私の好きな一句

梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪

何ともゆったりとしていてしかも春の暖かさを感じさせる、早春のことわざにでもしたい句である。
この句は二つの解釈ができる。
一つはわずか一輪の梅の花だが、そこにはかすかに暖かさが感じ取れるという解釈。もう一つは一輪、また一輪とだんだん咲くにつれて、少しずつ暖かくなっていくという解釈である。
私はどちらかと言えば前者の一輪の梅の花に暖かさを感じたという方を取りたい。
季重なりだがそれを全く感じさせない、ほのぼのとした景色の見える句である。
なお、服部嵐雪は芭蕉の高弟で、芭蕉没後は江戸俳壇を其角と二分するほどであったと言われている。

偶然の一致

ある句友から自分と同じ句が投句されていたという話を聞いた。
実は、私にも俳句には偶然の一致というものがあるのだなと思わせる出来事があった。
私がある句会で詠んだ「風花や天子の遊び心とも」と言う句が、天子を天女と変えただけの全くそっくりの句がインターネット句会に投句されていたのである。
もしや同じ句会のメンバーではとあらぬ疑念を持ったが、選句の結果、私のまったく知らない人であったことにホッとしている。
それにしても、囲碁将棋では一つとして同じ棋譜はないというのに、俳句の世界でどうしてこういうことが起こるのだろうか。
「かならず人の俳諧を学ぶべからず、己が俳諧を習うべし」との格言があるが、俳句はたった十七文字である。芭蕉以降の俳句の長い歴史の中で、同じ句が全くないとは言えないだろう。
あまり感情的にならずに、同じ発想をした人がいたのかと温かく見守ることにしよう。

  梅が香や彼女も同じ香り聞く  英世

梅一切

春浅しと一緒に出された兼題が「梅一切」であった。
句会ではよく「○○一切」といった兼題が出される。「花一切」「月一切」などがそれである。
ちなみに梅一切と言うからには梅に関する季題なら何でもいい訳で、白梅、紅梅などの梅そのものはもとより、観梅でも、梅林でも良い訳である。
福岡の梅の名所は本家本元の太宰府天満宮を始め、久留米の梅林寺、糸島の小富士梅林などが有名だが、私は近くの舞鶴城址の梅を訪ねることが多い。
梅の兼題が出されると、ころ合いを見計らって舞鶴城の梅林を訪ね、しばし句作にふけるのが常である。
ちなみに近く行われる百年句会もこの福岡城址の梅林吟行である。
その梅を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  梅一輪稀には早く咲くことも  英世

春浅し

今月のこうろ句会の兼題は「春浅し」と「梅一切」であった。
まず春浅しだが、立春は過ぎたもののまだ寒さの残る時期のことで、まさに昨日今日の春の寒さを言う。浅き春、春淡し、浅春とも詠まれる。
風も冷たく、 時には雪が降ったり、厳寒のころの気温に戻っ たりもする。
似たような季題に早春があるが、こちらは単に春になってまだ早い時期のことをいうもので、そこにはあまり感情がこもっていない。
そういう意味では、春浅しは早春よりも主観の入った季語 と言えそうで、その所をどう詠むかがカギである。
その春浅しを詠んだ今日の一句をご紹介しよう

  浅春の光の中を子ら駆ける  英世

一句の風景

春の風邪妻に代りて立つ厨

めったに風邪をひかない家内が風邪を引いた。つまり春の風邪である。
春の風邪と言えば何となく色っぽいものを感じるが、我が妻となるとそうとも言ってはおられない。それよりも今日の食事の心配が先である。
ということで、久しぶりに台所に立つ破目になった。
元来料理好きな私だが、家内は頑として台所には立たせてくれなかった。理由は私が作るだけ作って台所を汚した挙句、後始末は家内任せにするからであろう。
だが、この日だけは違っていた。
体が温まるようなものをといろいろ考えたが、結果的にはカレーライスとサラダだけになってしまった。
2015年(平成27年)2月「季題:春の風邪(春)」

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