またまたまた舞鶴公園吟行

昨日の百年句会吟行はこの春三度目の舞鶴公園であった。
この日は昨夜の大荒れの天気から一転して春らしいうららかな吟行日和で、残りの桜や咲き始めた藤の花などを愛でながら気持ちよく吟行することができた。
例年ならとっくに桜は散ってしまっているはずなのに、今年は出だしが遅かったせいかまだまだたっぷりと楽しむことができた。
特に城内一杯に咲き誇る八重桜は、今が盛りで触れれば零れるほどの咲きっぷりであった。
一方、牡丹園では本来五月のはずの牡丹が次々と花を咲かせ、緋や白のボタンを見ているとさすがに花の女王だと、その妖艶さにうっとりとさせられた。
この牡丹をどう詠むかだが、春の牡丹では説明的で弱すぎる。ここは季節を先取りして強く詠むしかないと覚悟を決めた。
今日はその牡丹の一句をご紹介しよう。

  ぼうたんにため息深き漢かな  英世

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鞦韆

もう一つの兼題「鞦韆」とは「しゅうせん」と読み、ぶらんこのことで「ふらここ」、「半仙戯」とも言う。
公園などで子供が揺らして遊んでいるこの鞦韆が、なぜ春の季題なのか気になったので調べてみることにした。
歳時記によると「中国の古い話に、寒食(冬至の後百五日目の日に、風雨が強く火を断って冷食した)の日に宮殿でぶらんこを作って官女たちが戯れたとある。」そのことから春の季題とされたのである。
そんな理屈はどうでもよいが、冬から解放された子供たちが青空に向ってぶらんこを漕ぐ姿は、躍動感を伴ってどうしても春の季題でなければならないと思った。
その鞦韆を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  鞦韆の子の太陽を蹴上げけり  英世

花一切

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今回の鴻臚句会兼題は「花一切」と「鞦韆」であった。
まず花一切だが、花とはもちろん桜のことで、つまり桜に関する季題なら何でもよいということになる。
花の季題を探って詠むわけであるが、その季題の選択が難しい。
と言うのも花に関する季題は本命の花、桜に加え、花見、花曇、花見、夜桜、残花と数えきれない。
ただし、里の桜が終ったゴールデンウィークの頃、山奥などでたまに見かけることのある桜を余花と言うが、これは夏の季題なのでここでは外すべきであろう。
兼題が花と言うことで、句会の後はみんなで舞鶴公園に夜桜見物に出かけ、ご馳走とビールをいただきながら、ライトアップされた夜桜を存分に堪能した。
ということで今回詠んだ花の句の中から今日の一句をご紹介しよう。

  日本の駅また駅の桜かな  英世

一句の風景

一匹が動けば蝌蚪のみな動く

脊振山に登った時の句である。
脊振山頂の広場には涸れることのない龍神の池がある。何故涸れないのかはよくわからない。
でも、その池の水は飲めない。なぜならばそこには無数の蝌蚪、つまりおたまじゃくしが湧いているからである。
親の蛙を見たことがないのでどんな蛙の子かわからなかったが、インターネットで調べたところどうもヤマアカガエルの子供と言うことであった。
そんなことはどうでもいいが、そのうじょうじょいるおたまじゃくしはいつもは静かにしているが、何かの拍子に一匹が動くと我もわれもと動き出す。
まるで幼稚園児のように。
2014年(平成26年)4月「季題:蝌蚪(春)」

またまた舞鶴公園吟行

今回のたんたん句会の吟行地も舞鶴公園であった。
心配された雨も上がり、曇り空ながら絶好の吟行日和となり、この日もまず牡丹園を訪ねた。
前回訪ねた時はまだ蕾だった牡丹が、この日は蕾の中に数輪の花が咲いていた。牡丹はこのように一輪でも咲くと豪華絢爛と言わざるを得ない。
牡丹は本来五月の季題であるが、この日の牡丹を詠まぬ手はないと季題を先取りして一句したためた。
また、この日の福岡城址は一週間前とは違い、空を染めんばかりの花盛りで、中には風に吹かれて散り始めている桜もあった。満開の桜もいいが、この散りゆく桜もまた風情と言うものであろう。
牡丹と桜を満喫した後は、春風に吹かれながら城内の屋台に立ち寄り、一杯の生ビールとホルモン入りの焼きチャンポンを堪能し、「長閑」と言う季題がぴったりくる春の一日を楽しんだ。
例によってその春爛漫を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  かほどまで咲きたる花の命はも   英世

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