私の本棚「ホトトギス巻頭句集Ⅰ」

ずいぶん前に「ホトトギス巻頭句集」を読んだとお話ししたが、先日来その本をあらためて読み直してみた。
そこで気がついたのだが、ホトトギスでは当初は投句者の表示は俳号のみを記してきた。
ところが、大正5年5月号より地名をふり、大正13年8月号からは苗字と俳号を記すようになったのである。その後また地名と俳号だけの時期があったが、最終的には今の地名、名字俳号に落ち着いた。
どうしてそうなったのか考えてみたが、明確な解答は浮かばなかった。
選者の思い付きまたは何らかの意図があったのか、読者からの要望か、投句者からの要望かはっきりしない。
長年経つと似たような俳号の人、特に本名では全く同じ人が増えて何らかの区別をする必要に駆られたではなかろうか。
ちなみに私の所属する冬野も現在は、地名、名字俳号とそれに倣っている。

  紫陽花や我が俳号はEISEIさん  英世

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