久しぶりの里帰り
九州地方は昨日梅雨に入ったらしい。しばらく旱が続いたので歓迎する農家も多いのではなかろうか。
さて、一昨日は急に思い立って久留米市の実家を訪ねた。
いつものようにさっそく仏様を拝みお墓にお参りした。おおよそ一年半ぶりぐらいになるであろうか。
ところが、実家を訪ねてみると弟は不在で、聞けば麦の収穫に行っているということであった。
しかも自分の田んぼではなく、他人の田んぼを農協に勤めていたことのある弟を中心に、有志が団体を組んで収穫しているということである。つまり会社組織に似た農業の未来形と言うか、結い(私の田舎ではもやいと言っていた)の名残と言ったところだろうか。
久留米市に合併した実家の周辺は、筑後平野のど真ん中で農業が中心と思っていたら、今や農業は経験のある老人の共同作業だということである。
つまり、若者は街に働きに出て専業で農業をやっている人はほとんどおらず、弟のような老人の経験者の結いに頼るしかない。つまり人はいるけど農業過疎地なのである。
村の変貌に驚きつつも、帰りには佐賀の熊野川温泉のぬるい元湯にのんびりと浸かり英気を養った。その後に食べた蕎麦もことのほか美味しかった。

麦刈の埃の中を里帰り  英世

一句の風景

卯波立つ海女の手桶の浮き沈み

一枚の写真を見て俳句を詠めという写真俳句なるものがある。
インターネット俳句会の兼題に紙上吟行、つまり「写真を見て季節を感じ取り俳句を詠め」と言うコーナーがあった。
伊勢志摩の海女の様子の写真が電送され、そこから俳句をと言うのだが、私は伊勢に行ったことはあるが、実際の海女の素潜り漁は見たことがなかった。
どのように詠もうかと思い悩んでいた時に、たまたまテレビで漁の様子を見たことを思い出して、「えい、や~」と勢いで詠んだ句である。
決して正当な俳句の詠み方ではないが、たまには句作りの勉強にいいのではと無理やりに自分を納得させできた一句である
2014年(平成26年)5月「季題:卯波(夏)」

五月に入る

今日から風薫る五月そして職場もクールビズとなる。
また地元福岡ではどんたくの5月である。
福岡の代表的な祭りと言えば博多山笠そしてどんたくであるが、それらは実は博多の祭りである。
福岡市はかつて城下町の福岡エリアと商人の街博多エリアがあったが、明治時代に合併することになり、結果的に福岡市となった。博多と言う名称は博多駅や博多座などに残っており、市民の心の中には今も博多と言う街が郷愁として刻み込まれている。
肝心の祭りはなぜか博多つまり商人を中心とした庶民のエリアだけで、福岡エリアにはこれと言った祭りはない。
博多と言えば昔からの大商業地で、武士に対抗した商人がその力を誇示するものとして祭りが盛んになったのではなかろうか。
そんな歴史に思いを馳せながら、今年もどんたくパレードを見に行くとしよう。

  どんたくや見るも踊るものぼせもん  英世

一句の風景

永き日の悠々自適といふ無聊

昨日はあまりのうららかさに急に思い立って、約30分歩いて近くの日本庭園「友泉亭」を訪れた。新緑の眩しい光を愛でながらお抹茶をいただき、庭をゆっくり散策してのんびりとしたひと時を過ごした。
さて、今日の一句はそんな昨日とは打って変わって、春の日永にすることもなく退屈な雨の一日のことである。
じっとしていることのできない私は晴れていれば植物園に行ったり山に登ったり近所を散歩したりするのだが、この雨ではどうしようもない。
定年退職後、別に経済的にゆとりがある訳ではないが、他人から見れば悠々自適の老人に見えるだろう。
ところがこれほど退屈なことはない。
俳句関係の本を引っ張り出したり新聞を読み返したりしても、私の無聊を慰めることは出来なかった。
2014年(平成26年)4月「季題:日永(春)」

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一句の風景

草餅のうすき焼印老舗茶屋

太宰府名物に私の大好きな梅が枝餅がある。
いつもは白い餅に小豆の潰し餡が入っているのだが、この時期だけ特別に草餅の梅が枝餅が売り出される。
吟行のついでによくその鶯色の梅が枝餅を食べるのだが、よく見るとそこには可愛らしい梅の花の図柄が焼き付けられていた。
なんとなくほのぼのとした気分を句にしたものである。
2014年(平成26年)3月「季題:草餅(春)」

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