三月が終る

今日で三月が終わる。
今月も嬉しいことや楽しいことが多かったが、その中でも何といっても塾生の大学合格の喜びの声が私を包み込んだことである。
この一年死に物狂いで勉強してきた若者に「心からおめでとう」と言おう。私もまた合格と言う桜の花吹雪を楽しむことができた。
一方、三月は確定申告の時期でもあった。
確定申告会場は大勢の人でごった返し、わずかな還付金を得るのに3時間以上もかかってしまった。
しかも申告書に配偶者特別控除が抜けていたことに気づき、翌日訂正の申告に行ったら、また前日と同じ手順で書きなおさせられ、この日も3時間かかった。最初の申告は係員の指導で作成したものだから、ミスは半々だと思うのだが。
それにしてもなぜ確定申告にこんなに時間が掛かるのだろうか。税の専門家ではないのでよくわからないが改善の余地がありそうな気がする。
また、お話しした愛宕山の吟行から舞鶴公園と毎日のように桜を眺めて春を謳歌したが、桜は4月の初めまで見られそうである。今日の夜は近くの公園で桜吹雪を浴びながら一献傾けるとしよう。

 会ふたびに桜のことを語りけり  英世

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一句の風景

若き日の父を知る樹も芽吹きけり

久しぶりに故郷を訪ねた時の句である。
このブログでも一度お話したことがあるが、父と私の母校でもある村の小学校にはシンボルともいうべきヘラの木の大樹がある。
スペード型をしたその樹形は美しく、私たちの憩いの木で遊びの場でもあった。
父の話によるとそのヘラの木は父が子供の頃からすでに今の大きさにあったという。と言うことは父が生きていれば103歳になるので、ヘラの木は200年いやそれ以上になるかもしれない。
そのヘラの木の前に立ち亡き父をしのんでいた時のこと、よく見るとそのヘラの木から若い芽が吹き出していた。このヘラの木も父の子供の頃を知っているだろうなとその感動を詠んだ句である。
2013年(平成25年)3月「季題:芽吹(春)」

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愛宕山吟行

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私が会長を務めている俳句の会「鴻臚」では年二回吟行することになっており、今回は愛宕山の桜を愛でるものであった。
愛宕山は西区にある小高い山で、名の通り愛宕神社が鎮座する市内でも屈指の桜の名所である。
この日は夜来の雨も上がり、風は少し冷たかったもののすっきりとした青空の絶好の吟行日和となった。
桜はまだ三分咲きほどで満開とはいかなかったが、それでも日本の花は花、素晴らしい桜を満喫することができたし、愛宕神社から見下ろす博多湾や玄界灘は、広々として気持ちをゆったりさせてくれた。
また、句会場となった麓の割烹寿司「たつき」で戴いたランチはことのほか美味しかった。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

 あふのけに桜の磴を上りけり  英世

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愛莉は食欲旺盛

昨日は元気な女の子の話をしたが、孫娘の愛莉も負けてはいない。
このところその愛莉とよく食事に行くが、その愛莉の食欲に驚いている。
回転ずしに行けばこちらが止めなければ限りなく注文するし、先日行ったピエトロではパスタの他に食べ放題のサラダとパンを三回ほどお代わりしていた。
こんなに食べていいのかとこちらが心配するほどだが、愛莉は一向にお構いなしである。もちろんジュースやお茶もがぶがぶ飲んでいる。
聞けば愛莉は15人ぐらいのクラスの女の子の中で後ろから5番目ぐらいらしい。つまり大きいのである。
ただの大きいのであれば別に驚かないが、愛莉の誕生日は2月10日、つまり早生まれでそれを勘案すると愛莉は結構大きいことになる。
爺婆は極端に小さいし、父母もそんなに大きくないのに一体どうしたことだろうか。
食欲旺盛と何か因果関係があるのだろうか。

 当節は花より団子の少女かな  英世

木登り

私たちの子供の頃は、学校や神社での木登りが遊びの重要な位置を占めていたが、最近は木登りをする子供をあまり見かけなくなった。
ところが、先日その木登りをする子供たちを見た。
近所の公園に大きな楓の木がある。その楓の木に数人の子供たちが登っていたのである。よく見ると何と全員女の子で小学4~5年生ぐらいであろうか。
しかもその木は大木で、5メートルぐらいの高さの枝に野球帽がぶら下がっている。そこまで登った証拠である。
聞けば学校の帰りによく木登りをすると言うことであった。
楓の木の下には走り根がむき出しになっているが、よく見るとその木の根はつるつるに光っている。子供たちが毎日のように踏みしめているからであろう。
今時の子供たちは家の中でゲームばかりしていると思っていたが、木登りをするたくましい女の子もいるものだと妙に安心した。

 春風や樹上に忘れ野球帽  英世

野球シーズンが始まった

桜の開花と共に私の野球シーズンが始まった。
まず高校野球だが、春の甲子園とは別に各地区で春の大会が開催されている。
我が母校久留米商業も甥の長男をエースに立てて参戦したが、応援に行く暇もなく初戦で消えてしまった。こちらは夏の大会に期待するとしよう。
一方プロ野球だが、わが命ジャイアンツは高橋新監督を迎えて心機一転と行きたいところだったが、賭博問題や清原問題などが尾を引きなんとなく靄の中の開幕となった。
それでも、昨日の開幕戦はエースの菅野が先発し、昨年痛い目にあったヤクルトを撃破すると言っ幸先良いスタートを切った。今後の熱戦が楽しみである。
この半年家内の好きなスケートとか卓球、テニスと言ったスポーツに付き合わされてきたが、やっと我が野球―シーズンの到来である。
美味しいビールを飲みながらお茶の間の最高席で観戦するとしよう。

 巨人勝つ桜の花の散らぬ間に  英世  

渦潮句会

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23日の渦潮句会吟行は福岡城址のある舞鶴公園であった。
この時期桜にはまだ少し早かったが、それでもちらほらと咲き始めた桜にいよいよ春本番の雰囲気を感じた。
福岡城の大手門に集まり、牡丹園を抜けて城址の方へ少し動き始めると、目の前をつばめがかすめて行った。そうかつばめも雲雀もこれから春を満喫するのかと思うと、なんだか楽しくなってきた。
お濠の水も温みだしたのが、水草の成長でよくわかる。その中で帰るのを忘れたかのように鴨の番がゆっくりと泳いでいた。おそらくこの夏を過ごす残る鴨であろう。
また、頸洗い池と言うおどろおどろしい名をした池には、目が覚めたばかりの牛蛙が日向ぼっこをしていた。
その舞鶴公園を詠んだ句の中から、この日の一句をご紹介しよう。

 此処に居ますここに居ますと初蛙  英世

妻への感謝状

昨日の3月23日は家内の誕生日であった。
去年は行きつけのすし屋で食事をしたが、今年は二人だけで家で静かにお祝いをした。
家内の誕生日を祝っていると、あるテレビ番組での夫から妻へ感謝状を贈呈した一組の夫婦の話を思い出した。
夫が事故で怪我をして入院し、退院したのを機に妻への感謝の気持ちを込めて贈ったというその感謝状には、夫の手書きで(結構きれいな文字)感謝の言葉が書かれていた。
うら覚えだが、そこには「結婚以来我が侭な私をいろいろとお世話を戴きありがとうございました。ここに心から感謝の意を表します。これからも健康で長生きしてください。」と言った趣旨の感謝の言葉が述べられていた。
それ以来奥さんは夫婦喧嘩をした時とか悲しい時は、その感謝状を見てまた我慢しよう、頑張ろうという気になったと言う。
その後、ご主人は残念ながら亡くなられたが、亡き夫からのその感謝状は今でも座敷に掲げられている。
家内の誕生日に当たり、近い将来何かの記念日に家内へ感謝状を贈ろうかなと考えていた。

 うららかや妻へ自筆の感謝状  英世

百年句会

二回続けて欠席した百年句会に久しぶりに参加した。
桜の開花宣言もなされ、暖かい春の日射しに恵まれたこの日は、我が家から歩いてほど近い野村望東尼ゆかりの平尾山荘から日本庭園の松風園を巡るコースであった。
まず平尾山荘では梅は終わり桜がほころび始める時期であったが、これと言ってみるべきものはない。ただ、ここは自然を愛でるところではなく、望東尼の勤王思想とその時代の流れを肌で感じるところである。
次に行った松風園は落ち着いた日本庭園で、庭の中央に象徴的に立っている楓の大木が、この時期小さな赤い芽をつけ、その花を待っている時期であった。
句会はお弁当を戴いた後でその松風園の一室で行われたが、味気ない会議室での句と違い何となく奥床しいものであった。
花嫁さんの記念撮影と言う華やぎの中で、いつも戴くお抹茶の味は最高であった。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

 国想ふ心を此処に初桜   英世

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椿

先日の硯潮句会で西行忌と共に出た兼題が椿であった。
花の少ないこの時期、雪が降る冬の間から咲き続ける椿を好む人は多いと聞く。
椿は日本人にはなじみの多い花で、古事記や日本書紀にもその記述があり、古くから親しまれてきたことがわかる。
その実から搾った椿油は貴重な植物油として重宝され、昔は灯明用として、そして最近は頭髪用、食用として利用されている。
愛する油山の名もこの椿油を絞る寺があったことからつけられたというから、私にとっても身近な花である。
花房がポロリと落ちることから、あまり縁起の良い花ではないという人もいるが、私はそんなことは一切気にしない。美しいものは美しいと思うだけである。
その椿を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

 林泉に落つ他に術なき椿かな  英世

福岡市美術展

福岡市立美術館で開催中の福岡市美術展を観に行った。
なぜならば、今回の美術展には私の高校の同級生が、同時に二人も入選しその作品が展示されているからである。
一人はいつもお話ししている日本舞踊のお師匠さんにして水彩画を得意とする才女である。
今回の作品は「隣の庭」と言うブルーと白を基調とした明るいカラーで描かれている風景画であった。近景に自宅から見た隣の庭のユリの花などを配し、遠景に筑紫の山並を取り入れた構図はどこか俳句に通じるものがある。
一方の入選者は男性で、彼も高校時代から絵を得意としていた。
県美術協会賞を受賞した彼の作品は「深海のあんこう」と言う作品で、あのグロテスクな魚のあんこうを、ややユーモラスにそして迫力満点に描いた油絵である。
いずれにしても稀代の才能を持つ二人の友人に恵まれたことは、私にとっても幸せと言うべきであろう。

 うららかや友の絵を観る美術展  英世

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一句の風景

春風邪やゴリラの鼻の低きこと

まだ肌寒い春の動物園を吟行した時の句である。
いつものように散策しながら句を詠むわけだが、足はいつの間にかチンパンジーの檻を抜けゴリラの檻の前で止まっていた。
小さな猿たちを見てきただけにゴリラの大きさに圧倒されつつも、よく観察するとゴリラの鼻は横に広がってはいるもののとても鼻筋が通っているとは言い難い。いやむしろ顔の中に沈み込んでいるようであった。
折しも春の風邪が流行っており、ゴリラも類人猿だからきっと風邪をひくこともあるだろうなと思いながら賜った句である。
2013年(平成25年)3月「季題:春風邪(春)」

西行忌

今回の硯潮句会の兼題は「西行忌」と「椿」であった。
まず西行忌だがその名の通り西行法師の忌日である。西行については先月たっぷりとお話ししたのでここでは省略するが、詩歌をたしなむ者にとっては避けては通れない人物である。
その西行の忌日にちなんで俳句を詠むわけだが、過去の人だけにこれがなかなか難しい。とは言え俳句を詠まないわけにはいかない。
西行はことに吉野の桜を愛したと言われているので、その桜を愛でる西行を偲んで詠むことにした。
その西行忌の句の中からこの日の一句をご紹介しよう。

 父逝きし日の花想ふ西行忌  英世

道に迷った夢

旧友の死について昨夜はあれこれ考えながら床に就いたところ、案の定なかなか寝付かれなかった。
浅い眠りの夢の中で私は太宰府市にあった会社の独身寮にいた。旅するつもりだったのか、大きなキャリーバックを引いて太宰府駅に立ったところ、急にバッグが私のものではなく家内のものだったことに気が付いた。家内が独身寮に入ること自体がおかしいのだが夢の中だから仕方がない。
急いで寮に帰ろうと近道をしたところ、とんでもない山の中に迷い込み彷徨い始めた。周りは大きく高い松の木ばかりである。
出会った人に道を尋ねても誰も知らない。何度も来た道を行ったり来たりしながらやっと知っているという人に出会ったが、その人が連れて行った先は寮ではなく大きな病院だったところで目が覚めた。
夢判断では、道に迷った夢は自分の将来に不安や迷いがあるということらしい。今の私に何の迷いがあるというのだろうか。
いや、考えてみると迷いだらけである。友達の死、自分の健康のこと、老後のこと、孫や子供の将来、俳句のこと等々まだまだ迷いから抜けられそうもない。

 陽炎や道に迷ひし夢ばかり  英世

親友の死

昨日一本の電話があり、そのショックたるや言葉でどのように表していいかわからない。高校の同級生で私が最も信頼していた親友が亡くなったことを知らされたのである。彼とは高校の入学以来58年間、一緒に勉強したり悪さしたりと何でも話し合える間柄であった。
彼は父親をサイパンで失くし、一人子であったために兄弟の多い私をうらやましがってことあるたびに我が家に遊びに来ていた。
その彼が亡くなったとはにわかには信じ難いことだが、現実は現実として受け入れなければなるまい。
昨年末、入院しているということで見舞いに行こうと彼の自宅を訪ねた際に、雰囲気で重大な病気であることは察していた。奥さんから見舞いは遠慮してくれと言われたからである。
結局彼には会えなかったが、その翌日彼から「昨日来てくれたんだな、有り難う」と電話を貰った。だが全く会話にならないほど彼は弱り切っていて、これが彼との最後の会話であった。
人間いろんな死に巡り合う。自分の肉親を除けば友達の死ほど悲しいことはない。
これから告別式に参列するが、今はただ静かに彼のご冥福をお祈りするしかない。

 春風に乗って逝きたる君のこと  英世

甥の結婚式

13日の日曜日に甥の結婚式があった。家内の妹の息子である。
私も家内も兄弟が多く、それだけに甥や姪もその顔や名前さえわからないほどに多い。それでも結婚式となると出席しないわけにはいかない。
これまで甥姪の何人の結婚式に出席しただろうか。数えられないほどの数だが、それも未婚の甥姪はあと残すところ二人となった。
この次はだれの結婚式になるだろうかと考えてみた。残っている未婚の甥姪のことはあまりよく知らないし予定も聞いていない。
ふと、孫娘の鈴香のことが頭をよぎった。鈴香は現在大学で就活中だが、なんといっても21歳である。家内が私のところに嫁いできたのは21歳だったのだからいつどうなるかわからない。
それにしても結婚式はいいものだ。
年老いた私には結婚式と言っても乾杯の音頭を取るぐらいで大した役回りもなく、ただにこにこして拍手をして酒を飲んでカラオケで一曲歌えばいいのだから。

 うららかや結婚式は笑みの渦  英世

春泥

陽炎と共に兼題として出されたのが春の泥とも言われる春泥であった。
春泥とはそのものずばり春のぬかるみのことである。砂利やアスファルトで舗装されていない道路は雨が降るとよくぬかるみになるが、特に春先にその印象が強い。
なぜならば、冬は少々雨が降っても道路は凍てつく硬さでぬかるみはできにくい。それが春の訪れとともに、雨が降らなくても冬の間凍てついていた土が緩みはじめたり、雪解けなどもあるからである。
このように日差しが強くなる春によりその印象が強くなるので、春の季題とされているのである。
子供にはこの春泥を歩く喜びがより強いらしく、登校の途中にわざとこの春泥を踏み越えていく子を見かけるほどがある。長靴を履いていればいいのだが、白靴もお構いなしだから、母親の顔がいかばかりか想像するだけでも楽しくなる。
その春泥を詠んだ句の中から、今の日の一句をご紹介しよう。

 春泥や道路工事を避けて行く  英世

陽炎

今回の俳句の会「鴻臚」の兼題は「陽炎」と「春泥」であった。
まず糸遊とも言う陽炎だが、春の強い日差しに地表付近の空気が地上に揺らめき立ち上る現象を陽炎という。
光を複雑に屈折させることで発生する現象で、盛んなときはものの形が揺らぐようにも淡い炎のようにも見えるが、近づくにつれて見えなくなるのが陽炎たる所以であろう。
子供の頃、村はほとんどが藁ぶき屋根だった。その屋根が強い日差しによって含まれていた空気が温められ、陽炎を生じることもしばしばであった。
また、陽炎は形は見えても捉えがたいものの例えとされ、そのあるかなきかのはかなさが神秘的なものとされる。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

 陽炎や屋根葺く人の今はなく  英世

合格発表

2月中旬からぽつぽつと私立大学の合格発表がなされてきたが、ここにきて国公立大学の合格発表が終わった。
センター試験が終わって約2か月近くになり、やっと合格しましたとにこやかに話してくれる塾生を見るのは本当にうれしいものである。だが中には何にも言ってこない塾生は一体どうだったのだろうかと気をもんでしまう。
昼夜を問わず勉強してきたすべての塾生に合格して欲しいが、そうはいかないのが試験なのである。
これから後期試験の発表があるが、受験生はその間どんな心境だっただろうか。不幸にして夢が実現しなかった塾生にはぜひ来年こそはと願わずにはおられない。
とは言え大学合格はまだ人生の一歩である。合格したことに浮かれず、最高学府にふさわしい知識をしっかりと身に着け、日本の将来を担う立派な人間になって貰いたいと祈らずにはいられない。自分が大学に行けなかっただけに余計にそう思う。

  塾生の入試結果を聞くまでは  英世

シルバー会員の集い

福岡市シルバ-人材センターには各区ごとに独立した組織がある。
このほど私の所属している中央区では恒例の会員の集いが開かれ、例年通り私が司会を務め滞りなく終了することができた。
会員の集いは年次総会とは違い、決議機関ではなく会員相互の情報の共有と親睦が目的である。
この日も恒例の報告事項、警察による高齢者の交通安全教室のあとアトラクションに移り、県警音楽隊による軽快な演奏に手拍子を打ち、懐かしい音楽に涙しながらしばしリラックスすることができた。
日ごろは警察官として県民の安心・安全に奮闘し、一方、音楽を通じて県民との親睦を深めている紺の制服を着た警察音楽隊は、ことのほか心強く思えてならなかった。

 軽快に警察官の春の歌  英世

一句の風景

啓蟄の風を纏ひて退院す

先日一句の風景でお話しした白内障の手術のあと何日もたたないうちにお腹が痛み出した。
病院を訪ねると案の定恐れていた持病の憩室炎の発症で即入院であった。
入院生活は慣れたもので何ら不安は感じなかったが、仕事で迷惑をかけ句会にも参加できないことが悔しかった。
二月に入院して退院は三月と月を跨いでの入院だっただけに、今回の入院はいつも以上に長く感じた。
ようやく退院の運びとなり、病院を出ると生暖かい春の風が吹いていた。
折しもこの日は虫たちが春を感じる啓蟄であった。
2013年(平成25年)3月「季題:啓蟄(春)」

ストレッチ体操

昨年の夏から腰痛とそれが原因の足の痺れに悩まされていた。
整形外科に行ってもらちがあかず、整骨院に行って徐々に良くなってはいるものの完治には至っていなかった。
そこで健康オタクの家内の薦めに従い、今年に入りストレッチ体操を始めて、このところようやく腰痛から解放されつつある。用心のためにまだ週一ぐらい整骨院に入っているが、快方に向かっていることは確かである。
家内の言う忍忍体操とは違うが、ちなみに我流のストレッチ体操をご紹介しよう。
1.爪先立ち100回 2.太腿上げ200回 3.腿を上げての腰のひねり100回 4.スクワット100回(これが一番きつい) 5.両腕を強く突き出し手の平を大きく開く100回 6.首と肩廻し適宜 7.深呼吸数回 8.両足のふくらはぎと太腿マッサージ数分 9.足裏と指のマッサージ数分
「体操を続け食事療法をしたら生活習慣病からの脱却も夢ではない」と信じて今も毎日やっている。
この間約20分で、終わったら息が上がりうっすらと汗をかく。やりだしたらなかなか止めないのが私の性分だが、このまま夏になったらどんな汗をかくのだろうか。

 ストレッチ体操うつすら春の汗  英世

体力の低下

昨年からの腰痛と2月の寒さでどうも体力と言うか行動力が低下してきたような気がする。
健康な時は仕事をしながら山登りや散歩、吟行をしたりして何千歩も歩いていたのだが、昨年の後半からはめっきり歩数が減ってしまった。
と言うことで5月上旬並みの暖かい春の日差しを得て久しぶりに油山に登った。
昨年秋は腰を痛めて頂上をあきらめたので、今回は名誉挽回とばかりにその頂上を目指したが、ここでも体力の低下は明らかであった。
以前は一時間半ほどで登った山が、少し遠回りしたとはいえ何と二時間近くも掛かったのである。
一応安全のために杖を持っているが、今まで以上にその杖に頼ってしまうことが多かったような気がする。ただ登った後の爽快感は久しぶりに味わう山そのものであり、山頂で戴いたおにぎりは美味しかったし、帰りに入ったいつもの温泉も最高であった。
日々の体操にも心がけ何とかこの運動力を回復したいものだが、その前提となる判断力や決断力から鍛え直さなければならないかもしれない。

 早春の汗うっすらと登り坂  英世

福岡空港吟行

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今回のたんたん句会吟行は福岡空港であった。
この句会は寺社や名所旧跡にこだわらず、街中を歩いたりこの日のように空港を訪ねたりと、少し変わったことをする吟行句会である。
実は先日こしらえた顔の傷が癒えず欠席することも考えたが、「ままよ、男子たるもの顔の傷は勲章だ。傷が目印になり却って顔を取り違えられることもあるまい」と覚悟を決めて参加した。
現役の頃は毎週のように行っていた空港も何年か振りに行ってみるとその変貌ぶりに驚いた。
まず、東南アジアをはじめ外国人の顔がやたらに多い。大宰府などで観光客が増えたことは実感していたが、これほどとは思はなかった。
また、三月は例年転勤や進学の見送り客などでごった返すのだが、昨今は社員やクラスメイトの万歳の中での見送りの習慣もなくなったのだろういたって静かだった。
ただ嬌声を発していたのは若い女性の集団で、おそらく卒業旅行か何かで浮き浮きしていたのかもしれない。
そのような中で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 嬌声の一行卒業旅行かな  英世

冬野三月号

2月が短かったせいか、冬野三月号がいつもより少し早く来たような気がした。やはりこの冬野が手元に届くと「また新しい月が始まるなあ」と感じるものである。
その三月号に掲載された句並びにその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野三月号
 無の境地解けて水洟たらす僧
 神々の長き御名や里神楽
 首塚てふ丸き墳墓や夕時雨
 積み上げし墓碑の陰より冬の蝶
 冬木立透かす上枝の造形美
 狛犬の拗ねて横向く神の留守
 終電や駅員ストーブ消し帰る
 かいつぶり影絵のごとく浮きにけり
 吾を思ふ故の雑煮は薄味に
 露店なき参道広く寒雀
冬野インターネット句会
 下萌や都府の礎石は南北に
 天地のひかり集めて犬ふぐり
 史跡野の所構はず青き踏む
 賽銭に異国のコイン梅香る
俳句ステーション
 寒紅の口滑らかに二十歳の娘
 元旦の祝賀の膳もうどんかな
 雪の夜の二合の酒は人肌に
愚陀仏庵インターネット句会
 悴んで賽銭箱を逸れにけり

三月の花ごよみ「蒲公英」

蒲公英と難しい漢字で書いてタンポポと読む。
蒲公英は春を代表する花の一つで、野原を歩いていると足もとに黄色の灯りを点したように咲いている。
蒲公英には蝦夷・関東・関西・白花蒲公英などの日本古来のものと、明治の初めに野菜として移入された西洋蒲公英がある。
ところが御多分に漏れず外来種の勢いは強く、今では蒲公英と言えばこの外来種を指すようになった。この外来種は花の萼のように見える部分が垂れ下がって見えるのですぐにわかる。
この蒲公英の花が終わると白い冠毛を付けるが、これが蒲公英の絮で子供たちが風に飛ばして遊んでいる姿をよく見かける。
なお、根の部分は解熱・発汗・健胃剤などの漢方薬の原料となる。

 防塁を渡来蒲公英越へにけり  英世

三月に入る

三月の声を聞いただけで目の前が明るくなったような気がする。
立春は2月4日で暦の上ではこの日から春になった訳だが、実際はこのところやっと春らしく感じる日が多くなった。気温も確実に上昇している。
三月と言えば卒業シーズンである。そんな訳で私も中学、高校の卒業式を思い出した。
中学では級友全員がノートに寄せ書きして別れを惜しむとともに、未来への希望を口にしたものだが、あのノートは一体どこに行ったのだろうか。私の手元にないことだけは確かである。
また、高校の卒業式ではめったに学校に来てくれなかった両親が、この日だけは着飾って出席してくれた。よほど私の卒業が嬉しかったのだろう。
そんな両親をよそに私たちはさっさと同級生や先生とのお別れ会に臨んだ。もしかしたら両親が家でお祝いの膳を用意していたかもしれないというのに。
青春とはそんなものだったのだろうが、その時両親はどんな気持ちだったのだろうか。今も申し訳ない気がしてならない。

 客席の親の涙や卒業式  英世

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