七月が終る

長かった梅雨が月の終りにやっと上がった。例年通りの梅雨明である。
その7月はまた別れの月でもあった。
前にお話しした靏内恵先生に続き、博多中が山笠に酔っていた7月14日に残念ながら会社の後輩が亡くなった。。
私には会社時代の大勢の先輩、先輩がいるが、その中でも彼は私の直属の部下で長く付き合ってきた仲である。当時元気印の象徴のような男であっただけに、未だにその死が信じられない。
加えて奥様も同様に私の部下で昔からよく知っており、悲しさのあまり通夜の席でどのような声をかけたかさえ覚えていない。
それよりもなによりも彼が私よりも8歳も若いと言うことである。
この歳になればだれが後先と言うこともなかろうが、65歳と若かっただけにその死が悼まれてならない。

  後輩が先逝くことも夏の蝶  英世

スポンサーサイト

一句の風景

日焼せし顔に愁ひのなき女

糸島半島を吟遊した時の句である。
とある産地直売の店に寄ったところ、キュウリやトマトなど特産の夏野菜を売っている中年の女性にあった。
女性は見るからに農婦と思われる服装で、その顔は浅黒く日焼けしていた。
普通の女性にとって日焼けは大敵と敬遠するものであるが、彼女たちにその面影は全くなかった。
いつも笑顔を貯えその顔に憂いはなくむしろ健康的であった。
2013年(平成25年)7月「季題:日焼(夏)」

母里太兵衛の末裔

先日西公園吟行の折に珍しい方にお会いした。
黒田家ゆかりの光雲神社で、神社の庭の清掃をしながら茣蓙を水に浸している古武士風の人を見て、間違いなくその方だと確信して声をかけた。
その方とは黒田藩の家臣、母里太兵衛の二十四代目の末裔で、柳生新影流(黒田藩傳柳生新影流兵法)師範を務められている母里忠一氏その人である。
黒田官兵衛・長政親子に仕えた重臣で、福島正則から名槍・日本号を飲み取り、民謡『黒田節』のモデルとなった母里太兵衛の末裔で福岡黒田武士顕彰会代表でもある。
失礼ながらと話しかけてお聞きしたところ、氏は気軽に相手をしてくださり、今は柳生新陰流の師範として道場を持ち青少年の育成に努められていると話された。
また、真剣での試し切りの話では濡らした藁や茣蓙は切れるけど乾いた藁や茣蓙は切れない。今水に浸している茣蓙は、近く試し切りをするのでその準備だとその裏話を話された。
他にも本人でなければ分からないたくさんの話を興味深く聞かせていただいた。
私より一歳若い昭和18年生まれ。いつまでも元気で日本のよき伝統を守り伝えて欲しいと願わずにはいられなかった。

  涼しさや太兵衛の裔の剣談義  英世

西公園吟行

IMG_4584.jpg

昨日の渦潮句会吟行は今年一番の猛暑の中の西公園であった。
西公園は年に数回吟行で訪れるが、このような真夏に訪ねるのは珍しい。
特別に目的の句材がある訳ではなく、行って見て自分で材料を探すしかない。もしかしたらこれが本当の吟行らしい吟行かもしれない。
公園は博多湾に突き出た岬になっており、その岬はみどりの樹々に覆われ猛暑と共に耳をつんざく熊蝉の大合唱であった。熊蝉が私たちを歓迎しているのか敬遠しているのかはよく分からないが。
また、昼食はいつもの「うぐみ亭」で、窓越しにきれいな百日紅の花を見ながら、写真のような夏料理を美味しく戴いた。勿論昼のビール付きである。
その西公園吟行で詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  憂国の皇御国の詩碑涼し  英世

IMG_4585.jpg IMG_4586.jpg

 IMG_4587.jpg IMG_4588.jpg

こういう死に方をしたい

昨日、俳句の靏内先生のお別れ会の話をしたが、その折死を覚悟した彼のことを書いた息子さんのお別れの言葉が私の魂を揺さぶって止まない。
「父が他界する日の前日、これまでの治療の結果回復の見込みがないこと、これから苦痛を緩和する投与を行うことを父に伝えた。父は天井を仰ぎ見たあと、力強い声で、『よし、逝こう。』と言って、私たちに視線を向け、笑顔を見せてくれた。それから約二時間、父と私たちは他愛のない昔話をして過ごし、その後眠りについた父は、半日後に息を引き取りました。(以下略)」(原文のまま)
こんな見事な死に方、そして息子さんのこんな見事な言葉があるだろうか。直木賞でもない、芥川賞でもない、心の底から絞り出した言葉である。
亡くなった彼の顔写真にはこう記してあった。「皆さん達者でな」。
死に際して「よし、逝こう」「皆さん達者でな」と私は果たして言えるだろうか。

  人は死に死ねば無になる蓮の花

お別れ会

暑さが厳しい中、今日も悲しい出来事をご報告しなければならない。
俳句の先生で冬野誌の表紙絵を描いていただいていた鶴内恵先生が7月1日に急逝されたのである。つい先日ご自分の絵画展でお会いしたばかりなのに、どうしても信じられない気持ちである。
彼は飄々とした性格ながらまれにみる愛妻家で、病弱の妻を労わった句がたくさん詠まれており、その句の全てに彼のやさしさがにじみ出ていた。彼が亡くなって奥様はどうされるのだろうか、気になるところである。
さて、その彼とのお別れ会が一昨日開かれ、私も句友たちと一緒に参加した。そのお別れ会がまたユニークであった。
案内文をそのまま紹介すると、「ラフな格好で来て、大いに飲んで食べて、騒いでください。香典はお断り」とあった。
お別れ会には彼の交友の広さを示すように、画家や登山の仲間、学校関係者そして私たち俳句の仲間でごった返し、案内状の通りにぎやかなお別れ会であった。
靏内恵先生のご冥福を心よりお祈りしたい。
その折の私の弔句である。

  梅雨明を待てぬ別れとなりしかな  英世

2016072411000000.jpg

造り滝

夏の季題に自然の滝があるが、造り滝はその字のごとく人口の滝のことでこれも夏の季題である。
ホテルのロビーやレストランなどでこの造り滝はよく見ることがある。
天神地下街にも三段に流れ落ちる造り滝があり、そこには数匹の河童が遊んでいる。
中でも私が愛する造り滝は日本庭園の滝である。
深閑とした夏の庭に、心地よく響く滝の音は小鳥や蝉の声とこだまして一層涼感を増してくれる。
友泉亭の造り滝を見てその音を聞きながらいただく冷たいお抹茶は美味しいものである。
その時のことを詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  小流に遊ぶ河童や造り滝  英世

夏の霧

今回の硯潮句会の兼題は「夏の霧」と「造り滝」であった。
まずは夏の霧だが、単に霧と言えば秋の季題になる。
しかし、霧は夏にも多く発生する。特に山や高原では急激な天気の変化で濃い霧が発生することがある。
ずいぶん前に祖母山から傾山へ縦走しようとしたときのことである。
祖母山を目の前にしたころから霧が発生し、見る見る辺り一面霧が濃くなってきた。何とか祖母山には登頂したものの、傾山の方を見ると方角もわからないほど真っ白である。
私は迷いなく引き返すことにした。祖母山から傾山へのルートは峻嶮である上に、この霧の中軽装では危険この上ないためである。
夏の霧と言えばすぐこのことを思い出す。その時のことを詠んだ句を今日の一句としよう。

  祖母山の靄とも夏の霧かとも  英世

蝉は暑さに弱い

先日駕与丁公園を吟行していた時に気が付いたのだが、夏の虫の代表のように言われている蝉はどうも暑さに弱いようである。
蝉時雨と言われるように夏に一斉に鳴き出すわけだが、その鳴き声は大きな樹が茂った樹林の日影に集中し、日向にまばらに立っている樹からはほとんど聞こえ来なかった。
そう言えば、家の近くのあの元気者の熊蝉が鳴くのも朝がほとんどで、昼間は葉陰でじっとしている。
資料によるとヒグラシもミンミンゼミもどうも暑さが苦手のようである。
そんなに暑さが苦手なら、何もこの暑い中に羽化せず、もう少し涼しくなってそうすればよかろうにと、つい余計なことを言いたくなる。熊蝉からすれば「私の勝手でしょう」と言うだろうが。
そういった意味では法師蝉は夏の終わりから秋口にかけて鳴き始める。何と利口な蝉だろう。

  鳴くと言ふよりも熊蝉がなり立て  英世

消えゆく季題「水売・振舞水」

夏と言えば何といっても水である。
じりじりと照り付ける太陽のもと、乾いたのどを潤すのはビールでもジュースでもなく一杯の水なのである。
と言うことで、今日の消えゆく季題は水売・水振舞である。
昨今はよほどのことがない限り飲み水不足を感じることはないが、昔はそうはいかなかった。
水売は江戸時代の商売で、深川あたりでは井戸を掘ってもほとんど塩水で、水売から水を買わなければならなかった。炎暑の辻々では天秤棒に桶を下げて水を売り歩いたとある。
また、振舞水と言って夏の日盛りに飲み水を湛えた桶や甕を路上に出し、道行く人に自由に飲ませることもあり、人々に大いに喜ばれたともある。
さしずめ今は自動販売機に取って代わられたと言ったところだろうか。
夏休が始まった。子供たちだけではなく遊びに夢中になって、水分不足となり熱中症にならないよう気を付けなければなるまい。

 一杯の水に涼しさ貰ひけり  英世

夏休

世間の子供たちは今日から夏休と張り切っているだろうが、私のスケジュール表は今日から29日まで仕事やその他の行事で一日も休みがない。
ところで、夏休とは言え地震の影響で授業日数が足りなくなった熊本、大分の小学校などは補習授業が行われ、楽しみの夏休が減ることになるだろう。
そういえば冬休みが長く夏休が少ない北国の学校を思い浮かべてしまった。彼らは冬が長い分冬休が長いのだが、被災地の子供たちはこれとは全く違う。
被災時に学校が休校になったのだが、その休校は単なる休みではなく恐怖と苦痛の日々だっただろう。
子供たち、特に小学生にとって夏休は最大のバケーションで、毎日が楽しくて仕方がないはずである。
その夏休が名実ともに削られ短くなるのだから耐えがたい苦痛であろうが、遊びだけではなく勉強も大事だから夏休を返上しての勉強も致し方あるまい。
子供たちの理解と奮闘を祈るのみである。

  夏休まだまだ余裕あると子は  英世

一句の風景

ホームより長き列車や油照

東京のある小さな駅でのことである。
車掌が車内放送で列車の到着を知らせるとともに、降車用のホームが短いので後尾の車両は前方の車両から降りるようにと案内していた。
乗客も慣れたものでたんたんと前方の車両から降りている。
この日はあたかも夏の暑い盛りで、つまり油照の暑さの中で何の不満も言わず下りる乗客にしばし注目していた時に詠んだ句である
2013年(平成25年)7月「季題:油照(夏)」

駕与丁公園吟行

2016071710020000.jpg

今回の百年句会は久しぶりに駕与丁(かよいちょう)公園であった。
この公園は農業用のため池を利用した湖水公園で、その池を要とした素晴らしい風景を提供してくれている。
この日は昨夜の雷雨も上がり、時折雲の切れ間から青空がのぞく梅雨晴の絶好の吟行日和であった。
公園は5月ごろの薔薇で有名なところで、この時期初夏の薔薇は終わりを迎えていたが、それでも咲き残った薔薇が私たち一行をやさしく迎えてくれた。
湖畔には爽やかな風が吹き渡っていた。東洋の花の女王が牡丹だとすれば、西洋の花の女王は薔薇だなと今更ながら思わされた。
また、公園中に蝉の鳴声が続き、蝉時雨どころか蝉の大合唱であった。
そのような梅雨明け間近の蒸し暑さの中で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  色焼けの薔薇とは言えど王女の香  英世

そうめん

そうめん
昨日があごのお吸い物だったので、今日は冷そうめんの話をしよう。
夏本番ともなると何となくそうめんが欲しくなる。ところがスーパーに行って見ると、そうめんにも産地ごとにたくさんの種類があり、値段もさまざまである。
面白いことに興味が湧いてきた。こんなにたくさんの種類と値段の違いがあるが、実際の味の差はどうなんだろうと思ったのである。
こうなると試してみるのが私の流儀である。
値段をグラムで割って、一番格安いのものと一番高いものをそれぞれ買って食べ比べてみた。
結果は麺の細さやコシに若干の違いはあったものの、味の違いは全くと言っていいほどわからなかった。
後日、ラーメン職人の友人にその話をしたところ、そうめんは汁(つゆ)が命で、汁次第で味はどうにでも変わると言うことである。
そう言えばいずれのそうめんも同じ汁を使っていたのだから、私の舌でわからないのも当然で、みんな同じ味になったのであろう。
それにしても冷たく氷で冷やしたそうめんは美味しかった。

  さうめんの涼しさ喉を走りけり  英世

故郷の堀は今

昨日は母の十七回忌の法事の話をしたが、法要が済んだ後で近くの料亭で鱭(えつ)料理を戴いた。
筑後川名物の川魚、鱭のことは以前にもお話ししたのでここでは省略するが、その折末弟から興味深い話を聞いた。
実家近くに住んでいる13歳年下の弟によると、最近鱭を始め有明海や筑後川の魚介類が年々採れなくなっている。原因は採り過ぎと水質汚染だと言う。
また、どうも鱭だけではなく他の動物にも変化が出てきているようである。
まず、陸上の動物ではこのところ農道で狸の親子がよく出没するようになり、時々交通事故にもあっていると言う。田んぼで狸など私たちの子供の頃は見たこともなかった。
堀では鰻と亀の仲間のすっぽんが釣れると言う話に、今でも釣れることに安心する一方で、堀の宝石の淡水タナゴはほぼ全滅、なじみ深かった泥鰌も極端に減り、いつも小鮒釣りの邪魔ばかりしていた雷魚や牛蛙もほとんどその姿を見なくなったと言う。
どうも農薬散布とブラックバスが幼魚や卵を食べてしまうことが原因らしい。
このように田舎の川や堀を中心にした自然も少しずつ変化しているようである。
もっともすっぽんに指を噛まれた弟もご愛敬ものだが。

  梅雨の故郷泥鰌はどこへ行ったやら  英世

母の十七回忌

先日、実家を継いでいる弟から突然電話がかかってきた。この歳になると目出度い話は少なく、また誰かの訃報かと思って電話に出たところ、7月10日に母の法事をすると言う電話であった。
母の法事と言うから十七回忌と言うことになる。その母のことを綴ったエッセイの一部を思い出した。
「母は平成12年8月16日、この秋初めてのつくつく法師と蟋蟀の寂しくも悲しい鳴き声に見送られて天国へと旅立ってしまった。享年81才であった。
母が亡くなったことについては、少なからず後悔にも似た気持ちを持っている。
貧しさと七人の子供、そしてきびしい農作業でさんざん苦労したあげくに、病院のベッドで縛られたも同然に横たわる母の姿を見ていて、正直言って早く楽にしてあげたいと思ったことである。それがたまたま二日後には現実となってしまったことである。」
その後だんだん母に対する思い出や悲しみも薄くなり、不謹慎にも俳句を作る時に無理やりに登場していただいているような次第である。
私自身、口ではいつ死んでもいいと言いながら、本音では母の分まで長生きしなければと思っている。
次の句は素人の私が初めて句を詠んで、俳句にのめり込むきっかけとなった母もの二句のうちの一句である。

 今一度つくつくぼふしや母の声  英世

丁寧な会社

先日久しぶりに心温まるメールを受け取った。
文面をコピーすると「この度は「第二十七回伊藤園お~いお茶新俳句大賞」にご応募いただきまして、誠にありがとうございました。
貴方様の応募作品を厳正に審査いたしましたが、誠に残念ながら入賞・入選となりませんでした。」と言う文面であった。
ずいぶん前に「第二十七回伊藤園お~いお茶新俳句大賞」に作品を応募していたが、その結果がこのように丁寧にメールで送られてきたのである。
応募していたことさえ忘れていた私に、しかも落選の審査結果をわざわざメールで送ってくれるとは、この会社はなんと気配りのよい親切な会社だろうと思わずにはいられなかった。
この会社の日本茶はきっとこのように心を込めて作っているのだろうと思うと、一篇にこの会社とそのお茶が好きになってしまった。

  梅雨晴や日本の心持つ会社  英世

暑気払い

今朝は未明から雷鳴と共に激しい雨が降っている。
さて、博多の町は山笠一色で異常な雰囲気であるが、その中で「俳句の会鴻臚」の句会がありその後で暑気払いをした。
鴻臚は毎月一回定期的に句会を開いているが、高齢者が多いことから全員で飲み会をすることは少ない。ただ、例年新年会と暑気払いだけは続けている。
と言うことで、総勢12名で天神ビルのキリンレストランに行った。
女性が多いので乾杯のビールのあとは専ら食べるばかりで、そのメニューも女性任せである。
出てきた料理は枝豆やチーズ・ソーセージの盛り合わせ、ミックスピザ、2種類のパスタなど多彩であった。
それにしても女性陣は歳を取っている割にはよく食べる。出て来る料理は次から次に彼女たちの胃袋の中かに消えていく。
彼女たちの元気はこの食欲と俳句にあるのかもしれない。

  あれこれと句評飛び交ふビアホール  英世

「夜店」と共に出されたのが「汗」、あの私たちが掻く汗である。汗は暑いときや体を動かした時、緊張した時など一年中掻くが、中でも夏の汗が一番多いことから夏の季題となっている。
その汗は体温調節のためとはいえ厄介なものである。ことに夏の汗は掻く量も多いし臭いし耐えがたい思いである。
薄暑の頃は汗ばむ、梅雨に入ったら汗がにじむ、そして夏本番は総身汗びっしょりとなり「汗みどろ」「玉の汗」「滝のような汗」とその程度によって表現も実にうまく変わってくる。
なお、昔は湯上りの子供の首筋や顔から背中まで汗疹予防に天花粉をつけていたが、今は空調の発達と共に少なくなってきた。ちなみにその天花粉も夏の季題である。
その汗を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  これ以上痩せられぬ身の汗を拭く  英世

夜店

今回の俳句の会鴻臚の兼題は「夜店」と「汗」であった。
まず夜店だが、夕方から夜にかけて路傍や神社や寺の参道に開く露店のことである。大方は朝の内から開いて夜まで営業する露店がほとんどだが、それらの夜の時間も夜店と称していいだろう。
祭りの夜などに夕食後又は夕食を兼ねて涼みがてらに夜店を廻る浴衣の人を見ていると、いかにも平和な日本を思わせる。
夜店の種類は様々である。季節ものの金魚すくいや、相も変らぬ骨とう品や絵画を並べる店など、大人から子供まで見ていて飽きることはない。
また、今ではほとんどの照明が自家発電の電気に代わっているが、子供の頃のあのカーバイトの匂いが懐かしい。
その夜店を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  神木の枝に吊され夜店の灯  英世

一句の風景

ヘルメット枕代わりに三尺寝

今朝はこの夏初めての熊蝉の鳴声を聞いた。いよいよ夏本番である。
さて、今日の一句はある新築現場の傍を通りかかった時のことである。
その建築は最近少なくなった純木造の和風の家で、数人の大工が働いていた。
私が通りかかったのはちょうど昼時で職人が昼寝を楽しんでいる時だった。そのうちの一人は適当な枕代わりがなかったのか自分のヘルメットを枕にして眠っていた。
私にはその光景が何となく長閑に見えて、思わずああこれが三尺寝かとつぶやいた。
この句はその時の風景を即座に詠んだものである。
2013年(平成25年)7月「季題:三尺寝(夏)」

国歌

このブログでは政治的なことはなるべく書かないと言明しているが、なるべくと言うことは例外もあると言うことである。
先日、森五輪担当大臣がリオ・オリンピックの壮行会で、国歌を歌う段取りの勘違いは別にして「国歌を歌えない選手は日本の代表ではない」と発言した。
私が読んでいるA新聞のコラムでは、案の定この発言を抗議の意味で取り上げていたが、私はそうは思わない。君が代が即軍国主義だとも思はない。ただ時代がそう仕上げただけである。
確かにこの発言はやや感情的で、もう少し穏やかに発言出来なかったのかとは思うが、言っていることはそう間違っているとは思わない。
オリンピックに限らず外国の選手は自国の国歌に誇りを持ち、堂々と胸を張って歌っている。
日本だけがなぜ萎縮しなければならないのだろうか。
歌詞の内容を難しく考えずに、日本古来のリズムを大事にしたこの国歌を、リオ・オリンピックの勝者は胸を張って堂々と歌い上げて欲しいと思わずにはいられない。

  日本の裏で真夏の五輪かな  英世

今日も34度超の猛暑のようだが、庭の大きなアメリカ芙蓉に涼しさを貰った。
七月と言えば博多祇園山笠、今日はその祭の話である。
日本は何と祭の多い国であろうか。
思うに博多祇園山笠のように厄病退散や死者を弔う行事として遥か太古の時代に祭が始まり、のちに稲作が普及してからは、稲の実りを祈願し収穫に感謝する祭が定着してきたように思う。
それにしても俳句の季題は不思議である。
俳句では単に祭と言えば夏の季題とされており夏祭とは言わない。春秋(冬はほとんどない)の祭にはそれぞれ春と秋を冠しなければならない。
祭がなぜ夏に限定されるのだろうか、村や里を冠したらなぜ秋祭なのだろうか。
私はこれだけ祭が多くなってきた今、夏は夏、秋は秋と冠した方が季題としてはっきりして分かりやすいと思うのだが。
とは言え、先日は久しぶりのカラオケで北島三郎の「祭」を心の底から歌った。

  雨の中博多若衆の山笠を組む  英世

IMG_4574.jpg

冬野七月号

冬野七月号が手元に届いた。
今月号の雑詠でも相変わらず低迷していたが、それでも嬉しいことが二つあった。
一つは飲み友達で同じ誕生日(一回り下)の女性が雑詠の巻頭を取ったことである。何故か羨ましさは全くなく我がことのようにうれしかった。
もう一つは私自身が課題集で三席になり選者の句評を戴いたことである。
例によってその他の句会の入選句も含めてご紹介しよう。
冬野七月号
 利休忌や人それぞれに裏表
 己が影持たぬ天守や花の雲
 句に遊び心しみじみ惜しむ春
 神々の楽を流して春の川
 春泥に児らの長靴躍りけり
 一人居の自由不自由日の永し
 落日に連翹の黄を重ねけり
 これ以上なき連翹の黄なりけり
 少年の雲丹の味知る頃となる
 神域へ渡る朱の橋楠落葉
 軽暖の笑顔を乗せて豆列車
 薔薇好きの漢カメラの位置に凝り
冬野インターネット俳句会
 竹皮を脱ぎ蒼天を突きにけり
 史跡野に水路一条花慈姑
 万緑の風を吸ひ込む大鳥居
 パソコンのワードに紙魚の恐れなく
俳句ステーション
 二人居の阿吽の暮し新茶古茶
 神々の楽を奏でて山開
 牡丹の大見得切つて崩れけり

水彩画展と運転免許証不携帯

2016070310220000.jpg
昨日の日曜日は福岡市美術館に高校同期生で親しくしている友人の水彩画展を観に行った。今日は彼女の了解を得ているのでこのブログで発表しよう。
作品は「ザボンの実る頃」と題した小品である。
豊かに実ったザボンの実に水仙などの早春の風景を取り合わせたもので、彼女好みのブルーを基調とした幻想的な色彩と適格な写生の効いた素晴らしい作品であった。
いつも思うのだが、このような美的感覚と技法を持った人の頭は一体どうなっているのか。絵筆の苦手な私には不思議でならない。
ところで、折角美術館に行ったのだから常設展示館も見ようとバッグを探ったところ、いつも携帯しているはずの運転免許証がない。
免許証があれば年齢的に無料で入館できたのにと残念でならなかった。僅かな料金でははあるがもったいないものはもったいないので、美術館にはまた来ることにしてその日は入館せずに帰った。
そうそう、美術館へは散歩も兼ねて歩いて(約1時間)行ったので、自動車運転違反にはならなかったのが、せめてもの救いであった。

  梅雨晴や客観写生の水彩画  英世

変則的な吟行

今回のたんたん句会吟行は西新界隈であったが、私は句会場と同じふくふくプラザで開催されたシルバー人材センターの行事と重なり午後からの句会参加となった。
このたんたん句会の主宰は、どこかの地下鉄の駅に集合しその界隈をぶらりと吟行することが好きなようである。
それが今回はたまたま西新駅だっただけのことなので、私もそれならばと西新ではないが会議のあった唐人町界隈を一時間ほど吟行して句会に臨んだ。
彼らは西新に行ったが、西新と言っても歴史的な名所がそんなに多くあるわけではなく、
結局は西南大学や西新商店街、防塁址などを中心に吟行したようである。
孫娘が通う西南大学のキリスト教資料館にはぜひ行きたかったのだが、行けないものは行けないとあきらめた。
そのような変則的な吟行で詠んだ句の中から、今日の一句をご紹介しよう。

  晴れゐても梅雨の重さのありにけり  英世

七月の花ごよみ「蓮の花」

今月の花ごよみは蓮の花である。福岡城の蓮の花もちらほらと咲き始めた。
大賀蓮の発見で、蓮が二千年以上も前から日本人に親しまれてきたことが分かったが、その蓮も植物学的に「観賞用の花と食用の蓮根を産するすいれん科の宿根草」と言ってしまえばそれまでである。
だが、蓮の花には別の大きな意味合いがある。
インドを始め東洋では仏教文化の発展と共に、この蓮の花が浄土の花としてより親しまれるようになった。それを表すかのように、ほとんどの仏陀の像はその蓮の花の上に鎮座している。
親鸞聖人はその仏陀と蓮の花の関係を、『煩悩の泥の中に蓮の花を開く』として、『高原の乾いた陸地には蓮の花は生じないが、低い湿地の泥沼には蓮の花が生じる』と説いている。
これは、凡夫が煩悩の泥の中にあって、菩薩に教え導かれて如来回向の信心の花を開くことができると諭したのである。
また、子供の頃に親たちから、8月に入ってこの蓮の花が散れば夏も終わりで、その後は決して泳いではならないと教えられていた。蓮の花に寄せる懐かしい思い出である。

  故郷の堀に浄土の蓮の花  英世

oogaha5.jpg oogaha8.jpg

七月に入る

今日から夏本番の7月である。梅雨はいつ上がるとも知れない。
7月と言えば博多の街は何と言っても山笠である。6月に入ってすぐに始まった山笠の準備も終え、街中に飾り山が立ち山笠一色に塗りつぶされるのも今日からである。
私は博多出身ではないので山笠を舁いたことはないが、友人の中には博多生まれではないのに山笠に夢中になっている男がいる。聞けば特別に許されて参加しているらしい。
あの山笠を舁く爽快さは舁いたものでなければわからないと言うが、それはそうかもしれない。その男は今年も中洲流で頑張るのだろうか。
夏の暑さに弱い私は7、8月の山には登らないことにしている。
せめてその山に代わって博多の飾り山笠を巡り、追い山笠を見てうっぷんを晴らすとしよう。

  寝もやらで血潮滾らす山笠漢  英世

 | BLOG TOP |