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八月が終る


今日で鎮魂と猛暑、台風、水害の8月が終る。まさに気が狂ったような悪天候の8月であった。
連日35度を超える猛烈な暑さで始まり、厳しい残暑に続き台風上陸で仕事が2回も休みになってしまった。その台風で暑さは一息ついたものの、その後は大雨続きで今も秋雨前線は停滞している。
それでも秋は少しずつ近づいている。
蝉の鳴声も殆ど聞かなくなったし、朝の庭にも涼しさが感じられる。何よりも有難かったのは庭や公園で蚊の襲撃が少なくなったことである。
この分なら来月の初めにはまた油山登山を再開できるかもしれない。今から散歩の時間を増やし、足腰を鍛えておくとしよう。

  秋風や故山が我を待っている  英世

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秋出水


かれこれ一週間以上も雨が降り続いている。それも大雨である。
秋雨前線が北部九州に居ずわり、西から湿った空気が次々と流れ込んで大雨となったもので、不幸にも被害は広範囲に広がり犠牲者も出ている。
ここ数年、九州や西日本は大水害に見舞われいまだに復興もままならぬ状態である。
私の家は幸いにも高台にあり水害の心配はないが、それでも避難勧告情報が出るとなんとなく不安に駆られる。
なぜこのような大水害に見舞われるのだろうか。専門家は地球温暖化の影響で、ゲリラ豪雨が発生するからだと言っていた。
人間の生活が豊かになるにつれて温暖化ガスが発生するが、かと言ってこの生活に慣れてしまった人間は後戻りはできない。
それでは私たちはどうすればいいのだろうか。はっきりとした答えは見いだせないままである。

  他人事と思へぬ秋の出水かな  英世

一句の風景


けもの道水澄む川を横切れり

里山の油山にも獣道はある。その獣道を探った時の楽しい思い出の句である。
獣道は大方は猪が通る道であろうが、低い笹薮を分けるように踏みしめ奥へ奥へと続いている。
獣道は一直線に奥へ向かっていたが、その先には清らかな谷水が流れていた。
獣道はその谷水を横切りさらに奥へと続いていた。最後まで確かめることはしなかったが、おそらくその先には子猪を育てる巣穴があるのかもしれない。
そういえば、3匹のうり坊を連れて駆け足で駆けていく猪の母親を見たことがある。
2016年(平成28年)9月「季題:水澄む(秋)」

居酒屋が減っている。


少し前に居酒屋もこれからは自販機の時代かとお話ししたが、実はそのそば屋兼居酒屋が閉店したのである。
倒産したのかまたは別の事情で閉店したのか分からないが、とにかく店はなくなっていた。
もしかしたら、自販機での注文を酔っぱらった客が敬遠したのかもしれない。
それにしても、このところ居酒屋や食堂の閉店が目立つ。
家の周りでもこの前まで安く飲めた居酒屋が突然閉店の看板を出していた。
やはり客の好みの変化やチェーン店の出店などで、よほどの特徴がなければ客足が鈍り経営が苦しくなっているのかもしれない。

  秋風や酒屋に強き風当たり  英世

愉しい本


愉しいというか面白いというか、一風変わった本を読んだ。「転勤・出張族のための九州・沖縄学」というタイトルの本である。
タイトルにあるように転勤族の多い博多を中心に、ビジネスに役立つ情報、観光地、特産品、食事処など様々な情報を提供している。
特に宴会に欠かせない博多一本締めのやり方をはじめ、「かろのうろん」などの博多弁、博多祇園山笠、博多人気質、生活習慣やしきたりなどは福岡に長く住んでいる私も楽しく読ませてもらった。
これらは習うより慣れろかもしれないが、事前に予備知識を持っているのといないのではビジネスなどの会話に雲泥の差が出るであろう。
私も転勤先の地域事情や言葉が分からず苦労した経験があるだけに、身に沁みる楽しい本であった。

  博多駅降りて櫛田へ秋の風  英世

私の好きな一句


かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花  木歩

富田木歩の妹を思う一句である。
富田木歩については前にも紹介したので詳細は省略するが、この句は花街に身を沈めていた妹が、肺を病んで木歩の元に帰ってきた頃の句である。
その病の妹を思う気持ちが切々と伝わってくる。
自分自身も重度の障害を持つ木歩は、それでも懸命に妹の看病をしたが、妹は遂に帰らぬ身となってしまった。
その後木歩自身も関東大震災で死去するという、あまりにもむごい神の仕打ちであった。

四木会「流星」


ふた月に一回の今回の四木会の兼題は流星であった。
この飲み会兼句会では自分たちで次回の兼題を決めることになっており、今回はこの流星になったものである。
流星には星飛ぶとか流れ星などの傍題があるが、その中に夜這星(よばいぼし)なる怪しげな傍題があり、気になって語源を調べてみた。
資料によると、七夕で牽牛と織女が会っているところに、流星が雷の夫婦げんかを報告にくるというもので、原形の卑猥(ひわい)な表現が徐々になくなり、今ではほとんど使われないなくなっている。
子供の頃、流れ星を見ると祖母が「何か願い事をしなさい」と言っていたことを懐かしく思い出した。
その流星を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  星飛んで地球の隅に居ることを  英世

お酒について


昨日の飛行機でのお酒に続いて再びお酒の話である。
自他ともに認めている飲兵衛の私であるが、何故かお酒を飲むとすぐに眠くなる。
前にもお話ししたように、お酒を飲むと10時前には眠くなりテレビを付けっぱなしで寝てしまうことも日常茶飯事である。(タイマーを付けてはいるが)それも殆ど楽しく晩酌を楽しんだ時である。
ところが、ある理由でお酒を飲まなかった日はなかなか寝付けず、12時を過ぎることもある。
世界中に親しまれているお酒は果たしてどんな効果と言うか役目があるのだろうか。
もしこれがコカインとか大麻のような麻薬であったら、国を挙げて禁止するはずであるが、お酒に関しては年齢制限以外は放置してる。
過去のアメリカのように禁酒法が施行されたら困るが、許されているとはいえお酒は楽しむ程度ということが大事ではなかろうか。分かってはいるのだが。

  ポスターの美女にほだされ秋の酒  英世

飛行機の酒は酔い易い


先日は福岡上空の飛行機の多さについてお話ししたが、今日は飛行機で飲むお酒の話である。
飛行機の酒は酔いやすい。
そこで思い出したのだが、私もヨーロッパ旅行中に機内でワインをしたたか飲んで、気分が悪くなり(二日酔)、翌日の予定がまったく台無しになった思い出がある。普段ならあれぐらいのワインで酔うはずはないのだが。
資料によると飛行機内は、地上の8割程度に気圧調節されている。ちょうど富士山の5合目あたりの気圧と同じで、地上より気圧が低いため、アルコールの分解速度が遅くなり、代謝されにくくなるということである。
それ以来俺は酒が強いからと油断することなく、飲む場所はわきまえ、特に山に登ったっ場合は缶ビールといえど飲まないことにしている。一罰百戒である。

  秋の山リュックに酒はなかりけり 英世

消えゆく季題「めはじき」

秋の季題にめはじき、またはめはじき草なるものがある。正式には紫蘇科の益母草(やくもそう)と言うらしいが、めはじきの方が一般によく知られている。
めはじきは、子供がそのめはじき草の茎を短く切り、まぶたの上下につっかえ棒のようにして挟み、目を閉じる勢いで遠くに弾き飛ばして遊んだことからの名前である。 また、目を明らかにすることから、「めはじき」の名がついたともいわれる。
私たちも子供の頃このめはじき草ではなく、車前草(おおばこ)の花芽でめはじきをしてよく遊んだ記憶がある。
季題としての草の名は今も残っているが、遊びそのものは消えてしまったような気がする。

  めはじきの何とも言へぬ笑顔かな  英世

河童

郷土誌や故郷の昔話を読むことが好きだが、福岡のそれには必ずと言っていいほど河童の話が出て来る。このブログでもお話しした事のある、河童の悪戯や河童の恩返しなどがそれである。
先日読んだ「福岡地名の謎と歴史を訪ねて」という単行本にも、河童伝説~筑後川に住みついたユニークな妖怪たち~としてその河童が紹介されていた。
その詳細は省略するが、嘘か誠か、切り取った河童の手が今も旧家に残っているという話には興味がそそられた。
また福岡県にはあちこちに河童の像があり、それぞれに伝説がある。唐人町のせせらぎに立つ河童像や、先日吟行した姪浜神社の豊満な女河童像もその一つである。

  河童棲む筑後の川も澄みにけり  英世

一句の風景

語り継ぐ非戦のこころ秋扇

福岡市の護国神社に特攻記念像が立っている。
特攻を讃えるのではなく非戦を誓う像であることは言うまでもない。
この特攻像の前に立ち、この人たちは終戦の日も知らずに散っていったのかと思うと何とも切ない気持ちになった。
戦中生れながら戦争を知らない私だが、戦争だけは決してしてはしてはならないと孫子に語り継いで行かなければと、改めてこの特攻像に誓ったものである。
2016年(平成28年)⒏月「季題:秋扇(秋)」

博多埠頭吟行

今回の百年句会吟行は、先日もお話しした戦後引き上げの拠点となった博多埠頭であった。
現在の博多埠頭は壱岐・対馬、五島航路など国内の定期航路や、市営渡船、湾内クルーズのターミナルがある。
「博多ポートタワー」や、足元には博多港をPRする「博多港ベイサイドミュージアム」、そして、旅客ターミナルと海産物市場や飲食店等を併設した「ベイサイドプレイス博多」などがあり、にぎわいのある交流拠点となっている。
曇天で久しぶりに涼しかったこの日は、いま何かと話題になっている外国人の数も多く、子供たちが楽しそうにプレイス内を走り回っていた。
吟行ではそのプレイス内を巡り、引揚碑を訪ねて引揚者の苦労とその時代を偲んだ。
その博多埠頭で詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  秋暑き博多埠頭に見る戦後  英世

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もったいない話

もったいない話
今日はまだ車で図書館に行っていた頃の話である。
ずいぶん前に路線バスのグランドパスを忘れて往復のバス代を払ったお話をしたが、今回もそのようなもったいない話である。
いつものように図書館に行って、何気なしに時間を見ようと携帯を操作したら、仕事先からの不在電話記録が残っていた。
何事かと外に出て電話をすると急ぎ今後の予定を連絡してくれという。しかし、それは家に帰ってスケジュール表を見ないと返事が出にない内容だった。
相手にその旨伝えて急ぎ帰宅しようとしたときに問題は起きた。
図書館の駐車場は受付で利用証明を受けると2時間までは無料であるが、私は慌てていて証明を貰わずに料金所に来てしまった。
後ろからは次の車がピタッとつけているし、今更バックして証明書を貰いに行くわけにはいかなかった。
私は大した料金ではあるまいと高をくくって駐車カードを差し込むと、何と450円の請求である。何とももったいない出来事であった。
今は免許も捨ててそんな目に会うこともないが。

  秋雨や急いては事を仕損ずる  英世

私の本棚「あれから七十三年」

昨日の8月15日は終戦記念日ということで、「あれから七十三年」と言う本を読んだ。
タイトルからも分かるように昨年出版された半世紀以上も前の話で、サブタイトルに「十五人の戦後、引揚体験記」とある。
先の敗戦時に苦難の末にどうにか博多港に引き上げてきた人たちの体験記で、昭和20年8月15日を境に天国と地獄を味わった人たちの偽らざる手記である。
博多埠頭の奥深くにこのブログでもお話したことのある「引揚記念モニュメント」が静かに立っている。
ただ、そのモニュメントだけでは語られない引揚者の苦労を、この本は赤裸々に語っている。
実は私の父も朝鮮全羅南道の木浦に開拓団として移住し、イチゴ園を経営していた。ところが、訳はよく分からないが運よく戦前の昭和16年に家族を連れて日本に帰って来た。
もしそのまま朝鮮に残っていれば、終戦時2歳の私も姉たちもこのような苦労をして引き揚げたか、あるいは異国の地に眠っていたかも知れない。
戦争は決してしてはいけないと思い知らされた一冊である。

  戦争は人類の悪敗戦忌  英世

福岡の上空

今日は台風接近ということで、仕事が休みとなった。一月に2回も台風で休みになろうとは思いもよらなかった。
さて、夕方は近くの公園を散歩しベンチで一休みするのが習慣になっている。
先日も夕方5時ごろ公園の上空を見上げると、轟音と共に飛行機が空港方面へ飛んで行った。そう言えば福岡空港の発着数は、全国でも屈指の混雑ぶりだと聞いたことがある。
調べて見ると一年間に17.8万回で、1日当たり480回と想像もつかない回数で、全国でも第4位という多さであった。
ベンチに座って、「そうだ、飛行機が10機飛んだら帰ろう」とくだらないことを思いついた。
ということで、約束の10機が飛んで時計を見ると5時35分、つまり3~4分に一機の割合で飛んでいる勘定になる。飛行機の飛ぶ回数が時間の目安になるとは思いもよらないことであった。
それにしても飛行機の俳句は詠みにくい。
飛行機と言う言葉が長く固い感じがするからで、中には飛行機を飛機と縮めて詠む人もいるが、私はこの飛機はあまり好きではない。

  秋天に飛行機の腹見上げけり  英世

お盆の植物園

昨日は台風接近の前にと久しぶりに植物園に行った。
折しも暑さとお盆と言うこともあって、いつもは子どもたちで賑わう植物園も奇妙なほどに静かだった。
園内に入るとさっそくひまわりの群落が迎えてくれた。背が低く寄せ植えになっているもの、背が高く一本仕立てのものとひまわりも様々である。
さっそくカメラに収めようとスイッチを入れたところ、カードがありませんとのメッセージ。しまった先日パソコンに取り込んだ時にSGカードを差し込んだままにしていたのである。残暑ぼけとしか言いようがない。
それでも園内には瓢箪が収穫時期を迎えていたし、残暑が厳しい中に百日紅の花が涼し気に咲いていた。展示会場では朝顔展も開催されていた。
また、足元を見るとヤブランが今を盛りと咲き誇り、紋黄揚羽が流れに影を落としてひらひらと飛んでいた。
カメラ撮影が出来なかったので、今日は残念ながら画像なしである。
なお、今日の一句は先月植物園に展示してあった噴水を詠んだ句をご紹介しよう。

  噴水に高さ制限有りにけり  英世

終戦の日

鴻臚句会の一方の兼題は、終戦記念日とか終戦忌、敗戦忌などとも詠まれる「終戦の日」であった。
じつは、ホトトギス歳時記には当初この終戦の日は季題になっていなかったが、2010年の改定で新しく季題になったものである。
昭和20年(1945年)8月15日、長く日本人を苦しめてきた太平洋戦争がこの日に終わり、二度と戦争の過ちを繰り返さぬよう、平和への誓いを新たにすべき記念の日である。
私は戦中生まれながら戦争の記憶は全くない。しかし、叔父たちの戦死や復員のことは母からよく聞かされたし、戦後都会から着物を持って米と交換しに来ていた人たちのことはよく覚えている。
ただ、実際に終戦の日を体験した人の句と自分の句では全然迫力が違う。
福岡の護国神社には特攻隊の碑が建立されている。その碑を見ているうちに彼等は終戦も知らずに散っていったのかと妙な感慨にふけったものである。
その終戦の日を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  終戦日知らず佇む特攻兵  英世

立秋

今回の鴻臚句会の兼題は「立秋」と「終戦の日」であった。
まず秋立つとか秋に入る、秋来るなどと詠まれる立秋だが、二十四節気の一つで8月7日か8日ごろに当るが、今年は8日であった。
日本のほとんどの地域では暑さはまだこれからだというのに、秋の句を詠むという矛盾に苦労させられる。
とは言え、秋は確実にやってくる。夏の太平洋高気圧が一時的に衰え、雲や風の様相に秋の気配が忍び寄ってくる。
なお、立秋は何処か待ち焦がれた思いがあるので、今朝の秋、今日の秋などとも詠まれる。
その立秋を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  立秋の山近くなり深くなり  英世

一句の風景

雲の峰より降り来たる鳶の笛

福岡市西公園を散策した時の句である。
西公園の万葉歌碑の岬からは、博多湾から遠く玄界灘が見渡され、中を分けるように能古島と志賀島が浮かんでいる。
潮風を浴びながら汗をぬぐっていたら、突如志賀島の上空に灰色の雲が湧き出してきた。俳句で言うところの雲の峰である。なんとなく生ぬるい風も吹いて来た。
その雲の峰と生ぬるい風に異変を感じたのか、空高くから鳶が猛スピードで降りてきた。あたかも雲の峰から逃げるように。
2016年(平成28年)8月「季題:雲の峰(夏)」

西日本歳時記

昨日、おきゅうとは西日本歳時記に採用されているとお話ししたが、その西日本歳時記についてご紹介しよう。
この西日本歳時記は昭和39年6月から3年間にわたり、「冬野」第二代主宰の小原菁々子先生が西日本新聞に連載されたものを、西日本歳時記としてまとめられたものである。
編者の言葉によれば、「西日本の風土に根ざした身近な季題(中略)、行事や風習なども各地の地方色の濃いものを頻繁に取り上げ、過去の隠れた人材を紹介するため、忌日の説明も多くなり、動植物も人や風土と関係づけて説く傾きがつよくなった」とある。
捲ってみると、このおきゅうとを始め「川下り」「幸若舞」「けしけし祭」「台湾ドジョウ」などホトトギス歳時記に採用されていないものが数多く取り込まれている。
季題としては全国的には通用しないもの、消えゆく存在のもの、特殊過ぎて一般に知られていないものなどもあるが、句作の参考としてそして楽しい読み物としていつも手元に置いている。

  龍踊の長﨑が我が出発点  英世

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おきゅうと

朝5時23分、東の空にきれいな朝焼けが広がっていた。朝焼けは天気が崩れるというが、予報では大きな太陽のマークであった。
さて、この時期懐かしく思い出すのが、おきゅうとである。
あのところてんに似たさっぱりした味わいは、かつては福岡の夏の食卓に欠かせないものであった。
おきゅうとはところてんとよく混同されるが、おきゅうとがエゴノリを原料としているのに対し、ところてんは天草を使用している。
いずれもゴマやネギなどを薬味に酢醤油で食べるが、おきゅうとには鰹節を掛ける人も多い。味には微妙な違いがあるというが、最近おきゅうとを食べていないのでところてんの味しか分からない。。
おきゅうとはもともとは福岡市の博多地区で食べられていたようだが、その後福岡市全体に広がり毎朝行商人が売り歩くほど、福岡ではポピュラーな食べ物であった。
ところが、1990年代から福岡県内では原料のエゴノリの不漁が続き、かつてに比べて消費が低迷しており、今では我が家の食卓に上ることはない。
また一つ懐かしい風景が消えて行く。

  おきゅうとで博多の朝の明けにけり  英世
  *おきゅうとは西日本歳時記に採用されている(夏)

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草取り

庭の草取りをせまられていたが、あまりの暑さに先送りにしていたところ、台風の影響で久しぶりに待望の雨が降り、この時とばかりに草取りをした。
台風が過ぎ去り小康状態を得た夕方から草取りを始めたが、風が吹いて予想以上の涼しさに休憩も取らず一気に済ませてしまった。
草を取りながら妙なことに気が付いた。何時もの夏よりも草が少ないのである。草が少ないので一気に済ませることが出来たのかもしれない。
いつもなら、背丈の高い草や腰の強い草、苔類などが多いのだが、今年は草がまばらにしか生えていない。草とは言えあまりの暑さに成長が止まってしまったのだろうか。
それにしても相変らずの蚊の襲撃には悩まされた。
きれいになった庭で手足をぼりぼりかきながら、早くも晩酌のビールのことばかり考えていた。

  庭仕事済ませビールの美味さかな  英世

午後からの勤務

昨日は台風の影響で勤務が中止となった。
私の勤務は午前、午後、夜と三交代シフト制であるが、そのことで少し悩みがある。
朝9時からの勤務は長年のサラリーマン生活で慣れているので支障は無いが、問題は午後からと夜の勤務である。
その日の勤務前の時間に全く自由が利かないのである。
ちょっと出かけようと思っても、もしも事故にでも会って勤務に支障が出たらと思うと二の足を踏んでしまう。仕方がなく本を読んだりして過ごすのだが、通常の休日とはやはり何かが違う。
また、食事も時間がまちまちで、夜遅くの食事は外で軽く食べるか、ついつい抜いてしまうことも多い。
聞けば同僚もまったく同じということであった。

  我が勤務夏休などなかりけり  英世

読む人に合わせて

このブログをはじめ、随筆や俳句が好きで何年も書き続けているが、このところこれでいいのかという壁に突き当たっている。
文章や俳句というものはそもそも読む人があってのことであり、その読む人を大事にせずに一人よがり、つまり自己満足に陥っているような気がして仕方がないのである。
自分の言いたいことをしかも美辞麗句で飾り立てて、自分一人で悦に入っているような気がしている。
特に俳句に於いては、他人はこのような表現もしくは言い回しに気付かないだろうと、自己満足していたら、選者の評価は最低だったりする。
これからは自分の言いたいことはなるべく抑えて、読む人が心地よく感じるような文章や俳句に努めるようにしよう。
そのためには自分の虚心を捨てて、読者に沿って素直にならねばなるまい。

  読み人に届けとばかり秋の風  英世

冬野八月号

猛烈な暑さの中冬野八月号が手許に届いた。
相変わらず雑詠選の不振は続いているが、冬野を止める訳にも行かず、黙々と努力するしかあるまい。
例によって冬野並びにその他の句会の入選句をご紹介しよう。
冬野8月号
 これからも二人の暮し新茶汲む
 考の小屋残る生家や柿若葉
 岬一つ包み込んだる新樹かな
 万葉のゆかりの里や風薫る
 自販機の釣銭ことと夏初め
 踊子草踊り疲れの見えにけり
 夏めくや無難な白を着て旅に
 夏めくや海に向き変ふ風見鶏
 生涯に一度銀座の鰻かな
 供華めける年尾句碑辺の花菖蒲
冬野インターネット俳句
 余所者も一日博多の山笠のぼせ
 酒飲みを選りて蚊の寄る屋台かな
俳句ステーション
 緑陰に息を整ふ神楽面
 水一口飲んで難所の滝目指す
 邂逅にまづ暑さ言ふ交差点(特選一席)

舞鶴公園吟行

今回のたんたん句会吟行はまたまた舞鶴公園であった。
新装なったばかりの美術館に集合して、その界隈を吟行するのであるが、足はやはりお城の方に向い裏城址の古池(通称:首洗い池)を巡った。
蝉時雨が耳をつんざく首洗い池はいま睡蓮が真っ盛りだが、これも詠み飽きたなと思っていると鴨の番が泳いできた。通し鴨である。
通し鴨の兼題の時もお話ししたが、どういう理由で日本に残ったのか鴨に聞いて見なければ分からない。
お城の木陰を縫って歩いていると道おしえ(斑猫)が群れをなして私たちを迎えてくれた。道おしえがこんなにいるとは驚きであったが、勝手ばらばらに道を教えるのでその指示に従うわけもいかず、真直ぐに大手門の蓮池に向かった。
お昼は何時もの冷麺とビールであった。
その舞鶴公園を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

 二匹して違う方指す道をしへ  英世

私の本棚「絶滅寸前季語辞典」

夏井いつきの「絶滅寸前季語辞典」を読んだ。
実はこのブログでも消えゆく季題と称し、知ったかぶりして少々の解説を加えてきたが、あまりにも候補の季題が多いので、「えいやっと」まとめて読むことにしたものである。
開いてみると「あるは、あるは」、私の全く知らなかった季題や知っていても今までに使ったことのない季題が次から次へと出てきたのである。
その大方は年中行事に関するもの、気候風土に関するものであったが、中には意外と一般的な季題の傍題もありその多さに驚かされた。
例えば鶯の傍題は「春告鳥」が有名だが、ほとんどの人が使わない歌詠鳥や琴弾鳥も鶯のことであった。
他にも貌鳥(ホトトギス、カッコウ、オシドリあるいは実在しない鳥?)や呼子鳥(ホトトギス?)など得体のしれない春の鳥もある。
特に感動した季題に暖鳥(ぬくめどり)があった。
冬の寒い夜に鷹が小鳥を捕らえて掴み、その脚を暖め翌朝これを放してやるということであったが、果たして実在する話なのであろうか。何か日本人の精神構造を象徴しているようにも思えるのだが。
この「絶滅寸前季語辞典」には続編があるらしいので、いつか見つけ出して読んでみたいと思っている。

  庭先に父と二人の露台かな 英世

初秋の花ごよみ「木槿」

今朝水撒きしていたら芙蓉の葉っぱの上に小さな飛蝗がいた。近くには彼を狙うかのように蜥蜴が潜んでいる。立秋はもう少し先だが、我が狭庭にはすでに秋の気配が漂っている。
さて、いま木槿が花盛りである。
私はこの木槿に何となく親しみを感じている。芙蓉のような華やかさはないが、あの清楚な姿が好きなのである。
木槿は平安時代に中国から薬用植物として伝わったらしい。
この時期、5~6センチほどの五弁の花を開き、その大方は紅紫色であるが、たまに白やピンクや黄色を見かけることもある。
中でも底が赤みを帯びた底紅と言う槿は俳人好みである。
この木槿は美しいが朝開いて夕方には萎んでしまうことから「槿花一朝の夢」として栄華の儚さにも例えられる。そのことがこの花が好きな理由の一つかもしれない。
ちなみにこの木槿は父が開拓のために青春時代を過ごした韓国の国花である。

  我が父祖の拓きし唐土花槿  英世

八月に入る

今日から八月である。8月8日が立秋で暦の上ではもう直ぐ秋ということになるが、本格的に暑いのはこれからである。
八月と言えば夏休の楽しい思い出である。
前にもお話しした事があるが、私は子供の頃夏休になると親戚の家に何日も泊って、年上の従兄たちと魚を獲ったり泳いだりして遊んだ。
特に楽しかったのは、年かさの従兄に連れられて野鯉を取りに行った時のことである。
従兄は投網を用意してクリークの水面をじっと見つめ、やがて水面に二筋三筋の泡が立つと、そこをめがけて網を打った。
網には狙い違わず50~60センチほどの大鯉が入っていた。
もちろんそれは夕食の食卓に上ったのだが、八月になるといつも思い出す楽しい出来事である。
その従兄たちも今は鬼籍に入ってしまった。

  太陽の子に戻りたる夏休  英世

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