どちらが寄りかかっているか

ずいぶん前の話だが、脊振山の尾根歩きで奇妙なものを見つけた。山の斜面で岩と樹がもたれ合い、どちらが寄りかかっているのかわからない姿である。
自然界のことだから突き詰めてみればわかりそうなものだが、岩が樹に、樹が岩に寄りかかっているようにも見える。
実はこのような現象は俳句にも時々見られる。
私が読んだ本の中に石田波郷の「霜の墓抱き起されしとき見たり」と言う句があった。
長谷川櫂は墓が抱き起されるのを波郷が見たと解釈する人がいたが、これは波郷が抱き起されたのである。しかもその墓は波郷がいずれ入るであろう墓で、抱き起された衝撃で波郷が垣間見たのかもしれないと解説していた。
私も霜の墓と言う上五の後のはっきりとした切れで、波郷は病床にある自分が抱き起され、あるはずもない自分の墓を見たのだと解釈した。
このようにどちらともとれる俳句は、連体形や切れの油断などで往々にして生まれがちなので注意しなければなるまい。

  秋暑し寄らば大樹の影とかや  英世

虫除けスプレー

残暑が続く中、毎朝の水やりが私の日課である。
だが、それは蚊との戦いでもある。庭には秋の色が少しずつ見えて来ているというのに、蚊の奴ときたら全く眠ることを知らない。
と言うことで、今朝も草取りと水撒き前に、両手と首筋に虫除けスプレーを噴霧して防御したのだが、それにも関わらずまたまた蚊に刺されてしまった。
両手の肘の裏側を見事に食われたのである。
そう言えば虫除けスプレーは手の表部分と首筋にだけ噴霧し、裏側には噴霧していなかった。
蚊の奴も最初はそれに気づかず刺すことはなかったのだが、今回は見事にその防御癖を抜けて食いついてきた。
刺された場所をかきむしりながら、蚊の奴も経験を積み重ね日々進化しているのだなと妙に感心した。
それにしても痒いのなんの、たまったものではない。

  秋の蚊の今日を最後と集りけり  英世

一句の風景

刑場の声なき声や蝉時雨

唐人町を吟行した時の句である。
唐人町は黒田藩の城下町で、小字の枡小屋とは年貢や酒などを計量する ための公定枡を作るところであった。
安政6年(1859)にはここに囚獄舎が建てられたが、今はその面影はなく小さな公園となっている。
慶応元年(1865)の「乙丑の獄」と呼ばれる勤王か佐幕かでもめた藩内政変では、私の大好きな月形洗蔵を始め14人の勤王の志士がここで処刑された。
その無念の声は蝉時雨となって、今も刑場跡に聞こえるような気がして賜った句である
2014年(平成26年)8月「季題:蝉時雨(夏)」

進むべき俳句の道

昨日に続いて虚子本「進むべき俳句の道」をご紹介しよう。
この本は、虚子がホトトギスに掲載した雑詠第一期・第二期の中の作者及び作句について個別に評論したものである。
緒言で、虚子は「新」と言う文字は若者の特権であるが、上ずった「新」の文字だけが俳句の世界まで浸透することは不本意であると述べている。
また、子規は小主観を嫌って純客観句を提唱したが、虚子は客観の写生の中に主観はあってしかるべきだが、その主観は作り物や借り物ではいけないと、立子の句の主観の良さを取り上げて説いている。
実際の句の評論では個々の俳人の生い立ちや性格を詳細に紹介し、その生い立ちや性格の違いからくる句の特徴を適格に評論している。
冒頭の渡辺水巴(裕福な育ち)、村上鬼城(聴覚障害)、飯田蛇笏(信州住まい)の句には、それぞれの個性の違いが如実に表れており、それを虚子があるがままに評論していることに興味と感動を覚えた。

  秋立つや俳句の道の遠きこと  英世

俳句はかく解しかく味わう

先月、高浜虚子の本を読みまくっている話をしたが、今日はその中で「俳句はかく解しかく味わう」についてお話ししよう。
俳句読本と言えばほとんどが俳句入門書で、俳句の形式、季題(季語)、切れ字とその作り方を解くものが多いが、この本は違っていた。
芭蕉、蕪村、一茶、子規などの古今の200句を一つ一つ丁寧に解説し、その句の表現や背景、そして句の良し悪しをわかりやすく噛み口説いている。
例えば有名な「古池や・・・」の句は、「決して名句とは言えないが、芭蕉が閑寂の趣とその叙写に到達した歴史的価値のある句だ」と言っている。
この書は虚子の俳句感を考察する格好な手がかりがあり、虚子が芭蕉を近代俳句の鏡とする理由などが読み取れる。
俳句を嗜む者にとって一度は手にしてほしい名著である。

  虚子本に埋もれて寝る夜半の秋  英世

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