写生句とは

今日は写生句について考えてみよう。
虚子に客観写生と言う言葉があり、いろんな俳句手引き書でもそのことについてページを割いている。
対象物を一心に見よとか、対象物の方から何かを語りかけて来るなどの表現で、客観写生の重要性を説いている。
ところが「炭」の兼題がでた先日の句会で、この句は本当に写生句なのだろうかと思われる句がたくさん出てきた。と言うよりほとんどの句がそのように思われた。
今日、一般の家庭で炭を見ることはほとんどなく、茶室かお寺、焼鳥屋で見る程度である。
それなのに、自宅で炭を使っているかのような句がたくさん出てきた。「炭を囲んで母子の対話、炭継ぎ足して迎える宿、炭のもてなし、炭がはじける中で酌む、炭焼き・・・」などの句を読んでいるとどうしても納得がいかなかった。
ほとんどが過去の思い出の句と思われる。思い出を句にすることを悪いとは言わないが、思い出なら思い出らしく詠むべきだと思う。
何十年後かに冬野誌でこれらの句を読んだ人は、平成の世も各家庭で炭を使っていたのかと誤解するのではなかろうか。
テレビの美術番組「美の壺」で備長炭の美しい菊炭を見ながら、そのようなことを考えていた。

 冬の夜や己が俳句を顧みる  英世

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://hideyo.blog69.fc2.com/tb.php/965-5c6d9513

 | BLOG TOP |