八月が終る

残暑が厳しかった八月が今日でやっと終わる。
先日の鴻臚句会では、会場の公民館で飼っている鈴虫が涼しげな声を響かせていた。秋は虫かごの中から始まっている。
そのような中で今日は負傷した右足親指の爪の経過をお話しよう。
確か3月の硯潮句会だったと思うが、折り畳み式の座卓を片付けていた時に、不覚にも取り落として右足の親指をしたたか打ってしまった。
幸い骨折はしていなかったものの、可哀想に親指の爪はどす黒くうっ血していた。つまり爪を死なせてしまったのである。
手術せずに治るかどうか心配になり、整骨院の先生に診てもらったところ、爪は完全に死んでいるのでそのうちに自然にはがれ、新しい爪が伸びて来るだろうと言うことであった。
その予言通り、先日黒ずんでゆらゆらしていた爪が突然はがれ、下に新しい爪が伸びてきていた。
親指は治ったものの、今度は太腿の筋肉を痛めるなど、私の躰もだんだんガタが来ているのかもしれない。

  新涼や親指の爪生へ変はる  英世

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一句の風景

虚子の句を諳んじ仰ぐ天の川

虚子に「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」という有名な句がある。
この句を坊城俊樹は、「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。(中略)
今このときは日本のために、そしてかつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことにおもいを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。」と解説している。
私も見えない天の川を探しながら、同じようなことを考えとぃた。
2013年(平成25年)8月「季題:天の川(秋)」

西瓜

脚の方は少しは良くなったものの、依然として状態は思わしくない。
さて、花火と同様に夏に欠かせないのが西瓜である。
子供の頃はおやつと言ってもお菓子がある訳でもなく、庭で育った胡瓜やトマト、瓜や茱萸などを捥いでそのまま生で食べていた。
西瓜も庭の畑に植えられていて、実が大きくなるのを今か今かと待ち焦がれ、父の目を盗んで熟れてもいないのに取って食べたこともある。
今のように冷蔵庫があるわけでもなく、手押しポンプで汲んだ水をたらいに貯め、それで西瓜を冷やしていた。
俳句にもよく詠まれるが、その西瓜を母が切る時の子供の目は、どれが一番大きいかと戦々恐々と目を輝かせていた。
また西瓜は種が多く、それを縁側からぷいと吐き出しながら食べるのも楽しいものだった。
その西瓜を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  プイと種吐いてまた喰ふ西瓜かな 英世
 

花火

毎月第二土曜日に開催している鴻臚句会だが、今月は予定日がお盆に掛かると言うことで第四土曜日に繰り延べになった。
昨日お話しした出席が危ぶまれた私の右大腿骨には異常なく、疲労からくる筋肉痛であった。医者から何か激しい運動をしたかと聞かれ、スクラッチ体操の話をしたところ、運動の量が多すぎる、半分にしなさいと指示があった。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしである。
筋肉を解す注射をし痛み止めを服用したところどうにか少しは動くようになり、何とか句会には参加することができた。それも句友に付き添ってもらってである。
その鴻臚句会の兼題は「花火」と「西瓜」であった。
夏の夜空を彩る花火、そして子供たちと庭で楽しむ花火とこの時期欠かせないのがこの花火である。
特に絢爛たる色彩を放つ夏の夜の花火大会は、子供ならずとも楽しいものである。私が今まで見た花火大会で印象に残っているのは、隅田川河畔から見上げた両国の花火、先にお話ししたマンションのベランダから真上に見た大濠公園の花火、そして子供の頃見た筑後川の大花火である。
また、その花火をすぐそばで見なくても、遠くに小さく上がる色彩と少し遅れて聞こえてくる花火の音には何となく郷愁を感じるものである。
ちなみに、花火は秋の季題であるが、それは昔から花火はお盆の供養として上げられた歴史からそうなったものである。
例によって花火を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  天国の考と酌みたし遠花火  英世

大腿骨を痛める

昨日は朝6時から庭の草取りをした。雨も降らないのに雑草はたくましく伸びる。
その草取りの汗を流そうと、午後から行きつけの温泉「清滝」に行った。真夏の温泉と言うのも覚悟をきめて入ればいいものである。
と、のんきなことを言っていたが、その後が大変であった。
実は朝草を取った後に右大腿骨の付け根に何かだるいような違和感があった。何か突き指をしたような感覚である。
整骨院でマッサージを受け、温泉に行けば治るだろうとたかをくくっていたが、症状は悪くなるばかりであった。夜は寝返りも打てず、ベッドから立ち上がろうにもなかなか普通のようにはいかなかった。歩みはまさに亀の歩みである。熟睡などできるはずがない。
夜が明けたら、これも行きつけの整形外科に行くつもりだが、果たしてどんな診断がなされるだろうか。
今日の午後からの句会は欠席かあるいはタクシーで行くことになるであろう。

  秋暑中温泉に行く能天気  英世

秋の気配

毎朝小さな庭に水を撒くのが私の日課である。
いつものように水を撒き、週に一回は朝6時頃から一時間以上かけて草を取ってきた。そうしないと日が出てからでは暑くて草取りどころではなくなるからである。
いやいやながら草取って来たが、このところの朝の空気はひんやりして来てすこぶる気持ちがいい。これならば朝6時ではなく7時からの草取りでもよさそうである。
今朝もいつものように庭に水を撒いていて、ふと、昨年筥崎宮の花園からいただいた白色ヒガンバナを思い出し、確かこの辺りだと見当をつけて水を遣った。
もうすぐ小さな芽を出すだろうが、彼岸時期の開花が待ち遠しい。
我が家の小さな庭だが、それでも藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌がつい口から出るようになった。
秋はもうすぐそこまで来ている。明日の朝はまた草取りをしよう。

  雑草のはびこる狭庭秋近し

塾生の顔

昨夜は家内と久しぶりに行きつけの小笹寿司に行った。常日頃は健康おたくの彼女が食べること食べること。彼女曰く「外食の時ぐらいは食べなくっちゃ」だって。
さて、度々お話ししているように私は今某進学塾で仕事をしているが、そのことで面白い発見をした。
4月に塾生が入れ替わり、新しい塾生と接するようになってもう5カ月にもなろうと言うのに、塾生の顔がなかなか覚えられない。何しろ毎日300~500人ほどの顔を見るのだから仕方のないことかもしれないが。
ところが、おもしろいことに気が付いた。
進学塾とは言え一応学びの場であるのに、今時の若者は男女を問わずてんでばらばらの服装で来る。
中でも多いのがTシャツあるいはその類のシャツで、そこには必ずと言っていいほどペインティングがなされている。
色鮮やかな幾何学模様や有名人の顔、観光地のロゴマーク、スポーツ選手の背番号、国内外の格言など様々であるが、そこには個人の好みがはっきり表れている。
「あっ、このシャツはあの子、このシャツはこの子」と、不思議なことにだんだんわかるようになるのである。
今では顔を見る前に着ているシャツを見るのが習慣になってしまった。

  Tシャツに秋の気配のありにけり  英世

体操に体が馴れた

昨日は継続する事の大切さをお話ししたが、今日は体操に対する体の馴れをお話ししよう。
スクラッチ体操を始めたころは、終り近くになると腰はふらつき息が上がっていたが、このところそんなことはなく楽に体操をすることができるようになった。
心なしか足腰が強くなり、関節をはじめ体全体が柔らかくなったような気がする。つまり体が体操に馴れてきた証拠である。
子供の頃、長距離系であった私は元来心臓が強いのか、息が上がってダウンすることはなかった。走るのは確かにきつい。息が全く上がらないかと言うとそうではない。
ただ、息が上がり苦しいがそこで止めたら元も子もないと、辛抱して走り続けているうちに体の方が自然と馴れてきて、30分ほどは楽に走れるようになってきたのである。(もっとも今そんなことしたら死んでしまうが)
体操も然りで段々と体が馴れてきて、15分ほどの体操では抵抗を感じなくなったのであろう。
それにしても暑い。体操が済むと全身汗まみれだがこればかりはどうしようもない。

  秋風や心ゆくまで深呼吸 英世

継続は数字なり

「継続は力なり」と言う諺はよく聞くが、今日はそれを具体的に表す話をしよう。
それは「継続は数字なり」ということである。
今年になってスクラッチ体操を始めほぼ毎日欠かさず行ってきた。ということは昨日で約230日経ったことになる。
何だ、たった230日かと言うのは簡単だが、これに体操の数を掛けて見ると膨大な数字になる。
仮にそのうちの200日体操をしたとしよう。
腿上げは一日200回だから4万回となり、スクワットはその半分とは言え2万回といずれも万を超す数字である。
このまま今年一年続けたとすればその腿上げは何と約6万回以上になり、まさに継続は数字なりである。
何事も継続することは大事である。今日も腿上げ6万回を目指してスクラッチ体操をしよう。

  秋天に大きく回す両手かな  英世

福大薬草園吟行

今回の百年句会の吟行は福岡大学薬学部薬草園で、句会場は城南市民センターあった。
この日はことさらに残暑が厳しく、汗を拭き拭き、水をがぶがぶ飲みながらの吟行であった。そういえば他の句会は8月を休みにしているところが多いが、この暑さでは何となく分かるような気がする。
薬草園は文字通り大学薬学部の研究のために薬草を特別に栽培した植物園である。
一見普通の植物園とあまり変わらないが、注意深く植物の名札を見ると、薬用部位とか効能が詳しく書いてある。今まで普通の草花だと思っていたものが、意外な薬草であったりして興味は尽きなかった。
また、句会場である城南区民センター傍の西の堤池にも足を延ばして吟行した。
西の堤池はもともと農業用溜池であったものを、周囲を整備して公園にしたもので市民の憩いの場となっている。
池には秋の気配とは程遠く、油ぎったぎらぎらとした夏そのものの池であった。
そのような吟行句の中から今日の一句をご紹介しよう。

   薬効を我が身に重ね花うこん  英世

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珍しい芭蕉の花

四つの顔を持つ男

覚えている人も少ないと思うが、東映映画で「七つの顔を持つ男」として片岡千恵蔵が活躍した時代があるが、それとは別に実際に四つの顔で活躍した男がいる。
その男こそ渥美清、その名も車寅次郎である。
四つの顔とは本名「田所康雄」、芸名「渥美清」、ご存知「車寅次郎」、そして彼はもう一つ「風天」と言う俳号を持っていた。
8月4日は渥美清の命日であったが、彼は生前田所康雄と言う本名での位牌を作り毎日拝んでいたと言う。芸名よりやはり本名を大事にしたかったのだろう。
先般NHKがその死後20年を記念して彼の人生ドラマを特集していた。
彼の国民的映画「男はつらいよ」の車寅次郎はあまりにも有名だが、私が注目したのは俳優ではなく俳人としての風天、つまり風天の寅である。
撮影の忙しさの中に、数は少ないが自分自身を見つめ直し、彼は彼なりの、と言うか渥美清独特の俳句を詠んでいる。
病気で自分自身の余命を感じ取っていたと思われる彼の作品の中で、私が最も気に入っている俳句を今日の一句としよう。

  赤とんぼじっとしたまま明日はどうする  風天

一句の風景

父の盆百の祝ぎをと思ひしに

父が桜花咲く四月に突然の事故で亡くなってはや20年が立とうとしている。
父は体は小さかったものの百姓で鍛えた体と、長生きの家系に生まれたせいかいたって元気であった。
私が東京に単身赴任中の突然の事故だった。元気な父を見たばかりだったので俄かには信じられなかったが、事故であれば諦めるしかない。
お盆には毎年実家に帰るが、この年仏さまの父に手を合わせながら語りかけた。
「本来なら今年百歳のお祝いをしてあげられたのに」
2013年(平成25年)8月「季題:盆(秋)」

日が短くなって来た

俳句をしていると一日の日の長さは気になるところである。
夏至を過ぎるとだんだん日が短くなることは誰でも知っているが、それを毎日感じることはなく、時として突然日が短くなったなあと感じることが多い。
ところが、私はじわじわと日が短くなることを体感している。
と言うのは、いま某進学塾で仕事をしているが、自習室の窓から外を見ていると日に日に日が短くなることを強く感じるからである。
自習室は原則朝9時から夜10時までであるが、昼過ぎの2時ごろになると西日が差し込むので、ブラインドを閉じ日差しを防いでいる。
日が沈んだらまた開ける訳だが、その開ける時刻がこのところだんだん早くなってきた。つまり日暮れが早くなっているのを実感しているのである。
俳句では日が短くなってきたことを「暮早し」とか「日短か」「短日」と言って冬の季題にしている。
確かにこの時期夕方7時を過ぎるとすっかり暗くなるが、実際は夏至を過ぎて少しずつ日は短くなっている。それを肌に感じ表現する秋の季題はないものだろうか。
ホトトギス歳時記の「夜長」とか、合本歳時記で言う暮れかけて急に暗くなる「釣瓶落し」とは、少し感じが違うような気がするのだが。

  日々に早まる秋の日暮かな  英世

迷子の蚯蚓(みみず)

今朝起きてみると南の空一面に鰯雲が広がっていた。秋はもうそこまでやってきている。
さて、いつもいつもきれいごとばかりは言っておられないので今日は蚯蚓の話である。あの土の中にいる蚯蚓である。
何時もより朝早く近くの公園を散歩していたところ、芝生の中を突っ切っているアスファルトの道路の上で、蚯蚓がくねくねと身をよじっていた。
そういえばゴルフに熱中していたころ、ゴルフ場で大量の蚯蚓が太陽の光で干乾びている姿をよく見かけた。
資料によると、蚯蚓は夜気の水分が大量に土に沁み込むと酸素不足を引き起こすので、地上にはい出し夜明けとともにまた土に潜るとあった。
見かけた蚯蚓は多分逃げ遅れて方向が分からなくなり、もがいていたのであろう。私はその蚯蚓をつまみ上げて腐葉土と化した落葉の中にそっと戻してやった。
子供の頃、この蚯蚓を小鮒釣りの餌として大量に殺生した罪滅ぼしをするかのように。蚯蚓だって一生懸命生きているのだから。
ちなみに蚯蚓は夏の季題である。

  公園の早き日の出に蚯蚓死す  英世

天の川が見たい

昨日は虹を見たくなり自分で作った話をしたが、今日は天の川の話である。
この時期、俳句の世界では天の川がよく詠まれる。
ところがこの数年、天の川をまともに見たことがない。都会の空は街の灯りや大気の汚れで、天の川どころか星座もまともに見ることができないのである。
天の川は夜空を横切るように存在する雲状の光の帯のことで、俳句では銀河又は銀漢として詠まれることもある。
日本では、夏と冬に天の川が南北に頭の上を越える位置に来る。また、他の星も天の川の周辺に多いので、夏と冬の夜空はにぎやかになるが、福岡ではそれを見ることもできない。最近見たこともない天の川を詠めとは酷なものである。
私が天の川を見てすばらしいと感じたのは、久住高原に寝そべって星空を眺めていた時のことで、あの天の川だけは今でも忘れられず、常々もう一度見てみたいと思っている。
また、星の里・星野村でもよく見えるらしいのでそこにも行って見たいものである。
むかし久住高原で天の川を詠んだ句を今日の一句としよう。

  漆黒の闇の草原銀河濃し  英世

虹を見たい

立秋を過ぎ、何となくロマンチックな気分になっているのか、急に虹を見たくなった。
かと言ってこの時期夕立でもない限りなかなか虹は現れてくれない。それならば虹を作ればよいと言うのが私の流儀である。
夕刻日が西に傾くのを待って庭にでて、西日に向って水道の水を勢いよくまき散らした。
ところが虹は現れてくれない。方角を変えて何度やり直しても虹は立ってくれない。
隣に住む孫娘に見つかり「じいちゃん、なんばしよっと?」と聞かれ、虹を作っていると話したら、あきれ顔と言うより少し馬鹿にした顔をされた。孫娘とは言え憎らしい限りである。
その後蛇口を霧状に切り替えて何度か繰り返しているうちに、ついに淡く小さな虹が立った。
理屈は簡単であった。水をシャワーではなくミスト状に撒くだけであった。科学好きの少年なら誰にでもわかる理屈だったのに。

  水道で作る狭庭の秋の虹  英世

父の思い出

毎年お盆には実家に帰り仏さまの父母やご先祖様をお参りすることにしているが、今年は岡山に住む弟の帰省に合わせて昨日お参りしてきた。
仏さまの父母に手を合わせ、お座敷に掲げられている写真を見上げているうちに、晩年の父のことを思い出した。
父はお酒が好きで、毎日夕食の時間になると自分で家庭用の電気燗つけ器を取り出し、日本酒二合をセットしてちびりちびりと飲んでいた。それ以上は飲まない。
ある時、高齢になった父の健康を心配した私は、少しお酒を控えたらどうかと言った。
それを聞いていた母は独特の筑後弁で、「父ちゃんには若い時から苦労ばっかり掛けて来て、酒もいっちょん飲ませてやられんかったけん、酒ぐらいよかごつ飲ませてやらんね」と父を弁護してきた。(いっちょん…少しも、けん…ので よかごつ…好きなだけ)
そんなことがあった時から間もなく父は突然の事故で亡くなってしまった。
だんだん父に似て来た私も、あと十年で父が亡くなった時と同じ歳になる。

  天国の父と酌みたし遠花火  英世

心の一字

ずいぶん前の話になるが、NHKBSで女優の壇蜜が全国の名刹を巡り、現代の名僧から心の一字なるものを聞き出し、その意味とするところを紹介する番組があった。
ご覧になった方も多いと思うが、急ぎメモして残しておいたのでご紹介しよう。
奈良薬師寺山田管主       
 變(変・へん)…自分こそ正しいその考えを改める
浅草浅草寺 田中貫主      
 怒(おもいやり)…怒りを転じて思いやりに
能登妙成寺 駒野貫主      
 龍(りゅう)…恩は石に刻め 恨みは水に流せ
奈良室生寺 網代座主
 遍(あまねく)…いつも心を太陽のように遍く照らす
京都仁和寺 立部門跡
 和(わ)…すべてを受け入れる
奈良長谷寺 加藤化主
 豊(ゆたか)…ゆたかな心なくして人生は楽しめない
京都南禅寺 中村住職
 風(かぜ)…風に向かえばやがて磨かれ柔らかくなる
宇治萬福寺 近藤住持
 活(かつ)…勢い良く生きる
天下の名僧の心の一字だけにどの文字も共感するものばかりであるが、あえて言うなら私は和が好きであった。
そして、私の心の一字は座右の銘「非凡なる凡人」の「凡」である。
 凡(ぼん)…凡人ゆえに努力して学ぶ 努力に勝る天才はなし
折しも今日からお盆。今あることをご先祖に感謝しつつ、自分が凡人であることを自覚し最高の凡人になるには、幾つになっても新しい知識を目指し努力して学ばねばならないと、自戒を込めたものである。
皆さんもどの字が好きかコメントいただくとありがたいのだが。
  秋風や心に沁みる凡の文字  英世

蜂と蚊

昼過ぎに夕立があったかと思うと翌朝は猛暑と言う日が続いている。それでも一種間ほど前に、今年初めての法師蝉の鳴声を聞いた。秋はもうそこまで来ている。
さて、先日の草取りの失敗談の続きである。
毎朝庭に水を撒くのが私の日課だが、先日水を撒いていて奇妙なことに出会った。
庭のハーブの一叢に水を撒こうとして近づくと一匹の足長蜂が潜んでいた。こんなところに巣でも作られたらたまらないと、私は足長蜂めがけて水の一斉放射をした。
蜂はどうにか退治できたからよかったものの、その後が大変だった。
水を放射したハーブの中から蚊の大群が飛び出し、裸同然の私を攻撃してきたのである。
払っても叩いても蚊の攻撃は止まず。私はたまらんとばかりにひとまず家の中へ避難した。それでも蚊に刺されたかゆみは落ち着くどころか増すばかりであった。
私は妙なことを考えていた。
この蚊どもはハーブに水をかけたことを怒って私を攻撃したのだろうか。いやもしかしたら蜂を退治したことに義憤を感じ、敵討ちとばかりに私を襲ったのだろうか。
どうでもいいようなことだが、出来れば後者であって欲しいと思った。その方が詩的だから。

  吾が打ちし憎らしき蚊の手に残る  英世

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友人のブログに、私の住んでいる町では熊蝉ばかりで蜩の鳴き声を聞いたことがないと愚痴をコメントしたところ、ご主人(会社の先輩)の虫博士から丁寧な説明があった。
「蜩は【早朝4時~5時くらいと、夕暮れ時うす暗い時】に【カナカナ】と優しく鳴いている」と言うことである。そういえばそんな時間に気を付けて蝉の鳴き声を聞いたことはなかった。
八月になったことだしもう鳴き始めるだろうと、さっそく得意の早起きで外に出てみたがカナカナの声はない。
あの熊蝉が大合唱する筋向いの大きなお屋敷からも聞こえてこない。やはり蜩は少し遠出して公園や山裾まで行かなければ聞けないようである。
俳句で蝉の句をよく詠むが、これで自信を持って蜩の句が詠めると思って、何か宝物を得たような気分になっていたのにまたまた出直しである。
持つべきものは友人であり博識のよき先輩であると言いたいところだったが、こと蜩に関しては残念であった。

  早暁に待つ蜩の金の声  英世

一句の風景

天空を星に返して花火果つ

福岡市大濠公園の花火を見に行った時の句である。
西日本屈指の大濠花火大会には大濠公園が都心にあると言うことからも大勢の見物客が押し寄せる。小学生からうら若い女性の艶やかな浴衣姿は、見るものに花火だけではない楽しさを与えてくれる。
何千発もの打ち上げ花火が終了すると、一瞬その場の雰囲気が緊張感から解き放される。
空を見上げると煙が流れ去った後に大きな星が輝いていた。
まるでその星に大空を返したかのように
2013年(平成25年)8月「季題:花火(秋)」

負け試合

一昨日、あまりの暑さに耐えかねて、家を抜け出し図書館に行った帰りのことである。
渋滞の車の中から何気なしに外を見ていると、歩道を蟻の列のようにゆっくりゆっくり、しかも元気なさそうに歩く人の列に出くわした。よく見るとその列はヤフドームから街の方へ連なっている。
カーラジオからはソフトバンクと日本ハムの試合で、地元ソフトバンクが8対3とリードされていると報じていた。
そうか、観客は結果を待たず、8回表でもう負けるものと思い込んで帰り始めていたのである。
昔、広島球場に地元の友人と巨人対広島の試合を見に行った時に、巨人がリードして私が大喜びしているときに、広島ファンの友人は突然帰って飲みに行こうと言いだした。
そうか、この人たちはその時の友人と同じ心境なのだなと納得した。
折しも突然の夕立が彼らを襲った。大粒の雨と雷鳴の中で彼らの背中は一層寂しげであった。

  負け試合なれども夏の甲子園  英世

警固神社

恒例の神社巡りで今回は新旧の警固神社の話である。
警固神社と言えば福岡天神のど真ん中にあるが、元々は那珂郡警固村(現在の南区警弥郷)に祀られていた。
神功皇后が遠征の折に勝利を祈願し、外敵防護の為に新たに下警固村の福崎に祀ったという。
福崎とは黒田長政が福岡城を築いた地で、後日その神社が城の敷地となったので遷座したとされるのが現在の中央区天神2丁目にみられる警固神社である。
現在の警固神社は隣の警固公園と共に市民の憩いの場所となっており、珍しいことに境内には足湯が設けられている。
天神の警固神社が黒田藩によって手厚く祀られたのに対し、警弥郷にある古い警固神社は近くの農民の氏子によって大切に祀られてきた。
先日、その古い縁起を持っているという警弥郷の警固神社を訪ねた。訪ねた日は丁度夏祭の日で、氏子が総出で祭の準備をしていた。
古い方の警固神社はひっそりとした住宅地にある小さな祠であるが、これが国を鎮護する警固神社だと言うことや警固村、警弥郷と言う地名からして、かつてはこの辺りまで博多湾の入江だったのかもしれない。

  新旧の社はともに夏祭  英世

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百道浜吟行

今回のたんたん句会吟行は福岡市の百道浜海岸であった。
海岸と言ってもこの辺りは新興の大都会で、福岡タワーや放送局、ホテル、ヤフオクドームと言った大型商業施設が立ち並ぶ一方、人工ビーチに子供たちが遊んでいる活気あふれる街である。
この海岸がかつて元寇にさらされ、多くの血が流されたという面影は全くない。
一方浜辺には人工とは言え白い砂浜が広がり、子供や若者が水遊びに興じ少し離れた河口では釣りを楽しむ親子がいた。
吟行では福岡タワー一階に集合し、そのあたりの海岸を散策して回った。
この日は灼熱の太陽が照り付ける猛暑であったが、結構に日影もあり暑さを苦にすることのない楽しい吟行であった。
そのような炎暑の中で詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  炎天のロケットめけるタワーかな  英世

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原爆忌

原爆忌とは8月6日に広島、9日に長崎に投下された原子爆弾によって、多くの人々の命が失われた忌日で、俳句では夏の季題とされている。
昭和36年、三菱系の会社に入った私は三菱の街長崎で、3ヶ月間の新入社員合同教育を受けた。
教育期間中だから別に忙しい訳でもなく、退社後や土日にはテニスに明け暮れ、その傍らに長崎市内を見物して回った。そこで目にしたのが原爆の生々しい爪痕であった。
一本足鳥居や永井博士の如己堂、浦上天主堂(再建後)などに残された原爆のすさまじさ悲惨さに触れ、町の人から聞いた被爆者の苦しみや悲しみに絶句した思い出がある。
「長崎の鐘」や「原爆を許すまじ」の歌を憶えたのもこの時である。
この夏米国のオバマ大統領が広島を訪れた。彼はそこで何かを感じただろうか。何かを感じ取り世界に発信したはずである。
世界のリーダーとして、核廃絶に向かって身をもって実行して欲しいと願わずにはいられない。

  車椅子のままの黙祷原爆忌  英世

熱中症寸前

昨日の朝の話である。
少し明るくなった朝六時ごろから草を取り始め約一時間が経ち、汗びっしょりとなりながらどうにか草取りも終わりと顔を上げたとたん、目の前が暗くぼんやりし頭がくらくらして気分が悪くなった。
しまった「熱中症」かもしれないと、急ぎ家の中に入ろうとしたが思うように体が動かない。そうこうしているうちに冷や汗が出て吐き気を催すほどにひどくなってきた。
命令をした彼の人の手を借りながら、這うようにして風呂場に倒れ込み、Tシャツのまま冷水を浴び大量の水も飲んだ。
そのあと風呂場で座り込みしばらく動かずじっとしていたら、だんだん気分が良くなり持ち直してきた。
躰にへばりついた服を脱ぎ捨て、クーラーの効いた部屋で横になり再び水を飲むなどしていたら、どうにか回復し熱中症を回避することができた。
シルバー人材センターで会員に熱中症に気を付けましょうと言う立場にありながら、たかが庭の草取りと甘く見て、朝食前にしかも帽子もかぶらず水も持って出なかったことに後悔しきりであった。

  一杯の水有り難き炎暑かな  英世

冬野八月号

手元に冬野八月号が届いた。亡くなられた靏内先生の手による表紙である。
この先この表紙は誰が描くのだろうかとそのようなことを考えながら、手向けの酒とばかりにある人から戴いた焼酎「池の露」を飲み、改めてご冥福をお祈りした。
さて、例によって冬野八月号並びにその他の句会の入選句をご紹介しよう。

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冬野八月号
 矢車の風の吐息に添へる音      
 咲き満ちし薔薇は棘まで美しく
 海光を引き寄せ岬の花茨
 牡丹の崩るるといふ大舞台
 天日を恋ふる花々初夏の園
 妻と吾の知足の暮し新茶古茶
 母の日や故郷遠く住み慣れて
 母の日を祝ふことなく逝かれけり
 王朝の貴人の色や紫蘭咲く
 句心を育む梅雨を憂しとせず
 首洗池を浄めて未草
冬野インターネット俳句
 指先で地球一周てんと虫
 玉をなす汗が誇りのボランティア
 晴れゐても梅雨の重さのありにけり
 滝の上に己が視線の駆け上る
俳句ステーション
 走り根が大樹の証楠若葉
 梅雨入や足したき雨の海に降る
愚陀仏庵インターネット俳句
 負けてなほ糸を吐き出す喧嘩蜘蛛

大濠公園花火大会

一昨日の夜は大濠公園の花火大会を見に行った。
前にお話しした大濠公園近くのマンションに住む茶人の友人から招待を受けて、何時ものメンバー5人で押しかけたのである。私の家内も誘われたのだが残念ながら仕事でそうもいかなかった。
子供たちがまだ小さかったころ、私たちも大濠公園の近くに住んでいたので、毎年花火を見に行ったが、それでも家からは少し歩かなければならなかった。
それがマンションのベランダから見られると言うので楽しみにして出かけた。
持ち寄った御馳走と冷たいビールを戴きながらしばらく待っていると、一発の花火を合図に百花繚乱の花火大会が始まった。
頭上高々と開く大花火、耳をつんざく大音響、舞い込んでくる煙幕と火薬の匂い、まさに間近で見る打ち上げ花火の醍醐味であった。

  一発の音に始まる大花火  英世

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八月の花ごよみ「朝顔」

八月の花ごよみと言えばこの朝顔を外すわけにはいかない。子供の頃夏休みの宿題に育てた朝顔を懐かしく思い出す。
朝顔は中国やヒマラヤ山麓が原産地で、日本には遣唐使が薬草として持ち帰ったと伝えられている。朝顔は中国名で牽牛子と言うが、これは大事な牛を牽いて行って朝顔の種(薬)に変えたという故事によるもので、俳句でも牽牛花として秋の季題になっている。
その後園芸種としてたびたび改良が重ねられ、現在のような様々な色や花の大きさになった。
また、四国や九州の暖地に自生する野生朝顔は、渡来当時の姿を今に残しその花も小さいと言うが、私は見た記憶がない。
朝夕のややひんやりする時期にこの朝顔を見ると、なぜか涼しさを覚えるのは私だけでなないであろう。

 朝顔の紺の色なる雨が降る  英世

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八月に入る

今日から八月であるが、この夏、関東地方は雨不足で給水制限となり、思わず昭和53年の福岡大渇水を思い出してしまった。
さて、八月と言えば忌まわしいとまではいかないが、昨年腰を痛めたあまりイメージの良くない月である。
そのおかげで好きだった山登りも、散歩程度に止め回数も極端に減ってしまった。
散々苦労して長期治療に努めたことで、今年になった徐々に痛みが弱まり、現在はほぼ全快に近い状況である。
ところが腰と言うものはいったん痛めてしまうと、再発しはしないと気が気ではない。長時間の散歩にも気になって思わず躊躇してしまう。
月に二回ほど診察を兼ねて整骨院に通っているが、このままおとなしく治ってくれることを願ってやまない。

  喜雨を得て腰の痛みも和らぎぬ  英世

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