四月が終る

今日で四月が終わるが、今月もいろんなことがあった。
熊本大地震は今なお被災地の人々に暗い影を落としている。国を挙げての救援活動がなされているが、一日でも早い復旧が望まれてならない。
話は変わるが、個人的には日本人の良識を再確認する出来事があった。
先日の吟行の折、日差しがきつくなったので今年初めて帽子を被って行こうとしたところ、バス停の日影のベンチで思わず帽子を脱ぎ、そのまま忘れてバスに乗ってしまった。
善良な市民を信じて夕方そのバス停に行ったが、残念ながら帽子の影はなく、向い側の交番にも届けはなかった。
誰かが被ってくれておればまだしも、道端のごみになっておればと思うと残念で仕方がなかった。
ところが、翌日の朝バス停に行って見ると、なんとその帽子が隣の銀行の駐車場の片隅に置いてあるではないか。風で吹き飛ばされたのを誰かが拾って置いてくれたのだろう。
尾瀬ヶ原のバッジを付けて全国の山を一緒に登った帽子だけに嬉しくなり、一時でも日本人の良識を疑った自分が恥ずかしくなった。

  尾瀬のバッジ飾る帽子や夏近し  英世

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一句の風景

菜の花や夕日を流す筑後川

筑後生まれの私にとって大河「筑後川」はまさに母なる川と言っていいだろう。
子供の頃はこの川で魚を釣り、高校の頃は友人とボートを浮かべてよく遊んだものである。風に吹かれながらその川べりを歩くのが好きで、土筆を摘んだりして一日中遊んでいた。中でも大好きだったのが、菜の花の季節であった。
両岸を真っ黄色に染め上げた菜の花は、筑後川のその雄大な流れにまさにぴったりの花、と言うより色である。
筑後川の川面を染める夕日と菜の花との取り合わせは、詩人ならずとも感動せずにはおられない風景であろう。
その菜の花と筑後川の夕日を詠った句である。
2013年(平成25年)4月「季題:菜の花(春)」

呉服町界隈吟行

今回の渦潮句会は博多区呉服町界隈を散策するコースであった。
周辺の古寺や史跡を巡るものだが、その中に濡衣塚と言う伝説の塚がある。
この塚のいわれを説明していると長くなるのでここでは簡単に「後妻に苛め抜かれた先妻の娘が、自分の無実を父親に夢で訴え濡れ衣を晴らした」物語である。
数か所のお寺や萬四郎神社を訪ねて、最後に訪れたのは博多小学校であった。
「博多区にある公立小学校で、博多部のドーナツ化現象により生徒数が減少したため、平成十年に四つの小学校が統合され設立された新しい小学校である。地域に開かれた学校、博多の伝統を生かす学校としての特色を有する」と紹介されている。
博多には古い祭や町人文化が数多く残っており、その文化を継承する子供たちを育てる教育方針に賛同し期待している。
この日は終日細かい雨が降り続いたが、その雨は無実の姫の濡衣を洗い流しているようにも思えてならなかった。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

 萬四郎の悔し涙か春の雨  

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狸がいなくなった里山

我が家のすぐ裏の里山「鴻巣山」は、たびたびお話ししているように私の散歩コースの一つである。
この山に狸がいなくなって久しくなる。
何故狸がいなくなったことが分かったかと言えば、いくつかある山の入り口の一つに、つい最近までは「狸がいる鴻巣山を大事にしよう」と言った看板が立てられていたが、それが最近取り外されたからである。
おそらく看板の管理者も最近狸を見なくなったので、その狸がいるかどうか自信がなくなったのだろう。
確かに都心の里山だけに狸がいること自体珍しかったのだが、このところの開発で住いが奪われてしまったのだろう。
でも、どこかでひっそりと生きているような気がしないでもないのだが。

  春の月狸はどこへ行つたやら  英世

お金の使い道

今は亡き母親からよく聞かされたお金の使い道の話をしよう。
 1.競馬やパチンコなど博打に使うのは下の下
 2.酒や買い食いに使うのは下
 3.服など形に残るものを買うのは上
 4.種や苗を買って育てるのは上の上
子供の頃に祭りや遠足に貰う僅かな小遣いでも、母は渡す時に必ずこの話をした。母もまたその母や祖母から聞かされてきた言葉であろう。
4番目の種や苗を買って育てろと言ったのは、代々我が家が農家だったからそう言ったのであって、現代流に置き換えれば「知識や教養を高めるための投資は上の上」と言うことだろうと解釈している。
そのような母の教えにもかかわらず、私の金は酒やゴルフなどの遊興にそのほとんどが消えてしまった。
天国の母はきっと「この親不孝の罰当たり息子が」と嘆いているいるに違いない。

  長閑さや金のなる木があるじやなし  英世

萩若葉

萩と言えば秋の七草にも選ばれているように、昔から歌に良く詠まれてきた花であるが、この時期風にそよぐ萩の若葉もまた格別の味わいがある。
萩はマメ科の植物だけにその花も葉もよくまめによく似ている。その若葉はことに柔らかく、芽吹いたばかりの時はまだ手を合わせるように畳んでいる。
動物園を散策した時に小路ののり面にこの萩の若葉があった。その姿は優しく時折吹く風に大きく靡いていた。
私は思わずその葉に触れてみた。先ほども言ったようにその葉はうっすらと産毛を刷いて柔らかく、まるで赤子の手を握っているかのようであった。
萩と言えば風である。萩の葉が風に揺れるさまはしなやかでさわやかさが感じられるが、俳句に詠む場合ある意味では付きすぎと言う人がいるかもしれない。それでも萩には風や雨を避ける訳にはいかないような気がする。
その萩の若葉を詠んだ句の中から、今日の一句をご紹介しよう。

 萩若葉優しく風をいなしけり  英世

梨の花

今月の硯潮句会の兼題は「梨の花」と「萩若葉」であった。
まず梨の花だが、この花は柿や蜜柑と違って街中ではめったに見られない。つまり果樹園に行かなければ見られない花である。
浮羽に旅した時に梨園で見たきれいな梨の花を思い出しが、どうしても目の前で梨の花を見たくなり、花畑園芸公園にその梨の花を見に行った。
私は兼題が出たらなるべく(散歩にもなるので)それを実際に見て詠むことにしているので、今回もそれを素直に実行しただけである。
梨の花はバラ科だけにリンゴに良く似た白い五弁の清楚な花だが、花より実を味わうことに気持ちが行ってしまうので、その花をわざわざ見に行く人は少ない。
その園芸公園の梨園に咲いている梨の花は、まさに白い妖精が梨棚に戯れているようであった。
その梨の花を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 筑後川遥かに梨の花の丘  英世

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鴻巣山余話 Ⅱ

昨日お話しした鴻巣山散策は、さらに足を伸ばして平和南緑地まで歩いた。
この平和南緑地も私がよく散歩するところで、そこにも鴻巣山と同じような展望台がある。
ずいぶん前に鴻巣山の展望台が、周りの樹木が伸びて展望台の役目を果たしていないとお話ししたが、こちらの展望台は遮るものがなく360度よく見えた。
北は博多の街並みから能古島、立花山まで手に取りように見え、東には福岡空港や宝満山、三群連山などが見える。一方南西に目を向ければこれも私の愛する油山そして遠く脊振山系がゆったりと横たわっている。
どうしてこんなによく見えるのかと不思議に思い注意して見てみると、何と展望台の周りの樹木が天辺から3~5メートルほど切り揃えられているではないか。
どうしてこんなことをしたのだろう。
確かに眺望を効かせるにはその方法しかないかもしれないが、私には何となく樹木が可哀想に思えてならなかった。

 玄海の潮の匂ひや風光る  英世

鴻巣山余話 Ⅰ

先日、あまりの天気のよさに我が愛する鴻巣山を散策した。いつも通りに小さな祠にお参りしたところ、そこで不思議なものを見つけた。
祠の中には中央に「豊秀大権現」左右に「幸守地蔵」「康守地蔵」と三体の石の地蔵が祀られているが、そのうちの「康守地蔵」には、なんと今NHK大河ドラマで話題の真田紋「六文銭」が刻まれているではないか。
私は気になってこの祠の由来を調べることにした。
調べていくうちに鴻巣山南面にある南区公民館の「長丘歴史の会」の記事に行き着いた。その記事によれば「祀られた時代や由来などはわからないが、その刻銘により大坂の陣で滅んだ豊臣秀頼や真田幸村を祀ったものとみえる」とあった。
確かに中央の豊秀大権現は豊臣秀頼大権現ともとれるし、幸守地蔵は真田幸村地蔵ともとれる。では康守地蔵とはいったい誰だろうか。まさか家康?
いずれにしても、何者かが隠れキリシタンのように密かにお祀りしてきたのであろう。
ちなみにこの長丘歴史の会の報には、平成15年の福岡市「市民文芸」に入選した私の随筆「鴻巣山」が、全文そっくり紹介されていた。

 六文銭祀る祠や風光る  英世

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机上メモ

昨日も好天に誘われて久しぶりに脊振山に登り、帰りにいつもの温泉でくつろいだ。
さて、話は変わるが毎日寝る前に机の上にメモを置くことにしている。
と言うのは、私の仕事が週約3~4日と断続しているので、明日が仕事だったかどうか気になって仕方がないことがあるからである。
確かにスケジュール表も作っているし、勤務先からシフト表も貰っているが、それでも忘れそうで気が気ではない。
そこで思い立ったのが机の上にメモを置くことであった。メモは句会、シルバーの広報委員会など何種類か作りその一つには大きく仕事と書いてある。勿論「ごみ収集日」のメモもある。
毎朝6時に起きてパソコンを開くために机に座るのが習慣なので、こうしておけば否でも気付かざるを得ない。
むしろメモがない時でも、逆にメモがないことに気が付きスケジュールを確かめることにもなるので安心である。
ちなみに今日は午前中が仕事で、夕方からは硯潮句会がある。

 うららかやごみ収集のメモを見る  英世

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一句の風景

香り聞きああ蚕豆と言ふ子かな

子供たちが家族連れで遊びに来た時に家内が蚕豆を塩ゆでしてくれた。
蚕豆大好きの長男はビールを傾けながら、ああ蚕豆かと懐かしそうに匂いを確認し美味しそうに口に運んでいた。
一緒に来た孫たちも蚕豆の形を不思議そうに見つめながら、父の真似をして匂いを嗅ぎながら、これもまた美味しいと言いながら次々と口にしていた。
蚕豆の香りが部屋中に広がり家族団欒をより以上盛り上げてくれた。
その家族団欒を詠んだ句である
2013年(平成25年)4月「季題:蚕豆(春)」

博多の街吟行

今回の百年句会吟行は博多の総鎮守として有名な櫛田神社に集合し、その神社をスタートに博多の街を巡る企画で、句会は赤煉瓦文化館で行われた。
吟行案内には集合場所だけしか示されておらず、どこをどう吟行するのか興味津々であった。
この日は大雨の予報が見事に外れ絶好の天気であった。
実際の吟行ではまず櫛田神社から博多伝統工芸館を訪ね、さらに博多川端商店街と東中洲を抜けて柳の若葉が美しい川べりを歩いた。
更に歩くとその先には中川に架かる福博出会橋があり、橋のたもとには博多人形の舞子像が首をかしげている。
途中、天神中央公園でインドやネパールのエトランゼによるカレーまつりのイベントを楽しみ、最後に訪ねたのが師の句碑のある水鏡天満宮であった。
今回の吟行では吟行スポットが多く焦点を絞るのに苦労したが、その苦労した吟行句の中から、例によって今日の一句をご紹介しよう。

  長閑さやカレーまつりのエトランゼ  英世

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柊の葉余話

昨日は日本庭園の話をしたが、今日は柊の葉の話の続きをしよう。
先日、柊の葉は鬼も怖がるような鋭いとげがあるが、年と共にその葉は丸みを帯びていくと聞き、私もそのように棘(角)が取れて丸くなりたいという話をした。
本当だろうかと植物園に行って調べてみると、何とそのまんまのことが柊の説明版に書いてあった。
この日は絶好の天気で、幼稚園の遠足などたくさんの人でにぎわっていたが、柊の葉に目を留める人など一人もいない。
私が柊の葉の前でかがみこんで写真を撮っていると、幼稚園の子たちが何をしているのと聞いてきた。
幼稚園の子に柊の葉の話をしても仕方がないが、一応説明すると案の定きょとんとして聞いていたものの、そのうちの一人が葉に触れるとみんなが一斉に葉に触りだした。子供はこうしていろんな知識を吸収していくのだろう。
私もまだまだこの子供たちには負けてはおれないと思った。

  遠足や弁当に花咲き乱れ  英世

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日本庭園

昨夜は小さな余震があったものの心配された雨も上がり、すっきりと晴れ上がった朝を迎えた。
さて、昨日は散歩の合間に日本庭園を訪ねお抹茶を戴く幸せの話をしたが、私の心をリラックスさせる場所の一つはこの日本庭園にある。
これまでもいくつかの日本庭園の話をしたが、やはり一番安心できるのは近くの友泉亭であり松風園である。
ところがこの二つの庭園には決定的な違いがある。つまり友泉亭には池があるが松風園には池がない。
友泉亭が池を巡る池泉回遊式の典型的な日本庭園なのに対し、松風園は茶室を中心に据えた池のない落ち着いた庭園で、園の中心の大きなもみじや四季の植栽を目の前で楽しむことができる。
どちらも素晴らしい日本庭園だが、どちらかと言えば私は池のある方が好みである。
先日もその日本庭園「松風園」まで歩き、庭園の大きないろはもみじの若葉が風に揺れる様子を飽きることなく見つめていた。
単に楓と言わずに何故わざわざ「いろはもみじ」と紹介したかと言うと、園丁のおじさんの話では神社やお寺は大きな葉の楓が似合うが、日本庭園には色が美しく小さな葉のいろはもみじでなければならない。特に秋の紅葉はこのいろはもみじに限ると説明してくれた。
人間歩けば何かと収穫のあるもので、この日はいろはもみじについてのちょっとした収穫があった。

  お抹茶と鯉の餌買ふ春の園  英世

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散歩健康法

ずいぶん前にスクラッチ体操が私の健康法みたいなことをお話したが、もう一つ私が健康上で気を付けていることに日課の散歩がある。
仕事の合間、それも雨の降らない日に限り散歩するので日数は一定しないが、だいたい週2~3日ほど速足で1時間から2時間歩く。家内からは2時間は少し歩きすぎだと注意されたがお構いなしである。
私の家の周りは昔は山だった関係で今でも坂道や森の径がたくさん残っている。北に動植物園のある大休山、南にはいつもお話ししている里山の鴻巣山、西には笹丘・輝国の丘陵そして東には平和緑地があり、それらを歩くと結構な運動量になる。
また散歩の途中でのティータイムが楽しい。
コンビニでアイスクリームを買って池のほとりで食べたり、日本庭園の友泉亭や松風園に立ち寄って庭園を見ながらお抹茶を戴いたりする。
この散歩の時間が心身ともにリラックスする時間で、これからも体が動く限り散歩を続けたいと思っている。
写真は浄水場のある高台から見た福岡市の遠景である。

 昨日より遠くに散歩春の風  英世

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もし江戸時代に生きていたら

夕べの熊本の地震には驚いた。娘婿が熊本に単身赴任しているので心配したが、偶然この日は福岡に帰ってきていて無事が確認された。それにしても今日からの後始末が大変だろう。
さて、病院の待合室である週刊誌の「もし江戸時代に生きていたら」というコラムを読んだ。
実は私も常々現代の自分の経験や知識のままで、もし江戸時代に生きていたならどんな人間になっていただろうかと想像することがある。
天才学者か大政治家、大金持ちかといろいろ想像してみたが、結果はいずれもみじめなものであった。
まず社会の仕組みが違う。自分が庶民として生まれていたら、おそらく世間にその存在すら認められないだろう。
時代背景も違う。吉幾三ではないが、テレビもねえラジオもねえどころか電気すらない時代である。
遠い外国の話や宇宙の話に耳を傾ける人もなく、民主主義だ、総選挙だと言ったら反体制派だとされるだろう。もしかしたら異国語をしゃべる伴天連として召し取られてしまうかもしれない
持ち合わせるすべての知識は活用の場や方法を間違うと、宝の持ち腐れになるどころかへたをすれば奇人変人扱いされてしまうだろう。

 夢に見る江戸の夜明やうららけし  英世

柊の葉

ずいぶん前のこのブログで、バスの席を譲ろうとした女子高生に、高齢の女性が素直に応じなかったとお話したことがあるが、それと同じような光景をまたまた見てしまった。
自分のプライドか曲解かは解らないが、素直さに欠けるつまり丸みのない高齢者はあまり見られたものではない。
昔読んだある新聞のコラムを思い出した。その一文をそのままご紹介しよう。
「木編に冬と書くヒイラギを思い浮かべる。その葉には鬼の目を刺すという鋭いトゲがある。おもしろいことに、年輪を刻んで古木になると自然に消えていくそうだ。つまり角がとれて丸くなる。あやかりたいが、人間、なかなかそうはいかないらしい」
柊の花が俳句の季題であることから、私も柊の花を観察したことはあるが、丸くなった柊の葉には気が付かなかった。
今日は植物園へ行って、出会ったらじっくりと観察し、自分もその丸い葉にあやかりたいと思っている。

 柊の丸き葉探す春の苑  英世

八重桜は今が本番

昨日は今日から天気が悪くなると聞いて、急遽花畑園芸公園から油山に登って八重桜を楽しんだ。
花が散って今年の桜も終わったかと思っていたが、実はこの日桜には今見ごろを迎える品種があることを花畑園芸公園で知った。
公園に入ってすぐ目に付いたのが黄緑の八重桜「御衣黄」とピンクの八重桜「里桜」で、今にも零れんばかりに咲き誇っていた。
ピンクの八重桜は我が家の向えのお家や、美術館の周辺にもたくさん咲いているので見慣れているが、黄緑の八重桜は初めてであった。その名も「御衣黄(ぎょいこう)」と貴族の衣服の萌黄色からいただいたというから、ウコン桜と共に正真正銘格調高い桜である。
花畑園芸公園から油山への山径も楽しかった。野辺の春竜胆や菫に心癒され、四十雀や鶯と語らいながら歩いていると疲れもなくあっという間に油山に着いてしまった。
その油山でもソメイヨシノが散らずに私を待っていてくれた。俳句でいうところの残りの桜である。
何時ものようにその桜の下でおにぎりを食べ、帰りに温泉で疲れを癒す。春はまだまだ私を楽しませてくれると感謝の気持ちで一杯の一日であった。

 まだまだ私がゐますと八重桜  英世

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竹の秋

麦の秋に似たような季題に竹の秋がある。つまりここでいうところの秋は春になって実りや色づくことを言う。
竹は一年中青々としているようであるが、それでも春先になると葉が黄ばんでくる。この状態を普通の草木の紅葉する秋に見立てて、竹の秋と呼ぶようになったのである。
竹は春にタケノコを産するので秋は地下茎に養分を蓄える必要があり、普通の木のように秋に休むわけにはいかない。どうにかその養分が貯まるとやっと紅葉して落葉する。
かつて我が実家には大きな竹藪があり、春から夏にかけてその竹の落葉を踏みしめて音を楽しんだり、集めて燃料にしたりしたものである。
その竹の秋を詠んだ句の中からこの日の特選句をご紹介しよう。

 支石墓に偲ぶ古人や竹の秋  英世

春の星

今回の鴻臚句会の兼題は「春の星」と「竹の秋」であった。
竹の秋はわかるが春の星とはまた珍しい季題である。春の星はそのものずばり春に煌く星であるが、それをどのように受け止め句にするかは難しい。
と言うことで春の星を見ようと晴れた日を待って油山の展望台まで車を飛ばした。山の北側は福岡の夜景が美しいばかりで星を見ることはできないが、南西側に目を移すとそこには季題の春の星がかすかに輝いていた。
初の空は総じて霞がかっており、それだけに春の星もうすぼんやりと見えて暖かく感ずる。
ちなみに私のいて座は夏の星座だけにこの時期は夜明け前にならないとみることができない。
そのような春の星を詠んだ句の中から、この日の一句をご紹介しよう。

 春の星うるむが如く泣く如く  英世

一句の風景

菜の花や古代遺跡の眠る丘

古代遺跡の吉野ケ里を訪ねた時の句である。
吉野ヶ里は昭和61年に発見された弥生時代の遺跡で、佐賀県の南東部の丘陵に広がっている。周囲には二重の環濠がめぐらされ、一つの集落が一人の王のもとに完全な自治を保っていたことが窺える。
環濠の内には防衛のための柵がめぐらされ、物見やぐらや祭祀のための高床式建物、竪穴式住居などが復元されている。もちろん多数の墳墓からは王の象徴である玉や剣、銅鏡をはじめ、生活用具の石器や土器などが発掘された。
その吉野ヶ里遺跡を吟行した時は、まさに菜の花の季節で近くの川岸や田畑は一面の菜の花で黄色く輝いていた。
2013年(平成25年)4月「季題:菜の花(春)」

世界的習慣病

ずいぶん前に、子供を見守ってあげなければならない母親が子供から目を離して、スマホに夢中になっているとお話ししたことがある。
先日もどすんと言う音と共に、火のついたような赤ん坊の鳴き声がしたので振り返ると、なんと赤ん坊がベーカーから転げて地面に叩きつけられているではないか。
慌てて母親が抱き起したが、その手にはスマホが光り輝いていた。スマホに夢中になって赤ん坊から目を離したのは明らかである。
立っても座っても、バスに乗っても、電車に乗っても、中には酒を飲みながらメールやカメラ、ゲームに興じている者までいる。
自転車に乗りながら、あるいは歩きながらのスマホの操作は、他人に危害を加える恐れもあるが、それ以上に本人が危険な状態にあることを自覚すべきである。
勉強や本離れを心配するあまり子供にスマホの時間規制を強いる前に、大人たちが手本を示すべきではなかろうか。
昨年の話になるが、ある新聞のコラムに現在の「スマホ依存症」はまさに生活習慣病だという論説が載っていた。
私は生活習慣病どころか国民的習慣病、いや今や世界的習慣病だと思っている。

 春の風邪なれどスマホの離せぬ子  英世

三度笠

昨日、二階のベランダに雨風と共に花びらが降り込んで来て、今年の桜の季節が終わった。
さて話は変わるが、ずいぶん昔の話だが新聞記事に三度笠の由来が書いてあった。木枯紋次郎が被るあの三度笠である。
三度笠はもともと東海道を走る飛脚が被っていたもので、江戸と大坂の間を月に三度往復することからその名が付いたらしい。
芭蕉は旅の笠を自分の住いに例えたが、飛脚のそれは商売道具と言ったところだろうか。
時代は進んで、新幹線は東京大阪間を飛行機並みの2時間25分で結び、さらに早いリニアも計画されている。
ところがそれより速いのが、電話でありそして今やネットの時代である。
自分の考えや主張を瞬時のうちに地球の裏側までも伝達できるようになり、発信者の顔が分からない上に不特定多数が見ることから、犯罪に利用されることもしばしばある。
事実、私の携帯にも怪しげなメールが度々送られてくる。
このネットが開発されていなかったら、もっとゆっくりした社会が続き地球や人類の終焉も延びるかもしれない、と思いながら私も毎日ブログで発信し続けている。

 春風に乗って飛び来る飛脚便  英世

デジカメとアナログカメラ

最近デジタルカメラやスマートフォンの普及で、あちらこちらでぱちりぱちりとスナップを撮影している姿をよく見かける。
事実私も何かと撮影ポイントを見つけては気軽に撮っている。
ところが、最近そのことに少し疑問を感じている。
前にも一度お話ししたが、私は今のデジカメを使う前には一眼レフのアナログカメラを愛用していた。
今では骨董品並みに私の書架に飾っているが、その一眼レフで撮影する場合はポイントを慎重に選び、構図を考えに考え抜いて撮影していたものである。
フィルムを使っての撮影は当然金もかかるし、お店に現像を依頼するので下手な写真を撮る訳にはいかなかったのである。
それが今ではただ同然で撮影できるので、むやみやたらと撮影し、結果的に偶然良いものだけを残すことになる。
果たしてこれで写真が文化と言えるのだろうか。
気になって仕方がないが、今さらアナログカメラに替える訳にはいかないだろう。

 アングルをはみ出す笑顔花吹雪  英世

冬野四月号

この前冬野三月号を詠んだような気がしたが、もう四月号である。
最近、冬野での私の成績は振るわないが、そんなことはどうでもよいと負け惜しみを言いながらページをめくった。
その中から例によって冬の掲載句と他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野四月号
 苞に香を封じ切れざる冬牡丹
 末社へと続く飛石実万両
 鬼すべの浮かび上げたる神樹かな
 下足袋の跡くつきりと鳥総松
 蝋梅の香に誘はれ数寄屋門
 遊ぶには足らざる雪と思へども
 霰降る駅に小便小僧立つ
 山門の山頭火碑や霰降る
 二の丸に殿さん気分の梅見かな
 元気良き子等の掛け声草萌ゆる
冬野インターネット俳句
 野に少し遅れて峡の初桜
 繰り返す延着案内黄砂降る
 シスターの春泥跳ぶを見たりけり
 頬笑みてふ日本の会釈初つばめ
俳句ステーション
 行先はどこでもよろし四温晴(特選二席)
 昨日より遠くに散歩草萌る
 太閤の夢のまた夢春の月

茶人の部屋

昨日は茶人である友人の部屋から大濠の桜を楽しんだ話をしたが、その部屋の雰囲気に感動した。
その部屋はそんなに広くはないが、部屋中に茶人としての心掛けが見てとれた。
まず部屋の中央に敷物を敷いて簡易床を設え、そこには茶釜と素晴らしい焼物の花瓶(何焼きかは聞きそびれた)が置かれ詫び寂びの花が活けられていた。
衝立には素朴な竹の花筒が供えられ、掛軸は母御が嫁入りに持参して来た長持のカバー(名前は知らない)を切り取り軸にしたものと言うことで、茶室の雰囲気に見事に調和している。
また古い桐の箪笥が二棹あってそこには和服がびっしりと詰まっていると言うが、その箪笥の上には欄間を形どった飾りが飾られていた。
目隠しの衝立と言い壁に飾らた絵や色紙、短冊と言い、いかにも茶人らしい落ち着いた雰囲気があった。
全く洋風の我が家のリビングとは比ぶべくもないが、落ち着いたその部屋の雰囲気に心安らいだひと時であった。

 花の下一幅の茶にもてなされ  英世

部屋から花見

昨日は大濠公園近くのマンションに住む句友(女性)から、花見のお誘いを受けていたので何時もの友人数名とお邪魔した。
花見と言うがこれが何とマンションの部屋から大濠の桜を俯瞰するという豪快な趣向である。
この日は夕方から雨になったが、私たちがお邪魔した時には雨はまだ降っておらず、マンションすぐ下の桜を観ながら遠くに目を移すと、大濠公園の素晴らしい景色を一望し、舞鶴公園の桜が霞の中にぼんやりと浮かんでまさに、花曇りの中の幻想的な花見であった。
茶人である家主のお手前で、作法を教わりながらいただいたお抹茶もまた花にふさわしい日本の文化であった。
勿論そのあとはお酒と御馳走を戴いたことは言うまでもない。
この部屋からは夏の大濠花火大会もよく見えると言うことで、その時にまた伺う事を約束してしまった。

 日本茶の手前に窓の桜かな  英世

たんたん句会

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今月のたんたん句会吟行も舞鶴公園であった。
ところがこの日の舞鶴公園は一週間前に行った時とは様相が一変していた。
一週間前はまだ桜がちらほらだったが、この日の桜はこれ以上ないと言わんばかりの満開で、手で触れると今にも零れんばかりであった。
それにしても桜はたくましい。大きな洞を抱えた老幹はいまにも倒れそうにしているが、それでもたくさんの花を咲かせている。
もちろん、あちこちで花見の客が陣取っていた。私たちも出店の屋台でビールを飲み、たこ焼きや焼きそばを食べながら、句はそっちのけで花見を楽しんだ。
それにしても、日本人はどうしてこんなに桜が好きなんだろうか。
ある人に言わせると「その花の時期が短く散り際が潔いところが日本人好みである」という。
しかし私は長く寒かった冬が終わり、この桜を見ることで心が豊かになるからのような気がする。
そのような花見気分の中で詠んだ句の中から、この日の一句をご紹介しよう。

 会ふたびに花の盛りを語りけり  英世

四月の花ごよみ「桃の花」

今朝はお向いの庭で鶯がきれいな声で鳴いていた。舞鶴公園の桜は今日からライトアップされると言う。まさに春爛漫である。
さて、昔のひな祭りは旧暦の三月つまり現在の四月に行われていた。そのひな祭りに欠かせないのが桃の花である。
私が見た桃の花で一番感動したのは、甲府盆地一面に桃色の花が一面に広がって咲く様で、それはまさに桃源郷そのものであった。
桃の起源ははっきりしていないが、中国の黄河上流の高原地帯が原産で神話の時代にはすでに到来していたと言われている。
「古事記」にイザナギノミコトが黄泉の国から逃げかえるとき桃の実三個を投げつけて鬼を撃退したと書かれている。それほど桃は古くからあったという証拠である。
そんな伝説からか桃は主に実を医薬品として重宝されてきたが、俳句ではその桃の実は秋の季題、そして春が桃の花となっている。
桃の花を単に桃と詠めば秋の句となるので間違えないようにしなければならない。

 嫁いでも隣に住む子桃の花  英世

四月に入る

四月に入る
今日から四月で、四月と言えば入学である。
この春合格した新大学生もここから新しい人生のスタートを切る。順風満帆とはいかずとも、何とか無事に新しい環境に馴染んで欲しいものである。
ところで、孫娘の鈴香はと言うとこの四月から大学4年生で、いよいよ就活に入る。
男性ほど就職が人生を左右することもなかろうが、何とか無事就職を決めて両親やこの爺を安心させて欲しいと願っている。
父親は県庁や市役所の公務員になって貰いたいようだが、こっそり鈴香に聞いたところ全くその気はなく、希望の道は別にあるという。
私や父親と同じ系列の企業が希望だと言うが、果たしてうまくいくだろうか。いや、彼女の性格ならまずどこかが認めてくれるだろうと信じている。

 四月はや就活目指す孫娘  英世

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