり人によっては好き嫌いが激しいようである。
私はこの春菊が大好きで、酒の肴にしてモリモリ食べている。
その春菊を詠んだ句の中からこの日の一句をご紹介しよう。

 春菊の色損なはぬ茹で加減  英世

一句の風景

白魚の五分の魂透けにけり

早春の室見川に吟行した時の句である。
この時期の室見川は白魚(博多ではシロウオと言う)漁の最盛期で、川を堰き止めるように簗が仕掛けられており、遡ってくる白魚を捕獲する。
川岸には簗小屋がたてられて漁師がそこで休みながら時々簗を監視している。
この日はおり悪く干潮の時間で、白魚漁の醍醐味を味わうことはできなかったが、簗小屋で先に捕った白魚を見せてもらうことができた。
その白魚は芭蕉の言う真っ白ではなくやや薄茶色をしていた。それでも白魚の躰は透き通ってまさに魂までも見えるようであった。
2013年(平成25年)2月「季題:白魚(春)」

極地に魅せられた女性

ずいぶん前の話だが、BS朝日のドキュメンタリー番組で南極と北極を取材した女性の特集を放映していた。
その女性とは朝日新聞記者・中山由美である。
番組の案内によると、「女性記者として初めて南極観測隊に参加、その後南極に2回、北極には4回も訪れ、極地取材のスペシャリストとして活躍している。12年にわたる極地取材を通して、彼女は一体何を感じ、何を伝えてきたのか。記者・中山由美の半生を通して“地球の今"に迫る」とある。
南極の極地探検や隕石探し、北極・グリーンランドに住みついた日本人の狩猟の様子の取材など、身体を張って活躍する彼女の姿に、日本人女性の逞しさを感じずにはいられなかった。
そう言えば、このブログでもご紹介したと思うが、小笹寿司で南極の氷で飲んだ焼酎が美味しかったことを思い出した。もちろんどうして南極の氷が手に入ったかは今でもよくわからない。

 南極の氷たっぷり梅見酒  英世

トロピカルフルーツ

まだ2月と言うのに、このところマンゴーやパパイア、キウイなどのトロピカルフルーツなるものをよく食べている。
昔はトロピカルフルーツと言えばバナナで、そのバナナさえ滅多に口に入らなかったのに、今では逆に食べ飽きてあまり手を出さなくなくなっている。
戦時中に南方に従軍していたと言う高校の体育の先生が、果物の王者は何と言っても現地で食べるドリアンだといつも話していた。
私も一度だけ食べたことがあるがその強烈な匂いから二度と口にしなくなった。
最近ではドラゴンフルーツを食べた。
奇妙な形をした赤紫の果実は二つに切ってみるとその実まで濃い赤紫であった。スプーンですくって食べてみたが、色ほど味は濃厚ではなくあっさりしたシンプルな甘みであった。
次はどんなトロピカルフルーツに出会えるだろうか。

 春寒のデザートは早トロピカル  英世

選句の厳しさ

俳句の会「鴻臚」で先生に次いで私が選者を務めていることはお話ししたが、このところ選句がいかに大変か身に沁みて感じるようになった。
先生からは「俳句の選は決断だ」と教わった。
選者が迷っていると投句者に不思議と伝わり、不信感を抱かれるということであった。
また別の悩みもある。選をするということは先生と同格に見られることであり、俳句のことなら何でも知っていて当たり前だと思われていることである。
つまり、どんな質問にも的確に答えなければならないのである。
私の句友には何人かのホトトギス同人(先生)がいるが、彼らは感性が素晴らしい上に句作の理論に長け、俳句の生い立ちや変遷、季題の解釈、語彙などの基本に精通している。きっと、芭蕉や虚子をはじめ古今の名句や句集、句文にも数多く接して自分のものにしているに違いない。
私はホトトギスに投句もしていないし、ましてや同人になる気もないが、彼らに後れを取らないように俳句の理論武装だけは怠るまいと思っている。

 春風や選句に迷ふことなかれ  英世

冴返る

春になっていったん暖かくなってからまた寒さが戻ってくることを言う。
冬に「冴ゆる」と言う季題があるが、その冴ゆるがぶり返す春の寒さのことである。
さらに冴返ると強調することで、少し暖かさに慣れてきた身には寒気が厳しく感じられ余計に身に応える。
同様な季題に凍返るがあるが、冴返るが時候であるのに対し、凍返るは地上の凍てが戻ってきたことを言う。
服装をどうしようかと迷っているうちに、突然寒さがぶり返して思わぬ風邪をもらうこともあるので、この時期の寒さつまり冴返るには気を付けねばならない。
その冴返るを詠んだ句の中からこの日の一句をご紹介しよう。

 石庭の縁の静寂や冴返る  英世

早春

今回の俳句の会「鴻臚」の兼題は「早春」と「冴返る」であった。
まず早春だがその名の通り春まだ浅い時期のことで初春(しょしゅん)と呼ぶこともある。
寒が明けたと言ってもまだまだ寒さが残り、時折忘れていたかのごとく寒さがぶり返すこともある。
とは言え、草木の芽吹きや生ぬるい風にどことなく春の息吹が感じられる。
この時期の季題には「寒明」とか「春浅し」「浅き春」などがあるが、早春と言う言葉にはこの季節にふさわしいやわらかい響きがあるような気がする。
その早春を詠んだ句の中から、この日の入選句をご紹介しよう。

 早春の日に隠れなき小富士かな  英世

折々の言葉

朝日新聞の一面左隅に「折々の言葉」なるコラムがあり、いつしかそれを楽しみにするようになっていた。
昨年の4月1日から始まったこの折々の言葉は、哲学者、倫理学者の鷲田清一(わしだきよかず)氏が、古今東西の言葉の中から一日に一つのことを取り上げ、そこに彼なりの考察を加えるものである。
そのジャンルは広く、本人に言わせると何が出てくるかわからないごった煮で、ひとひねりある普通とは違うものの見方をしている言葉が多いと言う。
私が気に入っている折々の言葉はソフトバンク社長・孫正義氏の、「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである。」私もこのように前向きにありたいものである。
果たして明日はどのような言葉が見られるだろうか。

 折々の言葉こころに春の夜  英世

人間を怖がらない鳥

真っ黒な烏が猛スピードで飛んで行った。まるで人込みをかき分けるように。
これも新聞のコラムからの話だが、日本の鳥は人間を恐れないと言う記事が掲載されていた。
江戸末期に来日したあるドイツ人商人は、「人の家に巣を作り自由に出入りする燕や雀を見て、日本の鳥が人間を恐れないことに驚き、それが日本には狩猟の習慣がなかったからだ」と結論付けた。
日本は仏教の影響で一部の猟師を除いて殺生が禁じられ、結果として鳥が人間を恐れなくなったのだと言うのである。
確かに俳句や昔話を読んでも、燕や雀などの小鳥に対する日本人の感情は柔和で優しく親しみ深い。
現在でも燕は軒下に巣を作り、雀は屋根裏に巣をつくって子育てをしているが、一時に比べてその数が極端に減っているのが気になる。
民家に巣をつくることが難しい家の構造になったり、燕や雀が巣をつくることを嫌がる家が多くなっているからだろう。
絶滅しないうちに手を打たないと日本は鴉の天下になってしまうかもしれない。

 天守なき城を掠めて鳥帰る  英世

昭和は耀いていた

先日何気なしにテレビを付けたら、聞きなれた武田鉄矢の声が聞こえてきた。タイトルは「昭和は耀いていた」である。
武田鉄矢が昭和の時代に活躍した「ひと」「もの」「できごと」をピックアップして紹介するエンターテナー番組である。
この日は昭和の大作曲家遠藤実を特集した番組で、ゲストはなんと「こまどり姉妹」であった。
何故このこまどり姉妹のことをお話しするかと言えば、実は単身赴任の東京時代に妹の並木葉子の経営する湯島のクラブによく飲みに行っていたからである。
その店では当時不遇に泣いていた妹の葉子が、歌を披露しながら自ら客を接待していた。
何時しかカラオケタイムになり、私は恐れ多くも本物の歌手の前で「無法松」を歌った。ところが、彼女から「この店で無法松をこんなにうまく歌った人はいない」とおだてられ、すっかり有頂天になった思い出がある。
それ以来私の十八番は「無法松」になり、友人の中には私のこの歌を聞かなければカラオケに来た意味がないとまで言ってくれるようになったほどである。
自慢話で申し訳ないが、平成バブル時代の懐かしい思い出である。

 立春や歌は十八番の無法松  英世

端切れ

ずいぶん前に近所の呉服屋の店主の話をしたが、その店主とまたまた居酒屋であった。
この前は一方的に店主に話されたので、今回は私の方から一つの質問をした。
「店先に箱いっぱいに端切れを詰めて、一箱500円で売っているが売れるのか」と尋ねた。すると店主はよく売れるという。
では「どのような人がどのような目的で買うのか」と尋ねたところ、人形やお手玉、貼り絵などの小物づくりに重宝されているという。
小物づくりだから色はやや明るいものがよく、柄は細かければこまいほどいいという。
確かに柄が大きいと人形にしてものっぺらぼうの服や着物になるし、お手玉も貼り絵も目立たなくなってしまう。
そのような話を聞きながら、この春は幼稚園の卒業生が卒業記念に貼り絵などを作るのもいいのではと思った。

 端切れとて春の色柄好まれり  英世

一句の風景

春寒やふと火の元の気になりぬ

春と言えどもこの時期はまだまだ冬の延長である。
ある日その春寒の中に外出することになり、時間も迫っていたので急いで家を飛び出した。急ぎ足の途中にふとストーブを消しただろうかと気になった。誰でも経験があると思うが、火事でも起こしたらと気になりだしたらもうどうしようもない。
運悪く家内も留守で電話もできない。私はやむを得ず家に引き返した。
このような場合ほとんど火は消しているのだが、気になって仕方がなかったその心境を句に詠んだものである。
2013年(平成25年)2月「季題:春寒(春)」

墓石の銘 Ⅱ

昨日の話の続きである。
平尾霊園には数えきれないほどのお墓があるが、墓の大小にかかわりなく、殆んどが○○家の墓と書かれている。
そのような中でいくつかの墓には、墓の主が好んだと思われる言葉が刻まれていた。昨日お話した四島一二三氏の墓もそうである。
お題目の「南無阿弥陀仏」は別として、目に付いた言葉を拾ってみよう。「ありがとう」「感謝」「永遠に」「夢」「宙」「絆」「眠」などなどであるが、変ったものでは「謝土」というものまであった。
その言葉や文字を見ていると、墓の主の心情や生き様が浮かんでくる。果たして私だったらどんな言葉を選ぶだろうか。
いや、私には選べない。私の墓は既に故郷の村の共同墓地(納骨堂)に用意されているから。

立春の愛と刻みし墓標かな  英世

墓石の銘 Ⅰ

好天に誘われた先日、いつものように裏山の鴻巣山を1時間半ほど散歩した。
この日は鴻巣山の裾野にある広大な平尾霊園に足を伸ばしたが、そこで異様な墓石に出会った。社長になっても毎朝一番電車で通ったと言う福岡の伝説的な銀行経営者、四島一二三氏の墓である。
何が異様かと言うと、その墓は一般的な○○家の墓と言った平凡なものではなく、墓石の四面に彼が語った思われる言葉が格言として彫られているのである。
墓石の正面には「祖先に対する最上の祭りは 道を守り業を励むにあり」と彫られている。まさに彼の信念と言うにふさわしい言葉である。
他にもいろいろ彫られているが、その中で私が一番気に入ったのは「堅持せよ 鉄の意思と火の精神力 断行せよ 信念の前に不可能なし」と言う言葉であった。
何か高度成長期の猛烈社員に言い聞かせているようでもあるが、その嵐の真っただ中で生きて来た私には心に染みる言葉であった。
これからも散歩でこの前を通ったら、ここに彫られている一語一語を噛みしめて、今の堕落した自分に言い聞かせるようにしよう。

 春立つや墓に偉人の声を聴く  英世

枯野塚から東公園吟行

今回のたんたん句会は福岡市東区の枯野塚から東公園を巡る吟行であった。
まず、枯野塚は芭蕉の絶句「旅に病で夢は枯野をかけめぐる」を揮毫した句碑で、蕉門の博多の僧侶・松月庵哺川が元禄13年(1700年)に建立したものである。
また、この地には黒田騒動で有名なお綱の墓もある。
夫に捨てられたことで子供二人を殺して騒動を起こしたお綱についてはまたの機会にお話しするが、その墓は枯野塚と共に今は住宅地に囲まれた路地奥にひっそりと建っている。
枯野塚から東公園に足を向け、いつもの日蓮上人と亀山上皇の敵国降伏の銅像を見ながら広い公園を散策した。
公園の水辺では三組の鴨の番が泳いでおり、北へ帰ろうかどうしようかと迷っているような気がした。
その後、県庁のレストランでとった昼食のカキフライ定食(牡蠣を1個100円で追加した)は、えも言われない美味しさであった。
例によってこの日の特選句をご紹介しよう。

 春の鴨引くも残るも風を見て  英世

獅子文六「悦ちゃん」

ずいぶん前の朝日新聞の文化・文芸欄で獅子文六を特集していた。その特集を読んで私は60年前の中学時代を思い出した。
私の中学時代は家が貧乏で本など買えるはずもなく、近くの公民館からこれという本を借りて読むのが唯一の楽しみであった。
そのことは「本好きだった少年」と言うタイトルでエッセイを書き、福岡市民文芸に入選してこのブログで紹介したこともある。
本題に戻るが、その時読んだ本の中に獅子文六の「悦ちゃん」があったことを懐かしく思い出した。
主人公の悦ちゃんは父の再婚を巡って大人顔負けの活躍をするわけだが、その結果、新しい母親を遊び仲間から「ママハハ」と言われ、「馬鹿だね、ママとハハが一緒になったンだから、最高のお母さんだよ」と言ったくだりは今でも忘れない。
獅子文六がペンネームに「最強の獅子、そして四四、十六だから獅子文六」にしたと言うユーモアのセンスにもつながっている。
ちなみにこの悦ちゃんは小説の中で福岡に住んだことがあり、悦ちゃんのことを近所のみんなが「悦っつぁん」と呼ぶと不思議がったことも、私たちの国訛りをよくとらえていて面白く感動した。
獅子文六の「悦ちゃん」いや「悦っつぁん」、もう一度手にしたい本である。

 早春や悦っつぁんと言ふ国訛り  英世

冬野二月号

冬野二月号が手許に届いた。
今月は成績不振で、なんとなく俳句そのものも元気がないように見える。それでも前に進まねばならない。このところどうもスランプのような気がするが、何時か芽の出ることもあろうと気持ちを切り替え句作に励むとしよう。
例によって五月号およびその他の句会の入選句をご紹介しよう。

冬野二月号
 凩や離散の村のかまど跡
 秋惜み散り急ぐもの装ふもの
 千年の重荷解くかに楠落葉
 船べりをたたく波音冬めける
 いとけなき絵馬のひらがな神の留守
 落葉踏む若き学徒の思惟の道
 靄晴れて郷は茶の花日和かな
 天に鳶岬に名残の冬紅葉
 北風に煽られ鳶の輪を崩す
 墓標なき刑場跡や冬ざるる
冬野インターネット句会
 寒林の中を真赤なバスのゆく
 咲き満ちてなほ疎なりけり寒桜
俳句ステーション
 炉話のホ句と歴史に尽きにけり
 秋風や子規も歩きし登城坂
 京都より秋時雨来る鳰の海(一月号補追)
 古城址の声なき声や枯芒(一月号補追)

今日は立春で、いよいよ春の到来である。
さて、ずいぶん前の話だが、NHKBSで外国人がクールに感じるものの一つに日本の橋があると報じていた。
番組では外国人が東京の橋を巡り、橋が街の景観に溶け込んでいることや、通路としての機能だけではなく出会いの場所にもなっていることを、彼らの眼はクールと感じたのである。
橋は川や水路の両端を渡して通路とするものだが、実は日本は世界でも橋の数の多い国の一つで、その建設技術は世界の注目を浴びていると言う。
山国の日本には川や渓が多く、昔から木材や石を使っての橋を架ける技術が発達したのであろう。
今でも錦帯橋や長崎の眼鏡橋など、歴史的遺産の橋が保存されている。
確かに橋は道路としての機能もあるが、それ以上に美しさとか文化の交流など心に染みる役割がありそうである。
日本橋のように橋の名前を街の名にしたり、伊勢神宮のように定期的に架け替えたりするなど、橋に対する日本人の感覚は一種の愛情と言えるかもしれない。
博多にも「福博出会橋」がある。どんな出会いが待っているか近く渡ってみたいと思っている。

 早春の大吊橋を渡る風  英世

身震いするほどの怒り

このブログでは政治・経済や事件のことはあまり書かないことにしているが、こればかりは怒り心頭に達して書かない訳にはいかなくなった。
と言うのは、幼児虐待と幼児殺害などの暗いニュースがあまりにも多いからである。
先日も三歳の子供が義父に投げ飛ばされるなどの虐待を受け死んでしまった。それも虐待の実態をここで書くことをはばかられるほどの熾烈な内容で、逮捕後に反省の弁もない。
「ママ、ママ!」と母を呼びながら死んでいった子供のことを思うと、私の涙腺は自然と緩み食事も喉を通らなくなる。
親(ほとんどが義父)が三歳になるかならぬかの幼児に虐待の限りを尽くし、挙句は死に至らしめる。それも新聞によると傷害致死だという。そんな馬鹿な話があるか。
幼児にどれくらいの暴力を加えたら死ぬかぐらいは普通の大人ならわかるはずで、殺す意思はなかったと言っても、これは明らかに未必の故意による殺人ではなかろうか。
幾つになっても大人になり切れない子供のままの親。自分より弱いものを見つけると喜び勇んで向かっていく攻撃的で幼稚な精神。
こんな情けない親がはびこる日本にいつからなってしまったのだろうか。

 子供らの社会の隅の余寒かな  英世

早春の花ごよみ「臥龍梅」

昨日は先日入り損なった温泉に行き、のんびりとくつろぐことができた。
さて、二月と言えば梅の季節でこれまでもいろんな梅の話をしてきたが、今回は臥龍梅である。
臥龍(がりょう・がりゅう)と言えばすぐ思いつくのが、三国志の英雄諸葛孔明である。劉備玄徳に仕える前の稀代の軍師孔明をして野に隠れた天才ということで、龍が野に伏すという意味の臥龍と呼ばれたのである。
臥龍梅もその横にくねくねと長く這う姿から、あたかも龍が野に伏している梅として臥龍梅と呼ばれれるようになった。
私が見た臥龍梅で一番印象に残っているのは大分県の吉野の臥龍梅で、臼杵市に通じる国道沿いにある八幡社の梅林の中にこの臥龍梅の古木はある。
植える時に土中で左に曲げたため本芽も左にばかり伸びて臥龍梅になったと伝えられが、真偽のほどはわからない。
昭和40年代に大分に勤務していたころ、仕事で通るたびに立ち寄ったり、家族で見に行ったりと楽しい思い出が多い。

 野に伏すも香り豊かに梅の花  英世

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二月に入る

猛烈な雪の一月が終わりいよいよ二月である。
暦の上での春つまり立春は2月4日で、前日の3日が節分と言うことになる。それでも日差しは少しずつ伸びてきている。昨日はいつもの植物園を散歩したが、もう紅白の梅がほころび始めていた。
高島易断所の暦を見ていたら面白いことが書いてあった。
誕生日のことだが、太陽暦が採用される前までの一年は2月3日の節分が一年の区切りで、立春からが新しい年とされたという。したがって立春前日の節分までは前年の生まれと言うことになる。
と言うことは、2月10日生まれの愛莉は今でこそ早生まれとされているが、昔であれば堂々たる当年生まれと言うことで、体の大きい級友たちと走らなくても良かったのである。
一方、隣に住む鈴香は1月9日生まれなので昔でも早生まれと言うことになる。
また今年の2月はうるう年で、誕生日が4年に一回しか巡って来ない人もいる。2月の暦とはどうも不思議でならない。

 旧正やくしくも孫の誕生日  英世

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