六月が終る

今日で6月も終るが、何時上がるともなく雨は降り続いている。梅雨は一体何時終わるのだろうか。
そのような中で明るい6月の思い出をお話ししよう。
少し前にお話しした藤崎吟行の折に戴いたお昼のお蕎麦が美味しかったことである。
各地を訪れる吟行ではお昼に何を食べるかも楽しみの一つである。そういった意味では私は当番幹事さんが用意してくれる弁当よりも、自由に食べる方が楽しくて好きである。
この日は紅葉八幡宮の大鳥居のすぐ西側にある小さな「うどん吉」と言う店に行った。
それぞれ好きなものを食べようと言うことで、私はざる蕎麦それも大盛りを戴くことにした。
出てきた大盛りのお蕎麦の色艶を一目見て、これは美味しそうだなと直感した。案にたがわずその美味しさは今までのお蕎麦でも十指に入るぐらいの美味しさだった。その証拠に大盛りを平らげたのに何か食い足りない感じがしたほどである。
他のメンバーもそれぞれうどん、そばを食べていたが口々にその美味しさを褒めたたえていた。
夫婦二人の経営で店構えも小さく、初めての店であまり期待していなかったことを申し訳なく思ったほどである。近いうちにもう一度訪ねたいと思っている。

  ざるそばの涼しさ喉を通り過ぐ  英世

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一句の風景

坊がつる賛歌の宿り夕涼し

坊がつるは九重連山の主峰久住山と大船山に囲まれた湿原で、あの坊がつる賛歌の歌で有名な山である。
九重をこよなく愛する私にとってこの坊がつるは主峰の久住山に次いで好きな場所である。
坊がつるは長者原からたで原湿原を通り雨ヶ池を越えたところにあり、この日もこのルートを歩いた。坊がつるに着いたのは午後1時ごろで、遅めの昼食をとり壮大な自然の風に吹かれていると時のたつのも忘れるくらいである。
山の夕日は早い。翳り始めた帰り道を急いで下っていると、一陣の風が私の躰を涼しく通り抜けて行った。
2013年(平成25年)6月「季題:涼し(夏)」

コシアキトンボ

家から20分ほどの平尾大池に日課となっている散歩に出かけた。
何時ものように池の鯉や水草を見ていると、突然私の目の前を小さな蜻蛉が横切った。目で追ってよく見ると胴体に白い輪を持つ蜻蛉で10匹ほどは飛んでいただろうか。
全身黒色で、腹の部分が白く空いていることから、子供の頃は夕暮れに電気が点いているようだと、電気蜻蛉と呼んで最も親しんだ蜻蛉である。
調べてみるとコシアキトンボと言うのが正式な名前で、漢字で書けば「腰空蜻蛉」とでも書くのだろうか。
成熟したオスは腹部の付け根が白色、メスと未成熟のオスは黄色であるが、子供の頃は白にしか興味がなく黄色は全く別の蜻蛉と思っていた。
このコシアキトンボに出会うのは何年ぶりだろうか。おそらく3年以上は立つであろう。懐かしくなって思わず時のたつのも忘れて眺めていた。
ちなみに蜻蛉は秋の季題だが、夏も結構飛んでいる。夏蜻蛉や梅雨蜻蛉とでも言うしかないであろう。

  戦なき世に編隊の梅雨蜻蛉  英世

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学校の先輩と会う

先日、ある目的があって学校の先輩でもある作家の古賀勝氏と会った。
その目的のことは追ってお話しするとして、今日は彼の作品についてご紹介しよう。
彼はRKBのラジオ番組「筑紫次郎むかし物語」を企画・放送したことから、その後も筑後川(筑紫次郎)流域の昔話を聞き歩き、伝説紀行文としてまとめて自分のブログで現在も発表し続けている。
また、母校が私と同じ久留米商業高校であることから、久留米商人のルーツに関心を持ち「くるめんあきんど物語」をシリーズ(1~4)で出版している。
「くるめん」とは「久留米の」と言う意味の方言で、その作品の中には久留米絣を考案したと言われている「井上でん」や久留米のゴム産業の礎を築いた「たび屋の雲平」の話などが掲載されており、同じ久留米出身として興味深く読ませてもらった。
何時ぞやもお話ししたように、私の同期生や先輩にこのような才能豊かな人がいることを誇りに思っている。
なお、彼のブログは 筑紫次郎の世界 と入力するだけで検索できるので一度覗いて見られることをお薦めしたい。

  荒梅雨や常と変はらぬ筑後川  英世

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人生引き算最高

ずいぶん昔にNHK旅番組の「こころ旅」を紹介した時に火野正平について触れたが、彼の「人生下り坂最高」は一種の流行語にさえなっている。
その言葉を真似て言わせてもらうと、この頃何事か行う度に「人生引き算最高」と考えるようにしている。
スクラッチ体操の時も言ったが、屈伸運動を百回するとした場合、1,2,3と足し算で数えていくと先が遠く感じて仕方がない。
それを引き算であと99,98,97と数えていくとあと少し少しと思うようになる。
山に登る場合も「あと少し、あと少し」と引き算で考えると疲れも軽く感じられるようになる。
つまり引き算は一種の気付け薬かもしれない。
ただし、我が財布の中身と寿命の引き算だけは頂けない。

 あと少し少しの我慢夏の山  英世

私が最高齢

一昨日は俳句中間のあるグループと一席設けて大いに楽しんだ。
この飲み会は毎偶数月(年6回)に開催するもので、人数は大方7~8人でうち男性は私ともう一人の二人である。
この日もビールや焼酎、大吟醸を飲み、九州の季節のお料理を戴きながら、俳句の話を中心にそれぞれの境遇について話題の尽きることはなかった。
そういえば以前みんなの年齢を聞いたことがある。
女性には失礼ながらそれぞれの年齢を聞いて私は愕然とした。なんと私が最高齢だったのである。今回初めて参加した女性も年下であった。
今までいろんな会合や飲み会に出席したが、会社を離れてからは私が一番年上のことなどなかっただけに、私ももうそんな歳になったのかとがっくりした。
しかし、年上ならば年上らしく軽率な言動や行動は慎まねばと思った。と言いながら、まだまだこの人たちには負けないぞと言う気概も持たねばと、勝手な理屈をつけてビールをあおっていた。
そうそうこのグループに名前を付けた。
「四木会(しもくかい)」・・会が第四木曜日にあることと三草四木からいただいたものである。

  若さにはまだまだ自信ビール干す  英世

舞鶴公園吟行

今回の渦潮句会は福岡城址のある舞鶴公園であった。この公園は四季折々に訪ねる吟行の絶好スポットである。
この日は先日の花畑園芸公園吟行とは打って変わり梅雨豪雨を突いての吟行で、迂闊にもスニーカーで行って靴下までびっしょり濡らしてしまった。
この時期舞鶴公園は牡丹や芍薬が完全に終り、花菖蒲や紫陽花も終わりかけていたがその分お濠の睡蓮が見事であった。
中でも赤紫と黄色の睡蓮は何とも清浄な感じがし、その花を見ているだけで心が洗われるような気がした。
特に首洗池と恐ろしい名のついた池には、この睡蓮が池を浄めるが如く咲いており、その周りを鯉や亀がさも安心しきった顔で泳いでいる。彼らはここが首洗池と言うのを知らないのだろうか。
そのような中で詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  首洗池を浄めて未草  英世

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羽黒神社

ずいぶん前に福岡市の各地の氏神様を訪ねたいとお話ししていたが、今日はその中の羽黒神社参拝の話である。
羽黒神社は南区柏原にある神社だが、氏神と言うには驚くほどの広大な杜と荘厳な本殿を構えている。
前々からこの神社に興味を持っていたが、その理由はおよそ福岡には縁のなさそうな羽黒と言う宮の名前にあった。羽黒と言えば出羽三山の一つで、羽黒と言う名はそれしか頭に浮かばなかったのである。
実はそれもそのはずで、この羽黒神社は創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正14年(1586年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり、中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと言われている。
これで長年気になっていた羽黒神社の名の謂れを知ることが出来た。
すぐ隣には花畑園芸公園があり、これから私の格好の散歩コースになりそうである。

  梅雨晴の光耀く里の宮  英世

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花畑園芸公園吟行

今回の百年句会の吟行はこれまた家の近くの花畑園芸公園であった。
この公園はは孫たちとよく散歩し遊んだところで、私の愛する油山の登山口でもある。
この日は明け方から雷鳴が鳴り響き、大粒の雨が降ってどうなることかと心配していたが、吟行の頃にはすっかり晴れ上がり汗ばむような梅雨晴の好天となった。
梅雨は嫌なものだが、そこは吟行に慣れた面々ばかりで元気に公園を探索していた。
この時期園芸公園は収穫の端境期で、枇杷や早生の桃、李の収穫が終わり柿や蜜柑、リンゴ、栗、かりんなどが青く小さな実を付けていた。
また、訪れた二つの池ではいつもいる鴨や鳰が留守にしており、深閑とした静かな池であった。
そのような園芸公園を巡りながら詠んだ句の中から、例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  句心を育む梅雨を憂しとせず  英世

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一句の風景

己が身の分身として夏帽子

暑さにあまり強くない私にとって帽子は欠かすことができない。
特に山登りが趣味の私はサファリや野球帽などたくさんの帽子を持っているが、いざ被るとなるといつも決まったサファリの古い帽子である。
その夏帽子は麻で出来た風通しの良いもので、汗でぐしゃぐしゃになっても洗濯にも強いのでそのたびに洗って使っている。
当然色も褪せてくるがその帽子をかぶると何となく安心でき、暑さも忘れてしまいまさに私の分身のように思われてならない。
2013年(平成25年)6月「季題:夏帽子(夏)」

紫蘭

紫蘭は蘭の仲間だが、蘭と言うには何とも質素な花でその名の通り紫の蘭である。
句会では往々にしてあることだが、実はこの兼題は先にご紹介した鴻臚の兼題でもあったので、ここでまたこまごまと紫蘭のことをお話しすることもないだろう。
かといって鴻臚の紫蘭と同じ句を投句するわけにはいかない。
いつも以上に紫蘭をよく観察し、いつもの倍以上の句を詠んで、その中から選りすぐった句を出すことにした。
また、鴻臚で投句したが選に入らなかった紫蘭の句を見直し、なぜ選に入らなかったのかをじっくり考えてみることもした。
そうした熟慮の句の中から入選した今日の一句をご紹介しよう。

  王朝の貴人の色の紫蘭咲く  英世

アイリス

今回の硯潮句会の兼題はアイリスと紫蘭であった。
まずアイリスだが、この花を求めて植物園を訪ねたが、残念ながら見つけることはできなかった。
ところが、偶然と言うのはあるもので舞鶴公園内のとある民家にその花は咲いていた。庭にいた老人にこのあやめは何と言うあやめかと聞くと、これがジャーマンアイリスだと教えてくれた。
アイリスはあやめに似た花で、西洋園芸種だけに花びらの形や色に少しずつ違うものがある。
またその種は他のあやめ同様に四角い茶色の筒の中にたくさんの種を貯め込むが、それが熟して弾ける時に次々にピシッと音がすると言う。一度時期になったら見にいや聞きに行きたいものである。
あやめにそっくりなのでどのように句に詠むか苦労したが、ままよ、見たまま聞いたままに素直に詠めと詠んだのが、今日の一句である。

  アイリスの黄を点じたる夕べかな  英世

腹回りが気になる

健康診断の結果は概ね良好であったが、少し気になる数値があった。
このところ腹回りが少しふっくらして来たなと思っていたところ、案の定、昨年76.0センチだったものが79.5ンチになっていたのである。危うく80センチを超えるところであった。
体重に変化はなくこの数値自体は特に問題はないとは思われるかもしれないが、身長の低い私にとっては大問題である。
体操や散歩もして体を動かすことに気を使っているのに、どうして腹回りだけが大きくなったのだろうか。
思い当たることがある。体を動かし歩き廻ることで水分を多く摂り、甘いものや食事の量が増えていることである。
やはり体を健康に維持するには運動に加えて、アルコールを控え食事を減らすしかないようである。果たして自分に出来るであろうか。
ちなみに、行きつけのクリニックの先生にこの話をしたところ、腹回りの測定は測り方によって1,2センチの誤差はあるのであまり気にしない方がいいですよと言うことであった。その言葉に安心してはいけないのだろうが。

  夏痩にとんと縁なき我が身かな  英世

健康診断結果

別に待ち焦がれていたわけではないが、思ったより早く健康診断結果が届いた。
特段前年と変わった数値はなく、すべて成人病(老人病)の入り口で、薬さえ飲んでおれば、今緊急に再検査や治療を要する項目はなかった。
そのような中で、一つだけ「専門医にて診察を」の項目があった。聴力である。
検査によるとどうも高音が少し聞き取りにくいようである。昨年もこのことを指摘され耳鼻科を薦められたが、結局は行かなかった。
そのことを問診で問われたので、日常生活に支障はないので行かなかったと言うと、医者はうなずいて何も言わなかった。
耳鼻科に行かなかった理由は、前にも言ったように日常生活に支障はないし、昔から耳は少し悪いことを自覚していたからである。
耳鼻科に行けば何かと症状を上げられ、下手すると補聴器を薦められるかもしれない。とんでもないことである。
家内の小言が少し聞きづらいくらいが丁度いいと思っているのに。

  血圧は高め安定五月晴  英世

東京転勤の思い出Ⅱ

45歳にもなってなんで今更東京に行くのか、今のままのんびり福岡で暮らせばいいのにと言う先輩、同僚もいた。
彼らには田舎丸出しの私が丸の内本社で務まるはずがないと言う心配もあっただろうが、その時私の心はすでに決っていたのである。
当時、私の家族は4人で長女は短大、息子は多感な中学生だった。
家内は家族全員で東京に行くことを望んだが、子供たちのことを考えて単身赴任で行くことを説得し納得させた。
ところが、実際に本社に行って見ると、周りで私を知るのは先に同じ九州から転勤してきた僅かな同僚と、過去に全国各地で知り合いその後私と同じように本社に転勤して来た旧知の社員だけであった。
そのような不安の中でスタートした東京暮らしが、以後10年もの長い単身生活になろうとはその時は夢にも思わなかった。
ただ、この本社勤務がなければ私の存在感は薄く、全国に知己を得ることもなく福岡で心に不満を残したまま退職していたであろう。
そういった意味では、この東京転勤のお蔭でその後の私がある訳であり、今でもそのことに感謝している。
その東京単身暮らしの悲喜こもごもの出来事については折を見てお話しするとしよう。

  直に見る皇居の青葉若葉かな  英世

東京転勤の思い出Ⅰ

先日は就職や天神ビルの思い出話をしたが、実はこの6月は私が東京へ転勤した月でもある。
昭和36年に入社して何の苦労もなく、福岡の天神ビルや出向先の関連会社で会社生活を送っていたが、25年ほど経ったころから、折角全国的(国際的)な会社に入ったのに、私の会社人生はこのまま福岡の関連会社で終わっていいのだろうかと疑念を持つようになった。
自分の能力は棚に上げて、本体に戻ってもっと違った場所で自分を試したくなったのである。
思い切って上司に「本体に戻し、どこかに転勤させてくれ」と相談したところ、しばらくは上司から何の返事もなかった。
ある時上司に呼ばれ「丸の内本社勤務に決まった」と告げられた。
工場や別の部署などいろいろ転勤の受け入れ先はあったが、私の特性や性格からして本社勤務が良かろうと言うことであった。
転勤を申し出ていた関係もあって即座に承知した。
平成元年6月、その時私の年齢はすでに45歳に達していた。

  転勤のその日も梅雨の雨だった  英世z

古い腕時計

先日の6月10日は時の記念日だった。調べてみるとその起源は古く西暦671年に日本初の時計が鐘を打った日とある。
そう言えばずいぶん前に、今使っているスイスO社製の腕時計をメンテナンスに出せば5万円ほどかかると言われそのままにしている話をしたが、私は他にも国産の比較的高級な腕時計を2個持っている。
本来は3個持っていたが、そのうちの文字盤の大きい一個は生前の母にやってしまった。
ところが使うのはいつも外国製ばかりで、残りの2個は箪笥の抽斗に入れっぱなしになっていたのである。
2年ほど前にそれを取り出してみたら電池が切れて2個とも動いていなかった。
何となく腕時計が可哀想になり、一個1500円計3000円で電池交換したが、それでも使わずそのまま箪笥の肥やしにしていた。
先日、何気なしにその腕時計を見たらまた動いていなかった。
使わない腕時計とは言え、捨てるに捨てられず果たしてどうしたものだろうか。

  時の日や電池の切れし腕時計  英世

蛞蝓

紫蘭と一緒に出された兼題が一転して嫌われものの蛞蝓(なめくじ)であった。
雨の多い時期のじめじめした場所に這いまわるあの女性に嫌われものの蛞蝓で、その字からしても何となくぬるぬるした感じがしてならない。
蛞蝓は陸上に住む貝類、例えばカタツムリなどの仲間だが、なぜ貝殻を徐々に退化させて中身だけで生きていけるようになったのだろうか。
私たちが良く目にする蛞蝓は庭の葉っぱの裏や、台所などを這いまわる小さなものであるが、山に住むものの中には10センチを超える大物もいると言う。
蛞蝓に塩とはよく言ったもので、水分の多い蛞蝓を退治するにはこの方法が一番手軽で効果的なようである。
その蛞蝓を詠んだ句の中から、この日の一句をご紹介しよう。

  なめくぢの天敵吾の妻と塩  英世

紫蘭

今月の俳句の会鴻臚の兼題は「紫蘭」と「蛞蝓(なめくじ)」であった。
まず紫蘭であるが、さてどこで観察しようかと植物園を訪ねたところ、その紫蘭は水辺の花のグループとして栽培されていた。
植物園の園芸相談員に紫蘭のことを尋ねたところ、概ね次のような説明があった。
紫蘭とはその名の通り紫の欄のことで、園芸種の他に本州中部、西日本、九州それに中国などの湿地帯に自生している。
紫蘭は大きな葉っぱの中に小さな紫の花を擁するラン科の花で、比較的手軽に栽培できるために観賞用として広く普及するようになったという。
植物園でつぶさにその紫蘭を観察しながら、そういえば花好きの母がこの紫蘭を育てていたような気がしてきた。
その紫蘭を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  らんと言ふには清楚なる紫蘭かな  英世

元の会社を訪ねる。

一昨日健康診断の話をしたが、その健康診断が済んだ後で同じ天神ビルにある元の会社を訪ねた。目的は久しぶりの表敬と今後の健康保険について説明を受けるためである。
受付で用件を言おうとしたら、傍の応接コーナーから私を呼ぶ声がするので、誰だろうと振り返ってみると先日退職したばかりの旧知の後輩であった。
その後輩も何かの用事で会社を訪ねて来たらしく、用件を言うと彼の紹介で若い総務課長が応対に出てくれた。
しばらく雑談をした後で健康保険のことを切り出すと、課長は女性の担当者を呼んでくれた。担当者は資料を提示し乍ら何も心配いりませんよと丁寧に説明をしてくれた。
再び課長と後輩を交えて話をしたが、最後に総務課長はこれからも別に用件はなくともいつでもお越しくださいと言ってくれた。
いつもお話ししているが、この会社は退職者の私たちを先輩として大事にしてくれる。相手によりけりであろうが総務課長自らが応対してくれたし、この会社の姿勢と実際の対応に心から感謝している。

  後輩の心根嬉し五月晴  英世

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一句の風景

振り向かぬ心でくぐる茅の輪かな

茅の輪とは神社の境内に立てる萱または藁で作った大きな輪で、御祓の時それをくぐると厄除けのご利益があるとされている。
私が初めてその茅の輪をくぐる時に、祖母はそのくぐり方を教えてくれた。
「祓え賜え浄め賜え」と唱えて一礼してくぐり、左から右そして又左と回りながら本殿をお参りする。その間決して振り向いてはならないと教えてくれた。
私はそんなことがあるか、どんな形でも茅の輪さえくぐればいいではないかと思ったのだが、真剣にそう信じ込んでいる祖母に逆らうことはしなかった。
子供の頃の懐かしい思い出である。
2013年(平成25年)6月「季題:茅の輪(夏)」

健康診断

昨日お話しした天神ビルにある天神クリニックで健康診断を受けた。
この天神クリニックは、天神ビルにある会社のほとんどがここを指定病院にしており、私の会社も同様であった。
退職してからは家の近くのクリニックに通うになったが、それでも年一回の健康診断だけはこの天神クリニックで受けている。
私は三菱の特例退職被保険者制度にお世話になっており、家内共々年一回の健康診断が無料で受けられる。
有り難い話であるが、今回の健康診断の案内を見ると満74歳までが無料とあった。
と言うことは、私は来年まであと一回無料で受けられるが、その後は後期高齢者医療制度に、家内は国民健康保険に加入することになる。果たして今までのような健康診断が受けられるのだろうか。
それとも75歳ともなれば健康診断そのものが必要なくなるのだろうか。
それはともかくとして、健康診断の結果で何ともないことを祈っている。

  夏バテの前に健康診断受く  英世

天神ビル

昨日お話ししたように、何となくと言う感じで三菱系の会社に就職した。
勤務地は幸運にも地元福岡となり、その勤務先があったのが昭和35年に再建されたばかりの天神ビルであった。
全館茶色のタイル張りでクラッシックな雰囲気がありながら、空調設備やエレベーターは最先端技術を誇っていた。福岡大地震の時も、向いのFビルのガラスが割れて落ちたのに対し、天神ビルはびくともしなかった。
再建された11階建ての天神ビルは、当時は福岡で最も美しいビルで、そこで働くことに少なからず喜びと言うか、誇りのようなものを感じていた。
以来、地元の関連会社へ出向するまでの20年以上、ここで仕事をしながら病院や散髪に行き、酒を飲んだり遊びに興じたりしたのものである。
何とも危なっかしく懐かしい青春の思い出であるが、それだけに今でも天神に行けば、何するというでもなくいつしか天神ビルに足の向くことが多い。
事実、先日のシルバー人材センター総会の後も、天神ビルのキリンレストランで同僚と食事をし昼からビールをあおっていた。

  懐かしき天神ビルのビアホール  英世

就職

孫娘の鈴花はいま大学四年生で就職の時期だが、どうやら三菱系の金融機関に決まったらしい。これで親子三代三菱系にお世話になることになる。
それを聞いて私の就職の時のことを思い出した。
私は昭和36年に三菱系の企業に就職した。
商業高校だった母校では、自営業を除けば男女を問わず就職するのが一般的であったが、当時は自分で就職活動することもなく全て学校任せで、事実私も何の予備知識もなく担任からその会社を受けるようにと勧められた。
三菱系であれば間違いないからと言われたが、私には三菱系は商事や銀行、重工しか頭になかった。どうしようかと悩んだが、担任から誰か一人でも早く就職してくれないとみんながその気にならないからと言われて覚悟を決めた。
ところがいざ受験してみると、その会社は筆記試験もなく学校の成績と学校推薦あとは面接だけで、結果的に学校で一番早く就職が決まった。それが昭和35年6月だったのである。
更に、面接を受けるまでは東京に行くのか大阪に行くのか勤務地のことは一切知らなかった。
運よく良い会社に入ったからよかったものの、就職と言う人生の大事な船出なのに、何とものんきでおおらかな時代であった。

  誰よりも早き就職五月晴  英世

愛莉の運動会

昨日は梅雨の合間を縫って愛莉の運動会があり家族全員で応援に行った。
私たちの子供の頃は運動会と言えば秋(俳句の季題でも秋)であったが、この頃はほとんど初夏に開催されるようになった。理由は何だろうかと気になるところである。
それはともかく、愛莉はどうも運動が苦手のようだと思っていたが今年は違っていた。
リレーではトップでバトンを受け取ると後ろの選手に追い上げられながらもなんとか一位で次の走者にバトンを渡した。走りっぷりも昨年とは違って力強く感じた。
昨年までは足の遅かった祖父の私や父親の遺伝かもしれないと思っていたが、今年になって体力が着き急に変身したようである。
この分だと負の遺伝を払拭してくれるかもしれないと淡い期待を抱いたが、お昼の弁当を美味しそうに食べる愛莉の屈託のない笑顔を見ていると、そんなことはどうでもよくなって来た。
愛莉の小学校の運動会もあと二回になってしまった。

  運動会前に走者のなき走り  英世

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冬野六月号

早いものでもう年半ばの六月である。
昨日は空梅雨ではと言ったとたんに北部九州も梅雨入りが宣言された。やはり自然は正直なものである。
そのような中で冬野六月号が届いた。成績は相変わらず芳しくないいが、例によって他の句会の入選句と共にご紹介しよう。
冬野六月号
 都会派と称し室見に残る鴨
 うららかや一日当てなき旅に出る
 堀割の鈍き艪音や柳の芽
 春雷に浮かれ出でたる蟲魚かな
 心まで濡れし思ひの花の雨
 今年までと決めたる峡の春田かな
 大胆に剪定するも情かな
 剪定の鋏の音に腕の冴え
 筑後川遥かに梨の花の丘
 長閑さやカレーまつりのエトランゼ
 萬四郎のくやし涙か春の雨 
冬野インターネット句会
 引揚の少女老いたり夏の雲
 薫風や三角ベースに五人の子
 風止んで一家で眠る鯉のぼり
 母の日や母に始まる我が記憶
俳句ステーション
 うららかや仏顔して眠る猫
 音立てて水飲む馬や草若葉
 これだけは老舗に限る桜餅
愚陀仏庵インターネット句会
 遠足や先生の影踏みまくる

たんたん句会吟行

昨日のたんたん句会吟行は早良区藤崎の紅葉八幡宮であった。
この紅葉八幡宮は吟行でよく訪ねる宮であるが、紅葉の名の通りほとんどが秋から初冬の紅葉の時期かまたは新年の吟行で、この時期に訪ねるのは初めてである。
それだけにこの時期何が主役だろうか、句材はあるだろうかと思い悩んでいたが、行って見ると案ずるより産むがやすしでそう思い悩むこともなかった。
何時もの通り八幡宮の境内を吟行し、八幡宮から裏手の杜、尼寺を抜けて最後は藤崎の黄檗宗千眼寺を訪ねた。
この日は梅雨は本当に来るのだろうかと疑わせるような絶好の吟行日和で、杜の新緑は夏の万緑に変わり、竹林では竹が皮を脱ぎ今年竹として伸び伸びと育っていた。
すると主宰が今日の席題を「竹皮を脱ぐ」とすると言われた。
その万緑と竹林の中、それぞれに新しい発見があり楽しい吟行になった。
そうそう今日のお昼に戴いたお蕎麦はことのほか美味しかった。そのことは後日お話するとしよう。
例によってこの日の一句をご紹介するとしよう。

  万緑に染め上げられし宮居かな  英世

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ブログ10周年

会社や団体でよく10周年記念行事なるものがあるが、実は今日は私のブログ10周年記念日である。
10年前に家内が私のパソコンにブログを開設してくれ、暇を持て余すのなら少しは文章や俳句を書いて勉強したらと言うのがそもそもの始まりだった。
最初のひと月を除き、7月からは10年間病気入院か旅行の時以外は毎日書き続けてきた。
タイトルは私の好きな「俳句とお酒と山と」であるが、その記事も歳と共にお酒と山が少しずつ減り始め、今は俳句と身の回りの出来事、趣味の歴史探訪などが中心である。
タイトルと少しずれ始めたので改題も検討したが、しばらくはこのままにしておくことにした。
ギネスブックには縁遠いが、これは私の日記であり自分史なのである。いつまで続くかわからないが、これからも伸び伸びと書いて大いに楽しもうと思っている。

 パソコンのワードに梅雨の曇かな 英世

六月の花ごよみ「樗・楝の花」

福岡市の舞鶴公園に名島城より移築した名島門が残っているが、その門をくぐって大濠公園の方に進むと、空高く紫色の花をつけた大木を見ることができる。それが楝(おうち)の花である。また、舞鶴城址の登城坂の頭上や頸洗池のほとりにもこの楝の花が咲いている。
この時期にこの辺りを吟行すると一目散にこの楝の花を目指す。それほどその薄紫の楝の花が皐月の風に揺れるさまは、まさに初夏の眩しい風景にふさわしい。
楝は暖かい西日本や九州に分布する樹木で、和名はせんだんと言われているが、資料によればことわざにある「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、この木ではなくビャクダンのこととある。
先日、その楝の花を句友と見に行った。口々に大木の割にはその花の可憐さを誉め讃え合っていた。

 官兵衛の旧居の坂や花楝  英世

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六月に入る

今日から年半ばの六月である。
風薫る五月のあとはあの鬱陶しい梅雨の六月が必ず来る。決まりきった時の流れではあるが、梅雨と聞いただけでなんだか体中が濡れて来るような気がする。
俳句を始める前はその梅雨が何となく嫌いであったが、その梅雨も時節の季題として詠むようになってからは親しみに変わってきた。人間とは何と身勝手な動物であろうか。
梅雨で思い出すのが田舎の田植である。
雨が降りしきる中、両親は黙々と田植にいそしんでいた。近所では同級生たちも水を張った田んぼに入って田植の手伝いをしていたが、その中に私の姿はなかった。
体が弱かった私は田植を手伝いしたくても、風邪を引くからと母が決して許してはくれなかったからである。
六月になると必ず思い出す懐かしい田植の風景である。

 長雨の後に梅雨入と言はれても  英世

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