今年の十大ニュース

今年も残り少なくなった。
今年を振り返ってみたが相も変らぬ平々凡々とした一年であった。そのような中で恒例の今年の私の十大ニュースを考えてみた。
⑴ 一年間風邪もひかず健康で過ごせたこと
⑵ 家族全員が健康で無事であったこと
⑶ ブログを書き始めて十年を迎えたこと
⑷ 俳句の会鴻臚が十周年を迎え記念式典を行ったこと
⑸ 高校の親友松田正也君を亡くしたこと
⑹ 進学塾の仕事を無事に続けられたこと
⑺ 俳句の会鴻臚で選者になったこと
⑻ 足の指のけがで山を断念したこと
⑼ 月二回の図書館通いを欠かさなかったこと
⑽ 地震を機に部屋の断捨離を実行し模様替えしたこと

    指折りて様々想ふ師走かな  英世

博多埠頭吟行
今回の百年句会吟行は珍しく晴れ渡った博多埠頭であった。
実は、この博多埠頭のことは一年ほど前に、俳誌「冬野」に「吟行あれこれ」として執筆し紹介したことがある。
博多埠頭は博多と玄界灘に浮かぶ島々や韓国を結ぶターミナルであるが、その博多埠頭は二つの顔を持っている。
一つは終戦当時海外から139万人もの人が引き揚げてきた港ということである。悲惨な戦争で苦心惨憺して引き揚げてきた人たちの眼に、やっと着いた博多埠頭や遠く日本の山並はどのように映っただろうか。引揚記念碑を見ながら非戦の誓いをあらためて強めて行った。
もう一つは、ベイサイドプレースやポートタワーと言った娯楽施設で、大きな水槽に泳ぐ様々な魚を鑑賞したり、レストランやショッピングモールを備え親子ずれや旅行客で一年中にぎわっている。そのレストランでお昼にいただいた海鮮丼の美味しかったこと。
例によってその博多埠頭を詠んだこの日の一句をご紹介しよう。

  引揚の語部なりし冬港  英世

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2016121809380000 (002) 2016121811160000 (002)

一句の風景

大根干す風の機嫌を聞きながら

子供の頃沢庵を漬けるための大根干しはほとんどの農家では当たり前であったが、最近は沢庵を家で漬けることもなくなり大根干しもほとんど見なくなった。
その大根干しを早良の民家で久しぶりに見た。
昔のように大きな丸太や竹を組んで大量に干すのではなく、10本ほどを風通しの良い物干しに干したものであった。これでもれっきとした大根干しである。
さながら風の機嫌を聞いているようであった。。
2013年(平成25年)11月「季題:大根(冬)」

医者の言葉 Ⅲ

昨日お話した入院先の先生の話である。
後でわかったことだが、私が青息吐息で入院した病院の先生は、九州でも屈指のレントゲン診断と肺炎の専門医であった。
先生は一通り私を診察すると、「安心しなさい。きっと私が助けてあげますよ」と言いってくださった。助けてあげると言われるほど私の病状はひどかったのである。
薄れ行く意識の中で、「きっと私が助けてあげますよ」と言う言葉だけを耳に、私は眠りこけてしまったのである。
翌朝気が付いた時には私はまだ生きていた。
医者の「きっと助けてあげますよ」と言う言葉に励まされ生き残ったのかもしれない。
私は20日後に無事退院したが、その間医者の言葉について真剣に考えていた。
病気に限らず人々に勇気と希望を与える言葉、そしてそれが単なるおべっかではなく、心の底からの言葉に人間は勇気づけられるものだと知ったのである。
病気の私ではなく、健康な私として肺炎を直してくれた先生ともう一度会いたいものである。

  秋風や人の言葉の薄っぺら  英世

一句の風景

露けしや自分史にみる老の文字

自分史代わりに毎日ブログを書き、時折エッセイを書いたりしている。ブログは公開しており誰でも覗くことができるので、不謹慎なことを書く訳にはいかない。
ところが、このところそのブログやエッセイに「老」の字が多くなったような気がする。日常特別に自分が老いたとは思わないが、心の隅に老いの恐れが忍び寄っているのかもしれない。
古希を迎えた年の句である。
2013年(平成25年)9月「季題:露(秋)」

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