七月が終る

とんでもない七月が今日でやっと終わる。
一発の雷鳴と共に天から槍が降ってきたような大雨、川は瞬く間にその許容量を越え田畑や民家を押し流してしまった。溜池の水もその役割を果たさず、溜池そのものが崩壊してしまった。
逃げ惑う人々、それをあざ笑うかのように濁流は流木を伴って襲い掛かってくる。
特に美林と言われた日田杉はもろくも倒れ押し流されてしまった。杉や檜を山一面に植林したにもかかわらず、その樹木は地中深く根を張ることはなく山を守ることは出来なかったのである。
被災者は命からがらやっと避難所に駆けこんでも、真夏の暑さの中でただ茫然と佇むほかはなかった。
とにかく被災地の早期復興を願わずにはいられない。

  七月や村の慟哭聞こへくる  英世

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一句の風景

炎昼や自販機だけの峠茶屋

真夏の温泉を訪ねた時の句である。
少し遠出して鄙びた山奥の温泉に入りたいと、佐賀県の山川温泉まで車を飛ばした。ここは低温泉で知られている。
ここには低料金の公共温泉があり、地元の人で賑わっている。いや、賑わっているというのは誤りで、誰もが静かにしかも長々と湯につかっている。
私も川沿いを飛ぶ燕の数を数えながら、約1時間湯に浸かっていた。それが苦にならないとう言うかむしろそうせざるを得ないほどの低温である。
それでも汗をかく。汗をかけば喉が渇く。
帰り道の峠にたしか茶屋があったはずだと遠回りしたところ、茶屋はなくぽつんと自動販売機だけが立っていた。
2014年(平成26年)7月「季題:炎昼(夏)」

よく戦った

我が母校久留米商業高校が、準決勝戦で好投手を擁する大濠高校に敗れて甲子園への夢が断たれてしまった。
私が生きているうちに一度はと願っていただけに残念で仕方がないが、健闘した選手諸君に敬意を払いたい。
昨日はその大濠高校出身の友人と仲良く飲んだ。これだから人生は面白くて止められない。
思い起こせば、昨年は私の甥っ子の息子(姉の孫)が母校のエースナンバーを背負いながら怪我で出場できず一回戦で負けてしまった。
今年は甲子園への夢は断たれたものの、その子の無念を晴らすかのような活躍に、正直よくやったとエールを送りたい。
それにしても、テレビ放送であの懐かしいKYUSHOのユニホームがグランドを駆け巡る姿に久しぶりに胸が躍った。
改めて言おう。「よくここまで頑張った。久しぶりに興奮を味わせてくれて有り難う。」

  KYUSHOの汗と涙の背番号  英世

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またまた舞鶴公園

今回の渦潮句会吟行は、またまた舞鶴公園であった。この日は朝から太陽がぎらぎらと照り付け、猛烈な暑さの中での吟行だったが、時折吹き抜ける風は涼しく心地よかった
舞鶴公園の城堀はこの時期睡蓮と蓮の花が盛りである。
まず未草とも呼ばれる睡蓮だが、世界の熱帯および温帯に広く咲いている水生の多年生植物で、日本に自生する睡蓮は耐寒性の強い種類とされている。
また、この堀には睡蓮と同じ科の蓮がびっしりと水面を埋め、可憐と言うか清らかかと言うか、えも言われぬ浄土の雰囲気を醸し出していた。
その花たちを鑑賞した後は、飛鳥時代に設置された外交および海外交易の施設である鴻臚館の史跡を訪ねた。
可憐な花と史跡と言う全く異次元のものを訪ねるのも吟行の楽しみと言うものである。
実は、この日は日頃この句会をご指導いただいているS・K先生が病気のため欠席され、残念ながら互選だけの句会となった。
そんな中で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  城堀の風の通ひ路蓮の花  英世

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寝茣蓙

近くのホームセンターで、寝茣蓙を買った。あの藺草の寝茣蓙である。
私の田舎は藺草の産地なので、寝茣蓙や花茣蓙は身近なもので、亡くなった伯母は花茣蓙織りの伝統技術保持者であった。
実は私は全くの婆ちゃん子で、遠足や学習参観などの付き添いはもとより、寝る時も祖母と同じ布団で寝ていた。
ところが、寝苦しい夏に使うのが寝茣蓙のはずだが、祖母は真冬でも寝茣蓙を使っていた。理由はよくわからないが、決して温く柔らかい敷布団で寝ようとはしなかった。
明治生まれの祖母は温かい布団に寝る習慣などなかったのかもしれない。
必然的に私も寝茣蓙で寝る訳だが、長年の習慣で抵抗は全くなかったが、祖母と別に寝るようになって、そんな習慣は途切れてしまった。
寝茣蓙を買って妙に祖母との暮しを思い出し懐かしくなった。

  泥の香の匂ふ寝茣蓙や祖母の夢  英世

私の好きな一句

祖母山も傾山も夕立かな  青邨

祖母山は熊本、大分、宮﨑にまたがる高峰で、傾山はその嶺続きにある。
山口青邨の自註によれば、「大分であったか宮崎であったか、鉱山を訪うた帰路。途中から馬を借りて竹田の方へ下った時の作」とある。
青邨は苦学して鉱山技師になり、その関係で各地の鉱山を訪ね歩いたが、その時訪ねたのがこの祖母山で、この句は偶々出会った夕立と祖母山・傾山を重ね合わせた壮大な写生句である。
実は、山好きの私もこの祖母山に登ったことがあるが、この時も夕立に逢い傾山への縦走を断念した思い出がある。この辺りは盆地になっており、その地形から夕立が多いのかもしれない。
そういった意味では好きな一句と言うよりも、実感できる名句と言っていいだろう。

でんすけ西瓜

家内の友人から珍しい西瓜を送っていただいた。北海道産の「でんすけ西瓜」である。
それは私たちが知っている縞模様の西瓜ではなく、外は真黒で中身は西瓜特有のおいしそうな赤身であった。しかも馬鹿でかい西瓜で量ってみると約9キロもあった。
現役のころ北海道旭川に出張した折に、同じく真黒の「爆弾」と言う西瓜を母に送ったことがあるが、多分その西瓜と同じ種類のものだろう。
あまり大きすぎて家内と二人では食べきれず、息子と孫の愛莉に来てもらい四つ切にして持って帰らせた。
さすがに北海道の名産と言うことだけあって、味は抜群でその甘さも上品なものであった。
俳句では西瓜は初秋の季題になっているが、本当に美味しいのは汗だくで食べる夏の今頃ではなかろうか。
なぜ初秋の季題になったのだろうと考えてみたが、もしかしたらお盆に仏さまに供えることから来ているのかもしれない。それにしても美味しい西瓜だった。

 でんすけてふでかい西瓜に奮闘す  英世

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伊藤園「お~いお茶俳句」入選

玄関先の郵便受けに大きくはみ出した封書の郵便物が入っていた。
何事ならんと開いてみると、何とそこには一枚の表彰状が入っていた。伊藤園の「お~いお茶新俳句大賞」の佳作特別賞に入選したというのである。
実は、句友に勧められて半ば遊び半分で投句し、「予選通過しました」との通知は受けていたものの、その後、投句のことはすっかり忘れていた。それが突然の入賞通知でこちらの方が驚いてしまった。
賞品がなかなかユニークである。入選した俳句をペットボトルのシールに印刷し、お茶を詰めて後日送ってくれると言うのである。しかも24本も。
24本貰っても一人で飲めるわけもなく、何かの機会に孫や友人にお裾分けすることにしよう。
今日はその「お~いお茶」の入選句をご紹介しよう。

  唱歌ほどには団栗の転がらず  英世

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水中花

硯潮句会のもう一つの兼題は「水中花」であった。
水中花は鉋屑や厚紙などを美しく彩色し、花鳥やその他いろいろな形に作り圧縮したもので、水を注ぐと開く仕組みになっている。
リビングなどにコップや水槽にこの水中花を咲かせて、爽やかで涼しさを感じるものである。
ところが水を捨てない限りこの花は衰えるということを知らない。その上この花は自然界をはじめ外の世界や風の戦ぎを全く知らない。
そういった意味では一種の井の中の蛙で哀れささえ感じさせる。
その水中花を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  水中花馴染みのバーのカウンター  英世

夏の夜

今回の硯潮句会の兼題は「夏の夜」と「水中花」であった。
まず夏の夜だが、あの寝苦しい夏の夜のことで、どちらかと言えば涼を求める意味合いが強い。
夏の夜もいろいろな過ごし方がある。
夏祭やキャンプファイヤーで夜遅くまで遊び、ビアガーデンで喉を潤し涼をとるのも夏の夜の醍醐味である。
今のように冷房施設のなかった子供の頃は、夏の遅い日が落ちてから路地に涼み台(私たちはバンコと呼んでいた)で、遅くまであやとりやなぞなぞ、石遊びなどをして涼しくなるのを待ったものである。
その夏の夜を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  バイク逃げパト追ひかくる真夏の夜

天神に鼬(いたち)

昨日の話だが、硯潮句会が行われた天神の水鏡天満宮で、池のふちを小さな茶色い動物が駆け抜けていった。まぎれもなく「いたち」である。
子供の頃から見慣れている動物だけに見間違えるはずはない。
最近では花畑園芸公園で一度いたちを見かけたが、久しぶりに見る正真正銘の鼬であった。しかも水鏡天満宮は福岡市の街のど真ん中にある。
鼬がいると言うことはどこかにけもの道があるはずであり、えさ場があり、もしかしたら子育て中の巣があるかもしれない。
近くには川が流れており、大きな公園や寺社もある。そのような環境に適応して鼬がここに棲みついたのだろう。
天神のど真ん中に鼬がいるとは、福岡は人間だけではなく動物たちにとっても住みやすい街なのかもしれない。

  鼬棲む都心の杜や梅雨明くる  英世

一句の風景

山笠法被羽織る老舗の提灯屋

博多祇園山笠の句である。
山笠は博多の鎮守櫛田神社の祭礼行事で、勇壮な舁き山で有名な祭である。クライマックスまでの15日間、街は祭一色に染まり、法被姿の男衆がさも自慢げに闊歩している。
その法被さえ着ていればどこへでも出入り自由というのだから、おおらかと言うか街の熱気ぶりが窺える。
祭は若い者だけのものではない。
櫛田神社の近くに老舗のちょうちん屋があるが、その老主人もきりりと法被を着て店に立っていた。その姿は若いものには負けぬ、凛々しい絵になる姿であった。
2014年(平成26年)7月「季題:山笠(夏)」

書くことは難しい

トランプ大統領のツイッターではないが、昨今ネット時代の危うさが云々されている。
自分自身も書くこと自体が怖いというか、難しくなってきたような気がする。
元来もの書きが好きで、このブログにも好き勝手なことを書いているし、「シルバーだより」の記事なども書いているが、その文章はこれでいいのかと自問自答することが多くなった。
なぜならば、無意識のうちに他人に迷惑をかけているのではなかろうかと気になるのである。
世の中、自己中心で他人を傷つけることなど平気な風潮だが、私は決してそのようなことをしないように心がけている。
それならブログなど止めたらとも思うが、いったん書き出したらその魅力に惹かれ止めらくなってしまうのである。
あまり気にしても仕方がないので、他人様にご迷惑をおかけしないように、これからも政治家や歴史上の人物などの著名人を除いて、顔写真や個人名の入った記事だけは書くまいと改めて心に誓っている。
なにしろ「活字にしたら百年目」だから。

  取材とて炎暑の中を駆け巡る 英世

舞鶴公園吟行

今回の百年句会吟行は舞鶴公園で、目的はお堀の蓮の花を詠むことであった。
この日は福岡県に大災害をもたらした梅雨も明けたかと思わせる猛烈な夏日で、熱中症にならぬよう用心しながらの吟行であった。
いつものように大手門に集合し、まずお堀の睡蓮を鑑賞した。睡蓮は息の長い花で咲き始めてからもう三ヶ月も立つと言うのに、今もってきれいな姿を見せてくれた。
睡蓮のあとはいよいよ蓮の花である。
福岡城お堀の蓮の花は毎年綺麗に咲いてくれていたが、一時期から理由もわからず減り始め全滅寸前までなっていた。
その後、市や関係者の努力で全盛期寸前まで持ち直しつつある。
蓮の花を見るとなぜか浄土の父母を思い出すのは私だけではないであろう。
蓮の花のあとは久しぶりに大濠公園を吟行した。公園は三連休の中日と言うこともあって、暑さにも負けず子供たちが大人を引っ張りまわしてはしゃいでいた。
例によってそのような中で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  花蓮や水の底より南無阿弥陀  英世

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私の好きな一句

瀧の上に水現れて落ちにけり  夜半

後藤夜半は虚子を師とするホトトギス同人で、昭和初期を代表する俳人である。
さてこの句だが、瀧の夜半と言われるほど有名な句で、俳人ならずとも一度は耳にし、口にしたことのある一句ではなかろうか。
瀧と言えば誰もが瀧の全体像を思い浮かべるが、夜半は瀧の生まれる前から瀧が落ちて消滅してしまうまでのストーリーを詠んでいる。
「瀧の上に水現れて」とスローモーションの映像のように瀧となる始まりを確認し、あとは一気に「落ちにけり」と続いて終っている。瀧が生れてから落ちるまでの状態の一切がここに見事に写生された名句であると思う。

月並俳句

しつこいと思われるかもしれないが、またまた子規の話である。
子規は一茶から子規までの約百年間の句を、卑俗陳腐であるとして月並俳句と呼んだ。月並とは毎月、決まって開かれる句会のことである。
その間、全ての俳人がそうだとは言っていないし、中に子規の思いに通ずる俳人や句があることは認めている。俳句そのものよりも、堕落した宗匠やその宗匠中心の俳句会そのものを糾弾したかったのかも知れない。
しからば、月並俳句とは具体的にどのような句を言うのだろうか。
子規の没後、雑誌「ホトトギス」では、月並俳句の要件として「駄洒落・穿ち・謎・理知的・教訓的・厭味・小悧巧・風流ぶる・小主観・擬人法」の10項目を上げて勧告している。
これからすると、子規はどうも俳句に思想や理屈を持ち込むことを嫌い、美的感覚に重きを置くべきだと考えていたように思われる。
「俺ははこんなことを知っているぞ、人はこうあるべきだ」と言った自己主張や精神論など知識をひけらかすことを嫌い、素直に風雅を愛した句を好んだようである。
そのことがのちの虚子の客観写生に到達したのかもしれない。明日からしばらくはその虚子のことについて再び勉強することにしよう。
と、偉そうなことを言いながら、私の句は子規の言うところの月並に陥ってしまってはいないだろうか。気になるところである。

  雷神や子規の言の葉尖りゆく  英世

山笠扇

今年も山笠の追い山が終った。
今年こそは朝早く又は前夜から待機して見ようと思っていたが、今年も実現せずテレビ桟敷で済ませてしまった。
山笠で思い出すのは「山笠扇」である。
ずいぶん昔のことだが、この時期、行きつけの割烹「ひしむら」では常連の客にだけに「山笠扇」をプレゼントしてくれた。結構値の張るものなので、おいそれと一般客にはプレゼントできなかったのであろう。
その「山笠扇」がもったいないからと、通常は使わず書棚に保管していたところ、いつの間にか10本ほど貯まっていた。
このままにしておくのもどうかと海外旅行の時の友人への土産にしたり、前にお話しした東北仙台の友人へのプレゼントにしたりしているうちにとうとう無くなってしまった。
最後の一本は孫の鈴花にやったことまでは覚えているが、その山笠扇がどうなったかは分からない。
山笠の時期になると「あの山笠扇はどこへ行ったのだろうと」懐かしく思い出す。

  職退いて貰ふことなき山笠扇  英世

子規の思考法

先日来、子規の随筆集を読んだ話をしたが、その中の子規の思考法に興味を持った。
解説の大岡信に言わせると、子規の思考法の一つに尻取り式思考法があると言う。
それは子規が感興に乗った時にしばしば示す特徴的な前進的思考法で、何でもない一言から、「だからこうだ、そしてこうだ、それだからこうだ」と畳みかけて前へ前へと進んでいく。
そこには空想的な思考が存在するが、その空想は単なる空想ではなく、しっかりと具象的、具体的な現実のイメージによって裏付けされていると解説している。
確かに子規の思考は論理的で常に前向きである。
例えば「目が開けられぬから新聞が読めぬ、新聞が読めぬから只考える、只考えるから死が近いことを考える、だから云々」と言った具合である。
私も書くことが大好きでいささか病的になっているが、私の思考は断片的単発的で数ページあるいは数行ですぐに行き詰ってしまう。
これからは子規の尻取り方式を勉強し、だからこうだ、だからこうだと前向きに考えるように努めたいと思っている。

  暑き夜やもの書くことの楽しさも 英世

子規の絶筆

子規の随筆集を読んだ話をしたが、その中の最後の随筆「病牀六尺」では子規の壮絶なまでの闘病生活とあくなき執念を感じた。
なにが執念かと言うと、それは子規が死の直前まで筆を握りしめていたと言うことである。
病状六尺は明治35年9月17日のエッセイが最後である。
病状六尺は1項から始まり127項で終わっている。
私が読んだ文庫本では、書き出しが153ぺーで最後は312ページなので、中間であれば233ページは64項でなければならないのに実際は57項となっている。
それだけ最初の方はページ数の割には文字数が多く、後半に行くに従って文字数が少なくなっていることがわかる。
つまり、元気なうちは長文を書き、死の直前は短い文しか書けなかった証拠である。
子規が没したのはその年の9月19日の午前1時頃で、理論的には絶筆の17日は死の二日前と言うことになるが、19日はわずか1時間しか生きていなかったのだから、感覚的には一日前まで書き続けていたと言うことになる。
死の直前まで筆を折ろうとしなかった子規の凄まじい執念に驚かされ、改めてその偉大さに敬意を表したい。

  時鳥喉掻き切って鳴くがよい  英世

昨日の朝は今年初めてクマゼミの声を聞いた。この蝉の声を聞くとじとうっと汗がにじみ出してくる思いがする。
さて、夏帽子と一緒に出された兼題が虹であった。
虹は一年中出るが、夕立の多いこの時期が一番鮮やかで大きいので夏の季題となったものである。
雨上りの後に七色の弧を描く現象は、昔の人々にはその理屈が解らなかっただろう。龍か蛇のような不可解な動物が天空に棲んでいると思い、その龍が吐く息が虹だと思ったのも無理ないことである。
俳句結社に円虹があるが、たまに高山で見ることができる円い虹や、御来迎のことを円虹と呼ぶこともあるのでそのことから名づけられたのかもしれない。
また、散水で霧状の水を噴けば小さな虹ができるので、孫たちにそれを作って見せて驚かせたとともに虹の原理を教えたことがある。
その虹を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  水撒いて庭に虹の子育てけり  英世


夏帽子

今回の鴻臚の兼題は「夏帽子」と「虹」であった。
まず夏帽子だが、言わずと知れた夏の帽子そのものであるが、その種類たるや数えきれないほど種類が多い。
子どものまんまるの可愛い麦わら帽子から、ご婦人方のファッションを兼ねた帽子、農業や工事現場などで欠かせぬ作業帽などそれぞれである。
昔は紳士用のパナマ帽や麦藁のカンカン帽が流行ったが、今でははやらなくなり何時しか見なくなってしまった。都心では高層ビルなどの日影や冷房の普及で、夏帽子がいらなくなった影響かもしれない。
私の印象に残っている帽子は何と言っても父の農作業用の帽子で、父が死んだ後も長く実家の倉庫に掛けてあったが、今でも掛かっているだろうか。
そんな夏帽子を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  農協と銘ある考の夏帽子  英世


唐人町界隈吟行

今朝は曇り空の中一週間ぶりに庭の草を取った。梅雨の大雨のなかでも草ははたくましく伸びるものである。また、長雨で木苺もくすんだ暗い色をしていたが味は美味しかった。
さて、今回のたんたん句会の吟行は唐人町であった。
句会場のふくふくプラザが唐人町の近くにあることからこの界隈はよく吟行するが、いつも言っているように、季節によってまたコースによって新しい発見があることから吟行は楽しくて止められない。
この日は前にもお話しした馬頭観音から唐人町の寺町を巡るコースで、最後に訪れた正光寺ではいま盛りの白蓮(白い蓮の花)が私たちをやさしく迎えてくれた。
この日は大雨を覚悟していたが、案に反して朝から曇り空で、降っても小雨程度の涼しい吟行日和であった。
昼食は幹事の計らいで和風割烹「光安」での美味しい夏料理で、もちろんビール付きでことのほか美味しかったことも嬉しい。
ただ、心の内では豪雨被害を受けた人もいると言うのに、のほほんと吟行などしていて良いのだろうかと言う後ろめたさもあった。
そんな中で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  出水禍を心の隅に吟行す  英世

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一句の風景

笛の音の神を誘ふ夏神楽

近くの氏神である田島神社の夏神楽を見た時の句である。
神楽と言えば舞と笛である。
夏の暑い盛りに、神楽の舞手は正式な装束に身を固め、全身褪せだらけで舞っていた。
本人は真剣でその汗も気づかないほど集中しているかもしれない。
一方笛はさも涼しそうな調べを奏でている。
その笛はあたかも依り代を立てて神を迎える降神の儀のようで、その笛の音に誘われて神が天上から降りてくるような気がして賜った句である。
2014年(平成26年)7月「季題:夏神楽(夏)」

私の本棚「子規三大随筆」

昨日の「子規の宇宙に」続き、子規の三大随筆「墨汁一滴」「病牀六尺」「仰臥漫録」を読んだ。
この随筆集はわずか35歳で亡くなった子規が、その死の間際までの二年間に書き残したものである。
肺病と言う不治の病に侵された子規が、6尺の病床の身辺からだけに見える、あるいは触れることのできる風物をつぶさに観察し、簡潔平明な文章で表している。
もちろん俳句論、歌論も見逃せないが、それよりも子規の「痛い、痛い」と言う感情を顕わにした飾らない性格と、文学へのあくなき探求心に敬意を表したい。
子規は身体を動かすことも難儀な状態でものを書くことだけしかできない。ただ書くことでしか生きている証を見いだせない病床6尺の人だったのである。
それでありながら食べ物に異常な執着を見せているのも子規の一面として面白い。
先日、テレビで国語学者の金田一家三代のドキュメントを見た。戦後、口語文を普及させ漢字を減らして簡略にした金田一京助に、改革を求める子規の面影がダブって仕方がなかった。
今日は自分の俳句ではなく、子規の三句をもってその晩年を偲ぶとしよう。

  糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
  をととひのへちまの水も取らざりき
  痰一斗糸瓜の水も間にあはず

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私の本棚「子規の宇宙」

子規生誕150年と言うことで、俳人長谷川櫂の「子規の宇宙」を読んだ。
近代俳句の礎を作ったのが正岡子規であることはもちろん知っていたが、「ホトトギス」の虚子の方にばかり意識が行って、子規の生涯についてはあまり勉強していなかった。
この本はその子規のことを詳しく紹介したものだが、単に子規の生涯を年表的に追っかけるのではなく、子規の成し遂げたあるいは成し遂げようとした仕事の意義を中心に取り上げている。
圧巻は子規の死後、2メートルにも達する66冊のノートが残され、その中には室町から幕末までの500年間に詠まれた12万句が整然と分類されていたということであった。
また、子規を取り巻く人々、つまり虚子を始め碧梧桐、漱石などとの交流も、ほのぼのとしたものと言うより何か仕事に真剣に向き合っている壮絶な感じがした。
病の身の何処にこれほどのエネルギーがあったのだろうか。自分が俳句を口にすることが恥ずかしい思いであった。
余談だが、昨夜はバスの中で本を読んでいるうちに、バス停を三つほど乗り過ごしてしまった。
物事に熱中してしまう私も問題だが、子規も現代のバスや電車に乗ったらきっと乗り過ごしただろうと妙なことを考えていた。
明日は子規の三大随筆についてお話ししよう。

  夏の夜子規を思へば寝苦しく  英世

大雨特別警報

昨日は台風が来ても恵みの雨にはならなかったとお話ししたばかりなのに、梅雨前線の活動で一転して「大雨特別警報」と言う聞いたこともない警報が発令された。
特に久留米市や朝倉市を中心とした筑後地方は大変な状況で、安否不明の人もあるという。
増水した筑後川を流されていく人家、流れながら啼きわめく牛など、その惨状を実際に目にした昭和28年西日本大水害の悪夢が頭をよぎった。
特別警報が発令された街に住む句友二人に安否確認のメールを入れたところ、二人とも被害はないとの返事に胸をなでおろした。
私が住む福岡でも昨夜は一晩中雷鳴がとどろき、屋根を打つ大雨の音に加えて、私の部屋のエアコンが故障し寝苦しい夜を強いられた。
今日も一日中大雨が予想されている。
これ以上の災害が生じないことを願わずにはいられない。

  雨乞の過ぎたるらしく豪雨かな  英世

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冬野七月号

空梅雨気味の中、小型台風に期待したが恵みの雨とはなってくれなかった。
そのような中、冬野七月号が手元に届いた。
例によってその他の句会の入選句と共にご紹介しよう。
冬野七月号
 無人駅てふ無防備の燕の巣
 雨に散り雨に色足す牡丹かな
 海光を残し暮れゆく桜かな
 藤掛けて飾り立てたる櫓かな
 父の忌のこれ以上なき桜かな
 八重咲と云へど残花は寂しくて
 声嗄らす海女の朝市金盞花
 鼠ゐぬことにも慣れて大朝寝
 咲く薔薇に散りゆく薔薇を打ち重ね
 若葉して宗派の違ふ寺二つ
 おしろいの匂ふ少女や祭髪
冬野インターネット俳句会
 子らはみな青葉の風となりにけり
 梅雨寒や痩せ衰へし犬の逝く
 また一つ消ゆる老舗や梅雨灯
俳句ステーション
 大水車本気出したる五月かな
 戒めを解かれし如く滝走る
 蟻地獄本家分家にその分家(特選一席)
愚陀仏庵インターネット句会
 切る他はなき鱚釣りの絡み糸
NHK俳句
 一人子の火蛾とて話し相手かな(佳作)

消えゆく団地

私の住んでいる町は閑静な住宅地で、近くには小笹団地と言う古い団地がある。
福岡市中央区にある動物園や植物園一帯は、南公園と呼ばれている市民の憩いの場所で、そこに隣接する小笹団地は県営住宅として昭和30年代に建設されたものである。
その団地には今でも私の知り合いが数人住んでいる。
建設当初は時代の先端をいく住宅として、入居倍率も高い人気の住宅だったが、老朽化が進み入居者も高齢化したため、狭くてエレベーターも無い団地の再生事業が計画され着々と進められている。
中にはすでに取り壊されて最先端のマンションに変わったものもある。
福岡市にはかつて私たちが住んだことのある星の原団地など、各地に大型団地があるが、いずれこれらも居住者の減少とも相俟って新しい団地に変貌していくことであろう。

  梅雨寒や空き部屋多き古団地  英世

失われゆく季題「花氷」

真夏の季題に「花氷」がある。
ホトトギス歳時記によれば「夏期、室内を涼しくために立てる氷で、花や金魚の類を封じ込めたもので氷柱(こほりばしら)とも言う」とある。
確かに昔はホテルやデパートなどでこの氷柱を見つけると、思わず近づいて手が濡れるのもかまわず触ったりしていた。
その氷柱も冷房の普及とともに少なくなり、今では夏期商戦のイベントなどでたまに見るくらいである。
そういえば、この花氷を作る職人は今いったい何人ぐらいいるのだろうか。妙なことが気になった。
果たして今年は花氷を見ることができるだろうか。

  君の顔歪んで映る花氷  英世

七月の花ごよみ「夏祭」

毎年7月は博多祇園山笠をはじめ、各地で夏祭が盛大に行われる。
それらの大きな祭も楽しいのだが、小さな村での夏祭も捨てたものではない。
私の故郷三瀦郡犬塚村(今では久留米市に編入)では、今でも村の玉垂宮という鎮守で季節ごとに祭があるが、その中でも「よど」と言っていた夏越の祭りが一番楽しかった。よどの意味もどのような字を当てるかもはっきりしていないが、一説によれば宵宮(よいみや)から来てるのではと言われている。
よどは村の中学生が中心となって祭を盛り上げ、この祭に寄り会うことが一種の大人への登竜門みたいになっていた。
祭では米粉を蒸して餡をくるんだ素朴な「よど饅頭」が家々で作られ、お宮ではお母さん方が大豆と昆布と炒り子を大なべで焚いて参拝者にふるまっていた。
この祭りは一種の夜祭で、親子が一緒になって騒ぎ楽しんだのものである。
60年前の楽しい夏祭の思い出である。

  故郷の青年団の祭かな  英世

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