一月が終る

今日で一月も終わりで、何か今年の節目の一つが過ぎ去ったような気がする。
例年にない穏やかな正月を過ごしていたところいきなり寒波襲来で、20日ごろ15年ぶりに風邪を引いてしまった。
肺炎を患った経験から、風邪にだけにはずいぶん気を付けインフルエンザの予防注射もし、手指の消毒にも心がけて来たつもりだが、その風邪にとうとう捕まったしまったのである。
思うに私の風邪には一つの傾向がある。
現役時代のことだが、不摂生で体力が弱っているところに寒夜に外でお酒を飲み、火照った体を寒風にさらされて帰って来た時に必ず風邪をひいていた。それでも懲りずにまた酒を飲んだりしてこじらせてしまうというパターンであった。
15年ぶりとは言え今回もまったく同じパターンで、そんな時に家内の風邪を貰ったらしく、楽しみにしていた静雲忌俳句会も欠席してしまった。
まだ冬は終わっていない。これからも十分気を付けるとしよう。

  風邪の夜は少々熱めの酒も駄目  英世

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一句の風景

見えざる師とて親しく静雲忌

静雲忌とは河野静雲先生の忌日のことで、その静雲忌を修する句会に参加した時に詠んだものである。
静雲先生は時宗の僧侶で俳人である。昭和9年に『ホトトギス』の同人となり、昭和16年には福岡県下ホトトギス系俳誌5誌合併の俳誌『冬野』の初代主宰となられた。
私が冬野に参加した時にはすでにこの世の人ではなく、当然お会いしたことはない。しかしその静雲先生に薫陶を受けた現在の先生に付いたことから私は弟子ということになる。
静雲忌の句会で静雲先生を知っている句友もだんだん少なくなってきたこととも重なってこの句が誕生したのである。
2014年(平成26年)1月「季題:静雲忌(冬)」

固有名詞の俳句

俳句にはよく固有名詞が詠み込まれる。
様々な俳句に固有名詞が出て来るのはいいが、選句または添削でその固有名詞が理解できずに困ることがある。
全国的に有名な場所、例えば琵琶湖、富士山なら誰でもわかるのだが、地方の小さな湖とか山は誰でもが知っているとは限らない。
この句はいいなと思ってもその固有名詞がわからず、その固有名詞が何を醸し出すのか理解できずに何度見送ったことだろうか。
作者にはなじみ深い湖や山かもしれないので、一生懸命詠んでくれた人に何とか応えようと思うのだが、分からないものは分からない。
人の名前や町名も含めて地方の固有名詞を入れる場合は、限定された地区の句会でその地区の人ならばわかると言った句会だけに投句すべきではなかろうか。

  難しき固有名詞の句にも春  英世

野菜大好きに

私の三度の食事には毎回野菜類がたくさん出て来る。元々野菜は多い方であったが、このところの量と言ったら半端じゃない。
大きな深皿いっぱいの生野菜で、その中には細かくみじん切りにしたトマトやゆで卵、豆腐、豆類、チーズ、海苔、キムチ、などが日替わりで複数入っている。
ドレッシングはノンオイルに限りたまに使用するが、専ら何時ぞやお話しした庄分酢の美味酢に醤油を申し訳程度に垂らしたもので食べている。また、時々食べる温野菜も結構美味しい。
元々野菜好きではなかったが、「食べられるだけありがたいと思え」と食べているうちに抵抗がなくなり、息子からも「お父さん変わったね」と言われるまでになった。
医者の言にあるように、野菜と魚中心の食事のお陰で私の健康が保たれている訳だから、ここは感謝しながら笑顔で食べるしかあるまい。
野菜大好きになった私、今夜はどんな野菜が食べられるだろうか。

  とりどりの生野菜食べ春を待つ  英世

筥崎宮吟行

今回の渦潮句会吟行は筥崎宮並びに花庭園であった。
年の初めの吟行では必ずと言っていいほどこの筥崎宮が選ばれ、花庭園の冬牡丹を詠むことが多い。
このところ寒波に見舞われ、雪が降ったりと寒い日が続いていたが、この日は朝は冷え込んだものの昼は穏やかな冬日和であった。
まず筥崎宮に参拝して、その足で境内を巡り最終目的の花庭園に行った。花庭園には冬牡丹や水仙、福寿草、寒木瓜、寒梅などが春の近いことをうかがわせていた。
女性の句友などは庭園の即売所で、木瓜やミニ薔薇などの苗を買っていた。俳句を嗜む人には草花を愛する人が多いような気がする。
新春らしいほのぼのとした吟行であった。
例によって筥崎宮吟行のこの日の一句をご紹介しよう。

  うるはしき巫女の言の葉春近し  英世

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季節の合わなくなった季題

テレビコマーシャルなどで、寒造りなどと銘打って日本酒の新酒の宣伝をしているが、俳句をやっている人間からすれば何となく違和感を覚える。
というのも俳句で言うところの新酒は秋の季題であり新年ではない。ところが実際の新酒の時期は、コマーシャルの言うように今が最盛期である。
そういえば酒蔵開きも年内に行うとろろはなく。おおよそ春先が多いような気がする。
そもそも新酒が秋の季題になったのは、昔は新米が取れて農家ではすぐに酒を仕込み、濁り酒(どぶろく)として楽しんでいた。それが季題として採用されたのだが、どぶろくが特区以外では醸造できなくなり季節にズレが生じたのである。それでも無理に秋に新酒の俳句を詠めばそれはどぶろくのことになってしまう。
このような季節のズレにはほかにもある。
運動会と言えば昔は秋が主流だったが、今では5月が主流となりつつある。
そのほかにも季節のズレではないが、紅葉の扱いにも困っている。私の住んでいる九州では紅葉の最盛期は11月下旬で、10月はまだ青い紅葉ばかりでよほどの高山でない限り10月の紅葉は見られない。
私の詠む紅葉の句はほとんどが冬紅葉になってしまう。

  吟醸の喉すつきりと寒仕込み  英世

私の本棚「九十歳。何がめでたい」

佐藤愛子のパンチの効いたエッセイ「九十歳。何がめでたい」を読んだ。
結論から言うと佐藤愛子の言うところの「ヤケクソが籠っている」言葉そのものであった。
彼女が九十歳を迎えた時に、人から「おめでとうございます」と祝福され、表面では有り難うございますと言いながら、心の中では「卒寿、何がめでてえ!」と開き直って、そのまま本のタイトルになっているところから始まっている。
新幹線がスピードアップして東京新大阪間が3分短くなったことに、「何がめでたい、なんでそう急ぐ」と辛口である。
また、最近の犬は吠えなくなった。主人を守るために吠える宿命にありながら、犬の声がうるさいのなんのと言われてだんだん犬の肩身が狭くなり、とうとう吠えなくなったといった具合である。
ただ世の中を表面的に茶化しているだけではなく、彼女は「長生きは本当にめでたいのだろうか?」と言いたいのであろう。
私たちの年代が思い悩む永遠のテーマを、彼女は投げかけているのである。

  百歳ははなたれ小僧春隣  英世

初鏡

初鏡とは正月に初めて化粧すること、またはその化粧した顔を映す鏡そのものを言う。
女性に限らずその年の初めにきれいにした顔を鏡に映して見るが、そこにはどことなく華やぎのある顔が映る。それだけに俳句に詠む場合はその心の昂ぶりを表現することが多い。
鏡は太古の昔から神聖なもので、姿を映すだけではなく心を映すと言われ、心を正す規範としての鏡(鑑)の意味もある。
神社の御神体に古代の銅鏡が用いられことが多いが、それも鏡の神秘性からすれば分かるような気がする。
横綱昇進を確定的にした稀勢の里は、この初鏡に一体どんな顔を映しただろうか。
その初鏡を詠んだ句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  初鏡嫌ひな吾の映りをり  英世

屠蘇

今朝、新聞を取りに出ると一面の銀世界であった。またその新聞には稀勢の里横綱への文字が躍っていた。
さて、今回の硯潮句会の兼題は屠蘇と初鏡であった。
まず屠蘇だがその歴史は古く平安朝の元朝の儀式に遡ることができる。
お屠蘇は、元旦に飲んで一年の邪気を払い、寿命を延ばすという薬草をしみ込ませたお酒のことで、そのルーツは中国の「供薬の儀」であると言われている。薬局に売っている屠蘇散(さんしょう、ききょう、肉桂、ぼうふうなど数種の薬草を調合して絹の袋に入れたもの)を、日本酒にひたしていただきます。
正式には、屠蘇器(水引をかけた銚子と三つ重ねの杯、杯台)を用いて、主人から杯をとり、順に回して飲みます。所によってはお屠蘇に限り、年少者から飲むという風習もあると聞くが、我が家ではまず私が戴きその後は年長者から順にいただいている。
そのお屠蘇を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  この子らの未来良かれと屠蘇を酌む  英世

一句の風景

憂きことはとうに捨てけり去年今年

定年退職して十年目を迎えようとしていた時の句である。
現役のころはご多分に漏れず喜怒哀楽のサラリーマン生活であったが、その糸がぷっつりと切れてしまった。
しばらくは現状を受け入れることができなかったが、月日が経つとともに次第に落ち着きを取り戻してきた。
余暇の過ごし方にも慣れてきて、俳句とお酒と山に親しみその合間に仕事をすると言った生活にも慣れてきた。
特につらく悲しかったことから早く忘れるものだなと実感として詠んだ句である。
2014年(平成26年)1月「季題:去年今年(新年)」

故郷とはⅢ

実家で姉弟と話していた時に、今まで意識しなかった姉たちの言葉、つまり故郷の訛りが懐かしかった。今日はその言葉についての話である。
私の母校は久留米市の中央部にあり、筑後地方一円から生徒が集まってきた。そこには当然筑後弁が流通する訳だが、筑後弁と言っても南と北では全然違うし、ある意味では村々によって少しずつ言葉が違う。
入学した時に担任の先生から呼ばれ、「お前の言葉は訛りが強く粗すぎる。何とか早く直さないと将来困るぞ」と注意された。私はそれに対し独特の南筑後弁で「思わずづっと(出ると)ですよ」と答えたところ、その「づっと」がいかんと更に注意された。
私の田舎には古い言葉(古語)が多く残っており、出るは「いづる」でそれが詰まって「づる」、「づっとですよ」つまり「出るんですよ」になるのである。
そんな訳で私は弁論部に入った。方言と訛り(抑揚)をなくすのが大きな目的であった。
卒業して会社に入った当初は少し言葉に苦労したが、今では筑後弁と福岡弁(博多弁とは違う)と東京弁、それに外国語がミックスされて国籍不明の言葉になってしまった。
もっとも孫たちは完全な福岡弁だが。

  故郷の訛り恋しや春近し  英世

故郷とはⅡ

昨日の続きである。
もう一人は、大阪からこれも故郷人事で一流銀行の福岡支店に帰って来た男である。
彼とも黒田天狗でよく飲むようになったが、ある日彼の話しぶりに変化が起きていることに気が付いた。いつもの人を食ったような元気がないのである。
同級生でもある黒田天狗の大将に恐る恐る聞いてみると、彼が大変な癌に侵されていると言うことを知った。
その後彼は大阪に戻ったが、それでも同窓生と逢いたかったのかあるいは故郷に帰りたかったのか、大阪から毎月のように奥様同伴で飲みに来ていた。奥様としても一人で行かせるわけにはいかなかったのであろう。
その後間もなく彼が亡くなったとの知らせが来た。それと前後して昨日お話しした暴れん坊の同級生も亡くなってしまった。
彼らが残した言葉はいみじくも同じものであった。「子供も成長したことだし、死ぬまでには故郷に帰りたい」。つまり故郷で死にたいと言うことであった。
彼らの望はついに叶わなかったが、故郷とはそれほど日本人の心を揺さぶるものかと改めて思い知らされた。
故郷近くに住んでいる私は何と幸せなんだろろうか。
彼らの冥福を祈りながら、いつでも故郷(実家)に帰られる自分に感謝の思いである。

  故郷の竹馬の友と春を待つ  英世

故郷とはⅠ

昨日は同窓会のお話をしたので、今日は故郷について考えてみよう。
故郷とは何だろうか。日本人にとってこの言葉ほど心に沁みる言葉はないのではなかろうか。その故郷について高校同級生の話をしよう。
一人は東京在住で高卒とは思えないような出世をした男である。彼の高校時代は私も敬遠するくらいの暴れん坊だったが、一流企業で出世して60歳近くになって急に単身で福岡に帰って来た。
その頃私も東京から福岡に戻って来ていて、例の黒田天狗で大人らしく愉快になった彼と毎週のように楽しく飲んでいた。
彼は農機具や漁船のエンジンを作るメーカーに就職し、連日のように農協や漁協の人たちと飲んで、太鼓持ちそのものの接待をしていたと話してくれた。高校時代の彼からは想像できない滅私奉公の変貌であった。
その彼と飲むようになって私は一つの反省をした。
それは人間とは高校時代のごく短い時間の付合いだけで、その人格や行動を判断してはいけないと言うことであった。
彼と故郷とどういう関係だと言われるかもしれないが、そのことは明日お話しするとしよう。

  級友とたまに飲む酒寒造り 英世

高校同窓会

先日福岡市で高校63回卒業生の同窓会が開かれた。卒業したのは今からもう56年も前のことである
学校は久留米にあったが、福岡に住む同級生も多く同窓会は何年かに一回は福岡で開いている。
実は今回の同窓会は、俳句の会鴻臚の例会と重なり出席するかどうか迷ったが、同総会が11時開催、鴻臚が14時開催ということで、途中で退席することを条件に出席した。
同窓会はいつも楽しいものである。
頭髪に初日や白雪を置きながらも、その顔に出会うと懐かしさが込み上げてくる。
いつも思うのだが、同窓生はどうも女性の結束が固いようである。昨年は女性を中心に上京し、東京の同窓会に出席し箱根など観光旅行も楽しんだという。いつまでたっても元気で活発なものである。
話を同窓会に戻すと、話題はいつの間にやら亡くなった同級生のこと、健康や孫子の自慢話になっていた。いつものことだがこれもお年柄仕方のないことであろう。
例年締めは炭坑節の総踊りであるが、私はそれを待たず、心残りだったが俳句の会鴻臚のために退席した。

  忌憚なき同窓生や小正月  英世

年玉

初雀と同時に出された兼題が年玉であった。
子供たちにとってはお正月に貰うこのお年玉は何よりの楽しみで、親戚のおじさんやおばさんが来るとお年玉を今か今かと楽しみにしたものである。
資料によると、通常はお年玉と呼ばれるこの風習は今のようなお金ではなくお餅だったという。
古くから正月行事として「歳神」様を迎えるとその神様に鏡餅を備えていた。その鏡餅をお下がりとして子供達に食べさせ、御歳玉(おとしだま)と呼んだことからとする説がある。
しかし、今時の子供たちが餅を貰って喜ぶはずもなく、何時しか金品に変わっていたのであろう。
その年玉を詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  バイト代貯めて孫よりお年玉  英世

初雀

今回の鴻臚句会の兼題は初雀と年玉であった。
まず初雀だがその字の通り正月に見る雀のことである。
日本人にとって一番馴染みのある鳥はやはり雀であろう。
おとぎ話の舌切り雀にあるように人の一番身近な場所に住み、あまり人を恐れているようには見えない。
手の平に隠れるほどの小さな鳥だが、その「ちゅんちゅん」と言う鳴き声を聞くとなぜか心がほんのりとするのは私だけだろうか。
その雀もこのところ住処を追われて数が減っていたが、ここ一年ふたたび増えてきているような気がする。
その初雀を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  初雀光となって降り来る  英世

好きな一句

降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男

今の私たちが昭和を懐かしむように、草田男もしみじみと明治を懐かしんでいるのである。
その懐かしむ心中が降る雪やという言葉に込められており、最後の「なりにけり」で心の内を言い切っている。深々と降る雪の中で、傘を差しただぼうっと立ち尽している作者の景が浮かんでくる。
草田男はどのような気持ちで明治を懐かしがっていたのだろうか。老いていく自分、先立つ友人を母校の小学校の前に立って偲んでいるとも思える。
なお、この句は典型的な「や、けり」であるが、抱え助詞の「は」がそれを救っていることを初めて知った句でもある。
また、この句は必ずしも名句とは言えないとか、盗作ではないかと言う評論家もいるが、それは別にして私の好きな一句である。

神と仏

今日、明日はセンター試験。お天気が気になるところだが、日ごろ頑張っている塾生の健闘と神のご加護を祈るのみである。
さて、またまた高宮八幡宮にお参りした時の話だが、その裏手にある最上稲荷のことが気になった。なぜならばその稲荷社は「常光寺」と言う別のお寺の顔を持っていたからである。
縁起には次の様に記されていた。
「天平時代(約千三百年前)孝尊天皇・桓武天皇の篤い帰依を得、国家鎮護を目的とし、勅願の大道場として建立された岡山の最上稲荷(正式名称『最上位経王大菩薩』)をこの地に分霊した。
大正、昭和初期は最上稲荷教会と称し、福岡の頭山満、伊藤博文第二夫人中山金、浪曲師酒井雲をはじめ名古屋以西の信仰が隆盛であった。
参道に立ち並ぶ宝塔・玉垣は救済された信徒の寄進によるものである。戦後、玄常院日勤上人が日蓮宗常光寺を設立し最上稲荷 常光寺の寺門興隆の使命遂行に当たる。
高宮浄水場の頂に勧請されていた筑紫の山の守護神安高天玉、日車天玉、如意龍玉も浄水場建設の折、常光寺奥の院に移されて現在に至る」とあった。
大善寺など今も神社に寺の名前が残っているように、神仏希釈以前の日本人の宗教観を今に見る思いであった。

  神仏の仲良く御座す宝船  英世

八百万の神

先日今年初めての温泉に行った。私にとっての初湯で、低い温度の炭酸泉にゆったりと入り年末年始の疲れを癒した。
さて、高宮八幡宮にお参りしたことで、ふと八百万の神々のことが頭を過ぎった。
正式には森羅万象に宿る神々のことだろうが、私は氏神様をはじめ日本にはどれだけの神社があるだろうかと言う方が気になった。気になれば調べるのは私の流儀である。
さっそく調べてみるとその数は登録されているものだけでも何と8万1千社以上になる。そのほかにも屋敷神のような小さな祠もあるので、実態はそれ以上に多く詳しくはわからないということであった。
河原の石も山の大樹も神様だという日本らしい神様の数である。
さらに、私の近所には何処にどれだけの神社や氏神様があるのだろうかと言うのも調べてみた。
インターネットに「神社人―福岡県の神社」と言うものがあり、それによると私の住んでいる福岡市中央区だけでも31社あり、散歩に行けそうな周辺の区の神社を入れると100社以上ありそうである。
これから散歩を兼ねてその神社を一つずつお参りすることにしよう。

  難しき神の御名や寒の鯉  英世

高宮八幡宮散歩

動物園の傍をバスで通っていたら梅林の花が白くほころび始めていた。寒に入ったばかりだというのに、自然はもう一歩一歩春に向っている。
さて、正月も過ぎたことで散歩でもと思い立ったが、その散歩先に行き詰まり「そうだ、近所の氏神様をお参りしよう」と高宮八幡宮にしようと決めた。
手始めに行ったことのない高宮八幡宮に行くことにしたが場所がよくわからない。パソコンで調べるのも面倒だし、ままよ行けばどうにかなるだろうとあらかじめ予測を付けていた方へ歩き出した。
小一時間歩くと八幡宮への道標があり、それに従い無事到着することができた。
八幡宮と言うから少しは大きいかと思っていたが、その社は予想以上に小さかった。でもよく考えてみると土地の氏神様だからそんなに大きいはずがない。
八幡宮の裏手の山に最上稲荷へと案内があったので、ここもお参りしてさらに浄水場を緑地公園から見下ろして帰途に就いた。
この間約2時間、冬空に体が温まるほどのちょうど良い散歩であった。

 磴登る背を押しくるる冬日かな  英世

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実家での正月が途絶えた

両親が健在だったころから、正月には七人兄弟全員がそろって祝うのが習慣になっていたが、それがついに途切れた。
実は昨年末に長姉が躓いた拍子に尻もちをつき、腰の骨を折って入院し、次姉も体調が思わしくないらしい。
家を継いでいる弟から昨年末に電話がありどうしようかと相談した結果、二人で中止することに決めたのである。出席できない姉二人を余所にお祝いもなかろうというのが理由である。
60年続いた兄弟の正月風景が無くなるのは寂しいことだが、これもそれぞれ年を取って来たことから止むを得ないこと、これからはそれぞれ子や孫の時代になっていくのであろう。
かと言って実家の正月がなくなったわけではない。松も取れて落ち着いたころに実家を訪ね両親のお墓にも参ることにしよう。

  初春や父母の拡げし我が家系  英世

一句の風景

賀状書く彼の地に心馳せながら

2011年( 平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震、それに伴って発生した津波のことは永遠に忘れないだろう。
私には現役時代に交流のあった東北の友人がたくさんいる。彼らは大なり小なり被害を受けたが、幸運にも命を落とすことはなかった。
彼等とは毎年年賀状のやり取りをしているが、今でも年賀状を書く時にはその東日本大震災のことが思い起こされ、一日も早い復興を祈って心を込めて書いている。
その時の心境を詠った句である
2014年(平成26年)1月「季題:賀状(新年)」

護国神社吟行

新年最初の句会は6日の「たんたん句会」で、年の初めということで護国神社の初詣吟行であった。
護国神社は私たち家族が何かにつけてお参りする神社で、初詣はもちろん子や孫の七五三などなどでもお参りしている。
また、昔はこの護国神社近くに住んでいただけに、大濠公園と共にこの護国神社は子供たちの遊び場でもあった。
この日はこれ以上ない寒晴の絶好の吟行日和で、護国神社に初詣した後は大濠公園に浮かぶ沢山の水鳥を句に詠むことができた。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  流れざる水に流るる浮寝鳥  英世

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江戸時代の俳句表現

先日、小林一茶の「目出度さもちう位也おらが春」の句を紹介したが、その文字表現について考えてみた。
いくつかの資料を読んでみると「めでたさも中くらいなりおらが春」とか、「目出度さもちう位なりおらが春」とひらがなであったり漢字であったりと、下五の「おらが春」以外は微妙に違っている。
思うに、当時は印刷技術が発達しておらず、大量に印刷することは出来なかったし、また、仮に印刷したとしても相当高価なものになっていたはずである。
従って、通常は門人が師の句を手書きで書き写していく訳だが、何代かするうちに読みは同じでも文字の表現が少しずつ変化していったのであろう。
このような文字の変化の句は他にもたくさんあり、最終的にはどの文字の句が本来の句かわからなくなっているものもある。
少々の文字表現の変化はあったとしても、句の価値には全く関係ないことは言うまでもない。

  苦労せし旧仮名文字や初句会  英世

好きな一句

目出度さもちう位也おらが春  小林一茶

「めでたさも中くらいなりおらが春」、正月と言うとまず私の頭の中に最初に浮かんでくるのがこの一茶の句である。
この句の面目は何と言っても中くらいなりである。中くらいと言っても成績の中くらいと言った順位や程度ではなく、信濃の方言で、あやふやとかいい加減とかどっちつかずといった意味で使われている。
では何があやふやかと言うと、一茶は「ことしの春もあなた任せになんむかえける」と言っている。
つまり、一茶は阿弥陀様に向って今の一茶は「あなた任せの」吹けば飛ぶような暮らしぶりで、そのありのままで正月を迎えている。だから目出度いのかどうかあいまいな自分の正月であると語っている。
正月を迎えるたびにすぐ口にする私の好きな一句、第一号である。

私の好きな一句

このブログ名は「俳句とお酒と山と」とあるようにこの三つを中心に書いてきたが、歳と共にお酒と山が減り、俳句とその他諸々が中心となって来つつある。
と言うことで、新しい年になったことを機に何か俳句に関する企画をと思いながら書棚を覗いていると「名句鑑賞辞典」と「ホトトギス巻頭句集」が目についた。
そういえば自分が作った俳句は忘れてしまっても、古今の名句だけはすらすらと口に出ることがある。
そこで新年の企画として、「私の好きな一句」と題してその季節の名句を毎月2~3句ほど厳選し、明日からその句が詠まれた背景を推察しながらご紹介したい。
ただし、専門家ではないので、私なりの勝手な解釈であることをご承知いただきたい。
なお、芭蕉の句は先の本には載っていないが、句聖を外すわけにはいかないので、蕪村、一茶と共に時折混ぜていきたい。
俳句に興味のない方には申し訳ないが、これも私の道楽と思ってしばしお付合いを願いたい。

  初春や心新たに読む名句  英世

冬野一月号

昨日は年末年始以来初めての完全休養日だったので植物園を散策した。
空には冬としては珍しい鰯雲が広がり、冬の薔薇が高貴な香りを漂わせていた。
さて、珍しく続いた初春の光の下に冬野一月号が届いた。やはり一月号となると、今年一年を占う意味でも心引き締まるものである。
例によって冬野一月号並びに他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野一月号
 菊人形悲運の将を飾り立て
 菊人形仕上げの小太刀差しにけり
 源流に祀る水神秋深し
 蹲の水分ち飲む小鳥かな
 キャンパスは出入り自由秋の蝶
 露けしや妻と墓銘の話など
 妻と吾の無言の会話蜜柑むく
 寝返りも二度三度なる夜寒かな
 茶の花や裏参道の照り翳り
 日を返す湖の煌き鴨浮寝
 踏み甲斐のある音立てて宮落葉
冬野インターネット俳句会
 まづ神の世話に始まる年用意
 ユトリロを切り取り捨つる古暦
 脳細胞少し壊して年暮るる
俳句ステーション
 小鳥来て朝の日差を散らしけり
 すまし顔笑顔触れ合ふ七五三
愚陀仏庵インターネット句会
 何も置かず何も描かず冬の空

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一月の花ごよみ「柊」

柊といえばギザギザした棘を持つ植物で、日本だけではなく西洋でも悪魔を追っ払う植物とされている。
葉は対生し革質で光沢があり、その形は楕円形から卵状長楕円形をしている。その縁には先が鋭い刺となった鋭鋸歯がある。
その昔このブログでお話しした事があるが、老樹になると柊の葉の刺は次第に少なくなり、縁は丸くなってしまう。つまり、人間と同じように年を取ると丸みが出て来るということであろうか。
また、節分の行事の一つとして、節分の夜に焼いた鰯の頭を柊の枝に刺し、戸口に挿しておくと鬼や邪気が家に紛れ込むのを防ぐまじないがある。鰯のほか葱、豆殻、らっきょう、にんにくなど地方によって鬼よけの品は異なるが、私は一度も見たことがない。
なお、柊の花は11月ごろ木犀に似た白い小花が群がり咲き芳香を放つ。

  柊の花や庄屋の名残門  英世

初詣と鴻巣山散歩

元日は素晴らしい天気に恵まれたので、散歩を兼ねて初詣に出かけた。
実は長い間私の住んでいる小笹地区の氏神はどこだろうと思っていたところ、土地の古老から氏神は平尾神社だと教えてもらったので初詣に出かけたのである。
平尾神社までは我が家から歩いて20分とほど良い距離であったが、なんとなく物足らなくなり、ふと鴻巣山にも祠があることを思い出した。
ならばと向きを変えて鴻巣山を歩き、何時ぞやお話しした真田の六文銭の紋がある小さな祠と近くの龍神様にお参りした。結果的には変則的な三社参りを終えたことになる。
正月早々からご無沙汰していた鴻巣山を散策することができたし、1時間30分の散策でこのところの運動不足を解消することができた。

  まだ磴を登る人あり初詣  英世

初暦

昨日の元日は素晴らしい天気に見舞われ、東の空を拝して今年一年の平和と安寧を祈った。夕方は長男、長女一家が勢ぞろいして屠蘇の儀を行い、ここでまた今年一年の無事を誓った。
さて、俳句の会鴻臚では平成29年度の暦(カレンダーではない)を買って全員に配布した。つまり俳句で言うところの初暦である。
暦は俳句に欠かせない小道具である。
暦には方位や運勢の他に吉凶を占う選日、そしてその日その日の行事や過去の出来事、偉人の忌日などが記されている。特に立春、啓蟄などの二十四節季とその説明は俳句の重要な季であり重宝している。
また、欠かせないのが旧暦の表示である。俳句では月の満ち引きなど何かと旧暦を利用することが多いのでこの暦が欠かせない。
ことしもこの暦を利用して大いに句を詠み吟行や句会を楽しむとしよう。

  初暦神のみぞ知る我が未来  英世

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