消えゆく季題について

ずいぶん前に時代とともに消えゆく季題がたくさんあり、歳時記から消去したらどうだろうかとお話ししたことがあるが、その後私の考えに少し変化が起きてきた。
つまり、現在通用しなくなった季題とは言え、日本人の生活や文化の記憶として残しておくべきではないかと思うようになったのである。
昨日もお話ししたが、消えゆく季題には季題としての本来の意味からずれてきたものがたくさんある。
特に生活に密着した季題は、科学の進歩とともに本来の意味からずれてくるものが多いが、そのこと自体は仕方がないことである。
ただ、生活の中でその行事や仕事が完全になくなったわけではないので、その季題は消去してしまうのではなく、新しい解釈が求められるべきではなかろうか。
そういった意味では新歳時記から新々歳時記に移行する時には、その季題に現代の様子や解釈を付け加え残すべきだろうと思い直したのである。
これからはその新しい解釈で句を詠むことにも挑戦してみたいと思っている。

  手に馴染む古き歳時記秋灯  英世

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