十月が終る

今日で十月が終る。
反省と確認の意味を込めて暦を見ていたら、おもしろいことに気が付いた。
今日で終わる十月は新暦も旧暦も同じ1日から始まっていた。つまり、新暦の10月1日は旧暦の9月1日ということでいずれも朔である。
こんな珍しいことがあるだろうかと一月から捲って見ると、何と新暦の九月と十月だけが同じように旧暦と同じ朔になっていた。
旧暦の暦の仕組みは今もってよくわからないが、旧暦では一年を約354日として、二・三年に一度閏月を設けて調整している。それがたまたま同じ朔から始まるとは本当に珍しいことである。
お陰で一番月が美しいとされる十三夜は新暦でも10月13日となり、覚えやすかった。近くの公園で美しい十三夜を期待したのだが、その夜はあいにくの曇り空だった。
それでも黒い雲の合間から時折顔をのぞかせてくれた月は幻想的で、本当に美しい十三夜であった。
明日から十一月、いよいよ今年も残り少なくなった。

  公園の遊具の影や十三夜  英世

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一句の風景

露けしや母なき里に母を詠む

私に限らず世の男どもにとって母は永遠の女性である。つまり、記憶の初めが母だったのだから。
俳句の世界でも母の句は一定のポジションを締めているような気がする。
母の味、優しき母、きれいな母、老いた母と母を詠んだ句は際限がない。またその母物が好きでよく選に取る先生もいる。
秋も深い一日実家を訪ねた。実家の母はすでになく面影だけが脳裏をよぎった。
2013年(平成25年)10月「季題:露(秋)」

夕焼

歳時記によると夕焼は「夕空に火が燃えて沈み、赤や黄の光が片空に放射される壮大な景色は、夏にふさわしく夏の季題とされている。」
ところが、私の夕焼の強烈なイメージは秋の夕暮れである。
夏と違って秋の空は澄み渡り、その分夕焼も夏とは違ったすっきりとした色になる。空を見上げると烏の黒い影が鳴きながら空をよぎり、東の空には早くも一番星が輝いている。
子供のころ稲の取入れが済み、薄暗くなった道を父の牽くリヤカーに乗って、夕焼けを見ながら歌を唄って帰ったことは、今でも忘れることのない懐かしい風景である。
まだ暑さの残る夏の夕焼とは違って、何とも言えない郷愁をそそる田舎の秋の夕焼であった。

  秋夕焼リヤカーゆつくりゆつくりと  英世

渦潮句会

今回の渦潮句会の吟行は天神のど真ん中にある水鏡天満宮と赤煉瓦文学館で、いずれも私にはなじみ深いところであった。
まず水鏡天満宮は毎月硯潮句会が開かれる場所で、そこには稲畑汀子を始め小原菁々子、池田昭雄の師弟三代の句碑が立っている。
また、赤煉瓦文学館は明治時代に旧日本生命のオフィスとして建てられたもので、国指定の有形文化財となっている。
赤煉瓦館には福岡市文学館が設置されており、私もほぼ毎月冬野以外の他の結社の俳誌などを読んでいる。
吟行はこの二つの施設を巡るものであったが、先に言ったようになじみ深いところだけに、心に沁みる思いが先に立つことは致し方ないことであった。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  煉瓦館明治の秋を惜しみけり  英世

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二者択一の危険性

二者択一の危険性について考えてみた。
二者択一とは「二つの事物の内いずれか一つを選ぶ」ことである。なぜこれが危険かと言うと、この手法を取って大衆の意思をそのように誘導できるからである。
たとえば、道を歩いていて二股に差し掛かったとする。さてあなたはどちらの道を選ぶかと質問が出た。結論はAが55パーセント、Bが45パーセントだったとすると、出題者は勇んで55パーセントの人がAを選んだと主張するだろう。しかし、Bを薦める出題者は45パーセントもの人が支持してくれたと主張し、55パーセントを隠すかもしれない。
ところが果たしてそうだろうか。他にもどちらの道にするか迷って考えさせてくれと言っている人がいるかもしれない。または勇気をもって引き返す道を選択した人がいるかもしれない。出題者は自分の都合でその他の選択を公表しないかもしれない。
この二者択一の手法は商品のPRにも利用され、消費者を我田引水していく巧妙な手段にされてはいないだろうか。
英国のEU離脱の問題を始め、日本や米国ひいては世界の将来のことをこの二者択一の手法で、YESかNOかと単純に割り切ってしまっていいものだろうか。

  秋風や凡夫は道に迷ふもの  英世

消えゆく季題「鹿火屋」

今月の消えゆく季題は「鹿火屋」である。
原石鼎の有名な句に「淋しさに又銅鑼うつや鹿火屋守」という句がある。その鹿火屋のことである。
歳時記によると、「鹿火屋とは猪や鹿などが秋になって田んぼを荒らすのを防ぐために火を焚く仮小屋のことで、臭い匂いのするものをくすべて焼いて追い払う」とある。その火の番をする人が鹿火屋守である。
今でもその鹿火屋はあるのだろうか。そして今も鹿火屋守はいるのだろうか。
私の知っている限りでは、現在は猪や鹿の害を防ぐ役目は柵、しかも電気柵にとって変わられ、福岡市でも少し郊外に行くと田圃の周りにぐるりと柵がめぐらされている。
また、雀などを追っ払うのに大きな音を立てる威銃や添水もあるが、これは鹿や猪には効き目がありそうもなく全く別の季題である。
かくして、この鹿火屋もいずれ消えて行く季題ではなかろうか。

  当節は電気柵なる鹿火屋かな

蝶と虫

昨日はこの秋初めての快晴で、完全休養日で爽やかな一日を過ごすことができた。
さて、俳句に登場する重要な季題に春の「蝶」と秋の「虫」がある。
俳句には昆虫を始め小動物が季題として多く登場するが、中でもこの蝶と秋の虫が群を抜いているように思う。
何故蝶と虫が季題として重要視されてきたのだろうかと考えてみた。
蝶は寒い冬が終り待ち焦がれていた春にいち早く飛び交う昆虫で、そのひらひらと優雅に舞う姿に、春の喜びを重ね合わせたのではなかろうか。
また、昆虫は相対的に静かな動物が多く鳴き声を発するものは少ないが、中には秋の虫や蝉のように鳴き声(実際は羽を擦り合わせて発する音)を出すものがある。
その代表的なものが秋の虫で、そのきれいな鳴き声は平安の昔から詩歌に歌われてきた。
ただでさえ感傷的になる秋の夜にしみじみとした虫の音色には風情があり、その鳴き声を聞くとより以上に秋の寂しさが身に迫って感じられるものである。
昨夜も庭のどこかでひとしきり蟋蟀の鳴き声がしていた。

  虫の音に誘ひ込まれし眠りかな  英世

私の本棚「俳句はかく解しかく味う」

今日の私の本棚は、高浜虚子著の「俳句はかく解しかく味う」である。
元禄(芭蕉)から明治までの著名な俳人の句、200句を取り上げ、俳句とはどういう風に解しどのように味うかを説いている。
一句ごとに虚子の解説がなされており、私が今まで全く理解できなかった句やあるいは間違った解釈をしていた句を、懇切丁寧に解説している。
しかも、ただ名句として褒めるだけではなく、この句は蕪村にしては出来の悪い句だと断じたりもしている。
他にも子規が蕪村をよしとしたのに対し、虚子はあくまでも俳句は芭蕉の文学だと言っている。
また、芭蕉の高弟の其角の豪放さに嵐雪の優しさを対比して紹介したり、虚子と碧梧桐の俳句上の別離についても書いている。
この書を読むと、今まで自分がいかに言葉を転がしただけの句を詠んでいたか、そして先人がいかに一句詠むのに気を使い、深く写生していたかを虚子によって教えられた思いがする。

  秋灯や食事ですよの妻の声  英世

馬鈴薯

総じて芋類は秋の季題で、この馬鈴薯も秋である。
馬鈴薯は南米高地原産のナス科の一年生作物で、じつは実と思って食べている部分は茎が塊になったものである。
馬鈴薯は16世紀にジャカルタから渡来したというので「ジャガタラ藷」と言われ、それが後日じゃがいもになったと言う。
九州の私たちは馬鈴薯と呼ぶことは少なく、じゃがいもと呼ぶのが一般的であった。
焼酎や澱粉の材料とすることもあるが、多くは煮つけや蒸かしてそのまま食べたり、潰してサラダにしたりと今の日本人の食生活には欠かせない存在である。
また、戦後の食用難の頃はさつま藷とともに、日本人の命を救った食べ物と言ってもいいだろう。
そのじゃがいもを詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  じゃがいもに塩振り一家永らへる  英世

菊人形

今回の硯潮句会の兼題は「菊人形」と「馬鈴薯」つまりじゃがいもであった。
まず菊人形だが、ずばり菊の花を衣装や小道具にして作った人形のことである。
菊花展などと共に神社や公園で展示されることが多く、その題材は歌舞伎や狂言そして山笠のように時代物を題材にしたものが多い。
菊人形はあくまでも菊であり、何日かの展示期間中には水撒きや時期を過ぎた花を摘み取ることも欠かせない。
俳句ではその菊の花そのものを詠む場合が多いが、菊人形の世話や世話する人を詠むことも多い。
そのような菊人形の句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  咲き満ちて大年寄の菊人形  英世

一句の風景

またの世は雀に生れよ捨案山子

秋の実りの頃になると、あちこちの田んぼに案山子が立っている。
案山子が害鳥の雀を追っ払えるかどうかは別にして、案山子を立てれば安心と言ったことだろうか。
その案山子も役目が過ぎると田圃の脇に捨てられてしまう。生涯立ち続けて要らなくなれば捨てられる。
私は何となくかわいそうになり、次の世は雀に生まれ変わって来いと声をかけたくなった。
NHK俳壇の私の特選句に「立つやすぐ雀と和せる案山子かな」の句がある。
2013年(平成25年)10月「季題:案山子(秋)」

久しぶりの油山

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昨日は久しぶりに油山に登った。暑い夏は低い山でも登らないことにしているので、この秋初めての山歩きである。
家を出る時には晴れていたのに、登山口に着くと今にも降り出しそうな曇り空になったので山頂は諦めて、山腹にある一周3.4キロの遊歩道を散策することにした。
久しぶりに訪れた油山は依然と何にも変わっていなかった。
ただ、山はすでに秋の終りで樹々はうっすらと紅葉色に染まり、野の草花は秋を惜しむかにひっそりと咲いていた。折角訪ねたのにあとひと月もすると花々は完全に眠りに入ってしまうであろう。
いつものようにおにぎりを食べ、そのあとは温泉と言った私のパターンは今回も変わらなかったが、温泉で高校生ぐらいの男の子が祖父の手を引いて、一緒に入っている光景に何かほのぼのとしたものを感じた。

  秋の山また新しきけもの道  英世

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鰯の刺身

先日近所の居酒屋で酒の肴に真鰯の刺身を食べた。
鰯を刺身にと不思議に思われる方もあろうが、九州では昔から鰯の刺身はよく食べられ、鰯専門の店もあったほどである。
確かに鰯は字の如く痛みやすい魚で、焼くか煮付けが一般的だが、新鮮なものなら刺身にして食べることもできる。
さばいた鰯の皮をむき、刺身におろして生姜醤油(刺身醤油は不可)で食べると、適当に脂が乗り柔らかくて舌触りが良くこのうえなく美味しい。生姜が臭みを取ってくれるので女性でも抵抗なく食べられるであろう。
ちなみに酢味噌で食べる鹿児島名物のきびなごはニシンの仲間で鰯ではない。

  酒飲みに脂乗つたる鰯かな  英世

西公園吟行

今回の百年句会吟行は福岡市の西公園であった。
この西公園も私たちの吟行のメッカで、公園の隅々まで知り尽くしている。
この日は朝からの雨も上がり、曇り空ながらもとんびが大きく輪を描くと言った絶好の吟行日和であった。。
この時期の西公園は全山紅葉とはいかないものの、もみじ谷の紅葉はうっすらと色づき、季題で言うところの薄紅葉そのものであった。
また、展望台から見渡す博多湾はあのぎらぎらとした夏の海と打って変わって波静かで、高速船の引く白い水脈がことのほか美しかった。
句会場はいつもの鵜来見亭で、鯛茶漬けのランチを美味しくいただいた。車でなかったら美味しいビールが戴けたのにと思うと残念であった。
そのような落ち着いた景色を見ながらの吟行句の中から、私の今日の一句をご紹介しよう。

  行く秋の岬に渡唐の宿りかな  英世

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医者の言葉 Ⅲ

昨日お話した入院先の先生の話である。
後でわかったことだが、私が青息吐息で入院した病院の先生は、九州でも屈指のレントゲン診断と肺炎の専門医であった。
先生は一通り私を診察すると、「安心しなさい。きっと私が助けてあげますよ」と言いってくださった。助けてあげると言われるほど私の病状はひどかったのである。
薄れ行く意識の中で、「きっと私が助けてあげますよ」と言う言葉だけを耳に、私は眠りこけてしまったのである。
翌朝気が付いた時には私はまだ生きていた。
医者の「きっと助けてあげますよ」と言う言葉に励まされ生き残ったのかもしれない。
私は20日後に無事退院したが、その間医者の言葉について真剣に考えていた。
病気に限らず人々に勇気と希望を与える言葉、そしてそれが単なるおべっかではなく、心の底からの言葉に人間は勇気づけられるものだと知ったのである。
病気の私ではなく、健康な私として肺炎を直してくれた先生ともう一度会いたいものである。

  秋風や人の言葉の薄っぺら  英世

医者の言葉 Ⅱ

長い東京の単身赴任から帰ってきた私は、疲れが出たわけではあるまいが、小さな咳が止まらずあるクリニックで診察を受けた。
その時小さな咳と38度ぐらいの熱で、私自身も大した風邪ではなく薬さえもらえばと思っていたし、医者も「大したことはないですよ」と診断を下した。
その後10日ほどして、私は再びクリニックを訪れ「どうも普通の風邪とは違うような気がする」と訴えた。
医者は念のためにとレントゲン撮影をしたとたん顔色が変わった。私の肺は真っ白になっていたのである。つまり肺炎であった。
医者は即入院するようにと言い渡した。
私が着替えを取るために家に帰ってもいいかと問うと、その時間はないと言う慌てようであった。
結果的に私の入院生活は20日にも及び、家内や会社に多大な迷惑をかけてしまったが、何とか無事生還することができた。。
後で医者は「申し訳なかった」と謝ったが、それ以来私は医者の「大したことはないですよ」と言う言葉を全く信じなくなってしった。

  鰯雲いづれ大事になることも  英世

医者の言葉 Ⅰ

私たちは病気をすると医者を信頼し、生命の全てを医者に預ける。ところが、医者の言葉にもいろいろあるものだと感じたことがある。
先日お話ししたように少し体重が減っただけで、重大な病気ではなかろうかと疑うのが我々庶民の思いであり、その時「大丈夫ですよ」と言ってくれた医者の言葉に安心と元気を貰ったものである。
ところがその大丈夫ですよと言う言葉にさえ疑うようになってしまった私である。
私は今まで三度死にかけたことがある。
それはおいおいお話しするが、その一つは母に聞いた話だが、一歳児の頃医者から見放され医者は「多分」と言って黙って頭を振った。
それでも母はもし私を死なせてしまったら、姑から何と言われるか分からないと一晩中私を抱きしめていたと言う。奇跡的に生き延びた私だが、いったん歩けていたのにまたハイハイからやり直したらしい。
その時の医者の言葉を聞いた母は生きた心地がしなかっただろうと思うと、今でも腹が立って仕方がない。
医者はその時何故「出来る限りのことはします」と言わなかったのだろうか。その言葉だけで母は精神的にずいぶん救われたと思うのだが。

  秋の風邪侮られざる歳になり  英世

住吉神社例大祭

秋晴れの博多住吉神社神社を訪ねた。例大祭に流鏑馬が奉納されるとあったので、それを見るためである。
神社に一歩入ると先に見た御田植祭の稲が早くもたわわに実っていた。稲刈り神事も近いだろうからこちらも楽しみである。
相撲場では子供相撲大会があっていた。田舎の秋祭りで真剣に相撲を取っていたころがなつかしく思いだされた。私は小さいながらも結構相撲は強かった。
いよいよ本番の流鏑馬奉納である。
表参道を鎌倉武者に仕立てた射手が、馬で駆けながら鏑矢を射る姿はいつ見ても雅で勇壮なものである。それにしても福岡の流鏑馬は飯盛神社だけと思っていたが、すぐ近くのこの住吉神社でも行われているとは知らなかった。
帰りには日本庭園「楽水園」を散策した後でいつものようにお抹茶を戴き、清々しい気分で一日を楽しんだ。

 流鏑馬の蹄の音や秋大祭  英世

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小鳥

秋の声と共に出された兼題が「小鳥」であった。
日本は渡り鳥の楽土で、秋になるといろいろな種類の鳥が群をなして渡ってくる。何々と言った固有の名前ではなく、そうした鳥の総称が小鳥である。
澄んだ秋の大空を飛ぶ小鳥のむれは美しく、見ているだけで気持ちが爽快になる。
また、秋の鳥の中にはシジュウガラやヒタキ、ヒワなどのようなきれいな羽の色の鳥が多い。
歳時記ではその美しい鳥のことを色鳥と称し、小鳥はその色鳥の傍題としているものもあるが、ホトトギス歳時記では明確に小鳥と色鳥を別の季題として分けている。
従って、ホトトギス歳時記に寄っている俳句の会「鴻臚」では、小鳥はあくまでも小鳥として詠まなければならない。
その小鳥を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  小鳥来て枝から枝へ零す色  英世

秋の声

今回の鴻臚句会兼題は「秋の声」と小鳥であった。
まず秋の声だが、秋になると大気が澄んでくるためか、遠くの音も聞こえて来て、なんとなく物寂しくしみじみとした思いになる。
古歌には風の音や砧打つ音を秋の声と詠んだものもあるが、ここで言う秋の声とは具体的に何々の声と言うものではなく、そのようななんとなく秋の気配を感じることを言う。
山川草木、心して聞けば彼らは必ず秋の声を届けてくれるのである。
私も心を秋に傾け、聞こえるべきもない秋の声を心の中で聞きながら俳句を詠んでみた。
その秋の声の句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  野には野の川には川の秋の声  英世

一句の風景

幼子に諭され蛇の穴に入る

あまり多くは語りたくないが、我がジャイアンツが昨日で今シーズンを終った。何が原因かと言えばやはり救援投手陣だろう。来年こそはその投手陣を立て直し安心して観戦させて欲しいものである。
さて、蛇の好きな人はあまりいないだろう。
私も大嫌いで山登りの時に蛇に会うと足がすくむほどのことはないものの、その先になかなか歩が進まない。
蛇はこの時期冬ごもりの準備をするが、俳句ではそのことを蛇穴に入ると言う。
その穴に入るべくお城の石垣をよじ登っていた蛇に、幼稚園児が「はやくはやく、かんばれ、がんばれ」と声をかけていた。
あたかも蛇を諭すかのように。
2013年(平成25年)10月「季題:蛇穴に入る(秋)」

九州うまいもん大食堂

昨日は仕事が昼過ぎに終わったので、久しぶりに天神を散策することにした。目的は市役所の広場で開かれている「九州うまいもん大食堂」と言うイベントに行くためである。
イベントは九州各県の名店を選りすぐって、その店の自慢のメニューをその場で作って提供するものである。
例えば宮崎の地鶏のチキン南蛮、大分宇佐のから揚げ、鹿児島の豚の角煮、呼子のイカシュウマイなどがそれであるが、中でも一番の人気は沖縄のマンゴーカフェのようであった。
私は昼食前だったので、このイベントで食事をすることにし、一通り見て回った上で「博多い津“み」のふく(河豚)の炊き込みご飯を食べた。勿論生ビール付きで、博多の老舗料亭の味を美味しく堪能することができた。
イベントでは若いミュージシャンのライブもあっていたが、そちらの方は何を歌っているのかさっぱり分からず、早々に退散して食べる方に集中することにした。
秋晴れの空の下で久しぶりにのんびりしたひと時を過ごすことができた。
なお、イベントは今日まで開催される。

  大空に輪を描くとんび馬肥ゆる  英世

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西南大学吟行

今回のたんたん句会吟行は孫の鈴花が在籍している、福岡市の西南学院大学であった。
西南学院は福岡市でも伝統のあるキリスト教系の私大で、現在お付き合いのある方々にも西南大学出身者は多い。確か高校時代の英語の教師も同大出身だったような気がする。
吟行ではまず同大学の博物館を訪ねた。同学の創設の歴史やユダヤ教、キリスト教関係の資料を多数展示していた。また、偶々この日はパイプオルガンの演奏もなされていた。
古い聖書や弾圧時代の魔境等を見ていると、人々の真摯な宗教心に心打たれた。もっとも私は神仏を崇拝はするもの今のところは無宗教に近いのだが。
また、先日九州大学で元寇遺跡が発掘されたニュースが流れていたが、西南大学ではそれよりもずいぶん早く発見され、学院の一角にはそれを再現し保存している。
吟行で学園内の歴史遺構を見ることは少ないが、今回はその元寇防塁を楽しく見学させていただいた。
その西南大学吟行の句の中から、今日の一句をご紹介しよう。

  さはやかや目許すずしきマリア像  英世

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犬塚村の由来

昨日は私の生まれ故郷が三瀦郡犬塚村だとご紹介したが、村には玉満と言う大字の下に犬塚と言う小字が今でも残っている。大犬塚、小犬塚、下小犬塚がそれで私はその下小犬塚で生まれ育った。
正式には「いぬづか」だが、私たちは訛って「いんつか」と言っていた。
そのいんつかの名の由来についてむかし古老(今は私が古老だが)から聞いた話をしよう。
古老の話によると、大昔に朝鮮半島の戦から帰還して来た中央の身分の高い人(名前は不詳)の犬がここで亡くなり、葬ったその塚を犬の宮と名付けた。同様に訛って「いんのみや」と言っていたが、それが元でのちに犬塚村になったと言う。
実は大犬塚の東端に犬の宮と言う小さな古墳があり、当時小さな横穴が残っていた。
その古墳には松の木の大木があって、当時、佐賀、筑後地方だけに住む鵲(かささぎ)が巣を作っていた。その卵を見ようと悪ガキどもとその松によじ登って、近くの大人から「この罰当たりが」と大目玉を食らったことがある。
村名の由来の真偽のほどは分からないが、今は住宅地と化したその犬の宮で、大木によじ登って遊んだ子供の頃が懐かしく思えてならない。

  鵲の勝つ勝つ勝つと鳴きにけり  英世

故郷の名が消える淋しさ

私の生まれた村は現在久留米市となっているが、これは平成17年に久留米市に合併吸収されたからこうなったもので、元々の名前は三瀦郡犬塚村と言う小さな村であった。
それが昭和30年に隣村と合併して三瀦町となり、それが長く続いた後に久留米市になったのである。
この夏、母の法事で帰った時に子供たちにその話をしても、子供たちは自分の街は久留米市だと思い込んでおり、犬塚村など知る由もなかった。私が村の謂れを説明してもきょとんとしているだけであった。
かろうじて犬塚の名が残っているのは西鉄大牟田線の駅と小学校の名前ぐらいで、その名前の由来をいちいち説明しないと今時の子供にはわからないだろう。
自分はいま福岡市に住んで居るだけに、生まれ故郷の村の名前が消え人々の意識から薄れていくことに何となく寂しいものを感じている。

  秋風や故郷遠く住み慣れて  英世

美しい相撲

相撲大好きと言うわけではないが、やはり日本人力士の活躍があれば、テレビ桟敷に座り込むこともある。
そんな折、相撲は美しいなと思う出来事があった。
日本相撲協会が東京五輪を盛り上げようと、外国人や障害者らに相撲に親しんでもらうためのイベントを開いたが、その中で、日馬富士と鶴竜の両横綱が相撲の基本形と言われる上、中、下段の「三段構え」を貴乃花以来20年ぶりに披露したのである。
テレビニュースで見た私は思わず「美しい」と口にした。
ゆったりとした動きの中に、流れるような「三段構え」が披露されると、相撲が格闘技であることを忘れさせてしまう。
相撲は本来神事である。その神に鍛え抜かれた美しい肉体と戦いの型を披露することから始まったのかもしれない。

 大前の型美しき相撲かな  英世

冬野十月号

またまた台風が日本列島を襲ってきた。今日はその台風がまともに福岡に来ると思われたのだが、幸運にも少し北に逸れてくれた。それでも予約していた愛車の点検は翌日に延ばすことにした。
そんな中で冬野十月号が手元に届いた。その冬野十月号には7月に亡くなられた故鶴内恵先生を忍ぶ私の随筆も掲載されていた。
例によってその他の句会の入選句も併せてご紹介しよう。
冬野十月号
 睡蓮の池は伝説語らざり
 日の匂ひ髪に残して日焼の子
 梅雨明やまだ降り足らぬ空の色
 伝言板何時しか消えて夏休
 ビール飲む壁の箴言破り捨て
 白杖の探し当てたる片かげり
 サングラス海辺の悪女演じけり
 水打つてパート帰りの妻を待つ
 薬効を我が身に重ね花うこん
冬野インターネット俳句
 子は親の知らぬ訛りに衣被
 冷やかやペーパーナイフの銀の色
 風向きに染まぬ蜻蛉の目でありぬ
 翅閉じて蝶の舐めゐる秋の水
俳句ステーション
 語り継ぐ非戦のこころ秋扇
 雲の峰より降り来る鳶の笛(特選)
愚陀仏庵インターネット俳句
 栄転と言はれ大都の炎天下  英世

災害とおにぎり

昨日の夕方近くの公園を散歩していたら、つくつくぼうしがまだ鳴いていた。やはり今年の暑さは異常なんだろうか。
さて、一昨日は稲穂の話をしたが、今日はおにぎりの話である。
熊本地震から間もなく半年になろうとしている。朝日新聞の天声人語によると、地震後のスーパーで一番先に売り切れたのは水とおにぎりだったと言う。
水は当然予想できるし、おにぎりが二番目だったと言うのもうなずける。
支援のおにぎりを両手でさも有り難たそうにいただく老婦人をテレビで見た時に、何か胸にじ~んと来るものがあった。
おにぎりの起源は古く、2千年前の弥生遺跡から炭化した三角のおにぎりが出てきたという。それほど古くから非常食または携帯食、祭祀用の御供として日本人に親しまれてきた食べ物である。
ちなみに、おにぎり大好きの私の山のお供もパンやサンドイッチではなく、必ずこのおにぎりである。
それも昆布や梅干しなどが入った少し塩気の多いものが、体の疲れを取るためにもいいような気がして、いつもその種のおにぎりを持って行くことにしている。

  秋の山供はいつもの握り飯  英世

若き女子ゴルファー

昨日は仕事も吟行も何もない完全な休みで、山に登ろうかと天気予報を見ると、何と最高気温が30度を超える夏日の予想であった。
こんな日に山に登ると危険だと判断して、久しぶりにテレビで日本女子オープンゴルフを見ることにした。
目的は高校の後輩で、かつてこの日本女子オープンで優勝したことのある馬場ゆかり選手を応援するためだったが、残念ながら画面に彼女の雄姿を見ることは出来なかった。
ところがかつてゴルフに熱中していた私は、だんだんとその画面に引き込まれていった。
と言うのはアマチュアの畑岡奈紗と言う17歳と263日の少女が、あれよあれよと言う間に優勝してしまったからである。
勿論アマチュア選手の日本オープン優勝は初めてであり、国内メジャー大会の最年少優勝記録も大幅に下げてしまうと言うおまけつきであった。しかもベストテンにアマチュアが3名もいた。
周りのプロ選手が不甲斐ないのか、それとも10代の伸び盛りの選手が一挙に頭角を現してきたのか、いずれにしてもこれからが楽しみである。

  秋晴や十七歳のティーショット  英世

十月の花ごよみ「稲穂」

秋本番であるが、私にとって秋のイメージは黄金色に輝く稲穂の波である。
いつもお話しているように私は農家の生まれで、この時期になるとどうしてもこの稲穂の波が走馬灯のように頭に浮かんでくる。
と言うことで、先日その稲穂を見たくて早良の田んぼまで車を飛ばした。
いつもは途中の花畑園芸公園や羽黒神社に寄っていくことが多いが、この日は早く稲穂が見たくて素通りして直行した。それほど早く見たかったのである。
田んぼに着くと期待にたがわず頭を垂らした稲穂が、折からの風に美しく波打っていた。まさに黄金の穂波である。
私は稲穂を手に取り匂いを嗅いでみた。その匂いは幼いころのあの慣れ親しんだ稲の甘い香りがした。
この香りを嗅ぐとなぜかほっとする私である。

  故郷へこころ回帰の稲の秋  英世

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