切れ字の「や」は「ね」

俳句に切れ字がありそれが一句を引き締めていることはどなたでもご存知のことだが、具体的にその切れ字の「や」はどんな役目をしているのか考えてみた。
結論から言うとその「や」は散文的な詩を韻文にする役目を帯びていると思う。
例えば、私の句の「下萌や都府の礎石は南北に」と言う句を考えてみよう。この句を「下萌の都府の礎石は南北に」とするとどうだろうか。
前者は「下萌や」と切ることで春の喜び、感動を言おうとしていることがはっきりしている。
一方、後者は広々とした都府楼址がこの句の中心をなし、その都府楼址の説明に草が萌え始めたと添えただけで、何の感動もない散文的な句になってしまう。
虚子も言っていたが、「や」そのものには意味はないが、その「や」を置くことでその言葉が強調され生きて来る。つまり「や」は話し言葉で言う「○○がね」と強調する、あるいはダメ押しをする「ね」のようなものではないだろうか。
昨今、「や」や「けり」の切れ字を使った句は古臭いとされる風潮にあるが、その意味
をよく考え、大いにその句を作りたいと思っている。

  万緑やかつて地球は青かつた  英世

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