八月が終る

今日で八月が終る。
福岡県を襲った豪雨災害で、被災地の皆様の一刻も早い復興を念じずにはおられない。
それにしても何と暑い八月だったことだろうか。温度計は連日30度を超え、水撒きや草取りに追いまくられ、その上に夏風邪を引いてしまい、よくもまあ無事生きていたなあと言った感覚である。
そんな中で、ブログの目次を振り返ってみると何とよく本を読んだことだろうか。しかも俳句関連の本ばかりである。
あまりの暑さに冷房を求めて、図書館に行っては半ばうとうとしながら読んでいたのであろう。二時間で読み切れない分は借りて帰って読んだ。
どれほど身に付いたかは疑問だが、読まないよりは読んだ方が良いのは間違いないであろう
明日からは秋本番の九月である。
夏風邪もどうにか治ったことだし、夏の疲れを癒してそろそろ山にも出かけるとしよう。

  文机を小さき砦としたる秋  英世

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一句の風景

布衣の身のぷいと種吐く西瓜かな

平成15年3月、終に定年退職を迎えた。
それまでは会社の幹部としていっぱしの経営者気取りであったが、この日から無位無官の身、つまり布衣(庶民が着る麻の着物)の身となったのである。
そのことを告げんと実家の仏さまをお参りした。
実家を継いだ弟は私が長男と言うことでことのほか大事にしてくれる。この日も私が好きだと言うことを知っていたのか大きな西瓜を切ってくれた。
三日月形に切った西瓜を思いっきりほおばり、種を縁側から庭にぷいと吐き出した。
あたかも過去を断ち切るかのように。
そのような思いで賜った句である。
2014年(平成26年)8月「季題:西瓜(秋)」

吟行と散策の違い

今日も頑張ろうと朝早々に散歩に出かけたが、ふと途中で吟行と散策の違いについて考えた。
まず絶対的に違うのは団体で行くか単独で行くかである。
吟行は少ないときでも5~6人、多いときは20名以上になることがある。つまり自分の自由が利かないということである。
私は猫派なのか我が侭で自分の好きなように行動したいので、山に登るときも単独が多く団体行動は苦手である。
また、吟行は集合時間から句会の時間まできっちりスケジュールが決まっている。これも気ままな私にはあまり気に入らない。
それよりも何よりも、吟行と散策では見るもの見る心構えが全く違うのである。
吟行では一点に集中し徹底的に観察するのだが、散策にはその堅苦しさがない。好きなものを好きなように好きな時間だけ見て、お茶を飲むのもおにぎりを食べるのもまったく自由なのである。
私にとって自然に接すると言うことは、何者にも縛られず自由に徹することが最高のような気がする。

  新涼や己が流儀を突き通す  英世

墓参

初秋と共に出された兼題が墓参であった。
実は当初8月の鴻臚句会は12日に予定されていたが、当日がお盆だと言うことで26日に延期になったもので、兼題はそのまま墓参となったのである。
この墓参もほととぎす歳時記では「はかまいり」と詠み、傍題として掃苔、墓掃除、墓洗ふ、展墓、墓参(ぼさん)などがある。
墓参も忌日やお彼岸など一年中ある行事だが、俳句の季題では特に盂蘭盆に先祖の墓に参ることを指して言う。
私も毎年墓参りだけは欠かしたことがない。今日自分や家族があることは父母をはじめご先祖様があってのことと感謝し、ご冥福をお祈りするためである。
昔は父母に数々の不孝のお詫びしたものだが、この年になるとそのことも忘れただ淡々とお参りしているような気がする。
その墓参を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  詫びることもう止めにして墓洗ふ  英世

初秋

今月の鴻臚句会兼題は「初秋」と「墓参」であった。
まず初秋だが、その字の通り秋の初めでほぼ立秋から8月一杯と見て良いであろう。
「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」と言う藤原敏行の歌があるが、まさにその歌そのものが初秋であろう。
まだ暑さは続くものの、日差や雲の色、特に風の音にどことなく秋を感じるという歌である。
一般的には初秋は「しょしゅう」と読むが、ホトトギス歳時記では「はつあき」として秋の傍題になっている。
その初秋を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 美しき日本の水の初秋かな  英世

私の本棚「井上井月」

昨夜は一晩中雷が鳴り、暁烏も何かに怯えているようで鳴き声に元気がなかった。
さて、信州伊那谷の漂泊の俳人「井上井月」を読んだ。
井上井月(いのうえ せいげつ)は、江戸後期から明治初期の俳人で、「柳の家井月」、「北越漁人」など他にも幾つもの俳号を名乗っている。信州伊那谷を中心に活動し放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた人である。
書が得意だった彼がどうして故郷の越後長岡を出奔し、どうして俳句の道へ進んだかは明らかではないが、松尾芭蕉を尊敬していたことだけは確かで、「象潟の雨なはらしそ合歓の花」のように本歌取りした句も詠んでいる。
放浪の俳人と言えば種田山頭火だが井月はその山頭火にも影響を与えている。
俳句の上ではオーソドックスな井月と自由な山頭火では全く違うが、ただ、放浪という点では瓜二つである。まるで山頭火が井月を手本にしたかのような生き様で、井月の墓を詣で「お墓親したしくお酒をそゝぐ」の献句も行っている。
酒が好きで周囲から疎まれもしたし、その酒毒で命を縮めたことは哀れとしか言いようがないが、それでも放っては置けない俳人だったのだろう。
作品としては記録に残らないが、記憶に残る愛すべき俳人である。
今日は 井月の代表句をご紹介しよう。

   我道の神とも拝め翁の忌  井月

漱石と俳句

執念で夏風邪を克服し、昨夜は無事美女連との食事会を楽しんだ。
さて、少し前に虚子の「漱石氏と私」を読んだが、その中に漱石が虚子に宛てた手紙に面白い記述があった。
俳句を嗜んでいた漱石が、「まずしといえば小生先頃自身の旧作を検査いたし、そのまずきことに一驚を喫し候。作りし当時は誰しもが多少の己惚れはまぬかる可らざることながら、小生の如きは全く俳道に未熟のいたすところ実に面目なき次第に候。」と素直に自分の句の拙さを虚子に語っているのである。
あれほどの文豪である漱石にして、このように自作を駄作と評している。
漱石流の文体を借りて我がことを言えば「漱石にして然り。いわんや余(英世)の如き凡才においてをや」とでも言うべきであろうか。
私も初期の自作句を後で読んでみると、よくもまあこんな句を詠んだものだと赤面することがある。しかし、漱石もそうだったのだからと自らを慰め今後の糧としよう。

  句に詠むも苦しき秋の暑さかな  英世

投稿癖

少し前の話だが、新聞の読者投稿欄に投稿者自身の言葉で「私は投稿癖の女だ」と言っていた。どうも新聞投稿は癖になるということらしい。
この女性は、時間に追われながらも時々無性に何かを書きたくなる。何かを書いて残したくなる。残したいのは心の軌跡かもしれないと述べていた。
新聞投稿とブログ投稿という違いはあるが、今の私と全く同じ心境である。
物書きが好きな私は、身の回りの出来事を毎日拙文に書き留めているが、それは私の日記だと思っている。
それであれば、なにもブログに公開せず、自分一人の記録として残しておけばいいのではと思われるかもしれないが、そうはいかないのが物書きの習性である。
新聞でも本でも誰かに読んでもらうことにその意義、価値があり、心の底でいつも誰かに読んでもらいたいと思っているのである。
私の日記代わりのブログも、日常の喜怒哀楽を誰かに共有して貰いたいと思っているから公開しているのであり、頭と五体が正常な限りこれからも書き続けたいものである。

  明易は私の時間ものを書く  英世

ブラジル「サンパウロ」

先日、NHKBSの世界ふれあい街歩きで、ブラジル「サンパウロ」を紹介していた。
サンパウロ市はブラジル南東部に位置するサンパウロ州の州都で 人口は1,100万人以上のブラジルのみならず南米第一の都市である。
一方、サンパウロは日本人移民の多い街で、それだけに街の通りには鳥居が立ちその奥には神社があったりと、至る所に日本らしさが残る街でもあった。
なぜこのサンパウロに興味を持ったかと言うと、実は昭和30年代の始めに私の5歳年上の従兄が、このサンパウロに移民したからである。
当初は農業を目指したらしいが、途中から食料品や日用品を中心とした雑貨屋をしていた聞いている。
日本人と結婚して子供もいたはずだが、何しろ地球の裏側のことで今ではその子供がどうしているかもわからなくなってしまった。
その従兄は二度と日本の土を踏むこともなく亡くなったしまった。どれほど日本に帰りたかったことだろうかと思うと、自然と込み上げて来るものがある。
その従兄が生前にいまテレビに映っているこの街を闊歩していたかと思うと感慨深いものがあった。

  名月や地球の裏で炭坑節  英世

夏風邪を引いた

一昨日、夜中に喉がガラガラするので水を飲んで様子を見たが、翌朝は喉が痛く少しではあるが鼻水も出た。しまった風邪を引いたと直感した。夏風邪である。
そういえば、いつもは眠りついた後にエアコンを一時間のタイマーで切るようにしているのに、その夜に限って忘れて夜中の三時頃に寒くなって目を覚ました。
定年退職後一度も風邪を引いたことがなかったので、もし本当に風邪だとすれば15年ぶり以上に引いたことになる。
この日は大宰府観世音寺の吟行で、当番の私が休むわけにもいかず、葛根湯を飲んで鼻水をすすりながら何とか我慢することができた。
昨日、行きつけのクリニックで診察を受けたところ、案の定軽い鼻風邪だということで薬を調合してもらい、エアコンの使い方について懇々と注意を受けた。
何とも情けない話であるが、食事の途中でくしゃみをして家内からはしかめっ面をされるし、鼻水と食事がごちゃごちゃになる始末であった。
風邪は万病のもとと言う。しばらくは大人しくして風邪を治すことに専念しなければなるまい。
でも、美女たちとの次の飲み会にはどうしても行きたい。何とも懲りない英世さんである。

  老患を叱る老医者夏の風邪  英世

観世音寺吟行

今回の百年句会吟行は残暑が厳しい中、久しぶりに太宰府市の観世音寺であった。
観世音寺は天智天皇の御代に創建された天台宗の古刹で、何といっても日本最古の一つと考えられている梵鐘で有名である。
さらに今回は吟行としては初めて宝蔵庫を訪ねた。
この宝蔵庫は昭和34年、多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するために、堅固で正倉院風の周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設され納められたものである。
この中には平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体をはじめ、全て重要文化財の品々が収容されており、居並ぶ古い仏たちに盛時の繁栄ぶりがしのばれる。
特に5mを越す仏像がずらりと並んでいる様には圧倒され、中でも私は馬頭観音像に魅せられてしまった。
例によってこの日に詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  しやべらねばどうにもならぬ残暑かな  英世

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一句の風景

記念碑に残る父の名村祭

私の故郷三瀦郡犬塚村(今では久留米市に編入)では、今でも村の玉垂宮という鎮守で季節ごとに祭があるが、その中でも「よど」と言っていた夏祭りが一番楽しかった。
よどは村の中学生が中心となって祭を盛り上げ、この祭に寄り会うことが一種の大人への登竜門みたいになっていた。
祭では米粉を蒸して餡をくるんだ素朴な「よど饅頭」が家々で作られ、お宮ではお母さん方が大豆と昆布と炒り子を大なべで焚いて参拝者にふるまっていた。
その宮には何かの記念の丸い石碑が立っており、その中に「清八」という父の名前を見つけた。我が家が古くからこの地に根付いていた証拠であろう。
その父の名を偲んで賜った句である。
2014年(平成26年)8月「季題:村祭(秋)」

またまた気に入らない話

昨日に続いてあるスーパーでのレジの清算の話である。
買い物籠をレジまで運んで計算をしてもらう。そこまでは同じだが、そこからがこれまでとは全く違うのである。
係員がレジを打ち終えるとそのまま前へ進んでその先の画面を見れと言う。そこには計算された金額が〇〇円と表示され、電子音声で清算してくださいと繰り返し叫んでいる。
目の前の画面にどうしていいかわからず戸惑っているおばあさんは、とうとう私が説明する羽目になった。
結果おばあさんは不安そうにATMのような現金投入口にお金を入れ、出てきたレシートとお釣りを受け取って終了した。
いずれ買い物客はこのシステムに慣れて何の問題も起こらずスムーズに清算できるようになるであろうが、更に進化して将来は買い物籠をレジ台に置けば自動的に機械が計算し、支払いはカードと言うことで、係員がいないスーパーに変るかもしれない。
それにしてもあの係員のてきぱきとした現金を数える技術はどうなるのだろうか。

  秋雨や金を吸ひ込むATM  英世

気に入らない話

今日のタイトルを「気に入らない話」としたが、本当は「対話拒否のスーパー」とでもした方が良いような話である。
私は自分のお酒やおつまみは自分の収入で賄うことにしているので、毎日のようにスーパーに買い物に行き、売り場の棚に飾ってある商品を自分で手に持ち無言でレジに並ぶ。レジには袋の要らない人は、袋不要と書かれたカードを買い物籠に入れてレジに出してくださいとある。
まるで私はあなたと話したくないと言わんばかりである。私はあえて自分の言葉でレジ袋はいらないと言うことにしている。
極めつけがお酒である。
レジにはA4ほどのカードに「20歳以上、YES・NO」と書いてある。酒を買う場合はレジでそれを無言で指差せという。
どうしても確認が必要なら、声を出して聞けばいいものを、何か声を出せば損するかのような態度である。そうでなくとも顔を見ればわかりそうなものなのに。
何れにしても本部の指示、いわゆるマニュアルであろうが、対話を拒むスーパーがのさばる社会に違和感を持っている。
私もだんだん佐藤愛子に似てきたようである。

  秋暑しあなたとは口ききません  英世

私の好きな一句

盆布施のきばりてありしちとばかり  静雲

私の師祖にあたる河野静雲は、私が俳句の道に親しみ始めた時にはもうこの世の人ではなかった。
それだけにその人生や俳句に対する姿勢については人づてにわずかに聞くだけだったが、このほど偶然読んだ岸本尚毅の著書「生き方としての俳句」に、静雲の俳句と共にその人柄について詳しく紹介されていた。
それによると、僧侶である静雲の本質は、虚子をして「底に涙を蔵した可笑し味」と言わしめた人情味にあると言う。
例えば、寺に来るお婆さんたちを「婆々」と評して蔑んでいるように見えるが、実際はお婆さんたちを温かい目で見つめているのである。
静雲の一見特異な句風は、客観写生と言いながらも実は人間臭い虚子の一面を継承したものであると結んでいる。
秋櫻子など中央で活躍した俳人に比べて地味だが、それは地方にあって虚子と直に接する機会が少なかったことに由来していると私は思う。
掲句は典型的な静雲の「底に涙を蔵した可笑し味」の句である。

実体感の無い俳句

今日は実体感の無い俳句について考えてみた。
私自身の話をすれば、身近に俳句の季題の花樹を育て面倒見る訳ではなく、ただ公園や植物園で何とかそれらを探し当てて、じっくり観察して詠むのが慣例になっている。
そこには表面上の写生があるだけで、真剣にその花に心を寄せているかどうかは疑問である。
咲いている花、散り敷いた花びらを詠むのは見ないで詠むよりはるかに良いのは当然だが、そこにはどうしても心が寄り添っていないような気がする。
水や肥料をやり、その花の芽が出て膨らんでやがて満開を迎えて散っていく。その様を見続けることは出来ないからである。
花を育てると言う実体験の無いままに、頭の中でその花の生涯を想像して詠んだのでは、花にあまりにも失礼であり申し訳ないような気がしてならない。
そこには私自身も含めて単なる言葉の転がし、困った時の風頼み、類想句のオンパレードに陥り易いような気がする。
あまりそのことに重きを置くと俳句を辞めざるを得なくなる。そういった意味では無理を承知でお話しているのだが。

  秋風や心変りのせし女  英世

思い出の旅「京都知恩院」

今日はお盆と言うことで今回の旅の話は京都知恩院である。
東京に単身赴任していた頃は休日に急に思い立って旅することがあった。
その単身赴任中に父が不慮の事故で亡くなった年の五月連休は、いつもなら一目散に留守宅に戻るはずだったが、この時私の足は自然と秩父三十四カ所の札所に向かっていた。
また、その年のお盆には家から東京に戻る折に途中下車して京都に降り立った。父の御霊を慰めるために知恩院に詣でるためであった。
浄土宗の我が家では父が一度は知恩院にお参りしたいとよく言っていたことを思い出し、叶わなくなった父の代わりにお詣りしようと決めたのである。
訪ねた知恩院は浄土宗の開祖法然上人が念仏をひろめ入滅した地に建つ総本山で、国宝の御影堂や三門をはじめとする数々の文化財建築物のほか、左甚五郎の忘れ傘などを拝することができた。
知恩院でお数珠を買った。
浄土宗のお数珠は二重に巻いて用いるやや大きいもので、今でもそのお数珠を大事にしている。

  京にゐて父の初盆数珠を買ふ  英世

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私の好きな一句

天の川の下に天智天皇と臣虚子と  虚子

昨夜はお盆と言うことで、久しぶりに家族全員が我が家に集まり食事を共にした。愛莉の学校やお友達の話しに爺としてはただただ目を細めるだけであった。
さて、今回は高浜虚子の太宰府での句で自分の名を詠み込んだ珍しい句である。
俳人の坊城俊樹によれば、「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。(中略)かつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことに想いを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。」と述べている。
天智天皇は白村江の敗戦の後、大宰府に大規模な防衛網を敷いた。その遺跡の水城に立つと、虚子の思いが切々と伝わってくる。

考えさせられる句

昨日に続いて俳句の解釈の話である。
ずいぶん前に固有名詞の句はよほど有名なもの以外は他方の人には分からないので、なるべく地元の句会に出すべきだとお話しした事があるが、今回また考えさせられる句に出会った。
NHK全国俳句大会入選作品集の中に「天高し肥後と豊後の牛の色」と言う句があった。少しひねりの入った句であることは明らかである。
作者は秋晴れの牧場に散らばる牛を見て、肥後と豊後では牛の色が違うんだよと言いたかったのであろう。
私みたいに九州に住んでいる人間には色の違いはすぐ分かるが、果たして全国の人とくに都会の人に分かるだろうか。
ところで、この作者は肥後と豊後のどちらの牧場に立っていたのだろうか。在所が熊本と書いてあったので、多分阿蘇の牧場で詠んだ句であろうとは思うのだが。
ちなみ、「肥後赤牛豊後黒牛草紅葉」と言う、問題の解決になる全部漢字の句を見つけた。
いずれにしても、この二つの句からは故郷を讃える以外の何の感動も得られなかった。
今夜は久しぶりに家族が揃うことになっている。

  秋天や溶岩原に立つ牛親子  英世

どちらが寄りかかっているか

ずいぶん前の話だが、脊振山の尾根歩きで奇妙なものを見つけた。山の斜面で岩と樹がもたれ合い、どちらが寄りかかっているのかわからない姿である。
自然界のことだから突き詰めてみればわかりそうなものだが、岩が樹に、樹が岩に寄りかかっているようにも見える。
実はこのような現象は俳句にも時々見られる。
私が読んだ本の中に石田波郷の「霜の墓抱き起されしとき見たり」と言う句があった。
長谷川櫂は墓が抱き起されるのを波郷が見たと解釈する人がいたが、これは波郷が抱き起されたのである。しかもその墓は波郷がいずれ入るであろう墓で、抱き起された衝撃で波郷が垣間見たのかもしれないと解説していた。
私も霜の墓と言う上五の後のはっきりとした切れで、波郷は病床にある自分が抱き起され、あるはずもない自分の墓を見たのだと解釈した。
このようにどちらともとれる俳句は、連体形や切れの油断などで往々にして生まれがちなので注意しなければなるまい。

  秋暑し寄らば大樹の影とかや  英世

虫除けスプレー

残暑が続く中、毎朝の水やりが私の日課である。
だが、それは蚊との戦いでもある。庭には秋の色が少しずつ見えて来ているというのに、蚊の奴ときたら全く眠ることを知らない。
と言うことで、今朝も草取りと水撒き前に、両手と首筋に虫除けスプレーを噴霧して防御したのだが、それにも関わらずまたまた蚊に刺されてしまった。
両手の肘の裏側を見事に食われたのである。
そう言えば虫除けスプレーは手の表部分と首筋にだけ噴霧し、裏側には噴霧していなかった。
蚊の奴も最初はそれに気づかず刺すことはなかったのだが、今回は見事にその防御癖を抜けて食いついてきた。
刺された場所をかきむしりながら、蚊の奴も経験を積み重ね日々進化しているのだなと妙に感心した。
それにしても痒いのなんの、たまったものではない。

  秋の蚊の今日を最後と集りけり  英世

一句の風景

刑場の声なき声や蝉時雨

唐人町を吟行した時の句である。
唐人町は黒田藩の城下町で、小字の枡小屋とは年貢や酒などを計量する ための公定枡を作るところであった。
安政6年(1859)にはここに囚獄舎が建てられたが、今はその面影はなく小さな公園となっている。
慶応元年(1865)の「乙丑の獄」と呼ばれる勤王か佐幕かでもめた藩内政変では、私の大好きな月形洗蔵を始め14人の勤王の志士がここで処刑された。
その無念の声は蝉時雨となって、今も刑場跡に聞こえるような気がして賜った句である
2014年(平成26年)8月「季題:蝉時雨(夏)」

進むべき俳句の道

昨日に続いて虚子本「進むべき俳句の道」をご紹介しよう。
この本は、虚子がホトトギスに掲載した雑詠第一期・第二期の中の作者及び作句について個別に評論したものである。
緒言で、虚子は「新」と言う文字は若者の特権であるが、上ずった「新」の文字だけが俳句の世界まで浸透することは不本意であると述べている。
また、子規は小主観を嫌って純客観句を提唱したが、虚子は客観の写生の中に主観はあってしかるべきだが、その主観は作り物や借り物ではいけないと、立子の句の主観の良さを取り上げて説いている。
実際の句の評論では個々の俳人の生い立ちや性格を詳細に紹介し、その生い立ちや性格の違いからくる句の特徴を適格に評論している。
冒頭の渡辺水巴(裕福な育ち)、村上鬼城(聴覚障害)、飯田蛇笏(信州住まい)の句には、それぞれの個性の違いが如実に表れており、それを虚子があるがままに評論していることに興味と感動を覚えた。

  秋立つや俳句の道の遠きこと  英世

俳句はかく解しかく味わう

先月、高浜虚子の本を読みまくっている話をしたが、今日はその中で「俳句はかく解しかく味わう」についてお話ししよう。
俳句読本と言えばほとんどが俳句入門書で、俳句の形式、季題(季語)、切れ字とその作り方を解くものが多いが、この本は違っていた。
芭蕉、蕪村、一茶、子規などの古今の200句を一つ一つ丁寧に解説し、その句の表現や背景、そして句の良し悪しをわかりやすく噛み口説いている。
例えば有名な「古池や・・・」の句は、「決して名句とは言えないが、芭蕉が閑寂の趣とその叙写に到達した歴史的価値のある句だ」と言っている。
この書は虚子の俳句感を考察する格好な手がかりがあり、虚子が芭蕉を近代俳句の鏡とする理由などが読み取れる。
俳句を嗜む者にとって一度は手にしてほしい名著である。

  虚子本に埋もれて寝る夜半の秋  英世

七夕

台風は福岡を逸れて行ったが、期待の雨はほとんど降らなかった。
さて、私たちの子供の頃の七夕祭は旧暦つまり今の8月7日であった。俳句では今でも8月の季題になっている。
青竹を伐って来て七夕飾を作るのだが、その頃の我が家には大きな竹藪がありその竹を伐ってくるのが私たち男の仕事だった。その七夕竹の重かったことは今も忘れない。
短冊は姉たち女の仕事で、様々な色の折り紙を短冊形に切り器用に紙縒りを捩って作ってくれた。その短冊にそれぞれが願い事を墨で書くのだが、その墨をする水は早朝の田んぼの稲や里芋の葉っぱに貯まった露であった。
また、七夕団子を作るのは祖母の役目で、丸くなった背中を更に丸めて粉をこねて団子を作っていた姿を今も思い出す。
もう今はそのような七夕祭も思い出だけになってしまった。
ちなみに私が短冊に書いた願い事は「医者になる」であったが、七夕星の神様はとうとう聞いてくれなかった。

  伐って知る七夕竹の重さかな  英世

藤崎界隈吟行

猛暑の中、今回のたんたん句会吟行は、早良区の藤崎界隈を行きあたりばったりに吟行するものであった。
資料によれば、地名の「藤崎」について町内ではかつてこの地から「筑前富士」と称される可也山がよく見えたことから、「富士崎」という地名となったと口伝されている。
藤崎は西新と共に福岡市の西部の住宅地で、周辺には区役所を始め、有名な大学、高校や大きなお寺もあり、そこには歴史上有名な地元の士も眠っている。
今回はその中で、お正月に賑わう猿田彦神社と黄檗宗の大悲山・千眼寺を吟行した。
時あたかも蟬時雨の時期で、蝉の抜け殻が猿田彦神社の御神木の先までびっしりと垂れ下がり、一部は社の注連縄にまでぶら下がっていて、あたりは耳をつんざく蝉時雨であった。
千眼寺では竹林を吹き抜ける風が汗ばんだ私の体を一瞬だけでも慰めてくれた。
昼食は何時ものうどん屋でビールを飲みながらざるそばを食べた。此処のうどん、蕎麦は絶品で、その美味しさにまた行きたいと思わせてしまうほどであった。
例によってこの日の一句をご紹介しよう。

  たっぷりと薬味効かせて暑に対す  英世

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冬野八月号

秋の声はほど遠く、夏の太陽が威張りくさっている中に冬野八月号が届いた。
その中には北部九州大豪雨の犠牲者に対する哀悼の言葉も述べられていた。
例によって冬野入選句とその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野八月号
 夏草や祀る者なき墓の数
 薫風を掴み輪をなすとんびかな
 矢車の風の吐息に添ひし音
 空が好き風が好きなる鯉幟
 二浪子のやる気戻りし五月かな
 十薬の臭ひ根つから嫌ひなり
 跡継ぎの嬰に鉢巻武具飾る
 武具飾る農の血筋の家なれど
 北斎の波を染め抜く夏暖簾
 空梅雨の予感は風の軽さにも
 色香にも進化てふもの七変化
冬野インターネット句会
 電話なき電話ボックス梅雨豪雨
 走り根の岩を噛みたる滝の道
俳句ステーション
 怖いもの見たさに子の眼蛇を追ふ
 隠沼に影と消えゆく糸とんぼ
 鶏小屋に鶏の駆けこむ梅雨の雷
愚陀仏庵インターネット句会
 日本を何処へ導く青嵐
伊藤園「お~いお茶俳句」
 唱歌ほどには団栗の転がらず

切れ字の「や」は「ね」

俳句に切れ字がありそれが一句を引き締めていることはどなたでもご存知のことだが、具体的にその切れ字の「や」はどんな役目をしているのか考えてみた。
結論から言うとその「や」は散文的な詩を韻文にする役目を帯びていると思う。
例えば、私の句の「下萌や都府の礎石は南北に」と言う句を考えてみよう。この句を「下萌の都府の礎石は南北に」とするとどうだろうか。
前者は「下萌や」と切ることで春の喜び、感動を言おうとしていることがはっきりしている。
一方、後者は広々とした都府楼址がこの句の中心をなし、その都府楼址の説明に草が萌え始めたと添えただけで、何の感動もない散文的な句になってしまう。
虚子も言っていたが、「や」そのものには意味はないが、その「や」を置くことでその言葉が強調され生きて来る。つまり「や」は話し言葉で言う「○○がね」と強調する、あるいはダメ押しをする「ね」のようなものではないだろうか。
昨今、「や」や「けり」の切れ字を使った句は古臭いとされる風潮にあるが、その意味
をよく考え、大いにその句を作りたいと思っている。

  万緑やかつて地球は青かつた  英世

私の本棚「虚子本」

いま私の机の上には高濱虚子の「俳句のつくりよう」「俳句はかく解しかく味わう」「俳句への道」「進むべき俳句の道」「回想子規・漱石」の5冊が並んでいる。
また、私の書棚には蔵書の「虚子俳話」「俳諧遊歩」なども並んでいる。
この時期、暑さ対策もかねてよく図書館を訪れるが、この日は目的の虚子の本がなかなか見つからず、サービスカウンターにお願いして、これらの本をあちこちの書架から出していただいきやっと借りてきた。
何れも一度は目を通した本であるが、先日の子規の折にもお話ししたように、もう一度虚子について勉強したいと思い、読み直すことにしたものである。
これらの本を読んでの感想は、今後折に触れてお話ししていくが、虚子の標語、すなわち「花鳥諷詠」「客観写生」「諸方実相」「古壺新酒」「深は新なり」を再度噛みしめ、真摯に伝統俳句に対したいと思っている。

  虚子と居る図書館の椅子涼しかり  英世

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八月の花ごよみ「花火」

納涼花火大会真っ盛りである。
もともと花火はその年に亡くなった人の霊を慰めるためにお盆の時期に行われた。それが何時しか夏の風物詩として、ますます盛んになっていったのである。
と言うことで、昨日は大濠公園の花火大会を見に行った。
大濠公園のすぐそばのマンションに住む句友から、部屋から居ながらにして花火が見物できるからとお誘いを受けていたものである。
都合句友6人が集い、それぞれに自慢の料理を持ち寄って大宴会をしながらの花火見物である。
ビール、酒に焼酎、お寿司にお漬物と豪華なメニューで、さすがはベテランの主婦ぞろいである。
それにしても花火の迫力の凄いこと。ド~ンと言う音に窓ガラスはビリビリと揺れるし、私の心にもずしんと響いてきた。
幾つになっても花火は楽しいものである。

  大濠の窓越しに見る大花火  英世

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