俳句は解釈次第で

昨日は小沢正一の句集の話をしたが、その中で彼は週刊誌の俳句投稿欄の一句に目を止め感銘を受けたと述べている。
  「朝顔が今日も咲いたよ婆さんや」
この句をどう解釈するかである。
小沢正一は、「字面だけでは朝、庭に出た爺さんが台所辺りに入る婆さんに、朝顔が咲いたと告げているだけのように思われる。だが、私はハナからこれは連れ合いを亡くした爺さんの句、死んだ婆さんに以前二人で親しんでいた朝顔の開花の報告をしている心境ととらえ、ジーンと心に差し込んできた」と述べている。
私も彼と同じ解釈である。
生きている婆さんへの報告では句にならない。死んだ婆さんだからこそ心に沁みるものがある。
このように俳句は解釈次第で名句にもなれば駄句にもなる。その心の内を推量するのも俳句の面白さではなかろうか。

  髭面の我に優しく春の水  英世

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