一句の風景

麦飯や父の貧しさ子の知らず

私の子供の頃はご飯と言えば麦飯が当たり前であった。今でこそ健康食品だなどと言われているが、その頃はまた麦飯かと私をがっかりさせたものである。
特に姉たちが持っていく弁当には、母ができたてのお釜の底から麦の少ない部分を掬って詰めていた。私達が食べる残ったご飯は当然麦の比率が高くなりぽろぽろで、私は米を家で作っているのだろうと父に文句ばかり言っていた。
父はそのたびに私をたしなめたが、どことなく寂しい顔をしていた。当時は家が貧しく作った米は農協に売りに出す貴重な現金収入だったのだが、子供だった私には父の苦労などわかるはずもなかった。
2013年(平成25年)5月「季題:麦飯(夏)」

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