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松尾芭蕉

今日からは江戸時代を代表する三人の俳人についてお話しよう。
松尾芭蕉
まず松尾芭蕉である。彼は俳聖芭蕉として崇拝される俳諧の祖で、蕉風と言われる芸術性の高い句風を確立した人物である。旅に生き旅に死んだ漂泊の詩人としても有名である。
代表句「古池や蛙飛び込む水の音」「閑けさや岩にしみ入蝉の声」は、あまりにも有名で小学生でさえ知っている句である。
世の中がようやく落ち着きを取り戻した江戸初期の伊賀の国で、松尾与左衛門の次男として生まれた芭蕉は、江戸時代を代表する三傑の中で唯一武家出身の俳人である。
19歳で藤堂家に仕え、主君と共に俳句を学んだが、主君の死を機会に藤堂家を去り俳諧の道に専念するようになった。
のちに江戸に出て深川に庵を結び、「芭蕉庵」と称している。ちなみに両国に住んでいた私は何度かこの芭蕉庵を訪れているが、もっともその頃は俳句のはの字も知らなかったので、あまり関心はなかった。
彼にはまた別の顔がある。隠密だったとの説もあるが、彼が忍者の里、伊賀上野の出であることや、旅を重ねた上に、曾良を伴った奥の細道での行動に不審な点が多かったことから、そのような噂が立ったのだろう。
また、女弟子だった寿貞は彼の愛人だったとも言われている。だが、何れの噂も真実は闇の中で、証明するものは何も残されていない。
芭蕉は遺言により木曾義仲の墓の裏に葬られた。芭蕉は何故好んで義仲の裏に墓を選んだのだろうか。おそらく義仲の野性的で、素朴で、人間らしさの中に、人間の着飾らない部分、人間の本質を見出したのではなかろうか。
辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」とされているが、これは病牀吟で、実際ではないと言う説もある。
芭蕉忌:10月12日 秋深き隣は何をする人ぞ

 芭蕉忌や句集半ばの古しおり  英世

三連休が終わった

依然として胸の軽い痛みはあるが、とにかく忙しかった三連休が終わった。
連休二日目の午後は昨日お話したように櫛田神社のあと、その足で重要文化財の「旧福岡県公会堂貴賓館」を見学して、天神中央公園の「ふくおか食の満祭」に出かけた。
天神中央公園は県の管轄で、今まではお上のお庭に庶民の祭など、と驕った気持ちではなかったと思うが、原則として民間のイベントに場所を提供していなかった。
それがどのような風の吹き回しか、今後はもろもろのイベントに公開することになったらしい。今回開かれた食の祭典も、どうも県の主導のようで麻生知事も視察に訪れていた。
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私も50円のうどん、100円の猪なべ、100円の焼き牡蠣、120円の酒蒸し饅頭など手当たり次第に食べまくり、夜は誕生祝のご馳走が待っていると言うことなど忘れて、満腹の昼食となってしまった。
夜はいよいよ私の誕生祝である。
今時の子供たちは盆正月の行事には関心を示さないが、母の日とか、誰それの誕生日とか言うのには敏感なようである。おかげさまで楽しい夜を過ごさせていただいた。
自分の祝というより孫、子に囲まれた和やかな食卓が嬉しかった。ハッピーバースディツゥユウの合唱と共に私は当然ご酩酊である。IMG_9103.jpgIMG_9104.jpg
鈴花と愛莉のツーショット
極めつけは連休三日目の温泉であった。
不思議と二日酔いはしておらず、家内にせがまれてまたまた温泉に行った。これからが本当に温泉が恋しくなる季節で、小雨が降りしきる中、今回はいつもの那珂川の「清滝温泉」ではなく、家内が見つけてきた志摩町の「万寿の湯」に行った。IMG_9112.jpg
この温泉は、朝市で有名な「初」と言う町のショッピングセンターにある。周辺は九大伊都キャンパスの学園都市工事中で、道路事情もすっかり変わってしまい、何度も通った道なのに迷ってしまった。
ここの泉質はゲルマニューム温泉で、肋骨と膝を痛めた私には好都合であった。露天風呂から見えた鴨が棹になって飛んでいく様は、いかにも牧歌的で初冬の趣があった。
温泉のほかにも美味しい食事を楽しんだ。
地の魚のお造りに豚シャブ、そしてビビンバにデザートと盛りだくさんで、これで入浴料込み2000円(ただし要予約)は安い。その夜は残り物で軽い夕食をと思ったが、そうは行かないのが食いしん坊の哀しいさだめである。
山本クリニックの先生の優しくも厳しい顔が見えるようである。
かくして油山登山と紅葉から始まった、私の長い長い三連休は終わった。そうそう痛めた胸はまだ痛い。

 露天温泉や湯気の遥かに雁の棹  英世

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黄葉と石燈籠

言い忘れたが連休初日の夜は孫の鈴花と二人だけで、いつもの寿司屋で食事をした。中二の鈴花と二人だけで話をすると、いつもは聞けない少女の本音を話してくれる。爺の私を信頼して話してくれることが嬉しかった。
そしていよいよ連休二日目である。
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油山の紅葉がこれほど綺麗なら、銀杏の黄葉はどうだろうかと櫛田神社を訪ねた。
銀杏と言えば櫛田神社で、神木の樹齢千年の大木と夫婦銀杏が天に聳えている。
訪ねて見ると何れの銀杏も、黄色く色付いてはいるが、前日の油山の黄葉と比べて見ると、まだやや緑がかった黄色である。やはり山地と街中ではずいぶんと差があるようである。
銀杏の黄色はずっしりとした重みがあり、どことなく貫禄がある。あの風にそよぎ、風に流されるもみじの紅葉とは全く趣をことにする。俳句に詠む場合には、そのあたりの表現に気をつけねばなるまい。
私が櫛田神社を訪ねるには、もう一つの理由があった。それは私の友人のご先祖がこの櫛田神社に燈籠を寄進していると言うので、それを確認し写真に収めることであった。
櫛田神社で闇雲に見て廻っても仕方がなく、社務所に問い合わせればその燈籠はすんなりと見つかるはず、であったが現実はそう甘くなかった。
神社の財産目録、寄進簿には燈籠類は記録されておらず、ひとつひとつ探して廻らなければならないと言われた。神社が手伝ってくれるはずもない。
友人にすぐ探してあげるからと、安請合いしたことを後悔し始めていた。燈籠は百基ちかくもあり、中には寄進者の名前どころか年号さえ薄れているものもある。
境内ではなく参道にあると聞いていたので、とにかくそのあたりから探してみると、どうやらそれらしき燈籠を発見することが出来た。その燈籠は土居町から霊前公園を通る参道に、左右一対堂々と立っていた。燈籠には大正6年富士登山連の講中名とご先祖の氏名がはっきりと刻まれていた。
安請合いしてまたあやまらなければならないのかと、半ばあきらめかけていただけに一安心と言ったところだろうか。
私はその足で、昼の中洲を横切り天神中央公園に向かった。夜は我が家で2、3日早い私の誕生祝が待っている。

 銀杏散る父祖の寄進の灯籠に  英世

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紅葉

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連休初日、紅葉を見ようと油山から市民の森、そして油山観音を訪れた。
この油山一帯は隠れた紅葉の名所で、都心に近いことから家族連れや、若いカップルがよく散策している。
山頂から一気に駆け下りた山腹の谷に、吊り橋がかけられているが、その吊り橋からの紅葉が絶景ポイントである。谷全体が萌えるように紅く染まり、時折吹く風に翻り、散ると言うよりは舞うといったほうが適切かもしれない。
この紅葉谷は別称「姫ヶ淵」とも言われ、黒田家の姫君が狩のお供でここを訪れ、あまりの美しさに籠を停めたということから、この名が付いたと言われている。今も昔も、綺麗なものを見ることに、貴賎の差はないようである。
しばしその紅葉を楽しみ、にぎり飯を頬張った後で、遊歩道を悠々と横切る油山牧場の牛をやり過ごし、野鳥の森観察小屋から水の森へ向かった。この散策コースも渓流伝いに見事に紅葉しており、足の向くまま気の向くままに歩き続けた。
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ところがここで思いもよらぬトラブルに見舞われた。階段の下り坂で足を踏み外してしまい、転倒して右ひざと右肋骨を強打してしまったのである。
右ひざは血が滲んだ程度で、骨に異常はなさそうだが、肋骨はもしかしたら軽くひびが入っているかもしれない。このブログを書いている今朝も前かがみになったり、咳をするたびに少し響くので、あるいはそうかもしれない。ただ、今までも軽いひびであればたびたび怪我しているし、1週間程度で直っているので、なんてことはないと病院へは行かずじまいである。
いずれにしても、上げたはずの足が上がっていない。いつも高齢の会員に注意している私自身が、そういう年代に差し掛かったことは間違いなさそうである。

 草臥れし句帳にしをる紅葉かな  英世

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高校同窓会

高校の福岡支部同窓会が、総勢207名の参加を得て西日本会館の「福岡国際ホール」で開催され、同期生15名と共に出席した。昭和63年卒業だから通常はロクサン会と呼んでいるメンバーで、うち6名が女性であった。
母校は久留米市にあるが、福岡支部での同窓会活動は世代を越えて活発である。ところが、それがこのところ様変わりしてきた。
と言うのは、実は母校は久留米商業高等学校であるが、進学率の向上のあおりを受けて、この商業学校が福岡県下でも5校に減ってしまったことである。しかも、母校は商業学校なのに70%以上が4年制大学に進学しており、いまや商業学校の体をなしていない。と言うことは、言い換えれば商業学校に進学したことを70%の学生は後悔しているということではなかろうか。
同窓会への参加者も高齢化し、若い世代の参加はほとんどない。若者の社会参加の意識が薄れてきたのと同時に、最終学歴が母校ではないことが影響しているかもしれない。
参加者の6割以上は還暦を迎えており、若い世代は当時苦労してやっと高校を卒業できた我々とは、母校に対する愛着の度合いが違うのではなかろうか。
余談だが、携帯電話がうんともすんとも言わなくなった。故障になるような操作ミスの心当たりはないのに、どうしても反応してくれなくなったのでる。
同窓会に行く道すがらドコモで見てもらうと、電源を切ったままになっており、電源はスイッチを長く押さないと入らないと言うことであった。担当の女性社員は笑いを堪えていたのかもしれない。
メカ音痴のこんな私に、若者たちをどうこう言う資格はないよな。

  時雨来て我も昭和の遺産かな  英世

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