俳句の擬人化表現

ある知人(俳人)のブログに、最近の俳句界における擬人化の蔓延に疑問を呈すると言う記事があった。私も常々この俳句の擬人化に疑問を持っていたので拍手喝采である。
特に戴けないのが動物の擬人化で、犬や猫が人間と同類かのような表現や、彼らが人間と同様にものを考え行動しているような句は虫唾が走って仕方がない。
作者は人間(自分)の考えを動物を通じて表現し、さも動物にやさしく接しているつもりだろうが、自宅で飼っている犬を「うちの子の○○ちゃん」と呼んでいることの延長線上にあるようで鼻持ちならない。
また、私の嫌いな言葉に「鳥語」がある。鳥は囀るものであって決して言葉(語)を話すことはない。鳥の声をわざわざ鳥語と言い、表現として鳥語降るなどとは一体どういうことを言いたいのかさっぱりわからない。平明に鳥鳴くではいけないのだろうか。
動物に限らず「風が喜ぶ」や「風がささやく」「風が招く」など、風が何らかの意思をもって動いている、または行動したがっているような自然現象の擬人化も、使い方を間違うと句が理屈っぽくしかも安っぽくなるように思えてならない。
断っておくが、これはあくまでも私個人の意見であり、その自然の擬人化こそが素晴らしいと言う作者や選者の大先生がいることや、例外として「亀鳴く」「蚯蚓鳴く」の季題があることは承知している。

 薫風や風に我が意のあるやなしや  英世

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