桃の花

昨日は月曜日で仕事もないので脊振山に登るつもりで車を走らせていたところ、何を勘違いしたのか車は油山に向かって走っていた。習性とは恐ろしいもので、仕方がないので脊振山は後日にして目の前の油山に登った。
怪我の功名とでも言おうか、この日の油山は新緑がまぶしいくらいに美しく快適であった。
さて、今回の硯潮句会の兼題は「桃の花」と「百千鳥」であった。
まず、四月の花ごよみでご紹介した桃の花だが、お隣の中国では梅・桃・牡丹の花見が昔から盛んで、特に春の花といえば桃の花をさして呼ぶことが多いようである。
日本で花見と言えば桜であるが、それは日本人が昔から桜に馴染んでいるだけであって、桃の花も捨てたものではない。
事実、古事記にはイザナギノミコトが黄泉の国から逃げかえる時に、桃三個を投げて鬼を追い払った話がある。
また、果樹園の満開の桃の花を見ていると、その桃園の下で兄弟の契りを結んだ三国志の英雄たちにも頷けるものがある。
その桃の花を詠んだ今日の一句をご紹介しよう。

  母の背に顔を隠す子桃の花  英世

今日は月曜日

今日は月曜日である。
週のはじめと言うだけで別に普段と変わりはなさそうなものだが、私にとってはこの月曜日は特別な日なのである。
と言うのも月曜日はほとんどの施設が休みで、図書館はもとより動植物園も休みで一日中退屈してしまうからである。
この日に仕事が休みの場合、ましてや雨降りの日などは本当に何をしていいかわからず迷ってしまう。
女性であれば地下街やデパート巡りもあろうが、私にそんな趣味はない。
だが、待てよ。自然に休みはない。周辺の山々や野原、河川敷に休みと言うことはない。そうか今日は天気もいいし、このような日こそ山に登ればいいのだ。
このブログを書き終えたら久しぶりに脊振山に登るとしよう。

 春の山しばし無聊を慰めむ  英世

私の好きな一句

戒名は真砂女でよろし紫木蓮  真砂女

以前、俳句のはの字も知らないときに鈴木真砂女の割烹「卯波」を訪ねたことをお話ししたが、それ以来彼女の句には注目して読んでいた。
彼女の強烈な個性は「羅や人悲します恋をして」に窺われる。純愛ではなく不倫と言う愛の葛藤を彼女なりの俳句にしたものである。
そのような真砂女であるが、反面物事にこだわらないさっぱりとした性格も持ち合わせているのではなかろうか。
死んでしまえば何もかも終わりである。死してもっともらしい戒名などいらない。
この句はそのさっぱりした性格を好きな紫木蓮に託して存分に発揮した句だと言えよう。

  木蓮や真砂女の卯波とは知らず  英世

染み抜き

少し前の話だが、愛用の薄手のジャケット(少し高級)の左肩にべっとりと染みを付けてしまった。家内からこっぴどく怒られたのは当然である。
染みの原因は明らかで、酔っぱらって壁か何かに寄りかかり、その折に黒い塗料を付けてしまったのである。
今日は三隣亡かと嘆いていたが、いずれにしてもこの染みを取らなければならない。
私は安易に考えて何時ものクリーニング屋に染み抜きを依頼した。ところが結果としてこの染みは取れないと言って代金を返してきた。
私はどうしてもあきらめきれず、人の話を頼りに染み抜き自慢の店に持ち込んだ。
その店は染み抜きをすれば元の色まで抜けてしまうので、改めて同色を部分的に染め直すと言うものであった。
料金は3千円と法外なものであったが、見事に染み抜きができ元の姿に戻ったことに満足し感謝している。
天気のいい今日あたりこのジャケットを着て春の風を満喫するとしよう。

  春風や薄手のジャケット着ることに  英世

髪油

髪油と言っても今の若い人には「何のこっちゃ」と言うかもしれないが、私たちの若い頃は整髪料のことを髪油と言っていた。
理髪店に行っても「油は何にしますか」と聞かれたものである。最近は髪が少なくなったこともあって、ここ十年来洗髪してもわずかのヘアトニックだけで、髪油を付けたことはなかった。
ところが、ある日公式行事があると言うので、朝シャンをして出かけようとしたところ、急に髪油を付けようと思いたった。全くの気まぐれである。
残り少ない髪に油を付け七三に分け(たつもり)で颯爽と出かけたまでは良かったが、帰ってきてからが大変であった。
鏡を見ても別に変っところはないのだが、なんとなく髪が埃っぽい。春の風に巻き上げられた埃が油べったりの髪に絡みついているような気がして仕方がないのである。
夏ならばともかく春のこの時期に、一日に髪を二度洗ったのは初めてであった。

  髪油にからまる春の埃かな  英世

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