九月が終る

今日で九月も終りである。
日ごろ、このブログを書くにしても俳句や随筆を書くにしてもパソコンが手放せず、今や完全にパソコンやプリンターに使われる身の私である。
ところがそのプリンターが九月初めごろからご機嫌斜めだった。
印刷の指示をしてプリンター―に働いてもらおうとした時に、突然「電源を切って修理を依頼して下さい」とメッセージを発してくる。
まさか故障ではなかろう、何か私の操作に問題があるのではといろいろやってみるがどうしても機嫌を直してくれない。
私も気が短いので、「え~どうにでもしてくれ」とコンセントを抜いてプリンターを休ませてみると、何と翌朝はきちんと機嫌が直っている。
一体どういうことなのだろうか。機械音痴の私にはさっぱりわからないが、どうも遊び半分でプリンターを酷使しているので、彼は疲れて怒っていたのではなかろうか。
ところが、そのプリンターがとうとうダウンしてしまい買い替えることになった。インクを補充したばかりなのに。
他にも9月は何かと物入りの月であったのに。

  昨今は横文字俳句天高し  英世

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植物園吟行

昨日の渦潮句会吟行はいつもの植物園であった。
この日はあいにくの大雨で、このような雨の中に植物園を訪れるのは私たちのような俳句狂人の他には居なかった。
それでも植物園に一歩足を踏み入れると、コスモスが雨に打たれながらも笑顔で私たち狂人を迎えてくれた。
能古島ほどの群生ではないが、秋霖に濡れながら群れ咲いているコスモスは私たちの心を癒してくれる。
更に園の奥に歩を進めると、これまた秋の薔薇が香しい匂いを放っていた。
来月の中旬には秋の薔薇祭りが開催されると言うので、その時にはまた訪れたいと思わずにはいられない咲きっぷりであった。
その大雨の中で詠んだ句の中から、例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  秋霖を厭はず俳句狂の傘  英世

長女の誕生日

今日は隣に住む鈴花の母親、つまり私の長女の誕生日である。思えば長女の誕生はずいぶん昔になったものである。
私たちは10月9日に結婚したので、長女はちょうどその一年後に誕生したわけだが、その時の感動は今でも忘れない。当時は生れるまで男か女かわからなかったが、最初は女の方が育てやすいと母からよく聞かされていたので、長女の誕生は本当にうれしかった。
その娘も無事成長し、今や堂々たるおばさん振りを発揮しているが、その過程ではいろんなことがあった。
生来髪が赤かった娘は中学時代に髪を染めていると疑われ、母親が学校に申し開きに行ったこともある。また笑い話では大学の教師から「俺より立派な車(実は私の車)に乗って来るな」と冗談を言われたりしていた。
その娘が家を建てる時に、「どうせ将来は自分がお父さんたちの面倒を見ることになると思うので隣に家を建てる」と言ってくれた時は涙が出るほどうれしかった。
鈴花と言うかわいい孫娘も授けてくれたし、今日は素直に誕生日おめでとうと言おう。

  秋空や妻そつくりの娘に育ち  英世

一句の風景

女将の座継ぐ気の少女秋袷

一昨日まで微かに鳴いていたつくつくぼうしだが、昨日はとうとうその声を聞くことは出来なかった。いよいよ秋本番である。
さて、行きつけの郷土料理割烹の「ひしむら」が、一世一代の代替わりをすることになった。
つまり、これまで長年お世話になってきた女将がその座を娘に譲り、大女将になったのである。
季節はあたかも秋、女将を継ぐ気になった少女はぎこちなく秋袷を着ていた。
ついこの前まで高校生だと思っていた少女が、女将を継ぐ歳になったのかと、一種感慨にも似た気持ちを句にしたものである。。
2013年(平成25年)9月「季題:秋袷(秋)」

消えゆく季題について

ずいぶん前に時代とともに消えゆく季題がたくさんあり、歳時記から消去したらどうだろうかとお話ししたことがあるが、その後私の考えに少し変化が起きてきた。
つまり、現在通用しなくなった季題とは言え、日本人の生活や文化の記憶として残しておくべきではないかと思うようになったのである。
昨日もお話ししたが、消えゆく季題には季題としての本来の意味からずれてきたものがたくさんある。
特に生活に密着した季題は、科学の進歩とともに本来の意味からずれてくるものが多いが、そのこと自体は仕方がないことである。
ただ、生活の中でその行事や仕事が完全になくなったわけではないので、その季題は消去してしまうのではなく、新しい解釈が求められるべきではなかろうか。
そういった意味では新歳時記から新々歳時記に移行する時には、その季題に現代の様子や解釈を付け加え残すべきだろうと思い直したのである。
これからはその新しい解釈で句を詠むことにも挑戦してみたいと思っている。

  手に馴染む古き歳時記秋灯  英世

消えゆく季題「虫売」

そろそろ秋の虫が涼やかな鳴き声を聞かせてくれる季節になった。
と言うことで今日の消えゆく季題は「虫売」である。
麦扱の時にもお話ししたが、消えゆく季題と言っても完全に消滅する訳ではなく、季題として登録された時代と様相が変わってきたと言うことである。
この虫売も同様で、その昔は鈴虫や松虫を天秤棒で売り歩くことを虫売と言ったが、現在その姿を見ることは出来なくなった。
その代わりとしてデパートやペットショップなどで虫を売るようになったが、その売っている虫にも変化が現れた。
現在の虫売はクワガタやカブトムシが中心で、本来の美しい声の虫ではなくなった。つまり、鳴く虫から鳴かない虫へと変貌を遂げたのである。
それにしても図書館などで鳴く鈴虫は一体何処で仕入れたのだろうか。

   虫売や当節鳴かぬ虫ばかり  英世

お彼岸

昨日の鴻巣山散歩の続きである。
鴻巣山の山裾には中央区最大の平尾霊園が広がっている。帰路はその霊園を抜けて帰ろうと歩いていると、あちこちにお墓の掃除をしている人たちがいた。手に手に水の入ったバケツと箒を持ち家族総出で掃除をしている。
それを見ながら私は何となく違和感と言うか不思議な気がしていた。
と言うのは、私の田舎ではお墓参りは盆と正月それに身内の法事の時だけで、春秋のお彼岸にお墓参りする習慣がなかったからである。
お彼岸の行事と言えば、我が家の庭の地蔵堂にたくさんの遍路がお参りに訪れ、お茶とお菓子でそのお接待を家族総出ですることであった。
庭の地蔵さんは弘法大師で、私たちは親しみを込めて「おこぼさん」または「おだいしさん」と呼んでいた。
お墓掃除をしている家族を見ているうちに、何時しかそのお彼岸のお接待のことを懐かしく思い出していた。

  み仏と縁の紐や秋遍路  英世

里山は秋たけなわ

猛烈な暑さと台風から解放されて久しぶりに里山の鴻巣山を歩いた。
目的はハチクマ(鷹の仲間)の渡りを見るためであったが、薄曇りの中で残念ながらその渡りを見ることは出来なかった。
ハチクマをあきらめ森を歩いているとあちこちに秋の景色を見ることができた。まず目に付いたのがきのこで、名前は知らないがきれいなきのこが生えていた。
食べれば美味しそうにも見えたが、きのこに全く知識のない私はためらいもなくそのまま見るだけにした。
また足下を見るともうすでに木の実がたくさん落ちていた。この前までは真っ青な色をしていたのにと思うと、秋の深まりを感じないわけにはいかない。
ただ、一つ残念だったのは何時ぞやお話しした真田の家紋のある地蔵尊の祠が、雨風に耐えられず朽ちかけていたことであった。
地蔵尊は本来あるべき場所の床が抜け落ち、祠の前の方に仮に置かれているが、祠の再建計画はあるのだろうか。気になるところである。

  里山にじわりと秋もたけなはに  英世

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花は裏切らない

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昨年、筥崎宮からいただいた白彼岸花(リコリスの仲間)が、我が家の庭を明るく照らしてくれた話をしたが、今年はその彼岸花がなかなか芽を出してくれなかった。
九月上旬には野の赤い彼岸花が満開だと言うのに何の音沙汰もない。何かの理由で球根が腐ってしまったのかもしれない。
資料によると彼岸花の仲間はどうも水分を嫌うらしく、もしかしたら私が毎日毎日水をやったのが原因だろうか。いずれにしても咲かなかったことは事実である。
友人の話によると二年に一度しか咲かない植物もあるので、そうではないかと言ってくれたが、私を慰めるために言ってるのではと疑ってしまったほどである。
ところが、お彼岸ぴったりに急に芽を出したかと思うと、あっという間に満開になりしかもその株数が増えていた。彼らはしっかりと生きていたのである。
白い可憐な花の写真を撮りながら、彼岸花は私を裏切らなかったのだと思うと感謝の念で一杯になった。
思うにこの白い彼岸花は遅咲きの種類のようである。来年はお彼岸のその日まで慌てずじっくり待つとしよう。

  彼岸花二年に一度咲くことも  英世

周りは画家がいっぱい

一昨日の敬老の日に、福岡県立美術館で県展が開催されると言うので観に行った。と言うのも私の高校同級生二人が絵画部門で同時に入選し、招待を受けていたからである。
いつも言っているように、少ない同級生に画家が二人もいたとは驚きで、特にY・Nさんと言う女性は日本水彩画展に入選し、上野美術館に展示されるほどの腕前である。
さらに県展でびっくり仰天の人に出会った。
作者本人を前にその作品について解説、指導する県展解説員に、これまた同級生の息子さんがいたのである。
同級生であるお父さんはバレーボールのエースアタッカーで、彼自身も絵も描いていることは知っていたが、まさかその息子さんが県展の解説員になるほどの著名な画家とは知らなかった。
先にお話しした故鶴内恵先生もそうだったが、絵筆の苦手な私の周りには偶然かもしれないがたくさんの画家がいる。
今日は県展入賞のY・Nさんの、庭の風景を描いたパステルカラー調の明るい作品をご紹介しよう。

  友二人県展の秋満喫す  英世

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一句の風景

蟷螂の目玉も終に枯れにけり

さて、本格的な秋を迎えると野の虫も冬支度を始めるか自然死を待つばかりである。
そんな折、庭先に一匹の大きな蟷螂を見つけた。その動きは鈍く葉の上から転げ落ちんばかりであった。
蟷螂も壮烈な思いをして卵を産み、子孫を残すわけだがその姿はあまりにも哀れである。
俳句ではその姿を枯蟷螂と呼ぶが、いつもはらんらんと輝く蟷螂の眼も心なしか枯れていたような気がしる。
その枯蟷螂の哀れさを、自分の老いに重ねて賜った句である。
2013年(平成25年)9月「季題:蟷螂(秋)」

百年句会欠席

昨日の百年句会は大宰府吟行であったが、前日の昼頃からお腹に軽い痛みが走り、残念ながら欠席してしまった。
前にもお話しした事があるが、私には大腸憩室炎と言う持病があり、今回もその疑いが強かったのでいつものように即座に絶食し、薬を飲んで様子を見ることにした。
大宰府吟行は久しぶりなので楽しみにしていたのだが、絶食のフラフラの躰で行くわけにもいかず、幹事の方や句友には申し訳ないが止むを得ず欠席することにした。
今朝は幸いなことに腹痛も治まり体温も平常に下がった。憩室炎の初期症状だったことには間違いないが、もし手遅れだったら今頃は入院の憂き目に合い、冷たいベッドの上だっただろう。
そう思うと句会欠席も適切な判断だったような気がする。

   欠席の電話虚しく秋の句座  英世

竹の春

葡萄と共に兼題に出されたのが「竹の春」であった。
竹の春と言うから春かと思いきや季節は秋である。また竹の秋は春の季題で、こと竹に関しては通常の概念とは異なる逆の季節である。
竹は他の植物とは違って春に筍を出して繁殖する。この時期竹は地下茎に栄養分を回さなければならないので、親竹は衰えてしまう。
一方、秋になると筍も青竹に成長するし、親竹も勢いを盛り返してくる。俳句ではこのことを竹の春と呼ぶのである。ちなみに竹を伐る(これも秋の季題)のもこの時期が良いとされている。
その竹の春を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

   化野の風の騒めき竹の春  英世

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葡萄

今回の硯潮句会の兼題は「葡萄」と「竹の春」であった。
まず葡萄だが、葡萄は日本人にはポピュラーな果物で、あのつるりとした感触と甘さは大人になっても応えられない味である。
今では品種改良が進み、巨峰と言う甘くて大粒の葡萄が多く食べられるようになった。
一方、ヨーロッパなどではもっぱらワインやブランデーの原料として、この葡萄が多く利用されている。
葡萄の木は蔓性で、多くは棚上に高く育てられている。初めてパリを訪れた時に、郊外のモンマルトルの丘でこの葡萄畑を見た。
パリと言う花の都のすぐそばに葡萄畑がある。さすがにワイン王国フランスだなと妙に感心したことを憶えている。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  葡萄園一日秤の振れ止まず  英世

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もし怪我でもしたら

私の住んでいる町の名前は小笹で、その名の通りつい50年前ごろまでは山の麓から一面に竹藪が茂っていたという。
今でもその名残があちこちに点在しており、その一部は公園または保全緑地になっている。
山歩きをしないときは、それらの残った藪の中の道なき道を歩き回るのが好きで、よく歩いたものである。
と言うことで先日も歩き始めたところ、ある木道の下り急坂の前で私の足はピタっと止まってしまった。
よく見ると早くも木道が落葉に埋まってその境目がよくわからなくなっている。私の頭の中に「怪我でもしたらばからしい」と指令が走った。
今までなら何ともなく、むしろそのような道を好んで歩いたものだが、それをさせてくれない歳になったということだろうか。
私はためらわず落葉を払って木道を確認した。

  秋の山怪我でもしたらばからしい  英世

枯れて来た

私の身長は160センチ足らずで、同年代に比べてもはるかに小さい。
その背の低さから当然体重も軽く、若い時でも最大で57キロ以上になったことはなかった。
最近は摂生して53キロ前後を維持していたが、その体重がこのところ52キロ弱とやや減ってきた。
何か大変な病気ではないかと心配して主治医に尋ねたところ、「大樹もやがては葉を落とし細くなるのですよ」だって。
そのような文学的な表現はどうでもいいから、実際は何か大変な病気ではないのですかと尋ねたところ、「大丈夫です、極めて健康です」。きっと健康おたくの奥様のお蔭でしょう。心配なら検査しましょうかと言われた。
そういえば父も晩年は枯れ木のように痩せ細っていたが、それでも年並以上に元気だった。交通事故にさえ会わなければ、きっと100歳までは生きていただろうと今でも思っている。
私も今年には74歳になる。そろそろ心も躰も枯れ木の年代に入ったということであろうか。

 秋風に飛ばされさうな己かな  英世

草の花

秋の蝶と共に出た兼題は草の花であった。
草の花とは秋の山野や庭先に咲く様々な花のことである。秋の七草のように名のある花もあれば、名もなき雑草の花も含めて草の花と言う。
それらは概して可憐で小さな花をつける。その花の種類の多いことから、千草の花とも言う。
私の草の花に対するイメージは名のある花ではなく、むしろ名もない花である。 
その名もない花を摘み、適当なグラスにそれとなく活けて楽しむのが、草の花にはふさわしいと思っている。
その草の花の中から今日の一句をご紹介しよう。

   花好きの母に供華とし草の花  英世

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秋の蝶

今回の鴻臚句会の兼題は「秋の蝶」と「草の花」であった。
まず秋の蝶だが、その名の通り秋に舞う蝶のことである。
くどいようだが、単に蝶と言えば春であり、その他の季節の蝶にはそれを冠しなければならない。
春の蝶が花から花を飛び廻るのに対し、秋の蝶はめっきり数も減り弱々しくなり、高原を飛ぶ飛び方も何となく弱々しく見える。
特に都府楼址の礎石や、川原の石の上を低く飛ぶ秋の蝶には、すぐ何かにすがりたいような動きが見え、一種の憐みさえ感じる。
蝶の中でも秋の蝶は私の大好きな蝶で、その秋の蝶を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

   秋の蝶鉄条網を抜けにけり  英世

一句の風景

露けしや自分史にみる老の文字

自分史代わりに毎日ブログを書き、時折エッセイを書いたりしている。ブログは公開しており誰でも覗くことができるので、不謹慎なことを書く訳にはいかない。
ところが、このところそのブログやエッセイに「老」の字が多くなったような気がする。日常特別に自分が老いたとは思わないが、心の隅に老いの恐れが忍び寄っているのかもしれない。
古希を迎えた年の句である。
2013年(平成25年)9月「季題:露(秋)」

俳句の常套語Ⅱ

昨日の冬野の阿比留主宰の話に続き、俳句の常套語の話である。
ずいぶん前に俳句には擬人法が多すぎると批判的な記事を書いたが、その関係で今日はよく使われる、つまり常套語の「風」を取り上げたい。
風にまつわる言葉だけでも、風薫る、風立つ、風誘ふ、風の声、風匂ふ、風と来る、風がささやく等と、風そのものや風の擬人法は数え上げたら切りがない。
先日「○○○○や風の匂ひの新しく」と言う句を目にした。上五にはどんな言葉が入るのだろうか。春夏秋冬何でもよさそうな気がする。「風の匂ひのする○○○」も然りである。
風は自然界で最も親しい現象であるが、そんなに都合よく吹いてくれるものだろうか。吟行であれば誰もが同じ条件なので、何処でどのような風が吹いたか確認できるが、雑詠となるとそうはいかない。
風はある意味主観的なもので、比較的にどのような句にも適応力があることから、上五が出来て中七・下五に困った時、あるいはその逆で「困った時の風頼み」となっていなければいいのだが。
自戒も込めてそのようなことを考えていた。

  鎖場に足踏ん張れば秋の風  英世

俳句の常套語Ⅰ

少し前の話だが、冬野8月号に主宰の俳句の常套語についての小文があった。
原文のまま紹介すると、「俳句作りには常套語があり、それをうまくつかうと確かにまとまりのある整った句ができます。詩情を余所に、俳句大会用の常套語を駆使し、入選を狙った句づくり、整った句作りをしていなかったか、口当たりの良い句に纏めてはいなかったか・・・」
この一文を読んで、俳句を始めた当時の先生から、似たようなことを言われたことを思い出した。
「今から俳句を始める訳だから素人なのは当たり前で、どんな稚拙な俳句でもよいが人まねだけはするな、自分の言葉で見たままを詠みなさい」と言われた。
15年たった今、私はその自分の句が詠めているのだろうか。このところ成績が振るわないのは、もしかしたら、初心を忘れ俳句の常套語を転がして、人まねの類想句を詠んでいるからではないだろうか。
主宰の記事を読んで、改めて自分の句を見直すことにした。

   秋空や初心忘るるべからざり  英世

改号の妙

江戸の浮世絵が華やかなりし頃、かの有名な葛飾北斎の奇行はよく知られている。
転居すること実に93回、時には一日に三回も転居したことがあると言う。
転居する理由は様々あろうが、一説には親娘共に掃除と言うか片付けが大嫌いで、汚くなったら少ない荷物をもって転居したと言う。
また、彼は生涯に30回と頻繁に改号している。使用した雅号は「春朗」「群馬亭」「北斎」などで、ここに書くスペースもないほど多いが、極めつけは73歳の時に名乗った「画狂老人」ではなかろうか。
北斎はこのころから絵に開眼し、それまでの自分の絵を評してろくなものではないと言って画狂老人と改号している。
この画狂老人の号で描いた「富岳百景」が評判を呼び、浮世絵画家としての地位を不動のものにしたである。
改号したから名作が生まれたかどうかは不明だが、転機になったことは間違いなかろう。
私も英世(ひでよ)の字は変えず、読み方を変えて英世(えいせい)と言う立派な?俳号を持っている。改号が転機になるのであれば私も改号してみようかな。
その俳号は「俳狂老人」または「酔狂老人」。

秋灯や俳号変へてみやうかな  英世

俳号のすすめ

俳人には自分の俳号を持つ人と本名のままの人がいるが、結論から言うと私は俳号推奨派である。
俳号は自分のペンネームのようなもので、ちなみに私の俳号は本名の英世(ひでよ)の読み方を変えた英世(えいせい)である。
日本人の名前は時代によって一つの傾向があり、その人の名前を見ただけで生まれた時代がおよそ分かろうと言うものである。
女性で例を取れば、今時「トラ」や「タツ」は少ないだろうが、つい最近までは真理子、博子、勝子、和子、敏子、富子、純子、紀子と子のつくものばかりで、それも上の字が一部に偏っていた。
俳句では名前だけで済ませる習慣があるので、本人の顔がわかる句座ならばともかく、俳句誌などで文字だけの名前が出てきても、何処の何子かさっぱりわからない。
俳句誌に投稿しようと思い始めたら、自分の個性を表す強烈な俳号を付けるのもいいかもしれない。

  英世(えいせい)の呼び名少なし秋の句座  英世

私の本棚「「俳句への道」

今日からしばらくは俳句の話に徹しよう。
9月になったとは言え外に出るのが億劫になり、俳句関連の本ばかり読んでいる。句を作り始めて15年になるのだから、もはや初心者とは言えず少しは理論武装も必要ではと思い始めたことからである。
その中の一つに、高浜虚子著の「俳句への道」があった。
この本は、虚子が次女星野立子の主宰する「玉藻」に連載した俳話をまとめたもので、俳句の本質、味わい方、作り方について述べたものである。
その中でも虚子は客観写生、花鳥諷詠の理念をくどいように説いている。
俳人のベテラン諸氏に、ここで虚子の理念を説いても無意味なことなので省略するが、読んでみて、改めて自分の俳句が虚子の主張に、いかに外れた句が多いかを思い知らされた。
また虚子に聞く形での座談会で、子規や碧梧桐との交友、俳句に対する心構えなどが述べられているのにも興味を覚えた。
これからも時々取り出しては紐解きたい一書である。

  秋の灯や手当たり次第に俳句の書  英世

冬野九月号

台風が福岡市のすぐそばを通過したと言うのに、幸いなことに雨風もなく、本当に台風が来たのだろうかと言う今朝の天気である。
そのような中、冬野九月号が手元に届いた。
今月の表紙絵も亡くなられた靏内先生の絵であるが、人間は死しても足跡を残す典型であろう。
靏内先生を偲びつつ、冬野九月号並びに他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野九月号
 梅雨寒や水苔著き池中句碑
 文学館らしく紫陽花活けらるる
 梅雨寒や色の褪せたる天井画
 夕映えに空を恋ゐるあめんぼう
 蛍火やその究極のエコロジー
 梅雨時も晴女とはゐるものよ
 硫黄噴く九重連山五月晴
 日輪の色を貯め込み枇杷熟るる
 小流に遊ぶ河童や造り滝
 色焼けし薔薇とは言へど女王の香
 憂国の皇御国の詩碑涼し
冬野インターネット俳句会
 辞書の鳥鳴かせて秋の立ちにけり
 母すでに祖先の域に盆の月
俳句ステーション
 掌の小銭数ふる夜店の子
  海底に竜の都や夏の月 
 日の匂ひ失せたる梅雨のアスファルト(特選:天賞)
愚陀仏庵インターネット句会
 負けてなほ糸を吐き出す喧嘩蜘蛛

葛の花

秋の灯と一緒に出された兼題が「葛の花」であった。
その葛の花を探して、舞鶴公園や西公園を歩き廻ったところ、その葛の花は舞鶴公園の池の渕に大きく広がって咲いていた。
葛はマメ科の植物で、晩夏から初秋の頃まで花穂の下から咲き始め、咲いては落花を繰り返しながら咲き上っていく。
マメ科だけに豆の花に似た赤紫の蝶々のような可愛い花である。この葛は蔓状に大きく葉を拡げる性質があり、公園の生け垣などに這い上って覆いつくしてしまうほどである。
また、葛はその根を掘り起して乾燥させて葛粉にして葛餅や葛きり、葛湯などの原料にするが、今回は葛そのものではなく兼題はあくまでも葛の花である。
例によって葛の花を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  蔓引けば一叢揺るる葛の花  英世

秋の灯

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今朝6時少し前に起きると、東の空が真っ赤に染まる朝焼けで、台風の接近を暗示しているかのようであった。
さて、今回のたんたん句会はいつもの吟行ではなく、教室での句会で兼題は「秋の灯」と「葛の花」であった。
理由は句会の後一杯やろうと言うことで、いつもの吟行を取り止め、午後に時間を繰り下げて教室の句会にしたからである。
さて、その秋の灯であるが、歳時記によれば「灯火親しむべし」と言われる秋の夜のともしびで、春の明るく艶やかな感じに対し、秋の灯はなつかしく静かな感じがするとある。
今までも秋の灯は何度となく兼題に出され、その都度苦労しながら詠んできたが、それでも今までとは違う新しいい句を詠まなければならない。
これも俳人の永遠の宿命であろう。
句会の後は久しぶりに割烹「ひしむら」に行って、近海のお魚や秋の味覚の土瓶蒸しなどを美味しく戴いた。
例によってその秋の灯を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  秋の灯や妻の眼鏡をこつそりと  英世

九月の花ごよみ「撫子(なでしこ)」

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母は料理と花が大好きで、その母が愛した花の一つに撫子がある。
私の実家は典型的な農家の作りで、広い庭は野菜畑と母の花壇があり、私たちの野球場でもあった。その花壇の片隅に咲いていたのがこの撫子である。
撫子は花の時期が長く実際は6月ごろから咲き続けるが、「万葉集」で山上憶良が秋の七草の中にこの撫子を詠んだことから秋の花とされたとある。
日本古来の撫子を大和撫子、河原撫子と言うが、これは中国の撫子「石竹」に対する呼び名である。
ただ、大和撫子と呼ぶだけでなぜか日本の女性の清楚さを表し、また母性愛を象徴するような気がするのはなぜだろうか。
ちなみに、母の日に贈るあのカーネーションも実はこの撫子の仲間である。

  撫子や長女にきつき母の愛  英世

九月に入る

今日から九月、本格的な秋の訪れである。
ところがその秋がこのところなんだか短くなってきたような気がする。
旧知の俳人がブログで叫んでいた。最近は夏が威張り過ぎて春秋を押しやっていると言うのである。
そういえば夏の暑さは5月上旬から9月中旬まで続くことが多く、その間何と四ヶ月を超えることになる。
5月は元々夏だからいいとして、9月の中旬は暦の上では仲秋でなければならないのに、今年はどうもこの暑さが続きそうな予感がする。
これ以上温暖化が進めば、日本は春秋が無くなり夏と冬だけになってしまうのではなかろうか。
そんなこともなかろうが、9月に入っての暑さに思考力が鈍っている私の脳が疼いている。

  思考力鈍りし脳や秋暑し 英世

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