大晦日

今年も今日で終わりである。
先日の十大ニュースの時にもお話ししたが、平々凡々と過ぎた一年であったが、そのような一年にこそ感謝をしなければなるまい。
庭の草取りや大掃除も済ませて余裕の大晦日のはずであったが、実は家内から今日は買い物に行くので運転手を務めるようにと言われていた。それもまた仕方がないだろう。
いよいよ明日は平成29年の夜明けである。
私も来年は75歳で後期高齢者の仲間入りである。どんな一年が待っているだろうかと楽しみでもありまた多少の不安もある。
この一年、「俳句とお酒と山と」にお付き合いいただきありがとうございました。
みなさま、良い年をお迎えください。

  平凡に生きる幸せ年暮るる 英世
スポンサーサイト

一句の風景

園児らの笑顔に餅の搗き上がる

孫娘の幼稚園で餅つきがあった。
土地の古老が園児に餅つきの手範を示し、更には園児の手を取って餅つきの真似事である。
その後近くの若い衆も参加してぺったんこぺっこんこと餅をついて行く。ご婦人が手際よくこねて餅は搗き上がった。
臼から取り出す時の長く伸びた餅を見るたびに、子供たちは大きな歓声を上げていた。
餅は黄粉餅となって瞬く間に園児の胃袋へと消えて行った
2013年(平成25年)12月「季題:餅つき(冬)」

今年の十大ニュース

今年も残り少なくなった。
今年を振り返ってみたが相も変らぬ平々凡々とした一年であった。そのような中で恒例の今年の私の十大ニュースを考えてみた。
⑴ 一年間風邪もひかず健康で過ごせたこと
⑵ 家族全員が健康で無事であったこと
⑶ ブログを書き始めて十年を迎えたこと
⑷ 俳句の会鴻臚が十周年を迎え記念式典を行ったこと
⑸ 高校の親友松田正也君を亡くしたこと
⑹ 進学塾の仕事を無事に続けられたこと
⑺ 俳句の会鴻臚で選者になったこと
⑻ 足の指のけがで山を断念したこと
⑼ 月二回の図書館通いを欠かさなかったこと
⑽ 地震を機に部屋の断捨離を実行し模様替えしたこと

    指折りて様々想ふ師走かな  英世

携帯の電話帳

今年も残りわずかでさまざまな事があったが、中でも高校時代の同窓生が一人また一人と黄泉の世界へと旅立って行くことに寂しさを感じている。
携帯の電話帳を操作していたら懐かしい名前が出てきた。半年前に亡くなった親友の電話番号である。
私の携帯電話には他にもすでに今は亡き友人や先輩の番号がたくさん残されている。
それもそのはずで、私の携帯には数百人の電話番号が登録されているが、そのメンテナンスは新規登録ばかりで、削除は全く行ってこなかったからである。
物理的に無駄なこととだはわかっているが、削除してしまうと何となくその人との絆まで切れそうな気がして、やはりこのまま残しておこうと思ったのである。
その電話番号を見ていると、掛けてもつながらないとはわかりながらも、たまには掛けて見たいなと言う誘惑にかられるし、天国の彼が返事してくれそうな気がするから不思議である。

  年の瀬や繋がるはずもなき電話  英世

愛莉の絵本

このところ年を取ったせいか父母や孫娘の愛莉のことなど思い出話が多くなったが、この際だから愛莉と絵本の話もしよう。
愛莉には今6歳の妹がいるが、つい最近までこども病院に再々入院していた。母親は病院に付き添いで泊まるし、父親(私の長男)は単身赴任中(今は解除)で毎週土・日にしか帰って来ないので、愛莉の面倒を見るものが誰も居なくて妹の入院の都度我が家で預かっていた。
愛莉と風呂に入り夕食を食べた後、眠りつくまでずうっと絵本の相手をさせられたのが私であった。
布団に一緒に入って愛莉の大好きな白雪姫を読み聞かせるのだが、愛莉はストーリーを全部覚えていて、私が一字でも読み違えると「そこ違う」と読み直しさせられた。
また、少しお酒が入った私が絵本を読みながらうとうとし始めると「じいちゃん、眠っちゃダメと」叱咤してくる。
また、愛莉が眠り始めたので読むのを止めると「止めちゃダメ」としっかりしたものである。
もう絵本を読んであげることもなくなったが、本の断捨離の時でもその白雪姫はまだ捨てられずいる。

  冬の夜の夢は絵本のお姫様  英世

ままごとの思い出

孫の愛莉は小学4年生でもう冬休みのはずだが、このところ我が家に遊びに来ることが少なくなった。
理由はだんだん自立心が芽生え、友達との時間を優先するようになったことと、書き方教室などの習い事が増えたためであろう。
先日、孫とのままごと遊びに幸せを感じているとの新聞投書があった。それを読んでいるうちに私も愛莉と遊んだままごとの楽しかったことを思い出した。
そのままごとの殆んどはお買い物ごっこで、愛莉がレジ係、私が買い物客だった。
段ボール箱をレジ台にして器用にバーコードを読み取り、「〇〇円です。袋はいりますか、レシートはいりますか」と聞き、手作りのお札を私から受け取り「はい、おつりは〇〇円です。まず大きい方から」とまるでスーパーの店員そのものである。
私の部屋には紙を切り抜いた野菜やお肉、魚、ビール、お金など、愛莉の手作りの買い物ごっこの道具や、ほかのままごと道具がそのまま残っている。
もうこれで遊ぶこともなかろうが、なぜか捨てられずにいる私である。

  ままごとのおでんを食ぶる夕餉かな  英世

私の本棚

昨日はクリスマスイブで、隣に住む孫娘の鈴花がクリスマスケーキをプレゼントしてくれた。多分バイト代を貯めて買ってくれたのだろうが、その気持ちが嬉しかった。ついこの前まではこちらが気を使っていたのに。
さて、私の本棚だが長谷川櫂の「国民的俳句百選」を読んだ。
これは俳人長谷川櫂の眼から見た古今の名句100句を解説したものである。
前書きで「そもそも名句とは何か」を説いている。そこには日本の文学は俳句に限らず「間」によって伝えることを最上としている。名句であるかどうかを見分ける目利きの基準はその句がその間によってそこに涼し気に立っているかどうか、実はこれ一つしかないと述べている。
本文では江戸時代と明治以降の句を交互に取り上げ、その句の成り立ちをその時代の生活習慣や行事、自然、ことわざ、和歌などと照らし合わせて楽しい物語風に仕立ててる。
例えば芭蕉の「蛤のふたみに別行秋ぞ」などは、名物桑名の焼き蛤をその焼き方まで紹介し、蛤が蓋と身に引き裂かれることから、芭蕉は友との辛い別れを軽るみをもって詠んでいると解説している。
一般の俳句観賞本とは違い、その句が成り立った時代背景や本歌取りなど、肩の凝らない素晴らしい本であった。

  年の瀬や芭蕉が書架に立っている  英世

あみ漬

キムチあみ漬なるものを家内が買ってきた。
「あみ」とは小エビに似た甲殻類の一種で、それを塩漬けにしたのがあみ漬である。
私の子供の頃は有明海の名産で、おかずの少ない時代にこのあみ漬だけでご飯を何杯も食べたものである。
その頃は両親に高血圧症などの健康に関する知識もなく、私たちが美味しいと喜ぶものだから何も考えずに食べさせていたのであろう。
買ってきたのはこのあみ漬にキムチをまぶして風味を持たせたものである。
その懐かしいあみ漬かと、少しぐらいならよかろうと食べてみたところ、今にも吐き出しそうな塩辛さであった。
健常者には美味しいものかもしれないが、高血圧気味で薄味になれた今の私にはどうしても食べられない代物であった。
あみ漬けには申し訳ないと思いながらもそっくり捨てることにした。味見もしないで買ったのも悪いのだが。

  薄味になれし食卓クリスマス  英世

ブログの題材

昨日は職場の仲間と忘年会で散々飲んで食って大騒ぎをした。
ところで、74歳になってしまった私の頭脳は甚だしく低下してきたようである。
認知症とまではいかないまでも、人の名前、特に過去の人や芸能人などの名前がなかなか浮かんでこないことが多くなってきた。
また下の名前は思い出しても名字が浮かばない。あるいはその逆と言った具合である。
特に困るのがブログの題材で、時事問題はなるべく避け、原則的には身の回りのことを中心にその日またはその日に近い出来事を書くことにしているが、年と共に同じような出来事が重なってくると私の頭はこんがらがってくる。
頭に浮かんだテーマが急に以前のブログで書いたような気になり、執筆途中でも一時中断して前の記事を調べたりすることが多くなってきた。
調べてみると同じ出来事であっても、その切り込み方が違っていてほっとしたり、またはこれはまずいと最初から書き直したりしている。
今更ながら、天声人語など新聞のコラム欄の作者に敬意を表したい。

  冬の空子らは自由に絵を描く  英世

新聞コラムと俳句

朝日新聞(これは買って読む)以外のコラム欄をインターネットで読んでいるが、そのコラムの書き方には一つの共通点がある。
典型的な起承転結で、出だしは何のことかなと読者をはぐらかし徐々に核心に迫っていく。起承転結の転の段でやっと誰のこと、またはどんな事件の事かを明かしてくる。最後に結の段でもっともらしくまとめる。
この手法は俳句にも通じているのではなかろうか。
藤田湘子流に言わせると、季語は離して使えと説いている。季語そのものが大きな仕事をするわけだから、ほかの措辞から季語を連想(見つける)させればよい。あるいは季語そのものからその措辞を引き出せばよいのである。
新聞のコラムと俳句はやはりどこか通じるものがある。

  新聞の俳句欄読む炬燵かな

博多埠頭吟行
今回の百年句会吟行は珍しく晴れ渡った博多埠頭であった。
実は、この博多埠頭のことは一年ほど前に、俳誌「冬野」に「吟行あれこれ」として執筆し紹介したことがある。
博多埠頭は博多と玄界灘に浮かぶ島々や韓国を結ぶターミナルであるが、その博多埠頭は二つの顔を持っている。
一つは終戦当時海外から139万人もの人が引き揚げてきた港ということである。悲惨な戦争で苦心惨憺して引き揚げてきた人たちの眼に、やっと着いた博多埠頭や遠く日本の山並はどのように映っただろうか。引揚記念碑を見ながら非戦の誓いをあらためて強めて行った。
もう一つは、ベイサイドプレースやポートタワーと言った娯楽施設で、大きな水槽に泳ぐ様々な魚を鑑賞したり、レストランやショッピングモールを備え親子ずれや旅行客で一年中にぎわっている。そのレストランでお昼にいただいた海鮮丼の美味しかったこと。
例によってその博多埠頭を詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  引揚の語部なりし冬港  英世

2016121810170000 (002) 2016121809490000 (002)
2016121809380000 (002) 2016121811160000 (002)

一句の風景

鄙宿の暗き湯殿や雪女郎

奥日光の加仁湯温泉に遊んだ時の句である。
汽車を降り秘境の中をバスで行くこと2時間、バスの終点につくとそこからは歩くか宿の迎えの車しかない。周りは一面の雪である。
宿について早速秘湯の露天風呂へ行くと、湯船の周りは一面雪景色。川の対岸の滝はまさに凍瀧で、銀色に光耀いておりその下を猿の親子が歩いていた。猿も温泉に入りたかったのではなかろうか
空は暗く雪女郎が傍にいるような雰囲気であった。
2013年(平成25年)12月「季題:雪女郎(冬)」

鴻臚茶話会

先日今年最後の鴻臚句会が終った。
例年であればこの後忘年句会をするのだが、今年は十周年記念式典を派手に実施したので中止することにした。
かと言って何もしないのも寂しいということで、句会の後ささやかな茶話会を開いた。その席で何と役員でもある一人の女性が、自宅で甘酒を作ったと言って持ってきてくれた。その甘酒の美味しかったこと。今時自分で甘酒を作る人がいるとは驚きとともに尊敬に値するものであった。
また、その茶話会でハプニングがあった。先生と役員三人に会員全員から、この十年の感謝を込めてと記念品を戴いた。私は好きで俳句の会をリードしてきただけなのに恐縮してしまった。
夜は役員三人に家内を加えて、慰労会と称して自宅近くのカニ料理店で心行くまで飲んで冬の夜を楽しんだ。

  忘年会二次会までの記憶かな  英世

築18年

今の家を新築して先月で丸18年が経った。
新築した当時はピカピカに光ってた家も18年たつとどことなく古ぼけてくる。それもそのはずでこの間ほとんどメンテナンスをして来なかったからである。
と言うことで、そろそろ家の外壁を塗り替えたり屋根のチェックをしたりと、一度大掛かりなメンテナンスが必要だろうと思っている。
ところがメンテナンスと簡単に口にするが、それには多額の費用が掛かる。見積もりを取りその資金をどうするか近く検討しなければなるまい。
家を持つことがいかに大変かは承知していたはずなのに、いざその時が来ると資金繰りに頭を悩まされるだろう。

  屋根裏も颱風前にチェックかな  英世

冬の鳥

冬の夜と共に出された兼題が冬の鳥であった。
冬に山野や水辺で見かける鳥の総称で寒禽と詠まれることもある。特に固有名詞で呼ぶ鳥というわけではなく冬に生活している鳥である。
冬の鳥は樹上や地上に低く飛ぶことが多く、その鳴き声は冷たい空を切り裂くような声であったり、笹子のように低く小さな鳴き声であったりと様々である。
大濠公園に遊ぶ沢山の水鳥を見ていると、冬がやって来たなと感じるものである。
寒禽といえば冬の厳しさが感じられる。
また、単に冬鳥といえば冬に渡ってくる渡り鳥を呼ぶ場合が多いが、私はあまり区別しなくてもよいような気がする。
その冬の鳥を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  寒禽の闇を切り裂く鋭声かな  英世

冬の夜

昨日の夜は久しぶりに市の公共交流施設「アクロス福岡」を訪ねたところ、館内はクリスマスムード一色であった。
さて、その夜の硯潮句会の兼題は冬の夜と冬の鳥であった。
冬の夜は言わずとしれた寒い冬の夜のことで、ホトトギス歳時記では「ふゆのよ」と表記されている。
外は一段と寒気が厳しく物寂しくなるので、家路に急ぐ足もつい速くなりがちとなる。
家に帰るとまず灯火が欲しくなり、暖房も必要になる。家族が待っているその温かい部屋で暫しの団欒を楽しむのも冬の夜である。
晩酌の食事は常習となっているが、特に冬の夜のそれは格別である。暖かい鍋に舌鼓を打ち、命の有り難さを噛みしめるのもこの冬ならではなかろうか。
その冬の夜を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  寝付きよきことが幸せ冬の夜  英世

2016121516230000 (002) 2016121516230001 (002)

季が動く

俳句には「季が動く」と言う絶対的ではないものの一種の禁じ手がある。
つまりこの句には必ずこの季題でなければならないと言うもので、句を詠む場合はそのように気を付けなければならない。
ほかの季題でも通用するような俳句はなるべく避けると言うことである。
ところが、この季が動く問題は俳句だけではない。
随筆を書くことが好きな私だが、このテーマはどうしてもこの季節でなければならないと言うものは意外と少ない。
子供の日やひな祭りの随筆であれば必ずその季節でなければならないが、そのようなものは特別な決まりや要請がない限り季節外に書くことは少ない。
ブログもそうだが、この時期に発表しようと考えていたテーマが、その時期にどうしても発表しなければならないほかのテーマが見つかり、追いやられて少しずつ順送りされることは少なくない。
そもそもエッセイとは季が動く代物なのである。

  季が動くことは避けなむ冬夕焼  英世

いわせてもらおう

朝日新聞の土曜B版に「いわせてもらおう」という読者からの投稿コーナーがあり、毎週楽しく読んでいる。
投稿内容は家庭内外のありふれた出来事をユーモアたっぷりに紹介したものである。
博多にわかのような言葉遊び、日ごろ言えない家庭内の不満、学校内での出来事、現代の流行や科学についていけない老人など様々であるが、そこにはいじめや陰口などの陰湿なものは全くなく、ほのぼのとした温かさが感じられる。
その一つを紹介すると親がポツリと舛添さんはと言ったことを、子供はサザエさんの「マスオさん」だと誤解したり、スマップとスタップ細胞を混同したりとたわいないものである。
日本の家庭がすべてこのようだとは言わないが、殺伐とした世の中に何か温かいものを感じるコーナーであることは間違いない。
これからも楽しく読ませていただくとしよう。

  年の瀬や言いたきことはB面に 英世

退職後の時間つぶし

ずいぶん前の話だが、新聞のコラム欄に私と同年代の男性(老人?)が、退職後の時間を持て余しているということを告白していた。
趣味がない、運動をする体力もない、草取りをするほどの庭もない、旅行する金もない、ちょっとの金を稼ぐ技術もない。
散歩や図書館も時間つぶし、毎日退屈で仕方がない。毎日の散歩も不審者と思われないように気を使っていると言う。
これでは気が晴れることもなかろう。
コラムを読んでいて、もしかしたら私もこの人のように退屈な老人になっていたかもしれないと思った。
幸いに私は俳句と山とお酒に興じ、二日に一日の仕事を持ちながらこうしてブログでお粗末な文章も書いている。
もちろん運動や散歩もするし、月に2回ほどは図書館に行き温泉も楽しんでいる。
お金が掛かる趣味は相当のお金持ちでない限り長続きしない。
これからもこの金のかからない趣味を通じて、残り少なくなってきた人生を楽しむとしよう。

  冬の街歩く人生暇つぶし  英世

着ぶくれ

冬の蝶と同時に出された兼題が着ぶくれであった。
着ぶくれ、つまり冬の寒さに着物を重ね着して丸まっていることを言い、特にお年寄りに対して言うことが多い。
だが、寒い地方の着ぶくれには炬燵布団をそっくり被ったような雰囲気で、寒さに抵抗する生活のにおいがする。
また、防寒のためとはいえ女性はやはり着ぶくれにも気を使っている。色柄やスタイルに気を使った冬の着こなしで、着ぶくれと言うよりもまるで冬のファッションを楽しんでいるかのようである。
なお、若い者の着ぶくれは格好悪く様にならない。
その着ぶくれを詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 着ぶくれてなほ端正に着こなせり  英世

冬の蝶

昨日、鴻臚句会の会場に行こうとバスに乗ったところ、運転手はサンタクロースに扮し、車内はクリスマス一色にデコレーションされていた。もう今年も終わりが近づいている。
さて、その鴻臚句会の兼題は冬の蝶と着ぶくれであった。
まず冬の蝶だが字の如く冬に生きている蝶のことである。
蝶は厳冬期を除き冬に入っても時折見かけることがある。
何故生きているとわざわざ生命の表現をしたかというと、冬蝶に生命のたくましさを見るからである。
冬の蝶は飛ぶ時と日差しにゆっくり休んでいる時が半々ぐらいの行動をとる。暖かい日に地面低くゆっくりと舞う蝶を見ていると蝶の命のたくましさと優雅さを感じる。
なお凍蝶と言う季題もあるが、これは寒さのために動かず凍てついたようにじっとしている冬の蝶を言う。
その冬の蝶を詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

 死してなほ翅うるはしき冬の蝶  英世

一句の風景

毛皮着て妻先を行く銀座かな

東京での単身生活は十年にわたる長いものであった。
妻子は遠く福岡の地におり、おいそれと帰る訳にはいかない。週末は毎日のように都心の名所を歩いたり、近郊の山に登り遠い福岡の地を偲んでいた。
ある日、銀座をぶらぶらしていると友人夫妻とばったり出会った。
広い東京でもこのようなことがあるかと驚きとともに、その夫人の毛皮のコートが目に入った。しかもご主人の前を颯爽と歩いていた。
2013年(平成25年)12月「季題:毛皮(冬)」

私の本棚「養生訓」

先日、貝原益軒の墓のある金龍寺を吟行したのを機に、彼の著作「養生訓」を読み返してみた。
養生訓(ようじょうくん)は、正徳2年(1712年)に福岡藩の儒学者、貝原益軒によって書かれた、養生(健康法)についての指南書である。
益軒83歳の著作だけに長寿を全うするための身体や精神の養生を中心に説いている。
まず、⒈道を行い、善を積むことを楽しむ ⒉病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ ⒊長寿を楽しむ と三楽を説いている。
また、その長寿を全うするための条件として、1あれこれ食べてみたいという食欲 2色欲 3むやみに眠りたがる欲 4徒らに喋りたがる欲 を慎むべしとしている。
さらに、食事に関する詳細な指南や、季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調の管理をすることにより、初めて健康な身体での長寿が得られるとしている。
これらはすべて彼の実体験で、彼の妻もそのままに実践していたと言われている。
今日の予防医学の走りのようであり、今の私の生活ぶりをこの養生訓に照らし合わせてみると、益軒先生には到底褒めて貰えそうもない。

  養生訓手許に熱燗酌みにけり  英世

益軒 yjimage_20161209075339a7a.jpg

太宰府行きバス

太宰府には吟行などで年数回行くが、そのほとんどは西鉄電車で最近はマイカーで行くこともなくなった。
博多駅バスセンターから空港経由で太宰府行き直行バスがあることを知り、一度乗ってみたいと思っていた。「グランドパス65」が使えるのも魅力だったからである。
ということで、先日そのバスに初めて乗った。
ところが乗ってみて驚いた。なんと乗客の半数以上は外国人、しかも大きなバッグや大型キャリーケースを引いている。
大声でしゃべったり、携帯をかけたりとけつして乗車マナーがいいとは言い難い。まるで日本の国なのに海外旅行をしているような感覚であった
予想していたこととはいえ思った以上に時間が掛かることもわかり、これからこのバスに乗ることはまずないであろう。

  年の瀬やバスに中国韓国人  英世

皇帝ダリア

ここ数年公園や人家の庭先に薄紫の清々しい花が咲いている。いや、咲いてるというよりは立っていると言った方が相応しいかもしれない。
その花こそが皇帝ダリアである。
俳句を嗜む私は様々な花に出会うが、このところこの皇帝ダリアに魅せられている。
何と表現していいかわからないが、あのゆったりとした薄紫の花に出会うと心に安らぎを感じる。
詳しいことは分からないがどうもメキシコ原産というのが定説となっているようである。夏に咲くダリアとは違う清楚なその姿を見ていると、人間界の忙しさを忘れる清々しさで、今では私の大好きな花の一つである。
なお、俳句ではダリアは夏の季題となっているが、この皇帝ダリアは11月から12月に咲く。
今後皇帝ダリアを詠んだ素晴らしい句が生まれたら冬の季題になるかも知れない。
今は無季だがどうしても皇帝ダリアの句を詠みたくなった。

  わが胸の高きに皇帝ダリア咲く  英世

kodada23.jpg kodada24.jpg

足元の小宇宙

たんぽぽによく似た雑草にこの花は何だろうと長い間悩んでいた。
ところがある日テレビの「足元の小宇宙」という番組を見ていて、それが「のげし」つまリ「野芥子」だということが分かった。積年の喉の仕えが取れた思いである。
植物に詳しい人から見れば、何を今頃と思われるかもしれないが事実だから仕方がない
この番組は面白いと見ているうちに、私たち俳人にとっても大いに参考になる素晴らしい番組であることがわかった。
それはNHKのドキュメント番組で、絵本作家の甲斐信枝の「足元の小宇宙」という番組であった。
彼女のトレードマークは大きなバッグに麦わら帽子で、私が長年その名を探し求めていた野芥子を始め、様々な雑草を膝ま付いて観察し、草をかき分け地面に寝転がって、同じ目線になって植物と話し合っている。
「植物と人間という違いはあるけど、生きものとしては同じ」と言い、植物特に雑草に温かいまなざしを注いでいる。
昭和天皇も「雑草と言う草はない」と述べられている。俳句を嗜む者にとって自然や季題を噛みしめる素晴らしい番組であった。

  潮風の他は知らざり枯芭蕉  英世

冬野十二月号

昨日は冬とは思えない暖かい雨の中、平尾山荘から松風園(日本庭園)そして植物園といつものコースを散策した。傘を差しながらの散歩も乙なもんである。
松風園でお抹茶を戴きながら眺めた小雨に烟る大紅葉は、期待に違わず美しく風情のあるものだった。
そのような中、冬野十二月号が届いた。今年最後の冬野かと思うと思い出も一入で、真新しい表紙に鶴内恵先生を偲んで止まない。
成績は相変わらずパッとしないが、例によって冬野入選句とその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野十二月号
 秋風や回すに軽き繰り念珠
 蔓引けば葉陰に揺るる葛の花
 廃村の厨の跡や昼の虫
 蟷螂の未だ枯れざる眼でありぬ
 大阿蘇の百選の水澄みにけり
 秋蝶を追ひて宮居の奥深く
 日射いま礎石に集め露乾く
 木道に続く足跡露の尾瀬
 古の渡唐の港鴨来る
 自刃碑も万葉歌碑も秋の風
 煉瓦館明治の秋を惜しみけり
 咲き満ちて大年寄りの菊人形
冬野インターネット俳句
 故郷のある幸せや一茶の忌
 一輪が故に眩しき帰り花
 小流にきりもみ落つる木の葉かな
 型どおり遣ふ手水や七五三
俳句ステーション
 硫黄噴く九重連山馬肥ゆる
 秋天や牛に付けたる背番号
愚陀仏庵インターネット俳句
 けもの道水澄む川を横切れり

IMG_4799.jpg IMG_4796.jpg
IMG_4797.jpg IMG_4800.jpg

北九州吟行

今回のたんたん句会吟行は久しぶりに遠出して北九州市へ行った。目的地は杉田久女の足跡と「広寿山福聚寺」であった。
まず訪れたのは杉田久女ゆかりの圓通寺で、ここには「三山の高嶺つたひや紅葉狩」の句碑が彼女の直筆を復元して建てられており、毎年1月久女を慕う人々が久女忌を修している。久女の言う三山は英彦三山か企救三山の何れかだろうがはっきりしない。
続いて訪れた福聚寺は、黄檗宗(おうばくしゅう)の名刹で、寛文5年(1665)小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真によって創建され、開山は中国僧の即非如一禅師とある。
慶応2年(1866)長州との戦いで兵火にかかり、その多くが焼失したが、本堂(享保2年再建)をはじめ、 総門、不二門、鐘楼などに昔日の面影をとどめいる。
広大な境内には初代忠真夫妻をはじめ、住持の墓などがあり、さらに談林派の巨匠西山宗因の句碑や座禅石、法生池が樹林の中に点在しており、自然の景観と歴史の調和が見事にマッチしている。
この日は冬とは思われぬ穏やかな晴天で、まさに小春日和の一日であった。中でも福聚寺の紅葉と茶室裏の山茶花は見事というほかはなかった。
例によってその福聚寺で詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  山門を出づれば鐡の街小春  英世

2016120211240000 (002) 2016120211310000 (002)
hisajyo_2_1.jpg 2016120211280000 (002)

親友と一献

少し前の話だが、パソコンのメールを開いたとたん「あっ」と声を上げ、懐かしさで涙がこぼれそうになった。
相手は中央区今泉のⅯ脳神経外科の院長で、私とは俳句を通じての長い親友である。彼は私が十年間学んだNHK俳句教室に少し遅れて入ってきて、それ以来親友関係が続いていた。
私がNHK俳句教室を卒業したことでしばらく疎遠になっていたが、その彼が鴻臚十周年の記念句集を出したことを知り、良ければ一冊貰いたい駄目なら見せてもらうだけでもよいと言ってきたのである。
勿論差し上げる旨の返事をしたら、これを機会に一献傾けようとなったものである。彼も私に劣らぬ酒豪である。
彼の馴染みのお店での飲み会は、俳句のことから健康の話、長生きの秘訣など話の尽きることはなく初冬の夜はとことん更けて行った。
これからも時折盃を交わすことを約束した。

  湯豆腐の心に滲みる齢かな  英世

十二月の花ごよみ「枯蓮」

夏から初秋にかけてあれほどきれいな花を咲かせてくれた蓮の花も、すっかり様相が変わってしまった。
福岡市の舞鶴城の内濠には一面に蓮の葉や花が風になびいていたが、それが一面茶色に染まっている。
よく見ると蓮の葉の茎は破れ痛んでおり、中には葉を落として茎だけ突っ立ているものがある。その茎はあるものは折れ曲がり水面に首を突っ込んでいるし、あるものは蜂の巣のようなハスの実を後生大事に抱えている。
冬の荒涼たる景色の中でも特に蓮の池の荒れようは、さながら矢つき刀折れた負け戦のあとのようであった。
この枯蓮を見るようになると博多の街にも師走がやってくる。

  負け戦見るが如くに枯蓮  英世

 | BLOG TOP |  NEXT»»