五月が終る

四月からの地震に日本中が揺れ動いた五月が今日で終る。月並みのようであるが、被災地の一日も早い復興が願われてならない。
さて、その五月の行事で印象に残っているのは、福岡市シルバー人材センター総会である。
私はこの総会の司会を過去4年連続で務めてきたので、今年は他の人にお願いしたいと申し出ていた。
そうしないとシルバー人材センターに人材がいないかと思われますよと、冗談半分にやんわりとお断りしていたが、そんなことはお構いなしに幹部会資料に「司会・大津」と刷り込まれていたのである。
私の了解もなしではあるがこうなるとどうしようもなく、五度目の司会を務めることになった。その総会の司会も何とか無事やり終えて、キリンビアホールで気勢を上げてカラオケに流れて爽やかな五月が終った。
これから梅雨本番の六月に向かって、気を許すことなく体調を整えなければなるまい。

 地図なぞり歩く史跡野風五月  英世

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一句の風景

麦飯や父の貧しさ子の知らず

私の子供の頃はご飯と言えば麦飯が当たり前であった。今でこそ健康食品だなどと言われているが、その頃はまた麦飯かと私をがっかりさせたものである。
特に姉たちが持っていく弁当には、母ができたてのお釜の底から麦の少ない部分を掬って詰めていた。私達が食べる残ったご飯は当然麦の比率が高くなりぽろぽろで、私は米を家で作っているのだろうと父に文句ばかり言っていた。
父はそのたびに私をたしなめたが、どことなく寂しい顔をしていた。当時は家が貧しく作った米は農協に売りに出す貴重な現金収入だったのだが、子供だった私には父の苦労などわかるはずもなかった。
2013年(平成25年)5月「季題:麦飯(夏)」

烏の大移動

一年で一番夜明けが早い時期になって来たが、そのことで少し困ったことが起きている。
と言うのは、朝早い4時ごろになると網戸越しに烏の鳴き声が響き、目が覚めてしまうのである。
別にこの時期に限ったわけではないが、烏は朝になると動物園のある大休山から餌場で遊び場でもある鴻巣山に毎日集団移動する。それも空低く時には屋根すれすれに飛び、その際家族や仲間を確認し合うのか大きな声で鳴き合う。
その声は1時間ほど続き、よほどの熟睡か鈍感でない限りほとんどの人は目が覚めてしまうに違いない。
ちなみに、夕方には逆に鴻巣山から大休山へ集団で帰るが、この時は夕焼けの中を空高く飛び、鳴き声は朝とは違う哀愁を帯びた鳴き声に聞こえる。
少々うるさいが烏も町の住民なのだから、少々大目に見るしかないであろう。

 明易や烏は時に高く飛ぶ  英世

消えゆく季題「麦扱・麦打」

しばらく消えゆく季題についてお話ししていなかったが、今日はその話である。
5月の終わりから6月になると麦の収穫が盛んになる。
今では稲刈り同様機械化され味気ないものになってしまったが、昔は家族総出で麦の収穫つまり「麦扱・麦打」をした。今では考えられないが、田植とこの麦の収穫のために学校は農繁期休みがあったほどである。
麦の収穫は4段階に分かれ、最初が麦刈りそして次が麦扱さらには麦干し最後に麦打である。
麦扱は当初千把扱と言う爪がたくさんついた素朴な道具で麦穂をしごいていた。それが済むと庭の筵に落とした麦穂を拡げて天日に干し、竹の棒の先に回転する板を取り付けた「ぶりこ(方言?)」と言う道具で、ぺったんこ、ぺったんこと麦を打つのである。
戦後は大きなローラーに輪っぱのような爪が付いた足踏みの機械が普及し、父は足でペダルを器用に踏みながらローラーを回転させ、一束ずつ麦の穂を落としていった。つまり麦扱と麦打を一つの機械でこなすようになったのである。
麦の収穫は独特の香りと、そのすさまじい埃をおぼえているが、それも遠い昔になってしまった。

 麦扱機器用にペダル踏みし考  英世

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植物園吟行

今回の渦潮句会吟行は百年句会と同じ我が家から歩いて15分の植物園であった。植物園は先日も愛莉と遊びに行ったばかりである。
この日は昨夜からの雨も上がり、曇り空乍ら絶好の吟行日和であった。
この時期植物園は初夏の花があふれている。中でも薔薇園は赤黄白の色の波が打ち寄せる海のように思えた。
薔薇好きの人には意外と男性が多いような気がする。自慢のカメラを構えて通路を我が物顔に占領し、かがみこんで接写を試みる人もいる。中には大きなカメラを2台も背負っている人もいる。
他にも紫陽花、花菖蒲などの初夏の花々が私たちを温かく迎えてくれた。
また、植物園の四阿には句友の色紙短冊が展示されており、俳句ムード一杯である。
その植物園を詠んだ句の中から、この日の一句をご紹介しよう。

 薔薇好きの漢カメラの位置に凝り  英世

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よみがえる英雄伝説

昨日は中国の歴史の本の話をしたが、少し前にNHKBS放送(再放送)で「よみがえる英雄伝説」なるものを見た。
いろいろ放送された中国の英雄伝説の中で私が見たのは「紂王と太公望~王朝文化・古代最大の決戦~」と「伝説の王・禹~最古の王朝の謎~」であった。
「中国の歴史」と「史記」で何回も読んでよく承知している話ではあるが、それをドキュメンタリー風にビジュアル化されるとついつい引き込まれてしまう。
特に、よみがえるとタイトルがあるように遺跡から出土した亀甲文字や青銅器に刻まれた文字から、今まで史実かどうか疑われていた王朝や人物の存在が証明されると、なんとなく「それ見ろ、史実だっただろう」とエールを送りたくなる。
これから中国に限らず日本を含めた古代王朝のロマンに、ますますのめり込みそうな予感がする。

 薫風や発掘物に見る史実  英世

私の本棚「中国の歴史」

歴史好きの私は日本の歴史を除けば中国の歴史が大好きである。多分に子供のころ読んだ少年版三国志の影響かもしれない。
これまでもたびたびお話ししたが、かつては私の本棚には中国の歴史に関する本がたくさん並んでいた。その中心になるのが史記であり陳舜臣の「中国の歴史」「人物中国の歴史」であった。
史記の話は後日に譲るとして、この「中国の歴史」は中国の神代の時代、つまり黄帝や堯・舜の三皇五帝の時代から、中国歴史上にはじめて現れた夏・殷王朝へと進んでいく。
特に春秋戦国時代になると、日本にもおなじみの人物や出来事(多くは戦いの歴史)が数多く出てくるのでわかりやすく楽しめる。
歴史を断片的に読むのも面白いが、個々の歴史を読む前に中国の歴史を一通り読み下して、歴史の背景を大まかにつかんでおくとより面白くなる。
と言いながら、これらの歴史書も史記の三巻を除いてすべて捨ててしまった。

 歴史書に机上取られし夏の夜  英世

俳句と絵画

先日ある俳句の先生から所属する美術の会の展覧会の招待状を戴いたので、硯潮句会に行くついでに福岡市美術館に観に行った。
この先生は俳句ではホトトギスの同人であり、絵画の方でも中学の美術の先生を務め、俳誌「冬野」の表紙絵を担当されている。
どちらが本職かわからないほど二つの道に秀でており、何時ぞやも言ったように天は彼にニ物を与えてしまったのである。
彼は港や湖などの水辺の風景が得意で、この日の絵も温泉街の雪景色の中を清らかな小川が流れていた。
彼の絵を観ながらまた俳句と絵について考えていた。
前にもお話ししたが、絵を描くと言うことは題材のしぼり方、季節感(季題)、遠景近景の置き方、主役と脇役、表現技術など俳句と共通する思考や技法が必要なんだなと改めて感じた。
それなのに私は絵筆がからっきしだめで、高校時代に「美術と書道がなければ俺は天才だ」と冗談を言っていたほどである。

  美術館出れば湖の風薫る  英世

愛莉と動物園

昨日は前々から愛莉とこの日と決めて約束していた動物園に行った。
約束した時は五月の初めで、爽やかな五月に愛莉と行こうと決めたものの、二十日ほどたったこの日は少し歩いただけでも汗ばむほどの暑さになっていた。
加えて愛莉の元気さに付いて行くのがやっとの爺は、汗だくだくのくたくたである。
何時もの通り象の花子に挨拶し、愛莉の好きなオランウータンやカバ、爬虫類などを見てスロープカーで植物園に行った。この暑さを凌ぐには動物園より何となく植物園がふさわしいような気がしたからである。
その植物園では動物園で撤去した豆電車が、豆汽車ポッポとして復活している。愛莉は当然乗ると言うに決まっている。
その汽車ポッポで園内を一周した時の愛莉の嬉しそうな笑顔は、まさにこの爺の宝である。
それにしても動物園に行く途中で、愛莉と家内の三人で食べたGAETANO(ガエターノ)のピザは、値段が高いだけあってことのほか美味しかった。

   軽暖の園をゆるりと汽車ポッポ  英世

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楠落葉

楠は九州を代表する大木で、神社やお城などによく生えているし、山に行けば今でも楠の自然林が残っているところがある。
私の母校も別名楠南校(しょうなんこう)と言われるように、創立当時には校庭の南に大きな楠があったと言う。
この楠は常緑樹と言うことになっているが、不思議なことに昨年生まれた葉は新しい葉にせかされるように落ちていく。つまり楠若葉と楠落葉がほぼ同時期になると言うことになる。
楠も「新しい葉に世代を譲る」ところから名付けられたユズリハという植物の葉と同じような運命を持っているのである。
太宰府天満宮にはたくさんの楠の大木があり、この時期参道はこの楠の落葉に埋まってしまう。
その楠の落葉を詠んだ句の中からこの日の一句をご紹介しよう。

  神域へ渡る朱の橋楠落葉  英世

茨の花

今回の硯潮句会の兼題は「茨の花」と「楠落葉」であった。
まず茨の花だが、シューベルトの「童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)」のあの野ばらの花と思われがちだが、歌にあるその西洋種の野生の薔薇ではなく、実際は日本古来の薔薇族の一種で、古くは「うばら」と言っていた。
俳句では野茨、花うばらとも言われる。
山好きの私は近くの里山を歩くのが趣味で、歩くたびにこの野茨をよく見かけるが、日本古来の種か西洋種かはわからない。。
五、六月ごろ白い清楚な花を付けるが、茨の名の通り一面に棘があり、うっかり香りを嗅ごうとすると顔や手を引っ掻くこともあるので注意が必要である。
秋には赤い小さな身を付けるが、これは食べられたものではない。
この茨の花を詠んだ句の中からこの日の一句をご紹介しよう。

 茨咲く猪のぬた場の濁り水  英世

一句の風景

新茶淹る温めがよしと母は娘に

私の故郷は南筑後地区で、近くには八女茶の産地が広がっている。それだけに昔からどの家もお茶に親しんでいた。特に新茶が出るとさっそく淹れて味わっていた。
ある日、母が姉にお茶の入れ方を教えていた。「新茶は葉が柔らかいので熱湯を注ぐと葉が煮えてしまう。熱湯をしばらく冷ましてからじっくりと淹れると甘みと言うかうま味の多いお茶になる」と教えていた。
傍にいた私も自然と聞くことになりそのことが今でも忘れられない。
毎日のご飯の後にお茶を戴くといつもこの時のことを思い出し、思わず句にしたものである。
2013年(平成25年)5月「季題:新茶(夏)」

百年句会の偶然

先日、本来は欠席するはずだった百年句会に、幸運にも参加することができたとお話ししたが、それは何かに誘われるように舞鶴公園からシャトルバスに乗り植物園に行ったからである。
実をいうと植物園に着き先生や句友に会うまでは、百年句会のことはすっかり忘れていて、何故ここに先生方がいるのだろうと不思議に思ったほどである。そうか今日の百年句会吟行は植物園だったのだと気が付くのにしばらく時間が掛かった。
投句締め切りまでは約一時間半ある。これは何かのお導きだろうと、俳句手帳も歳時記も持たず鉛筆一本で、急遽百年句会に参加することにし、駆け足で園内を回り句にまとめた。
なお、百年句会とは関係ないが、家内に「いまから植物園に行くので昼食は不要」とメールを送ったところ、植物園に行くならピエール・ドウ・ロンサールとアンジェラと言う名のバラの写真を撮って送ってくれと言う。やっと探し当てて送信したが、彼女が薔薇にこんなに詳しいとは全く知らなかった。
その何とかいう薔薇を探しながら詠んだ百年句会の今日の一句をご紹介しよう。

  軽暖の笑顔を乗せて豆列車  英世

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シャトルバス

舞鶴公園と動・植物園の間を無料シャトルバスが走っていることは知っていたが、実際に乗ったことはなかった。
ラブアースが終わって家に帰ろうと一旦は大手門から路線バスに乗ったが、ふとシャトルバスのことを思い出し、次のバス停で降りて引き返して舞鶴公園からそのシャトルバスに乗り植物園に行くことにした。
シャトルバスに乗って驚いた。車内は象のぬいぐるみが車内一杯に飾ってある。次に発車する待機バスを見るとそこにもキリンがおり、着いた先の折り返しのバスには豹がいた。
車が走り出してさらに驚いた。バスが発車するや否や奇妙な声がする。よく耳を澄ますと何と動物の声である。動物園にいるライオンや猿、羊、鳥の声などの録音がバックグラウンドの音楽と共に流れ、いやが上にも動物園ムードを掻き立て子供たちを興奮させていた。
競争相手のいない動物園行バスでもこうしてサービス提供しているとは。一体誰のアイデアだろうとあまり関係ないことを考えていた。

  乗るやすぐ薔薇の香りのシャトルバス  英世

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ラブアース

昨年もお話ししたが「ラブアース」と称して、毎年この時期にボランティア活動の一環として公園や海岸の清掃作業を行っている。
私もこの種の活動には積極的に参加することにしており、今年もラフな作業着に着替えて参加した。
清掃の場所は昨年と同様に大濠公園で、お濠の周りを数人単位で歩き空き缶やごみなどを回収した。
最近は市民のマナーが良くなったのか、空き缶やペットボトルのポイ捨てが減り、ごみも少なく気持ちのいい作業だった。いつまでもこのような綺麗な公園であって欲しいものである。
また、この日は百年句会吟行の日であったが、シルバーの広報委員もしている関係でこのラブアースを欠席する訳にはいかなかった。
ところが、ラブアースが思いのほか早く終わり、幸運にもその百年句会にも出席することができた。その話は後日することにしよう。

  薫風や空き缶拾ふお濠端  英世

母の日

五月の第二日曜日は母に感謝する母の日である。
この感謝の日は大正時代にアメリカから移入されたもので、今や国民こぞってこの日を祝い母に感謝の意を示す一大行事になっている。
ところが、私は母の日だからと言って特別に母に何かしてあげた記憶がない。
子供の頃に先生から言われて、「肩たたき券」とか「お使い券」とかを自作して母にプレゼントしたことはあるが、それも何時しか途切れてしまっていた。
それが結婚し子供が出来て、子供たちから母の日だ、父の日だと言ってささやかなプレゼントを戴くようになって自分の母のことを思い出した。だが、その時にはすでに母と父はこの世にいなかった。
その母の日の句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  母の日や単身赴任の子の帰る  英世

鯉幟

今月の俳句の会鴻臚の兼題は「鯉幟」と「母の日」であった。
鯉幟は日本の代表的な端午の節句の象徴的なものであり、片や母の日は大正時代にアメリカから移入された風習である。その新旧の二つの行事の季題が並ぶのも俳句ならではなかろうか。
ところがその鯉幟を昨今あまり見かけなくなった。住んでいる町の特性にもよるのだろうが、周りには高齢者が多く新生児の数が少ない。仮に生まれても土地が狭くまたマンションに住んだりして、鯉幟を高々と掲げることはできないのであろう。
温泉地の町おこしや都心のイベントで鯉幟を見ることがあるが、何となくしっくりこない。やはり鯉幟は我が家の庭先に、風車の音のする吹き流しと共に高々と掲げるもののような気がする。
その鯉幟を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。
また、この日は句会のあと牡丹芍薬園で芍薬を愛で、そのあと名島門傍の楝の花を見に行った。特に楝の花は今が盛りで、折からの風に小さな花を散らしていた。

  一旒の幟に託す過疎の村  英世

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混ぜご飯

昨日、家内が夕ご飯は炊いているので一人で食べてと言い残して出かけた。
どんな用事かも詳しくは聴かなかったが、このようなことには慣れているので何とも思わない。なにしろ10年間の東京単身赴任生活で鍛えられているから。
一杯飲んでさあ食べようと炊飯器を開けると、何と久しぶりの大好きなピースご飯であった。俳句でいうところの豆飯(春)である。
ピースご飯が特別珍しい訳ではないが、このご飯が出るとどうしても大家族の子供の頃を思い出してしまう。
家は農家で米はふんだんにあるわけだから、毎日銀シャリでよさそうなものだが、来る日も来る日も麦飯であった。私の家だけではなく世の中がそういう時代であった。
たまに五目ご飯(家では混ぜご飯と言っていた)やピースご飯、蚕豆ご飯などが出ると、「やった、混ぜご飯だ、ピースご飯だ」と嬉しくなって何杯もお代わりした記憶がある。
混ぜご飯は今でも私の大好きなご飯の一つである。

 豆飯や末の弟も還暦に  英世

俳人宅を訪ねた

先日の西公園吟行の折にホトトギス同人の先生(女性)宅を訪ねた。
この先生のお庭のことは昨年の12月にもお話ししたが、今年は卯の花が咲き出したので見においでと、ある先生を通じてお誘いを受けていたのである。
訪ねてみると庭一杯に初夏の香りが漂い、その隅に一本の空木つまり卯の花が微かな匂いを放っていた。山で見る卯の花とはまた違った趣で、このような花と暮らす俳人に余裕と言うか隠者のたたずまいさえ感じた。
他にも庭には俳句にちなんだたくさんの花が植えてあり、この日はホタルブクロや雪の下などの初夏の花が咲いていた。
また前回は遠慮した先生のお部屋も見せて戴いた。
お部屋には師系の高浜年尾先生や河野静雲先生の掛け軸、それに虚子の句碑を拓にとった掛け軸などが掛けられていた。
おおよそ私の部屋とは大きくかけ離れた本物の俳人らしい部屋に、尊敬と憧れを抱きながらしばし感激に浸っていた。

 卯の花や隠者めきたる師の生計  英世

地震の俳句

昨日お話しした伝統俳句協会九州大会での当日句で、時節柄か熊本地震を詠んだ句がたくさんあったが、私は何となくすっきりしない気分であった。
大会の当日句は当日吟行句又は雑詠となっているので、地震を詠んで悪いと言うわけではないが、私は被災地で苦労してる人たちのことを思うと、軽々に地震を句の対象にするのはどうかと思ったからである。
明らかに熊本の人で、この俳句大会が済んだら急いで揺れる熊本に帰らねばと言った切実な句もあったが、中には新聞やテレビで知った情報を、さも自分の実感として詠み替えたのでは思われる句もあった。
また、地震見舞いみたいな句は「自分は心配しているのですよ」と言わんばかりで見苦しい。やはり、被災地の現状を見ると、地震被害に直面していない人が軽率に詠むべきではないと思う。
他人の不幸や苦労を鑑みずそこにずかずかと入り込むのが、俳人の悪い癖のような気もする。

 折からの長雨梅雨入間近かな  英世

伝統俳句協会俳句大会 

福岡市のホテルシーホークで「日本伝統俳句協会九州支部研修大会」と言う長ったらしい名の俳句大会が開催された。
私は伝統俳句協会の会員ではないが、所属している結社「冬野」が伝統俳句系であり、さらに今回の大会は冬野がお世話をすることになっていたので私もお手伝いすることにした。
大会当日の会場内の案内やスムーズな句会進行のお手伝いが担当であったが、久しぶりに現役時代に仕事をしていた時のような緊張した気分に浸ることができた。
ただ、黙ってお手伝いするのも能がないので、私も俳句大会に参加した。
大会は事前投句の部と当日吟行句の部があり、それぞれに入選句が発表される。
この日の私は大会が上手くようにと気を配ることに専念し、俳句のことは二の次でそれが理由でもなかろうが、成績はあまり芳しくなかった。
そんな中でもかろうじて入選した今日の一句をご紹介しよう。

 水筒のととととなりて夏に入る  英世

一句の風景

昨夜雨に終の牡丹も崩れけり

舞鶴公園の牡丹芍薬園を訪ねた時の句である。
先日訪ねた時は繚乱の牡丹に息をのんだものだが、この日の牡丹は前夜の大雨で大方散ってしまい無残な姿をさらしていた。ところが、しばらく眺めていると地面に散っている牡丹の花びらがまだ一つ一つ耀いている。
そうか、牡丹と言うのは枝に咲いているのだけが牡丹ではなく、地に散り敷いていても牡丹は牡丹だなと感じた瞬間であった。
2013年(平成25年)5月「季題:牡丹(夏)」

直線と曲線

ずいぶん前の話だが、ある新聞のコラムで「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」と言う湯川秀樹博士の言葉を紹介していた。
確かに自然には曲線が多いのに対し、人間は創造の基本を直線にしている。
直線の山は見たことはないし直線の川もない。ところが人間が創るものはよほどの合理性がない限り直線が多い。
例えばビルを考えてみるとビルのその基本は直線である。
曲線のドーム型もないわけではないが、ビルに曲線を導入すれば狭い日本に空間が生じ、土地活用ではそこに無駄が生じてしまう。
ところが、人間はその直線の思想で自然の曲線までも破壊する愚に出てしまった。
江戸の大工じゃあるまいに、曲がったものは真っ直ぐにしなければ気が済まないのかのように、自然の川まで真っ直ぐにしてしまった。
結果どうなったのか、このところの大災害が証明しているような気がする。

 初夏の円き太陽上りけり  英世

西公園吟行


今回のたんたん句会吟行は半年ぶりに西公園であった。
半年前は秀麗の冬紅葉であったが、一冬と春を越してもう立夏である。季節の移り変わりは自然の景色も自ずと変えていく。
ところが、この日は立夏を過ぎたと言うのに朝から雨だった。昼前には上がったが、まさに俳句でいうところの若葉雨、若葉冷であった。
この西公園は桜の名所で、つい一月前には大勢の花見客でにぎわっていたが、その客も今はなく桜も葉桜になってしまっていた。人のいない静かな西公園と言うのもまた乙なものである。
昼食は昨年も行ったことがある鵜来見亭であった。メニューは玄海の魚を中心とした和風ランチで、昼間からいただいた魚や一杯のビールがことのほか美味しかった。ただ、この雨で我らの他に客はほとんどいなく貸し切り状態であった。
この日の私の成績は散々であったが、その西公園の初夏を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

 葉桜や輪廻転生幾度ぞ  英世


我が名の由来

誰でも自分の名前を持っており、その名前に少なからずプライドと言うか愛着を持っているはずである。
私の名前は英世(ひでよ)、親から貰ったれっきとした名前であるが、果たして父親が付けたのか祖父が付けたのかどうもはっきりしない。
父に私の名前は誰が付けたのか、由来は何かなど聞いたことはないが、なんとなく立派な名前のような気がしている。
なぜならばこの名は当時親孝行で、貧乏の中から医学の道に進んだ野口英世に由来していると信じていたからである。
私自身も子供の頃までは医者になることを夢見てたが、世の中を見る目が少し出来てからは、到底なれないと知らされる羽目になってしまった。
10年ほど前にある俳句の会に入ることにした時に、先輩女史は私をてっきり女性とばかり思っていたという。そういえば従妹に「秀代」と言う女性がいた。
と言うことが理由ではないが私は本名を大事にしつつ、中学時代に先生が私の名を「えいせい」と呼んでいたことを思い出し、読み名を変えて俳号を英世(えいせい)として現在に至っている。これからもこの名に恥じないように精進しなければなるまい。
今日の一句は星野立子の句をもじったものである。

 医者目指す我が名英世や子供の日  英世

断捨離は本も

先日は断捨離に衣類の話をしたが、今日は蔵書の断捨離の話である。
私の部屋には三つの本棚、さらには本棚に入りきらず山積にてしているたくさんの本があるが、よく見るとこのところ一度も開いたことのない本がほとんどで、中には50年前に買った本で目を通したかどうか忘れてしまったものもある。
先日来の地震の危険も考慮して蔵書の断捨離を決行した。
まず断捨離の候補に挙がったのが中央公論社の日本文学全集で、全部で100冊ほどはあるだろうか。確認したわけではないが、中には一度も読んだことのない作家があるかもしれない。
次に候補に挙がったのが、文芸春秋の日本の歴史、そして平凡社の中国の歴史、集英社の人物中国の歴史、数々の山の本やその地図と自分の趣味に偏った本ばかりである。
全国の山の本などはこれからもう登ることもなかろうと、九州関連以外の本はすべて捨てることにした。
他にも一度読めばそれでおしまいと言う単行本や文庫本など、断捨離したら私の本棚は空っぽになってしまいそうである。
断捨離の際に手に取ると思い出深い本もあるが、売っても大した金にならないことは分かっており、ここは心を鬼にして500冊以上の本を処分することにした。

  本棚も思い切っての衣更  英世

冬野五月号

冬野五月号が手元に届いた。
先月もお話ししたが雑詠選における私の成績はこのところさっぱりで、悔しい思いもするが自分の実力がそういうことだから仕方がない。
例によって冬野並びにその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野五月号
 星一つ落ちて荒野の冴返る
 受験子の机上に源氏物語
 手に馴染む夫婦湯呑や春浅し
 行き戻りしつつ近付く春の音
 恙得し身にぶり返す余寒かな
 掃かで置く礎石に積みし春の雪
 春菊の色好き香り嫌ふ人
 キヨスクの白き傘買ふ春時雨
 林泉に落つ他に術なき椿かな
 結界の苔にまろびて地虫出づ
 此処に居ます居ますと濠の初蛙
冬野インターネット俳句
 うららかや貌をはみ出す猫の髭
 友逝きぬ桜の風に妻残し
 のどけしや手上げりや停まる島のバス
俳句ステーション
 不器用に男爪切る春の宵
 鯉の尾の渦に吸ひ込む花の屑
 三月の吉報後の別れかな

俳句の擬人化表現

ある知人(俳人)のブログに、最近の俳句界における擬人化の蔓延に疑問を呈すると言う記事があった。私も常々この俳句の擬人化に疑問を持っていたので拍手喝采である。
特に戴けないのが動物の擬人化で、犬や猫が人間と同類かのような表現や、彼らが人間と同様にものを考え行動しているような句は虫唾が走って仕方がない。
作者は人間(自分)の考えを動物を通じて表現し、さも動物にやさしく接しているつもりだろうが、自宅で飼っている犬を「うちの子の○○ちゃん」と呼んでいることの延長線上にあるようで鼻持ちならない。
また、私の嫌いな言葉に「鳥語」がある。鳥は囀るものであって決して言葉(語)を話すことはない。鳥の声をわざわざ鳥語と言い、表現として鳥語降るなどとは一体どういうことを言いたいのかさっぱりわからない。平明に鳥鳴くではいけないのだろうか。
動物に限らず「風が喜ぶ」や「風がささやく」「風が招く」など、風が何らかの意思をもって動いている、または行動したがっているような自然現象の擬人化も、使い方を間違うと句が理屈っぽくしかも安っぽくなるように思えてならない。
断っておくが、これはあくまでも私個人の意見であり、その自然の擬人化こそが素晴らしいと言う作者や選者の大先生がいることや、例外として「亀鳴く」「蚯蚓鳴く」の季題があることは承知している。

 薫風や風に我が意のあるやなしや  英世

断捨離は衣類から

更衣の季節になり、夏ものと冬ものを入れ替えることにしてクロークや箪笥、衣類ケースを整理し始めたところ、今までなんと無駄なことをしてきたのだろうと思った。
これまで惰性的に収納してきた衣類の中には、10年以上も着たことのない衣類が何とたくさんあることか。テレビで要らない服は捨てるにかぎると言っていたのを思い出し実行することにした。
まず手を付けたのが止めてしまったゴルフの衣類である。着るはずもないポロシャツ、街中でははけない派手な色のズボンなど、なぜ今までしまっていたのか不思議である。そのほかゴムの緩んだ靴下、ボロボロになって色褪せた下着、帽子、時代遅れのネクタイ、ジャンバーなどこの際思い切って捨ててしまった。
ところが、ひとしきり捨ててしまって箪笥や衣類ケースがすっきりしたかと思いきや、全く減った感じがしない。まだまだいらない服があることの証拠である。
この次はサラリーマン時代のスーツ類や袖口のすり減ったセーターやカッターシャツなど思い切って捨てることにしよう。

好き嫌ひ言つてはをれぬ更衣  英世

五月の花ごよみ「カーネーション」

五月は花の多い季節ではあるが、この時期カーネーションを外す訳にはいくまい。
ご承知のようにカーネーションは母の日のプレゼントの花として戦後定着した切花である。
ヨーロッパ、西アジア原産で日本のなでしこによく似た花で、我が国へは江戸時代にオランダから伝わったとされている。
母の日にカーネーションを贈るきっかけを作ったのは、アメリカ人の少女アンナ・ジャービスが、亡き母のために白いカーネーションを配ったことから、母の日にカーネーションを贈る習慣ができたという。
その花の可憐さからも母の日にふさわしい花ではなかろうか。
商魂に踊らされることなくとも、母の日にはこのカーネーション送ろうと思っても、私の母はもう遠い天国から私を見守っている。

  母の日や優しき妣のことばかり  英世

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