松落葉

祭と一緒に出されたのが松落葉であった。
松に限らず大方の常緑樹は春から夏にかけてが葉っぱの新旧交代の時期である。
松は雌雄同株の針葉常緑高木で、古来、一年中緑色をしていることから長寿の象徴として尊ばれてきた。
春に「松の芯」と呼ばれる新芽をだし、新しい葉を出したあとに古い葉を落とす。その落ちるさまは人目に付く訳ではなく、知らず知らずの間に音もなく落ちている。
松の木の下にはその落ちた松の葉が、まるで敷き詰めたように茶色く広がっている。散歩のときなどに足が少し滑ったことで気が付くこともある。
なお、同様な季題に敷松葉があるが、これは庭園の霜よけや苔の保護、景観のためなどに枯れた松葉を敷き詰める人為的なもので、冬の季題となっているので、混同しないようにしなければならない。
その松落葉を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  松落葉かつてはここも漁師村  英世

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今回の硯潮句会の兼題は「祭」と「松落葉」であった。
まず祭だが、祭は一年中どこかで行われているが、その中でも夏季に行われる神社の祭例を総称して「祭」と呼び夏の季題になっている。
一般的には春祭、夏祭、秋祭とその季節を冠して呼ばれるが、俳句では単に祭と呼べば夏祭のことを指している。
夏の祭の多くは厄病退散が目的で、博多祇園山笠に代表されるように豪壮なものが多く、春祭は収穫を祈り、秋祭は逆に収穫に感謝するものがある。
私の夏祭りの思い出は久留米市の水天宮祭で、父が牽くリヤカーに子供たちが乗り、そのうちの男子が代わり代わりに後押しをして、筑後川の土手を2時間ほどかけてお参りしたことである。
5月5日の端午の節句になるといつもそのことを懐かしく思い出す。
例によって祭の今日の一句をご紹介しよう。

  おしろいの匂ふ少女や祭髪  英世

一句の風景

卯波立つ海女の手桶の浮き沈み

一枚の写真を見て俳句を詠めという写真俳句なるものがある。
インターネット俳句会の兼題に紙上吟行、つまり「写真を見て季節を感じ取り俳句を詠め」と言うコーナーがあった。
伊勢志摩の海女の様子の写真が電送され、そこから俳句をと言うのだが、私は伊勢に行ったことはあるが、実際の海女の素潜り漁は見たことがなかった。
どのように詠もうかと思い悩んでいた時に、たまたまテレビで漁の様子を見たことを思い出して、「えい、や~」と勢いで詠んだ句である。
決して正当な俳句の詠み方ではないが、たまには句作りの勉強にいいのではと無理やりに自分を納得させできた一句である
2014年(平成26年)5月「季題:卯波(夏)」

新緑

花の季節が終って新緑の季節である。
山好きの私は新緑を求めて山深く分け入るのだが、新樹の下の山道を歩いていると、何となく目許がしばたき出すことがある。つまり新樹の葉っぱが呼吸をしていて、その葉っぱから発する水分が目を刺激するのである。
それでもかまわずぐんぐんと歩いていると当然のように汗をかき喉が渇く。その時の山水ほど旨いものはない。
一応事前に水は用意して登るが、その山水を見付けたらそっくり入れ替えることにしている。
ただし、山水は消毒されていないので家に持ち帰ることはなく、その場で飲んでしまうことにしている。
山で食べるおにぎりと山水、こんなおいしい至福の時はない。

新緑の山が私を待っている  英世  

薔薇

鴻臚句会のもう一つの兼題「薔薇」は、この時期の花としては一番多く詠まれる季題である。だが、薔薇の名句は少ないという。
吟行では近くに植物園や園芸公園があるので、この薔薇の時期によく訪れる。吟行でなくともぶらりと一人訪ねることも多い。
と言うことで連休中も2回ほど植物園を訪ねた。
兼題の薔薇をはっきりと意識して訪れたもので、他のものには目も呉れずに薔薇だけに的を絞って観察しようと思っていた。
この日は丁度春の薔薇まつりの最中で、園内には家族ずれや老若のカップルが目立ち、それぞれに薔薇を愛でお弁当を楽しんでいた。
暑くもなく寒くもない絶好の日和で、まさに百花繚乱の薔薇を俳人の目でじっくりと観察することができた。
その時に詠んだ薔薇を今日の一句としよう。

  一輪で存在感の薔薇深紅  英世

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立夏

今月の鴻臚句会の兼題は「立夏」と「薔薇」であった。
まず立夏だが、言わずと知れた夏の始まりである。夏になれば人は開放的になり海や山へと繰り出していく。
それにしてもここ数年季節の変化が緩やかではなく、突然やってくるような気がする。
4月の初めまではコートにスーツ姿だったものが、中旬にはコートを脱ぎ捨て今はノーネクタイのクールビズである。
また、飲兵衛の私にはビールが一段とうまくなる季節で、焼酎もお湯割りから水割りに変える季節でもある。
立夏を着るものや食べ物のように人々の暮らしの中に感じるのも人間だし、花の移り変わりや風の匂いなど自然の中に立夏を感じるのも人間である。
その立夏を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  暖簾替へ馴染みの店の夏来る。

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重機がうなり声を上げている

朝八時ごろ静かに本を読んでいたところ、突然轟音と共に地震のような地響きがあり我が家が揺れた。理由は隣の木造アパートの解体工事である。
一段低くなっている我が家の隣には、かつて二棟の古い木造二階建てのアパートが建っていた。
そのうちの一棟は数年前に解体され、今は立派な一戸建てが建っているが、もう一方のアパートは少し遅れてこのほど解体され駐車場になるという。
解体が始まってもう十日ほど経ってほぼ解体作業が終わり、がれき撤去に重機が導入されたのである。
重機の力はすごい。大きなコンクリートの塊を次から次へとトラックに積み込んでいる。東京オリンピックの建設現場では、これよりもっともっと大きな重機が何台も活躍していることであろう。
それにしてもこの振動と轟音はひどい。早く工事が終わってく欲しいと願っている。

  解体の重機の音や黄砂降る  英世

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九州の五つの祭

5月13.14日の二日間、福岡市役所でユネスコ無形文化遺産登録イベント「祭 with the kyushu」が開催されると言うので、午前中に仕事が終わった昨日の午後天神まで祭見物に出かけた。
市の案内によれば地元の博多祇園山笠行事を始め、戸畑祇園大山笠行事、唐津くんち曳山行事、日田祇園祭曳山行事、八代妙見祭神幸行事が、永い祭の歴史の中で初めて福岡に集合し、祭の活力で九州全体をさらに活性化させるため“九州の山・鉾・屋台特別巡行”を行うものである。
祭は福岡市役所の周囲を山や鉾が、祭ごとに独特の掛け声をかけて次々に周回するもので、最後は地元博多祇園山笠の勇壮な追山笠で締めくくった。
私は地元の祇園山笠と唐津くんち以外は見たことがなかったので、この時とばかり楽しく見させていただいた。
また、広場では各県の観光物産案内と北海道食祭が開かれていた。
ちょど昼時と言うこともあって、北海道の蟹を存分にまでとはいかないまでも美味しくいただいた。

  いち早く祭九州楽しみぬ  英世

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久しぶりの脊振山Ⅲ

つつじのトンネルをただ黙々と歩いた。黙々と歩くと言うのはいつものように単独行なので話し相手がいないからである。
だがこの日は違った。三つ葉つつじを始め竜胆やムラサキケマン、たんぽぽなど春の名残の花々に励まされながら、新緑を揺らす風に吹かれての尾根歩きは最高であった。
山奥まで帰って来た老鶯(夏鶯)が「ホーホケキョ」ときれいな声で何度も鳴いてくれて、私は思わず「おお、きれいな声をありがとう」と返事をした。
シジュウガラには「餌は見つかったかい」、飛んできた蜂には「そんなに怒るなよ」、私の足下に這い寄って来た蟻には「踏まれるなよ」、岩の上に翅を拡げている蝶には「日向ぼっこかい」、葉緑素を持たぬ銀竜草には「色白美人だね」等と声を掛けながら楽しく歩いた。
そんな中で哀しい出来事があった。三つ葉つつじの群落の樹下に50㎝ほどの穴がところどころ開いている。三つ葉つつじの盗掘の跡であることは間違いない。
私でさえこの美しい三つ葉つつじを持って帰って庭に植えたいと思うので、気持ちは分かるが盗掘はいけない。
山の植物は平地に移植しても育たないという。盗掘された三つ葉つつじが無事咲いてくれているといいのだが。
「やはり野に置け蓮華草」ならぬ三つ葉つつじである。

   盗掘の三つ葉つつじの行く末や  英世

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久しぶりの脊振山Ⅱ

しばらく歩いていると素晴らしい三つ葉つつじのトンネルが私を迎えてくれた。
常日頃は修飾語の多い文章は嫌いだと言っておきながら、この日の山道はそのことを遠く忘れさせるほどの絶景で、あえて修飾語べたべたの文章でご紹介しよう。
ピンク色で身を飾った三つ葉つつじは、きらきらと零れる木洩れ日にその美しい若葉とピンクの花を揺らしながら、私の心と体を同色のピンク色に深く染めていった。
目を足下に移せば、これまたピンク色に敷き詰めた絨毯に、柘植の木の小さい黄色の花びらを鏤め、踏むのを躊躇わせるほどの美しさと豪華さである。
また、時折谷から吹き上げる風は汗ばんだ私の頬から首筋をやさしくなでて、次に踏み出す一歩を手助けしてくれる。
1時間ほど歩いて唐人舞と言う大きな岩の鼻に着いた。
唐人舞の名の謂れは、その昔渡来人の女性がここから祖国を偲んで舞を舞ったことから名づけられたとされている。その祖国を思う乙女心に打たれながら、遠く玄界灘から朝鮮半島を望む(見えたつもり)眺めは絶景であった。
途中の少し開けたがれ場が私の何時もの食事場所で、この日もおにぎり弁当とデザートの破れ饅頭、それに山の水がことのほか美味しかった。

  谿風やどこへ行ったの夏帽子  英世

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久しぶりの脊振山Ⅰ

昨日は朝からすっきりしない気分だったので、気晴らしに山に登ることにした。登る山は先日迂闊にも登り損ねた脊振山(標高1055m)である。
この日は私の気分とは打って変わって素晴らしい青空であった。
麓から喘ぎながら頂上を目指すのが登山の醍醐味かもしれないが、尾根伝いに風に吹かれて歩くのも登山である。何時もは麓から椎原峠を目指すのだが、この日は少し疲れ気味だったので山頂下に車を停め、そこからいったん山頂に登りそれから椎原峠までを往復することにした。
脊振山頂から博多方面を見下ろす景色は素晴らしく、いつも散歩がてらに登っている油山や荒平山が足元に小さな丘のように見えるはずだったが、この日はそうはいかなかった。
天気予報とは裏腹に山頂は濃い霧に包まれ、しかも南東からの強風が吹いている。下界どころかすぐ目の先も見えず、気温も10℃と肌寒かった。
山頂をいったん下って尾根歩きをするかどうか迷ったが、天気予報を信じて一路椎原峠を目指した。とはいえ脊振の尾根道は結構アップダウンがありなかなか厳しい道のりである。
しばらくすると私の願いが神に通じたのか見る見るうちに霧が風に流され、眺望を取り戻すことができた。
椎原峠の標高は765mで標高差約300mをいったん下ってまた登り返すことになる。しかも歩行時間往復4時間と長距離である。
どうにかその長丁場を無事歩き終え、帰ってからのお風呂といつもの全身マッサージは最高に気持ちよかった。

親からの脚が頼りの登山かな  英世

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野菜大好きに

昨日は先日お話しした夜の勤務の日で午後10時半にまっすぐ帰宅したが、ここでまた問題が起きた。
午後10時までの勤務の日は原則休肝日にしているのでこの日もお酒は飲まなかったが、体が驚いたのかなかなか寝つきが悪く、眠っても夢ばかり見て今朝はすっきりとしていない。その所為か今朝は烏の鳴き声がうるさく聞こえて仕方がない。
さて話は変わるが、私の三度の食事には毎回野菜類がたくさん出る。元々野菜は多い方であったが、このところの量と言ったら半端じゃない。
大きな深皿いっぱいの生野菜で、その中には細かくみじん切りにしたトマトやゆで卵、豆腐、豆類、チーズ、海苔、鰹節、キムチなどが日替わりでしかも複数入っている。
ドレッシングはノンオイルに限りたまに使用するが、専ら何時ぞやお話しした庄分酢の「美味酢」で食べている。また、時々食べる温野菜も結構美味しくいただいている。
元々野菜好きではなかったが、「食べられるだけありがたいと思え」と食べているうちに抵抗がなくなり、息子からも「お父さん変わったね」と言われるまでになった。
主治医からは私の持病の憩室炎は、腸内を常時きれいにして内圧を減らすことが大事で、野菜は薬だと言われた。医者の言にあるように、野菜と魚中心の食事のお陰で私の健康が保たれている訳だから、この野菜は私の薬だと思い感謝しながら笑顔で食べるしかあるまい。
野菜大好きになった私、今夜はどんな野菜が食べられるだろうか。

  薫風や色とりどりの生野菜  英世

一句の風景

背中より老ゆる男や更衣

2003年(平成15年)3月に定年退職し、浪々の身となった。
これからは毎日が日曜日だと大はしゃぎをしたのは半年間ぐらいで、その後は何をしていいのかわからず悶々としていた。
その後偶然にもシルバー人材センターに仕事を得て、その合間に俳句や山登りを楽しんできた。
それでも寄る年波には勝てず、ある日家内から「背中が曲がっていますよ、背筋を伸ばしなさい」と忠告を受けた。
自分ではわからないが、知らず知らずのうちに背中から老いが忍び寄っていたのである。折しも更衣をしたその日に。
2014年(平成26年)5月「季題:更衣(夏)」

私の好きな一句

旅に出て今日子供の日絵本買ふ 青霜子

古賀青霜子は私の師匠古賀伸治先生の父で、親子ともどもホトトギス同人である。
その青霜子が旅の途中に、今日は子供の日かと気づいて、子供(伸治先生)のために絵本を土産に買ったという句である。
何時の世も親子の情は変わらない。子供の日に旅に出ている自分を子供たちに申し訳ないと心で詫びていたのだろう。
句そのものは奇をてらわない素直な句で、それだけに父親の愛情がしみじみと伝わってくる。

午後からの勤務

世間では今日から普通の生活だが、私は明日まで休みである。
ところで、一昨日も進学塾で仕事してきたが、塾生たちはここが踏ん張り所だと集中して朝から晩まで熱心に勉強していた。
朝から晩までと言うことは、必然的に私たちの仕事も朝9時から夜10時までのローテーション勤務となっている。
実は困った問題が起きている。午後からまたは夜の勤務の場合、仕事に行くまでの時間の使い方に困っているのである。
午後からまたは夜の勤務の場合、勤務時間前の行動には少なからず制約を受ける。
なぜならば、勤務前に車を運転して事故でも会えば勤務に支障が出る。車以外でも何が起こるかわからないので結局は家で本を読むなどして静かにしていることになる。
つまり、午後か夜の勤務のはずなのに一日中気が抜けないのである。
長年のサラリーマン生活で自然と防御と言うか事前準備の習慣が身についている私にとって、午後からまたは夜の勤務とは言え朝から構えてしまうのである。
別に不満はないが、サラリーマン時代の習性とは恐ろしいと感じている。

  明易や定年男の大はしゃぎ  英世

西公園吟行

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今回のたんたん句会吟行は西公園であった。
このところ桜の舞鶴公園ばかり吟行していたが、月も変わったことだし西公園にして戴いたことに感謝している。
岬山(荒津山)全体を公園にした西公園には今も昔のままの森が残っており、それが今一斉に若葉を茂らせている。吟行の目的はもちろん岬じゅうに広がるその新緑と心地よい風の薫りである。
人の心をやさしく慰めてくれる桜や牡丹もいいが、楓や楠などの新緑とそこを吹き抜ける香しい風も捨てがたいものがある。
西公園はかつて海に突き出た岬であったが、その後周辺が埋め立てられ、岬の面影はなくなってしまい、いまや街中に残った里山のような感じがする。
それでも展望台からは博多湾から玄界灘を望み、能古島、志賀島、玄界島を間近にしながら新緑の風に吹かれていると、ここが岬であったことが偲ばれる。
くしくもこの日は子供の日であった。
その子供の日に西公園吟行で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  昼酒にうしろめたさも子供の日  英世

ゴルフの思い出

私の書架に一個のゴルフボールが飾ってある。泥にまみれたままのそのゴルフボールは私の宝物の一つである。
このボールは30代の半ば頃、糸島半島の芥屋ゴルフ場で初めてハーフ30代で回った時の記念すべきボールで、その時着いた泥も拭かずにそのままにしている。
ゴルフに熱中してた頃は毎週のようにプレーし、たまには北海道や沖縄まで遠出するほどの熱中ぶりで、九州のゴルフ場はほぼ制覇したと言っても過言ではない。打った球はトラック何台分だろうか、使ったお金はゆうに一千万円は超えているであろう。
今思えば、そのお金と時間をほかのことに使っておればとも思うのだが、こればかりは取り返しが効かない。
何時ぞやお話したように、10年前にゴルフにおさらばしゴルフクラブも捨ててしまった。今ではこのボールだけが唯一私がゴルフをしていた証である。
風薫る頃になるとどうしてもこのゴルフのことを思い出し、時々テレビ中継で楽しんだりしている。

  薫風や谿に消えゆくティーショット  英世



粽(ちまき)

昨日は新緑を求めて平尾山荘から日本庭園の「松風園」を散策した後に動物園に寄った。連休中とあって園内は動物の数よりもはるかに多い子供たちでごった返していた。
そういえば今日は子供の日つまり端午の節句である。子供の日と言えば口の卑しい私はすぐ粽を思い出す。
ずいぶん昔のサラリーマン時代に、商用で街に出た時にたまたま粽が目に付き、皆に食べてもらおうと買って帰ったが、会社の休憩時に食べるには不向きな食品だったという苦い思い出がある。
ずいぶん前の話だが、NHKの新日本紀行「奥の細道」を見ていたら、ある東北の町で粽を作る場面があった。よく見ると私たちが子供の頃から親しんできた粽とは作り方が全く違う。
番組では菰の葉に研いだ生米を直接くるんで三角状にしていたが、私の故郷ではそんなことはしない。
私の家ではうるち米を砕いて米粉を作り、それを練って細長い棒状にしてそれを菰の葉にくるみ、色づけに山梔子の実からとった黄色い染料で筋を引く。
それを更に葦の葉で包み藺草で縛り茹で上げることは同じである。
たかが粽とは言えその作り方にもお国振りがあることに、日本の歴史と文化の違いを感じた。

  粽にもお国振りなる日本かな  英世

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冬野五月号

冬蒲団を片付け、夏の準備をした一日に冬野五月号が届いた。
毎月の冬野がいつも前月内に届いていたのに、今月はなぜか五月になって届いた。宅配便の過剰労働と何か関係があるのだろうか。
そんなことはともかく、例によって冬野五月号とその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野五月号
 露座仏の頬に沁みゆく春時雨
 濠の風じわりと春を育てをり
 うぐひすや藪に埋もれし屋敷墓
 石庭の色を鎮めて春時雨
 タイ料理食ぶや身中春の雷
 懸命に人引く犬や草萌ゆる
 我が生の証としたく木の実植う
 貰ひたる猫に恋猫ついて来る
 これよりは牛の領域春の山
 素魚より室見の春の動きけり
 素魚の升に溢るる量り売り
冬野インターネット俳句会
 猫の子のことも頼まれ留守居かな
 魂を天に遊ばせ花の雲
俳句ステーションインターネット句会
 無理難題軽く言ふ妻春浅し
 湯もみより帰るをみなや春の雪
 結界の闇をこじ開け地虫出づ(特選一席)

NHK「シルクロード」

私の大好きなテレビドキュメンタリー番組に、1980年代に放送されたNHKの「シルクロード」がある。
中国・西安をスタートして長大なシルクロードの人々の暮しや遺跡を紹介する番組で、石坂浩二の落ち着いたナレーションと喜多郎のテーマ音楽が素晴らしかった。
先日、NHKアーカイブスでそのシルククロードの再放送があるというのでさっそく見ることにした。
シルクロードの国々では、いま人類共通の遺産が内戦やテロなどで危機にさらされている。
なかでも紛争中のシリアでは、ISの破壊行動で紀元前からの歴史を持つ町や遺跡で永遠に見ることの出来なくなったものも多い。
この番組ではそうしたシリア・パルミラの遺跡の破壊される前を映した貴重な映像が多数残されており、かつての遺跡や人々の暮らしを見ることができた。
文化遺産を無作為に破壊するISや、文化財保護を軽視した日本の大臣の発言など私は強い憤りを感じている。

  薫風や世界遺産の国は今  英世

五月の花ごよみ「新茶」

私の故郷久留米市のすぐ隣は八女市で、そこは全国的に有名な八女茶の産地である。
筑後平野と言えば米どころで広々とした田んぼがどこまでも広がっているが、その平野の東側は耳納連山の裏手の丘陵地帯で、そこは八女茶の産地でもある。
八女茶の歴史は古く1423年に明から帰国して霊巌寺を開いた栄林周瑞禅師が、八女・黒木の地が明の修行先・蘇州霊厳寺の地形環境によく似ていたから広めたと伝えられている。
お茶と言えば新茶で、その年の新芽を摘んで製造されたものを言う。走り茶とも言われて新鮮な香りがあり、珍重されている。一方新茶が出回るととたんに今までの茶は古茶となってしまう。
昔は大勢の女性が一斉に並んで新茶を摘んでいたというが、何時しか機械摘みに変わってあののどかな光景や茶摘み歌は遠いものになってしまった。
地元に住む高校の同級生に案内され、丘の上から眺めた広大な茶畑がいまも忘れられない。

  新茶にはぬるめがよしと母は子に  英世

五月に入る

今日から風薫る五月そして職場もクールビズとなる。
また地元福岡ではどんたくの5月である。
福岡の代表的な祭りと言えば博多山笠そしてどんたくであるが、それらは実は博多の祭りである。
福岡市はかつて城下町の福岡エリアと商人の街博多エリアがあったが、明治時代に合併することになり、結果的に福岡市となった。博多と言う名称は博多駅や博多座などに残っており、市民の心の中には今も博多と言う街が郷愁として刻み込まれている。
肝心の祭りはなぜか博多つまり商人を中心とした庶民のエリアだけで、福岡エリアにはこれと言った祭りはない。
博多と言えば昔からの大商業地で、武士に対抗した商人がその力を誇示するものとして祭りが盛んになったのではなかろうか。
そんな歴史に思いを馳せながら、今年もどんたくパレードを見に行くとしよう。

  どんたくや見るも踊るものぼせもん  英世

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