月並俳句

しつこいと思われるかもしれないが、またまた子規の話である。
子規は一茶から子規までの約百年間の句を、卑俗陳腐であるとして月並俳句と呼んだ。月並とは毎月、決まって開かれる句会のことである。
その間、全ての俳人がそうだとは言っていないし、中に子規の思いに通ずる俳人や句があることは認めている。俳句そのものよりも、堕落した宗匠やその宗匠中心の俳句会そのものを糾弾したかったのかも知れない。
しからば、月並俳句とは具体的にどのような句を言うのだろうか。
子規の没後、雑誌「ホトトギス」では、月並俳句の要件として「駄洒落・穿ち・謎・理知的・教訓的・厭味・小悧巧・風流ぶる・小主観・擬人法」の10項目を上げて勧告している。
これからすると、子規はどうも俳句に思想や理屈を持ち込むことを嫌い、美的感覚に重きを置くべきだと考えていたように思われる。
「俺ははこんなことを知っているぞ、人はこうあるべきだ」と言った自己主張や精神論など知識をひけらかすことを嫌い、素直に風雅を愛した句を好んだようである。
そのことがのちの虚子の客観写生に到達したのかもしれない。明日からしばらくはその虚子のことについて再び勉強することにしよう。
と、偉そうなことを言いながら、私の句は子規の言うところの月並に陥ってしまってはいないだろうか。気になるところである。

  雷神や子規の言の葉尖りゆく  英世

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